森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

夏草や・・・

2011-08-31 16:19:01 | 思いつくまま

夏草や 兵どもが 夢の後

ご存知、松尾芭蕉のあまりにも有名な句です。

今、「奥の細道」は中学三年の国語の時間に学ぶ事が多いようです。

 

もう数年前のことですが、ひとりの中学生の女の子の前で、何気なくこの句を読みました。ごく普通に・・・

ですが、その後は普通ではなかったのですね。瞬時に感動が押し寄せてきました。
ジーン・・・・・・

口を開くと涙が出そうになって、次の言葉が出ません。

「凄いですね。」と、私はかろうじて言いました。

 

すると少女は、にっこり笑って、
「学校の先生も、今の先生と同じでした。」と言いました。

その時、私ははっきりと知りました。

歳を取る事は、自分の歴史を重ねる事。重なった歴史は層をなし、思いがけない自分の中に模様を形作っていったのでした。歳を重ねていくのって素晴らしい事なんだ。歳を取る事は、若いときには分からなかった事の扉を開く鍵を得るようなものなのだと気がついたのです。

間が空いてしまいましたが、「国破れて山河あり」の続きです。(間が空いてしまった所ではありません。二年も空いてしまいました。実はこの記事も、2010年の4月24日に途中まで書かれていたものだったのです。)

この「奥の細道」を学ぶ時、その内容から必ず、杜甫の「春望」を一緒に勉強します。芭蕉は杜甫に傾倒し、その「春望」をベースに その「夏草や・・・」と言う句を詠んだのです。


昔、この句の舞台を、私は勝手に「関が原」だと思っていた時代がありました。だって、「夢の後」なんて、天下分け目の戦いの古戦場にぴったりだと思いませんか。

だけど舞台は奥州で兵どもは藤原氏。彼らが守ろうとしたのは義経。
北の地に、まるで独立国のように、その栄華を誇っていた藤原氏の滅亡。
奥州藤原氏の繁栄の事なんか教科書には一行くらいしか載っていません。教える先生のサジ加減では、テスト前にその名前を暗記する程度の事も多いと思います。

教科書に一行でも、その背後には膨大なドラマが展開しているのですね。

若い頃なら感激も薄かったかもしれない私でも、生きているうちに、源平に興味を持ったり、頼朝・義経に興味を持ったり、「春望」に感激したりした自分史があったから、その時の感動の波が襲ってきたのです。

ここからは、昨年山形旅行に行って立石寺でアレやコレやを感じた経験した私でなければ書けない部分ですが、芭蕉の句は感覚派と言う感じではなく、知識を土台にし悩み推敲を重ねて作り出す技巧派なのだと思います。故に庶民に愛されたと言うよりは知識階級に愛された句だったかもしれません。

私などもそう思った時から、少しだけですが芭蕉への愛が覚めたような気がしたものです。

でも、「夏草や~」の句は、その数年前の感動は薄れたかもしれませんが、それでも芭蕉への興味を引き付けてやみません。

 

その句は、確かに杜甫の「春望」を下地にしたかも知れませんが、明らかに違う事は、その見つめている「時」だと思います。杜甫は現時点の自分の嘆きを詩にしている、つまり「なう」を詩にしてるわけです。ちなみに「なう」って、もう古い感覚、そんな感じがします。チャライ言葉は、ヤッパシ寿命が短いな。

横道逸れていないで、話を真っ直ぐに繋げると、芭蕉が見つめているのは、現時点の古戦場でありながら、実は伸びきった夏草の向こうにある「過去」を見つめているのですね。そして、その句を読むと、過去にその句を読んでいる芭蕉の世界が迫ってくるのです。要するに過去を見つめる芭蕉、過去にその地に立つ芭蕉の世界観と、ドン・ドンと二重の過去が押し寄せてくるわけです。

伸び切った夏草は、ただ風にサワサワいっているだけ。だけど耳を澄ますと、男たちの怒号や雄叫びや蹄の音が聞こえてきそうです。そしてさらに、そこに立つ芭蕉の感性が流れてくる・・・。

17文字の世界観と言っても、世に残っていく句は、まさにまさにですね。

 

でも私がこの歌の世界に、ぐぐっと引き込まれたのは舞台が平泉であったからかも知れないなと思ったのです。二年前(既に経ってしまった事が奇妙な気がします。)に、脳内連想で書いていた事は、ここにたどり着く為でもあったのです。

「好きなものがある幸せ」というシリーズも書いていた事がありましたが、この句を、その日の夜読んだその時、私には好きなものが一つ増えました。

 


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歩き始めました

2011-08-30 00:50:15 | 梢は歌う(日記)

歩き始めました、人生を。

いやいや、違います。普通にウォーキングを再開させたのです。

でも何か「歩き始めました。」って良い響きをもっているなって思いました。

「幼子が歩き始めました。」「新しいこの道を歩き始めました。」って、力強いものがあります。それって「歩く」にも「始める」にもプラスオーラが潜んでいるからじゃないかしら。

 

さて、ウォーキングの件ですが、何故夏中引きこもりがちだったのに、急に思い立ったのかと言うと・・・・

先週の金曜日、久しぶりに平日のお休みがありました。今年の夏はチマチマお仕事をしていて、楽ではあっても平日の完全休業がほとんどなくて、精神的に限界が来ていたのです。だから何をするでもないこの金曜日は、凄く嬉しかったのです。

だけど本当は出かけようと思っていました。電車の時間や地図を調べたりしていましたが、どうも天気に難ありで、5時ぐらいまでと言う時間制限がありそうです。この予報は凄く当たっていて、うちのほうも結構降りましたが、東京では山手線が止まってしまいました。

だけどそんな未来のことは、その時は思いもよらなかったので時間制限があるのなら、目的地に行って帰ってくるだけでも良いかなと、リサーチにどんどん時間を取られてそんな結論に達しようとした時に、ふと主婦魂が蘇りました。行って帰ってくるだけでも1600円の交通費。無駄じゃ、ムダムダムダ。

―そういや「ジョジョの奇妙な冒険」は実写になるって噂が流れているのですが、うーん、なんか怖いもの見たさ的な興味がありますよ。―←蛇足

その時既に、悟ってしまいました。もう今日は出かけないのだと。

だけどそんなこったろうと思っていたさと、その後は郵便局に出かけ、帰りに寄ったケーキ屋さんで既に大雨に降られ、ずぶ濡れになってしまったと言うオマケ付きの午後でした。夕方どころか3時半には大雨です。

まっ、結局、自分の行動力のなさで助かりました。

しかしワタクシ考えました。行って、写真を撮って帰ってくるだけで1600円が勿体無いなら、勿体無くない行動をしようと。

そして計画を立て、さらにリサーチをしました。

そして結論です。

このままふらっと出かけたら、私は道の真ん中でパタリといく事間違いなしです。

と言うわけで、9月はトレーニングに励む事にしました。

えっ、何処に行って何をするのだって?

まあ、大した事じゃ在りません。そのうち分かりますよ・・・・

いや、こっそり止めて、うやむやにするかも。

何しろ3k歩いてヨロヨロですから。

あっ、でもここで言ってしまったのですから、少しは頑張ります。

  

テクテク

 

  

ふふふ~ん♪


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夏よ、お前を2011<勉強していますよカード>

2011-08-27 15:45:19 | 思いつくまま

=夏の想い出を語りましょう。=

清少納言が、「夏は夜」と言っているのに、ちっとも夜までたどり着けません。

やっぱり夏は朝が好きなのかもしれません。

 

夏の日のお勉強は、朝10時までの涼しい時間にやるのが、昔は常識でした。

「えっー、そうなの?」って、そうなんですよ!

だから10時前に人のうちに遊びに行くなんて言語道断、非常識の極みです。なんか怒ってるかって、そうです。子供たちが小さい時は、本当に自分勝手なお母さんが居て、その怒りは忘れられませんよ。

「10時までは駄目ですよ。」と言うと、外でずっと待っていて、10時と共にやってくるのです。

私はこういう対応が下手で、外で待っていたのを知っていたので、どうしても家に上げてしまっていたのですよね。子供たちも仲良しですし。でも何かの時に、やっぱり気分が悪くて、順番に遊びましょうと言った事があるんです。すると、その少年は、午前中はお兄ちゃんたちが家で勉強しているから、僕は外に出されるんだと言うのです。そのお兄ちゃんって、その子と一緒に遊んであげているラッタ君と同学年なんですよ。

自分の子供の勉強のために、弟を外に出し、その動向も知らないその子のお母さん。他の近所のお母さんが、そのことをさりげなく言ったら、「外で遊べばいいじゃないねえ。」って、まったく他人事ですよ。

お陰で、そのおうちの子供は今はお医者になっているんじゃないかしら。なんか、思い出すたびにそのお母さんの、自分勝手顔が頭に浮かんできて腹が立つんですよ。別にその時その子と遊んでいてあげたラッタ君がボンクラだからと言うわけじゃなくても、嫌なやつだったなと思い出すのです。ワタクシ、実は、良いことも忘れない代わりに、むかついた事も努めて忘れないようにしているんです。

体に悪いから、嫌な事は忘れた方が良いのだと、姉からも注意されているのですが、でもそれって違うんじゃないかなと思うのですよ。

ムカつく→心に引っかかる→考える

それこそ利口になるチャンスなのに、忘れるなんて勿体無い。

 

そして思うのですよ。

極稀には、そうは思えないなと言う人もいるけれど、政治家や官僚や重要なリーダー的人たちは、優秀な人が、つまりお勉強のできる人が一杯なっているのですよ。いや、なっているはずなのです。

それなのに、お勉強ではイマイチどころかイマニだった人たちから、「この国のお偉い人たちはBKなんじゃないか」と思われているのです。「利口なバカ」と言うのは既に社会権のある言葉ですよね。

なぜそう言うことが起きてしまったのか・・・・・と言う元の部分、つまりその源流に今、上で書いたような事が存在するのだと思います。

聡明な母は大切なのです。そして何が聡明なのかは、簡単には言えない事だと思います。

 

