かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の歴史1 列島創世記

2011年04月05日 | Books



日本史は、高校時代以来学んだことはないが、この歳になって、もう一度と思って、たまたま始まっていた小学館のシリーズを買っていたのだが、ツン読だった。

流石にもうそろそろと思って、読み始めた。全16巻で、まだわからないが、一巻一巻著者が違うので、逆説の日本史ほどの一貫性はないだろう。でも、時代時代の専門性は高いのかなと思いつつつ、第一巻を読んでみた。

文字が残される前の、旧石器から、古墳時代までの時代だが、面白かった。

あの旧石器にすら美的感覚があふれている。旧石器は、北の方が優れているが、気候が大きな要因になっていたという。西は暑過ぎて、人が住むには適さなかったのだ。
この気候の変動は、この後大きく影響し続けるのだが、これは花粉の量から研究されるのだという。
例の歴博の鑑定については、ニュートラルな立場。あまりにも今までの常識よりも古い結果が出るのだが、一応科学的なので、表だって文句も言えない?
ちなみに、インチキねつ造事件の時も、とんでもない発見だったにもかかわらず、考古学者は異を唱えなかった。

縄文から弥生のへの移り変わりについても、単純ではないと考えられてきている。
著者は、そのポイントを水田、武器、環濠の3点に求める。
弥生時代の、東中心から、西中心への流れは明らかだ。
人口密度でいえば、1㎞あたり、東北は0.03→0,5だったのに、九周では、0.05→1.58だったという研究があるという。どうやって調べたのか知らないが。
ちなみに、今の日本の人口密度は、343人。東京都で、5,541人。一番少ない福島県檜枝岐村で1.75人という。いかに、当時の人口が少なかったかがわかる。

たぶんそうだったのだろう。ではそれが、渡来人によるものだったのか?
その影響はあるが、それだけではなく、弥生化は、内からと外からと、両側から起こったらしい。

我々が、歴史を学んだ頃は、西対東というイメージで教えられたと思うが、これもずいぶん変わってきているそうだ。
本書では、青銅器文化から墳墓文化への転換と理解する。
確かに、島根で、銅剣と銅鐸が同じ場所から多量に発掘されたりすると、青銅器時代の東対西という構図もなかなか固執しにくい。

もっと議論を進めれば、何故大和が日本の中心になっていったのか。
大和政権が、西から東に移ったのか?東の政権が西を破ったのか?
本書は、時代が鉄器文化になるにつれ、その交易の中心であった大和が、交易の中心になり、次第に勢力を増したのではないかと説く。

とにかく、この時期、文字の史料がなく、発掘結果から、時代を推理するしかない。
だからこそ、素人には、一番面白い時期と言えるかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする