森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「人はどう老いるのか」を読みました

2025-02-04 19:11:06 | ユーモレスクを聴きながら(book)

これは、別に二人の母たちが老いてしまったから読もうと思ったわけではありません。

じゃあ、なぜ読もうと思ったのか・・・・

それが記憶がない。もうそれだけで読む資格が十分では(笑)

たぶんXからの情報なのかもしれません。次に読む本の情報を、意外とそこから得ているのです。

私はもう白秋を生きる人。つまり俗にいうシニア。

興味があるじゃないですか。「どう老いるか」なんて。

でも読み始めて、思っていた本ではなかったと思いました。

それは「がっかりした」と言う意味ではありません。

著者も言っています。

これは如何にしたら老いを止めるのか、もしくは遅らせることが出来るのかとか、楽しい老後はこうあるべきと言う本ではないと。

 

介護施設の医師として働いた時の経験話が、すこぶる今の私には役に立ちました。これはずばり二人の母たちに対してです。

その中でも、アルツハイマー型認知症は多幸感が高くて穏やかでニコニコしている人が多いと言う文には、頷き納得するものがありました。それはずばり我が母上がそうだからです。認知は進んでしまいましたが、攻撃性もなく可愛いおばあちゃんをやってます。

そして共鳴することがたくさんありました。

思っていたことを具体的に言葉にしてくださっている本に出合うと、「そうそう。そうなんだよね !!」ととっても嬉しくなるのです。

「老い」と「死」は逃れられない人生の約束なのです。

受け入れる。それが一番の対処法で、そこからさまざまな残った人生の生きていく知恵が生まれてくるのだと、私は思っているのです。

この著者も言っています。帯に書いてある『老いの現実を知る』『医療の幻想を捨てる』『健康情報に踊らされない』『あきらめが幸せを生む』は大事なことだと思います。

 

私のようなお年頃の人のランチ会。

飲んでいるサプリ自慢が時々出てきます。

私的にはつまらない話題です。一番とんでもないのは、「最近××を飲んでいるのよ。効果があるような気がするの。どう?」と感想を求められることです。

「そんな即効性があるわけじゃないんでしょ。分からないわ。」とは言いますが、「効果ないんじゃない、既に。」と言いたい衝動に駆られるけれど、我慢しています(笑)

 

薬でも認知症は防げないのに、サプリにそんなに大きな効果があるとは思えないでしょう。

と言うのはあくまでも、私の感想でもあるのですが、この本の中にも、サプリ好きな方や病院に絶大な信頼を寄せている方には、耳が痛いことが書いてあるかもしれません。

でもこの本は今、多くの方に読まれている本だと思います。

アマゾンの、この本の紹介の所には、前文が載せられています。忘れたくないないようなのでコピペしたい衝動にかられますが、やっぱり止めておきますね。気になる方は、そこだけでもお読みになるのも良いかと思います。

お勧めできる本だと思います。

 

 

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「蟲の神」を読みました。

2024-12-04 09:43:09 | ユーモレスクを聴きながら(book)

エドワード・ゴーリーの作品は、みんな気持ち悪いのかと思って読み進めてみると、実はそうでもなかったのです。

今まで『横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展』で読んだ「不幸な子供」「うろんな客」、また「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」、「金箔のコウモリ」と「失敬な召喚」を読みました。

確かに、ざわっとする感覚を感じるかもしれません。だけどその感覚のカーテンの裏側に何かが潜んでいるような感覚を感じます。

感動したり深く頷いたり・・・・・、そして癖になるのでした。

 

そしてこの「蟲の神」、確かに刺さる、何かが。

 

その手を放し、子供をさらわれてしまった子守は狂ってしまい、恐ろしい言葉をつぶやきます。

「奴らが天井をはっている音が聞こえる。」

いや、正確には

「聞こえますとも、何度でも。
奴らが 天井を歩く音。」

そこだけ読めば、まるでサスペンス。

だけど実はホラーに近い。

そして救いがないのです。

 

攫われたたった4歳の子供、ミリセント・フラストリィは蟲の神のいけにえに・・・・・・。

だけどやっぱり何かカーテンの裏側を考えてしまう彼の物語。

 