それはとにかくとして、タイトルの「勉強してますよカード」は、昔、夏休みの時に学校がくれたのです。友達の家に遊びに行っても玄関の所にそのカードがかかっていたら、チャイムも鳴らしてはいけないのです。ちなみに「勉強してますよカード」なんて書くと、なんかドラマ「時効警察」の「誰にも言いませんよカード」みたいですが。

そのカードはもしかしたら不評だったのか、一年か二年ぐらいでなくなってしまいましたが、今思うと良いカードだったのではと思います。

だけどそのカードがどうこうと言うより、そのカードの事を思い出すと、なんだか素敵な夏の朝を思い出すのです。

 

朝、普通に机に座って宿題とかをやっていた私と姉。その時、さぁあっと通り雨が降ったのです。

夏の日の履物は、パンジーのサンダルと決まっていました。私と姉は二人してきゃあきゃあと言いながら、門の所に掛けておいた「勉強をしています。」と言うカードを外しに行きました。夏の日の通り雨はキラキラしていて、とても優しかったと思います。雨が去った後の庭の木々もキラキラしていて、そして温度もグッと下がったものです。

その頃の夏の日は、暑いと言ってもせいぜい30度ぐらいで、31とか33なんて数字を聞くと、もう南国かと思ったほどです。

ああ、懐かしいな。緑の雨の匂いが・・・・。

 


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何事にも休憩は大切ですよ。

2011-08-22 00:03:47 | 思いつくまま

なんかご大層な事をこれから言うようなタイトルですが、何の事はありません。

「夏の暑さ」に言っているのですよ。

今日なんか涼しくて、もうあの猛暑は終わってくれたのかと思いたいけれど、これから厳しい残暑がぶり返すって言う予報も出ていますよね。出来たらその予報は外れて欲しいけれど、それでもここの所の異常な暑さが、ちょっと休憩してくれたのにはホッとできるものがありますよね。

「夏よ夏、そんなに頑張らなくていいからね。少し休みたまえよ。」とタイトルで言っていると言うわけなのです。

ほれっ、上の猫のようにグデッっとお休みしましょう。

今日はいろいろな事のおしゃべりです。

その前にもう一枚ダラリンチョ猫。

 

この猫の顔でも分かるように、お気楽なおしゃべりです。

ここの所、私の記事では「身毒丸 復活」の記事がよく読まれているようなのです。これは新しい身毒丸の矢野聖人と大竹さんの撫子の新たなる「身毒丸」のせいなのだなと思います。評判を知りたくて迷い込んだのかなと思ったら、どうも違うみたいです。なぜならまだ公演前でした。

大竹さんの「身毒丸」は、東京では天王洲銀河劇場で8月26日から9月6日までです。

もう間近ですね。

天才大竹の仕上げは如何にと言うところですが、それって既に他の番組で垣間見えているような気がするのですね。「それでも、生きてゆく」の大竹さんの、先日の一気独白シーンは震えが来ましたよ。死のうと思って湖周辺を彷徨い、そして自分と語り合い、起きた事と向き合おうと決意すると言う心の変化を、映像ではなく、台詞で語らせたのは凄いと思いました。途中で切る事無く一気に撮影されたのだと信じています。

先日の「江」の秀吉逝去のシーンの大竹さんの演技も重みがありましたね。今までで一番漫画的な秀吉を良く支えたと思います。

 

この「身毒丸」も見たいですね。

 

だけどちょっと今は予定がたたないので、行くという選択は難しいです。

予定が立たなくて、やっぱり諦めたのは「父と暮らせば」。こまつ座の公演ですが、公演日数が短いのが残念です。今週の水曜日までなんですが、やはり行ける日がないのです。がっかり~。

 

行く日がなくても、諦めたくないのは「モールス」。映画です。「ぼくのエリ200歳の少女。」のハリウッドリメイク版です。見逃しても映画の方はいつかテレビでもやってくれるので、本当はこれこそ諦めても良いのだけれどね。

後、「未来を生きる君たちへ」と言うのも面白そう。これも東京でしかやっていなくて・・・

 

それよりも、美容院に行った方が良いのかしら。

なんとなく髪がもっさりと伸びてしまったので、夫殿に、「そろそろ行ったら。」なんて言われてしまいました。

毎日ほんのちょっとずつでも、外出しづらい仕事の予定を立ててしまった今年の反省点です。

 

行けないものを並べてしまいました。まぁ、おしゃべりして発散してみたのですが。

とは言いながら、美容院ぐらいは行けよ、自分。

※     ※      ※    

いろいろおしゃべりと言いましたが、結局お芝居と映画のお話だけになってしまったので、最後はちょっと真面目なお話です。

今日買い物に行ったら、「ヤオコー」さんで東北応援と言うことで会津の野菜を売っていました。そこには旗が立っていて、原発からの位置と距離が地図で分かりやすく書かれていて、検査済みであることが書かれていました。平台の上の物は、ほとんどが売れて残りわずかでした。

