遺体を安置する屍床が設けられているのが見える。その上には棚が設けられている。
阿知須では江戸時代の佇まいを見ることが出来る良いところなんだ。何年か前に一度訪れたことがあって、今回時間が許せば散策する予定ではあったがそれはかなわなかったので次の機会を待つことにした。しかし、この説明文におかしいところがあるのに気がついていただけただろうか。文章の上から五行目に「大陸に漆喰を塗りこんだ家を建てる・・」大壁の間違いだと思うのだがな・・・うーむ。誰も指摘しないのかな。阿知須駅を利用する賢明なる読者諸氏に指摘していただくことをお願いしたいものだ。
おどろおどろしい名前である。由来も悲話で悲しみの淵に立たされているような感じである。脂汗が滲み出てくるようだな。
7世紀初頭に築造された横穴式石室を持つ円墳である。墳丘自体相当に削られているのがお判りであろう。あとで後ろに回ってみるけれども。
通常では中には入れない。線刻を持つ石室だからな。
新山口から宇部に向かう宇部線に所在する駅である。それでもこのローカル線は電化されている。この駅で特筆するべきは阿知須WILD BUNCH FEST 会場の最寄り駅であるということだ。たまたま8/20に丸塚第五号墳探訪に行ったときにこの参加者の集団と同じ列車になってしまった。ぎゅうぎゅう詰めで凄かったな。
それとユニークな駅員さんがいるぞ。NHKにも出演したとのことだ。面白いから一度は訪ねてみたらどうかな。但し、鉄道利用でだ。
我輩は古墳探訪は当たり前。妻はと言うと一人で行っておいで。私は駅で待っとくから。だから汗の噴き出るのも構わずずんずんと歩いて行く。
当然か。先客だ。一人は「鉄ちゃん」で鳥取から未明に出て来たと言うことだった。もう一組は夫婦で北九州から車で来ていたが熱心な「鉄ちゃん」ではなくいつの間にかいなくなっていた。
早く出発せんかいな。汽笛一声を聞きたいのだがな・・我々が乗らねばならない列車の時間が迫っているからな。
大分君恵尺・黄書造大伴・逢臣志摩らを、飛鳥守衛の高坂王のもとに遣わして、駅鈴を・・。大海人皇子が言う「・・・恵尺は馬を馳せて近江に行き、高市皇子、大津皇子を呼び出し、伊勢で落合えるようにせよ」とある。
また、大津瀬田橋で近江軍と対峙した時、橋に細工をされていたので渡ることが出来なかったが、ここに一人の勇者が現れるのである。この勇者が大分君稚臣で獅子奮迅の働きで大津京陥落のきっかけをつくる先鋒として名があがるのである。