森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「まっ、いいか」なんて言っている場合じゃない、2011.

2011-12-31 17:55:04 | 梢は歌う(日記)

いつも年末は「まっ、いいか」と言う記事を書くことになっています。
やりかけの仕事があってやりきれなくても、目標を達することなく今年が終わってしまっても、そんな事は気にしない。大掃除がとうとう出来なくて、家の中がぐちゃぐちゃで一年が終わっても、掃除なんてやっていられないほど忙しい日々を過ごしていたのだから、他の人と同じテンポじゃなくても気にしない。

最後は「まっ、いいか。」と言って締めくくる。

そんなノリが大切ですよ。

 

だけど今年は、やっぱりそんな言葉では締めくくってはいけないのだと思います。

今年を普通に終わらせたかったけれど、叶うことなく天上に旅立たれた多くの皆様のご冥福を心の底からお祈り申し上げます。

今年日本で起きたことは、ずっとずっと忘れてはいけない事だと思います。

いいえ、忘れられるわけがありません。なぜなら地震、津波だけではなく、その後の人災である原発事故の被害は継続中なのですから。

世の中には、そんなの気にしないわと言うポーズを取る人もいますが、特に私が知るところでは、おばちゃんに多し。そんなポーズを取る人がさながら聡明ぶって、一生懸命情報を集め行動を取っている人を低く見るのだけは許せないような気がします。これからも自分の目で真実を探し見極め、自分の頭で考える人であり続けたいと思っています。

 

今年の纏めをするならば、地震、津波、原発&病気に尽きてしまうようなのですが、実は私的にはそうでもありません。私の悩みと不安と心配の種は別の所にもあるのですが、自分が病気になってみると、その事が自分の首を絞めてしまう様な気がして、しばらくは考えないようにしようと思っています。
こんな時でも、なぜか私のお仕事だけは順調です。今の体力では昔のようには出来ませんが、それでもパートに出てるくらいの収入があるので、それこそ「まっ、いいか」と思っています。

何も宣伝もせず、自然消滅で良いやと思っていた割にはしぶといのです。

病気になってヨロヨロしているのに、仕事を止めないのかと思う人もいるかもしれませんが、いつか止めようと思っていた今の仕事を、今の私には止めるという選択肢はありません。そこの部分は、自分が病気になって一番分かった事なのだと思いますが、やっぱり「人はパンのみに生きるにあらず。」なのだと思うのですよ。

もちろん私の病気は死に至る病気ではありませんが、死ぬまで生きていたいと私は思っています。その為に今の仕事は私には必要なものなのです。

と言っても、「もう、あかん」と思ったら、たぶんその翌月には止めているかも知れません。「固執しない愛」でいこうと思っている私と仕事です。だけど、こんな私の家を選んで来てくださっている皆さんに本当に感謝しています。と、ブログの中で書いても直接には伝わらないと思うのですが、気持ちは以心伝心で何気にきっと伝わってくれると信じています。

来年も私、心を砕いて身も砕いて頑張りますよ。あっ、訂正。身は砕かない。死んでしまうから。そこの部分は無理しないようにやる事にします。

 

ブログに関しては、今年は結構自分で言いたい事を書けてきた方だと思いました。その時は、別に病気だったわけではないのに、ブログのあり方などについてもしっかり書いてあって、自分でそこを読み直し、来年の目安にしようと思いました。→「今日この頃は

ブログにて書きたかった事、「100年平安に生きるという事」のシリーズや「ばべる」は、その中のひとつですが、夢の話や予知については、私には大事なテーマです。

もしもそのテーマでブログを語るならば、今年初頭、今年一年の決意をこめて書いた詩「僕は見るよ」は、一番自分を驚かせるものがありました。何でこの詩を書いたんだろう、私。

だけど、この詩に私はかなり励まされたように思います。
辛くても、目を背けずに見るって言ったよねと自分と対話する事が出来たからです。

でも今年の新年には、見るべきものが、こんな辛いものになるとは微塵にも思ってはいなかったはずです。

 

夫が横で、
「今年は本当に凄い年だったな。だけどそんな年にも終わりが来るな。」と言いました。

そうです。辛かった2011年、未曾有の年は終わりを告げるのです。

来年こそは、明るい未来がやってきてくれますように。
そして明るい未来を自らの手で拓く力を、私自身が手に入れることが出来ますように。

 

また今年、私のブログに訪れてくださった多くの皆様、ありがとうございます。

私は来年もここに居て、過去を想っていたり今を見つめていたりしています。

どうぞ多くのネットの森の中のその中のささやかな1本の木である私の所に、来年もお越しください。

 

それではまた、良いお年をお過ごしくださいませ。

 

 

 

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ちょっと照れながら・・・

2011-12-28 22:44:38 | 梢は歌う(日記)

昨日は、今年最後のお仕事の日でした。

でも同じ日に、家のローンの事で大事な手続きがあったり、翌日の今日、又も検査の日なので朝から意識して検査食を食べていたりで、なんだかちっともシミジミとしたものがありません。

余り調子が良くないので、もしかしたら検査も出来ないかも知れないと、いろいろな事で頭がいっぱいです。

加えて、年末は子供たちの仕事も結構ハード。風邪など引かないかと心配していたら、夫が調子を崩して早退して来ました。

私は今、この人を本当に頼りに生きているんだなと、こちらの事ではシミジミとしました。彼が調子が悪いなんて言われると、凄く不安になったりもするのです。せっせとありきたりな事ですがいたわっていたら、ふと、「ろうろう介護」とか「にんにん介護」とか言う言葉を思い出しました。所謂「病病介護」と言うところかしら。病人が病人を介護する・・・・

まあ、私たちは同じ年ですから、この先もいろんなことがあるかもねとおかしく思いました。

おやっ、・・
何気に重要な個人情報を書いてしまったかしら?

