かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ブッダの旅

2007年04月25日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


岩波新書から、『ブッダの旅』という本が出た。新書とは言っても、ほとんど写真集。著者の丸山さんという方は、延べ12回、600日もインドに行かれて、写真を撮りまくった方。写真の深みが違うし、ここまで多くのインドの仏教遺跡をテーマに写真を撮られた方もいないのではないか。

五木さんの本と重複する遺跡もちょっとあるが、カバーしている範囲が全然違うし、ブッダが足を延ばしたと言われているところには、ほとんど、行かれていると言っていいぐらいだ。そこまで、インドにのめりこめば、書かれていることにも、自然と重みも出てくる。

インドに行くと悩まされる物乞い。”バクシーシー”と付きまとってくる。大体、プロの物乞いで、子供の場合、お金をもらえないと、後ろの意地悪そうな棟梁みたいな人に、その子供がお仕置きされるという、極めて不愉快な残念な光景が繰り広げられる。物乞いになるために、障害者になる人もいるお国柄だ。一番多いのが、汚い子供を抱えた女性の物乞いだ。何とも評しようがない。何で、こうなってしまうのだろう。
そんな中、丸山さんが、12、3歳の少女の物乞いに、逆に”バクシーシー”と、言い返したところ、2ルピー、恵んでもらってしまったという話が出てくる。功徳の表れかと丸山さんは言うが、とにかく奥の深い国だ。

インドの仏教遺跡をコンパクトに見たかったら、まさに、ベストな本と言えるのではないか。とにかく写真が綺麗だ。仏教遺跡が、とんでもない田舎にしかないのにも、驚かされる。

上の写真は、アジャンタに行った時のもので、この本とは、直接関係はない。
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Forever Fab

2007年04月24日 | The Beatles
ビートルズの本の発行は、止め処もないどころか、加速している。

The New York Times から、Forever Fabという特集が出版された。本になっていると思って買ってみたら、当時から、最近までの、ビートルズが載っている紙面の復刻版だった。普通の本で良かったのに!保管がたいへん。

最も古い記事が、1963年12月で、本国イギリスとの時差を感じる。最新が、2004年の記事で、USA上陸、40周年を記念しての記事だ。周りの記事も、そのまま復刻されているので、時代の雰囲気も反映されていて、興味深い。
米国にいると、朝日や、読売などの全国紙はなくて("USA TODAY"があるが、あまりにも、大衆紙)、地域の有名紙を愛読することになる。
シカゴでは、もちろん、シカゴ・トリビューン。シカゴ・サンタイムズと人気を二分していたが、後者は、やや俗っぽかった。ビジネスマンだと、WSJとニューヨークタイムズの見出しぐらいには、最低目を通す。だから、Arts & Leisure のページまで、眼を止めることは少なかった。この特別版を見ても、ジョンが暗殺されてから、90年代ミドルまでの、記事は少ないようだ。心に、ぽっかり穴が空いた感じというのはこのことを言うのだろう。

90年代ミドルから、様々なプロジェクトが始動したのは、ビートルズファンとしては、うれしい。記事も、また増えだしていて、今のブーム?につながっている。日本のTVなのに、ビートルズの曲が使われるケースがいかに多いか。イントロの一部だけ使われるケースも、すぐピンと来て、ほくそ笑んでしまう。

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報恩寺(ボンウンサ)

2007年04月23日 | Korea


2008年サミットが、北海道に決まった。北海道は、最初は、手を挙げるのを嫌がっていて、渋々手を挙げたという状況からして、政府主導の出来レースという感が否めない。横浜市民としては、残念だが、日本国民としては、成功することを祈りたい。
”森の国”の首都候補でもあるし、環境問題がクローズアップされる中ぴったりという気もする。地元の盛り上がりが、若干心配だが。
一方、2000年の沖縄サミットの時は、台風が心配だったように、今度は、地震や噴火が心配だ。北海道には、27年前の夏休みに行ったきりだが、いいところであったことは、間違いない。

