森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

心ときめく秋の色

2014-11-30 23:46:22 | 梢は歌う(日記)

今日は11月最後の日なので、それもあとわずかで終わってしまうと言うことで、なんとなく無理やりアップです。

 

つい最近まで、うちの近所はそんなに紅葉が綺麗じゃなかったのですが、ここに来ていきなり素敵な色合いになってきたのです。

でも悲しい事に天気も悪くなってきてしまって、しっかりと目に焼き付けないと見逃してしまいそうです。

 

画像は昨日出掛けた先で撮ったものです。

 

 車で向かう途中、枯葉が雨のように降り続いていたのです。桜吹雪もそうですが、雨のように降り続ける光景は、何とも言えない美しさがありますよね。残念ながら、車から撮ったこの風景には、その降り続ける枯葉を写し取る事は出来なかったようです。

 

森が紅く染まっていなくても、それでも秋の風景は物悲しくて、そして心惹かれるものがありますね。

だけど物悲しくても、やっぱり秋の赤や黄の色には、心をときめかす、春とは違った何かがあると思います。

 

森は赤や黄色を経て一気に冬景色になっていくのでしょうね。

毎日毎日を楽しむように、移りゆく季節も楽しんでいきたいものですね。

 

 

上のと同じ風景をダブルで載せてすみません。

同じ風景でもどこまで切り取るかでちょっと印象が違うと思いませんか。

物事の多くは、そういう事って多々ある事だと思うー。

 

 

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それでもナンバー2

2014-11-28 22:58:34 | 梢は歌う(日記)

先日ラッタ君と一緒に横浜の実家に行った時、そろそろ帰りの時間が近づいてきた彼に

「何か面白い話を一つ二つしてから帰りたまえ。」と私が言うと、

「うーん、・・・えーと、・・・・・・これと言ってないなぁ。」とラッタ君。

「なーんだ。」と、また私が言うと

「じゃあ、あなたは何か面白い話と言われてすぐに出来るのか。」とぬかす。

なに言ってくれちゃうわけ、おばさん、なめるなよ。

 

まあ、面白く感じるか否かは人それぞれだけれどね。

 

「この前ね、埼玉埼京線の与野本町と言う所にお芝居を見に行ったのね。その帰りの話なんだけれど、与野本町から大宮に出るのは二駅なの。

それでそこから次の駅の北与野で結構な人が降りたのね。

その時私は三人掛けのシルバーシートの真ん中に一人で座っていて、そしてお向かいの席にも若い女性が一人で座っていたの。しかもその女性はかなり綺麗な顔をした人だったんだ。服も派手すぎず地味すぎずってところ。

他の人はたまたまみんな遠く離れて座っていて、いわばガラガラの状態でとにかく傍にいたのは私と彼女だったわけ。

それで北与野から大宮までは3分ぐらいで着くのね。

 

北与野でドアが閉待って電車が走り出したら、向かいに座っている女性が、『あっ、そうだ。』みたいな表情になったの。

すると彼女、つつつつとその体を倒して、そのシートに体を横たえちゃったんだよ。足まで乗せてまるでソファにと言うかベッドに横になるみたいに寝ちゃったの。」

 

「よっぽど眠かったのか?」とラッタ君。

 

「ううん。彼女は横たわっただけで眠らなかったの。本当に眠くても、普通は椅子に座って寝るようにそのままコクリコくりとすればいいだけじゃん。しかも3分無いんだよ。

それにその彼女、両手を合わせてほっぺの下よ。

そしてね、目を瞑り、凄く幸せそうな顔をしてふっって微笑んだの。さらにね、頬を手にスリスリって『うーん、幸せ~』って言う感じ。」

 

「カメラ!? お姉ちゃん、どっかでカメラが回ってなかった?」とそれまで黙って聞いていた妹が言った。

「あっ、ドッキリってやつ?ううん。でももしそうでも詰まらないからボツだね。だって私、チョーポーカーフェイスだったもん。

衝動はあったよ。スマホを取り出して思わずツイッターに書き込むかってチラって思ったよ。もちろんやらないけれどね。

でも心の内側では、お目目二倍のお口あーんぐりよ。だって酔っ払いでもないのに若い女性がそんな事する?

だけど私、ちょっとむっとした。

だってさ、彼女、誰もいないからやってみたかったことをやってみたって言う感じがしたのよね。

誰もいないわけじゃないじゃん、私がいるじゃん。真ん前だよ。

見えないのかって。

もう私、電車の椅子と同レベルですかって。」

「違うよ、それ、おねーちゃん!」と妹。

「彼女には観客が一人必要だったんだよ。誰もいなかったら、やってみてもそんな幸せそうな顔はしなかったと思うな。」

 

うーむ。

微妙に分からないでもない。

いや、やっぱりわからない。

微妙だ、微妙・・・・・・

「だけどさ、やっぱりその人の『幸福な横たわり事件』は私的には衝撃的なシーンだったわよ。電車の中で見かけた変な人ナンバー2です。」

 

「ナンバー2なんだ!?」

「うん、ナンバーワンはね・・・」って、それはまた別の話です。

 

 

 

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どじょっこメグちゃん

2014-11-26 22:19:14 | 梢は歌う(日記)

夫殿が2012年の夏に「めだか親父」になってから、みんなが出かけて部屋の中に私一人になっても、一人であって一人ではないと言う毎日が始まったように思います。

つまり、私と猫、そしてメダカたちの命の熱量が部屋の中に放射されているからです。

一人で家にいても、あまり寂しくないのはそんな理由もあるからなのかなと、時々思う私です

 

めだかの次はエビ、そして2013年のお正月には、すでにどじょうも我が家の住人になっていたようです。

この「ようです」と言うのは、これらの趣味は全く以て旦那だけのものであり、私はノータッチ。だから詳しい事は忘れてしまったのですね。

で、自分のブログで検索して確認しちゃいました。→「ああなってこうなって〈その2〉

一応リンクしましたが、そこにリンクしてあるこれまた過去記事を読むと、我が家の水槽が増えていく経路がある程度分かります。「うちの旦那は趣味がなくて」と嘆かれている奥様には、ひとたびそのご主人がめだかなどの趣味を持つとどういう流れになっていくのかが少々分かるとは思います。

自分の場所だったところが占拠されることは、まずあり得る事なんじゃないかなと思います。

 