そうです。こういう風にやって貰いたいのだと、前から思っていたし、どこかに書き込んでいなかったっけ、私。イヤ、奥様ランチの時に言っていただけかしら。

なんだかんだと言ったって、みんな迷いながら買い物してるんですよ。これは本音です。気にしない人は、本当にしていないのだけれど、別にその人が偉いわけじゃないんです。スーパーで売っているものは、みんな検査済みで大丈夫なんですよなんてことを最初誰かがいっていたように思うのですが、実際はそうじゃなかったでしょ。

牛肉だって食べちゃいましたよ。

心の中の疑心暗鬼の部分は、早々取り払われるものではないのですよ。

いつも行っているスーパーは、最近やたら福島産のものが多くて、そしてその産地シールが大きいのです。山積みの山が一向に減りませんよ。このシールの大きさは、実は「ヤオコー」さんと同じ気持ちの表れなのかもしれません。でも、それって買い手の気持ちがぜんぜん分かっていないのですよね。

消費者は迷っているんですよ。

その迷いを「風評被害」と言う言葉と置き換える、困った人がいるから困っちゃう。

迷える子羊には、リーダーの言葉。もしくはくっきりはっきりの明示された言葉が必要だと思うのですよね。

要するに「あ・ん・ぜ・ん・で・す」と言う旗を立ててねと言うことです。簡単な事ですよね。何も本当に「安全です」と旗を立てるわけじゃなくて、「検査済み」「検査済み」と売っている箱や籠にポップを立てていくだけなんだから。もちろん嘘はだめですよ。検査しなかったら、ポップなしで良いんじゃないかしら。だけどそうなったらポップなし野菜が普通に売れるものなのか、私には分からない・・・・。

 

しかし、その検査の安全基準が信じられないと言われてしまうと、またそれは別の話ですよね。

今日、こんなブログをツイッターから拾いましたよ。

平易な文で読みやすいと理解もしやすくて良いですよね。なんとなく言いたい事を代わりに言ってくれているような気がしました。

ふくしま新発売。笑わせるな  ←リンクしています。

 


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元気です 

2011-08-19 08:46:32 | 梢は歌う(日記)

元気です 吉田拓郎 2

 

夏風邪をひいたと言いましたが、20時間近くも寝てれば復活も早いと言うもの。

本当にあっという間に直りました。

だからお仕事準備も順調に終わりました。なんだか弱気に「出来る範囲で良いかななんて」とか言っていたような気もしますが、出来る範囲も出来ない範囲も実はなくて、やる事は同じなんですよね。だけどかなりの時間を費やしました。これって、なんか上手い方法ってないのかなとは思うけれど、丁寧にと思ったら早くやる方法なんかないのですよね。テキパキ以外には。

 

熱も下がった一昨日は義母も誘って買い物にも行きましたが、その後は義母の家でお茶とお茶菓子を頂きながらおしゃべりをしました。楽しいひと時でした。

義母は必ずお正月やお盆の時、みんなと集まって彼らを送り出した後の別の日、必ず私たちと買い物に行きそしておしゃべりをします。これって、あれだと思いますよ。宴の後のお茶漬け。私ら夫婦は義母にとって、お茶漬けの味なんだと思います。

寝込んでいた時に、「今日はうちに居るよ。」とわざわざメールをくれたので、夫だけでも顔を出せと言ったのに、私の熱が下がるまで待ってから行ったのです。次に行く映画の約束をしたり、近所の人の噂話をしたり・・・・
確かに夫だけじゃ、役に立たないわなどと思いましたよ。

ああ、やっぱり元気が良いですよね。

元気だったら何でも出来るような気がします。

でもその日、お昼に買ったおいなりさんを夜食べた時に、なんか変な味がしました。変な味と思ったのに、小さかったので既に食道を通過してしまった後だったのです。

その後ずっと気持ちが悪くて・・・・

何と言う迂闊な事をしてしまったのかとウンザリしました。でもそれはおかげさまな事に翌朝には治りホッとしました。

 

夏はいろいろ気をつけなくてはいけませんよ。
暑いからと言ってぼんやりうっかりしていてはいけませんね。

 

夏にはいつも悲しい水の事故のニュースが流れてきたりします。天竜川の川下り船のニュースはショックでした。自分自身が川下りなど大好きなものですから、人事には思えないようなものがありました。だけど座布団式の救命具って体裁だけのものだったのですよね。転覆するぞと言うときに、誰が冷静に、自分のお尻の下にあるものを取り出して腕を通す事なんか、出来るのかと思いますよ。

油断・・・

自分の周りにも、自分自身にも、気が付かないけれどそんな事がたくさんあるんじゃないかと思うと、怖いような気もします。

 

とにかく、元気で過ごす。そこを重要ポイントに10日余りを大切に過ごしていきたいと思います。

コメント (2)
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強制終了の日

2011-08-17 04:35:08 | 梢は歌う(日記)