彼が描く蟲たちは、4本脚。

確かに6本足も紛れているのです。

でもこの4本足の、おぞましき蟲たちは、実は・・・・って思ってしまったり。

 

あとがきがいつもの通り充実していて、そこも読みごたえがあります。

ただ彼の絵は繊細で、触覚やその他もろもろ、いつも以上にザザッとした感覚に襲われます。

どなた様にもお勧めできるかと言うと、ちょっと微妙です(笑)

虫が苦手な方には、その絵が素晴らしいがために、より無理になってしまったかもです。

実はワタクシも。

初めて「うえっ」ってなりました(笑)

でもパタンと本を閉じたら、次は何を読もうかなと言う気持ちになっていたから、やっぱり彼の本は癖になるのですね。

 

 

・・・・


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「金箔のコウモリ」と「失敬な召喚」

2024-10-08 09:41:18 | ユーモレスクを聴きながら(book)

続けてエドワード・ゴーリーの本の紹介と感想です。

横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展」と言う記事の中で、「不幸な子供」の事を書きました。

その本のアマゾンの紹介文に「一人の少女の不幸を悪趣味すれすれまでに描いた傑作!」とあることも書きました。

 

この「金箔のコウモリ」も一人の少女の一生を描いた物語です。

「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」」と言う記事の中で「ずぶぬれの木曜日」の感想に、『読後感』と言う言葉を使いました。

それをここでも使うとすると、「金箔のコウモリ」は静かな何とも言えないような感動が残ります。

 

この本は絵本。言葉も多くはないし、途中でヒロインの気持ちを綴った言葉も一言もありません。淡々とあった事だけが語られていきます。

だけどもしも映画好きの人ならば、読後にはまるでフランス映画やハリウッド映画か何かを見終わったような気持ちになるかもしれません。

エドワード・ゴーリーは、相当なバレエ好きな人だったらしいです。だから描くことが出来た物語だったのかも知れません。

 

ある日死んだ鳥を道端でじっと見ていたモードは、マダムにスカウトされます。

マダムの用意した部屋に住み、明けても暮れてもバレエの練習。

わびしい生活です。

そのマダムは、モードへの異常な関心に精神病院に入れられ、バレエ団は解散してしまいます。他の団に入れても2年間のドサ回り。だけどドンドン才能のを花開いていくのです。裕福なバレエ団からもスカウトされ、彼女に恋をしてくれる人も現れます。

しかし・・・・・

その後も紆余曲折。

ただ彼女のバレエ生活は華やかになっていきます。そしてシックでミステリアスで時代の寵児になっていく彼女の毎日の生活は、実はずっと変わらず侘しく退屈なものだったのです。

だけどとうとうさる国の王族の前で踊ることになって、彼女は飛行機に意気揚々と乗り込みます。

 

これは彼女の一生の物語。

サクセスストーリーなのか、それとも悲劇の物語なのか・・・。

タイトルの「金箔のコウモリ」は作中に出てくるバレエのオリジナル演目のタイトルなのですが、何かそこに意味があるようにも感じてしまうのでした。

 

そして次に感想を書くのは「失敬な召喚」です。

美術展ではこの本の絵は3枚しか(確か?)掲示されてませんでしたが、その3枚目の絵を見て、どうしてもその続きが気になって、いつか必ず読むと思ったわけです。それが今の私のゴーリーブームに繋がったと言えるでしょう。

「悪魔来りて 宙に舞い  スクィル嬢を蹴り見舞い」で始まる物語。

悪魔はブンブンと彼女を振り回し舞います。その夜、彼女の胸には悪魔のしるしが・・・・。

その後に彼女は不思議な力を身につけてしまうのです。

その3枚目は、彼女が蛇を引き裂いているという絵だったのです。

恐ろしい絵なのですが、「凄いな。この人どうなっちゃうの。」と私は思ったのです。実はルート君も同じ気持ち。

だけどこの本を手に持ってみると、やはりその蛇のシーンはありません。「音叉」にも同じことがあったので、やはり編集の段階で止めた絵だったのかも知れませんね。

 

