森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

功名が辻38回 AND 掛川城

2006-09-30 16:21:14 | ドラマ (大河)

9月24日、「つま恋」から帰ってきまして夜しっかり見ましたよ、「功名が辻」。そしてうるうる泣いていました。なんて言ったって、心は多角経営ですから。

ただ、秀次は前回同様にとっても良かったのですが、毎度おなじみ15分ドラマでしたので、心に食い込む前に終わってしまったのですね。

その後の拾の話は自然に涙がこぼれてしまいました。その時は苦渋の選択であっても、正しき判断だったと思うのです。子供を亡くしたばかりであったので、わが子として育ててしまったことが、今回の悲しい別れに繋がってしまったのですね。

「数奇な運命をたどる」

確か秀次の時も、拾の時も、そのようなナレーションが入ったような気がしました。

数奇な運命をたどった子供たちは去って行ってしまいました。

そして明日は朽ちてしまった老人も・・・・予告編見て震え上がってしまいましたよ。あの人も出るって言うのに、「柄本秀吉」と「恐怖の茶々」に期待大です。

 

秀次の側室の処刑のシーンですが、番組の中では刑場に引き立てられるシーンしかなくて幸いでした。それでも、胸が痛かったです。番組の終わりにそのときの絵などが紹介されていましたが、胃液が逆流してくるようなそんな感覚を覚えました。

人間とは、かくも醜く怖い生き物なのか・・・

この報いは必ず誰かが受けている。そんなことを思いながら見ていました。

ところで、掛川城が出ていましたね。
前日の23日に行ってまいりましたので写真なんかを載せていってみたいと思います。

 

          

          

 

         

         天守に立って城下を見渡してみました。

 

         

         

          二の丸御殿です。この中は、なかなか良いですよ。
 想像力をかき立てられます。割れて黒ずんだ柱など、たまりませんよ。
 一豊が溜息ついて寄りかかったりしたかも知れない、なんて考えてしまいました。

 

           

                 伝説の霧噴き井戸

今川氏真が立て籠もった時、 この井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康 軍の攻撃から城を守ったと言う伝説があります。

         

特設会場では、「功名が辻」の展示をしていました。中にはお市の方が着た打ち掛けを着て写真を取れるコーナーなんかがあるのですよ。
「まあ、お太リになられまして・・・」なんて言いながら私もパチリ。気に入りました。

掛川城は、思っていたとおりの落ち着いた素敵なお城でした。

 

     

   

       

 

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朱夏の群れ、晩夏をいく  〈つま恋〉後編

2006-09-30 02:34:45 | 観劇・コンサート日記

             

拓郎の歌には「青春」という言葉がよく出てきた。青春の真っ只中にいた頃、自分の心の叫びを代わりに歌い上げてくれているような彼の歌が本当に好きだった。

人は若さを何かの特権のように誇る時があるけれど、〈かって私もそうだったかも〉生き続けていくことが出来るならば、「人生の時」は残酷なほど平等だ。

「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」・・・・

なかには遅い青春の終わりにしがみついている方もいるかもしれないが、私たちは「朱夏」の時代を生きている。大きな荷物を背中に背負って、大汗かいて、だけど生き生きと。

一寸先の未来さえ見ることも出来なくて、いつも何かが不安だった、いつも何かにイラついていた。そんな青の時代に、懐かしさはあったとしても、何の未練があるのだろう。

 


 私の「つま恋顛末記」はたどり着くまで、コンサート中、帰り着くまでに分かれると思うのですが、たどり着いたときの話をまだ少しだけさせてくださいね。

姉が言いました。
「席を取ってから、トイレに行こうか。」
でも、私はまだまだ会場に向かう溢れるほどの人の波を見ていて、
「座ったら、うろうろ出来ないよ。もう、エリアの最後も最後から三番目でも同じだから、先に行っておこうよ。」これはある意味大正解で、ある意味大きな勘違いでした。

