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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

私の憲法論

2011-05-28 19:37:40 | 読んだ本
西部邁 1991年 徳間書店
先週末は、漱石の「それから」のあと、実は小説を読まずに、この本を読んでいた。
副題は「日本国憲法改正試案」。今となっては、ずいぶん古い本かもしれないけれど、なかみは現在でも妥当なんぢゃないかと思う。
なぜか憲法記念日ころになると、突如あーでもないこーでもないと憲法論議が起きたりするんだが、今年は特に、震災のあとだからか、いまの憲法って緊急事態に備えてないよねみたいな話が多かったように感じたんで、ふと思い出して、この本を読み返してみた。
この本が何が言いたいかっていうと、あとがきに >つまり憲法論議をつうじて再確認さるべきは「良識の言葉」の大切さということなのだ とあるので、まあそういうことなんでしょう。
つまり、たいがいの日本人って、言葉をそれほど大切にしてないくせに、なぜか憲法にからむとこだけ、「平和」って書いてあるとか、「基本的人権」って書いてあるとか、「自由」って書いてあるとか、やたらそういう言葉に執着して、錦の御旗のごとく掲げたがる。
戦後のどさくさのなかで急いで作られて、占領軍の一部(なに主義者っていうのか知らないけど)の理想なり思いこみなりを押し付けられて、しかも直訳調のよくわかんない言葉遣いで書かれてるのに、なんでこれだけありがたがるのさ、ってことか。
そんなこんなで、著者の関心は、「憲法規範を思想の問題として論じる」ってとこにあるんで、国会とか内閣とかの具体的な制度については、そんなにこだわってない。
そのぶん、前文とか、天皇とか、あの9条とかに関しては、ビシビシいってる。
天皇条項の最も大きな欠陥は、「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としている点だと指摘しているが、そこのとこで、>私ならば、「日本国民」のことを「日本の歴史上の総国民」というふうに解釈し、それゆえ、その「総意」なるものも、日本の歴史が残した伝統的精神の知恵のことだと解釈する(113ページ)って、まさに保守主義者らしいことを言う。
そういう考えに立てば、>つまり、日本国憲法第一条の後半部分は「天皇の地位は市民が根本規範とすべき日本の伝統的精神にもとづく」という意味になる。そしてこの方が、昔も今も、日本市民の常識に合致してもいる ってことになるんで、私なんかは、すぐ、そうだそうだと言ってしまうんである。
9条に関しても、「国際紛争を解決する手段としての戦争」とは侵略戦争のこと、戦争一般を放棄するっていうマッカーサーの提案を民政局のケーディス次長(誰?)が修正した経緯からもそれは明らかって言って、>わざわざケーディスが日本のためを考えて戦争放棄を侵略戦争のみに限定してくれたのに、自衛戦争も放棄したい、侵略されても武力的抵抗はしたくない、と叫び立てるそういう連中の魂胆が私には測りかねる。しかし変な連中がたくさんいるのが戦後というものなのだから、不平をいっても仕方ない。 と手厳しい。
そのほか、基本的人権とか自由に関するところもいろいろあるんだけど、そのなかでも面白いのを挙げると、いかに日本人が、憲法をありがたがるわりには、その中身を真剣にとらえてないかが確かにわかる。
たとえば、「第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。(後略)」は、ひとこと、「削除」と提案されてる。占領軍は、日本をほっぽっておくと奴隷的拘束なんてことが生じると思ってたんだろうけど、ずいぶん見下されたもんだと指摘している。たしかに、いま日本人が自らの手で憲法つくったら、こんなものわざわざ入れるかね、入れないでしょ。
同じように、「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」も、「削除」。思想や良心は人間の心中に胚胎するもので、それら自体を侵すことはまずできない、ってバサッと切って捨ててる。そりゃそうだ、ヘンな条文。
政治制度とかについては、前述のとおり、あまり踏み込む気はないみたいだけど、それでも例えば、参議院は要らないので一院制にすべきだとか言っている。
20年前の本だけど、>現行参議院が日本の政治にとって無用の長物からさらに有害な障害物になりつつある ってことは、あまり変わってないんぢゃないかと思う。そうだよね、「良識の府」とかいうほうが、政治のシロウトみたいなタレントが集まってたりしたら、それは意味無いもん、と私なんかは思う。

どーでもいーけど、私は、高校三年のときだったかな、社会科のなかの政治経済(正式な科目名わすれたけど、たしかそんなもん)の授業のなかで、担当する先生の持論により、憲法前文を暗記させられた。
いわく日本国民たるもの、憲法前文を言えなきゃダメだ(決して右とか左とかって思想的な押しつけぢゃなくて、たしか、アメリカはどんな移民も受け入れるけど、国民になるときに憲法前文だか独立宣言だかを唱えさせられるらしいんだが、それと一緒のような感じで、ってことだったと思うが)ってことで、憶える期限を切られて、なんも見ずに、句読点にいたるまで一言一句まちがえずに紙に書き出すってテストをさせられたことがある。
意外とおもしろい体験だった。今おぼえちゃいないけどね。 
コメント
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