夏風邪をひきました。

しかも突然。

昨日の朝、激しくおなかを壊しました。

前日行った、回るおすし屋さんがいけなかったのかしら。あの貝だけ美味しくなかったし。

でも、前日食べたもので翌朝、腹痛と言うのも考えにくいし・・・

しかも半端じゃないくらいダルイ・・・

それに凄く寒い。

寒いって何だ、寒いって。

急激に水分を失ったからかしら。熱中症の人がそうなるものね。

でもなんだかおでこが熱いみたい。

と言うわけで、熱を測ったら38.5ありました。

だるいし、寒いはずです。

と言うわけで、一日中寝ていました。横になっていたと言うのではなく、本当にグーグーと寝ていました。

夫殿があれやこれやとやってくれました。

明日からお仕事なので、今日はちょっと頑張らなくちゃいけないのですが、出来る範囲でいいかなと思います。

お休みに入っても、毎日バタバタしていて、ちっとも休んだと言う気持ちになれなかった私ですが、昨日は必要な一日だったかもしれません。

 

今はちょっと睡眠が上手くいっていなくて、それで疲れが抜けないのですよね。私は友人たちのように軽いものでも薬に頼りたくなくて、眠くなるまで本当に起きているのですよ。それがいけないのは分かっていたのだけれど、早く横になると胃液逆流するし、お腹が空いたなぁと思う頃に寝るのです。でも朝は無駄に早起きだし、お昼寝も決してロングでしないし、だけどそれでも大丈夫だったのですが、この夏は、暑さも違うので、疲れが蓄積していたのですね。

 

以前は大体お仕事で無理をして、それが転がる坂道を行くように歯止めが利かなくなるほど頑張り続けてしまうと、「眩暈」と言う持病でその生活を止められました。いわば、強制終了です。

「眩暈」に比べたら、一日潰してしまったけれど、ずっと楽。

今はそんなに仕事中心の生活ではなく、自分の不摂生が原因なので、これを機会に生活も改めなくちゃと思います。

病気は、今の自分を振り向かせ見せてくれるチャンスなのかもしれませんね。

 

だけどこんな時間に起きてきて・・・

だってさ20時間ぐらい寝たから、腰とかが痛くて。

でもやっぱりもう一回寝ますよ。

じゃあ、と言って、このまま明日の支度をする気分にはなれないもの。

やっぱりまだ元気じゃないです。

 

それではまた気力体力復活したらお会いしましょう。

えーと。

それって、あさって辺りだったりしてね。

 

 


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ごーろごろ。

2011-08-14 16:49:53 | 家族スナップ

子供をぎゅううと抱きしめる。
そんな普通の事が、子供の成長と共に普通には出来なくなるのが日本と言う国なのですよ。
だからそれが出来る時代には、思い切り、ぎゅううと抱きしめてあげてくださいね、お母さん。

 

※     ※      ※    

今年の夏、ちょっとお仕事頑張っているって書きましたが、歳には勝てなくて、すぐヨロヨロしてしまうのです。
午前中のお仕事が終わって昼食を食べた頃、その疲れに耐えられなくなって、ソファで横になっています。そのままウトウトする事もあるけれど、ほとんどがゴロゴロしているだけです。

そんな時に、お仕事に行くためにラッタ君がリビングにやってくることが多いのです。

「あのさあ、私、朝からこんな風に転がっていたわけじゃないからね。家事もやったし仕事もやったんだからね。」と寝転がりながら、言い訳をする私。嘘を言ってるわけじゃないから、「言い訳」って訳でもないけれど、その日に初めて会った時の姿がそれじゃ、何か一言言いたくもなってしまうのです、母としては。

「hahaha、知ってる。」とラッタ君。

 

そして、その後私にも午後の部のお仕事があって・・・・
そしてまた疲れてしまう私。

そしてまたソファと一体化する私。

夏のお仕事時間が変則的なラッタ君、予想外の時間に帰ってきたりなんかもして。


思わずワタクシ、

「あのさぁ、君が出かける時と同じ姿だけれど、別にずっと、ここに同じようにいるわけじゃないからね。」

「大丈夫ですよ~。知ってるから。」

 

知ってるからと言われると、ちょっと安心する私です。
でもきっとラッタ君の脳裏には、キリリと働くお母さんの姿よりソファでゴロゴロしている私の姿が焼き付けられていってしまうのかもしれません。

※       ※       ※       ※

そう言えば、私の母も良くお昼寝をしていました。なんたって4人も子供がいるんですものね。洗濯に食事の支度にあれやこれやで、疲れてしまって当然ですよね。今なら当たり前のようにそう思えるのに、子供の時の反抗期には、そんな姿がちょっと嫌な時もあったのでした。

専業主婦なんだから、私たちが帰るまでにお昼寝をして、そう言う姿を見せないと言う手段もあったのに、そんな器用な事が出来なかった母でもありました。

でも私、本当は母のお昼寝が嫌じゃなかったのです。

辛い時や悲しい時に、母と添い寝して同じ時を過ごすと、不思議と辛い事悲しい事と向き合って、また頑張ろうと言う気持ちになれると言う事に、ある日気が付いたからです。伊達に母の胎内に10ヶ月も居たわけではないのですね。もうあの小さな子宮には戻る事は出来ないけれど、その側に近づいて心を休めると、その体温とぬくもりからパワーが伝わってきて、不思議な力が沸いてくるのです