会場に入って吃驚してしまいました。知らないということは怖いことですね。私のエリアは後ろまで、びっしり人がすでに入っていました。

「ウヒャー、こりゃどっから入るんじゃー」と言ったら、
お近くに座っている方がパッと振り向いて
「あっちにゲートがあるわよ。」と即答してくださいました。
「え、あっ、ども・・」―もう、いやねえ。おばさんは独り言の声が大きくて

席に着くまでにも、書いておきたいことがあるのですが、またまた長くなるのでここではやめることにしました。今、結構書いたり消したりしっちゃった。

 

コンサート中の雰囲気は前の記事「聖なる場所に祝福を」-つま恋 を読んでくださいね。もしくは10月1日までの期間限定ですが「つま恋会場レポート」、又は「聖なる場所に祝福を」の記事にTBしていただきましたhalかあしゃんのブログ記事をお読みください。詳しいですよ。

だから、ここでは「お笑い」を。・・・「お笑い?」   

会場には不思議な一体感があったと言う事は、前の記事にも書かせていただきましたが、そうなるとお互い親切にもなってくるものです。野外で出入りは常に自由なので、常に人が流れています。シートがびっちり敷いてあるので移動も大変ですが、お近くに来た方が、通れないようだったりしたら道を開けてあげ、それでも荷物をずかずか踏んで行かれてもニコニコ笑い、よろけられたら支えてあげたリしていた訳ですよ。

一人の御夫人が私の前を通るのかと思うと引き返し、またやって来ます。それを繰り返しています。
「何かお困りですか? 」さすがに私も声をかけました。
「席を立ったら、戻る所がわからなくなってしまったんです。
―なるほど、不用意に立ったら、それもあるかもなぁ。―
「それは焦りますね。前とか横にいらした方なんかを覚えていませんか。」
同じTシャツ着ている三人組とか、赤い服来た美人な人とか、子連れとか・・
「覚えている・・・」
「まあ、良かった。どんな特徴がありました。」
「私の前に中年のおばさんが二人いて・・・・」
―  ・・・・・・・・・・    ―
「あの~、ほとんど中年なんですけど」  
ねっ、おばさん!  

 

 ほとんど席を立たなかったので会場以外のことを詳しくお伝えできませんが、一度だけ夕飯の調達に出かけました。写真に撮ることなんてすっかり忘れてしまった私ですが、いただいた「芋煮うどん」はものすごくおいしかったですよ。

姉が「芋煮うどん」の列に並んでいる時に、お隣の完売してしまっているカレー売り場で、炊き立てご飯でおにぎりを、今作って売ると言います。

おいしそうなので、並ぶ事にしました。私は二番目。前の人も後ろの人もとっても綺麗な人で、ここは美人が並ぶ所かしら・・・って、うそですよ。

前後の人が美人だったと言うのは本当です。その人たちが、また面白いのですよ。
―あたしらが結んであげようか。海苔はこっちで巻いてあげる―とか・・・
あれっ、書いてみると何も面白い事は言っていないですよね。要するにその場のワイワイと言う雰囲気が楽しかったのですね。

その炊き立ておにぎりも、とっても、お・・  コホン  とっても、おいしかった・・・・・か~?

 

                                             

 

 席に戻ってふと気がつきました。

「姉よ、姉。あれ買うの忘れちゃった。ルミカライト。アレが欲しいよ。」と言ったら姉が「アレはねえ、今はいいけれど持って帰って、明日それを見るととっても空しくなるものなのよ。」
「祭りの後みたいに?」「そうそう。」「ふーん。」って言いくるめられちゃいましたね。

でも、最後の拓郎の時は、もう座る気なんかもとよりありません。立ちっぱなしで手拍子なんかしないほうがいいような曲の時、なんていうか手持ち無沙汰で、やっぱり欲しかったなぁ、ルミカライト。・・・・もう、ホントにお子ちゃまで

最後の方では、足もすでにパンパンだなあと思いましたが、手も拍手と手拍子のし過ぎで腫れあがっている様に感じます。

「手、叩きすぎちゃったかな。」と会話もそこでやめればいいのに
「なんかサア、毛細血管切れちゃったんじゃない?」・・・・もう、ホントにおばちゃまで

 

