かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

仏陀

2011年12月24日 | Books
今日は、私としては、珍しく、埼玉県でゴルフだった。気温が低くて、どうなることかと思ったが、風がなくて、助かった。防寒グッズの進歩に感謝である。



ひろさちやさんの”釈迦”という本は、読んだ。だぶるかなと思ったけど、そのちょっと前に出た”仏陀”という本も読んでみた。
引き続き、大乗仏教の立場で書かれた本だが、結構小乗仏教に対して、攻撃的な書きぶりの部分もある。
中村元さんの弟子だそうだが、話は、かなり大胆に展開している。

まず、釈迦と仏陀の違いだが、釈迦は、人名で、仏陀は、悟りを開いた救世主とする。大乗仏教と小乗仏教の差は、キリスト教でいう、プロテスタントとカソリック程度の差ではなく、キリスト教とユダヤ経の差に相当するという。大胆な、説明である。でも、それぞれの発展した時代を考えればその通りなのである。

大乗仏教では、仏陀になるために、つまり悟りを開くために、まずは、菩薩となり、無限の距離を歩むのだが、小乗仏教は、阿羅漢になることに甘んじているのではないか。つまり小乗仏教では、人は、仏に、なれてしまうのである。仏になってしまったら、次に何を求めて修業するのか。小乗仏教は、出家した者しか救わないから、けしからんのではなく、人と仏陀との距離が、本来の仏の教えと異なってしまったのではないかとのお考えである。

あの大映映画で悪役だったデーバダッタについても、ユニークな説を展開。彼は、真面目な(より厳格な)修行者であったとする。しかし、反主流派であったため、反逆者扱いされ、抹殺された。デーバダッタを信奉する者は、玄奘の時代にもまだいた。反逆者を1000年も信仰し続ける訳がないということが、第一の根拠になっている。

私も訪れた霊鷲山に、ひろさんは、ニ十回も上ったという。名前の由来も、鷲に似た岩があるからというのは、後からの説らしく(私もそう聞いた)、最初訪れた時は、山全体が、鷲が羽を広げたような姿をしているからと説明されたらしい。鷲が沢山住んでいたからという説もあるらしい。鷲は、見なかったが。

興味深い話が満載。確かに、”釈迦”とのだぶり感はあるが、本書も読む価値十分。

仏になることを求めて永遠に修業を続けるのが、仏教。仏の教え。


コメント
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