 

それはともかくとして、そんなこんなでちっとも年末の意識が湧きませんでした。

でも昨日の最後のお仕事の時、ふと、帰り際の子供に「良いお年を」と声を掛けました。

年末の最後に会う人々の、普通の挨拶。

「どうぞ良いお年をお過ごしください。」を簡単にして「良いお年を」と、さよならの代わりにいう言葉。

だけど大人同士だと、普通の挨拶なのに子供に使うのは、ちょっと照れくさいものを感じてしまいました。普通は子どもには使いませんものね。でもそれは子供たちも同じ。子供は余り使わない挨拶だと思います。

だけど使わないから死語になって言ってしまう言葉もたくさんあると思うのです。

今年は最後にその挨拶をすると言うのが、一瞬で決まった昨日のテーマになりました。

子供たちも、そして私もですが照れながらもニコニコと「良いお年を~。」と言って帰って行きました。

 

しかし流石にそんな言葉を繰り返していたら、いよいよ年の終わりが差し迫ってきたと言う気分にようやくなってきました。
やっぱり言葉には言霊があるんだなと思いました。

「良いお年を~」「良いお正月を~」「良い新しい一年を~」

 

ああ、いよいよ年末ですよ。

でも仕事が終わっても、今年最後の病院の診察が明日。それが終わるまで、何か終わったと言う感じがしません。
ちなみに今日の検査は無事に終わりました。何でも二回目は一回目よりコツを掴んでいるみたいで、薬も上手く飲めましたし検査も痛くもありませんでした。明日が終われば、又ひとつ先に進めそうです。

 

 


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「相棒」いろいろ

2011-12-27 08:01:24 | ドラマ(相棒)

おはようございます。
昨夜、寝る前に書いたブログ記事が日にちがずれて、今日になってしまったので、本日二回目の投稿になってしまいました。
でも、ちょっとだけ「相棒」のお話を。

ふと気まぐれに、朝HPを覗いたら、いろいろ情報が載っていました。

また「相棒」のツイッター情報には気になる話題が。

そこには「相棒の脇を固めるキャストに間近で会える!!相棒スペシャルファンミーティング開催!!」とありましたよ。
おお~!!   って感じ。

でもその応募は「相棒シーズン9のDVDやブルーレイに同封されていたハガキで応募しよう!」
・・・・・、まあ、そうでしょうね。
でもちょっと楽しそうじゃないですか。
と言うか、よく見るとこれはずっと前から応募していた事で、私以外はみんな知っていた?
まったく、うっかり・・うっかり・・

そして、なんと締め切り間近ですよ、皆さん。
12月31日までですって。
だからツイッターで呟いたのですね。

結構「相棒」ファンの方って、普通にDVDやブルーレイを買ったりしますものね。

曜日が金曜日なので、私はちょっと無理。

行かれた方は是非、レポよろしく~。
と、今からお願いしておきます。

詳しくは→ここ

相棒 season9 DVD-BOX I(6枚組)
水谷豊,及川光博,益戸育江,岸部一徳
ワーナー・ホーム・ビデオ

 

「相棒ブログ」の方には

相棒 シナリオ傑作選2
輿水 泰弘,櫻井 武晴,戸田山 雅司,古沢 良太,深沢 正樹,岩下 悠子,徳永 富彦,ハセベ バクシンオー,太田 愛
竹書房

のことが載っていました。「2」があるということは「1」もあるわけで

 

相棒 シナリオ傑作選
輿水 泰弘,砂本 量,櫻井 武晴,戸田山 雅司,古沢 良太
竹書房

やっぱり「相棒」はシナリオ命のドラマなので、こちらも興味がありますね。

しかしこれだけ張ると、さながらアフィリエイトのブログみたいになってきました・・・・(汗)

でもブログって、やっぱり画像があったほうが見やすいのも確か。挿絵は大事って事ですよね。
まあ、どうせ買われるなら、どうぞこちらからお求めくださいませ。

挿絵代わりに思い立った時にしか使っていない機能なので、いまだにAMAZONさんから何も良い事が無い私です・・・w
だけどそんなこったろうと思っていたでしょう。ふふふ・・・とごまかしておきましょう。

 

お話を「相棒」に戻すと、関東エリアですがいろいろ年末年始の再放送情報が載っていました。

一応、わざわざ飛ばなくていいように載せておきますね。でも、元は→こちら

「●12/28(水)15:00~17:25
season7元日SP「ノアの方舟」

●12/29(木)15:00~17:25
season8 元日SP「特命係、西へ」

●1/3(火)13:00~17:55
season5 元日SP「バベルの塔」
season6 元日SP「カシオペア」

●1/7(土)14:00~16:00
season9 第14話「右京のスーツ」
season9 第16話「監察対象杉下右京」

●1/9(月・祝)13:59~16:30
season4 元日SP「汚れなき悪戯」

●1/11(水)16:00~16:53
season5 第10話「名探偵登場」」

嬉しいのは、1月11日の9時からの「相棒」は「名探偵再登場」ですって。
名探偵は高橋さんが凄く良い味を出していて、愛すべきキャラでした。

元日スペシャルも楽しみですが、11日も楽しみです。

 

