森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ドラマ「聖の青春」を見ました。

2020-01-31 00:31:18 | テレビ・ラジオ

(この記事は敬称略で書かせていただいています。)

※ 下の方に追記あります。

松山ケンイチの映画「聖の青春」も見たかったのですが、映画館にはとうとう行けずで、まだ未見なのです。ちょうどその映画が公開された頃、以前藤原竜也主演のスペシャルドラマがあったのだと初めて知って、見たいとずっと思っていたのでした。

24日に、「新しい王様」見たさで入って、まだうっかり入り続けている「paravi」で見る事が出来ました。

このドラマは、2001年の作品で、なんと藤原竜也のスペシャルドラマ初主演作品なのだそうですね。

 

19年前の藤原竜也、本当に美しく儚げです。

13歳の役からやっているわけですが、(13歳とは思ってはみませんでしたが)、ちゃんと子供に見えました。もちろん彼はその頃10代だったのですものね。

5歳で発病して、病院で幼き日々を過ごしていた村山聖に将棋との出会いがあり、そしてそれが彼の人生を大きく左右して行くのです。

 

そしてこの物語は、静かでそして切なく物悲しかったです。

奨励会に入ってから、他の棋士の中で最速の2年11か月でプロになっていきます。

それを支えた両親と師匠である森信夫。

 

聖の静かなものの言い方が、病弱で未来が見えない不安さを感じさせます。

度々熱を出す聖の看病をし、下着を洗い、買い物をして、そして彼の髪を洗ってあげる・・・。

どちらが弟子か師匠か分からない生活。

だけど時には、熱があっても、先の未来を潰すわけにはいかないと、勝負の席に押し出す師匠でした。二人の生活は、清潔で厳しくと言うものではなかったけれど、暖かい愛があったように、見ていても感じられました。ヒナが巣の中で、ちゃんと守られて育って行くようなそんな感じでしょうか。

足がパンパンに腫れて、とぼとぼ歩き、静かに語る美少年、藤原竜也。

雀荘に、彼が森を訪ねて来て

「先生、僕、今日、二十歳になったんです。

何でもないです。ただそれを言いたくて来たんです。」

と言った時、私はちょっと泣きたくなりました。森も、彼が去った後に

「そうか。はたちまで生きられないと思っていたんだな。」と呟くのでした。

 

このドラマには、知っている藤原節はないかと言うと、そうでもありません。だけどそれはその片鱗。

「こんなものは意味が無いんだ。僕には時間がないんだ。」とお金を破くところ。

好き好きもあるかもしれませんが、今の彼の叫びならば、もっともっと心に食い込んで滂沱の涙を流したかもしれません。

 

だけど後はやっぱり静かな語り方。父に自分が死んだら密葬にしてと頼むシーンでさえも・・・。(涙)

 

彼がいなくなってしまった後、森は聖の部屋を再び訪れます。聖の部屋は漫画が山積みされていて、あまり片付いている部屋とは言い難いのです。だけど窓を開けて空を見上げるシーンで、その横に置いてあり画面に写っていた漫画のタイトルは「エースをねらえ!」でした。

それは聖が一番最初に入院した時に、漫画を貸してくれて声をかけてくれた少女が持っていた本でした。

これはタイトルを映すのに、その許可を取るのかも知れません。そしてその許可の関係で、最後に何気なく置かれたり積まれたりしてある漫画の中で、タイトルがしっかり見えるのがそれなのかとも思えました。

だけど本当の事情はいざ知らず、私には何かの示唆に思えたのです。

本を貸してくれた少女は、次の時には居なくなっていました。つまり亡くなってしまったのです。

 

いつか死ぬという事は、逃れられない約束。

だけどその約束の時まで、ちゃんと生きたかが大切な事なんですよね。

29年、短すぎる人生で、聖はずっと将棋の世界と言う場所で、しっかりとその臨終の時まで生きたのでした。

だからこの、大崎善生の書いた「聖の青春」は人々の心を打ち、ドラマ化され、映画化されて行ったのだと思います。

 

松ケンの映画も見てみたいなと、このドラマを見て、再び思いました。

 

書き忘れてしまったので、追記しました。↓

「何のために生きる ?

今の俺は昨日のおれに勝てるのか?

