森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

神無月、秋散歩

2016-10-31 01:28:24 | お散歩&写真日記

真夜中更新はもう止めなくちゃなと思っても、猫と夫が寝静まったこの時間は、

私の好きな時間でなかなかやめることが出来ません。

日付が変わってしまったけれど、私の気持ちの中ではまだ昨日の続きです。

ひとつ前の記事の「秋薔薇バラバラ」の最後に

>写真日記なので、今日はまたアップするかもしれません。

と、書いたけれど、けっきょくこの時間になってしまいました。

だけど日付が変わった今日は10月最後の日なんですよね。

 

10月の秋散歩、またご一緒してくださいね。

もうすでに、生まれ育った横浜よりも、

この地に暮らした方が長くなってしまいました。

横浜生まれが、私の中ではなんとなくの自慢ではあるのです。

だけどどのような自慢かと言われれば、

「はて ?」と思ってしまいます。

別に山の手育ちでも無いくせに。

 

たぶん横浜の街が好きなんだと思います。

街をただ歩くだけで背筋がしゃんと伸びるような気がするからでしょうか。

顔がきりりと引き締まるような気がするからでしょうか。

人波を交わしながら颯爽と歩いていたような、そんな気がするからなのかも知れません。

 

だけれどずっと昔から、このような風景の傍で暮らしたいと思っていたようにも思うのです。

なんて美しい風景なんだろう。

私はいつもそう思いながら

ひとり歩いているのです。

願いは叶っていたのですね。

 

 

また、この公園に来ると、いつも同じことを考えてしまう私です。

ふと、自分のブログを遡って読んでみたら、まったく思った事と同じ事が書かれていました。

それは「ひとりでお散歩 その2」。

新緑の中でも秋の風景の中でも、一人で歩いていると、もう心の中だけの住人になってしまった人たちを想ってしまうのです。

もう、ブログの写真を見て

「綺麗だね。」と言ってくれる父はいないのに、

私はそれでも同じことをし続けている。

 

春が来て夏が来て、秋と冬がやってくる。

その繰り返し。

どんなに大切な人と別れても、やっぱり同じ事をして毎日が過ぎていく。

それを「生きる」と言うのでしょうか。

 

 

 

下の画像は、なんだかドラクロアの絵のようだー。

 

どこかにオフェーリアはいないかい ?

 

 

さてさて。明日の頑張ろうっと。

 

だから、もう今日だって !!


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秋薔薇バラバラ

2016-10-30 09:46:13 | お散歩&写真日記

トップ画像は「パローレ」と言う名前の薔薇です。

10月29日のお散歩写真日記の続きです。

真夜中に更新した「十月桜2016」も

「みてね~ !!」←トム・ハンクスのノリで^^

 

秋薔薇ももう終わりなのでしょうか。

もともと春よりは華やかさの欠ける秋薔薇、

ちょっと寂しくなっていました。

 

 

それでもちょっとだけ目に止まったものにカメラを向けてみました。

 

 

 

「一番美しい時ではなくて、ごめんね。」

そう思いながらも、たった一輪残っていたこの花にカメラを向けてしまいました。

 

安定の「うらら」です。

 

 

一番花盛りだったのは・・・・

 

 

それでも秋薔薇は寂しい・・・・。

だけど香りが強いのは秋薔薇と言いますよね。

それは本当だなあと思えたのは

 

この薔薇の香りに、思わず昔、おしゃれな気分で買っていたお風呂上がりのパウダーなんかを思い出してしまいました。

あれは本当に「薔薇の香り」そのもののパウダーだったのね。

この薔薇の名前は、その花の香りにふさわしいなと思いました。

 

写真日記なので、今日はまたアップするかもしれません。

※ このブログ内の「秋薔薇キーワード」の他の記事は→ここです。


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十月桜2016

2016-10-30 01:19:31 | お散歩&写真日記

秋にひっそりと咲くこの十月桜は、10年以上見続けたことによって私のかけがえのない存在になってしまったようです。

それはなぜかと言う事と、他の年の十月桜の記録は→「十月桜と共に」をお読みくだされば幸いです。

 

少し前から、早く今年の十月桜を見たいと思っていました。

でも最近、なんかやる気が出ません。

ようやく重い腰を上げて、昨日、10月29日にテクテクとお散歩をしてまいりました。

 

