"新視点古代史"、"テーマで読む古代"という副題がついているが、その副題も示すように、文字が使われ出した頃から、平安時代までの、テーマ別古代史。
著者は、あの歴博の館長さん。自分の興味のある分野毎にテーマを選んでいるから、気合が入っている。
文字が使われ出した頃の話で、新たに発見された文字資料から当時の生活が蘇る。例えば、見つかった札から、当時政府が税収を確保するために、国民に耐乏生活を強いている様子や、米にいろんなブランドがあり、三期に渡って育てられていたことなどがわかる。
天皇という言葉はいつから使われ始めたか?いろんな説が紹介された上で、天武朝時代ではないかという。中国で、天皇は、皇帝より低い地位だったから、中国でも受け入れられた。
小野妹子が、日出ずる処の天子をいい、怒りを買ったが、これは、”日出ずる処”で、買った怒りではなく、”天子”という言葉が問題だったのだ。
では、日本という名は?これは、則天武后の時代であることがかなり確からしい。日本でも何度か展示された遣唐使の井真成の墓誌にも、日本という言葉が使われている。井さんは、717年の遣唐使で、唐に渡り、帰国することなく亡くなった。
日本という言葉と、天皇という言葉は、中国とのつきあい、韓国(新羅)との差別化のため、必要になって生まれた。
税金が過酷だったこともわかってきている。税の他に出挙というシステムがあり、国が、稲を貸し付け、その5割を徴収するシステムだった。今の高利貸しの比ではない。稲は、貨幣の代わりにも使われていた。
今回の震災で、被害を受けた仙台近郊の多賀城の話もよく出て来る。著者は、多賀城の発掘作業に携わったのだそうだ。当時の東北の馬は、高級な献上品だったという。えびすめ(昆布)も、高級献上品。
牡鹿半島近辺は、まさに海の道の東北への入り口だった。曳船といって、川の両岸から、綱を張って、船を上流へ引っ張る方法がとられたという。
当時の辺境だったから、役所などさぞ粗末なものだと思ったいたのだが、かえって、規模は小規模ながら、立派な庁舎が立ち並んでいたという。蝦夷ににらみを効かすためだ。
ちなみに当時の土器には、即天文字が見られるという。即天文字は、中国ではすぐ使用禁止になったが、日本では使われ続けた。光圀公の圀の字は、唯一今も使われる即天文字で、八方領土を広げるという意味だ。知らなかった。
漢字は、当時は、文字でもあったが、デザインでもあり、文字の書き誤まりがそのまま正しくなってしまったケースが確かに見られるのだという。試験の時、漢字の細かいところがわからないと、こちゃこちゃっと書いたあれである
。土器に彫られた文字は、書き順もわかるが、滅茶苦茶なのだそうだ。時々、古文の解釈で、これは、○○の書き間違いと説明されることがあるが、都合よく解釈しているのではなく、本当に書き間違いが多かったのだ。とにかく初めて見る、従来の大和言葉と関係のない奇怪なデザインだったのだから。
昔の戸籍を見ると、女性ばかりだったり、老人ばかりだったりすることが多いという。これは、徴税を逃れるためで、段々戸籍制度の形骸化、崩壊につながった。貨幣も、銅の不足やインフレが続き、結局鋳造を止め、中国からの輸入に頼るようになった。当時、中国から伝わった制度で、長続きしなかったものも多かった。
通常の歴史書は、○○という制度ができたと習うが、本書は、それが、実は、△△だったと教えてくれる。結構、目から鱗の本だった。