と言うわけで、又来年も「相棒」ではよろしくです♪

 

 

 

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気になる音楽

2011-12-27 00:28:49 | 梢は歌う(日記)

朝ドラ「カーネーション」を見ています。
ドラマの感想はツイッターで毎朝呟いていますが、又そのうちまとめて書く日も来るかも知れません。朝ドラは「ゲゲゲの女房」から嵌って、その後の作品は全部見ていますが、今度の「カーネーション」が、映像的にもググッと一番気持ちに迫ってきて、一番好きなような気がします。

たぶんですが、強い糸子は女性が好きな女性です。

見ていて元気が出ます。

そしてそんな糸子が気持ちを高ぶらせていく時に流れる太鼓のような音楽を聞くと、私の気持ちも高鳴るのです。その時の音楽のタイトルが分からないので、今の時点では、私は勝手に「私のだんじり」と呼んでいます。

買おうかな、CD。

 

カーネーション オリジナル・サウンドトラック
佐藤直紀
EMIミュージックジャパン

 

それから、もう一曲気になっているのは、「坂の上の雲」のサウンドトラックです。

この前の日曜日に終わってしまいましたね。凄く良かったです。

映像が映画並みに凄いなと思いました。

きっと模型を燃やしているんだろうなと思うシーンでも、とてもそうは思えませんでした。それとも今時は模型なんて燃やさないでも、CGで全部いけてしまうのかしら。なんかそれもそうとは思えませんでした。何かがちゃんと燃えていると言う質感みたいなものがあって、やっぱり凄い映像でした。戦争シーンの映像を褒め称えているからと言って、別に戦争賛歌をしているわけではありませんのであしからず。

ただ
タラララ~、タラリラ~と、この「坂の上の雲」の音楽が流れると、胸がキューンとなるのです。

男たちは戦い、女たちは祈った。
明治は良かったと言う者もいるが、本当に良かったかは分からない。
だけど彼らは皆明日を信じていた。

 

と言うわけで、こちらのサウンドトラックも気になっているのです。

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」オリジナル・サウンドトラック 2
久石譲
EMIミュージックジャパン

 

二枚買ってしまおうか、それとも順番に買おうか、どちらかを選ぼうか・・・
チョーが付くほどささやかなことで思案中。


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暮らしをカスタマイズする

2011-12-25 23:49:41 | 梢は歌う(日記)

12月22日は冬至でした。
この日はかぼちゃを頂いて、ゆず湯に入ると言う楽しいイベントがあるじゃないですか。

男の人は女性と違って、イマイチかぼちゃが好きと言うほどじゃないという人多いのではないですか。何と言う回りくどい言い方。はっきり言うと、そんなに好きじゃないと言う意味です。かぼちゃにまで気を使ってアホかな、私。

少なくてもうちの夫なんかはそう。

それでいつもかぼちゃはサラダにしたりトン汁に入れたりしていたんです。ちなみにサラダと言うのはポテトの代わりにかぼちゃで作るのですが、凄く美味しいのですよ。

でも22日は、ちょっとそんなの面倒くさいし、オーソドックスに煮物を作りました。かぼちゃが良かったのか、凄く美味しかったのです。そしてみんなが美味しいと言ってあっと言う間になくなってしまいました。

煮物はダメなんだとと言うのは、私の思い込みだったようです。

そしてゆず湯。

なんて幸せな香なんでしょう。ゆずの香って、本当に本当に良い香ですよね。思わず一句詠んでしまいました。

「ゆずの香に 狂おしいほど 冬を見る」

 

日々の暮らしはこんなふうにささやかなブロックを積んでいく事で成り立っているのだと思います。それが幸せ色のブロックならば、一つ一つは小さいけれど、オワリの時がきて、その自分の積み上げたブロックを見直したときには、その幸せ色で染まっていたら、ちっぽけな人生でも幸せだったと言えるのではないでしょうか。

  ※      ※       ※

 

ああ、アカン。

最近、ワタクシ、ちょっとそう思っていることがあります。今この思いは、自分にとって今後の人生を決める大事な事なので、未だにぼんやりとして明確に答えが出ていない事ですが、自分の為に書いておかなくてはと思ったので書くことにします。

私のイメージでは夏の疲れを引きずって、どんどん体調が悪くなってしまったと言う感じがしていたのですが、原因はともかく入院し治療し退院しました。その時先生が言った、「完治しない病気なので、難病指定されています。」と言う言葉を、私はどれだけ軽く感じていた事か。

私のイメージは
治療→良くなる→諸々を気をつける→普通の状態。

でも実際は

治療→良くなる→諸々を気をつける→悪化していく→諸々を気をつける→悪化していく→元の木阿弥→治療→ちょっと良くなる→諸々を気をつける→悪化していく・・・以下繰り返し。

 

あの退院は句点でも読点でもなく、単なるスタートだったのです。

11月12月で思い知らされました。ちなみに、まだ私はその病気に指定されているわけではありません。時間を空けて再検査をすると言われていました。なので、私の予定では本当に生活に気をつけて、再検査の後は「××さん、あれは勘違いでした。」と言われる事が目標でした。

でも食生活に気をつけることなんか爪の垢ほども・・・イヤ爪の垢ほどは関係はあるけれど、そんな事は関係なく諸々の数字が入院した時のように悪くなっていきました。

ってな訳で、「ああ、アカン」とぐらいは言いたくもなるってもんでしょう。

 