「はーい。今年も綺麗に咲いているね。」

 

 

ところで私、ずっと勘違いをしていて昨年あたりに気がついたのですが、「十月桜」の横にあったのは

でした。気付くの遅すぎ・・・・・。

ずっと別の名前があったのに「十月桜」と呼んでいてごめんね。

 

 

 

 

秋に咲く小さな小さな桜たち

 

 

いつも淡くて儚い雪のように見えるんだよ。

 


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「インフェルノ」を観てきました。

2016-10-29 12:33:42 | 映画

10月28日、公開初日に見てきました。

『ダン・ブラウン原作の世界的ヒット作「ダ・ヴィンチ・コード」「天使と悪魔」に続き、トム・ハンクスが三度、ハーバード大学教授の ロバート・ラングドンに扮したシリーズ第3弾。』 映画.comから

映画とはダイレクトには関係ないけれど、原作の作者のダン・ブラウンと言う人は1964年生まれのちょっとイケメンですね。お父さんが数学者でお母さんが宗教音楽家で奥さんは美術史研究科で画家なんだそうです。なんだかこのシリーズの物語を書く環境はばっちりって感じがしてしまいますよね。

このような事を書くのも、彼の次回作が出て、そして映画のこのシリーズの次の新作が見たいなと早くも感じてしまったからなのです。

それはこの作品が面白すぎて早く次をと思ったのか、それともなんか不足な気持ちが残ってしまったので早く次をと思ったのか、二つのケースが考えられるのですが、不思議な事にその両方の気持ちが織り交ざってと言うのが正解なような気がします。

 

この作品はフィレンツェ、ヴェネツィア、イスタンブールと背景を見ていても楽しいです。

考えてみれば「京都殺人案内」の大がかりなものかと・・・って、、それ、ちゃうやろ。

 

そうのような一人ボケツッコミはさておいて、このシリーズは、「ダ・ヴィンチ・コード」ではレオナルド・ダ・ヴィンチ、「天使と悪魔」でもガリレオ・ガリレイと彼らの秘密結社との秘密に迫りワクワクさせられたわけですが、今回はダンテが重要なカギとなってくるのです。

ダンテの「神曲」、ダンテと彼の永遠なる女性ベアトリーチェの関係などを知っておくと、より一層感情移入できるのではないかと思いました。

はっきり言って「ダ・ヴィンチ・コード」のような、キリストの妻と言うような衝撃的な謎はありません。そこまでの謎解きを期待したら肩透かしにあうと思います。だけれど殊の外、愛の物語でした。

正直に言うと、私、途中で睡魔に襲われました。ただ逃げているシーンなどは、なにぶん深夜族なのでこういう時に意識がぼやけるのです。ただ、これ、後半に行けば行くほど面白くなってきます。そして最後は、

「あ~あ、終わっちゃった。ラングドンにまた別の物語で会いたくなっちゃったなあ。」という気持ちになってしまったのです。

 

それにこのシリーズは、見終わった後にいろいろ気持ちを引っ張られます。

今朝などは「神曲」だの「ダンテ」だの「ボッティチェッリ」だのを検索しまくっていました。

「神曲」がいかに他の芸術家に多大なる影響を与えたのかが良く分かりました。

映画の中に出てくるボッティチェッリの地獄の図ですが

 拡大してもあまり鮮明に見る事が出来ず、「サンドロ・ボッティチェッリの地獄の図」などで検索し、画像閲覧すると、その拡大したものを載せてくれている人も居るので良いかもしれません。

その画像から、その画像アップしているブログにたどり着くと、この本の影響、またはこの映画の影響で、皆似たような気持ちになっているのだなと推察されました。

これがこのシリーズの二重の罠なのかも知れませんね。

 

以下は映画のネタバレ感想です。

 

予告編からパンデミックがテーマなのだと推理していましたが、謎解き部分が浅いのが、やはり物足りなかったです。

それと言うのも、前作の二作品が「今」を描きながらも、解いていく謎はいにしえからの深い謎だったわけですが、今回は細菌がどこにあるかの後付けの謎だったので、興味がイマイチになってしまったのだと思います。