五木寛之氏の”仏教への旅 朝鮮半島編”を読んだ。インド編に比べ、紀行エッセイ的な部分が少なく、少年時代を過ごした朝鮮への思いや、そこで、精一杯生きた両親への思いが、仏教への思いと重なり、より、五木さんの思いが、表に出た内容になっていると思う。

少ない紀行エッセイの部分の中で、報恩寺が出てくる。去年の夏のスピード旅行で、たまたまホテルの近くにあり、ふらっと訪れた寺だ。こんな近代的なソウルの町のど真ん中に、これだけ大規模なお寺が残されていることにびっくりしたが、やはり大きなお寺だったらしい。特に、儒教、キリスト教徒が多いと言われる韓国でだから、印象が強かった。私が訪れた時、”何とか宗”と表示してあったのだが、思い出せなくて、モヤットしていたのだが、本書で、”曹渓宗”のお寺であることが、わかった。AHA!スッキリ!
何でも、韓国のお寺の90%が曹渓宗で、曹渓宗は、元々新羅時代に始まり、高麗時代に、禅宗を代表する宗派となり、韓国の中心的な宗派になったのだそうだ。

そういえば、数ヶ月前、韓国のH/Pのページに着手したのだが、その後、長期間放りっぱなし。当ブログで、エッセンスは公開済であることと、写真を撮れなかったところを、絵で紹介しようと企てていたことに原因があるのだが(もちろん、時間が無いこともある)、理想は、理想として、時間がない現実も踏まえ、また、製作を適当に開始したいと思う。

本書の後半は、五木さんの仏教観が中心になるのだが、面白いと思ったのは、人間には、山を目指す人間と、海を目指す人間とがあり、五木さんは、海を目指す人間なのだそうだ。人間、年をとると、高い山を登っていこうとする傾向が強いと思っていたのだが(特に五木さんのような、知識人には)、これも人それぞれの人生観なのだ。

『生きていること、それ自体がすごいことで、どんな生き方をしたかというのは、問うべきではない、という気持ちにさえなる。』とも書いてらっしゃる。『只管人生(しかんじんせい)』という造語を使われているが、とにかく生きていれば、やがて何かが見えてくるのではないかという考え方だ。

今増加している、非条理な殺人や、自殺の問題については、『一即多、多即一』の考え方を説く。つまり、『自分のいのちがこの宇宙全体とつながっていると体の底から感じるころがてきたならば、自分のいのちを、そして他人のいのちを、簡単に奪うことなど到底できないだろう』という考え方だ。

この本を読んでいて、仏教というのは、習うものではなく、自分自身で、考えることなのだと感じた。
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美しい国

2007年04月22日 | Topics

静岡文化芸術大学の学長になられた川勝平太氏の講演を聴く機会があった。
『美しい国』というと、安部首相が提唱されているが、具体的なイメージがさっぱりわかなかった。川勝さんのお話を聞いて、こういうイメージもあるのかと、感心した次第。講談調でお話いただけるので、面白い。3~4次元的に、これまでの世界の中の日本を見て、これまた、3~4次元的に、将来の日本の姿を見せていただいた感じがした。勿論、川勝さんの私見ではあるが。

元々この静岡文化芸術大学は、高坂正堯氏の提唱によりスタートし、急逝された木村尚三郎さんが、学長をされ、川勝さんが引きついだ。
高坂さんは、若い時、国家の三つの条件として、①力の体系(軍事)、②利益の体系(経済)、③価値の体系(文化)を説いたそうだ。
日本は、文明開化以降、富国強兵政策により、いち早く①を達成。WWⅡで敗れた後、経済大国を目指し、GNP世界第二位となり、②も達成。そして、80年代以降③のステージにあると考え、当大学設立の構想を立てたという。慧眼と言えよう。