ゴーリーと言う人の本を読んでいると、あまり道徳的なことを言っているような雰囲気はないのですが、もしかしたら、これは「惡の誘惑」について、かなり真面目にメッセージを出しているのかも知れないなと思いました。

読めて満足しました。

本の紹介の下に、ネタバレの雑なあらすじを置いておきます。

彼の本は、確かに癖になってしまいます(;^_^A

 

 

その後彼女はどんどん魔女化していき、気持ちの悪いクッキーを作ったり、「九十と二のまったき悪徳」と言う本を熟読したり、とうとう近隣の人達を・・・・

まあ伊周(光る君)のやっていることをやりだすわけですが、彼女の場合は効き目が頗るありました。そこに戻ってきた悪魔が「やりすぎなんだよ!!!」と言ったか言わなかったか、容赦なく彼女の髪を掴み、彼女を地獄の業火の中に突き落とすのでした。

 

雨の一日。素敵な時間をお過ごしください。


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「ずぶぬれの木曜日」と「音叉」

2024-10-07 02:29:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月にエドワード・ゴーリーの本を知ってから、他の作品も気になって仕方がありませんでした。(横須賀美術館にて「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展」 )

それで何冊か読み始めました。

彼の作品は、心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりすると思い込んでいましたが、案外そうでもないなと思えてきました。

特に今から紹介する「ずぶぬれの木曜日」などは、なんて言うか、読後感がさわやかです。

ある終日雨の木曜日。

ブルーノと言う犬は、飼い主がどこかに忘れてきてしまった傘を探しに街に出ます。

 

絵本でありながら、ちょっとした群像劇。

奥様達は雨の中で立ち話。

傘屋では、男がずっとイチャモンをつけてます。

子供はふらふら水遊びで溺れかけ、だけど・・・・・(ちょっとネタバレ回避)

一日の終わり、傘を見つけた犬は飼い主に褒められて、そしてそれぞれの木曜日も終わるのです。

成るようになって。

ある意味、ハッピーエンドだと思います。

―ゴーリーをいち早く評価した文芸評論家の大家エドマンド・ウィルソンはゴーリーにあてて「『ずぶぬれの木曜日』は君の最高傑作の一つだと思う。素晴らしい掘り出し物だ。」と書いています。―とあとがきにありました。

読後感を思うと頷けます。

 

 

もう一つの作品は、先に紹介したものとは違って、それこそまさに「心にやすりがかかるような何かザラっとする感覚があったり、ちょっとした怖さがあったりする」作品だと思います。

「シオーダみんなの鼻つまみ、ただいるだけで不快の極み」で始まる物語。

服も話し方も嫌われて、見ても聞いても、みんなが嫌悪で頭を抱えます。

世を嘆いて海に飛び込むシオーダ。

だけど彼女は死にませんでした。

海の底に潜む怪物が、彼女の話に聞き耳を立てます。

怪物は彼女の声にも見た目にも、何にも嫌悪の感情を抱きませんでした。価値観が違うのです。

嫌われない世界にたどり着いたシオーダはホッとして、今までの嘆きを語るのでした。

怪物はシオーダの話に驚愕。

 

そして地上では、シオーダが居なくなってホッとし幸せに暮らし始めた家族が居ました。

だけどその家族は一人また一人と不幸が迫って来て、みなお風呂場で順番に溺れて死に絶えてしまうのでした。

 

家族が死に絶えたことを知っているのかいないのか、それでもシオーダは自由な気持ちに解き放されて、髪をカールしパールで飾るのです。そして時には夜に沖に出没して、地元の人を震え上がらせたのでした。

なんか奥が深いお話だと思いませんか。

それにこの物語は、ちゃんと韻を踏んだ詩の形で成り立っているのです。私が書いた雑なあらすじでは申し訳ないと思います。

 

 

ルート君が言うには、美術館に展示された絵の中には、怪物にしっかりとお風呂場に引きずられていくお父さんの絵もあったそうです。

 