こういう時、絶対に人は「なんで?」「どうして?」と言う気持ちになるものじゃないかと思います。いわば気持ちのステージ1。
私はこのステージ1さえもクリアしていません。
私の人生になんでそんな事が起きるのだろう。私には似合わない。この奇妙な違和感はハンパなものではないのです。

でもそろそろ認めないわけには行かなくなってきました。

 

そうなると気合を入れて、だけどゆっくりと最初にやっておかなければならない事があるように感じる私です。

それは自分の意識と暮らしをチェンジすること。

例えばそれは早寝早起きの健康的な生活をしましょうなんていうレベルの問題ではない事は確かな事です。

それはどういうことなんだと考えてみても、上記の「未だにぼんやりとして明確に答えが出ていない事です。」と言うのは、その部分です。とにかく、ウン十年培ってきた、自分の食生活住生活を含めた生活を全部見直さなければならないと思うのです。好奇心の方向も。

 

とりあえずやる事は、今までやろうとしていた事やりたかった事、行こうと思っていた場所、憧れていた場所、いつもの行動パターン、全部捨てようと思います。

世の中には「断捨離」と言う言葉が、未だに流行っていると思うのですが、此処で「捨てる」と言う言葉を使うと、さながらネガティブのようにも感じるかもしれません。

誰かとしてきた約束は反故にし、今は何処にも行きたくはない、今は何もやりたい事などない。
そう言う状態に自分を戻して暮らしを組み立てよう。
そう思えたら、少しは気持ちが楽になりました。

そして・・・

「そして」の続きはありません。何せ「ぼんやりと明確でない事」を言葉に換言しつつ、未だに気持ちステージ1をクリアしていないわけですから、こんなものでしょう。

だけど、先日自分の気持ちをメモとしてツイッターで呟いておきました。再掲させてもらいます。

病気になると言う事は、自分を自分の牢獄に閉じ込めるようなものだ。早く元気になって、何処でもいいからどこかに行きたい。そして、私は自由だと呟いてみたい。だけどここではないどこかに思いを馳せている間はきっと自分に本当の自由はこないんだと思う。
12-24 00:35

「999」のテツロウは決して機械の体なんか貰わないんだ。そんな事は本を読み始めた最初から分かっている。大人になると言う事は、もう答えが出ている事を模索する振りをする事だと思う。
12-24 00:37

つまり「私は今」と呟き始めたこの瞬間には青い空に手をかざして「私はどうしようもなく自由だ。」と言っているシーンが想定済みである。そこに行くプロセ スだけを考えるわけで、とどのつまりは「私は今」と言ったこの瞬間には、私は私の牢獄から解き放たれて既に自由なんだと言えるのだと思う。

 

「ぼんやりと明確でない事」はこの文章を書き始めたときに、実は自分の中では形になり始めていたのかもしれません。なぜなら「捨てる」と言う発想は、最近までまったく無く、来年は今年出来なかった事を全部取り返してやると、私は静かに闘志さえ燃やしていたのですから。

さて白紙になった私、この先どんな風に自分の暮らしを組み替えようかなと思案中の日々です。


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悲鳴

2011-12-24 10:15:10 | 詩、小説

心の中の悲鳴を言葉に変えて

詩を書いていた。

ある時、余りに辛い出来事に言葉が死んだ。

私の中の悲鳴は

私の肉体の内部を切り裂いた。

そして私は病気になった。

 

私はいつも元気だ。

私はいつまでも若い。

私はずっと生き続けるんだ。

そんな神話も私の中で死んだ。

 

泣けばいいのに笑っている。

だけど時々目を瞑り、

自分の中の悲鳴を耳を澄まして聞いている。


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「家政婦のミタ」最終回

2011-12-23 11:41:12 | テレビ・ラジオ

のろのろゆっくり感想を書いています。

「家政婦のミタ」は今シーズン一番の話題作だったかなと思います。
一番の話題は、その高視聴率。
私はそこから勢いと言うものを学んだように思いました。ドラマの感想なのに固い事を・・・・
でも何からでも学んじゃうって言うのが、身についた習慣ってもんで・・・。
但し学んだ事を活かせるかは別問題なのでございます。

又もツイッターからの話をしてしまいますが、既に回数も重ねた途中から、何度も
「巷で話題の『家政婦のミタ』を今日から見てみます。」と言うツイートを見かけるようになりました。

つまり、最初は興味もなかった人たちが、世間での評判の高さを聞きつけて興味を持つようになったわけですね。

そして更に視聴率に拍車が掛かったと言うわけだと思います。

最終回の一回前は28.6の視聴率がありましたが、最終回前には総集編に近い特別篇が設けられ、最終回だけ見た人も多かったのではと思います。既にその視聴率が出ました。

なんと40.0。

大昔の紅白みたいじゃないですか。

「凄い」と言う噂が立てば、勢いをつけて数を上げていく。ブームを起こす勢いと言うものに、仕事をしている人は「何か」をそこに感じたのではないかと思ったりもしました。

 

物語の感想ですが、不思議な物語だと思いました。

コメディだと思っていたのに、いつの間にか感動ストーリーになっていました。

だけどいつも、なんとなくライター様に煙に巻かれているような気がしていました。

それでもドラマ的だましは好きなので、自ら好んで騙されて、毎回さめざめと泣いておりました。

 