日本の文化の受け入れ方にも、面白い見方をされていて、基本的には、江戸時代以前の文化は、中国を通して流入したものが多いが、平安時代以前は、隋唐という、中国北部からの輸入、元ができた鎌倉時代以降は、南に逃れた中国南部(南宋)からの流入が中心になったという。その文化は、日本の中で、東から西に伝播したが。中国北部は、小麦文化で、中国南部は、米文化。違った文化が、日本でも、西と、東に伝わり、その後、融合した。東でも、西でも、中国文化を、日本的に、大きく進化させている。ひじょうに、ユニークな存在なのだ。

そして、近代になると、横浜の港を通して、欧米(特にイギリス)の文化が、急速に流入し、あっというまに、列強の一国となった。日本国内の文化の傾向として、西が東洋文明、東が西洋文明という様相となり、文明の箱庭的な様相を呈することとなった。ユニークさが、倍増されたと言える。

”美しい国”という言葉は、主観的な言葉で、定義は、不可能だが、”行ってみたいなと思わせるような国”ということではないかという。ユネスコ世界遺産もだんだん、文化的景観という定義で、遺産指定を開始している。そういう目で見ると、日本は、まさに”世界の箱庭(Garden Islands)”だ。

日本は、奈良時代、平安時代(京都)、鎌倉時代、室町時代(京都)、江戸時代、明治時代以降(東京時代)と、時代名に、首都名を使う特殊な国だという(そのほかでは、タイぐらい)。東京が長い間首都になっているので、そろそろ変える検討をするべきタイミングとなり、一時期那須野が候補地となったが、今は、頓挫している。
一方、道州制の議論がされている。川勝さんの私見では、道州制というよりは、地理的環境から、日本を4つに分けてはどうかという。東北以北を”森の国”、関東を中心とした”野の国”、中部地方を中心とした”山の国”、関西以西の”海の国”。ここまでくると荒っぽいが、ユニークで面白い。
各々の首都は、洞爺湖近辺(2008年サミットの候補になっている)、首都圏のどっか、美濃地方、瀬戸内海のどっかの島。ウゥーン。

百年単位で、日本を考えるべき時が来ているのかもしれない。

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仏教への旅

2007年04月21日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


五木寛之さんが、『仏教への旅』という6巻シリーズを出している(既刊は3巻)。
インド編 上・下を読んだところ。ボリュームの割に、装丁が立派すぎる感(=高価格)もあるが、中は、自然体で、読んでいて心地よい。
インド編 上・下は、ブッダの最後の旅に沿って、インドを巡った時のエッセイ+仏教への思索なのだが、我々にはなかなか行けない所にもたくさん行かれている。TV番組表によると、NHKで、特番もやるようだ。
五木さんと言えば、(私にとっては)学生時代読んだ『青春の門』の印象が強いが、年に応じてテーマも変わって来て、今は、中高年をターゲットにして、平凡な(失礼!)庶民のレベルに合わせて書いていただいているような気がする。
インドの現状一般(特に貧困地帯)、インドにおける仏教の栄枯盛衰、インドにおける仏教のこれからなど、本書が示唆するものは多い。
ただ、やはり、仏教のふるさとであるインドでの仏教の現状は、さびしいものがある。佐々井さんが、インドでの布教活動、仏教復興のための草の根運動をされていて、五木氏もこの旅で会っている。インドで仏教を復興するには、平和的仏教だけでは難しく、闘争仏教、社会的仏教という姿勢が必要という。

インドに行くと、仏教関連の史跡が少ないのに驚く。写真は、数少ない仏教遺跡であるアジャンタ石窟にある涅槃(ニルヴァーナ)像だが、この石窟群も、山奥にあったため、忘れられて、破壊を免れてたまたま残ったものだ。
本書によると、仏教遺跡の中には、破壊されたものも多いが、破壊を免れるために埋められて、忘れられたものも多いらしい。1998年に発掘が始まった、ケッサリアという遺跡の写真が載っているが、巨大だ。ボロブドゥールよりも、規模は大きいそうだ。

インドの将来は、いろんな意味で楽しみだ。
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