それは勘違いと考えることも出来るのですが、別の作品で美術館にあって本にはなかったと言うのが他にもあったので、一概に勘違いとは思えないのです。

原画はあっても、残酷さ回避ゆえに編集の時点で外したのかも知れませんね。

 


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「ポワロと私」デビッド・スーシェ自伝

2024-09-01 23:40:24 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月26日に読み終わりました。

デビッド・スーシェのポワロと関わった5年間の自分史。それを読むと、「名探偵ポワロ」を1作目から全70話見たくなってしまいます。

それでひとつ前の記事「先の楽しみ(9月と10月)」の中で、

>『10月の楽しみな事ばかりを書いて、9月は無いのかと言ったら、そうでもなくて、そのミステリーチャンネルで「名探偵ポワロ」が9月5日から全話70話を順次放送なんです。』

と書き込んだのです。

1989年から2013年までの24年間のポワロと共に歩んだ、彼の俳優生活が綴られています。

まだ40代だった彼が、次のシーズンの決定がなかなか来なくて、不安に思いながら次の仕事を引き受けていく様とか、彼がポワロの撮影をしていなかった時に、どんな舞台や映画などを撮っていたのか、なかなか興味深いものがありました。

その中に「エグゼクティブ・デシジョン」と言うのがあって、カート・ラッセルやスティーヴン・セガールの映画だったので、見た記憶があります。悪役も渋くてなかなか良かったと記憶していたのですが、その悪役が、実はスーシェだったのです。この映画は1996年製作なので、この映画を見て私が「あっ、ポワロじゃん。」と言ったか否か?

そんな事を確かめたくて、もう一度、この映画を見たくなりました。残念ながらアマプラでもレンタルじゃないと見る事は出来なそうなのですが。

 

またポワロ撮影時のエピソードも、本当に面白いですよ。(以下は少々ネタバレ的な部分ありです。)

ある時女王陛下からのプライベートな昼食会に招待されたスーシェは、その日が奇しくも彼の誕生日だった事や、その時にフィリップ殿下にマンゴーの食べ方を教わり、それをドラマに取り入れた話は、是非確認したいところです。たぶんシーズン6の「ポワロのクリスマス」で出てくると思います。

それからシーズン13の「死者のあやまち」のロケ地は、なんとアガサの実際の家なのだそう。彼女は3軒家を持っていて、このグリーンウェイは一番愛した家なのですって。

もう一度見て、確かめたくなると言うものでしょう。

 

先日、久しぶりに「5匹の子豚」を見て、この作品、今までとは違う感じだなと改めて思ったのです。

それについても書いてありました。このシーズン9からちょっと重みのある演出に変わっているのですね。映画っぽいと言うか・・・・。

 

意外と作り手の狙いを外しては見ていなかったんだなと思ったりもしたのですが、ちょっと嬉しかったのは、スーシェ自身が「オリエント急行の殺人」について詳しく書いていたことです。

私のそのドラマの感想は→名探偵ポワロ第64話「オリエント急行の殺人」

           →スーシェの「オリエント急行の殺人」が一番好き

 

作り手の狙いを外さずに見ることが出来ていたなと確認できました。

スーシェ自身、こう言っていました。

「1974年版の映画しか見たことがなく、アガサの原作を読んだ事がない人の中には、私たちのドラマ版にあまり気持ちが盛り上がらないと言う人もいるかもしれない。」と。

けれど監督も脚本家も彼も、アガサの原作のトーンや深みに忠実であろうとした結果の作品だったと言うようなことが綴られています。

とっても大切なことですよね。

映画のような華やかさは確かになかったけれど、やはり私のように「これが一番だな。」と感じた人は多数いたと思います。

アガサが作り出した世界観を忠実に再現し演じていったから、一つの小作品以外の全作品を映像化できたのかも知れませんね。

 

アガサの娘ロザリンド・ヒックスの夫が、スーシェに、最初に言いました。

「私たち視聴者はポワロと共に微笑むのであって、決してポワロを笑ってはならない。」と。

そして彼はポワロを徹底的に研究し、個性的な小男のポワロを世界中から愛される探偵にして行ったのだと思いました。

そして最後の撮影シーンが終わった時、スーシェはポワロのままスタッフらに「オ・ルボワール&メルシー・ボク」と言うのでした。

ちょっと感動しますね。

 

