ドラマの話が自分の事と重なるときが無いだろうか。
私は、一人目の子供は流産してしまって生むことは出来なかった。その悲しみは、半年たってもいえなかったが、そのころ、新たな不安に襲われるようになってしまった。
それは、それまでの人生で考えてもみなかった「不妊」である。
「あのさあ、」と、ある日私は、だんなに聞いてみた。
「もしこのまま、子供出来なかったらどうする?」
「そしたらさあ、二人で何かしながら生きていけばいいじゃん。」と彼は言った。
でも、・・・と私は思う。誰にだって、結婚で思い描く夢があるはず。男にだってあるだろう。例えば、妻と子供の待つ家に帰る安らぎ、家族で食卓を囲む幸せ、守るべきものが増える手ごたえ。それから、今時家の継承なんかは関係ないが、血脈が絶えるのは悲しいかもしれない。
なんとなく、晴れない顔をしている私に彼は言った。
「子供がほしくて、結婚したんじゃない。出来たら喜び、出来なかったら二人で生きていこう。」
私自身も子供を持つことに固執していたわけではなかったので、彼がそう思えるのだったら、苦しむ必要なんか無い。そう、心が軽くなっていくのを感じることが出来たのだった。
千代のおば様が、側女など持たぬ生き方もあるということを言うくだりで、私は、一人頷いていた。
時代が違うといっても人間の心なんて所詮そんなに変わるものじゃないのさ。家の継承のために女奉公人を召しいるのを耐えるなんて、いつの時代でもそこには悲劇の思いがあったはず。
「側女なぞ要らぬ。千代の子だから欲しい。」という一豊のような男も、ドラマだからではなくて、きっと戦国の世もその先の時代もたくさんいたに違いない。
「私が殿様のお子を生んで差し上げます。」と小りんが言ったとき、
「そうか。」と言った千代の目に涙が滲んでいたシーンでは、切なくて、同じように涙ぐんでしまった。
だから、出来すぎ妻の千代なので、小りんを側室になんていいだすのかと思ってはらはらしてしまったが、そうではなく
「殿様を小りんなどに渡さない。」と千代は言った。
そうだ、それでいいのさ。子供なんて出来たら喜び出来なかったら二人で手を取り合って生きていけばいいのさ。短い人生で大切なものは「想う心」なのだから。
だからと言って、小りんのこともしょうがないなあとは思えない。
一豊の子供を孕んで、流れてしまっていた小りん。本当は、一豊の子供かは確かではないがそう思いたいのは女心と言うものだ。そうだったのか、としみじみ小りんさえも哀れに感じてしまったのだった。
男は、生まれてきた子供を一人と数えるかもしれないが、女は孕んだ子供から、一人と数える。そんなことを、作者たちは知っているのかなあ、とぼんやり考えながら私は小りんを少し優しい目で、みつめていた。
自分のパソコンが壊れて修理中です。戻ってくるのは3週間後・・・それまで、ルート君のお部屋でこそこそとやらせてもらう予定でしたが、だけど、どうも時間がうまく取れなくて、前回の「巧妙が辻」の感想も中途半端に放置されていました。でも、ここまで続けて書いてきたので、何か今更という感じですが、記録として載せておくことにしました。
私は、一人目の子供は流産してしまって生むことは出来なかった。その悲しみは、半年たってもいえなかったが、そのころ、新たな不安に襲われるようになってしまった。
それは、それまでの人生で考えてもみなかった「不妊」である。
「あのさあ、」と、ある日私は、だんなに聞いてみた。
「もしこのまま、子供出来なかったらどうする?」
「そしたらさあ、二人で何かしながら生きていけばいいじゃん。」と彼は言った。
でも、・・・と私は思う。誰にだって、結婚で思い描く夢があるはず。男にだってあるだろう。例えば、妻と子供の待つ家に帰る安らぎ、家族で食卓を囲む幸せ、守るべきものが増える手ごたえ。それから、今時家の継承なんかは関係ないが、血脈が絶えるのは悲しいかもしれない。
なんとなく、晴れない顔をしている私に彼は言った。
「子供がほしくて、結婚したんじゃない。出来たら喜び、出来なかったら二人で生きていこう。」
私自身も子供を持つことに固執していたわけではなかったので、彼がそう思えるのだったら、苦しむ必要なんか無い。そう、心が軽くなっていくのを感じることが出来たのだった。
千代のおば様が、側女など持たぬ生き方もあるということを言うくだりで、私は、一人頷いていた。
時代が違うといっても人間の心なんて所詮そんなに変わるものじゃないのさ。家の継承のために女奉公人を召しいるのを耐えるなんて、いつの時代でもそこには悲劇の思いがあったはず。
「側女なぞ要らぬ。千代の子だから欲しい。」という一豊のような男も、ドラマだからではなくて、きっと戦国の世もその先の時代もたくさんいたに違いない。
「私が殿様のお子を生んで差し上げます。」と小りんが言ったとき、
「そうか。」と言った千代の目に涙が滲んでいたシーンでは、切なくて、同じように涙ぐんでしまった。
だから、出来すぎ妻の千代なので、小りんを側室になんていいだすのかと思ってはらはらしてしまったが、そうではなく
「殿様を小りんなどに渡さない。」と千代は言った。
そうだ、それでいいのさ。子供なんて出来たら喜び出来なかったら二人で手を取り合って生きていけばいいのさ。短い人生で大切なものは「想う心」なのだから。
だからと言って、小りんのこともしょうがないなあとは思えない。
一豊の子供を孕んで、流れてしまっていた小りん。本当は、一豊の子供かは確かではないがそう思いたいのは女心と言うものだ。そうだったのか、としみじみ小りんさえも哀れに感じてしまったのだった。
男は、生まれてきた子供を一人と数えるかもしれないが、女は孕んだ子供から、一人と数える。そんなことを、作者たちは知っているのかなあ、とぼんやり考えながら私は小りんを少し優しい目で、みつめていた。
自分のパソコンが壊れて修理中です。戻ってくるのは3週間後・・・それまで、ルート君のお部屋でこそこそとやらせてもらう予定でしたが、だけど、どうも時間がうまく取れなくて、前回の「巧妙が辻」の感想も中途半端に放置されていました。でも、ここまで続けて書いてきたので、何か今更という感じですが、記録として載せておくことにしました。