 

拓郎のアンコール曲が終わり、彼が静かに余韻を残しながら去っていきました。ステージの画面にはThank You,Forever Young  のメッセージが・・

その時携帯にメールが入りました。

「終わっちゃったね。」  と友人から。テレビ見てたんだぁと嬉しくなりました。

そう、終わってしまいました。8時間半なんて本当にあっという間ですね  

 

            

                       ・・・・・・・バイバイ、つま恋

 

 

そして、掛川から浜松に出て、1時14分の「ムーンライトながら」に乗って横浜に帰ってきました。

浜松で1時間以上の待ち時間が有って、ファミレスで時間でも潰せばいいやと思っていた私と姉の考えはここでも甘かったことがわかりました。駅前にファミレスを見つけられず、コンビニでサクレとかプリンと買って、浜松駅の前の少し洒落た椅子に座っていただきましたが、少し肌寒い夜風が気持ち良かったですよ。

 

              

                〈ムーンライトながら〉

横浜一歩手前の戸塚で信号機事故か何かで30分近く電車が止まってしまいましたが、おおむね順調。4時50分ごろ横浜に着きました。姉のだんな様が迎えに来てくださって、再びじじばばの家に着きました。その後仮眠をして、この記事の内容のような「みやげ話」をばばにして笑っていただいた後、我が家に帰ってきました。

                                             午後5時。「ただいま~」

 

 

 

  

   

 

 

 

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朱夏の群れ、晩夏をいく  〈つま恋〉

2006-09-27 16:34:27 | 観劇・コンサート日記

        

                                                           〈写真はつま恋会場レポートから〉

25日の午前中、私はワイドショウなんかのつま恋の映像を見て、うるうるしてたんだけれど、それでもなんだか、微妙に引っかかってきた。

なんでしょうね。
「おじさん、おばさん大集合」「団塊の世代の同窓会」みたいな感じの言葉のオンパレード。いいんだよ。本当におじさん、おばさんの大集合なんだから・・・
でも、この言い方、「debuにdebuって言って何が悪い」みたいで、優しさがないよね。
「団塊の世代」という言葉も安易に使いやすいよね。だけど、何かの新聞の記事の中にそのまま「団塊の世代が集合」というのがあってびっくりしたんだ。だけど、ある記事には「団塊の世代を中心に・・」とあった。後者が本当でしょう。     字数の関係かも知れないけれど(と、優しく解釈しちゃうのよね・・おばさんは)許してあげたくない。だって、私は団塊の世代じゃないもの。

・・・・・なんだあ、それがいいたかったの。と、思いましたか。そう、実はそのとおり。なんていっても、子供が大きいので、私の年なんかバレバレなんだけれど、「つま恋」「つま恋」といってたせいで、なんだか、私の年齢イメージ跳ね上がっていない?
などと、針の穴のようなちっぽけな心配をしているわけだけれど、私はこの「団塊の世代」というのに共に括られるという経験をしていろいろ考えてしまったことがあって、だけどこんな事書いていたんじゃ、前書きで終わっちゃうなと考えている今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。  ・・・一度、これ書いてみたかったんだよね。

さて、本文。

私自身の「つま恋」顛末記なんだけれど、タイトルのイメージとはかけ離れてどちらかというとコメディタッチです。まあ、私自身の生活のほとんどがシリアスよりコメディで成り立っているので、お気楽にいきまーす。

前日、横浜の家にやってきたのは前の記事にも書いたことなんだけれど、睡眠や起床に心配をしたくないというのが理由だったのですが、はっきり言ってこけました。着いたのが午前12時15分。・・・・やめればいいのにやめられないドラマ好き。やだ、調度「怨み屋」の時間じゃない。といって、それを見る。だって、明日は、別に5時に起きなくてもいいし、誰かが起こしてくれるからいいよね。

が、夜中のじじの咳払いがうるさい。家がだだっ広くて寒い。うっかりしていたわ、じじばばは、朝が早いのよね。朝5時に「珈琲が入ったよー。」とか普通の声で聞こえてくる。