勝つも負けるも地獄

99の悲しみもひとつの喜びで忘れられる。

人間の本質はそうなのか?

なぜ人間に生まれた?

人間は悲しみ苦しむために 生まれたのだろうか。

人間は必ず死ぬ、必ず

"何もかも一夜の夢" 」

聖が絵葉書に書き殴るかのように、書いてあった言葉が印象的で心に残りました。

 

 


【ストーリー】
5歳でネフローゼに侵され、入退院を繰り返していた村山聖(藤原竜也)。病により外で遊ぶことができなくなった聖は、病室で、父親(渡辺いっけい)が買ってきた将棋盤に触れ、それ以来、将棋に熱中する。元々備わっていた聖の集中力はものすごく、将棋の本を読んでいただけで、プロ棋士を倒すほどの頭角を現した。そして聖は13歳の時、名人・谷川浩司を「倒すのは今しかない」と、反対する両親らを説得し、大阪の森信雄六段(小林稔侍)に弟子入りを志願。「顔を見ればわかる!」と、聖と会った瞬間に迎え入れることを決める森。2人は将棋に没頭し、奇妙な師弟の同居生活を始める…。

 

 

 

・・・・・・・・


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相棒18 第14話「善悪の彼岸~ピエタ」

2020-01-30 00:52:01 | ドラマ(相棒)

※ ピエタとは、『哀れみ・敬虔の意で、聖母子像のうち、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。』

 

そうか、マリアだものね。

 

2週連続スペシャルなので、感想は次回まとめてでも良いかと思っていたけれど、予告編を見た限りでは、今回と雰囲気も違うし次回は次回でとんでもない展開になりそうで、簡単になってしまっても、ちょっと感想は書いておこうかと思いました。

 

で、やっぱり

「一緒に死のう。」はダメよね。

と言うか、まだ何も真実を明らかにしていないというのに、亘の話とわずかな辻褄が合うという段階で、この子を殺して私も死のうと言う発想になるなんて。(この子ではないが。)

更に言うと、普通は飲んだことを無意識に確かめたりするものじゃないかしら。せめて苦しみだしたら、急いで自分も飲むと言うのが、自然よね。

すみません。偉そうにダメ出ししちゃってるみたいで。だけどテレビ前で「オイオイ」と思っちゃったものですから。

せめて南井には「ううッ」とか言う苦しむお芝居をして欲しかったかも。

 

それから、あの「私は聖母マリアではなく、穢れたマグダラのマリアなの。」みたいなセリフにも、ちょっとだけ引っ掛かってしまいました。時に娼婦だったと言われる彼女ですが、諸説があって「ダヴィンチ・コード」以後は、彼女が妻であったとかなり思われていたりもするじゃないですか。決して穢れた存在ではなかったように思うので、微妙な感覚を覚えました。

 

それにあの亘のマリアの問い詰め方にも疑問を感じました。結局は、そこから真実が分かり彼女は死のうと思ってしまったような気もするし、もしも彼女が犯人でも、あんなに手の内を語るものかしら。

 

だけど南井・・・・・。

最初はシャーロック・ホームズのモリアーティのような存在かと思っていたのですが、どうも雰囲気が変わってきました。

彼の目から見える、あの男は誰なの ?

自殺してしまったロンドンの殺人鬼の亡霊?

逆五芒星 !?

 

なんだか盛り上がってきたな。←ちがう !

 


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「ハマスホイとデンマーク絵画」展に行きました。

2020-01-29 14:06:09 | お出掛け日記

1月28日、ちょっと人に会うためにつ冷たい雨の中を出掛けてまいりました。

その待ち合わせの場所を、上野にしたので、その待ち合わせの人と別れた後、せっかくなので東京都美術館で開催されている「ハマスホイとデンマーク絵画」展を見てまいりました。

たまたま、その知人とのお茶タイムを、東京都美術館内にあるカフェにしたものですから、ついでに見るなら「そこででもいいか。」みたいな感じで行ったのでした。

本当は、東京国立博物館での「日本書紀展」などを見たいと思っていたのですが、時間的に予定が押していて、移動時間などを考えると無理だと考えて、そのまま入場したのです。

この「ついででどうでも良かった」みたいな書き方は、とっても失礼だと思います。だけどそれはちょっと本音で、家で「今、上野で何をやってるかなぁ。」と検索を入れた時にも、「ハマスホイ」と言う方もまったく知らず、デンマーク絵画と言われてもまったく興味を感じる事が出来なかったのですから。

だけど !!