これはkiriy的発見です。

でも私の子供は男の子。

この発見が成長した男子には使えないのが残念です。

でもちょっと前ですが、ルート君にはかなり打撃的なことがありました。落ち込む気持ちを一生懸命耐えているのが分かりました。彼の部屋に行くと、折りしも布団でゴロゴロしていました。その傍らに行って、四方山話をする私。そのうちそこで横になり・・・

「ひぇぇ~、おばちゃん。寝るならソファーに行って下さいよ。」

「良いの良いの、話していたら疲れちゃったからちょっとだけ。」とか言いながら布団の端っこの方を借りて横になってしまいました。その時、ちょっとだけルート君が落ち込んでいる内容のことに触れてお話をしました。それからほんの少しだけ二人で目をつむって静かにしていたのですが、私が起きるというと、

「俺も起きよう。なんか知らないけれど元気出たし。」と彼が言いました。

 

日本にはハグと言う習慣が無いでしょう。今時じゃ、ドラマや映画では見かけるシーンですが。やっぱりリアルじゃ、そんなにはない事ですよ。

日本男子は、ひとり風に吹かれて立つのみです。頑張れ男子。

※     ※      ※

先日再び実家に帰りました。この前の墓参りから幾らも日にちが経っていませんが、今度は姉妹が全員集合です。

食べておしゃべりしてゴロゴロしてまいりました。

妹の一人は日帰りで帰りましたが、もうひとりの妹と私は泊まりです。翌日の朝、急に母の具合が悪くなりました。姉妹集合でいつもより仕事もあったとは思いますが、そんなにこき使ったとは思えず、どうもこの暑さにやられたのではないかと思いました。先日帰った日は異常に暑く、アルコールに弱い私なのに、思わずビールをお茶代わりに飲んでも、汗が噴出すので酔わなかったと言うそんな日でした。

母にはすぐに休んでもらいました。一番下の妹は方などのマッサージをするのが上手で、朝食の後、母の肩や腰などをマッサージしていました。私もその辺を片付けてから母の部屋に行くと、妹とおしゃべりしている母の声には張りがありました。

なんだかホッとしました。

やっぱりまだまだ元気で居てもらいたいのです。居なくなったら困ります。だって父と母はとても仲良しなんですから。

「ここに横になりな。」と母が自分の傍らを空けました。反対側には妹。

そっと横になった私を母はそっと抱きしめて

「私の子供」と呟くように、そして幸せそうに言ったのでした。

その時、思わず私がじわっと泣きそうになったことは、母には内緒です。

 

 


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相棒season4-2「殺人講義」&シーズン10決定

2011-08-12 17:07:17 | ドラマ(相棒)

私が「相棒」の感想を書き始めたのは、season5からなので、再放送で見た時に気まぐれに感想を書いてみたいと思います。単純に考えて、season4は今から5年も昔の作品なのに、古い感じがまったくしないですね。このブログを始めた頃、このseason4はやっていました。秋シーズンが来て、season5が始まった時に、ネットのブログ周りが楽しくなっていた私は、ドラマブロガー様の記事を回りましたが、みんな本当に口を揃えて「『相棒』はいいや。」と書いてあったのです。

こんなに面白いのに、・・・と言うわけで、私は私設『相棒』宣伝隊(隊と言っても隊員は一人)になっていたのですね。

まあ、上に書いた事は以前にも書いた事ですね。そして今ではそんな事は過去の事ですね。同じような気持ちで、サイトを開いて楽しい時間を与えてくださっていた方も、その役割を終えたと思われたのか、ブログを停止させてしまいました。

これもひとつの時代なのでしょう。

だけど私は結構しつこい方なので、最後までお付き合いしようかなと今思っている所です。

ところで、この記事を気まぐれに書こうと思ったのは、ある意味予感だったのでしょうか。

チマチマ書いている途中で情報が入りました。

season10、決定ですよ。10月から3月までのお馴染み2クールです。

「ヒラp伊藤仁の事件簿」に詳しい情報があります。→ここです。

あとこちらにも→ここ

 

 

と言うわけで、この『殺人講義』の感想です。

※      ※       ※       ※

 

幸せなうちに死んでいく人は、つまり幸せな人・・・・これは以前アガサ・クリスティの「終わりなき夜に生まれつく」を読んで思った事です。幸せでないのは、つまり殺人者の方なのですね。

裏切りの酷い事件ですが、幸せの頂点の気持ちのまま被害者の女性が死んでいった事は、微かな救いがあったと思いました。

 

『相棒』はさりげなくレギュラーでスターを作っていくでしょう。脇役もそうですよね。このマンションの管理人のおばちゃんも、この後も出演しましたね。

このおばちゃんの、自分を慕ってくれていた女性の笑顔を信じた故に暴けた犯罪でした。

 

のらりくらりの心理学者は、ある意味最強だったと思います。やりがいもあって右京さんは楽しそう。犯人は彼。そう思っていても証拠の決定打がない。最後に打ったのは芝居。

この教授、計画は万全でしたよ。自分で毒の入った紅茶を処分させようと、カビが生えた茶葉を入れておくなんて凄いなと思いました。でも、結局はそれで自滅してしまうのですよね。でも本当にそう言う可能性だってあるはずですよ。途中で人にあげてしまうとか不測の事態は、誰にも計算は出来ないのですものね。

そして、いつから疑っていたのかと言う教授の質問には、最初から。

スーツも靴もピカピカなのに、名刺入れにだけ皺があった。それは結婚指輪を入れた後だったのですね。

 

右京さんの突然の授業も良かったですね。

誰にでも殺人者になる可能性がある・・・・。

きゃ、怖い!!