特にミタさんが5分で語った壮絶人生は号泣ものでした。だって、炎の中から「ママ助けて」と子供の声がしたと言うのですよ。泣かないわけにはいかないですよ。だけど心の奥底のある部分では、「ちょっと~」と大爆笑している自分がいたのです。ミタさんの人生を笑っていたわけではありませんよ。これを書いていたライターさんの得意顔がふと脳裏に浮かんで、思わず表では大号泣、だけどいくつもある心のひだのそのひとつでは大爆笑をしていたと言うわけです。

なぜなら壮絶すぎますよ。

子供の頃、溺れそうになった自分を助けて死んでしまった父。それを灯(ミタさん)が殺したと思い込んだ実母に怨まれる。

そこからして、もう凄すぎる。

この部分を聞いた時、山岸涼子の「鬼来迎(きらいごう)」を思わず思い出してしまいました。

夜叉御前―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)
山岸 凉子
文藝春秋

この漫画は子供が生まれる前に読んだのですが、余りの怖さにブルブルと震えました。私が「怖い、怖い」と震えていたので、母がその内容を聞いて「そんな母親はいない。」と言ってくれたのが救いになりました。

だけど灯の母は、私の母が「いない」と言った母親・・・・・。

この先のミタさんの人生は、何も今更書かなくてもいいですよね。だって既にあちらこちらで紹介されているし、10人のうち4人の人が見たミタなんですからね。

その凄まじすぎる人生は、どう考えても昼ドラの内容に思えてなりませんでした。ちなみに昼ドラと言うのは凄いですねと、こんな所でその濃さを再確認してしまいました。灯の人生はまさに昼ドラのよう・・・。

かくして笑わない家政婦のミタが誕生したわけですが、物語の後半の灯の復活部分がインパクトが強すぎで、前半の阿須田家再生の物語の印象が薄くなってしまいました。だいたい阿須田家だって本当に「変」です。何故変と書かずに「」で括ったかと言うと、この家族を見ていると、いつかの年の一年をあらわす漢字の「変」と言う文字を思い浮かべてしまったからです。

お父さんは子供なんか要らなかったのに、優柔不断な正確なゆえに妻の凪子に押し切られての結婚。今まで父親の自覚も持てず、それを演じ続けていたことに苦痛を感じていたと言う、ダメお父さんでありながら、なんか現実にいそうな人でした。だけどそれならひとりにしておけばと思うのに、4人も子供がいるのですよ。

そうすると、お母さんは夫の恵一の愛をつなぎとめる為に次々と子供を産んだのだろうかと、つまり家庭に縛りつけるために4人も子供を産んだのだろうかと疑ってしまいます。だからその夫から離婚を切り出された時に、役に立たなかった子供たちのことを省みずもせずに死を選んでしまったのだろうかと嫌な気持ちがしていました。

だけどお母さんはずっと家を綺麗にし夫に尽くし子供たちを大切に育てていました。なんか奇妙な違和感をを感じていました。

 

だからミタさんが「お母様は事故で死んだのです。」と言うくだりは本当に泣けました。
そしてホッとしました。

この物語は、何げに灯の母といい凪子といい、男か子供かの二者選択をして男を選んでしまった悲劇のような気がなりませんでした。やっぱり男を選んではならんなと言う教訓と言うか・・・・

まあ、そんな事を考えるやつは極稀な事だと思います。

だけどうららちゃんはどうなんだろうと、又も考えてしまうわけです。男か子供か・・・と言っても、子供たちは姉の子供で姪と甥な訳ですから、子供たちを守る為に結婚を止めなくても良かったのではと思うのです。恵一と結婚なんてありえない事ですし。

ドラマの中では結婚を止めたことによって、相手の男性は幸せな決断が出来、メデタシメデタシになったわけで良かったわけですが、実際には彼女には他の人と結婚をして幸せになって貰いたかったです。もちろんあの気持ちのままではダメですが、自分も幸せになりながら、子供たちも守ってあげる事が出来る事が可能な事に気が付いて欲しかったと思います。

 

とにかく阿須田家は「変」な家でした。大人になりきれなかった父と母とその家族。夫の浮気が原因で自殺してしまった母と置いていかれた子供たち。それだけでチョーが付くほどシリアスな内容なのに、そこに笑わないロボットのような完璧に家事をこなすミタが要る。それだけでコメディになってしまう摩訶不思議さに嵌っていきました。

が、上にも書きましたが、ミタさんの秘密が分かってきた途端に、コメディではなくなってしまいました。

何だかどんどん罠に嵌っていくような気がしました。

私的には、その摩訶不思議さが気に入っていました。なぜなら笑わない家政婦ミタはロボットのように完璧。そして一つ一つのエピソードをこなして阿須田家は再生していくのですから。映像的にも月がどんどん満ちていく過程が、その不思議さを醸し出していたのです。

不思議さを裏打ちするように12月25日生まれのミタさんの事を、次男の海斗は三田をサンタと読ませて「サンタだったのかな」と言わせるのです。細かいことを言うと、私的にはこの思いつきは奇妙に気持ちが悪い。なぜならサンタクロースは12月25日生まれではないですよね。でもプレゼントに希衣のミタさんの石を渡すというのは素敵なエピソードでした。そしてお返しに渡した折り紙に書かれたメッセージに、又も涙が出てしまいました。

「ワタクシは希衣さんの事が大好きでした。」

 

