かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

仏はどこにいるのか

2011年12月19日 | Books
question2金正日が突然亡くなった。客観的に見れば、とんでもない指導者だったわけだが、本人は、何を考えて政治をしていたのか。やはり、自分の権力欲からだけだったのか。それでは、あまりにもむなしいではないか。
これで、カダフィも、フセインも、金正日も、ブッシュが目の敵にしていた3人は、いなくなった。でも、世の中は、全く変わらない。逆に不安定になってしまったかもしれない。
正義というのは、相対的なものなのか。



本書も、本屋で見つけた。こちらは、11月に出たばかり。
立川武蔵さんという方が書かれた本だが、こちらは、かなり深い本。
サブタイトルが、マンダラと浄土という題名になっているが、仏の様々な形態から、マンダラの話、ヨーガとバクティの話へ展開する。
最後の方になると、ちょっと難しいが、仏教にいろんな仏様がたくさんいて、大乗、小乗、密教があってなどというところに踏み込んでいるから、しょうがない。



大乗、小乗、曼荼羅の話になると、チベット、ネパールは、外せないところで、ネパールの話は、詳しく書かれている。
このスヴァンヤンブーナート寺院の所は、特に詳しく説明されているが(写真は私が訪れた時のもの)、知らなかったことが沢山書かれている。
仏塔の基壇の部分みたいなものを沢山見かけたのだが、これは、曼荼羅を描いたもので、ネパール独特のものだと初めて知った。
ガイドさんが教えてくれればと思うのだが、時すでに遅し。



これらの仏塔も紹介されているが、仏塔は、曼荼羅を3次元的に表したもので、2次元的に表すと、我々がよく見る曼荼羅になる。
しかし、我々が日本で見る曼荼羅は、主に空海がもたらしたもので、密教のごく初期のものだ。
今は、主にその後発展した曼荼羅が信仰の対象になっている。

『仏教一般の思想・実践のあり方は(1)ヨーガ(禅はその一種)、(2)バクティ(阿弥陀仏への帰依、帰命)、(3)ヨーガとバクティとの統一としての密教の三つに分けられます。ブッダにはじまり今日に至る仏教者たちはこの3つのいずれかの道を歩んできたのです。日本仏教を代表する栄西・道元、法然・親鸞、空海はそれぞれヨーガ、バクティ、両者を統一した密教の道を進まれたと言えるでしょう。』

キリスト教も、仏教も、始祖は書いたもの何一つ残していない。今伝えられているのは、言い伝えか、弟子が思想を発展したものだ。だから、その発展を知れば、その元が何だったかのヒントになる。

それにしても、キリスト教も、仏教も、広範囲にいろんな形で伝えられ、原形をとどめないほどに発展したことに、驚かざるをえない。
コメント
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