 


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夏よ、お前を2011<その4>恐怖の白色レグホン

2011-08-11 02:19:19 | 思いつくまま

=夏の思い出を語りましょう=

今、学校で飼われている動物で多いのは、やっぱりウサギでしょうか。それともいろいろ問題や事件もあって、もはや小学校から飼育舎は消えたのでしょうか。

 

私が通っていた小学校では鶏を飼っていました。

それで小学校には鶏がいるものだと、長い間思い込んでいたように思います。実際に家が小学校に近かったので、大人になり結婚して家を出るまで、明け方などは鶏の鳴き声で、ふと目を覚ます事も度々ありました。でも何せ鶏の鳴き声ですから、うるさいとも思わずに普通な事だと思っていました。

ただ、明け方の鶏の声は、夜明けを告げるトキの声と言うふうに明るく聞こえてくる場合もあれば、時には悲鳴のように聞こえてくる時もあったのです。小学校を出てからも、多感な時代を学校が飼っていた生き物の声に、自分の気持ちを反映させて過ごしていたのかもしれません。

そう思うと、小学校の鶏と私の想い出は、あの夏の日だけの事ではなかったのかもしれません。

だけど・・・

あの白色レグホンは怖かったです。

 

もう「はるか昔」と言う言葉がぴったりの昔の想い出になってしまったので、細かい事などはもちろん覚えていません。私だけがお世話していたわけではないはずなのに、なぜか強烈に印象が残っている、怖かった白色レグホンの想い出です。

 

その頃は今と違って、学校には用務員のおじさんが常駐していましたし、学校の先生にもたまの登校があるだけで、しっかりロングの夏休みが存在していまし た。だから夏休みの鶏のお世話は、子供だけで係りのものがやったのでした。ちなみに用務員のおじさんのお仕事ではありませんでした。

しかもその係り、近所の子がやることになっていたのです。

一応、お願いされてですが

「動物大好き、生き物係」とか言うのじゃないんですよ。

鶏小屋は4つでクラスで分かれていたように思います。日付でクラスで当番が決まっていたと思います。当番の日は4つの小屋全部のお掃除と餌やりをしたのです。最初の部屋の鶏はチャボで、これは大人しくて良かったです。でも二組の白色レグホンは、本当に凶暴だったのですよ。

この鶏はまったく人に慣れず、そのくせよく育ち、やたら大きいかったのです。

確かこんな風にお世話をしていました。この鶏を、まず箒で置くに押し込めている間に餌箱をとるのです。そして餌を補充して、その餌を食べている隙に周りをササットお掃除するのですね。

だけど鶏だって、自由が欲しいでしょう。相手がびくついていると分かれば、隙あらば逃げ出しますよね。自由な大地に。

 

そうなると大変なんです。もはや格闘技です。

だって鋭いくちばしを持っている敵は、けっこけっこと言いながら襲ってくるんですよ。

キャー、キャー言いながら逃げ惑いました。

一度などは、自分の手に負えなくて、近所に住む男子に助けを求めて走った事があります。

その男子、今思うと幼馴染と言うポジションだと思うのですが、今はどうしているのかしら。残念ながら、私の「助けて!」に即、動いてくれた優しい男子とのその後のお話はありません。

その少年だって怖さは一緒だったと思います。だって本当に凶暴なんですよ。彼は手に怪我をしながらも鶏を小屋に戻してくれました。だけど校庭で子供たちが大騒ぎしていても、誰も大人たちなんか助けに来てくれません。と言うより、誰もいないんですよね。

 

この話、今だったら大変じゃないですか。

少年のお母さんだって、一言言いたいと思うのですよ。いや、今だったらですよ。昔のお母さんは、本当に大らかで鳥につつかれて怪我をしたと言ったら、消毒しながら
「暴れたら、食っちまうぞと脅かしちゃえ。」と言うぐらいだったのです。

だけど、私は昔のほうが大らかで良かったし、子供たちは多くの事を学んだなんて事はやっぱり思えないのです。
確かにそう言う面もあったと思うのですが、イヤむしろウサギ小屋の掃除とかなら、子供の責任で頑張らせると言うのもアリだと思います。でも、あの遠い昔の白色レグホンのお世話に関しては、とてもそうは思えません。

平気な子供はいたかもしれませんが、そうじゃない子も居たのですよね。

やっぱり嘴の鋭さと攻撃性を思ったら、子供には手に負えないし危険だったと思います。

こんな事を書いていたら、さらに思い出しました。その時の担任の先生が、ある時本当に気まぐれに、鶏小屋の掃除を始めたのです。なんか気に入らなかったの でしょうね。隅々が汚かったり臭かったりしたのかもしれません。非常に機嫌が悪くなって、そして何か言ったように思いますが、説得力が無かったので何も覚 えていません。