そうして「変」だった阿須田家は見事に「変わり」、北極星のような道しるべであるみんなの家に帰って行く所で終わりです。

この時、あの「この坂を上ったら、木があります。」と言う歌詞にもっとメリハリの付いたメロディをつけて透き通った少年少女合唱団が歌うと言うバックと共にエンディングがあったら、そのサプライズにもっと感動できたのになと思ってしまいました。あっ、それは「11にんもいる」か・・・。

 

そして本当のラスト。これは「家政婦は見た」と同じ作りで、次の家に行く所で終わりです。一度は微笑んだミタさんですが、又元に戻っている雰囲気ですし、多くの人が続編を期待してしまうのではないかと思います。

でもやらないらしいですよ。

だけどこんなに人気があると、ライターさんがやらないつもりでも引っ張り出されてしまう事もあるかもしれませんよね。

ミタさんの過去がこれだけ晒された後では、どんな物語が出来るのか疑問です。ただ、もしも続編が出来るならば。ラスボス、灯の母が手付かずなので、そこが見所になるかもしれないと思うのです。

と言ってもやらないと言ってるのだから、やっぱり続編はないと思いますが。

 

えっ?
ミタさんが微笑んだシーンでは泣かなかったのかって?

ちょっとウルッとしかかったのですが、なんたって長い、長すぎる。あのシーン、子供たちにセリフを考えさせたと聞いたけれど、裏目に出たなと思いました。

だけど水曜日、楽しみに見てきました。終わってみると、なんかやっぱりライターさんに煙に巻かれたような気がしてしまいました。

だいたいミタさんはシレッと過去を語ったけれど、子供たちには聞かせるような話ではないし、まして本当に幼い子供に火事のシーンはキツイ、トラウマになるような話です。本当のミタさんだったら話すわけがないと思います。

 

要するに、これは子供たちが可愛かったから気が付かなかったけれど、大人達のメルヘンだったのかなと思いました。
だけど学校で「ミタごっこ」が流行っているそうですね。子供は何でも遊びですから。
と思ったら、姉は一人で「ミタごっこ」をしてるそうです。

「ここを片付けなさい。」
「承知いたしました。」
テキパキテキパキと家事をやる。

主婦には役に立ちそうです、ミタごっこ。


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2011-12-20 09:29:39 | お散歩&写真日記

「一体私たちってどれだけおしゃべりなの?」と私は友人に言った。
一年に一回ぐらいしか会わない彼女だけれど、今年は二回会った。二回目は、彼女と食事した後に、又久しぶりになってしまった友人の家に一緒に行く予定でいたのだ。だけど彼女とのおしゃべりが弾んで、既に3時間が過ぎていた。
「もう行かなくちゃ、行きそびれちゃうよ。」
「そうだよね。こんだけ話したからって、この半年のあなたの近況を結局知ったわけではないし。」
「本当だよね。そう言えば私、病気の話しかしていないし。」
「私はね、今年はあちらこちらに行って、紅葉を見まくったよ。」
「ええ~、何処で・・・ってまた話が始まっちゃうじゃない。何でそれを最初に言わない!!」
私たちは笑いあって、ようやく店を出た。

 

今年は家の周りの紅葉は余り綺麗ではなかった。
台風が来て葉が落ちてしまった後で紅葉が始まったからだ。

綺麗な紅葉を求めて、あちらこちらに行ったのか。
ちょっとだけ「いいな!」って羨ましかった。

でも今年はそれどころじゃない。羨ましいけれど、まあいいかと言うところ。

 

だけど、又別の日、用があって駅前まで出かけた私。
その帰り道で、その銀杏を見つけたのだ。
この街に何十年も住んでいる。
でもこの季節に、この木を見た事がなかったのだ。

三つの道路に囲まれた小さな小さな公園。囲いもなくてベンチがひとつ申し訳程度においてある。小さな公園なのに高い木が何本も植えられている。ここを通る人たちは、この場所を余り公園だと脳内で認識していないのではないかと思う。私もそうだったから。だからここの木が銀杏だなんて意識した事がなかったのだ。

 

 

こんなに輝いていたのにね。
街の中で。

 

 

松ぼっくりも銀杏の葉っぱも綺麗。

松ぼっくりは12月の飾りにはいろいろ使い道があるのよね。
綺麗な葉っぱは栞にしたい。

でも拾わない。

悲しいけれど、この地がホットスポットなのは事実なんだよ。

だけど、・・・
ほら見て。

町の街路樹の銀杏が貧弱だった今年の秋、周りの木々に守られて、台風の時にも葉を落とすことなく見事に色づいた小さな公園の大きな木。

 

ああ、いいな♪

きっと誰も気にとめもしない、だけど私の素敵なウォームスペースを見つけたよ。

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ドラマのお話2011秋

2011-12-18 12:14:33 | テレビ・ラジオ

またも今週と来週、最終回が続きますね。

今シーズン、楽しみに見ていたのは、巷で噂の高視聴率ドラマ「家政婦のミタ」、木曜日の「DOCTORS 最強の名医」、金曜日は「11もいる」、そして日曜日は「坂の上の雲」と言った所でしょうか。もちろん「相棒」は見ています。

そこに最近「謎解きはディナーのあとで」なんてチラチラ見始めたりしています。

なんたって初回が入院中だったので、夫に「あれ馬鹿らしい。」と却下されてしまっていました。だけどその時間帯は他に見たいものもなくて、なんとなく掛かるようになってきたのですね。

