09.09.09関連本はとどまるところを知らない。
本書は、その一つだが、原型は、10年ほど前に出ていたようだ。ということで、筆者の中山氏は、本書をそのリミックス版と呼ぶ。
前半が、アルバム、後半が、シングルに関する、解説本というか、分析本というか、ギャグ本になっている。
特にシングルに関するところは、ギャグ本の度合いが過ぎる感じもするが、アルバムに関する方については、冷静な分析の部分も多い。
時代を追って、特にJLのビートルズの音楽に対する貢献が低下していく様の分析は、なるほどと思わせた。
一方で、ポールのビートルズへの執着の高まっていった。このGAPが、ビートルズ解散を早めたのだろう。
メドレーは、各曲を完成できなかったことを誤魔化すためのものだという考察や、コンセプトアルバムは、一曲一曲の出来の悪さをもカバーするといった説も面白い。
音楽を聴く時、どうしても、巷の評価に左右されがちだが、自分の耳で、きっちり聴くことが大事だと、考えさせられた。そうすれば、面白さが倍増する。
09.09.09のビートルズのリマスター版発売の際、MONO BOX が発売されたことは、記憶に新しい。何で今さらMONOなのだという向きもあろうが、元々ビートルズがデビューしたころは、MONOがほとんどで、STEREOは、まだ少なかった。ビートルズが活躍した時期に、STEREOがだんだん主流になり、最後は、MONOはほとんどなくなった。だから、ビートルズのアルバムは、MONOとSTEREOが両方発売されていたのだ。
ビートルズ自身が音をチェックしたのは、MONOバージョンの方で、STEREOバージョンは、その後、レコード会社がSTEREOに再編集したという。元の録音から作り直したから、STEREOとMONOとでは、数多くのバージョン違いが存在するのだ。
リマスター版が出る前のCDは、最初の4枚のアルバムがMONOで、その後がSTEREO。同じくPAST MASTERSは、MONOとSTEREOがごちゃごちゃだった。
という知識も最近得たものだが、MONOプレーヤー購入に伴い、こつこつUKのオリジナルMONO版を集めていた。やっと今日、Yellow SubmarineをGETし、オフィシャルに出ているものは、全部そろった。古いものだから、状態に差はあるが。
特にこのYellow Submarineは、元々そんなに売れなかった上に、MONO版の最後になり、STEREO版の方が圧倒的に多かったから、MONO版の方は市場にあまり流通していない。今回のMONO BOXにも加えられず、アルバムの中の曲の部分のみが、MONO MASTERSのCDに収められた。
中身は、ビートルズ自身も当初はこのプロジェクトに力を入れていなかったため、いまいちだが、ヘイブルドッグなど、ギラギラのロックンロールもあり、それなりの曲は入っている。出来上がった映像を見て、ビートルズは、すっかり気に入ったというのは、有名な話。この映像も当時は、斬新だった。
何はともあれ、オフィシャルUK・MONO版は全部そろった。やれやれ。

今日は、肌寒い一日だったが、上野で開催されている皇室の名宝展2に行ってきた。

2時過ぎに着いたが、すごい人だった。入るのに40分待ちだったが、中もすごい人で、ちゃんと見ていたら、どれだけ時間がかかるかわからないほどだ。
それもそのはず、正倉院展で見ようとしたら何年かかるかわからないような超名品が多数展示されているだけではなく、古墳時代の出土品、法隆寺献納品、書の名品、刀の名品、絵巻物の名品、屏風の名品など、名品尽くし。
これだけの物を一挙に見る機会はそうあるものではない。
特に、正倉院のものと、書がすごかった。このような名品が、1000年以上も大事に保存されていたのも、皇室が存在するお陰といえるかもしれない。世界を見渡しても、これだけ長い時代存続している王室はないのだから。
日本の歴史、文化にちょっとでも興味のある人は、マストではないか。