ちなみにこの先生は、人気の高い良い先生で、覚えている授業もたくさんありますよ。

だけどこの時、私は先生が自らやっていろいろな事をわかってもらいたかったのだと思います。

学校の先生が好きだった。だけど時々「なあんだ」と思うようになった。そんな頃・・・

夏が過ぎても当番は回ってきたのかもしれませんが、まったく持って記憶ナシ。

大勢の人数でドカドカやっていたから平気だったのかもしれませんね。

だから私とその白色レグホンとの格闘の日々は、あの夏だけの想い出です。

と言ったって、毎日じゃなかったのに、ちょっと大げさでしたね。

 

  ※      ※

本当は夏中お世話をしていました。

それは違った年の夏の日。

知っている上級生に連れられて、毎日毎日鶏小屋に通いました。

八百屋から菜っ葉を毎日貰って、鳥たちに食べさせました。と言っても、私は着いて行くだけだったのですが。

他のクラスの当番が気まぐれだった為に、その上級生が気になって通う事を止められなかったのです。

でもある時、他のクラスの気まぐれな当番からなじられました。気まぐれに来てみたらお世話が終わっているので腹を立てたのです。

「でしゃばり、おせっかい、余計な事をしてる。言いつけてやる。」と。

まるでそのこの子の方が悪いみたいに。

気の弱い私は、もう止めたらと言いました。


だけど、その子も気丈です。
「言いつけるって、何を?
自分がサボっていた事を?」

そしてその上級生は、

「だって来たり来なかったりしたら、鶏が可哀想じゃない。ずっと来なかったりしたら、死んじゃうんだよ。」と泣きながら言いました。

 

・・・・・・・・・・・・・・

鶏と夏。

そんな図式が私の中に在るのは、本当はこちらの方が比重が大きかったかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 


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西湖いやしの里根場(ねんば)

2011-08-09 15:39:24 | お出掛け日記

山梨へ」の続きです。

お墓参りを無事に終えて、ホッとした私たちは、父が教えてくれた「西湖いやしの里根場」と言う所に行きました。

此処は日本の原風景があると言われているところです。

21世紀に蘇った美しいかやぶき屋根の家々、本当に癒されました。

 

 

空も綺麗です。

 遠くから見た風景。

 入り口には、黒ヤギさん、白ヤギさんが居ましたよ。

 

そして中には下のような家々が続くのです。

 

 

 

これらの家々の中には、様々なコーナーがあって、今は夏休みなので子供向き体験も充実していました。なんとなくここで自由研究が終了しそうですよ。

 

 

万華鏡を作る体験とかやっている子供もいて、いいなあと思いましたが、そこで売っていたガラスの万華鏡にはもっと心惹かれました。でも衝動買い出来る金額じゃなかったので、諦めたようなものです。その万華鏡、本当に素敵でした。

でもなんでだか、この日はお財布の紐も硬く、心惹かれた物にもその紐は解かれなかったのです。いつでもぱっぱらしているような私ですが、気分によっては固い人にもなるのです。
・・・・、でもですねぇ、実は妙なものを買ったのですよ。

 

竹で出来ているおもちゃ。こすると先についているプロペラが回るやつと、三本の紐のどれかを引っ張ると思いがけない紐が引っ込むと言う不思議な竹。こんなもので遊ぶ子供はいないと言うのに・・・・。
いやいや、家に来る子供に空いた時間に遊ばせようかなと思いまして購入しました。すぐに飽きちゃうかもしれませんが、今日、早速出してあげたら凄く喜んで遊んでいました。

何気に、お仕事熱心な私です。・・・なんちゃって。

 

 

田舎屋の佇まいが素敵ですよね。咲き乱れている花々も素敵です。

 大きなアザミ。

 萩

 麒麟草

 桔梗

 

 ええと、これは分からない。

 橋の上から見た風景。表・裏。いやしの里は山の中、緑の中にあるのです。

 おまけ。

 

ここに居る時に、ゴロゴロと言う音が聞こえてきました。そのうち少し山の頂上に雷がピカリと光りました。ドキドキしましたが、姉たちはそう言う風景を楽しんでいたみたいです。車に乗り込んで西湖に周辺に来た時は土砂降りでした。

朝、出かけて来る時に、「山梨は雨」と聞いてきましたが、とうとう雨に濡れると言う事はありませんでした。

ちょっと立ち寄って、静かな湖の写真も撮りたかったのですが、それが出来なかった事ぐらいが残念で、後は凄く満足な一日でした。

「西湖いやしの里根場」のHP→ここ

 

オマケのお話ですが、一路横浜に帰ってきて、そして夕食は横浜名物サンマーメン。

実家に帰った時、これを頂くのも実は密かな楽しみです。

 

今年の夏のお出掛けは、もう一回実家に帰って、後は映画に行くくらいじゃないかなと思います。

でもなんか、ささやかでも非日常の時間を持つ事は、たまには良いものですね。


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