この先、きっとこの話を話題にすることはあまりないと思うので、続けて書いています。
私が「松本サリン事件」で学んだことは、当たり前の事ですが、「夜は窓を閉めて寝よう。」などと言う事だけではありません。
たぶん大勢の人が同じ過ちをし、そして反省をし(ここが重要な分かれ道だ。)、学んだと思う事があの事件にはあったのではないでしょうか。
つまり冤罪の作られ方と言うものを。
そしてー。
だけど人は忘れてしまう生き物なのです。そして前の記事で書いたように、あの時にまだ世界が見えていなかった子供だった人たちが育って、また社会の中心になっていたりすると、学ぶ機会がなかったのかも知れません。
今はあの豪雨被害の事が第一に報道されなくてはならないし、それが当然だと思っています。
ワイドショー的な話題では、今はあの看護士の件ですね。
だけど少し前は、あの金持ちの男の人の殺人事件の事でワイドショーは持ちきりではなかったですか?
あの時、さながら契約妻はまるで犯人のような報道のされ方をしていました。もしくは相当怪しいような言い方で、彼女は弁明のインタビューを受けなければならなかったのですよね。
1か月100万円、貰っていた・・・・
そんな事を世間に向かって、言わなくてはならない事なんだろうか・・・・?
確かに怪しいような部分はあるのかも知れませんが、報道の仕方は気を付けなくてはならないと思いました。
そして一番大事な事は、見ている視聴者は、テレビの誘導に引っ掛からない事だと思います。
2時間ドラマのサスペンスの時、よほど凝った作りの名作でなければ、情報はほとんど視聴者にドラマ内で晒されていたりするのです。だから得意な人は(結構自信あり)、犯人が分かるのです。
だけど実際に起きている事件では、ほとんど情報はマスコミ経由で相当な穴あきパネルのようなものです。それなのに分かったような口を、たとえ奥様ランチのお喋りなどの時にさえ決めつけたような言い方をするのは如何なものかと、きっぱりと思います。
そしてそう思うのは、あの「松本サリン事件」が教えてくれたからです。
あの時、何でか奥様ランチが続いてあったような気がします。
最初の時、早い段階ですでに容疑者があがり、それが農薬が混ざってみたいなことが言われた時、その奥様ランチでのみんなの話題。
「えっ、なんか、だらしがなかったのかしら。男の人なんか、農薬とか薬品なんか物置に放り込んでおくとかやってしまいそうよね。パッケージが劣化して破れて混ざっちゃったのかしら。なんか心配になって来ちゃった。実家のお父さんなんかやりかねないわ。今日電話しようかな。」
みたいな感じ。
ここまでだって、物凄いショックな事件でした。
何かの薬品が勝手に混ざっちゃって、(もしくは除草剤として故意に配合したのであっても)、それが近隣住人を大量に殺傷してしまうガスを生み出すだなんて、いまだかって聞いたことが無いじゃないですか。
そのようなレベルで、ある人に起きたとする過失致死傷害は、他の人にも起こり得る事ではないでしょうか。
この時、第一通報者の方を、警察では参考人として話を聞くと言う形式だったかもしれませんが、ニュアンスとしては第一容疑者であったような印象を、殆どの人が感じたのではないかと思います。それと言うのも、マスコミがそれの後押し報道をがんがんと遣ったからです。
昨日はボランティア活動で、あるサークルに顔を出してきました。
この時、やはりオウムの人たちの処刑が話題になり、あの時の事件の事が出てきました。
誰もが「松本サリン事件」の犯人は、あの男の人だと思っていたと言いました。
そうマスコミが言ったからだと思います。
その後、ガスの正体が「サリン」と言う聞いたこともない猛毒だと分かりました。
普通のおっさんが作れるようなものではないと分かったのです。
だけど、この容疑者として疑われてしまった方は「地下鉄サリン事件」の頃まで、完全なる容疑晴れにはならなかったのではなかったかしら。
彼が潔白だと分かった時、
えーっ、なんなのよ。
あの恐ろしい報道リンチはって、思い怒りを感じた人も多かったと私は信じたいです。
そしてその方が潔白と分かった時、私を含め私のお仲間たちは「やっぱりそうね。」と思ったはずです。
と言うのも、ちょうど私たち奥様ランチのメンバーは、その頃30代の終わりと40代の最初の頃。まだ若かったのです。
だからだったのか、そこでの会話の応酬は、私たちをちょっとだけ冷静にさせるものがありました。
だからと言って、理路整然とした論理派の方や情報に長けた方が導き出した答えからではありません。
良くお気楽サスペンスに登場してくる「主婦の勘」「濃密な人生経験から来る(わけの分からない)勘」みたいなもので、あれがサスペンスで(しょうがないなあと)受け入れられるのは、意外な事に侮れないものがあるからなのだと思います。
「この報道は、何か狂っているよね。他社との競争に追われ、過熱し冷静じゃない。だから全部鵜呑みにはしない事にしよう。彼が犯人ってなんか変だし。」と言う私たちの結論。
私が、狂ってると思ったある報道のシーン。
母はガスの被害で重篤で意識不明のまま病院に入院している。
父は嫌疑をかけられて警察に呼ばれている。
父も母もいない子供だけがいる夜の家に、ベルを鳴らし
「こんばんは~」と入って行く報道マン。
「お父さんは、今どちらに。」と彼は中学生か高校生の少年に尋ねます。
「母は今まだ意識もなく・・・・・」
「父は今警察の方で話をしています。」
― 受けごたえがしっかりしている子供だな。こんな時に偉いな。
と、私は思いました。
でも本当に思っていたのは、そんな事ではなく、不信感と怒りです。
引き戸の玄関の向こう側から聞こえてくるしっかりとした声。
だけど子供ですよ。
子供だけの家に、この男たちは、分かっている事を聞きに行ったのですよ。
家に残されている家族が、どんな顔をしているのかを見たかったとでもいうのでしょうか。
ぼんやりとした明かりの付く玄関を離れた所で撮るカメラ。
「なんで行くの。この家に、今。」
私は思わず立ち上がり、テレビを消そうとしました。
だけどそのシーンをじぃーっとじぃーっと、忘れないように見続けたのでした。
この時容疑者として疑われた方(敢えて名前を出していません。)の嫌疑が晴れた時、大勢の報道マンが反省をし、謝罪の手紙を個人名で送って来たのだそうです。
きっと、子供だけの家に夜に取材に行った彼らも手紙を書いたことでしょう。
と、私は信じたいです。
なんか時代時代の流行と言うものがあるのでしょうか。
この時のカメラなど、今でも納得の出来ないものがあるのです。
そしてそれは次回に。