誰にも起こされないで起きましたよ。朝5時半に。。。だらーっと。。。

家を7時20分に出て新横浜から新幹線に乗ることになっていました。別に自分の無知を晒したい訳ではないのですが、新幹線の切符ってどうやって買うのと心の奥底で不安になりましたよ。だって、新幹線なんて、20年以上乗っていないのじゃないかしら。名前だって興味ないから、「こだま」「ひかり」それから「のぞみ」なんかがあって、後はその他いっぱいって感じですから。

姉が言いました。
「指定席あるか聞いてみようか。」
「姉よ、姉。聞く必要はないみたい。あそこに×と表示されているよ。」
一目瞭然じゃない。しかも、自販で買えるし。
なんだあ、こんなに簡単に切符なんか買えるんだぁ。

ちょっと、あなたどこの国の人かしら、って感じですよね。

しかし指定席がいっぱいじゃ、気合入れなくては座れないなあと思っていた所に、こだま533がホーム入ってきました。窓の外から見るとほとんど席が埋まっていましたが、運よく、姉とは別れてですが座っていく事が出来ました。一人で座っているので暇ですが、車窓の風景も美しいので眠る気にもなれず
―あんなに気軽に切符も買えるんだったら、ふらっとどこか遠くに行きたいな。
―何、言うてんねん。今、その遠くに行ってる途中だちゅうの・・
なんて、一人で心の中でぼけ突っ込みなんかしていました。
途中の新富士の宮付近では、富士山がとても美しかったのですよ。

掛川駅に近づいて来ましたので、出入り口近くに移動しようと席を立ち、車両のドア近くに来た時、我が家のラッタ君と同じ年頃の青年が座席から立ち上がって嬉しそうに車両全体を見回していました。

エっと思い、後ろを振り向いてみると、うわービックリ。

なんていうか、ほとんどの人がこの駅で降りるために立ち上がっているところでした。見ると、みんな大きな荷物を持っています。この荷物の大きさが「つま恋」に行く人の目印ですね。この荷物が車両の中では網棚の上に載せられたり床に置かれたりで分からなかったからかも知れないのですが、私も、ここでこんなにも多くの人が下りるとは思っても見なかったのです。

しかも、みんなおじさんとおばさんだー    って、自分で言うなって。

先ほどの青年は夜自分のブログなんかに
―今日、掛川駅で・・・・     ― というようなことを書いたのでしょうか。

      

 

新宿駅の通路ではないですよ。掛川の地下通路です。行って戻ってまた並んで、シャトルバスに乗るのも大変です。9時40分頃掛川に着いたのですが、すでに駅は大パニック状態でした。ホームを歩いていれば
「この電車は発車時間を過ぎています。速やかにお降りください。」と車掌さんの声が悲鳴のように聞こえます。自動改札口がこの人数に対応できず改札からも出ることが出来ません。駅員の人が、二人切符を集めてみんなを外に出しています。

この盛り上がりに、一瞬気持ちが揺らぎましたが、あまりの人の多さにかえって腹が決まりました。当初の予定通り、掛川城のほうに足は向かったのでした。その話はまた別に。でも、駅のトイレはどこも長蛇の列でしたが、お城の近くの公衆トイレはとっても綺麗で、誰もいなかったのですよ。

まあ、とにかく11時ごろ掛川駅のシャトルバスの列に並んだのですね。後から後から人が駅からあふれてきます。なんだかんだといって「つま恋」の中に入場できたのはなんと1時。始まっちゃうわ~。

         

         

ボンネットバスの前や、このパネルの前の記念撮影を捨てて、会場に向かいます。「つま恋」の中にたどり着いても、そこからが遠いのですね。

会場一歩手前で、一曲目の音楽が聞こえてきました。

ここまで来たらあせる事はナイですね。
―たどり着いたら~、いつも満杯~

それでも、しっかり自分のエリアにもぐりこんで、はあ・・・・やっとたどり着きました。

なんと言うか、楽しかったですね。ここまでが、私の「つま恋」の一部です。

      