それでも古い美術館の隠されたドアや部屋を巡ったり、ダンテのデスマスクに秘密があったりと、怪しげな雰囲気を損なわずに引っ張ってくれたと思います。

 

また誰が味方で誰が敵かと言う部分も、ある意味見どころだったのかと思います。

あのブシャールは最初から怪しいと思いました。(根拠ないけれど、こういう人はたいがい怪しい)

だけれど、シエナにはうっかりしてしまいました。だいたい彼女の部屋で丁寧に彼女の今までの天才として生きてきた過去の写真などを見させられていた事を考えたら、一番先に疑って良いようなものですが、このシリーズはいつも若い女性が相棒だったので、彼女もその立ち位置の人かと思ってしまいました。元天才少女が味方だったら頼もしいななんて思ったりして・・・・。

ー まだまだだな、私。

って、妙な所で反省^^

 

凄い悪党なのかと思ったら、影のなんでも屋でもある警備会社「コンソーシアム」の社長であるハリー・シムズは、なかなか味のある頼もしい人に感じ、(やっぱりいろいろと危ない人だけど)、ちょっと好きだと思ってしまったので、その最後は可愛そうな気がしてしまいました。

ブシャールがラングドンに

「つまらない命など多少犠牲になったって・・・」と言っていましたが、そう言う事を言う人って、いつもその命の中に自分は入らないのかと考えもしないんだなと、その傲慢ぶりにあきれ返っていると、最後まで語ることなくシムズに殺されてしまって、真っ先につまらない命が一つ消えてしまったんだなと恐ろしく思いました。

 

人類を淘汰しようとしたこの事件は、人の命を奪ってきた者・奪おうとした者を地獄に落として終結したと言って良いのかもしれません。

 

ラングドンとエリザベス・シンスキーの愛の物語は、ちょっぴり切なかったです。

 

 

 

 逃げてる場所も素敵です。

 


 

 

 

 

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いろいろつれづれに

2016-10-28 01:54:16 | 梢は歌う(日記)

好きなドラマは「相棒」で、好きな歌手は吉田拓郎で、好きな俳優は藤原竜也と言う私ー。

私が家でゴミ捨てに終始し電卓はじく生活をしていても、世の中はいろいろと目まぐるしく動いているのですね。

 

寝る前のほんのちょっとの時間ではありますが、いろいろなおしゃべりしてみたいと思います。

 

☆ 10月27日、とうとう横浜パシフィコで「吉田拓郎LIVE2016」が無事終了しましたね。

前にも書いたけれど、今回はチケットチャレンジを姉だけに頼んで、それが外れたらもうそれで良しとしたのです。もしも当たったら、それはもう宝くじが当たったようなものですから、なんとしても喜んで行ったのですが、それ以上の苦労までして行ったとしても、どんなに拓郎氏の音楽が素晴らしくても、家で留守番している夫の事を考えると心の底から楽しめないような気がしてしまったからなんです。

今、我が家は過渡期。

昼間は夫と二人でのんびりとゆったりグータラと過ごしています。この「今」という時間が、凄く大切な時間に私には思えるのです。

 

と言っても、まったく旦那を大事にしてるってわけではないけれどね。

 

そんなわけで時期も悪く、行く事に情熱を傾けなかっただけで、実は意識はしまくっていましたよ。

ネットダフ屋さんが横行しているサイトなんかもチェックを入れちゃったりしてね。

だけどそう言うサイトにも、ちゃんと良心的に出してくださっている人も居るんですよね。行く事に情熱があったならば、もっとすごく熱心に覗きまくっていたかもしれません。

だけど一度、そう言うサイトを覗くと、どこに行っても追いかけてくるでしょう。だいたい「吉田拓郎50000円」って言うのが多くて、今日(もう、昨日か)なんか、横浜で始まっている時間だってのに「吉田拓郎120000円」って言う数字が追いかけて来て、思わず「アホか」って呟いちゃった。

チケットは本当に彼の歌を愛する人に当たって欲しいですよね。だけどこの件に関して思っている事を書くと、これだけで終わっちゃうのでもう止めますね。

とりあえず「SONGS」を楽しみにする事にします・・・・って、これも前に書いたね、きっと。

そしてやっぱりこのブログが、この時期は雰囲気が凄く伝わってきていいですよね。→「王様たちのピクニック」

あと、この方のレポも凄く良いですよ。→「よもやまりゅう」

 