それでも趣味がないよりかはあった方が、今後の老後と言う未来のためにもいいと思うんですよね。

そのように理解のある事を言ってる私ですが、めだかには全く興味が持てず綺麗なオブジェのようにしか感じないのですが。もちろん単体では見分けがつかず名前などついてはいません。

 

だけどある日どじょうが死にました。

2匹しか飼ってなかったのですが、そのうちの1匹が死んでしまったのです。2年近く生きてきたからそんなものなのかと思いました。

どじょうは夜行性で夜になると二匹で狂喜乱舞の踊りのように泳ぎ回ります。最初はめだかの水槽に一緒に入れてましたが、その派手な踊り泳ぎの為に、2匹だけ別の水槽に入れたのでした〈彼が〉。

 

1匹が死んでしまった後、もう1匹の姿が見えなくなりました。それも何日も何日もです。

「砂の中に潜って、死んでしまったんだな。」と夫。

そして何もいなくなった水槽は緑の藻に浸食されて、汚い死の水槽になっていきました。

ある日、夫が決意したのか時間を作って、水槽のお掃除をしました。

砂の中のもう一匹の死骸を見つけようとして手を入れた時、

「あっ、いた。」と言いましたが、次の言葉は「わっ、生きてる。」だったのです。

 

上の「何日も何日も」が何も記録がないので詳しくは書けない所がすごく悔しいのですが、死んでしまったと思うくらいなので私の中では1か月以上と言う感覚なのです。でももしかしたらたったの10日ぐらいだったのかもしれません。

それでもそのどじょうが躍るのを止めて砂の中でじぃぃぃっとしていたのは事実です。

 

人以外の生き物は、その仲間同士の意思伝達の手段を何らかの形で持っているのに違いありません。元は人間だって似たようなものだったと思います。だけれど、人は住まう所を建て住まう以外の建造物を天に向けて築いていったのです。そんな文明の中で必要に迫られて幾つもの言葉を生み出していったのが人間。だけど、そんな人間以外の生き物はそういう選択をしてこなかったんですね。

それって不思議といえば不思議じゃないですか。

でも言葉を生み出してこなかった生き物も、きっと感情に当てはまる何かを持っていなかっただけで、「悲しい」「寂しい」と同じようなものを感じていたのではないのかと、私には思えてならなかったのです。

 

たった2匹しかいなかった水槽の中が世界のすべて。

それなのに居なくなってしまった仲間。

ー寂しいよ、悲しいよ。死んでしまいたいよ。

じっと砂の中に潜って、本能には負けて砂の中に落ちてくる苔やプランクトンを食べてしまうけれど、本当は静かな自殺の途中だったのかも知れないとそんなふうに感じてしまったのでした。

 

「あっ、生きてる!」と夫は急いでメダカがたくさんいる水槽に入れました。

するとどじょうは静かに泳ぎだし、しばらくするとまた踊るように泳ぎだしました。まるでそれは異種であっても水の中でようやく仲間を見つけ狂喜の舞を踊っているように見えたのでした。

―やあ、みんな、やあ、みんな。

僕はひとりじゃなかったんだね。―

 

ああ、そうだ。「僕」ではダメなんです。

だって私、このどじょうに名前をつけたんです。

「メグちゃん」と私が呼んでいたら、夫が

「メグちゃん?  なんでそんな名前 ?」と言うので

「だって、『どじょっこメグちゃん』よ。」

「そ、それは『ど』じゃなくて『ま』だろ。」って。

 

チャンチャン。

 

メグちゃんに仲間が増えました。

なかなかどじょうって売っていなかったんですよ。でも先日ホームセンターに行ったら居たのです。

増えたのは1匹ですが、2匹は時々寄り添っています。

 

 

エビさんも

 

 

 

 

 

 

 

 


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藤原竜也の一回道 #4 #5 #6

2014-11-25 02:19:32 | テレビ・ラジオ

ニヤニヤ見てたら終わってしまう「藤原竜也の一回道」、ちょっと感想の間が空いてしまいましたのでいっぺんに書こうと思います。

#4

実はこの回、ニヤニヤしてだけ見ていませんでした。〈ニヤニヤもしたけれど〉

ほんのちょっとだけ、私、胸がキュっとなってしまったのです。

だってさあ、私のようによそ様のお子さんの〈竜也君の事〉事を追いかけて深夜のテレビ番組を録画して見ているんですよ。人はそれぞれで分からない事だけれど、彼のお母さんだって見てるんじゃないのかって思っちゃったわけですよ。だったら、あの話、切ないよ、とっても。

「育ちが良い。」という話の流れで出てきたエピソードで、サッカーの練習の時の休憩中に一人カレーを食べていて、そこにボールが飛んできてカレーが体にかかり火傷して、家に帰ってみたら誰もいなくて一人で冷やしたと言う話。

なぜその話が「育ちが良い」の話に繋がるのかって言うのは、ちょっと説明不足ではあるのだけれど、分かるような気がするんだ。

私、ちょっと思ったのだけれど、今まで俳優藤原竜也が好きなんだと思っていたのだけれど、好きになるのは、ある意味勘なのかもしれないって。なんて言うか同類項の人だから好きなのかも。

育ちが良ければ、一人で変わったもの、つまりカレーなんか食べないし、アクシデントにあって火傷しても、家に帰ればお母さんがいろいろケアしてくれてあっという間に癒される、そんなおうち・・・・

 

ああ、ごめんね、ごめんね。ラッタ君にルート君。

お母さんはお仕事ばっかりしていてさ、そんな日もあったよね、きっと。

家に帰っても一人で踏ん張らなくちゃいけない日もあったよね、きっと。

って、誰の事を言ってるの・・・。

うん、ついね、そんな風に思いを巡らせてしまったのでした。

 

#4 #5

実は#4は心に留まるシーンがたくさんありました。

外のスーパーか何かの所で腰を下ろして飲んでいる時の一人ミニ芝居。

「俺、仕事行かないでここで朝から一人で飲んでるんだ~。

でも家にはちゃんとお金は入れてるんだ~。

貯金崩したり、競馬やったりして。」と言うやつです。

朝からすべてから逃げ出して外でぼんやりお酒を飲んでいるー。

そんな一人芝居。

なんかこれ、すごく可愛かった。

でも、ああ、最近頑張り過ぎだものね。ちょっと疲れているんじゃないのかなとか思ってしまいました。

人ってこういった何気ない所で、分かる事ってあるじゃないですか。

 

と言うか、これ、まとめて書くって無謀じゃなかった?