ステージです。本当は撮影禁止。休み時間はいいのかと思って撮ってしまった勘違いの二枚のうちの一枚。

長すぎました。後編に続く・・     

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聖なる場所に祝福を―つま恋

2006-09-25 12:22:37 | 同じ時代の船に乗る

拓郎&かぐや姫31年ぶりつま恋ライブ (日刊スポーツ) - goo ニュース

 1時から9時半のコンサートはあっという間に終わってしまった。行く前には、行き方から、長時間のコンサート、帰り時間、皆なんとなく不安でドキドキしていたが、それはすぐにときめきのドキドキに変わってしまった。

 拓郎の一部、「ともだち」を彼が歌った時、ふかくにもというか、早くも涙があふれてしまった。―とも~だちは、遥かなたびじを~

私は過去の私に会いに来たのだろうか。

あの時、この歌を歌っていた。あの時、その曲を聴きながら、私は泣いていた。あの時、あの歌で負けないぞって思ったんだよ。

歌の向こう側に、泣いて笑っているもう一人の私がいた。

 

別に感傷に浸りに来たわけではない。でも、そこにいた3万5千人のかって若かった人たちの中にも、時には、私と同じような感覚があったのではないだろうか。そこには不思議な一体感があった。

 かぐや姫が二部では白いスーツ姿で登場した。

あのね、白状しちゃうと、「かぐや姫」って私の中ではおまけだったんだよね。だから、眠くなったらここで寝て、トイレに行きたくなったらここで行こうなんて思っていた。

でも、姉が電車の中で言った言葉・・・
「わたしも、今頃気がついたんだけど、ここにはさあ『かぐや姫』が好きで好きで、大好きって言う人も来るんだよね。」

そうだよね。私のような失礼な事思ったりしてはいけないよな・・・

が、眠くなったらここで寝る?トイレに行きたくなったらここで行く?
とんでもありませんよ。聞き惚れてしまいました。

しかも、斜め横後ろにいる昔のお兄ちゃん達は、姉の言っていたところの「かぐや姫」ファンみたいだ。次の曲を紹介されるたびに
「ア~、この曲好きなんだよ。」
「これ、いい曲なんだよなぁ。」
「もう、これやっちゃうのかぁ。」
「俺、これ聴いたら泣いちゃうよ。。」
全曲コメント付き。

私はラッキーな人だ。その人のコメントと一緒にこの人たちが歌う声を聴きながらどんどん「かぐや姫」にはまっていく。この人たちは、何気に歌も巧かった。

「かぐや姫」の歌は、優しさに満たされている。歌が巧い。そして何よりも舞台進行が素晴らしい!!!!
二部と四部と進むうちに私はすっかり彼らの虜だった。

何を今頃、って「かぐや姫」のファンの人は思うよね。ゴメンね、だけど知らなかったんだモン。

「モン」って言っても、もう「かぐや姫」と言うグループはないんだよね・・・・

 

最後の拓郎のステージが始まった。
「人生を語らず」
―超えて行けそこを  超えて行けそれを―
もう、会場は一つ。

でももう分かっているよ。どんどん終わりが近づいているんだよね。なんだあ、あっという間じゃない。その時曲は「永遠の嘘をついてくれ」・・・・共鳴しちゃうな、いい曲だわ・・・って、中島みゆきが登場。思わずキャーって喜んでしまった私はやっぱりミーハー?    いえいえ、みんな喜んでいたよ。しかも、この歌は彼女の歌だった?と言うくらいかっこよかったのですよ。そしてクールに退場。かっこよすぎるぞ。

そう、クールに退場しようぜ、今日という一日を。

何時の間にやら、私たちは新しい水夫ではなくなってしまった。それでも、古い水夫達の古い船は、「我らの時代」の海を渡っている。私たちの船は、新しい船の先導でいよう。

今日という日が終わり明日を迎えたら、本当は中身なんか何にも変わっちゃいないのに、したり顔をして、社会に出て行かなければならない。又は思慮分別のある顔をして、父、母を一心不乱に演じている。一生懸命生きてきた。そして生きていく、また明日から。そう思ったとき、曲は「落陽」で、まるで、何かのご褒美のように、美しい花火が夜空を飾ったのだった。