☆ 日付が変わってしまったので、もう明日には「デスノート Light up the NEW world」が公開されるわけですが、

昨日・・・・。

「[映画.com ニュース] 藤原竜也伊藤英明がダブル主演で初共演を果たすサスペンス映画「22年目の告白 私が殺人犯です」の公開日が、2017年6月10日に決定。あわせて、ポスタービジュアルと特報映像がお披露目された。」→ここ

また来年の楽しみが増えましたね。

いや、この映画の事はもちろん知ってましたが、もう真夜中なんで、記事も文章も手抜き&雑になってきております💦

 

☆ 最後に「相棒」関係の話題といったら・・・やっぱりあれですか。

「相棒」好きの視点で言ったなら、彼女に裏切られるのは二度目ですから。

たまきと言う役の人は好きでした。。。。

長寿番組でもある「相棒」にはキャストの入れ替わり、そりゃありますよ~。いろいろ言われますよね、その都度。

でも彼女の場合は、ドタキャン降板で彼女の都合ですから。

自分が出演した番組の事なんか、終わっちゃったら、何にも考えない人だったんだなって思ってしまいました。

彼女は「10」までレギュラーで、ほんのちょっとの出演でもかなり出てしまっているんですよ。

再放送できないって !!

凄い迷惑だと思う。

「10」って言ったら10年分なんだよ。

みんなで良作作って来たから、ここまで長々続いているんだよ。(あっ、怒りで文体が・・)

あーあって思います。凄く残念。

「10」までのHPのキャスト欄、消えちゃってますよ( ;∀;)

 

と言っても、今はまだ「容疑者」なんですよね。無実だったら申し訳ないとは思うのですが、

これは「相棒」ファンとしての視点からの怒りであって、もっと自分の仕事に誇りを持って欲しかったと思うからなんですよ。

そして過去の仕事に誇りを持って生きることは大切な事なんだなって思いました。

 

ただ、私、「医療大麻」の事はどうなんだろうかと思う部分はあるんです。だけどそれと法を犯すことは別問題で、むしろ自分の主張の足を引っ張ってしまったとしか思えないですよね。

 

結局深夜になってしまいました。

早く寝なくては・・・

明日も良い日になりますように♪

 

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相棒15第3話「人生のお会計」

2016-10-27 01:46:15 | ドラマ(相棒)

<ネタバレして書いています。再放送時などにはお気をつけてね。>

 

ドラマの途中で、思わずワタクシ言ってしまいました。

「ねえ、この人、ここまでやっちゃって誤診だったらどうするんだろう?」

すると夫殿が答えました。

「だったらその方が良いじゃん。」

 

そーだよね。

とんでもない事をやっちゃったとしても、生きている方が良いんだよね。

たとえホストクラブで一晩で500万を使ってしまっても、背中に刺青を入れてしまっても、893から拳銃を買ってしまっても、そして・・・・

 

そう言えばこの落ちこぼれ生保の営業マンの谷中の罪状は何になるのかしら。

拳銃の不法所持、家宅侵入とか…でも殺人未遂ではないよね。

 

最後のオチは、途中で思った通りの展開になりました。

でも彼にはやり直すには充分だし、何もなかったと感じる今までの人生と比較しても、痛い代償はあったものの(かなり大きいですよね。)この数日間の大冒険で得た事はこれからの生きる支えになるに違いありません。

 

今回のお話は、ゲストの石井さんのキャラも生きていて、ああなったからこうなったと言うような部分も丁寧に描かれていて良かったし面白かったです。

流れ的に『相棒』なのに崖に行くんだと、ちょっと笑ってしまいましたが、その崖の使い方も良かったですね。

この崖で死ぬことを思いとどまったと言うだけでこの崖を大切にしている人たちの為になったと、右京は谷中に諭します。

 

凄く素敵な海の風景ー。

きっとこの風景を愛している人たちはたくさんいますよね。

夫も

「この崖、何処なんだろう。」と言っていました。

 

エンディングをもう一回見たら分かるかしら。

 