 

じゃ、手抜きで行きます。

あのね、彼は鶴瓶師匠じゃないんだから、普通の通りすがりの人を巻き込んでいくなんて、まだ難しいよ。なんたって年配の人に知名度があるかどうか疑問だし、名前伏せてカメラ見せていなかったら、ツチノコがいるかなんて言う人に警戒しない人はいないよ、普通。

これは#5のおじいさんとの会話が上手く絡まなかった時の話なんだけれど、

「反応が思った通りのものじゃないからなんでそんな態度に」的な事をDさん〈いつも間にかDさん〉は言ったけれどさ、おじいさんの反応は普通だし、なんだかいきなり変な事を聞くのはオカシイって感じる竜也君はおかしくないよ。だけれど、なんたってストレートな言い方なもんだから、結構損をしちゃうタイプだと思うんだ。〈凄く分かる。同類項って言ったのはこういう所が…。〉

だからテレビは普通、もっとたくさん回してて、こういうシーンは切っちゃう・・・・・と思う。

だけれどかなり低予算で〈だって移動するだけだものね。〉、あくまでも竜也君の素に拘ってると言うコンセプトだと思うんだけれど、この番組で頑張りたいのは実はDさんなんだなってちょっと感じてる私です。

でもだから私、ちょっと、堤Dに思うことがあるよ。

 

#6

それは本当は、まだ#4での話なんだけれど、手抜きで行こうと思ったので、どうせ文句なので書かない事にしました。

だけれど、やっぱし、あの結婚についての話は聞くべきだったと思うよ。せっかくトークが乗っていたんだから、あえて打ち切ることなかったのに。

いかに海が綺麗でもです。

 

でも#6は車内会話が面白かったんで、かいどう君の差入れ道と一緒に#7の時に書きますね。

 

何とも中途半端で、見る事が出来ない地域の方になんて思って書き始めたのに、これでは何の役にも立ちませんね。

でももうこんな時間なので、今日の所は  m(__)m  

 

〈お片付け頑張ってます。〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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時には冒険少女のように〈その3〉

2014-11-22 16:29:32 | お出掛け日記

そして、『赤羽』のお出掛け日記です!

いきなり「そして」と言う接続詞もないもんだと言う感じですが、地名を出しておきながらお出掛け日記ではなかった前々回の記事「赤羽、気を付けて。」の続きと言えば続きでもあり、無関係と言えば無関係と言う記事です。

だいたいなんで〈その3〉なのかって・・・・いやいや、いつも前書きが長いのがこのブログの特徴の一つでもあるんだけれど、今回は後で書きます。

 

―私は時々、ネットの窓から手を振って知り合った方々と会ったりもします。

実はこの言葉、昨年の自分の書いた記事からのセルフ引用。ああ、昨年も今頃だったなあと思ってブログを開いたら、なんと11月16日だったのです。その時は2泊3日で出掛けたので旅行記も長く目次を作ってあるので、真っ赤な京都に興味がある方は覗いてみてくださいね。→「西の都に行ってみよう~目次

そして今年も11月15日に赤羽にてお久しぶりの飲み会に行ってきました。

 

病気をしてから飲み会と言うものにほとんど縁がありません。お酒は昔から弱いのですがそういう雰囲気が好きで、主婦と言えどもこれからの季節は夜の街をふらふらとする機会も多かったと思います。よく考えてみるとコスプレを着てはしゃいでいたあのカラオケが最後だったかも。それに伴ってそういうことを一緒にやってきた友人を失ってしまったのか、お茶を飲んで午前様だった昔が懐かしい。

と言っても、フラフラしていたのはあくまでも自分の町の狭い世界だったのねと今回しみじみと思ってしまったのです。

赤羽と言う駅には初めて降り立った私です。

そこの周辺に住んでいる皆様、申し訳ありません。

ワタクシ、赤羽ってもっと寂れたちょっと小汚い駅だとなんでだか思い込んでいました。

なんでかしら?

寂れたなんてとんでもないですよ。ところがそのイメージ、私だけのものではなかったのですよ。この日の後に「赤羽に行ったんだ。」と近所の友人に行ったら、私と同じことを言ったのですよ。

昔、乗降者が多い日暮里でさえ、あまり綺麗な駅とは言い難く、それが今はすっかり綺麗でおしゃれな雰囲気になっているじゃないですか。それと同じような事が赤羽って駅にも起きたのかしらと推理するばかりです。でももともと乗降者は多いのですよね。 さらに興味のある方がいるとはそうそうは思えないけれど、私のようにWikipedia様を開いてあれやこれやと読む検索マニアの方もいらっしゃるかもしれないのでリンクしときます。

赤羽駅については→こちら

だけれど、この街はやっぱり私たちに駅の雰囲気を誤解させるものがあったんだと実感したのが、お店に行くまでの道を歩いていた時です。

古い小さな居酒屋が並びます。

 

お友達〈Tちゃん〉が予約しておいてくれたお店も狭い〈本当に幅も狭いよ。〉階段を上がっていく小さなお店。その狭い階段を二回上って入った個室は5人でいっぱいになるような狭い畳のお部屋でした。でも落ち着くいい感じ。その個室たって一個しかない感じ。私、なんっだかその作りにワクワクしちゃった。

飲み会なんで、ワイワイ楽しくおしゃべりして美味しいものを食べて、ハイ終了・・・・でも良いんだけれど、もうちょっとだけレポします。

そこは牡蠣尽くしのお料理で・・・・・

 

       

私、生牡蠣初体験。今までは、なんかザ・ナマ~って感じが怖くて、食べず嫌いだったような気がします。

あっ、意外と美味しい~って思いました♪

でもちょっと鈍感なので、二三個食べて、味の確認をもうちょっとしたかったような。

だから「うん。これは濃厚なミルクのような・・」なんて中身のある事は言えなくて、ヘボいお食事レポのように

「美味しかったです!」で生牡蠣初体験レポは終わりです。

 

 働くH青年の手。 

今回は、明らかに私より若いTちゃんとそのH青年がいそいそと取り分けたりなどをやってくださったので、おばちゃんは更に居心地が良かったんです。←こういう時だけ「おばちゃん」の楯を前面に出す技を取得中。

 

   食べてる時にはいちいち感想を言わなかったけれど、このカキフライはちょっと私的ツボ。心の中で「うきゃ、美味しい~」と一人盛り上がり。

 焼き牡蠣です。

 そして牡蠣鍋です。見りゃ分かるよというところですが、この鍋でシメはラーメンを選択したのです。

ひとくち食べて
「うん? これはちょっと変わった味だな。」と思いました。白味噌味のラーメンですものね。ちょっと今までにない味でした。でもこれはどんどんとつゆを吸ってしまい、ラストはパスタ状態。

