「約8年 その1」と「約8年 その2」の続きです。
ちょっと名都さんが生まれた日の事をお話ししましょう。
だけどその前に、なんだか知りませんが私が漁夫の利を得て、母に「天使に見えた。」と言われたお話をします。
姉の蝶子さんと名都さんは12歳差で一回りも歳が離れていて、私も10歳違いです。スノウさんと名都さんも5歳差。
そんな時に子供が出来たことを知らされた母と父の間では、なんだか理不尽な会話がなされていたらしいです。また誰とは言いませんが、他の人にも心無い暴言を吐かれ、母は傷つき心が揺れていたそうなのです。
その日、キッチンの引き戸を開けると、母が流しで何かを切り刻んでいました。
トン・トン・トン・・・・
その音が凄く元気がなかったのです。
肩を落とし背中も丸まって、母は見るからにしょんぼりしていました。
「ママ、どうしたの ?」
母は子供のまま大きくなったような人なので、こういう時に「何でもないわ。」などとは言いません。
「赤ちゃんが出来たの。でも誰も喜んでいない・・・。」
「えーっ !?
何言ってるの ?
大丈夫だよ。 誰もその子を可愛がらなくても、私が可愛がってあげるから。ママ、頑張って。」と私は言いました。
それは私がまだ10歳前で、赤ちゃんが出来て喜ぶ以外の選択肢を知らなかったからだと思います。
だけど母は持っていた包丁を置いて、私の所にやって来て、私をぎゅうっと抱きしめました。
そして後から母は言いました。
「あの時、花ちゃんが天使に見えたのよ。」って。
今これを書いていて、ちょっとだけ涙が出てしまいました。
若かったお母さん。今、私は逆にあなたをぎゅうって抱きしめたくなりましたよ。
さて、母の臨月が近づいてきた頃、我が家総出の祈りは、男の子が生まれる事だったのです。なんたって上の三人が女の子なので、一人ぐらい男の子が欲しかったのだと思います。実は私も姉も男の子が生まれますようにと毎日手を合わせて祈っていました。可愛らしい弟が欲しかったんじゃないかしら。
4人目の子供を母はお産婆さんの家で産みました。
ある夏の夜。
家には12歳の姉と10歳の私しかいませんでした。蒸し暑い夏の夜は、あちらこちらの窓は開け放されていました。すべての部屋についていた電気さえも幻のように感じさせるのが、夏のマジック。
姉は洗濯機を回していました。
私は眠くなって二段ベッドの下の階でうつらうつらと眠っていました。
その時、リーンと電話が鳴りました。
姉が飛んで行って電話に出ました。
そして寝ている私の横で「花ちゃん、・・・・・・・・・・」と言ったのでした。
「うん。分かった。」と私は言いました。
そしてひとしきり寝ると、ガバッと飛び起きて、洗濯物を部屋干しをしている姉の所に飛んでいき言いました。
「今ね、変な夢見ちゃった。お姉ちゃんがやって来て、この世の終わりのような声で『お姫さまだって。』って言ったんだよ。夢だよね ?」
姉は目を吊り上げて言いました。
「夢じゃないよ !!花ちゃんたらさぁ『ああ、分かった分かった!!』って煩そうに返事したじゃないのよ。私、なんか余計に哀しくなっちゃった。」
「えっ、そうなの。それはごめんね。寝ぼけていたんだよね、私。
だけどさあ、ああ、そうなの。そうなんだぁ。お姫様だったのね。お姉ちゃん、どうする。うち、女四人だよ。ああ、弟じゃなかったんだぁ。」と、私と姉は男の子が欲しいと祈っていたものですから、がっかりしてしまっても無理はない事だと思います。。
名都さん、ごめんね。
だけど私と姉ががっかりしたのは、その日だけのたぶん1時間ぐらいだけだから。
私の時の、「お父さんの帰りが毎晩遅くなった」より、ずーーーーーっとマシだからね。
それに私たちは寧ろ女四人で良かったなと考えが変わるのに、ほとんど時間がかからなかったし、この名都さんは大人しい子供で、それゆえに子供時代はそれなりの苦労をしていたみたいだけれど、素直で子供らしい愛らしさがあり、近所の人たちにも愛されていました。
私も母との約束を守って、小さな妹の子守は本当に良くしました。名都さん、覚えてないだろうね(/_;)
ただ年齢差の違う姉を持つことは、名都さんにとってはけっして子供時代は楽しい事ではなかったと思います。
なんたって、彼女が10歳の時私は20歳。一緒には遊びません。それどころか彼女の小学校の面談に、母の代わりに出席したり、小学校の運動会に今の夫と一緒に(その頃は夫ではないが)見に行ったことがあるくらいなのです。完全に大人が子供を見る視点だったし、私にとっては彼女の名前は「小さく愛らしい者」の代名詞で、姉に娘が生まれても、その子の名前を呼ぶのに間違えて妹の名前を呼んでしまう事もしばしばあったのでした。
そんな私たちの姉妹四人の楽しさが生きてくるのは、新人であろうが中堅どころであろうが、皆が中年と言う年齢に入ってきた頃からだったと思います。
ところでこの名都さんが生まれた日の話に、スノウさんの影がないのは、まだ6歳だった彼女はおじさんの家に預けられていたのでしょう。
夜遅くに父が帰って来たかもしれませんが、たとえ朝まで姉と二人でも、私は何も怖くもなかったです。
二人姉妹の末っ子と言う居心地のいい城から追い出された私は、たぶん姉にその居場所を求めたのだと思います。たった3つ違いの彼女は、私のもうひとりの母のようなものなんです。
私はこの時、心の奥底で、何かを期待している自分がいた事を知っていました。
母には私が天使に見えたと言いましたが、私には私の中の悪魔が見えていました。
スノウさんにだって、私と同じ事が起きるのよと私は思っていました。
これは人類の普遍のテーマだって言いましたでしょう。
だからそれは本当に予想通りに起きたんです。
我が家の新プリンセスは名都さんです。
今なら分かるんです。私が何を期待していたのか。それは私が居場所を姉に求めたように、彼女にもそれを私に求めて欲しいと思っていたのだと思います。
だけどそれは期待通りには行かなかったんです。
かつて捨て猫のような気持ちになっていた私は、気の強いひねくれた女の子になって言ったけれど、彼女は自分の中にドアを作り、そのドアの向こう側に逃げ込むことを選択したのでした。
ある時、私たちの祖母が病気になり、短い間だけでしたが我が家にやってきました。その時、口の悪い祖母がスノウさんに付けたニックネームが「コドク」でした。
私にはおばあちゃんと孫が仲が悪いという事が理解できず、単に一人になりたい年頃だからだと思っていましたが、今思うと、そんな名前で呼ばれては好きになれるわけがないですよね。これは前にも書いたことがありますが、スノウさんがある時言いました。
「あの人が嫌いだった。だけどあの人は嫌味のように私の誕生日に死んだのよ。」
それまで祖母の命日など、すっかり忘れていた私でしたが、その言葉を聞いて、忘れられない日になってしまいました。
私はこのおばあちゃんの事が大好きでした。
だけど命日までは覚えていたくはなかったのです。しかしこの先、スノウさんの誕生日を思い出すとき、絶対にセットで思い出すと思います。
これって、スノウさんの「嫌味のように」のせいじゃない ?
また不定期に続きます。