その時私は忙しかった。だって花火を見て、ともに空を見上げる拓郎を見て、また花火を見て、会場を照らす明かりの中を花火の灰が雪のように舞っている。本当に細かいので、気付かない人も多かったと思うけれど、きらきらと会場中に降り注いでいる。

私は拓郎からのメッセージを受け取れたと思う。なぜなら、最後の曲は「今日まで、そして明日から」だったから。

アンコールを求める手拍子の時、後ろの方から、「人間なんて」の歌が聞こえてきた。静かに静かに増えていく。姉は、その歌に感激して泣いている。会場中が「人間なんて」の大合唱、そして、拓郎が出てくる・・・・かっこいい~
・・・・・・いやいや、そうはならなかったのだけれど、そうなってはだめだよね。だって、アンコール「かぐや姫」の「神田川」が先だったのだから。

―若かったあの頃~      って、こうせつさん、この日のためにこの歌作っておいたのかなあ。

そして、拓郎のアンコール曲「聖なる場所に祝福を」。。。。

私は過去の私に会いに来た?
いいえ、私は明日の私に会いに来たの。

 


 

 

 

 

 

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つま恋来てます

2006-09-23 12:14:09 | 観劇・コンサート日記
シャトルバス降りても、レミングスだー
でも、空も晴れわたって、それも楽しいぞ


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電車の中です

2006-09-22 22:15:39 | 観劇・コンサート日記
今、電車の中にいます。この時間、こんなに空いている電車ってあっていいのかなぁ。眠いです。

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つま恋前日!!!

2006-09-22 08:23:13 | 観劇・コンサート日記

信じられない   とうとうこの日が来るなんて。

何で前日で「この日」と言っているのかと言うと、もう今日の夜から私はつま恋に向けてスタートを切るからだ。地方の人はそういう人もたくさんいると思うけれど、私は千葉なので、明日の朝出発しても、本当はOKなんだけれど、今日の夜、横浜の姉の家に泊まる事にしたのだ。

だって、一週間も二週間も前から「つま恋」のことを考えるとドキドキしてしまう。何でなのか緊張してしまうのだ。愛する拓郎に会えるからというのではない。なんて言うと、他のファンの方たちに怒られちゃう

ー私は結構ミーハーなんだけれど、静かに愛するタイプなので・・・  ―

要するに、初めての修学旅行に緊張する小学生のようなものだ。1時から9時までの野外コンサートなんて人生で始めてで、どういう一日になるのだろうと不安な気持ちにもなってくる。

そんな前からドキドキしてしまうのでは、もし、明日の朝、家から朝5時に起きて出発するというのは自信がなくなってきた。

もしそうならば、私はきっと夜「怨み屋」を見て、いつものように2時に寝て、寝ても、緊張して全然眠る事ができなくて、絶不調でスタートを切りそう。。。。

で、無理しても姉の家に行って、姉におんぶに抱っこ作戦

「何時に起きるのよ、何時に出発よ。この電車に乗るのよ。」・・・それで私は
「お姉ちゃん、掛川城には行ってね。おなかすいたね。足が痛いね。暑いね、眠いね・・」おいおい

 

行く準備して、家族のためにカレー作って、仕事の準備して、夜は9時まで仕事だし。仕事も今は手も抜けない。 サア、今からスタート  GO

でも、結構ハードなスケジュール(今日ではなくて)、帰りは横浜に24日の朝4時半ごろ着くらしい。体力大丈夫かな。―拓郎、「つま恋コンサート」は23日だけのことではないね。

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美しい夢2

2006-09-20 16:03:37 | ’08/12/7までの未整理日記
これは何の絵かと言うと「流星群」の夢なのですよ。


流星群は何度か真夜中に起きて子供と見に行ったことがあります。しし座流星群とか、その前はなんだったかしら。とっても素敵な思い出ですが、こんな風には見ることは出来ませんでした。