最初は「うーん。」という感じだったのですが、ちょっと時間が空くとまた食べたくなるという癖になるような味。

「これはこれでなかなかね。」と言うと

Rッチさんが

「このカルボナーラが? 」と不評。

「それは適量を食べてるからですよ。」と言うので、見たら、残りがノルマのように彼の器の中に。

その時私はスマシていましたが、心の中では思わずニヤリ。Tちゃん、やるなあ。

 

おしゃべりの内容も飲み会にしては結構多岐にわたっていたかもですが、ここではスルーです。

ここでの時間がいっぱいになっても何か物足りない感じ。飲み足りないではないですよ。

で、デニーズに移動して新潟に帰るT丸殿の時間いっぱいまで、またもおしゃべり。

楽しいひと時でした。この機会を作ってくれたT丸殿、ありがとう。そして同じ時間を共有してくださった皆さん、ありがとう。

楽しい時間はやはり元気の源ですね。

 

頂いたおやつをひとり堪能する私。

もちろん翌日以降にですよ。

 

 

 

 

そうそう、私もちょっとだけお酒も頂きました。

 モヒートがなかったので〈分かる人には分かる〉、生レモンサワーです〈分かる人には分かる。〉

 

 ※       ※       ※

帰る時には、来る時と違って閉まっていたお店が開いていました。狭い居酒屋が並んでいるその古き町並みにですが、店内にいるのは普通にチェーン店のまたは私の町にもあるような昼はランチで夜はお酒も飲めるような和食居酒屋の客層と対して変わらないような気がしましたが、なんとなく若めだったかも。

でも私はちょっと不思議な気がしたのです。今は飲まなくなってしまったと言っても、私にも少々地味に遊んでいたころもあったし、若い時代もあったわけです。すごくお酒の好きな友達もいたわけですが、こういう場所はまったく候補には上がってきませんでした。

要するに狭い世界で生きているのですよね。人はなかなか自分のエリアを抜け出せないものなんじゃないかな。違う世界を垣間見ようと思ったら、それは人との新しい繋がりにしか道は開けないのかもしれません。

またはやっぱりいくつになっても好奇心を失わないことが大切なのだと思います。

 

いろいろなことをこのブログには書きますが、ちょっと飲み会的なことの記事は書いたことはなかったような・・・・。

もちろん行ったよみたいなことは書きますよ。でも大概は数行止まりとか他の事を中心に書きそれで自分の記憶にとどめるやり方を取ってきたと思います。だからどんな風に書こうかちょっとだけ迷ってしまいました。

そういえば前にも書いたなと思って過去記事を検索してみたら・・・・

ああ、やっぱりお出かけ日記ではありませんでした。

でも過去の自分は今の自分とは同じ人間でありながら同じではないという時があるでしょう。私は過去の自分になにかチクチク言われたような気がしましたよ。やっぱり全ては繋がっているんですよね。

「それでも、おはようとオヤスミを繰り返す毎日の中で、冒険少女のような気持ちは忘れずに、幾つになっても自分の世界は此処までだと決めてはいけないと思うのです。」

だよね。

そんな事が書いてある「時には冒険少女のように〈その2〉」の記事は→こちら

 

 

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コメント (2)
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相棒 season13第6話「ママ友」

2014-11-20 23:14:58 | ドラマ(相棒)

心のどこかで「アホクサ~」と呟く自分が居ました。でもそれは「ママ友」と言う人種のあれやこれやに対してで、ドラマ自体は私にはすごく面白く感じました。

私は時々、主役やレギュラー以外のゲストのお芝居にとっても上手いなと感じて感激するときがあるのです。

〈ネタバレしています。再放送時にはお気をつけて。〉

 

なんだかんだと言っても、結構お話の内容はシリアスに見えなくもない部分もたくさんあったように思います。

家庭教師との浮気、私立のお受験の裏工作、ママ友同士の虐め、そして子供を養子に迎えた後の不安。

みんなそれぞれに悩みや秘密がありました。

その中の人で、結局は愚かな勘違いであったわけですが、子供と引き離されてしまうかも知れないと言う恐怖と怒りで壁の写真を破り捨てたママさんの演技にジーンとしました。

愚かだなと思いつつ馬鹿だなと思いつつ、それでも子供を思う母の気持ちー。

奥さん、いい演技でしたわよ・・・。

でも今回の演技賞はあの犯人の女性ですよね。

凄かったですよ、あの大立ち回り。

粘りましたねぇ。

今回捜一コンビが地味目だったので、最後に彼らにも花が咲きましたね。

 

勘違い母の

「あなたの正体知っているのよ!」で、自分が殺人犯であることがばれてると思ったわけですが、取調室で最後に

「なんであの女、私の正体を知っていたのよ!?

えっ、何で!?」

と言う所も、笑わせてくれました。

 

最後の公園のシーン。

あんな事件があったのに結局は4人、元のママ友のまんま。

「仕方がないのよ。今ここで私が外れたら、うちの子供まで・・・。」とパシリ母は一人でみんなの子供のブランコを揺らします。

なんかへーんなのって思いました。で、そこで冒頭の「アホクサ~」となるわけですが、その後右京さんが何かまとめのお言葉を言っていましたが、私ちっとも耳に入ってこなかったんです。何となく最後のシーン、違和感があったのかもしれません。ありきたりになるから、またはメッセージ性がなくなるからそうしなかったのかもしれませんが、あのような事件があったのにも関わらずお付き合いが続くとしたならば逆に結束が強くなっていくと思うのです。もしくは距離が生じるとか。何事もなく元に戻っていくってどーゆーこと?

と言うか、あの勘違い母はおとがめなしか?

子供が小さいから良かったって言えば良かったけれどね。

 

あっ、そうそう。

別に「相棒」の感想じゃないけれど、だいたい「ママ友」って何なの?

今時ってすぐに変な言葉を生み出して、みんなをそこにいっしょくたに放り込んでしまう傾向があるでしょ。そんなの無視した方が良いわよ。

子供が小さい時から中学生ぐらいまで、子供を通じて人と出会うことも多いのは確か。そこで本当に自分と気の合う自分のための友達を見つける事が出来たならば、その友情は20年も30年も続くのよ。でもその時に「何々ちゃんのママ」と言う名前で呼ばれる関係を作っちゃうと、……まあ、いろいろよ・・・・・・。

まあ、平安時代じゃないんだからさ、「何とかの娘」とか「だれだれの母」じゃなくて、女たちよ、ちゃんと自分の名前で生きようぜ!