先週の日曜といい、今日といい、天候に恵まれている。今日も、すばらしい富士山を眺めながらのゴルフだった。紅葉も絶好調。

天地人ももうそろそろ最終回かな?
同じ上杉家の有名人と言えば、上杉鷹山。我が家にも、”成せばなる”の色紙があるが、この小説を読むと、本当かな?というぐらいの聖人だ。しかも、若い時から。鷹山公がいなければ、上杉家が、今の世まで、このように語り継がれることはなかったろう。鷹山公の貢献は、山形県(特に米沢近辺)に行くと各所に見られる。その成果が永年引き継がれているのだ。
かつて、JFケネディーが、鷹山公を引用して、日本での鷹山公が有名になった。
当時は、高校の歴史で学んだ、田沼政治と定信政治の時期に被るが、鷹山公は、その中央の政治に流されることなく、信念を貫いた。藩内の抵抗も相当なものだったようだ。
この偉大な成果を上げられたことに、鷹山公が、外から来た養子だったことが影響していることには間違いないだろう。政治は、常に、第三者からチェックを受けるという緊張感なしでは、堕落するのである。
民主党政権が、鷹山公のような働きをすることを期待したいのだが。立場変われば的な発言が多いのが気になってきた。

この本は、結構前の本だが、Jim Thompson の店に行くと入手できる。創業者の失踪事件の本を店頭に飾っているというのも何だが、それだけ、謎に満ちた事件だった。
松本清張氏も、この事件を元に小説を書いていることは、my homepegae で触れたと思う(本書には、松本氏の説は触れられていない)。他の、本事件に関する小説も呼んだが、レベルは低い。そもそもこの事件は何だったのかを知るための、本書はマストと呼べるものだろう。
JimThompson ブランドは、タイ旅行のお土産に最適。私もかなり持っている。ただ、このブランドをこれだけ有名にしたのは、たぶんこの失踪事件と思う。でなければ、たぶん雨後の筍のように出てきた同業者とごっちゃにされていたのではないか。
本書を読んでいろんな発見があった。
話は、日本がマレー半島を占領していたころにさかのぼる。彼はその時、タイに、アメリカのCIAの前身(OSS=Office of Strategic Services)の組織の一員として派遣されたのだ。ただ、本書を読むとその先祖にもアジアに所縁のあった人がいたことがわかる。運命的なアジアとの出会いといえる。
WWⅡが終わり、状況は一変する。彼は、元CIAのキャリアを活かしてか、バンコックの最上級ホテルであるオリエンタルホテルの経営に携わる。その時、アジアの美術品の収集に手を染めだした。ただ、それが盗品とされ、政府に接収されるなど、痛い目にもあった。タイの政府もころころ変わり、そのとばっちりも受けたようだ。
タイシルクのビジネスはその頃始めたものだが、その拡大の様子はすごい。本人の金もうけのためというよりも、アジアの産業興しのための情熱が、彼を動かしていたように見える。もちろんユルブリンナーの映画によろところもあるが、その他にも様々な努力を続けた結果が今のJim Thompson ブランドの定着につながったことがよくわかる。彼の欧米との人的つながりも、威力を発揮した。本書を読むと、彼は、とにかくタイを愛していたのだ(いたようなのだ)。
そして、失踪した。マレーシアのキャメロン高原で忽然と姿を消したのだ。
その後の顛末も、本書には克明に残されているが、今から見ると滑稽だ。
ただ、本書を読むと、この事件は、事故ではなく、事件だったということがわかる。事故であれば、なんらかの痕跡が残るはずだが、まったく何も見つからなかった。事故とは到底思えない。この辺も、詳しく考察されている。当時の予言師が多数動員された様子も逐一残されている。今でもそのようなことが行われているのか。
では、誰がこの失踪に関わっていたのか?
思わず想像してしまうのが当時(1968年)、力を増していた共産勢力だ。
ただ、40年以上もたった今、もう真実を確かめる術はないだろう。
Jim Thompson 好きのマニア向け。でも面白い。
私は、何らかの理由で、共産勢力に拉致され、その後その要求に応じなかったため、消されたとみる。あれだけ鮮やかに、かつキャメロン高原という特殊な場所で、これを行えるのは、それっくらいしか思い浮かばないからだ。
状況も北朝鮮の拉致事件と極めて似ている。