 

 

 

・・・・


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「孤独を楽しむ本」

2024-08-11 04:02:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

7月に読んだ本の感想です。

田村セツコさんのエッセイは4冊目です。

前の3冊の感想は

田村セツコさんの本を二冊

「人生はごちそう」と「知識ゼロからの日本絵画入門」

です。

 

彼女は今年86歳。

本の感想の初めに、彼女の年齢の事を書き込むなんて失礼かなと思いつつ、だけどそれも含めて彼女の事が好きな私なんです。

いつまでも少女のような感覚。

良いですよね。

そんな彼女の100の提案のようなエッセイ、面白かったし共感度が高かったです。

それは前の感想にも書いたかもしれませんが、新しい何かと言うよりも、私が意外と日ごろから思っていることが、彼女の言葉で書かれているからだと思います。

だから「うんうん、そうなのよね。分かる分かる。」と言う共感が、そこにはあるからです。

もちろんすべてではありません。

でも田村さんは2月4日生まれで(さっき知ったの)、みずがめ座。そんなところも相性がいい理由なのかと、つまらない理由で他の方には何ら説得力はないかもしれませんが、私は感じてしまいました。

それに・・・・

さっき、ちょっと彼女の事をリサーチしたくて、ネットをウロウロしていたら、2020年だったか、「徹子の部屋」に水森亜土さんと一緒に出ていた動画があったので、見ていたのです。二人のアトリエを見て・・・・

まあ、漫画家さんなどもそうですが・・・・・・

後は言うまい(笑)

なんか好き度が上がりました^^

 

本の感想ですが、「なるほど~」と言う新しいヒントもたくさんあります。

100のエッセイから成り立っているので、本をぱたんと閉じると、内容はその時からかなりの忘却の海へ投げ入れられてしまいます。

ただ私は、それも前に書いたことかも知れませんが、目次の写真を撮っておきます。もちろんそれをブログには載せられませんが、自分の記録用にはかなり役に立ちますよ。

特にショートエッセイ集には。

 

内容を忘れてしまっても、そのタイトル部分の言葉自体に励まされたりするものです。

例えば「ちっちゃなチャンスを大切にする」「逆境も冒険として楽しむ」とかね。

 

またちょっと嬉しかったのは、「小石を一つポケットに」と言う章を読んだばかりの時に、名都さんから筑波山に行ったお土産に、黄色いカエルさんが乗っているツルツルの石を貰ったのです。

なぜかそのカエルさんは、すぐに石から逃げて(外れて)しまったのですが、考え事などをするときに時々そのツルツルの石を握ったりしています。

公園に石を拾いに行こうかなと思ったら、その日のうちに名都さんからゲットできたので、私は嬉しく思ったのです。

まさか名都さんも、私が石が欲しいななどと思ってるなどと微塵も思っていなかったと思います。

田村さんのエッセイも、昔見た映画の中の探偵が、推理したりするときに石を握りしめていたという所から書かれた内容でしたが、心惹かれました。

それと言うのも、昔、子供が低学年の時、学校の先生が言っていたのです。

それは話をしようと(たぶんろくでもない内容)、我が子を前に呼び出すと、いつも消しゴムとか筆箱の中にあった小石を握りしめながら来るとと言うものでした。

 

だからなんだよ~!!

って、今なら言いたくなっちゃいますよね。それとも「その行動について、先生のお考えはいかに。」と質問してしまいそうです。

だけどその時も私は言ったと思います。

「不安だったのですね。」と。

ふとその小石をのくだりを読んで、それを思い出したのだと思います。掌にときには何かを握りしめるということは、たぶんいい事なのではないかと感じたのでした。

 

あと、友達に言うと「それ、いいね」と言われる彼女のアイデアは、朝お湯を沸かした時、珈琲・紅茶・日本茶を全部入れてしまって、それをゆっくり飲んでいくというもの。意外と熱さには拘らない人は多いものです(珈琲以外かな)。猫舌が多いということなのですね。