 

 


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「赤羽、気をつけて。」その2

2014-11-18 00:14:43 | 梢は歌う(日記)

※画像は11月13日、日が落ちる直前に出掛けた散歩の画像です。

ああなって、こうなって、ああ、いろんなことは皆からみ合って、日常は単体で存在することはないんだなあという「赤羽、気を付けてその1」の続きのお話です。

 

だいたい友人が電車が気持ち悪くて乗ることが出来ないと言ってるのに、私は乗って赤羽に行くよと言うのも、何か嫌味のように文だけ読むとそう感じるかもしれません。でも実際はそうでもないのです。だいたい家族同士だと話が唐突に始まるように、20歳代からの長きお付き合いのお友達だと、エスパーのように話も飛ぶのですが、だいたいちゃんと通じるものなのです。

省略なしの日本語で言うと
「電車に乗ると何かを感じるというのは、それはあなた特有の、つまり特異の性質だと思うわ。だから私にはそれはないわ~。ああ、だから私は明日電車に乗って出かけるよ。えっと、赤羽に行くんだ~♪」となるのです。

って、そんなふうに話す人、居るのかい?

問題は彼女が間髪入れずに
「赤羽、気を付けて。」と言ったところにあるのです。

少しでも間があれば、
「フーンだ。ちとムカついたから嫌味言ってやろう。」というのも有り得る話なのですが、とてもそうは感じることが出来なかったのです。

「ええ!? なんで? なんかイメージしちゃったとか、一瞬何か見えちゃったとかしたわけなの?」と私。

「いやいや、なんでもない。」と友人。

いや、もう否定しても遅いわ。気になっちゃうじゃないの。

と言うか、もう私の脳裏にありとあらゆるロクでもない光景がフラッシュバックしました。

電車とホームの間に落ちるとか(経験あり)、誰かに押されてホームとか階段から転落するとか、果てはニュースで見た秋葉原で起きた恐ろしい事件のシーンまで。

それでなくても唐突に胸が苦しくなって倒れるとか、目の前が真っ暗になるとか・・・・・・

普段はお気楽脳天気でポジティブ人間であるワタクシも、実はネガティブポケットは持っているのです。ひとたびそのボタンを外して中を覗いてみたならば、溢れ出てくるネガティブイマジネーションなのでした。

「いやいや大丈夫。私と一緒というわけではないので何もないと思います、はい!」と友人が言ったので、それでオシマイになってしまいました。

 

この事は、後でトイレに入ってゆっくり考えてみると・・・・って、何もトイレで考えなくても良いのですが、なんでだかあの場所って考え事にぴったりな場所だと思いませんか。

で、それはともかく、彼女はやっぱり一瞬で何かのビジョンを見たのだと思います。もちろん見たのは脳内にてですよ。もしくは過去に赤羽にてろくでもない経験をしたのかもしれません。その記憶が一瞬に蘇っての発言かも知れません。いずれにしてもそれは彼女の問題に終始するのではないかと思い直しました。だから私が怖がることはないのだと。

あっ、もしかしたら、この話ってそんな話だったのかと思ってる方もいらっしゃるかしら。

いや、これ、特別な話じゃなくて、結構、私の日常なんだー。

 

私が怖がる必要はない事でも、彼女の「赤羽、気を付けて。」は私には何かの暗示に聞こえました。なぜなら、鉄板の熱で顔を火照らしたのが良くなかったのか、どうも血圧が急下降してしまったみたいでふわふわとした感覚になってしまったのです。私は今、究極的なふくよかモードの人なので、見た目には高血圧っぽいのですが、実は低血圧の人なのです。血圧がいきなり下がっていくと眩暈がしてふわふわとしてしまうのです。

これは・・・・

「あかーん!!」と心の中で叫びたいような気持になりました。

何がって、翌日の「赤羽」がピーンチ。

翌日の赤羽にはネットで知り合った人たちとのオフ会だったのです。もしかしたら行けなくなってしまうかも知れません。それなのに私、この時まで参加する人たちのリアル連絡先を知らなかったのです。そんな事は今までに一度もありません。ただ出会ったネットの共通の場所が禁止ワードに厳しい所で、一度連絡先を送るのに失敗したらめげてしまって棚上げにしてしまっていたのです。それにその時までは行く気満々でしたので、ちゃんと行けば誰かにちゃんと会えるだろうと呑気に思ってしまっていたのです。

でも彼女の暗示・・・・。

―そうよね。

最近めったに私も電車に乗って出かけませんが、たまに東京方面に行くと、いつだって人身事故の為に電車は遅れているのです。たまたまかも知れませんが、本当に毎度です。

―今回だってそう言うことがあるかもしれないじゃん。

と言うわけで、友人たちとの楽しいお食事会から帰ってきた私は、もう一度翌日会うことになっているお友達の連絡先を知ろうとチャレンジしたのです。

この上の部分は更に上に書いた怪しげな話以上にちょっと理解しにくいのではないかと思います。個別連絡が難しい所もあるんですよ。

 

それで最初からそうすれば良かった事、つまりこのブログのメッセージ欄に書き込んでもらったのでした。

夜になると昼間のふわふわ感は取れたものの、ズキズキと頭痛がしました。でも行くか行かないかの判断は連絡先さえ分かったら明日にしようと思いメッセージ欄直結のメールを開いたのでした。

 

メールチェック、マメではありません。

だけれどこのような経緯があって、

「そしてその時にいつもgoo が送ってきてくれる去年の記事を読んだ・・・。

ああ、そうか。昨日は父の誕生日だったんだ。

 

お父さん、ごめんね。

私、忘れていた。

お父さん、85歳の誕生日だったんだよね。」

と「十月桜ですよ。」と言う記事に続くのです。

 

不思議な事に、その後連絡の取れた友人とメールのやり取りをしていたら、さっきまで酷かった頭痛も治ってしまったのでした。

すべてはそのメールを開かせて、昨年の記事を私に読ませるために物事が進んだように感じてしまいました。

ブログ的には、ああなってこうなってそしてここにたどり着いたと落とすと綺麗にまとまると思うのですが、実は私的には府が落ちなかったのでした。

父は私如きが彼の誕生日を忘れてしまっても、それを悲しむような人ではなかったからです。

私はいろいろ考えました。

そして「ああ」と悟ったのでした。

 