ところで今回のシナリオは櫻井さん・・・・。

よく見たら、お名前がいつもの櫻井武晴さんじゃなかったです。

櫻井智也さんでした。

新しい方だなと思って検索したら、ツイッターやっていましたよ。

 

「ああなってこうなって」という流れが丁寧なシナリオは好きです・・・・って、さっきも書いたね (^_^;)

なんで名刺がくしゃくしゃだったのかというさりげないエピも良かったです。

 

ところで余命宣告などを受けてしまって

「今までしたくても出来なかったことをやろう」と思い至った場合、自分は何をするんだろうなってちょっと考えてしまいました。

 

今回のあらすじは→ここ

 

(そう言えば櫻井武晴さんは『相棒』ではとんとお見かけしなくなっていますよね。)

 


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ちょっと楽しくつましい生活をする

2016-10-26 10:20:55 | ちょっと楽しいつまし...

先日お気楽な事しか書かないはずのアメーバーブログの方に,流れでつい書いてしまったのですが、夫が定年退職で尚且つその後しばらくの間と言っても家にいるわけなので、入って来ては出て行くと言うお金の流れがよどんでしまうのは必定だったのです。

それについて書いた、やっぱりお気楽な記事は→「今日はバーゲンの日」

記事はお気楽モードでも、そこに書いてある

不安・不安・不安・なんとかなるさ・不安・なんとかなるさ、という気持ちの揺れは本心でした。

 

普通は手元に残っているお金が残り少なくなっていくと、次の給料日まであと何日しのげばいいとか遣り繰りすれば良いと考えると思うのです。この習慣はかなり染みついていて、次の給料日など無いのに、時々無意識に「あと何日」と考えてしまう私が居ました。

 

決められた日にお金が入ってくると言うのは、当たり前のように思えるけれど当たり前じゃない本当にありがたい事なんですよね。

 

じゃあ、この家の住人はこの先に、どのように暮らしていくのかと言う所は、事細かくは書けない事だと思います。

いや、そこが知りたいんじゃんと思われるかもしれませんが、いつかと言う日にはお教えできる日も来るかもしれません。

 

とにかく私がこの数か月、頑張らなければならない事は節約生活なのですが、それと共にやっておくことは生活費全般を小さくしておくと言うことなんです。

膨らんでしまった家計を小さく縮めることはボーっとしていては出来ない事なんですよね。

 

と言うわけで努力中です。

 

そんな節約生活の中でもキュウキュウとした気持ちでは暮らしてはいけないものです。(特に私は・・・ (^_^;)

毎日とは言えませんが楽しい事を見つけて(タダ、もしくは格安で)暮らしています。

 

10月21日の日は、保険会社主催のイベントで、こんなものを作ってきました。

 

 私は石の意味とか力なんか信じていないのでフルシーズン使えるような綺麗な色を選んだのです。

ところがこれを教えてくれている先生曰く、

「アメジストはあなたを守ってくれる石で、…ふふ・・、実は金運もジャンプアップする運があるんですよ。それからこっちの緑のは目の病を治す力があるのです。」

ちょっと時間が経っているから石と力の説明が間違えているかもしれませんが、おっしゃったことはそのままです。

私、ちょっと吃驚しました。「守る」「金運」と言うのは言っておけば間違いのない占いの罠のような部分だと思うのですが、「目の病を治す」って言うのは、今、私が凄く欲してる部分だったのです。

無意識が、今私が欲しいものを選ばせたのでしょうか。

あっ、もちろん、これは保険会社のイベントなのでタダです ^^

 

☆ 膨らんだ生活費を小さくする手段としては高額な保険代を見直すと言うことが大事な事ですが、これを歳を取ってからやると持病などを持ってしまって、いろいろと難しくなりますよね。

 

昨日は義母から電話がかかって来てお買い物に行って欲しいと言うものだったのですが、最近食べてないからおうどんも食べに「うどん市」に連れていって欲しいと言われました。義母は重い野菜やら洗剤なんかを買いこんでいましたが、新しく百均が出来たのだと、そこに連れて行くと喜んでたくさん買っていました。