でも、夢で見ました。

残念ながら、昨日の事ではありません。昨日見たなら、今日、新しい総裁が誕生した事の吉兆と見ることも出来るかもしれませんが・・・
「美しい国」。いい言葉ですね。本当の事を言うとこれと言って支持はしていませんが、今これと言って何か言う必要もないですよね。

「期待しています。」まじめに働けば豊かな老後が来る国、命かけて生んだ子供たちを戦争で殺さない国、学歴のある妖怪たちにのっとられない国でありますように、よろしくおねがいいたしますね。。

昨日の私は一日いい日ではなかったのですよ。仕事でも、入った喫茶店でも、家でも、言わなければならないことや、不満があったのですよ。

気分的になんとなく不満だとか、イライラしていてというのではないのですよ。苦情として、意見として、又は親として言わなくてはいけなかったのですよ。こんな日ってあるのですね。

自分の声がうるさいですよ。ニコニコしていたいですよ。でもそうは行かないのです。

―ミスして迷惑かけているのに、自分のミスではないからかもしれませんがすみませんの「ス」も言わない信用できない企業は切り捨てよう。いやな感じの喫茶店には二度と行かない。仕事の事は頑張ればいい。物事は単純だ。―

でも、親はやめられないのですよ。貝の様にならないでください。亀のようにその顔も手足も全て甲羅の中にしまいこまないでください。うるさがられても、憎まれても、睨まれても言わなくていけないことは言うのですよ。

いつか二人で見た流星群。あなたの上に何時だって美しい星ぼしが降り注いでいて欲しい・・・
今ではないいつか、私がこの地からいなくなる日が来るでしょう。その時、あなたの上に降り注ぐ星のひとつにきっとなるね。



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功名が辻「太閤対関白」

2006-09-18 11:45:33 | ドラマ (大河)

大河ドラマ「功名が辻」のトピックスで、今回の秀次のことを、詳しく流れに沿って載せていましたね。「追い込まれる秀次、悲劇の“Xデー”迫る!」

もう、今回はみんなここ見てね、って感じなんだけれども、秀次、本当によかったですね。今までの女好きで残虐なイメージのあった秀次像を打ち壊し、新しいイメージを作り上げました。

演じた成宮寛貴君が良かったのですよ。切々と、その願いや悩みが伝わってきました。

今回、心に残ったのは出演している方々の、その演技力でした。なにやら、偉そうな言い方になってしまいますが、どこのシーンでも、キッチリ場面が成り立っていて見ごたえがあったのです。良かった、お玉出てこなくて・・・・

言葉だけで語れば、まるでアメリカンドリームのような人生だった秀吉の、その後の短命だった血脈に同情的だった私でも、「もう、この人たちは天罰!どうでもいいや。」と思わせてしまう柄本明さんは、いつもながらすごいです。

そして、寧々様。着ていた着物もとっても素敵でしたが、千代とのやり取りの時
「分かりました。うちの人に伝えておきましょう。」と言った時、怖くてゾーっとしました。綺麗で、怖い。きれこわ・・ですかw   ←間違えて、指がさわっちゃったんだけど、まあ、いいかあ。

「うちの人」―秀吉をそう呼ぶ寧々の格の違いを感じてしまいます。浅野ゆう子さんは、作り手の「ごく妻のような」と言うコンセプトを貫いているよなと感心してしまいます。

一豊さんも、私の好きないつもの渋いお顔の上川隆也さんでした

関白返上してしまえばいいのに。そう思わずにはいられない話の展開ですが、サスペンスのようにどんでん返し等あるわけもなく、ただ過去の悲劇の過程を見守るだけの私たちにとっては、「秀次の真実」-これもありかなと思う、ただそれだけですね。都合の良い風に尾ひれをつけて、その人物像を残す。時の為政者達のやりそうなことですものね。

人は時に「歴史に名を残す」と言う果てしない夢を見るときがある。でも、残ってしまった「名」が汚名だったりしたら、過去からの風に乗って気まぐれに今を覗いた残留思念たちは、どんなに切なく思うことだろう。
ー秀次殿、少しはお気持ちが晴れましたか?ー

