日はまた昇り、また沈む。
一日はあっという間に過ぎて行ってしまう。
だけれど、そんな短い一日でも、それが365日過ぎてみると、それなりに多きの思い出の山を積み上げることが出来るのだ。
そしてそれがまた人生の月日を重ねていけば、そこにはその人の「一生」と言うロードが出来る。
何でもないように見える一日が大切なんだ。
何でもないように見える一日が、なんて愛おしいのだろう。
1月1日。
朝日を見ながら高速を走り、実家に行く前に父のお墓に参ってきました。
そこでのラッタ青年の挨拶。
「やあ、祖父さん。おめでとう。だけど今年は喪中です。」
そう。お墓に入っている父のせいで喪中です。
いつもは父がしていた新年の挨拶を、今年は義兄がしました。喪中なので新年の挨拶と言うわけではなかったのでしたが、姉がおせち料理ではないお料理を企画して用意してくれていました、それをワイワイと子供たちも巻き込んで大騒ぎしながら作り、そして賑やかにいただきました。
何の話の流れだったのか、末の妹が
「結構私の人生波乱万丈よ。」と言いました。
大人しくて苦労知らずの雰囲気を醸し出しているけれど、私はそうだなと思わず頷きました。
「のほほんとしてるから、そうは見えないけれど、意外とそうだと思うわ。」と私。
「えっ、何が。のんきな顔をしているジャン。」と母が言うのを
「だからさ・・」と言いかけて、口を閉ざす私。
― 人の話を聞いてよ。
― あんたは何にも見てないのよね。
そんな風に思っても、本当に分かっていないのは私なのだと思います。母の老いを分かっているつもりなのに、なかなか慣れないのです。
また何かの話の流れで
「苦労しているの?」とすぐ下の妹に聞くと
「うん。私滅茶苦茶苦労してる~。」と、まったくもって冗談にしか聞こえないようにおどけて言いました。
だけど私は思います。大変なんだなと。
姉だって・・・・・
私だって・・・・・
だけど私たち、笑ってる・・・・・。
日はまた昇り、また沈む。
あっという間に一日は終わりです。
何でもないように見える一日が大切で、
何でもないように見える一日が愛おしい。
沈む夕日を帰宅途中の車窓から撮りました。
今年もよろしくお願いいたします。
今年も「美しい」と「かっこいい」に拘って生きていきたいと思います。
今のところ体型以外・・・・・。