かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

聖徳大使 七の暗号

2011年12月30日 | Books
今日も陽が出てる時は、まずまずだったが、陽が落ちると、急に、寒くなる。たいへんな年となってしまった今年も、残り2日となった。



本書は、2年前に出た本で、出てすぐ読んだから、もう結構前のことになる。
それから、本書に影響を受け、四天王寺に行ったり、諏訪大社に行ったり、朝護孫寺に行ったりもした。

聖徳太子が実在かどうかという議論があるが、今も定かではない。
ただ、本書を読んで改めて感じたのは、聖徳太子か、聖徳太子の名を借りた誰かが、今の日本の基礎を作り、日本への仏教浸透の基礎を作ったということだ。
今より、人口は、全然少なかったとは言え、何の通信手段もなかった当時に、これを成し遂げただけでも、凄いことだ。まさに、神業である。

本書は、それを、一つ一つ解き明かしていく書であり、推理小説としても、歴史ミステリーとしても、所縁の地区の観光案内としても、とても楽しめる本だと思う。

特に、信州、東北にも広がる、寺院、神社の地理的、歴史的考察は、興味深い。

例えば、物部守屋山に祀られた守屋を神道で鎮魂するのが諏訪大社で、仏教で鎮魂するのが善光寺であるとする。そして、その二つを結ぶ線上に、常楽寺の北向観音がぴたりと位置している。北向観音は、あの慈覚大師が創建したもので、善光寺の南向きと向き合っていることから命名されたものという。

善光寺本尊と飛鳥寺本尊、そして、後述する法隆寺本尊の共通の特徴は3つあるという。①一つの後輩に阿弥陀如来と脇待の勢至・観音菩薩が並んで立つ「一光三尊」のかたち。②阿弥陀如来が左手を下方にさげ、掌を前に向けた「施無畏印」で、第二、第三指を伸ばして他の指を折る「刀印」のかたちを持つ。③阿弥陀如来は、一般には、法衣は片方の肩にのみかかっているにもかかわらず、「通肩」といって、両肩に衣がかかっている。
②にある刀印は、中国のごく初期の仏像にも見られるもので、南朝、南梁あるいは、百済を経て、日本にもたらされたと考えられるという。

こんな感じで、興味深い説がたくさん披露されていて、それが、実在の寺社や、仏像に因むものであり、どこまで真実に近いは別にして、面白い本だった。
本書片手に、全国を行脚できだら、楽しいだろう。
コメント
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