私が父の生存中に心の中で密かにしていた約束は、父がきっと生きたかった84歳の誕生日のその日にはみんなで代わりにお祝いをしようと言うことと、父の代わりに行きたかった父の田舎のお墓参りに行くと言うものでした。たった二つの約束はもうすでに果たしてしまいました。

父が最後に願っていたことはたった一つ、「みんなずっと仲良く」でした。

だから父は私に、また新たにみんなと約束をし直せと言ったような気がしたのでした。私たち女姉妹は皆苗字が違います。父母がそれを許してくれたから、私たちは何一つ思い悩むこともなかったのですが、家族の結束は固いのです。父の誕生日を私たち家族の日にしようと私は思いました。その日に会える者は会い、会えない者はそれなりに連絡もしてくるでしょう。とにかくこの日には何かをする日にしたら良いんじゃないかと思ったのです。

 

そして今朝、私はその事を姉に電話で伝えました。

姉の話によると、母は12日には具合がすこぶる悪かったのに13日には父の誕生日だからとすき焼きの肉を買いに行き、そして家にいる者たちで祝ったのだそうです。それを聞いて、やっぱり自分のアイデアは悪くないなと実感しました。もしも家族の日と捉えて、みんなの温度差がなかったら、母は無理をしなくても役割を分担することが出来たからです。

「やっぱり真夜中に父の伝言メッセージを間違えて流してしまったのも、あながち偶然とは思えないな。」と私が言うと、姉が

「お父さん、私には何もメッセージをくれない。」と寂しそうに言いました。

「いや、それは違うよ。私だって本当にお父さんが目の前に立っていたら恐怖のあまり手あたり次第なんか投げつけちゃうよ。」

 

本当に出てきてしゃべったら怖いよ!!

 

―死者は語らず。

事象現象に耳を澄まして、知恵と想像力で会話するしかない。

私はそう思っているのです。

 

この長い話の始まりは・・・・

仲の良かった旦那さんを亡くした友人の家に向かう途中、
「寒くなってきたな。こんな日は鉄板で焼くお好み焼きなんかも美味しいよな。」と思いながら、そのお店の前を通ったところから繋がっていったのだと思います。
ああなって、こうなって、ああ、いろんなことは皆からみ合って、日常は単体で存在することはないんだなあというお話でした。

 

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 秋の日の散歩道で―。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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「赤羽、気を付けて。」その1

2014-11-17 01:07:21 | 梢は歌う(日記)

※ 地名が入っていますが、お出かけの記録ではありません。確かに『赤羽』には出掛けたのです。そのお出かけ日記は次回に書きたいと思います。でもその前のお話。ああなって、こうなって、ああ、いろんなことは皆からみ合って、日常は単体で存在することはないんだなあというお話です。からみ合ってという話なのではっきり言って短くはないです。

※ ちなみに「相棒」と「一回道」はまだ録画を見ていないので、見たら感想を書く予定です。

 

※       ※       ※

ちょっと過去のお話です。

私は38歳の時にいろいろな偶然が重なって、とある病院のお食事を作るところで働くことになりました。当初は社員にとお誘いもしてくださったのに、子供が小さかったものでパートで働くことにしたのです。その事は、後から後悔の材料にもなって、少々悶々とした時代もありました。

肉体労働オンリィの仕事だったにもかかわらず、慣れてくるとなかなか楽しい仕事場でもありました。ただ、仕事の内容が自分的には物足りなくて、そしてって話はまた別の話です。

38歳で入ったのに、私はその職場ではダントツに若くて、周りのおばさまたちは皆、鬼のような顔をしているように見えました。なんとも失礼なことを言うようですが、これは事実です。年をとると顔が険しくなるということを初めてその職場で知りました。それを許してしまうかどうかはその人の心の努力だと思います。

だけれど顔が険しいからといって、みんなが怖いというわけではありません。中には人間的に魅力のある人がいたのです。

ある時私はその方を相手におしゃべりをしながら仕事をしていました。

子供の事や仕事のことやあれやこれや。

するとその人は言ったのです。

「若い人の話はいいやね。あたしらなんか孫の話はまだ良くて、病気の話や介護の話だよ。あっ、そうそうそれと年金の話ね。」

「へえ」って、その時は答えた私。

 

あっという間に時は流れて、その時のそのおばさま言った言葉にしみじみと頷く今日このごろの私です。

先日子供たちが小さい頃に住んでいた所でお付き合いのあった方の所におじゃましました。

その方は昨年、仲の良かったご主人様を亡くしたのです。引っ越してからずっとお付き合いのなかったものですから、いきなりお葬式に行ってもと思って、1年待ってお位牌に手を合わせてまいりました。

その後はもう一人のお友達と三人でお好み焼きを食べに行きました。

そこでの話は、成長した子供たちの今。流れ的なものもあってお墓の話。で、やっぱり年金の話。そして思い出話です。

お友達が、私が前に住んでいた不思議空間M町での出来事を語りました。

「あれ、ビックリしたわ~。初めての経験だったから。」と彼女が言いました。もったいぶるわけではありませんが、何を吃驚したのかは違う時に書きたいと思います。でももう一人の方はその話を知るわけもなかったので、法螺話ではないホラーチックな話をして盛り上がりました。

楽しいひと時でした。そしてお好み焼きと焼きそばもとっても美味しかったのです。

 

また別の日、私はふと閃いてお友達からお掃除用のモップを頼むことにしました。私は30代なかばの頃、そのモップの営業と配達をしていたのです。仕事はある時までは全部子供の成長に合わせて選んでいました。幼稚園に子供を送って、そして帰ってくるまでにお仕事は終わるのです。彼女とはその営業で知り合いました。意外とお付き合いは長く思い出も築いてきましたが、なかなか会える人ではありません。

でも彼女からモップを頼めば一石二鳥です。

営業にやって来た彼女と我が家でお茶を飲みながらおしゃべりし、先日のお好み焼きを食べに行った話をした所、行きたいということになりました。それで日にちを改めて行くことにしました。

私と彼女、それからもう一人の共通の友人を呼んで、私的には週一お好み焼きという感じです。

で、その時の話は、やっぱり大きくなった子供たちの話から始まって年金の話。もう、これは欠かせない重要項目みたいです。要するに不安なんですよね。こうして書きながら、だんだん決意してきました。私、これからはもう「我が家の年金問題」にちょっと真剣に向き合おうと思います。

