「未来は見えない」などとタイトルをつけると、「ハハーン、この人のことだからまたもタイミングを大幅にずらして3.11について何か言うのかな」なんて思う方もいらっしゃるだろうし、今ちょっとネガティブな気分になっている方は、このタイトルでもネガティブに受け取る方もいらっしゃると思います。
まあ、先に「」で書いた部分はかなりの自意識過剰。誰も何も思わないというのが本当のところだと思いますが、このタイトルの先に「良くも悪くも」と続けたら、印象もだいぶ違うのではないかと思います。
だいたいこの記事、3月11日直後に書き始めていたものですから、「大幅にずらす」と言ってもずらし過ぎな感もありますよね。
3月11日・・・
だけどやっぱりこの日のことも触れておこうと思います。
実は、ちょっと真面目なことを書こうと思ってブログも空けておきました。空けておくというのはどういう意味かというと、その日にはハシャイだことを書くのもどうかと思ったので、「相棒展」の事も藤原竜也くんの事も2つ前日の10日の日に入れたのです。
でも11日、私は何も書けなかったのです。
想いもいっぱいだったからと言うこともありますが、それだけではありませんでした。
ネットの窓と言うのは、時には見たくない言葉も見てしまうものだと思います。私にとってツイッターは95%は楽しい役に立つ場所ですが、ある時にはあまりにも多くの考えが流れてきて、時には「そうかな~?」と思うこともあるのです。だけど140文字の世界なので、誤解のないように「そうは思わない。」と言うことを伝えるのは至難の業です。いろいろな意見や考えがあるのは当然で、そういう時は「ふーん」と思いながらスルーしていくというのもひとつの選択なのかなと思います。
でも11日にはかなり些細な言葉が気になって仕方がありませんでした。それは過敏に反応しすぎている人が気になって仕方がなかったといっても良いかもしれません。具体的には書きません。もしかしたらこのブログにも立ち寄ってくださる方かもしれませんし。
「そうは思わない」と言われただけで、実は傷つく人もいるのですよね。もちろんいつもはマイペースに自分の思うように出来るだけ書かせていただいていますが、ひとたび気になってしまうと、言葉を失ってしまうこともあるものなのです。
そして世の中意見が一致するなんてことはありえない難しさだと思います。
なにしろツイッターで「黙祷する」と呟くことでも、意見が分かれてしまうのですから。
そんなつまらない事で(しつれい!)意見バトルなんかがあったなんてつゆ知らず、私は呟きました。
「黙祷します」と。
あの日あの瞬間、「みんな」という者に、どれだけ支えられたか分かりませんでしたから。「みんな」はネットの窓の向こう側に居ました。
このような書き方は、なんだかリアルな社会から浮いているかのような人のような誤解を受けやすいかもしれませんが、ここに来てこの文を読んでいる方なら、その意味は分かっていただけると思います。
3月11日2時46分、電車も止まり道行く人も足を止め黙祷しました。私と夫は家でしました。長い1分間の黙祷でした。その時一瞬だけ恐ろしい津波の光景が蘇って来ました。後はひたすら祈りました。
あの日亡くなった方々で無念でなかった人は居なかったと思います。
ただ安らかに、ただ安らかにお眠りくださいと祈りました。
私たちは踏ん張ります、頑張ります。だから見守らなくて良いです。今生の思いを絶ち切って、どうか安らかにお眠りください。
そんな言葉を繰り返していたと思います。
私たちは生きている。だから考えながら頑張っていかなければならないのですよね。
ところで、ここからが「未来は見えない、良くも悪くも」の本題です。
昔、kと言う場所で採点と指導のアルバイトをしていました。そこでの経験が今の生活を作ったと言えると思います。そしてちょっとだけ私が自分に自信を持てたのはある少年との出会いがあったからだと思います。
彼は幼稚園の年長さん。そしてダウン症と言う障害を持っていました。その頃は、彼はまだ言葉を持たず「あ」という音で会話をしていました。
「これなあに」も「これやるの」も