これをすると、珈琲ばっかりと言うことの防止になるような気がします。ただ良いなと思っていても、まだ実践はしていません。

 

もっと深くて素敵な内容がいっぱいなのに、まさかこの二つが取り上げられるとは、田村さんでも思わないことだと思います。m(__)m

 

「セラヴィー」と言う言葉を覚えました。

この言葉は使う場所や雰囲気に寄って、ネガティブな意味になったりポジティブな意味になったりするようです。

「人生なんかそんなものさ」「「人生には思い通りにならないこともある。」みたいな意味。

でももちろん田村さんの場合は、ポジティブな捉え方です。

最後の章のタイトルは【「セラヴィー!!」それが何か?】

 

その言葉を覚えたら、何かの海外ドラマの中で、その言葉がしっかりと耳に入ってきました。

小さな知識でも新しいことを知るのは楽しいことですね。

 

 

 

 


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「猫は、うれしかったことしか覚えていない」を読みました

2024-07-10 02:34:22 | ユーモレスクを聴きながら(book)

画像は、我が家のくうちゃん。

 

タイトルを見ると、何やら哲学的。

だけどこれは元々、作者の飼い猫のコウハイ君が梅干しの種を飲み込んでしまって、大変な目にあった時に言ったお医者様の言葉。

本の紹介文をお借りすると

『梅干しの種を飲み込んで、開腹手術を受けた猫のコウハイ。苦しかっただろうに、獣医師によると、「また、誤飲しますよ」。猫には楽しい記憶だけが残るので、種を転がしておもしろかったな、とは覚えているけど、苦しかったことは忘れてしまうそう。うれしかったことだけ積み上げて生きていく。そんな猫たちの、可愛くて笑えて、沁みるはなし。』

タイトル以外のお話は、コウハイ君や作者の知っている猫君たちの、猫あるあるの物語。

猫を飼っている人なら「そうそう。」「うんうん。」と頷くことばかりです。

飼っていない人も「そうだろうなぁ。」「なんか、分かる。」と言う猫の日常が満載です。

少しだけそのタイトルを拾ってみましょう。

例えば

「人を踏む」

飛び越えていけるのに、いつもわざわざ足を踏んでいくのはなぜ。

でもそれが気持ち良くてね。ぴょんと飛んで行かれると、がっかりしちゃいます・・・・って、これ我が家のお話です^^

「したいことしかしない」

「引きずらない」

「ほど良く無視する」

ああ、なんか拾ったタイトルは皆、少々生き方を示唆しているようなものばかりになってしまいました。

 

そうなんですよね。本当は猫ばかりではなく他の生き物たちからだって、学ぶことがたくさんあると思うのですよ。

でも猫ちんは、私たちのそばに寄り添ってくれる身近な生き物なので、強くそれを感じるのだと思います。

だけどこの本は、そんな猫から学ぶ生き方講座ではありません。

本の紹介文にあるような、「可愛くて笑えて、沁みるお話」なのです。

 

ただ私は、タイトルになっている「猫は、うれしかったことしか覚えていない」には、やはり少々の哲学的な香りを感じてしまうのです。

獣医さんは、またやるから気をつけろよと言う意味で言った言葉だと思います。

だけこの言葉に作者も励まされ、そして私も励まされました。

 

人は失敗や不快に思った事からも多くを学び、同じ間違いをしまいと誓ったりします。賢くもなったりもします。

だけど時には、そんな記憶はさっぱり捨てて、嬉しかったことだけを覚えて生きていく幸せを選択しても良いのではないでしょうか。

ちょっと心が重く苦しい時に読んだので、上に書いた事と重複しますが、励まされ救われたような気持ちになりました。

 


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「100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集」

2024-05-12 23:21:34 | ユーモレスクを聴きながら(book)

最初、「100万回死んだねこ」と聞いて、どこが違うのか一瞬分かりませんでした。

すぐに「あっ、そうか」となったわけですが、この間違い、以前私も誰かに言ってしまったような気がします。

が、通じました。確かあの時は。

 