最初のグループは、皆年金未満の年齢で、「どうなんだろう。」と言う世代。でも後者は、年上のお友達で「満額未満」と言う世代。

いつしかもうお芝居にも映画にも行けないで、趣味は図書館から借りてきた本の読書と近所の公園の散歩ですという日も来るかもしれません。でもまあ、それしか出来ないならそれでもいいじゃんと思う私です、とちょっと無理して言っておこう・・・・。

 

で、なんでかいつも最後はホラーチックな話です。

そこでの話の一部は実はブログにも書いてある話です。「オカルト倶楽部」のカテゴリーで書いているのですが、話すのと違って意外と書き始めると、自分が怖くなって自滅です。それで記事数3。しかもツイッターで公開しながら書くというビビり振りです。→ここ

先日実家に行きました所、家の主たちは不在で、私は鍵を開けみんなが帰ってくるまで留守番をしていました。ふと父の部屋に行ってみると、母は何を考えているのかと思いましたが、以前書いた記事に出てくる髪の伸びる人形がその部屋に飾ってあったのです。

「なんだか前に見た時よりも、この人形、邪悪っぽいな。」と私は思いました。思った途端にゾーッとしました。

急いで仏壇のある部屋に逃げこんで「この部屋には入ってくるわけがないわ。だけど早く誰でも良いから帰ってきて。」とブルブルと震えていたという・・・ちょっとお馬鹿な話を最後にしました。

だって「入ってくるわけがないわ。」って、何がですかって自分に言いたいわ、私。

(だけどその人形のことは極稀に思い出すと、困ったなと思う項目の一つです。)

恐怖の感覚は人それぞれであって、なかなか人には伝わりづらい部分もあるのですよね。

「まあ、自分の想像力に負けちゃったようなものなのよね。」と私が言うと、

「でも分かるわよ。私も今電車に乗れないの。」と友人が言いました。

―あっ、なんか今変な人の集まりのような気がしてきましたが、そうでもなく結構普通の主婦の集まりですから。

「だってね。この前久しぶりに電車に乗ったら、髪とか肩とか、なんかが触る感じがして、うわぁ気持ちワリィッて思っていたら、ふと気がついたら横に座ってる人がちらちらこっちを見ていて、前に座ってる人がじっとこっちを見ていたの。めちゃくちゃ気持ちが悪かった。」

私はこの人とは20代の頃からの付き合いで、このような話をされても驚くこともありません。結構この手の話が多いのです。今流行の「友」という言葉を使うならば、所謂ホラ友です。

「事故車両だったとか?」と私が言うと

「うーん。たぶん私電車に乗っても電車だけが走ってて、そのスピードに乗って行けてないんだと思う。」

モップ繋がりの友人が不思議そうに言いました。

「えっ、そんなのってあるんだ。電車に乗ってるだけなのに・・・・。」

そう。電車に乗っているだけなのに電車と自分の感覚が一致しない。そういうこともあるんじゃないかしらって、私は思います。だけれど

「でもさ、それ、分かり辛い。もう、『気をつけ、霊』で良いじゃん。わかり易よね。もうその車両は事故車両だったってことで。」とまとめは雑です。

「でも私、やっぱり電車に乗れないな今は。」と彼女が言ったので、何でも自慢したがりの私はすかさず言いました。もしくはある種の話題転換術です。

「あっそう。でも私、明日電車に乗って赤羽まで行くんだ~♪」

すると間髪入れずに彼女が

「赤羽、気をつけて。」と言ったのです。

 

※長くなったんで続きは明日お日様が昇ってから。

しょうもないことをダラダラ書いてるなあって思いましたか。まあどこに落ちていくのか、その気になったら見届けてくださいませ。

 

おまけ

 

 

 

 


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十月桜ですよ。

2014-11-14 23:45:55 | 梢は歌う(日記)
 
父からの贈り物
父は本当は11月13日の自分の誕生日に死にたかった。世の中ままならぬことは多いが、病気などの自然死においては死ぬ日の予定日ほどままならぬものはないと思う。私や姉が、4月の終わり...
 

 

そうか。

あれは偶然じゃなかったんだー。

※      ※      ※

起きる時間が夫と私は違う。だから私は目覚ましにスマホを利用している。寝る前にそれを手にとって見ると、伝言が入っていた。よくあることだ。家にいることが多い私は、携帯に電話が入っても気が付かないことが多くて不携帯電話と言われている。出ない電話に伝言機能が働いてしまうが、ほとんど何も言葉が入っていない。

だけれど大事に取ってある伝言の声が設定数オーバーで消えてしまうので、こまめに消去しておこうと思っている。

大事にとってある声というのは、それはたった一件だけ残っている父の声なのだ。

「あー、☓☓ちゃん、何時くらいに来るのかと思ってね。」

そんな伝言の声。

かと言って、その声をいつも聞いているわけじゃない。

だって悲しくなってしまうもの。だって涙が出てしまうもの。

 

でも昨日、声の入っていない伝言を消そうと思っていじっていたら、指がするっと滑ってイキナリ父の声が流れた。

「あー、☓☓ちゃん。」

父の声は柔らかい優しい声だった・・・・・。

 

メールチェック、あまりこまめじゃない。

だけれど、今日は用があってメールを開いた。

そしてその時にいつもgoo が送ってきてくれる去年の記事を読んだ・・・。

ああ、そうか。昨日は父の誕生日だったんだ。

 

お父さん、ごめんね。

私、忘れていた。

お父さん、85歳の誕生日だったんだよね。

 

でも私ね、昨日は日が落ちる直前にお父さんがくれたカメラを持って十月桜の写真を撮りに行ったんだよ。

私はこの公園で花にカメラを向ける時いつも思い出すんだ。

ブログに載せた写真をいつも見てくれていたお父さんを。

そしてちょっとだけ寂しく思うんだー。

 

ちょっと雪のようだよね。

 

 

 

 

 


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グーグーだって猫である〈 #wowow のドラマ〉

2014-11-11 14:26:17 | テレビ・ラジオ

ひとつ前の記事は漫画の感想ですが、今回はWOWOWでやっていたドラマの感想を書きます。

何とも大げさな言い方ですが、ささやかな事にでも良い方向に運命は導いてくれていたのだと思います。作者である大島弓子さんの作品が大好きで、だからこの作品も好きで、そして映画の「グーグーだって猫である」も大好きだった私は、当然のようにこの作品を見始めました。

