かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

報恩寺(ボンウンサ)

2007年04月23日 | Korea


2008年サミットが、北海道に決まった。北海道は、最初は、手を挙げるのを嫌がっていて、渋々手を挙げたという状況からして、政府主導の出来レースという感が否めない。横浜市民としては、残念だが、日本国民としては、成功することを祈りたい。
”森の国”の首都候補でもあるし、環境問題がクローズアップされる中ぴったりという気もする。地元の盛り上がりが、若干心配だが。
一方、2000年の沖縄サミットの時は、台風が心配だったように、今度は、地震や噴火が心配だ。北海道には、27年前の夏休みに行ったきりだが、いいところであったことは、間違いない。

五木寛之氏の”仏教への旅 朝鮮半島編”を読んだ。インド編に比べ、紀行エッセイ的な部分が少なく、少年時代を過ごした朝鮮への思いや、そこで、精一杯生きた両親への思いが、仏教への思いと重なり、より、五木さんの思いが、表に出た内容になっていると思う。

少ない紀行エッセイの部分の中で、報恩寺が出てくる。去年の夏のスピード旅行で、たまたまホテルの近くにあり、ふらっと訪れた寺だ。こんな近代的なソウルの町のど真ん中に、これだけ大規模なお寺が残されていることにびっくりしたが、やはり大きなお寺だったらしい。特に、儒教、キリスト教徒が多いと言われる韓国でだから、印象が強かった。私が訪れた時、”何とか宗”と表示してあったのだが、思い出せなくて、モヤットしていたのだが、本書で、”曹渓宗”のお寺であることが、わかった。AHA!スッキリ!
何でも、韓国のお寺の90%が曹渓宗で、曹渓宗は、元々新羅時代に始まり、高麗時代に、禅宗を代表する宗派となり、韓国の中心的な宗派になったのだそうだ。

そういえば、数ヶ月前、韓国のH/Pのページに着手したのだが、その後、長期間放りっぱなし。当ブログで、エッセンスは公開済であることと、写真を撮れなかったところを、絵で紹介しようと企てていたことに原因があるのだが(もちろん、時間が無いこともある)、理想は、理想として、時間がない現実も踏まえ、また、製作を適当に開始したいと思う。

本書の後半は、五木さんの仏教観が中心になるのだが、面白いと思ったのは、人間には、山を目指す人間と、海を目指す人間とがあり、五木さんは、海を目指す人間なのだそうだ。人間、年をとると、高い山を登っていこうとする傾向が強いと思っていたのだが(特に五木さんのような、知識人には)、これも人それぞれの人生観なのだ。

『生きていること、それ自体がすごいことで、どんな生き方をしたかというのは、問うべきではない、という気持ちにさえなる。』とも書いてらっしゃる。『只管人生(しかんじんせい)』という造語を使われているが、とにかく生きていれば、やがて何かが見えてくるのではないかという考え方だ。

今増加している、非条理な殺人や、自殺の問題については、『一即多、多即一』の考え方を説く。つまり、『自分のいのちがこの宇宙全体とつながっていると体の底から感じるころがてきたならば、自分のいのちを、そして他人のいのちを、簡単に奪うことなど到底できないだろう』という考え方だ。

この本を読んでいて、仏教というのは、習うものではなく、自分自身で、考えることなのだと感じた。
コメント
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