 

「秀次殿、少しはお気持ちが晴れましたか?」
「う~ん、来週の事を思うとちょっと・・・出てこなかったけれど我が3歳の娘のことを思うと胸が、胸が痛いでござる。」
「大丈夫でございますよ。人は人にした事の報いを必ず受けるものなのですよ。ならば、しばらくここにとどまりて、『功名が辻』を見ていかれたら。」
「さればそう致すか。」・・・と言うわけで、来週から秀次と一緒に茶々の最後を見届けます・・・なんて、あほなこと書くなって。。。。

オマケでござる。
「これ、秀吉が主役なんだっけ。」といつものラッタ。
「そう、それで次は家康。」
「おい、こらっ、
「・・・」    ←やっぱり記憶がない

 

―来週はお休みの予定です。―

 

 

 

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次の準備

2006-09-16 12:37:07 | 新米パソコン生活
昨日は降り続いた雨があがりましたね。でも、私の所ではそんなにすっきりと晴れてはいませんでしたよ。それでも重い雲が風に流され、形を変えながら通り過ぎて行きました。

早いもので、今年ももう9月、しかもそれも半ばですよ。どうしてこんなに月日は早く過ぎていってしまうのでしょうね。

他の人のブログ等を読んでいると、時々「一周年」とか「二周年」と言う言葉に出会う時がありますが、いつも信じられない思いに囚われるのです。

なんていうか、その素敵なブログをたった一年で作ってきたのかとひたすら関心してしまうのです。私は、たまたま頻繁に読まさせていただいているブログの方々は、皆長いキャリアを持っているのかと思っていましたから。

一年と言う時間はあまりにも早く過ぎて行ってしまうように感じますが、本当は多くの事がやれる時間があるのかもしれません。

でも、私には自信はありません。後、3ヵ月半で私のブログも一年がたってしまうわけですが、、私の中の「素敵な」と言う水準にはならないように思うのです。

実はブログを始めて3ヶ月ぐらいの時、早くも気持ちが行き詰ってしまったのでした。なぜなら、私の行動パターンは  興味行う考える と言う順番が多いからです。又は、やりながら考えるタイプかもしれません。そういうタイプの人の多くは、たぶんですが、その底辺に「勘」なるもの、または無意識の計算が働いていたりするのだと思うのです。

だから、ブログを開いたのは私にとっては大正解の出来事でした。何のためにブログを開いたのかについては、また別の機会に書いてみたいと思います。何も、もったいぶるような内容ではないですよ。でも、もし誰かがこの文を読んでくれていたとしたら、このような話ではそろそろ飽きてきてしまったのでは・・・(もう少し付き合ってくださいね。)

大正解なのに、何で行き詰ったかと言うと、ある日ラッタ君が行った「可読性」と言った言葉。(それについては7/19の記事を見てね。)

あきまへん、書いていて自分が飽きてきてしまいました。とにかくぐちゃぐちゃ悩んでいたときがあったのですよ。自分の悩みの過程というものを書くということは、自分をしっかり見つめなければならないわけですから、めんどくさくなって来ちゃいました。

まあ、とにかく悩んだりしながらも、これからもずっと続けていこうと思っているので、少しずつ整理整頓をしていきたいなとか思っているのです。


ところで、私の友人で、この前初めてブログ持っている人が見つかりましたが、ほとんどの人はブログどころか、パソコン自体が、1年前の私と一緒で「あなたの知らない世界」の産物です。

前にある友達に
「ブログ始めたんだ。」と言うと、
「何のために・・」と言われました。私は迷わず
「次の準備」と答えました。
「次って、次は何をするつもりなの。」
「サア、『次』はこれからやってくるものだから、何が来るかはわからないでしょ。」

ある時は、人は風に流される雲のように、形を変えながら過ぎていくものかもしれませんね。でも、いつも流される雲の上は真っ青な空がある・・・・





コメント (7)
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