かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Jim McCartney

2022年06月18日 | The Beatles
今日は、これからホームパーティ。 昨年末以来か。 久しぶりだ。 そして、ポールの80歳の誕生日。 ついにという感じだが、幸い元気にツアー中だし、とにかく再度の来日公演を祈るのみ。



ポールつながりでまたまた珍品ゲットした話。
このポストカードは、レバノンのビブロスという世界遺産にある対十字軍の砦。
元々ビブロスは、フェニキア人発祥の地だそうで、ビブロスは、パピルスの語源でもあるという。
ということは、バイブルの語源にもなったということ。
首都ベイルートからもそう遠くないところにある。



そしで、1966年7月に、ここを訪れていたのが、Paul McCartneyの父であるJim McCartney。
1902年7月7日生まれ。When I'm Sixtyfourは、父の64歳の誕生日から来ているというが。
当時、ビートルズは、ポップミュージック界の頂点にいた訳で、Jimにとっても、最高の時期であったと思われる。

消印を見ると、レバノン側の消印が、1966年7月27日で、ロンドン側の消印が7月29日。
宛先は、ロンドンのNEMSオフィスの、アリステア・テイラー宛になっている。

カードをそのまま読むと
Dear All/You did your
stuff well+truly. We
were interviewed at Beirut
Airport by the local
press+pictures+story
apperaered following day.
Having smashing time.
Will Ring when I return.
Jim+all the
other Mac's.
と読める。

とすると、ポールもいっしょに旅行していて、インタビューを受けて、その記事が翌日の新聞に載ったということなのだろう。
確かに、アジアンツアーが終わって、アメリカツアーまでは、休暇だったろうから、プライベートの時間を楽しんでいたのだろう。

JimもPaulも至福の時。
Jimは、約10年後の、1976年3月に、73歳で亡くなった。
Jimが音楽好きであったことが、Paul のベースになっており、Paul の音楽活動を支援し続けた。
このポストカードも、NEMSに、みんなが元気でいることを伝えるためのものだった。

コメント
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