かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

和歌山神社巡り

2022年06月08日 | Other Western Japan


今日は、関西ついでに、和歌山の神社を回った。
この年になって、和歌山の和歌は、和歌の和歌と気づいた次第。
和歌山市駅にいたこの電車は何だったんだろう? 
めでたいでんしゃ?
和歌山市駅は、南海電車、和歌山駅は、JRらしい。
正味6時間で、こんなに回れたのは自分でも凄い?
 


まずは、紀伊国一宮の、日前(ひのくま)神宮、国懸(くにかかす)神宮。
2社、きれいに並んでいる。
両社総称して、ひのくまさんと呼ばれている。
天照陽乃大神の前霊に座した日前大神国懸大神を祀るという。
戦国時代に荒廃したが、紀州藩主の徳川頼宣により再興された。
頼宣は、今の和歌山城を作り、吉宗の祖先にあたり、徳川の時代の紀州の基礎を作った人と言える。



こちらが、国懸神社だが、瓜二つ。



次に訪れたのは、同じく和歌山市内にある、伊太祁曽(いたきそ)神社。
続日本紀に登場する。
和歌山駅から、わざわざここまで支線が通っている。
元は、日前神社のところにあったが、この近所に遷座し、713年に現在の地に移ったとされる。
素戔嗚尊の子の五十猛命(いそたけるのみこと)を祀っている。
五十猛命は、日本の国中に木種を播き、最後にここに鎮まり、木の神として知られている。



次に訪れたのは、丹生都比売(にうつひめ)神社。
ここは、和歌山からは、ちょっとあって、高野山の登口付近にある。
主神の丹生都比売大神は、高野山の地主神とされ、ユネスコの世界遺産にも指定されている。
諸々の災いを払い退け、一切のものを守り育てる女神。
かつては、本社にお参りしてから、高野山に登ることが、習慣だった。
この楼門は、重文。



この4棟が本殿。
重文に指定されている。
第二殿は、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)を祀る。
弘法大師を高野山に導いた。
第三殿は、大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)を祀る。
食べ物を司る神。
第四殿は、市杵島比売大神(いちきしまのひめのおおかみ)を祀る。
財産と芸能の女神で、弁天さまとしても知られる。



石塔婆。
13世紀のものという。
この辺で、空海は、瞑想したと伝えられる。
寺社分離の際、ここに移されたらしい。



ここに御影堂等があった。
北條政子の寄進によるもの。
本社も紀伊国一宮。



再び、和歌山の方に戻って、訪れたのは、玉津島神社。
万葉集にも、読まれた古社。
三柱の女神をお祀りし、その中の衣通姫尊様(えどおりひめのみこと)は、和歌の神様として親しまれている。
和歌の浦を臨める景勝地。



鹽竈神社は、かつては、波打ち際にあったようだ。
玉津島神社のお祓い所だったらしい。
鹽槌翁尊(しおづちのおじのみこと)を祀る。
鹽槌翁尊ほ、釣り針を無くした山彦に、海神のところへ行くよ海教え、送り出した神様で、安産の神としても知られる。
ここは、全国13ヵ所ある製塩を伝えられた場所の9番目とされ、宮城県の塩釜神社は、13番目となる。



江戸時代にも風光明媚なところとして、有名で、美しい橋も残る。
金沢八景を思い出す。



風景は、ずいぶん変わってしまったのだろうが、今も美しい。



紀州東照宮。
家康公を祀るが、紀州初代藩主の徳川頼宣公が、1621年に建立した。
まさに、東照宮で、左甚五郎や、狩野派の作品が、見られる。
関西日光とも呼ばれる。



楼門も、本殿も重文だが、特に、本殿の装飾が素晴らしい。
階段も凄くて、各厄年の段数ある。
紀伊國屋文左衛門も登った。



対岸にあった紀三井寺。
ゴージャスなお寺だった。
和歌浦を見下ろせる景勝地にある。
770年に、唐僧・為光上人により開基された。
三井寺の名は、山内から湧き出す三つの霊泉から来る。

 

日本最大の木造の観音様。
本当かは、わからないが、素晴らしい仏像だ。
4時半で観音堂はクローズなので、ぎりぎりだった。



さらに中心部に戻って、最後は、和歌山城。
5時最終入城で、5時半クローズ。
こちらもぎりぎり。

 

天守閣からは。360度見渡せる。
淡路島から、高野山まで。
ここは、市街地か、北西方向。



和歌山城も見学できた。
紀州徳川家に纏わるお宝が多く展示されている。



徳川吉宗像。
誇り高き紀州を体で、感じることができた。
高野山にも、また参拝したい。
コメント
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