かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良京都おさらいの旅 その2 東大寺

2014年11月12日 | Nara ( Japan )



展覧会を二つこなした後、まだちょっと時間があったので、定番の東大寺へ。
今回は、正倉院をまず見たいということで、轉害門から、境内に入る。
意外と知られていないことだが、本門は、東大寺において、天平から引き継がれている、唯一の遺構である。
説明板には、こうある。

”轉害門 国宝 奈良時代
轉害門は、もと平城左京一条大路に西面して建立され、佐保路門ともよばれた。
中世の修理を受けているが、東大寺伽藍における天平時代唯一の遺構で、その雄大な姿は創建時の建築を想像させるのに十分である。
この門は当寺鎮守八幡宮(手向山八幡宮)の祭礼が行われて遷座の場所となり重要視されてきた。
基壇中央には、神興安置の小礎四個が据えられ、天井も格天井に改められ、現今も川上町の有志により大注連が中央の二柱に懸けられている。
京街道に面していたたsめに、平安時代末期から民家が建並び、中世以降には東大寺郷のひとつである轉害郷(手貝郷)が生まれ、江戸時代には旅宿として発展した。”



その後、前に紹介した正倉院を見た後、後ろから、大仏殿側に戻っていく感じ。
早くも、紅葉が始まっていた。この辺りは、以前講堂があった場所だが、今は、巨大な礎石しか残っていない。



大仏殿は、奈良の至るところから臨むことができ、まさに奈良の街のシンボルだ。



大仏殿に行く前に、その脇の戒壇堂へ。



ここには、超有名な四天王像が鎮座する。
戒壇堂は、元々唐から来日した鑑真が、聖武天皇、光明皇后たちに、戒を授けたことに始まる。
建物は、何度も燃えてしまい、今の建物は、18世紀のもので、元々あった四天王は、焼失したとされる。
今ここにある四天王像は、元々東大寺の中門堂から移されたものと言われている。
それにしても、この凄みは四天王像にふさわしい。
しまった身体は、騎馬民族の名残とも言う。
甲冑類は、中央アジアの様式。
歴史的にも、芸術的にも、極めて価値の高い、お宝仏像たちである。



そして、メインの大仏殿へ。
東大寺に訪れた人は、まずここを訪れる。
外国人比率も一番高い。



これまで、何度拝んだことだろうか。
歴史的に見ても、日本最大の大仏と呼ぶにふさわしい。



ルートが全く逆になっているが、帰りは南大門から。
仁王様は、一体修復中だった。
何の作業だったのかな?



ということで、充実の一日が終了。



ホテルに戻ったら、奈良駅を見下ろす部屋だった。
古都奈良の駅にふさわしいデザインかは別にして、JR奈良線が、一部単線なのが、つらい。

コメント
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