時間がなかったって ?

それ、ラッキーだったんじゃないかしら。

この絵画展、どんぴしゃりに、私のツボにはまりました。

 

絵画展に行って、時々思う事は、お値段の事はまったく考えずとも、好きだなと思った絵画を、自分の家に飾ることはできないよなと言う事なんです。

大きさもあるけれど、色調とか雰囲気とか・・・・・・・諸々と。

だけどこの絵画展の作品の中には、自分の家のリビング、もしくは玄関に飾ってみたいなと思えるようなものが、多数あったのでした。

音声ガイドは宮沢りえさん。ガイドしか知り得ない情報もあって、私はそれを借りて耳を澄ます事も多いです。

冷たい雨の日の夕方近くで、館内は空いていました。

ガイド機が流す音楽を聴きながら、ゆったりとした気持ちで決して華美ではない丁寧に描かれた絵画を見て回ることが出来ました。

 

コンスタンティーン・ハンスン作「果物籠を持つ少女」は、ハマスホイが所有していたのだとか。

「新しい芸術よりも古い芸術からより多くを学ぶでしょう。」と彼は言っていたとか。

温故知新って事かな。

ヨハン・トマス・ロンビュー作「シェラン島、ロズスコウの小作地」。ハムレットの舞台だそう。

スケーイン派と言うのがあるらしい。

クレスチャン・モアイェ・ピーダスンはヴァン・ゴッホに会って影響されて「花咲く桃の木」を描いたらしい。

いろいろ学ぶ点が多い・・・・。

ウィキペディアの「ヴィルヘルム・ハマスホイを読むと

『ハンマースホイは生前にはデンマークを代表する画家として、特に国外で名声を得たが、その死後は急速に忘れられていった。再評価が始まったのはようやく20世紀末になってからである。 』

と言う言葉が書いてあります。それは音声ガイドの最後にも「この忘れられた画家が」と言う言葉が出てくるのです。

なんだかドラマチックですよね。

知りたいのは、その忘れられた画家が、何のきっかけで再評価を受ける事になったのだろうかと言うところにあると思うのですが、誰も語らず。

きっと風が吹いたという事なのでしょうね。

 

人は時には静寂を求める者。

そんな時ハマスホイの作品は、ぴったりだとそう思えます。

 

 と言うわけで(もう、絵葉書のコレクションは止めようと決意していたのに)買ってきてしまった、大判絵葉書です。

これがハマスホイの最後の作品です。

 

 

フライヤーの表と中。

他の買ってきた絵葉書は、すごく気に入ったものを買ってきたというよりは、ちょっと我流で楽しんでいる色鉛筆画の為に、買ってきたようなものです。

 

「晩秋のデューアヘーヴェン森林公園」はティーオド・フィリブスンの作品です。

その次のは「若いブナの森」、ハマスホイの作品です。

 

写真コーナーです。誰かと来ていたらこの前に立ち、静かな部屋に佇む事が出来たのに・・・・・(/_;)

 

そしてこの日の花より団子タイム。

 外観は素敵でしたが、中は食堂と言う感じ。でもお値段はリーズナブルで、トレイやラテのパンダが可愛らしい。お子様連れなど、お気楽で良いのではないかと感じました。(上野グリーンサロン)

そして東京都美術館のカフェにて

 モンブラン、美味しかったです !

 

絵画展のHPは→ここです。

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次の季節を想う

2020-01-28 02:30:26 | お散歩&写真日記

次に何を書こうか考えていました。

「3分後に死んでいたかも知れない話」にしようか
「病院で、気になる所はありませんかと言われ、お×ぱ×が痛いと言ったら・・・」の話を書こうか、
それとも先日見た藤原竜也の古いドラマの感想を書こうか、三谷幸喜の舞台の話を書こうか・・・・・。

それとも・・・・と思っていたら、飛び込んできた知人からのメール。

ちょっと座ってもいられない事になってきたので、今日は簡単な14日のお散歩写真日記です。

 

こんな風景を見ていると、

「ちょっとで良いから、静かにしてくれませんか。」

とか言いたくなっちゃう。

 