ちょっと久しぶりに会った義母は、凄く老けて見えました。

スーパーばあちゃんでも、やっぱりいつかは枯れ枝がポキリといってしまうようになってしまうのでしょうか。

「買い物」と言う用がなくても、もっと顔を出そうねと私は夫に言いました。

義母の奢りの「うどん市」でたくさん食べたのに、

 おやつはちゃんと買う私。きな粉のみのおはぎって意外と美味しいのですよね。

 

と言うわけで、今日は何をしようかな。

 

※  昨日何気なくリアルタイム解析を開いたら、下にリンクしてあった記事をどなた様かが読んでくださったみたいです。自分でも読み直してみました。大切な事を思い出しました。ありがとう。

軽いけれど重い

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『鱈々(だらだら)』の感想 その2

2016-10-24 08:51:21 | 観劇・コンサート日記

『鱈々(だらだら)』の感想 その1 の続きです。

写真日記を挟むとか言いながら、待っていたものが来たから予定を変更して続けて書かせていただきました。

 

悲劇喜劇2016年11月号
早川書房
早川書房

 

私が、 『鱈々(だらだら)』の感想を書かずに待っていたのは、シナリオを手に入れてからと思っていたからだったのです。

「『鱈々』は93年に韓国にて初初演。現代社会を比喩している傑作と評されて韓国では再演が繰り返されている。」

演劇関係の雑誌を読みなれていれば、迷わず上の本にたどり着いたと思いますが、そのような習慣もめったになく、いつも感想を書いてからコメントなどでそのシナリオがどこに載っているのか教えて貰うことが多かったり、後は出かけて行った先の劇場で買い求めたりしていたのです。

(もちろんシナリオの載っているものをいつも買い求めているわけではありませんがー。)

劇場ではのんびりと誰もいなくなってから、お土産コーナーに行ったのがいけなかったのか分からずに(もしくは見逃したのかも)、本屋に行けば見つかるかもと思いましたが見つからず、家に帰ってから、「 『鱈々(だらだら)』のシナリオが載っている雑誌」で検索を掛けてもうまくいかず、「悲劇喜劇11月号」にたどり着くまで少々苦労しました。

こんな話はどうでも良い事なのですが、なんたってワタクシ、世界から顧みられることの無い押しも押されぬおばさん世代になってしまったので、苦労話は聞きたくないと言われてもしたくなると言うものです。

 

ーああ、 世界から顧みられることの無い世界の恐怖・・・・。

例えばそれは、愚直に仕事をやり遂げていても誰にも褒められることのない毎日。

だけど失敗しても、誰にも影響を与えず、もしくは与えていたとしても気づかれもしなくて叱られることさえないそんな生活。

そこにあるのは、果てしない孤独だと思うのです。

だけれど大概は、自分の欲望と闘いながら毎日の目の前の問題に右往左往して、自分の中の本質の恐怖と向き合う事が出来ないのかもしれません。それはこの舞台のキームのように。

 

ここから先は、ネタバレで書く予定ですが、ネタバレはちょっとなと思う方の為にネタバレであっても、まあいいかと言うことを先に書きます。

ジャーンのキームの為にアイロンをかけているシーン、まじに可愛かったですよね ♡

私、ちょっと正座をして造花を作っていた「下谷万年町物語」(「下谷万年町物語」☆感想です)を思い出してしまいました。

 

ミーハー的な事は、こんな程度しか書けないかな 💦

 

以下、ネタバレしています。

 

このお芝居の最初の方のジャーンのセリフから、もう心に喰い込みました。

「それに、この倉庫を抜け出したからって何がある?
あの空の太陽と月、それに星が輝いている宇宙は巨大な倉庫なんだよ。
…中略…
もし俺たちがここで幸せに生きられないとしたら他の倉庫に行ったって幸せなんかになれっこない。
つまりここ、この倉庫の中で一生懸命働いて、真面目にくらすことが大切なんだよ。
…。」

宇宙は巨大な倉庫ー。

しみじみとしみじみと、本当だなあと思いました。

ゆっくりと諭すように話すジャーンの言葉は染み入ります。

それでも人は、「確かにそうだ。」と思っても、ここではないどこかに夢を求めてしまうのかもしれません。

 