面白いじゃないですか。私は好きです、あの軽すぎるノリ。
「失礼ながら、お嬢様はアホでいらっしゃいますか。」って見下すような桜井執事がいいですよね~。

だいたい夫殿は「家政婦のミタ」も気に入らなくて、危ない所でした。何が危ないんだって言われると照れますが、たびたび書いていることですが、二台あったテレビの一台が壊れた時から、そこに本箱を置いて新しいテレビを補充しなかった我が家。それを決めたのは私自身だったのです。

パソコンはひとり一台の我が家ですが、私の家ではテレビは家族で一台で良いんじゃないかなと、思っているからです。で、見たい番組は話し合いです。夜のチャンネル権は主に夫殿に渡しているようなものですが、時々強く自己主張をするのです。時々なのでほとんど通るのですが、その自己主張番組と言うのは藤原君が極稀に出るトーク番組だったりするわけなのです。後は明らかに彼の好みではないだろうなと思われるドラマ。「ミタ」もそのひとつです。

ちなみに録画機能の機械もビデオが壊れてしまった時点で買い換えませんでした。あったらもっと楽しいかもしれないとは思いますが、なくても意外に困らないからです。どうしてもと言うものは実家に電話しています。

だいたい夫殿は、「女王の教室」の時だって、最初は文句ばっかりでした。
「酷い、ありえない、苦情殺到のドラマだ。」
「いやいや、だからさ、だからこそそれに見合う秘密があるんだよ。」

「ミタ」も
「ありえない。無表情すぎる。話がめちゃくちゃだ。」
「いやいや、だからそうなったしまった秘密と、この後の展開に目が話せないんじゃない。」

って、同じ会話のような。シナリオが同じ方。ちなみに「女王の教室」の時は最終回間近にはすっかりファンだった彼なのですが、今回は微妙です。だけど夫の反応なんてどうでも良いのです。「家政婦のミタ」は次回が最終回ですね。どんな終わらせ方をするのか楽しみです。
だいたい「家政婦のミタ」はそのタイトルをつけた時点で勝ったようなものですよね。

 

同じようにタイトルだけでインパクトがあったのは「11人もいる」。
このタイトル、タイトルだけで笑えます。萩尾望都の名作「11人いる!」を知っている者で、この作品を連想しない人はいなかったと思います。

だけれど単に大家族の話なのかしらと、疑っていましたが、クドカン脚本がそんなわけありませんでしたね。いるわけのない11人目は死んでしまった前の奥さんの広末さんでした。

「11人もいる」は本当に面白かったです。今まで見たこともない神木君が画面の向こう側にイキイキしていました。こう言うのを新境地を開拓したと言うのでしょうか。クドカンに何でもやらされていたと言う感じでしたね。

今までちょっと苦手だった広末さんも、好きな女優さんに変わってしまいました。もちろん加藤清史郎君は芸達者だなぁと思いました。
巷では今ブレイク中の子役の子との引き合いに出されて、その旬の時間とか賞味期限とか言う記事を。違う所で見かけたりしたのですが、そんなことを言ってる人は、このドラマを見ていなかったのかなと思ってしまいました。CMの数なんかを言ってるのかもしれませんが、地道に行って息が長いほうがいいですよ。俳優さんなんですから。

天才と持て囃されていても、芝居パターンが同じだと本当の意味で飽きられてしまいますよ。

このドラマで一番吃驚したのは、光浦靖子さんのキャスティングだったかも知れません。凄く良いお母さん役で、お父さんの実が惚れても無理はないという感じの女性でした。今までの光浦さんのイメージとはだいぶ違うような気がします。

彼女も歳を経て、今までの「変人キャラ」を捨てて素の堅物で真面目だった自分に戻ろうとしているのかも知れませんね。これは「うちくる」と言う番組でゲストだった光浦さんを見ていてちょっと思いました。

このオハナシも最終回はどう纏めるのかなと思ったら、「普通」ではなかったところが素敵でしたね。

実の弟のヒロユキが毎回お話の纏めのような歌を作って地味に歌っていましたが、それが凄く味があって良かったのですよね。その歌を家族合唱団として、あちらこちらで歌って歩くという、なんか素晴らしかったです。ヒロユキがひとりで歌っている時には、それなりのシミジミ感があり、みんなで歌っている時には、更に歌詞に感動するものを感じました。

そして実が出版した家族写真集には、なんと幽霊であるメグミも映っていたと言うオチで終わる所も良かったですね。

 

木曜日の「DOCTORS 最強の名医」、この作品、世間的には話題になっていたか否か。
でも我が家では受けました。

単純だったかも知れないですが、何処もつまらないところなんかない。
テレ朝は、こういうドラマを作るのが上手なんですよね。このドラマも最終回だって、凄く特別じゃなくていくらでも続編が出来そうな雰囲気です。いつか作るんじゃないでしょうか。

高島弟のくせのある役、良かったですよ。こういう役がようやく板についてきましたね。

言い方がちょっと偉そうですが、彼が良い人キャラを封印してと言うほどではないけれど、時たま目の淵にシャドウを入れて悪役路線に頑張り始めたころは、違和感が凄くありました。でもそれも徐々に良くなってきたように感じたのですよね。しかも今回の役のように、本当はどこか良い人のような役はぴったりだったと思います。

 