そう言えばさ、あの夫婦の事は、ほっといてあげなよなんて事を思ってるよ、私。

 

子福ザクラや十月桜がまだ咲いていました。

冬桜は息が長いのが特徴なんですよね。

 

だけど

次の季節へと、そっと力をためて待っている木々の姿が素敵だなと思いました。

 

近くで見ると感じませんが、遠くから見ると、そこだけなんとなく色づいているのです。

 

何気ない風景の中に、次の季節への想いを感じる事の出来る散歩道でした。

だけど今日は、冷たい雨の中、お出掛けしてきます。


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麒麟がくる第二回「道三の罠」

2020-01-26 23:40:42 | ドラマ (大河)

凄いなぁ、30分ずっと合戦シーンじゃん。

と思っていたら、最後に来たのはもっと恐ろしいシーンでしたね。

自分を討つ方と密約を交わしているものを、道三が許すわけないと思うのですよね。

お茶を飲めと言われ、とりあえず飲んでしまうなんて土岐頼純(矢野聖人)は油断しすぎじゃない ?

 

ツイッターのトレンドに「伊右衛門」が上がっていたのが、おかしかったです♪

 

今回の戦いは、「加納口の戦い」と言うのですね。

一応、ウィキペディア様でおさらいなんかしてみました。気になる方は→こちらです。

 

私、日本史は教科書レベルの事しか知らなくて、帰蝶とこの頼純が最初婚姻していたなんて知りませんでした。政略結婚だったわけですが、この夫が死んで、帰蝶は少しは悲しむのかしら。

やっぱり愛なく嫁ぎ、父親を殺そうとした夫なんか死んでも悲しまないのかも知れませんね。(次回を見れば分かることですね^^)

だけどあの時、父道三に、彼女は戦支度もせずにやってきた夫の非礼を詫びていましたよね。かなり強い口調で夫に文句も言っていたし。彼女なりの意味があったのかも知れませんね。

 

しかし道三の逆襲は見事でしたね。一気に形勢が逆転して道三が勝つわけですし、本木君の道三はカッコいいです。ケチではありますが。それゆえに光秀は旅費の半分を返せと言われ、侍大将の首を二つは取らないと借金を背負う事になってしまうわけで、それゆえ合戦中、ずっと彼は「侍大将~ !!!」と叫び続けなければならなかったわけですね。

抜きんでた計略家ではあったものの、道三は家来から好かれていたかは別な事でしたね。

 

侍大将を求めて叫びながら走り回る光秀や、道三の計略など長い合戦シーンでありながら、見ごたえがありました。だけどただ一つの合戦のシーンを見せつけられていたわけでは無かったですね。

戦った侍大将の顔が叔父上に似ていた。それゆえに首を取ることをためらったというシーン。叔父上に似ていた侍大将は、露骨にその叔父上(西村まさ彦)が演じていたものですから、最初、私は意味が分からずに混乱してしまいました。

「叔父上、裏切っていたの? 形勢不利になって籠城なんかしたものだから抜け出して敵側についていたって事なの ?」なんて、そうとう無理な展開を思ってしまったのです。

でも彼は、叔父上に似ていた別の人でした。

そんな事があって、光秀は勝ち戦でありながら、心の底から喜べなかったのです。

首を取った人にも、自分と同じように頼りにし慕っている子供や甥がいるかもしれなかったのです。そんな事はドラマの中で一言も言っていませんでしたが、「こんな事が侍の本懐か。」みたいなセリフがあって、なかなか奥の深い話だなと感じました。

 

ところで岐阜城は、本当に天空の城でしたよ。

2018年の秋にツアーで出掛けた時に、そう思いました。ツアーだったがゆえに上って城には行けなかったのですが、機会があれば行ってみたいお城だと思いました。

夜の街から。真ん中にある白い点が、ライトアップされた岐阜城です。

山が見えないので、さながら天空に浮かんでいる城にさえ見える所がナイスでした。

 

 

 

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「誰にも感謝されず」

2020-01-26 03:37:49 | 梢は歌う(日記)

先日私は横浜市営地下鉄に乗ると言う、人生で二度目の経験をした事は話したと思うの。

その時の事なんだけれどね。

まあ、街を歩けばいろいろなドラマがあるよねって話です。

 