ダーリンとその父親に良いように利用され続けるだろうと分かっていても(まったく分かっていないかもしれない。)、それでも外の世界に飛び出して言ってしまうキーム。

「いい札が回って来たから。」と言うキーム。良い札が回って来た時ほど危ないって、まったく学ばないキームだと思いました。

そのキームに

「行かないでくれよ。ここに一緒にいてくれよ。」と言うジャーンに本当に切ない気持ちになりました。

 

ええとそれからと、シナリオのページをめくると、まずい事にあちらこちらのシーンが好きで、そしてどのページを開いても、また涙で瞼が重くなるのです。

このお芝居は、きっと観ている人の今の状況によって、いろいろと解釈が変わるのかもしれません。

 

明かりの差し込まない倉庫の生活の中でもジャーンは本を読み、物事を冷静に見つめようとする人だと思いました。それ故に間違えても何も変わらなかったと言う悪夢を見たのだと思いました。無意識がそれを知っていたのかもしれません。

悪夢は現実となってしまいますが、それだってその話をキームにしなければ起きなかった事だと思いました。話は淀みなく流れるように進みました。

好きと言えば真夜中に箱の持ち主に手紙を書くシーンも好きですし、鍋の中からキームが鱈の頭をすくうところで

「なんですくいあげたりするんだよ。」と言う所も好きでした。

 

でも一番心に響いたのはやっぱりラストのセリフでした。

「気の遠くなるほど長い間・・・、俺は暗くて小さな倉庫の中で…日々、幸せに暮らしてきた。
…中略…
自分に与えられた仕事をまごころを込めて精一杯やっていると言う喜び…それだけが俺の人生の支えだった…でも、もしこの世界が滅茶苦茶で間違いだらけだとしたら、この倉庫の中での俺のまごころに、いったい何の意味があるんだ…
…中略…

いや、そうじゃない、
…以下略」

この後ジャーンは置いてけぼりにされがらんどうになった頭で判断してはダメだと思い直します。

そしていつものように箱を間違えないように丁寧にゆっくりと積んでいくのです。

 

小心者なので丸写しは、ちょっとドキドキするのですみません。

 

「いや、そうじゃない、」

私はこの否定の言葉にノックアウトでした。

 

まるでジャーンは私たちのようではありませんか。

ちっぽけな世界で愛する人がいて目の前にある仕事を一生懸命にやって、日々の暮らしに幸せを感じて生きていくー。

だけど矛盾とエゴで満ちた世界に時には疑問に思う。それでも自分の気持ちを立て直して、自分の生活を丁寧に生きようとするー。

 

本当はジャーンのみではなく、キームもダーリンもその父親も、皆私たちの中の何かと被るような気がするのです。

 

「ほら、伝票に書いてある通りに箱を運べ ! 正確に積むんだ ! 間違えるな ! ミスは許されないぞ !・・・・・・」

そしてまごころを込めてひとつひとつ箱を積んでいくジャーン。

 

ジャーンの姿と重なってしまった「私たち」。

私は思いました。

私たちは何と愚直なんだろう。

私たちは何と深い孤独を友にしているんだろう。

だけど私たちは、・・・・・・・

 

なんと愛おしいんだろう。

 

最後のセリフは、もっと長いのかと思っていました。でもそんなに長くもないセリフだったのです。でもそのラストのシーンで魂が打ち震えたのは私のみではなかったと思います。

藤原竜也はやっぱり凄いな。

 

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『鱈々(だらだら)』の感想 その1

2016-10-23 11:51:44 | 観劇・コンサート日記

10月の13日に天王洲銀河劇場にて『鱈々(だらだら)』を観てまいりました。だけれど、ちっともその感想を書かなかったのは、ちょっと理由があったのですが、きっと書きはじめたら、またダラダラと長々と書くのではないかと思い、書きはじめる事にしました。

記事の構想無く、思いつくまま書いていこうと思います。長くなったら続きはまた明日と思っています。

 

ちょっととんでもない所から入りますが、ノーベル賞の連絡がボブ・ディランに未だ直接には伝わっていなくて、彼のHPには「ノーベル賞受賞者」の文字も削除されてしまったのだそうですね。授賞式に彼は現れるのでしょうか。一波乱ありそうです。反戦を歌うボブ・ディランの歌の歌詞、つまり彼の詩はノーベル賞にふさわしいと私は思うのですが、本人はどう思っているのでしょうか。