「100万回生きた猫」は本当に泣ける傑作ですよね。

そう言えば感想を書いたなと、今読み直してみたら・・・・

私って本当に泣き虫で、感想を読んでも涙が出ました。

子供たちが言った「100万ページあるんですか。」「100万回生きて、100万回泣いた話だったのか」と言う言葉が蘇り、それも可愛らしくて、胸がきゅんとしました。

100万回生きたねこ

 

 

 

そしてこの本は、そんな間違いのタイトル集。

誰かの間違いであるわけですが、この間違いで図書館の司書さんが正しい本にたどり着けるのかと感心もします。

が、その誰かさんには申し訳ないのですが、めちゃくちゃ笑えました。

思わず声に出して笑ってしまったりで、電車の中で読まなくて良かったと、私は思いました。

 

 

笑ってしまったタイトル間違いはたくさんあったのですが、一番好きだった間違いだけ載せますと

「『人生が片付く ときめきの魔法』を探しています」

正しくは

「『人生がときめく 片づけの魔法』でしょうか」

人生が片付いちゃったら、ちょっと怖いかも。でもとっ散らかった後悔ばかりの人生が、スキッと片付く魔法「リセット」なんてあったりしたら、それはそれでときめく魔法かしら・・・・・・・いういやいやいや、やっぱり怖いじゃん(;^_^A

 

他にも

「紙つくれ」

「ピカソはそんなにえらいのか」

伊坂幸太郎の「あと全部ホリディ」

さあ、これは何という本に結びついていくのでしょうか。下に正解の本を載せておきますね。

 

ただ私、上に書いた本以外にも正解の方の本のタイトルの説明を読んで、いくつかこれから読む本のリストに加えました。

そんなところに、福井県立図書館の司書さんが書いた、この本の意味があったのかも知れませんね。

 

数時間で読めます。

 

 

 

 

 

 

 

 


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「ボクたちはみんな大人になれなかった」

2024-04-29 02:22:51 | ユーモレスクを聴きながら(book)

4月に読んだ本の感想です。

作者の燃え殻さんの文章が好きです。

ドライな感じなのに、なぜか湿った空気感が漂う文章。

彼はツイッターから出てきて、その文章から「140文字の文学者」と呼ばれていたらしいです。

 

この帯の説明をお借りするならば

アッ、いや写そう思いましたがお写真で手抜きします。(;^_^A

まったく別れの理由も分からずに、ある日突然別れがやって来て・・・・

「今度CD、持っていくからね。」と言う言葉で別れて、そしてそのまま終わってしまった二人。

だけど心のどこかで、やっぱり好きな人。

私にはそんな恋などなかったけれど、それでもなぜか懐かしさを感じさせるのでした。

 

ところで昔、田中康夫氏の「何となくクリスタル」っていう本があったでしょ。あれは、ファッションなんかの注釈が凄くて、それで話題になったようなものだと思うのですが、この本を読み始めて、なぜかその本の事を思い出したのです。もちろん、この物語に注釈なんかないですよ。だけど私は、思わず自分でメモを取ってしまいました。知らない言葉、知っておきたい言葉がたくさんあったからなんです。

と言っても、電車の中で読んでいたりしたので、数は多くないのですが、その中に

《「いま孤独なんだ。」を

「いま、自由なんだ。」に言い換えると鎮静剤くらいに効くんだよ。》と言うのがあって、忘れたくない言葉だなと思いました。

また私は、今までの人生で小沢健二を知らなかったのですが、今は知っているのは、この本のおかげです。

それから「うる星やつら2 ビューティフルドリマー」は、アマプラのウォッチリストに入れました。

 

そして今知ったのですが、これ、森山未來と伊藤沙莉さんで2021年に映画化もされていたのですね。

見てみたいけれど、アマプラにはなくて残念です。

 

 

実は、燃え殻さんはその作品で二作目。

2021年1月に「すべて忘れてしまうから」というエッセイを読みました。

好きすぎて、感想を書きそびれたのです。

確かにすべて忘れてしまう・・・・・この本に書かれていた内容なども。

だから私は目次の写真は撮りました。最近時々、エッセイなどはそれをやります。意外と記憶の橋渡しになります。

と、書いてその写真に撮ってある目次をしみじみと読んで・・・・・

さすがに3年たったらアウトじゃんと思いました(;^_^A

と言うより、その本を読んで、3年も経ってしまったのだなと思い、「あーヤダヤダ。年々時間は加速して行き、もうあっという間に死んでしまうに違いない。」と言う気持ちになっています。