市営地下鉄は優先座席が無くて、譲り合いを奨励しているんです。つまり当たり前の事を、昔ながらのやり方で当然のようにやれと言っているのだと思います。

乗った時に、「ああ、優先席がないわ。」って気が付きました。

だけど、ちょっと本当かなと思って、今調べてみたら間違えていませんでした。

「全席優先席」なんですって。

良い事だなと思うんですよ、コレって。

でもある意味微妙ですよね。当たり前の事が当たり前じゃない世の中、なかなか代わってもらえないという事も多いらしく、「譲り合いシート」なるものもあるらしいです。

 

そして普通に混んでいるラッシュ前の夕方・・・・。

私の前の席が空きました。

だけど私はドアの方を向いて、軽く頷き手でどうぞと合図をある男性に送ったのです。

杖を突いた中年の男性でしたが、立っているのが辛そうだったのです。

その人は深く頷くと、無言でその席にドカッと座りました。

なんだか「とーぜん」と言う感じがして、ちょっとだけ驚きました。

またその横が空いたので、私もその人の横に座りました。

そして私が降りるために席を立っても、その人はブスッとした表情で無視。

なんとなく私は寂しくそれを感じたのでした。

 

だけど電車を降りながら、

あれは嘘だったのかと、もうひとりの自分が私に問うてきました。

「『そう言うものに私はなりたい』って言ったでねぇか。」

なんでか心の中の私、いろいろなボキャの持ち主です。

『雨ニモマケズ  風ニモマケズ・・・・・』

人のために頑張っても、誰にも感謝されず、だけどそう言うものになりたいって思ったのじゃないのか自分。

席を譲ったら、にこっと微笑まれ「どうも」と言われたいのか、私。

「あー、なんてちっぽけなんだぁ、私。」

 

その後にあったラッタさんに、今の話をすると、

「その人、そう言う障害の人だったんじゃないかな。」と彼は言いました。

私もなんだか、その人に感じた違和感みたいなものに、それを思い始めていたのです。

最初に深く頷いた時、その人は無表情の顔の奥では、本当は「ああ、助かった。ありがとう。」と言っていたのかも知れなかったのです。

 

「あー、まだまだだなぁ、私。」

 

と、こんな年齢になっても、「まだまだの人」継続中です。

 

因みに『雨ニモマケズ』の詩の中には「誰にも感謝されず」なんて言葉はありません。「まだまだの人」が勝手に思い込んでいただけです。

たぶん「ホメラレモセズ クニモサレズ」が脳内で変換されていたのですね。

それでも『雨ニモマケズ』は本当に好きで、ずっと以前に記事にしていて、原文はそこに載せてあります。

こちらです→「雨にも負けず」

 

 

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「薔薇の名前」

2020-01-24 10:49:02 | 海外ドラマ

お正月に録画したものをゆっくり見てきました。

その中の一つに、AXNミステリーで8話いっき放送だった「薔薇の名前」がありました。

これ、どこかで聞いたことがあるなぁと思っていたら、ショーン・コネリー主演の映画があったのですね。しかし1986年と古い映画で、この頃子育て真っ最中だったがゆえに、一番映画の知識に乏しい時代です。

「薔薇の名前」はウンベルト・コーエが1980年に発表した作品で、5500万部も売れた世界的なベストセラーなんですね。

今あれやこれやと検索していたら、全8話のあらすじから登場人物まで載せてくれている個人の方のサイトもあるので、ご興味のある方は「ドラマ『薔薇の名前』」で検索してみてくださいね。

今は放送予定がないみたいなのですが、いつかまた見られる機会があるかもしれません。

お勧めできる、とっても味わい深い作品でした。

 

物語は14世紀、アヴィニョン教皇庁の時代。

これは基本的には、修道院に起きた連続殺人事件の真相に迫っていくサスペンスなんです。

フランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムとベネディクト会見習修道士メルクのアドソがその謎に迫っていきます。

これ、上の一行でも、そうとうの知欲の枝葉が茂っていると思いませんか。例えば「フランシスコ会」「バスカヴィル」「ベネディクト会」「メルク」などを知ろうとすれば、いくらでも知識を広げていく事が出来ると思います。

もちろん知ろうとすればです。知らないままでも何の問題もありません。ただこの物語は、知っていた方がもっと面白いかも知れないと思えることがたくさんあったように思います。

私も後から「メルク修道院」にたどり着いて、思わず「おお」と思ったのです。まあ、いつも大まかな所はウィキペディア頼みなのですが、それでもそこを読むと、まるでこの物語の後日譚が勝手に妄想として浮かび、なんだかそれが辻褄が合うのですよ。

そして・・・・長々と打つのが面倒になったので・・・コラッ !!

