かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

印度入魂の旅 その4 カジュラーホ②

2012年09月20日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


ラクシュマナ寺院の中に入った。寺院の由来が記されている。



ご本尊。



寺院内部も、官能的な像で埋め尽くされている。



繊細なレリーフが残る。



天井にも、隙がない。



外壁のレリーフ。



戦争のレリーフ???



王様は偉い!



もち、駱駝もいる。



レリーフで、埋め尽くされている。



次に、奥にあるガンダリヤー・マハーデーヴァ寺院に行った。カジュラーホでは、最大の寺院で、高さ35m。11世紀半ばの建設という。
シヴァ神の寺院だが、この怖い像は、シヴァ神の妻の死神の像という。
この感覚は、なかなか理解しにくい。



.....



一つ一つ鑑賞できない?



ナーガ?



!!!
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印度入魂の旅 その3 カジュラーホ①

2012年09月19日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan

カジュラーホに泊まって、そのまま早朝出かけた。
カジュラーホは、ユネスコ世界遺産だが、西群、東群、南群に、寺院が点在する。
行ったのは、そのうち、西群と東群。
10年ぐらい前、カジュラーホを見ると、印度人がわかると、ある印度ビジネスの先達に教えられ?それ以来行ってみたいと思っていたのだが、やっとたどりついた。



その中で、やっぱりメインは、西群。いろんな意味で?圧倒される。
かつては、85寺院あったというが、今残るのは、22寺院。
10世紀から、13世紀の、チャンデラ王朝時代の、寺院群。



入口近くにあるこの小さな二つの祠は、左がシヴァ神を祀ったもの。右が、ヴィシュヌ神の化身であるいのししを祀っている。



このいのししは、相当迫力がある。この巨大ないのししは、一つの岩から、掘り出されている。



これは、世界遺産のテリトリー外にある寺院だが、現役だ。マタンゲーシュワラ寺院。



ラクシュマナ寺院。



浮彫を見ていくと、まず、ガネーシャが出迎えてくれた。



それだけでは、ないぞ。



有名なレリーフです....



ノーコメント。



少女のショルダーバッグに注目。
すばらしいレリーフがたくさんあるのだが、後から、また見ようと思っても、あまりにも多くて探せない。これと思ったら、まず写真を撮っておくべし。
説明を聴いた記憶があるのに、写真に収めていないレリーフ多数。
お姉さんは、足にささった棘を抜いている。



猿が邪魔してる?



真ん中の象だけが、頭を横に向けてる。Why? You should understand, if you look at this picture carefully.

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BAKU 斉藤写真集 バンティアイ・スレイ

2012年09月18日 | Cambodia・Myanmar・Laos


本書は、まだ、出たばかり。連合出版さんからのダイレクトメールでその出版を知り、早速GET。

BAKU斉藤さんは、カンボジアが復興の歩みを始めたばかりのころから、カンボジアの写真を撮り続け、特にバイヨン寺院の菩薩の顔の写真をすべて(259体)撮影という偉業をなしとげた。
バイヨン寺院の構造は、複雑で、菩薩像もいろんなところにあるので、全部撮影するのは至難の業。その時、恵比寿で、写真展があったので、見に行ったりもした。
本書の写真を見ると、バンティアイ・スレイ寺院への思い入れも並大抵のものではない。
本寺院のみの写真集というのは、初めてではないか。

バンティアイ・スレイには2度行った。最初に行った2001年は、まだ秘境扱いで、雨季には、道が冠水したりして行けない時もあった。私が行った時は、ちょうど舗装工事の前の砂利を敷く作業中だったこともあり、凄く車が揺れて、揚句の果てに、見事にタイヤがパンク。行程に入ってなかったので、チップを払って行ってもらったのだが、申し訳ないことをした。
しかし、アンコール遺跡の中でも、珠玉の浮彫群には、感動した。材料が違うせいか(赤砂岩)、彫りが細かくて、深い。アンコールワットや、バイヨン寺院は、別格にしても、バンテアィ・スレイを、アンコールの遺跡のベスト3に挙げる人は多いだろう。

ヒンドゥ教の神話に基づく題材の浮彫ももちろんすばらしいが、何といっても有名なのが、そのデヴァタ(女神)像。本書によると16神あるそうだが、東洋のモナリザと称される。
フランスの文部大臣にもなった小説家のマルローが、このデヴァタ像を持ち出そうとして見つかり、投獄された話は、有名だ。

残念なのは、やはりこの遺跡も荒廃が進んでいることだ。
1度目は、結構自由に見れたが、2度目は、縄が張られていて、見たい浮彫のところまで、近づけない状況になっていた。バンテアィ・スレイは、建物もさることながら、浮彫群が目玉なので、それが、自由に見れないのはつらかった。
遺跡保護のためなのだろうが、24時間100%監視するというもの難しいだろうから、荒廃は、それでも徐々に進んでいってしまうのかもしれない。

全ての遺跡が抱えるジレンマ。
その意味でも、しっかり写真を残しておくことは重要だ。
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印度入魂の旅 その2 ジャンシーからカジュラーホへ

2012年09月17日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
台風は、九州から韓国に向かっているはずなのだが、猫の目のようにくるくる変わる天気だった。ということで、ゴルフも、あまりの天気(雨、時々豪雨、時々霧、時々晴れ、時々曇り)に、途中退散してきた。雷は鳴らなかったんだけど。回りは、皆がんばってやってたなぁ。