今日は途中でリタイアしてしまった「南極大陸」の最終回。
たぶんこの物語は最後まで見届けた時に始めて、何かが見えてくるのかと思います。残念ながら途中が辛すぎてリタイアでした。今年多くの人がやむにやまれない事情で、もしくは思いがけず、愛する家族である動物たちと別れなければならなかった年でした。何故、今年このドラマだったのか、私には大きな疑問です。

それでも逞しく生き抜いた犬たちの事を伝えたかったのでしょうか。

私にはこの企画が良く分かりません。

「もはや日本は戦後ではない。」

そんな男たちの頑張りの物語だと思ってみ始めました。だけど原作が「タロ・ジロの真実」・・・

言ってはなんだけれどがっかりしました。

視聴率がどんどん下がってしまったのは、キムタクのせいばかりではないと思います。

それでも最終回ぐらいは見ようかなと思ったら、1時間半のスペシャルで夫からクレームが入りました。彼が見ているWOWOWの「造花の蜜」も今日が最終回。重なってしまうので見られそうもありません。ちなみに「造花の蜜」は時々見ていますが、こちらは結構面白いです。

でも今日一番楽しみなのは、もちろん「坂の上の雲」ですよ~。

いっぱい心が動きすぎて、感想なんて気合を入れないと書けません。

ただこの大河ドラマを子供たちには見て貰いたいなと言う事と、こんなシナリオが書ける人が何故死んでしまったのだろうと残念だと、毎回思ってみています。

今日も楽しみです。

 

コメント (4)
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相棒ten9話「あすなろの唄」

2011-12-17 09:24:19 | ドラマ(相棒)

今回の「あすなろの唄」も面白かったです。

で、一番良かったのはラストシーン。右京さんの「グッ ジョブ」ジェスチャーは、ぐっと来ましたよ。

右京さんは言いました。

「あなたが重要な研究をしている事と、人を殺してしまって裁かれる事とはまったく別のものですよ。」

だけどそれを言った右京さんの言い方は、いつもの怒りの強さはありませんでした。

特命の部屋で、尊に
「何を考えているんですか?」と聞かれた右京さんは
「以前、君が考えていたような事ですよ。」と答えました。

それってどんなことだっけと思わず具体的な物語とセリフを思ってしまったのですが、私には分かりません。マニアの方で分かる方は教えてくださいね。だけどなんとなく内容は分かる様な気がしました。

残念。

本当に残念ですよね。

もしもこの事件がリアルなものだったら、地に叩き付けられた様な気持ちになるのは、関係者ばかりではないはずですよね。

スペシャリストは、その道の事だけを考えていてよ、まったく。
思わず本当にそう思ってしまいましたよ。

だけど、この事件には日本のある種の問題がくっきりと表れていましたよね。

技術の海外流出。今の日本には、それを止める力がないのでしょうか。

日本がエネルギーの供給国になる。そんな夢のような事が起きるなんて。その研究を国を挙げて守らないなんて考えられない。

でも今の日本の体質では、現実にありえることで・・・

あ~あ。

だからと言って殺人に及ぶなんて愚かすぎますよ←いきなりドラマの話に戻ります。
自分しかこの研究ができないと言う自負があるのなら、もっと自分を大切にするべきだったのだと思います。自分を大切にしようと思うならば、人など殺してはいけないし、相手は大切な「相棒」だったはずなのに。要するにこの研究には彼の力は無用と思ったこともその底辺にあると思います。

結果的には、その相棒を硫化水素で殺す事によって、自分の愛すべき研究対象のバクテクロリスも死滅させてしまったのは自業自得としか言いようのない事ですよ。自業自得どころか、人類の未来への多大な損失ではないのかと思ってしまうのですよね。

だから研究者は消えても、殺人を調べる為に採取したわずかなバクテクロリスを尊が保管していた事は救いです。
人材と言うのは、不思議と「次」の人が出て来るものだと思います。だから完全死滅でなかったと言うラスト、右京さんのジェスチャーが洒落ているなと心に残ったと言うわけです。

 

今回、記憶に残ったシーンは米沢さんの反抗期シーンでしょうか。でもこれ、実は米沢さんが気の毒ですよね。だって凄く上機嫌だったのに。あの後、きっと街に歌でも歌いに行く予定だったんじゃないかと思いました。米沢さんは趣味が多いし、なんとその中のひとつは、ストリートミュージシャンなんですものね。

右京さんのごり押し分析依頼に一見、「はいはい」といつもの米沢さんらしかったのに
「後で、紅茶の差し入れをします。」に「それは、どうも」と一回目は優しく、二回目はイラットした感じで言いましたよね。

珍しいシーンだと思いました。

だけどシナリオは櫻井武晴さん。

 

ところで、劇中で歌われていた「あすなろの唄」は・・・

あすなろ あすなろ あすはなろう
おやまの だれにも まけぬほど
ふもとの むらでも みえるほど
おおきな ひのきに あすはなろう       

アスナロはその葉が似ている所から、明日はヒノキになろうと歌われているわけですが、元々違う植物で、決してヒノキになる事はないのですよね。殺されてしまった人は、「育てる」と言う意味でこの歌を歌っていたと思うのですが、このタイトルには深い意味があったように思いました。

明日はヒノキになる事もなく・・・・

 

視聴率は15.1%。今季はこのベースで良いんじゃないでしょうか。肩の力を抜いていきましょう。

と言うわけで、今回が今年最後の「相棒」でした。

次回は元日スペシャル「ピエロ」。楽しみですね♪


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