『主人公アドソとその師ウィリアムの関係は、あくまで探偵小説にあらわれる探偵とその助手(シャーロック・ホームズワトソン博士など)という定式のフォーマットを踏んでいる。助手であるアドソのイタリア語での発音がワトソンに似ていたり、また、ウィリアムの出身地がバスカヴィルであることから『バスカヴィル家の犬』が連想される等の例にあるように、この作品は無数の書物の記述への言及と参照、オマージュが散りばめられている。』ウィキペディア「薔薇の名前」より

因みに「バスカヴィルの犬」って、完全映像化されたことがないそうですよ。意外とシャーロック・ホームズのお話を文字で辿った事がないので、この本を読んでみたいような気持ちになりました。

 

サスペンス部分だけ見れば、「相棒」クラスタの皆さんだと、意外と分かってしまうかもしれません。ただこの海外ドラマの強みは、役者自体をよく知らない、また失礼ながら役者の格が分からないと言う点にあると思います。

だけどこの物語が本当に面白く感じるのは、犯人が誰かと言う部分ではないのですよね。

 

私は処刑の中で一番残酷なのは火刑だと思っているんです。あれは本当に恐ろしい~ !!!

異端審問と言うのが、この物語では重要な役割を果たしています。異端審問などと聞くと、私は魔女狩りなどを連想してしまうのですが、さほど変わりがないなと感じてしまいます。

自分たちと考え方が違うと「異端」、そして火刑・・・・。

もうどうしようもない世界だなと思うのですが、これが勝手あった本当の歴史でもあるのかと思うと、過去のヨーロッパに憧れる理由がなくなってしまうような気がします。

またも妄想タイム。

もしタイムスリップしてしまったら、そんな時代に太っていて猫が好きで真夜中に起きている・・・・って東洋人で言葉が分からない以前に、絶対に魔女って言われそうだな・・・・・。

 

はい。妄想タイムは終了しますが、異端審問官のベルナール・ギ―は「許す」とか言っておいて、自分がその女性の魅力に心が揺れると、さながらそちらに罪があるかのように「燃やせ」と言うくらいですから、妄想で考えたような理由で生きながら燃やされた人もたくさんいたと思います。

歴史の授業で習った「免罪符の発行」と言うのは、誰もが首を傾げるような愚行だったと思うのですが、この時代の僧侶たちはそうは思ってなかったのですね。凄くまじめにやっていたんですよね。

なぜなら「清貧」と言うものに価値を感じてなかったからみたいです。

「清貧論争」とか、それと「キリスト教における笑い」とはとか、へぇと思う事がたくさん出てきます。

そう言えば「相棒」にも「微笑みの研究」とかあったなとか連想してしまったのですが、まったく欠片も関係ないです。そう言えばと思ってしまったものですから^^

 

死に方がヨハネの黙示録になぞらえていたり、文書館が迷宮であったりで、金田一シリーズが好きな方にもツボにはまりそうな展開です。

そしてラストの八話は圧巻です。

だけどこの物語の最大の謎はタイトルかも知れません。

 

アドソの生涯でただ一人の女性になった、

「名前さえ知らず、その名前を呼んだこともなかった。」と言う女性の事を言ったのか・・・・

それとも最後にウィリアムがアドソに語った詩の引用から来ているのか・・・・。

まあ、セリフだと分かりやすく、この詩の引用から来ていると思うのですが・・・・。

原文ではなく、ドラマのセリフからですが、それでも心を打ちました。

「薔薇の美しさや 色、香りが褪せた時

言葉だけが残る。薔薇の名前が。」

 

アドソは心からウィリアムを慕っていました。だけどお互いにやるべきことをやるために、そこで別れていくのです。

 

・・・

 

・・・・・

 

 

・・・・・・・・・

 

 

・・・・

 

 


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相棒18 第13話「神の声」

2020-01-22 23:33:49 | ドラマ(相棒)