だけど「死にたい」という相談を受けて、彼は言います。

「死にたい」を「タヒチに行きたい」に置き換えたらいかがでしょう、と。

あなたは「死にたい」のではなく「タヒチに行きたい」のだと、彼は言います。先に書いた本の感想でも、この置き換えの発想が出てきますが、習得したい技術ですね。

 

またそのエッセイは次の1文に惹かれて読み始めました。

それは「長生きって最大の復讐です。」でした。

 

 


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「娘になった妻、のぶ代へ」

2024-04-09 13:20:46 | ユーモレスクを聴きながら(book)

3月に読んだ本の感想です。

 

 

大山のぶ代さんと言ったら「ドラえもん」。ルート君が大好きで、彼女の声のドラえもんで感動をたくさんもらいました。

そんな彼女が認知症になってしまって、あんなに長く「ドラえもん」であったのに、その映像を見せても無反応だったと言う話を聞いた時、かなりのショックを受けました。

また介護をしていた夫の砂川啓介さんが先に亡くなってしまった時にも、その死が理解できていなかったと言うようなことを週刊誌で読んだ時も、とっても切なく思いました。

この本を今頃になって読んでみようと思ったのは、やはり私の母が認知症になってしまったからです。

大事な人がこの病気になってしまった時、家族はどう向き合うのか、どう向き合ったのかを知りたいと思ったからだと思いました。

自分の事なのに「思いました。」とはいい加減ですが、意外とはっきりとはしないあいまいな気持ちです。

人の経験が、果たして今の自分にあてはまるのか否か、それは分からないことだからです。

 

2012年に病気が発症しても、公表するまで3年の月日がかかりました。

彼女が有名人であったが故の、砂川さんの葛藤など伝わってきました。もちろん、病気の事を公表するかなんて個人の自由だと思います。だけどそれによって交流が途絶えてしまっていた親友さんたちとの(黒柳さんとか)お付き合いをまた始めることが出来たのです。

この本は出会ってからの二人の夫婦史でもあって、二人の生き生きとした若き頃から、子供を失って、子を持つ恐れからやがては寝室を別にする生活になっていくことも赤裸々に描かれています。だけど二人はおしどり夫婦を貫いた人たちでした。

この本を書かれた時の砂川さんは、既に一度のがんの手術をした後でしたが、彼の願いはただ一つ、彼女よりも長く生きることでした。

だけど大病を患った後なので、ちゃんと遺言なども考えていました。

考えていたけれど、やっぱり願いは一つだったのです。

 

ご存じの通り、その願いは叶いませんでした。

それでもきっと大山さんは、彼が残して行ってくれた「その後」の生活で守られているのではないかと信じています。

 

若い時から、「老い」を意識して、事あるごとに脳トレをしていたと言う大山さん。

このアルツハイマー型認知症・・・・

彼女の場合は脳梗塞が引き起こしたものだったと思いますが、この脳の病気は、老いが引き起こす老人性のボケとは違って、そんな脳トレも役には立たないのだなと震えました。

一刻も早く、この病気に対応するお薬が、一般人でも買えるようなお値段で普及することが出来ますようにと、心から願わずにはいられません。

 

そして強く思うことは、この最後の病気の姿を、その人の最終形態のように思ったり、そして見下したような発言をすることは決して許されないことじゃないかなと思うのです。ここまで生きたその人の煌めき輝いていた姿を、その人を想う時、その姿で思い出したいと思います。私の母にしても大山さんにしても。

それは「今」を否定しているわけではありません。でもその上で、今目の前にいる病気の人をいたわっていきたいと、私は思いました。

 

作者が亡くなっていて、大山さんは施設で暮らしていると思いますので、少し古い本かも知れません。

でも私は読んで良かったと思いました。

 


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