高雄から台南に異動し、赤嵌樓に行った。何の変哲もない建物に見えたのだが。
建物に向かう途中に4人の銅像がある。頭を下げているがオランダ人。
この砦を支配していたオランダ人が、中国人に砦を明け渡したところだ。
前は、オランダ人がひざまづいていたらしいが、オランダの抗議で、この姿になったという。
次に訪れた博物館のジオラマでは、まだオランダ人は、ひざまづいていた。
台湾の歴史にとって、重要なシーンだ。
土台の部分は、オランダの砦だった時のものが使われている。建物部分は、中国風に建て替えられている。
何故か、今回の旅行で、欧米人を最も多く見た。
これは、オランダ人時代の砦の模型。
これは、鄭成功の肖像画。
元々中国人が台湾に移住し始めたのは、隋の時代。ただ、本格化したのは、16世紀と言われる。そこに、大航海時代のポルトガル人が台湾を発見。さらに、オランダ人が来て、スペイン人が来て、戦いになったが、結局オランダ人の勝利し、オランダ人の支配となった。
そこに清の時代になった中国から、明の重臣だった鄭成功が台湾に上陸し、台湾で明の再興を目論んだ。オランダ人からの奪回には、成功したが、結局清に滅ぼされてしまう。
でも、日清戦争で日本が勝ったため、日本統治となり、それは、第二次世界大戦終了まで続いた訳だ。その後、国民党の支配となり、蒋介石も台湾に来たが、圧政を行ったため、中国に返還されたことによって、台湾の人々が必ずしも幸せになったという訳ではないようだ。
そして、ふたつの中国はまだ、続いている。
台湾の歴史は、翻弄され続けた歴史と言える。
これは、魁星爺。踏んづけているのは、龍の9匹の子供の内1匹という。
今は、学門の神様になっている。
台湾の天満宮化している。科挙の試験用紙の展示などもある。
合格祈願の願い事が、たくさん掲げられている。願書のコピーまで、張ってあったりして、祈り方も真剣だ。
かつでの砦だった部分も一部見ることができる。
台南は、台湾で、一番最初に開けた場所と言える。