なんだか怖い、嫌な話だと思いました。

怖いと思ったのは、犯人や殺し方にではありません。

俗に言う、「本当に怖いのは人間」と言う言葉がぴったりだった村人たちでしたね。

確かに連続殺人犯だった者が、村に住んでいたら怖いと思います。だけどそれは容疑者だっただけ。しかも別に疑わしきは罰せずとかのグレーゾーンの人とかではなくて、ちゃんと真犯人が捕まっている事件だったのですよ。

それを犯人と同じような扱いをして、更に殺害してしまうなんて酷すぎます。

そしてそれを目撃されると、村や仕事を愛していた女性さえも殺害してしまうのですから、話になりません。

良い人たちだったと他の村人たちから信頼のあった、殺害された村人たち。

だけど彼らこそが殺人者。彼らはその小さな小さな世界の中の法律を持って、橋沼と目撃者になってしまった女性を殺してしまったのだと思います。

 

彼らの世界ではそれが正義だったのでしょう。

 

これって殺人と言う項目ではありませんが、意外と似たような事をやっている人はいるのではないかしら。

 

今回、山中で磔にされていた男の死因は溺死だったと言うところが、サスペンス的ツボだったと思います。あのグルグルとロープで巻かれた死体を見た時に、ガリバーみたいだなと思いました。それはまったく意味もない感想ですが、大地に磔って、けっこう怖い構図になるんだなと思いました。

 

しかし女性一人で、どうやってやったんだろうとかと思ってしまったのですが、「女は弱しされど母は強し」と言う事なのでしょうね、きっと。

 

最後に霊体質の右京さんが、幸せそうに寄り添っている二人の姿を見る事が出来たのは、救いだったと思いました。


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今度の医療ドラマは、私的には厳しい。

2020-01-22 01:15:00 | テレビ・ラジオ

新しいドラマがいろいろ始まり、出揃った感じがします。(後いくつかあるかしら)

そして医療ドラマが多いのが、今シーズンの特徴でなのでしょうか。

 

時々、夫殿と話し合っているのですが、例えば刑事ドラマがシーズン中に重なる時があったり、法廷物がやたらあったりする時があるでしょう。あれはなんででしょうねって。

えっ ?

そんなどうでも良い事を、夫婦で話し合っているのかって?

いや、まあね、へへへ。

で、こんな風にテーマがやたら重なるのは、スパイ合戦をして探り合って決めているんだって事になっているのですが、実際はどうなのでしょうね。

 

それはさておき、テーマが重なれば重なったで、違いを見せつけなければならないわけで、いろいろお話が特化されたものになっているなって言うのも、今シーズンの特徴でしょうか。

 

一応全部見てみました。(まだ「病院の治し方」だけは録画してありますが未見)

皆それぞれに面白いし、好きな俳優さんがたくさん出ているのも嬉しいです。

ただ、姉は「アライブ、がん専門医のカルテ」と「トップナイフ」は離脱すると言っていました。身内にがん闘病中の者がいると、これはちょっと厳しいテーマです。

毎回のお話の内容がどうのこうのと言う問題ではないのですね。

だけどこれらのお話は、毎回の医療のエピソードだけではなくて、医者側の内面、もしくは秘密がチラホラと見え隠れしている部分があるので、私は気になって迷っていたのです。

でも、私的には一番好きな俳優さんが多く出演している「トップナイフ」に、私も怖さを感じたので離脱かも知れないなと思いました。

お話は面白いですよ。

だけど前回の手術シーンは、あり得ない事だと信じたいし、絶対にあって欲しくない事だと思ったのです。頭蓋骨外してレンズを覗いてやる手術中に、他の患者さんの話ですか。どんなに医療に関した話でも、あれは雑談と言うのですよね。

悲鳴をあげたくなりましたよ。

で、ちょっと迷いが消えて、たぶんこの二つは、今の時点では離脱しようと思っています。

 

途中で自然に止めてしまうかもしれないなと思いつつ、意外と見続けてしまうかもと思っているのが「恋はつづくよいつまでも」です。

だってこれは、私たちの年代がターゲットではないでしょうよね。

胸キュンドラマって、マジに私には不要なのよね~。

それが悲しい事なのか、そうでないのかさえ分からないのですが、「キュン」程度では、もう心は動かないから、私。

でも、それでもヒロインの健気さが好きなんですよね。「恋」の方はどうでも良いの。仕事への健気さが好きなんです。

ドジでのろまなカメ(古い !)なんだけれど、偉いな~って思ってしまう部分がたくさんあって、それだけで見続けてしまうような気がします。でもこの先は分からない事です。