実家にて夜、姉からその彼のノーベル賞受賞の話を聞いた時に、思わず私が涙をこぼしたのには実は秘密があるのです。

姉が私の泊まっている部屋にやってくる少し前、私はその日に観た『鱈々(だらだら)』の事を何気なく思い出し、一人ハラハラと泣き、涙をぬぐっていた直後だったのです。ひとたび心が動き出すと、感動しやすくもなると言うものなのですよね。

 

近頃ドラマの影響で「地味に凄い」と言う今時の言葉を知りましたが、そんなにパッと目を引くようなものではないのに、後からジワジワとそのすごさが迫ってくると言うような意味であったならば、まさにこのお芝居は「地味に凄い」と言っていいのではないでしょうか。

 

前に「藤原竜也の真骨頂は舞台」と言うポスターを見ていたのですが、「まさに」と私は思いました。

 

私はドラマ好き、映画好きそしてお芝居も大好きです。

でもドラマと映画は舞台とは決してイコールではないものではないでしょうか。

イコールではないとは、また不思議な事を言ってしまったかもしれません。

確かにシナリオがあって演出が居て、舞台美術があって、衣装があって照明がある。そして中心には演じる役者さんが居る。器が違うだけで中に入るものは同じようなものに感じるかも知れません。

だけどイコールではない。

これこれこのようにと言う説明は無用かつ無理だと思いますが、それはこの『鱈々(だらだら)』を観ると、ああ、この人の言っている事は分かるような気がするなと思って頂けるかと思います。

 

冒頭の部分で二人の青年、ジャーン(藤原竜也)とキーム(山本裕典)が倉庫に入ってくるシーンは物凄くゆっくり。

そのシーンで、彼らの毎日の時間がゆったりと緩やかに変化なく流れている印象を観ている私に与えるのです。そのような技が通用するのは舞台だからこそと言えるでしょう。

 

先に観ていたツイッターの竜也ファンクラスタの皆さんが、

「ずっとこの舞台の事を考えてしまった。」「涙が止まらなかった。」と言うような事をツイートしていて、私も輪郭の見えない期待をしていました。正直な事を言ってしまうと、途中までこのお芝居で果たして涙なんか出るのかなと正直思ってしまったのです。

だけどそのラスト、私は知らず知らずのうちに涙がこぼれました。

ラストの展開にと言うわけではありません。

藤原竜也の独白に。

 

言葉がこんなにも胸に迫ってくるなんてー。

 

「藤原竜也の真骨頂は舞台」

ほんとうですね。

 

この記事は続きます。(いつも長くなってしまうから (^_^;)

でも途中でまた写真日記が入るかもしれません。

 

続きを書きました。→『鱈々(だらだら)』の感想 その2

 

 

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あけぼの山☆コスモス2016【その2】

2016-10-22 15:33:45 | お散歩&写真日記

 「あけぼの山☆コスモス2016 」のお散歩日記の続きです。

あけぼの山から帰る途中、車の中で地震の情報が流れました。関東では日常の震度3で全く気が付きませんでした。

たぶんうちの地域はもっと小さかったのだと思いました。

ただまた最近地震が続いているなと気になってしまいました。

 

そして昨日、何もないような穏やかな午後かと思っていたら、鳥取で地震がありました。

鳥取の方でも最近地震が続いていたとか。

東も西も、みんな同じ日本と言う船の上。

怖い想いと痛い目に遭った方もいらっしゃると思いますが

お見舞い申し上げます。

 

 

同じような写真でも、ちょっと位置をずらしただけで花の表情が変わるのが楽しいですね。

 

可愛いコスモス。

花たちに近寄ってみました。

 

 

 

 

 

 

ほんのちょっとの時間でも、とっても楽しい時間をくれたコスモスたち。

バイバイ。

思わず振り向いて別れを告げました。

 

だけど最後はいつだって、花より団子になるのだ。

久しぶりに「幸楽苑」に来てみました。

つけ麺はちょっぴり酸っぱくて辛い。

美味しかったです。

 

 

あけぼの山はいつの季節に来ても楽しい所です。

(タダだし ♪ )

 

 

 

他の季節のあけぼの山は

絵のような風景

コメント (2)
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