だけれど特に深くのめり込むと言うわけでもなかったので、なんとなく見ていました。時にはジーンとしたりしみじみとしたり、涙ぐんだり、だけれど寝てしまったり・・・・・・。〈いや、たんにこの時間帯が眠いだけ。本当は寝たくなんかないんですよ。〉

そんな中で、ふと立ち寄った本屋さんで目にした「キャットニップ」の本。

それを読んで一気に「グーグー・・」の続編を読まなくてはという気持ちになってしまったと言うことは、「キャットニップ」の本の感想の中でも書きました。

その「ぐーぐー・・」の漫画の感想の中で、5巻は中古新品だったと書いたのですが〈チネネチと〉届いたのも6巻の後。だから注文してから読み始めるまで1週間が経ってしまいました。

そしてそれを読み終えてさめざめと泣いた後に、そう言えば今日はドラマの「グーグーだって猫である」をやる日だなあと思いました。

―そうか、だからか。

その時になって予告編の

「ありがと、グーグー。」のシーンの意味が分かったような気がしたのでした。

 

ゆるゆるとしたテンポのその癒し系のドラマが、まさか4回で最終回を迎えるとは思ってもみなかったのです。もっともっと続くものだと勝手に思い込んでいたのでした。

ちゃんと確認しときなさいよ、あなた、と言う所ですよね。

最終回でいきなり15年後。

もしも原作を読んでいなかったら、この急展開に動揺して見るべきところも見逃してしまったように思います。

 

そう言えば昼間、漫画を読みさめざめと泣いていると、通りかかった夫殿が

「漫画で泣くんじゃないよ~。」と言いましたが、

「ほっといて下さい。」と言っておきました。それしか言うことがないですよね。

 

映画版と監督は同じ犬童一心。大島弓子の作品を何度か映画化している監督だからこその描かれ方がされているように感じました。

キャストも主演の宮沢りえ以外にも長塚圭史・黒木華、田中泯 、岩松了、少女時代のヒロインに市川実和子、最終回ゲストには菊地凛子と豪華版です。

音楽もこのドラマにぴったりで挿入歌は高田漣の「パレード」。

4話を見終わって、まるで映画を見終わったような感じを受けました。

 

 

映画と言う言葉を出したので、映画版との比較をちょっとだけ書いておきます。

グーグーがやって来てそして去って行くまでの15年の間に大島弓子さんにもいろいろな事がありました。映画版では彼女の身に起きた出来事、つまり癌告知とその克服が描かれていて、その彼女を支える周囲の人とそしてグーグーとの触れ合い、前の猫のサバとの別れがメインだったと思います。その時だって凄く若かったと言うわけではありませんが、やはり仕事に対しても精力的で登場してきた男性に恋の物語を期待させるものがありました。グーグーも子猫で、病気のエピソードがあったものの映像の中でヒロインには「動」の強さを感じさせるものがありました。

 

ドラマ版は4巻までの漫画の感想で唯一ネタバレで書いた、たまのエピソードを用いてグーグーとの出会いが描かれていました。映画版でも私の心を突き刺した「8月に生まれる子供」が大きく取り上げられていましたし、犬童監督とはピキッ!と来るところが一緒なのかもしれません。

サバを失ってペットロスになってしまった、ドラマの中の主人公小島麻子。公園のホームレスが抱いていた猫が気になって・・・・。

「この猫、貰ってくんない。」

「えっ!?」

「この前、目があったでしょ。この猫が必要なんだと思ってね。」

 

それがグーグー。

最終回では病院で

「お前さん、大事にされてきたね。」とお医者さんに言われます。

このドラマの中ではグーグーは公園に捨てられていた子猫だったわけですから、それを優しい男性に拾われて麻子さんの元にやって来て15年。

幸せだったと思います。

たくさんの猫は出てくるのかなと思ったら最終回ではちゃんと出てきました。外猫に餌をやる姿も描かれました。

だけれどこのドラマは麻子さんとグーグーの物語なんですね。だからドラマの中で他の猫たちはその名前を誰も呼ばれなかったのでした。

 

物語は過去の自分とそのエピソードが多くの割合を占めていました。それが今のなんらかと繋がっていくのですが、それは静かに描かれた未来を指示していたように思います。


そして「グーグーだって猫である」で第12回手塚治虫文化賞短編賞受賞しました。その授賞式でかつて自分の周りにいた者たちもそれぞれの道を歩いていて、なんとなく麻子さんはぽつんと一人ぼっちなように見えるのです。そのシーンでも他の編集者に

「またうちでも描いてくださいよ。」と言われると

「なんか疲れちゃって・・・。」

「そうですね。先生のは密度が濃いから。」と言う会話が印象的に心に残りました。


2008年の映画の時とは、同じ監督でありながら描かれ方が全く違います。


人生の季節には暑い夏もあれば静かな秋の日を迎える時も来るのです。

wowowの特集記事のあらすじの言葉を借りるならば

「自由に生きることを選んで引き受けた覚悟もある。」


授賞式の帰りにふと立ち寄った公園で、幻想の中で麻子さんはかつてのホームレスの男性と再会します。

「なぜ私だったのですか。」

ふと気が付くと、目の前にはサバとグーグーが・・・。

ハッと気が付くとそこには誰もいません。


ポツンと一人に見えても、それと向き合って生きる麻子さんの強さを感じます。そしてその彼女を支えてきたのは周りにいた人々と、そしてここまで生きてきた自分自身なのでした。

彼女は家に向かって歩き始めます。その足取りがだんだんどんどん力強くなっていくのです。

「ただいま~。」とドアを開ければ、13匹の猫たちが彼女の帰りを愛らしい瞳を向けて待っているのでした。


その肉体や精神の力は加齢によって衰えるものかもしれません。だけれど人はいくつになってもゆっくり伸びる木のようにその成長を止めないものなのかも知れないと、私は最後に感じたのでした。



―夜、ドラマを見ながら「うううっ」と泣いていると、一緒に見ていた夫殿が振り向いて

「おい、ドラマ見て泣いてるんじゃないぞ!」って。

「ほっといて下さいよ。」です。

まったく~!!―


このドラマのように日をまたいでも、じわじわと心に染み渡っていくものは、本当に好きです。良いドラマだったと思います。

大島弓子様、是非また長編も描いてね。

大好きなんだから♪


素敵な画像と言葉がいっぱいのwowowの特集記事は→ ここ

映画の感想は→ここ

「グーグーだって猫である〈5〉〈6〉」の感想は→ここ

 


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