韓国で、ごちゃごちゃがあった。
私は、”右翼でも、左翼でもなく、仲良く”主義だが(仮面ライダー1号さんの講演で聴いたフレーズのパクリ)、両国とも稚拙・お粗末と言わざるを得ない。
別の講演会で、竹島の話を聞いたことがあるが、歴史的には、日本に属することは間違いないが、日本政府の怠慢から実効支配されてしまっており、日本が国際調停に持ち込もうとしても、韓国が賛成しないという話を聴いた。
日本のやるべきことは、まずきちんと外交のできる政府を立ち上げ、歴史的事実に基づいた政府の統一見解をまとめ、国際社会に粘り強くアピールすることしかないのではないか。もちろん、相互の話し合いで、話がつけばいいのだが、ここまでこじれては、そうもいかないのだろうし。
お互い、自分の言い分を、自国民に発信し続けても、物事進まないし、まず、本当に政府が正しいことを言っているかも、我々は、判断できない。
本書も、凄いロングセラー。
著者の増谷さんの後書きによると、初出は、昭和20年代の仏教雑誌への連載。昭和31年に単行本化。新書になってずいぶんカットされたが、角川選書になって、カット部分(仏の教えに関する部分)復活したそうだ。いまだに、読み継がれている。
なるべくオリジナルに基づいて、釈迦の生涯に迫るアプローチ手法は、この前紹介した、中村さんの”釈尊の生涯”に似ているが、本書はちょっと長い分、釈迦の言動、思想についての言及も多く、逆に素人には、少しわかりやすい感じもする。
ところで、両書とも、サンカーシャには触れておらず、八大聖地の一つであるにも関わらず、実話とは考えられていないようだ。
キリスト教との比較についての言及も多い。
釈迦の説法は、45年の長きに渡っているが、基本的な変化をその教説の中に示していないという。
それに対し、キリストは、1年~3年の伝道活動にもかかわらず、その教説は、劇的に変化しているそうだ。
共に比喩を使ったということでは、共通しているが、キリストは、簡勁(かんけい)で美しいのに対し、釈迦の言葉は、美しいのは同じだが、理路をみちびくという。出発点と結語の間にあるく道があるという。
何と含蓄のある考察であろうか。
仏教とはなんぞやという疑問にたいしては、本書では、「法の相続者たれ、財の相続者たらざれ」という言葉をあげる。
今の混沌とした世の中で、仏教の原点に立ち戻るのも、意味のあることかもしれない。