ジャンシーから、オルチャに寄ってから、カジュラーホに向かった。
ベトワ河を渡る。遠くに、オルチャ宮殿が見えるのが、わかるだろうか。



ロッキーサンダーマウンテンの岩山を見つけた。



緑の平原。肥沃な土地ではなく、雨も少ないため、雨季に、生姜などを育てているようだ。仏陀が、布教した北東部の平原とはちょっと違うようだ。



ウッタルプラデッシュ州から、マディヤプラデッシュ州に入ると、急に道が悪くなる。”道が悪くてすいません”という標識まである。州の予算が足りないのだ。
カネールという黄色い花。比較的普通に見られ、シヴァリンガにも飾られたりする。



往復とも使ったドライブイン?2度とも、チャイをいただいた。これっくらいしかない(あるけど、食べる気がしない)。



黙々と、何かわめきながら、石炭を砕く人。



貴重な井戸。この井戸を求め、人が通う。この井戸の規格は、この辺共通だった。このあたりの人々の生活は、基本的には自給自足に近い。



南国の鳥?



大きなダム。ダサンリバーのダム。雨季で、放水していた。落差は、大したことないが、川幅が半端じゃない。州境近辺にあったと思う。



州境には、料金所があり、州外からの車は、料金を払わないと入れない。その気になれば、すぐ突破できそうだが?



チャトルサール王の砦だったと思う。いろんな王族が覇権を争っていたのか。物見の塔が目立つが、入ればもっといろいろあるようだ。時間の制約があり、入るのは、断念。



ミニタージマハル。



床屋と牛。



チャトルプールの街。この辺では、大きな街だ。


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印度入魂の旅 その1 オチョア宮殿

2012年09月16日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、フジフィルムさんが提供しているフォトブックに挑戦してみた。
まだ、使いこなせたわけではないが、よくできたソフトで使いやすい。
注文してみたが、できるのは、2週間後。最寄のコンビニで受け取れる。
どんな感じでできるかな?
今、ANAオープンで、この前行った輪厚で、藤田プロが優勝した。おめでとう。アラフォーの☆。私は、アラフィフだけど。



まだ、読みためた本のレビューが終わってないのだが、印度旅行から帰って、もう1カ月もたってしまったので、いよいよ?、2012年8月の印度の旅のご紹介したいと思う。
名付けて、印度入魂の旅。
一昨年は、印度、ネパール、ブータンを周り、各国での、宗教(特に、仏教)に触れることができた。
昨年は、仏教の八大聖地を周った。これは、かなりの冒険だった。
そして、今年、デカン高原の仏教遺跡を中心に周り、印度に残る代表的な仏教遺跡は、ほぼ制覇できたことになる。
ということで、”印度入魂”の旅と名付けた。H/Pで、ちゃんと紹介したいのだが、いつ着手できるかわからないので、ブログで、まずは、ラフにご紹介という位置づけにしたい。

初日は、香港経由で、デリー入り。着いたら夜中で、寝ただけ。
翌朝、6時発の列車で、ジャンシーへ向かう。
この列車には、10年前、日帰りで、アグラに行った時にも使った列車だが、たぶん車両も、サービスもまったく一緒。10年1日のごとし。
カジュラーホの最寄駅?であるジャンシーまでの距離は、デリー・アグラ間の距離の倍ぐらいか。ジャンシーに近づくと、岩山が増えてくる。デカン高原の北端ぐらいだろう。



元々のスケジュールは、ジャンシーからカジュラーホまで行って(約180km)、泊まるだけだったが、途中にオルチャ宮殿というところがあるということで、寄ることにした。
ジャンシーからそう遠くない所にある。
ちなみに、ジャンシーにも、立派なお城があるが、そのお城は街から見上げただけだった。
ジャンシーの最後の王は、女帝で、イギリス軍と、最後まで戦ったという。



このオルチャ宮殿。当時のヒンドゥ教の王が、ムガール帝国の(アクバル帝の息子で、タージマハルを作ったシャージャハンの親である)ジャハンギルと親しく、その訪問のためだけに作った宮殿という。17世紀ぐらいのことだ。当時のムガール帝国の強大さと、地方の王の裕福さを物語る話だ。

保存状態が、いいとは言えないが、ところどころ当時の色が残り、きらびやかな宮殿であったことがわかる。
ラジマハル(当時の王の宮殿)と、ジャハンギルマハル(ジャハンギル訪問のために作られた宮殿)と、シースマハル宮殿(ゲストのための宮殿)の、3宮殿からなるが、このジャハンギルマハルが一番豪華。下に100の部屋、上に136の部屋があるという。



これは、駱駝のための建物?
雨季で、周りの緑も美しい。



ラジマハルの入口。本来の、王様の宮殿。



右が、ゲストのための宮殿。左の寺院は、ヒンドゥ教寺院。ラクシュミーを祀ると聞いた気がするのだが、クリシュナを祀ったという資料もあり、そっちの方が正しそうだ。
その奥の新しいのは、ラーマ王子を祀った寺院と聞いたような気がするのだが。
ヒンドゥ教は、とにかく神様が多くて、ヴィシュヌ神などは、10の化身(デバター)を持つし。



印度らしくない風景。緑が美しい。見える河は、ベトワ河。タージマハル脇のヤムナー河みたいだ。都市は、水の近くにしかできなかったのだろう。



イスラム風の装飾と、ヒンドゥ風の装飾が、混じり合っている。
ヒンドゥ教の王が、イスラム帝国のトップを迎える時の配慮だったのだろう。



イスラム風の窓の透かしから、緑の平原を臨む。
ARTだ。



ジャハンギルマハル。



ラジマハルの中には、当時の壁画がたくさん残っている。
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