街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

自転車で古墳探訪(無謀な行動)

2020-08-31 00:10:00 | 自転車

 

水が美味かったな。温泉水なのかな・・

風呂も気持ちが良かった。美肌の湯・・我輩には縁が無いがな。眠りにつくのだが、こんなことになるとは思いもしないし、今日一日いろんなことをいっぺんに経験してしまった。人に迷惑をかけてはいかんぞ。反省、反省。

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雀が来た

2020-08-31 00:10:00 | その他色々

おっ、久しぶりか。心配したぞ。飼育係としては米が無くなったのでパン粉に替えたのだが・・・うーむ、それがまずかったのか、しばらく姿を見なかったな。

こうして斥候と物怖じしない子だけでも来てくれれば有り難い。そのうちいっぱい寄って来るようになるだろう。

君らだけでも嬉しいぞ。

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真夏だ

2020-08-31 00:10:00 | 朝顔 花

花は大きく咲いてくれたし、葉も艶があってなかなかいい・・・・

薬剤散布したのだが、不十分であった。

蟻がせっせと世話をしている。こんな姿は見たくもないがな。

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月岡古墳 自転車で探訪(無謀な行動)

2020-08-31 00:10:00 | 福岡 古墳

後円部の半分ほどが無残にも削られている。

前方部を見ている。括れの部分がお判りになると思う。古墳周囲には三重の濠が巡らされていたということに驚きを隠せないのは我輩だけだろうか。

ここで少し・・この古墳の主は・・・当該古墳は5世紀半に築造されているということから倭の五王の時代の真っただ中であるということだ。讃は421年 425年 430年 宋が建国(420年)された翌年に遣使している。遣使については半島出身で、百済との結びつきの強固な者であり、それが筑紫の者であれば魏志倭人伝以来半島との関係を継続していたと思われ、遣使には持って来いの人物であったろう。

話は別だが、日本書紀 仁徳天皇 12年7月3日 高麗国が鉄の盾、鉄の的を奉った。8月10日には高麗の遣使や群臣百寮を集めて高麗の奉った鉄の盾・的を試した。多くの人が的を射通すことが出来なかった。ただ的臣の祖(いくはのおみのそ)の盾人宿禰(たてひとのすくね)だけが鉄の的を射通した。高麗の客人たちはその弓射る力の優れたのを見て共に起って拝礼をした。翌日、盾人宿禰を褒めて的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)の名を賜った。とある。この場にいた仁徳天皇は彼を寵臣の一人として見ただろう。我輩はこの的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)の関係者ではないのかと思ったりもした。

 

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