 

分からないと言えば、本当にさっぱりよく分からないし理解しづらいのは「病室で念仏を唱えないでください」。

原作は漫画なのかしら。これは神社仏閣があると、何でも拝んで行こうとする人なら受け入れやすいと思うのですが、病院と宗教は、もっと難しいものがあると思うんです。ただこのドラマもまた、好きな俳優さんばっかりが出ていて、その俳優さんたちの演技力で、その微妙な部分をごり押ししちゃうような感じがしました。

だけどお話は面白かったし、初回はちょっと泣いてしまいました。主人公の坊さん&医者と言う妙なキャラが特徴の、医療ヒューマンドラマの王道と言えるかもしれませんね。

これからも見ると思います。

 

土曜日はNHKの「心の傷を癒すということ」。

精神科医の物語で、見ごたえがありました。二回目以降は阪神淡路震災後、主人公の安が被災者とどう寄り添っていくのか、とっても気になっています。

今、医療ドラマで一番楽しみにしているのはこれかも知れません。

 

しかしやっぱり医療ドラマが多いですね。

医療ドラマ以外で、一応見ているのが、「絶対零度」「相棒」「知らなくていいコト」「ケイジとケンジ」「麒麟がくる」「テセウスの船」

「・・・パンダ・・・」もシシドカフカさんのドラマも気になっています。

ムムム。人の生死に関わる医療ドラマやサスペンス、刑事ものが苦手な人たちにとっては、今シーズンは、意外と厳しいものがあるような気がしますが、どうなのでしょうか。

しかしこうやって並べちゃうと、見過ぎで大丈夫かとか思われちゃうような気もしますが、ドラマを見るのは私の趣味の一つなので、こんなものかと思います。と言うわけで、今シーズンも楽しい時間がたくさんありますように。

 

絵がないと寂しいので、おまけです。(ベランダの花です。)

 

 


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しっかりと冬を見る。

2020-01-21 00:39:29 | お散歩&写真日記

最近ちょっと、小さなことでのうっかりミスが多く、あまりにさりげなく普通に「老い」と言うものは近づいてくるのだなと実感している私です。

振り向いたら彼らはそこに居た。それが「老い」と言うやつら。

 

バーンと派手な音を立ててはやって来ないので、うっかりと気が付かない事もある肉体以外の衰え。だから「老い」は怖いのだなと思います。

感性が死んでいく、そんなレベルの問題ではないのですよ。

記憶を留めて置けないとか、理解能力が欠けていく。今まで簡単に出来ていたことが出来なくなっていく・・・・。

そしてその自覚に欠ける・・・・。

あなおそろしや。

 

年齢や自分の「老い」を意識すると言う事は、決して「もう私はこんな年齢になってしまったのだからダメだ。」と、イコールではないのだと思います。

己を知って、傾向と対策を立てる為の重要な認識なのではないでしょうか。

 

「しっかりと冬を見る」などと言うと、さながらそんな初老に差し掛かった季節を見よというような感じですが、このタイトルは、本当にズバリ、「冬を見よ」と言うものなんです。

もしも私が認知の病にかかったら、たぶん私は日付感覚が結構危うくなるような気がするのです。

 

お仕事がピークだった頃、月の初めに月の終わりまでの予定が埋まると、意識の中でその月が終わってしまったように感じたものです。

またその感覚は、今でも私の中では引きずっていて、いつ夏が終わり秋が素通りして行き、また冬がいったいいつやってきたのだろうかと言う感覚にもなるのです。

ただそれは季節の移ろう速さに、ついていけてないだけなのかも知れません。

 

今は咽るように濃い緑の季節でもなく

色づく季節でもなく

まだ純白に覆い隠された季節にはなっていないのです。

しっかりと、今の季節を見よう。

しっかりと、今の私を見よう。

 

しかし冬の木々は、丸裸で自らをさらけ出しイサギが良いな。

あんがい、冬は良い季節だなって思っています。

 

 


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