「ア、あああ」「あー、ああ」。
ここは凄いな。こういう子供の指導もちゃんとして、と思っていたら、なんと私にその子の面倒を見る役目が回って来ました。
私は中身はわかりませんが、丸顔で見た目は優しげです(コホン)。それでそのお役目が来たのかもしれませんと書いたら、それはよそ行きの言葉で、本当は手のかかる子供を押し付けられたのです。実はやることは簡単です。一緒に優しそうな顔をして教材をやってあげれば良いのです。
だけどその頃私は小学生の母。自分の子供もそのkに通っていました。その親の目から見て、教材はツールであって、本当に力を発揮するのは「指導の力」だと思っていました。ダウン症の子は一緒くたには語れないとは思いますが、知っている限りでは成長がゆっくり進む事が多いと思います。3歳ぐらいでようやく歩き始めたとかも聞いたこともあります。この子はまだ言葉を持つことが出来ていないし、文字の概念がないと感じました。決まりきった教材を横でやってあげても意味がないし、カルタで文字を普通に教えても上手くいかないと思いました。だから何もわからない素人でしたが、少しだけ考えました。
そして考えたことを実行しました。
この先の事は、単なる私の自慢話ですので割愛しますが、実行したことは非常に上手くいき、
少年は、程なく
「あ~」と言って頷きました。
その時、落雷も落ちなければ電気も走りません。土砂降りの雨に打たれるような衝撃もありません。
でも、はっきりとした手応えがあったのです。
それからは簡単でした。少年はあっという間に字を覚えていきました。
多分、機が熟していたのだと思います。その「時」に少しは役に立てたことは、私の大いなる自信に繋がり、多くのものを私に与えてくれたのでした。
時は流れて、つい先日、とある所でバッタリとKの指導者の方とお会いしました。その方が
「彼を覚えているか。」と聞くので、「もちろん。」と答えました。
「あの子は高校生になったのよ。」と彼女は言いました。
「凄いですね。」と答えましたが、敢えてどこにとは聞きませんでした。うちの方に地域には、障害のある子供たちの支援高校もあるし(そこも入るのには大変なのです。)、どこに入ったかを確認する必要もないかなと思ったからです。
ところが次に彼女は
「彼は英検も4級に受かって・・」と続けたのです。
ビックリしました。
4級などと言うと、知らない人は大したことがないように感じるかもしれませんが、中学2年生レベルの内容で、鼻歌を歌いながら受かるというものではありません。
「その勉強中は、彼にとっては辛い毎日だったと思うのね。でも今は漢検も挑戦中。凄いと思うわ、私。」と彼女は言いました。
「本当に。」
心の底から私は言いました。
その少年も、そして受からせる事が出来たあなたもと心の中で付け足したのでした。
その少年の記憶の中に、もはや私の欠片さえ残っては居ないと思います。でも私は心の中でこの先も応援しています。
きっと人は、彼ばかりでなく自分の知らない所で誰かが応援してくれているものなのかもしれませんね。
だからこそ「お陰さま」と言う言葉が日本にはあるのかも知れません。
この記事は、上の方でも書いたとおり、だいぶ前に書き始めたのです。いろいろ雑用に追われて今日になってしまいましたが、その途中で3月21日は「世界ダウン症の日」だということも知りました。
そう言えば大河ドラマの「平清盛」の題字を書いているのは、ダウン症の書道家金澤翔子さんなんですよね。これも意外と最近知ったことです。彼女がその感性を伸ばして今があるのは、お母様がつらい現実を受け入れて向き合ったからだと思います。
未来は見えない。
辛い未来が待っている場合もあるけれど、そうとばかりは言えないのですよね。
これも何回もブログで書いていることですが、大河の「利家とまつ」の中でのセリフ「一寸先は光でござる。」が大好きです。
そしてその未来をつくるのは、やはり自分と向き合い、「今」と言う瞬間を大切にすることがも知れないと思ったりもしたのでした。
「一寸先は闇」「一寸先は光」
やはり私は後者を信じて、今日も踏ん張って多少無理に笑いながらも生きていきたいと思っているのです。