夏草や 兵どもが 夢の後
ご存知、松尾芭蕉のあまりにも有名な句です。
今、「奥の細道」は中学三年の国語の時間に学ぶ事が多いようです。
もう数年前のことですが、ひとりの中学生の女の子の前で、何気なくこの句を読みました。ごく普通に・・・
ですが、その後は普通ではなかったのですね。瞬時に感動が押し寄せてきました。
ジーン・・・・・・
口を開くと涙が出そうになって、次の言葉が出ません。
「凄いですね。」と、私はかろうじて言いました。
すると少女は、にっこり笑って、
「学校の先生も、今の先生と同じでした。」と言いました。
その時、私ははっきりと知りました。
歳を取る事は、自分の歴史を重ねる事。重なった歴史は層をなし、思いがけない自分の中に模様を形作っていったのでした。歳を重ねていくのって素晴らしい事なんだ。歳を取る事は、若いときには分からなかった事の扉を開く鍵を得るようなものなのだと気がついたのです。
間が空いてしまいましたが、「国破れて山河あり」の続きです。(間が空いてしまった所ではありません。二年も空いてしまいました。実はこの記事も、2010年の4月24日に途中まで書かれていたものだったのです。)
この「奥の細道」を学ぶ時、その内容から必ず、杜甫の「春望」を一緒に勉強します。芭蕉は杜甫に傾倒し、その「春望」をベースに その「夏草や・・・」と言う句を詠んだのです。
昔、この句の舞台を、私は勝手に「関が原」だと思っていた時代がありました。だって、「夢の後」なんて、天下分け目の戦いの古戦場にぴったりだと思いませんか。
だけど舞台は奥州で兵どもは藤原氏。彼らが守ろうとしたのは義経。
北の地に、まるで独立国のように、その栄華を誇っていた藤原氏の滅亡。
奥州藤原氏の繁栄の事なんか教科書には一行くらいしか載っていません。教える先生のサジ加減では、テスト前にその名前を暗記する程度の事も多いと思います。
教科書に一行でも、その背後には膨大なドラマが展開しているのですね。
若い頃なら感激も薄かったかもしれない私でも、生きているうちに、源平に興味を持ったり、頼朝・義経に興味を持ったり、「春望」に感激したりした自分史があったから、その時の感動の波が襲ってきたのです。
ここからは、昨年山形旅行に行って立石寺でアレやコレやを感じた経験した私でなければ書けない部分ですが、芭蕉の句は感覚派と言う感じではなく、知識を土台にし悩み推敲を重ねて作り出す技巧派なのだと思います。故に庶民に愛されたと言うよりは知識階級に愛された句だったかもしれません。
私などもそう思った時から、少しだけですが芭蕉への愛が覚めたような気がしたものです。
でも、「夏草や~」の句は、その数年前の感動は薄れたかもしれませんが、それでも芭蕉への興味を引き付けてやみません。
その句は、確かに杜甫の「春望」を下地にしたかも知れませんが、明らかに違う事は、その見つめている「時」だと思います。杜甫は現時点の自分の嘆きを詩にしている、つまり「なう」を詩にしてるわけです。ちなみに「なう」って、もう古い感覚、そんな感じがします。チャライ言葉は、ヤッパシ寿命が短いな。
横道逸れていないで、話を真っ直ぐに繋げると、芭蕉が見つめているのは、現時点の古戦場でありながら、実は伸びきった夏草の向こうにある「過去」を見つめているのですね。そして、その句を読むと、過去にその句を読んでいる芭蕉の世界が迫ってくるのです。要するに過去を見つめる芭蕉、過去にその地に立つ芭蕉の世界観と、ドン・ドンと二重の過去が押し寄せてくるわけです。
伸び切った夏草は、ただ風にサワサワいっているだけ。だけど耳を澄ますと、男たちの怒号や雄叫びや蹄の音が聞こえてきそうです。そしてさらに、そこに立つ芭蕉の感性が流れてくる・・・。
17文字の世界観と言っても、世に残っていく句は、まさにまさにですね。
でも私がこの歌の世界に、ぐぐっと引き込まれたのは舞台が平泉であったからかも知れないなと思ったのです。二年前(既に経ってしまった事が奇妙な気がします。)に、脳内連想で書いていた事は、ここにたどり着く為でもあったのです。
「好きなものがある幸せ」というシリーズも書いていた事がありましたが、この句を、その日の夜読んだその時、私には好きなものが一つ増えました。