many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

数寄者日記

2011-05-13 19:56:42 | 小林恭二
小林恭二 1997年 淡交社
前回から、茶道つながりで。
タイトルは「すきモノ」である。副題は「無作法御免の茶道入門!」。
自らを無作法、無器用、無教養の三重苦と認める著者が、茶の湯を学ぶことで、人間性に目覚め、あるいは数寄に目覚めていくところを、同時進行形でエッセイに記してほしい、と出版社に依頼されて、書かれたってことになっています。ときは平成6年から平成9年。
ひさしぶりに読んだけど、やっぱ面白い。「ファンシイダンス」とかと比べちゃいけないかもしれないけど、ある独特の世界に門外漢が入ってくよーな、そういう話が私は好きなんである。
いきなりのデビュー戦が、11月の大橋茶寮での口切の茶事。と言っても、読んでる私もどれだけ重要な場なのか、わかんないまま読むんだけど。
白い靴下を持ってく以外には何の準備もなしに、茶事に紛れ込んで、そこを通っちゃいけないとか、それに触っちゃいけないとか、周囲をハラハラさせつつ、席に座らされ、懐石を食べて、さいごお茶を飲むまでのさまは、抱腹絶倒ったら大げさかもしれないけど、面白いよぉ。
そのすぐあとの3月には、テレビの企画もあいまって、夜咄(よばなし)に出ることになって、そのための稽古をお願いしに行った先で、お茶の先生を絶句させる。
そうやって面白おかしく書いてるけど、さすが俳人なんで、目のつけどころは確かだったりする。
あるとき、盆略手前をする番で、お茶を点てたまではよかったけど、下がるときに、足がシビレて立てなくなる。そこで、正座を崩して、手前座で胡坐をかいたら、周囲は驚いたみたいだけど、本人はそのときに、手前座というのは周囲の風景がよく見渡せる場所だということを、発見したりする。
またあるときは、茶杓の勉強に行くんだけど、そこで千利休が天才であることに初めて気づいて驚く。その言い表しようが、
仮にここに審美眼はまったく人類と同じだが、茶はおろか人類の芸術についてはまったく無知な宇宙人を連れてきたとする。それに茶杓箪笥の茶杓を全部並べて「どれが基本だと思いますか」と訊ねてみるとする。その宇宙人は絶対に利休の茶杓をさすだろう。
だなんていうのがシャレている。
で、最後、平成9年に、とうとう自分が亭主になって、お茶会を催すことになる。
茶碗も茶杓も花入も、自分で作るんだが、ここでも花入の材料の竹を無造作にチョイスして、竹芸家の池田瓢阿氏に「茶杓のときもそうだったけど、小林さんは僕がいちばん渡したくないと思う材料を持ってゆきますね」と評価されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする