森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

旅はここから ☆ 結構楽しい、羽田 ♡

2019-11-30 14:12:14 | トルコ旅行記

《トルコ旅行記番外編》

そのラスト記事(の予定)です。

このトルコ旅行は、10日間の旅と言う事になっています。そのパンフレット(旅のしおり)にも「×××トルコ大周遊10日間」と書いてあって、それが旅のタイトルなのです。

でもその1日目。書いてあることは一行。

「東京(羽田) 22:01 羽田空港国際線旅客ターミナル集合」

10分の1はこれか~って思いましたよ。

もちろん10日目も深夜のドーハで4時間、その後飛行機移動で観光ではありません。それでも深夜で何もなくてもドーハは海外で、飛行機内は旅の途中と言う感じはなくもないです。

だけど「羽田集合」で、これを1日とカウントするのかって笑える~。

 

しかしながら、確かにその日から旅は始まっていたのです。

午後10時集合と言えども、羽田までの移動のために午後3時過ぎに家を出ました。

そして羽田には午後5時半ぐらいに着きました。

ドーハに行く便を確認した後、羽田探索です♪

 

最初に発見したのは、「税関イメージキャラ、カスタム君コーナー」。

ここにはクイズや折り紙なども置いてあります。空港やこれから乗る飛行機でお子様を飽きさせない工夫がされているのですよね。

だけど、私たちがはまったのは、 ↓  の鏡。

鏡の前に立つと、いろいろと変装する私たち。ちょび髭を生やしたり、黒眼鏡を掛けたり、帽子を被ったり・・・・

鏡の前ではしゃぐ、かつては若かった二人。

デッキに出ると、少し雨模様でぼんやりしているような空港は、またそれで綺麗でした。

上の画像・・・・。

えっ、月だけ出てたの?

と、今見て一瞬そう思いそうになりましたが、あの上の光は、飛び立っていく飛行機の光ですね。

空港の風景、本当に私は好きなんですよ。

そしてこの頃は紫陽花の季節。空港内は紫陽花で彩られていました。

美味しいお食事をして・・・・・またフラフラと・・・・。

なんとこんな所もあるのですね。

またも、かつて若かった女が二人ではしゃいできました。

けっこう見るところがいっぱいです。

こんなイベントもやっていました。

美しい歌声に、なんだかものすごく得した気分になりました。

羽田ではたくさんの時間を持て余してしまうかもしれないと心配していましたが、なんだかんだと食べたり見たりしていたら、あっという間に集合時間になってしまいました。

トルコ旅行の第1日目の観光地は「羽田」で、そしてメッチャ楽しく堪能しました。

 

紫陽花の花やら終わってしまったイベントの話で、情報が古いと思われるかもしれませんが、きっと羽田空港はこの日と同じように、今も季節などに合わせて、訪れる人をもてなしているのではないかと思います。

 

実質9日、もっと厳密に言えば8日間の旅だったかもしれません。

だけど11日目、バスで深夜の銀座を走る・カプセルホテル経験・丸の内ホテルでのモーニングと言うオプションを自ら作ったわけで、足し算引き算をしたら10日間と言う帳尻はあったように思います。

さあ、今回の旅は根こそぎ書いたなあと思ったのだけれど、得意のささやかなことながら、あと一つだけあった事を思い出しました。でももう急ぐ旅でもないので、それは目次と共に年末にでも書く事にします。

とりあえず「トルコ旅行記」は、一応終了です。

今まで長々と読んで下さった皆様、ありがとうございました。

コメント (4)
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その時、本当は彼は何て言ったのか。

2019-11-30 01:25:36 | トルコ旅行記

 《トルコ旅行記番外編》

晩秋の東京やら東京の近郊都市やら、ようやく色づいて来て、私も赤や黄色の色に心惹かれウロウロしております。いつまでもこの旅行記を書いて居てはいけないような気持ちになってきましたので(もう、いくらなんでも終わりですが)、今からドドドと更新して、いろいろと溜まっている私的お出掛け日記などの備忘録も吐き出して行きたいような気分。だけど今からじゃ、ドドドと言うわけにはいかないですよね (^_^;)

でも全部書いちゃったら、どうなるの ?

いやどうもしませんよね。

だって生きている限り、毎日は続くのですよ。書きたい事が枯れるなんて、あり得ない事ではないですか。

あっ、そうそう。だって私、野の花マニアだし、やりたい事は一杯あるし、見たいものもたくさんあるし、ささやかな日常にはささやかな喜びがいっぱい。

 

ってな話は今はどうでも良くて、帰りの飛行機の中で、私は不安でいっぱいな気持ちでいたのです。

自分の病気の話をちゃんとしたことが無いので分かり辛い話かと思うのですが、同じ病気の人の中では、私は軽症の方で、だからこんな風に旅行などにもホイホイと気軽に出かけていくわけですが、世の中「引き金になる」と言う出来事ってあるじゃないですか。

私は、この少々長かった旅行が、軽症の終わりのその引き金になってしまうのではないかと言う不安に駆られたのでした。

最初に出た機内食をちょっと食べた時に、息が上がるほど気持ちが悪く、もう何も食べられないと思いました。

今、帰りの機内食を見ると、結構皆美味しそうですね。

みんな記憶が無いです。

星子さんが言うには、真ん中の焼きそばは、なかなか美味しかったらしいのですよ。

 

だけど「人の記憶」と言うものは不思議なものですね。

数口食べて止めたものは記憶が残るのに、その他の物はどうしたのか分からない・・・・・。

要するに、そこに何かしらのストーリーがあるか否かで、記憶に留まるか否かなのかも知れません。

 

帰りも、イスタンブールからドーハ。ドーハから羽田と言うルートでした。

イスタンブールからドーハまでは星子さんと隣どおし。その後はまた離れてしまいました。

 

ドーハから羽田の時、私の隣には、黒い肌の男性が座りました。

私は、外国の男性の年齢がよく分かりません。結構な年齢かと思ったら、意外と若かったりすることもあると思います。

この人もその後からだんだん分かって来たのですが、高校生くらいだったようです。

イスタンブールからドーハまで、通路側に座った私の隣の人は、どんな人だったのかしら。きっと親切な人だったと思うのです。だけどあまり記憶が無いのです・・・・・。

 

それなのに、この青年の事はよく覚えています。

彼は後ろに座った人と友だちで、よく席を立って、後ろの友達と話していたのです。

少々トイレの回数が増えてきた私には大助かりです。

だけどそんな事を繰り返していた時に、私はある事に気が付きました。

彼は席に自由に戻らず、私が戻って来てから彼も戻ると言う事をずっとしていたのでした。

これは、単に私のせいで余計に立ったり座ったりするのが面倒だと思っただけなのかも知れません。だけど私はポジティブ思考な人で、こういう場合も、私の為にちょっとだけ待っていてくれたのだと感じてしまうのです。実際に戻ってきた時に、彼に「すみません」と言う事はなかったのでした。

飛行機が着いて別れる時に、メチャクチャな言葉を駆使して「ありがとう」はなんと言うのかと聞くと

彼は「マサラ」と言ったような気がしました。

だから私は「マサラ」は「ありがとう」かと思ったのですが、家に帰って来て調べても、さっぱり分かりません。私はあまり言語を聞く能力には長けていないのです(^_^;)

もしかしたら、彼は私の「サンキュー」に反応して、「マアレーシュ」と言ったのかも知れません。

「気にしないで」と。

 

 

そうです。

とうとう羽田に着きました。

だけど11時近くに羽田に着いたので帰る手段が無くて、家には帰れません。

それで私たちはカプセルホテルの初体験をしました。

  

こんな風になっているんですよ。なんだかんだと深夜の2時ごろに着いたので、シャワーを浴びてバタンキューでよく眠ることが出来ました。朝、星子さんとの約束の時間に寝坊するぐらい寝心地が良かったのでした。

カプセルホテル、お安かったのですが、地方のビジネスホテルぐらいのお値段だったかな。

だけどここ、私的には「あり」でした。

 

そして翌日の朝食は、かねてから実行したかった丸の内ホテルの「ポムダダン」にてのモーニングを頂きました。

お腹を壊していたのではないのかと言われてしまいそうですが、ここに来るのも計画のうちだったので、予定変更をせずに実行しました。だけど量は控えめです。

そしてこのお食事、本当に美味しかったです。

「あー、日本って、良い国だなぁ。」としみじみと思いました。

 

そしてこの先の話は、「非日常に憧れながら、日常を慈しむ その2」へ。

家に帰りついて、ようやく旅行は終わりです。

 

そうそう、体調の事ですが、その後私のあれ1週間以上も続き、こんなにひどいのは初めてで、やはり引き金になってしまったのかと不安になってしまいました。そして予約外で病院に行かなくてはならないのかと思ったのですが、その時急に閃いて、ヤクルトを(良い事なので商品名を隠さず)3日飲みましたら治ったのです。

さすが乳酸菌!!

ヤクルトがある日本って良い国だなぁ~。

 

と言うわけで、この旅行記の番外編も終わりと書きたいところですが、後ワン記事有ります。

その後、目次を作って写真の整理をして、リアルアルバムを作ろうかなあと、6月に行った旅行で12月になろうとしているのに楽しんでいます。

10日間は長い旅行だったけれど、これだけ長々と楽しめれば行った甲斐もあると言うものですね。

 

 


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「クリミナルマインド」シーズン14最終回

2019-11-28 01:22:22 | 海外ドラマ

何をいまさらと言うような事を、今から言います。

「クリミナルマインド」は次のシーズン15で終了なんですってね。

この情報は、今年の1月にはもう伝えられていた事で、それをシーズン14の最終回を観た後に知るなんて、なにげにショックです。

あー、ショック。あー、ショック。あーショック。って、しつこいのでもう止めますが、今はそんな気分です。

だけどなんで知ったかと言うと、録画してあったwowowの「クリミナルマインド」シーズン14の最終回を、「相棒」の始まる前に観たのですよ。

その最後が、けっこうザワザワするような内容だったので検索したのです。

海外在住のドラマクラスタの皆さんは、けっこう先の展開の情報を流してくれることもあるじゃないですか。

そして知ってしまったのです。シーズン15で終了で、しかもその15は10話と最短なのだと。

 

10話って、日本のワンクールと同じようなもので日本的にとらえたら良いかも知れないのですが、いつも半年やってくれるので、それも寂しいですね。

 

ところで、なぜシーズン14の最終回がザワザワしたのかと言えば、やはりjjの告白ですよね。

ドラマで伏線が最初に貼られたでしょう。

リードの銃の腕前が100点と言うのと二丁拳銃と言うやつ。そして、jjの「私けっこう嘘が上手なのよ。」と言うやつ。リードさえ騙してしまうと言う・・・・・。

で、最後にそれが・・・・

これから見る人もいるかもしれないので、ここまでにしておきます。

 

私、あれはその場の解決のために嘘をついたのだと思いました。だけどさらに本当の深い所では、あれは真実なのでは。

ああ、次のシーズン15がたとえファイナルであっても楽しみになってきました!!


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目の前にある秋

2019-11-27 01:23:07 | 梢は歌う(日記)

昨日は歯医者、今日は目医者。

なんだかはるか昔に死んだ、私のおばあちゃんのような生活になってきたな・・・・・(/_;)

※           ※

とりあえず、歯医者さんは終わりました。次は三か月後の検診です。でもまたそのぐらいになると、どこかでボロッときてる私の歯。これこそ今嘆いても仕方がない事なのですよ。

だけどそんな話は置いておいて、帰りは家の近くの小さな公園を通って帰ることにしました。

撮ってきた写真を家に帰ってチェックしても、なんだか葉の少なくなった木々は寂し気で、小さな公園と言えども紅葉に感激した気持ちが伝わるようなものではありませんでした。

だけどこの公園の切り揃えられた木々と青空は、それなりに可愛らしく感じました。

雨の後のつかの間の晴れ間。

 

だけど葉が雨のように大地に降り注いでいました。

 

たまには俳句など。

「はらはらと 歌いし舞いし 紅葉樹」

気を良くして、更に家の近所の公園に行き、また秋を楽しみました。

 

そして今日は(昨日ですね、もう)眼科に行ってきました。

3週間ぐらい前の事ですが、机にうつぶせになって転寝をしていて、起き上がったら片方の目が真っ白になって見えなくなっていたのです。その目だけで自分の顔を見てみたら、フラッシュをたいたような真っ白な顔になっていました。まるでキョンシーみたいに・・・・。

それはしばらくしたら治ったのですが・・・。

たまたま翌々日に、2か月に一度の検診日だったので科は違いますが、聞いてみたのです。

しばらくして治ったのなら緊急性はないとの事で、昨日行ってきたわけですが、細かいことを言うと、猫ちゃんたちの下痢のせいで、一度キャンセルして更に後回しになったのです。そこまでの細かい話は必要もない事ですが、それでも何も問題はなかったのです。

一応ちゃんと検査をしてきました。眼科はある意味、歯医者さんよりも苦手です。

白内障も今の所、セーフのようです。私よりも10歳も若い人が、ちょっとなりかけてると言われたのを聞いて、少し不安に感じていたので、ホッとしました。

 

そしてまたも帰りには紅葉狩りです。

 

姉妹に

「眼科に来ています。」

と、一枚の画像と共にラインを送ったら

「いつでも楽しんでいるね。」とお返事が来ました。

それは褒め言葉で、そしてちょっぴり私は嬉しく思ったのでした。

 

コメダで朝食。

あんこ添えです^^


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そして帰りの空港では

2019-11-26 16:37:35 | トルコ旅行記

《トルコ旅行記番外編》

行きに何かあれば、帰りも何かあると言うものです。

イスタンブールの空港で、長々とお世話になったガイドさんと別れを告げました。最後まで席の移動など尽力をしてくださった良いガイドさんでした。

将来の夢は自分のお店を持って、シェフをすることらしく、時々日本に来て合羽橋辺りをウロウロしているらしいです。

息子さんは留学しようと頑張っている最中で、受験する学校を東大にしようかそれともドイツのどこどこにしようか考え中らしい・・・・・って、その話をバスの中でした時に、なんとなくみんなの反応が薄くて、ちょっと気の毒に思ってしまった私です。「東大」と言う名前を出したからには、もっと「おおっ !!」ぐらい言ってやれよんとか思ってしまいました。

きっと自慢の優秀な息子さんなのですよね。そして親バカって万国共通なのねって、ちょっと微笑ましかったです。

そして他人の息子に興味が無いのも、万国共通ですね。

 

このガイドの仕事の後、一か月ぐらいはお休みを取るとか言っていたような気がします。彼自身が優秀なガイドであると言うのもあるけれど、なんたって絨毯屋でもトルコ石の所でも陶器屋でも、皮革屋でもかなりみんなのお財布は緩みましたから、彼の懐も少々と言うか、かなり潤ったはずです。

ガイドさんも含めて、みんなニコニコしながらお別れしました。

 

空港内(サビハ・ギョクチェン)に入ってから、あまり何かを見て楽しんだ記憶がありません。私と星子さんの事だから、きっとどこかのお店に入ったり何かを見たりしていたと思うのですが、まったく記憶にないのです。ただやたらどこかのベンチに座っていた記憶しか・・・・・。

まあ、その辺はいらない記憶なんですよね、きっと。

ただ、やたら座っていたベンチのある所で、背後に座っていたご婦人方の会話が面白くて、思わず耳ダンボになってしまいました。その方たちもトルコ旅行の人たちだったのです。もちろん同じツアーの人ではありません。その中のひとりの人がものすごく怒っていて、言っていたことは・・・・・・・。

その人はそのトルコツアーで、ガイドさんが連れて行ったアチャコチャで、何も買わなかったのです。そりゃねぇ、買うものが無かったら買わないですよね、普通は。私も同類でしたから。そしたら最後にガイドさんがブチ切れて、もっと協力してくれてもいいんじゃないですかと言ってきたと言うもの。

 

「へぇ」と思い、思わず耳を澄ますワタクシ。

だけど怒っているのは一人だけ。もう一人の人は何て言ってたのか、あまり記憶もないのです。なんとなくのらりくらりと、その人の言葉を交わしていたのかも知れません。楽しい旅の終わりのその時に、聞きたくないお話だったのかも。

「あの人たちも生活が掛かっているのだから・・。」なーんて事を言ったかな、言わなかったかな・・・。

私が心の中で言ったんだっけな。

だけどこの怒れる人の言葉はごもっともだと思いました。

生活が掛かっていようがいまいが、高額なお店のリベートの為に、何も買わない人に文句を言うのはお門違いですよね。

だけどその収入を当てにしなければならないのだとしたら、どんなお客に当たるかはガイドさんにとっても賭けのようなもので、このガイドのシステムはあまり良いとは言えないなー。

 

しかも私がそちらのツアーに入っていたら、この私がそのガイドさんにブチ切られたりして・・・。

シェ~、クワバラクワバラ。

なーんてことを思っていたら、寝てました。

たぶんほんの数分・・・。

 

だけどまた他のベンチでもまた寝て、きゃぴきゃぴと言う声で目が覚めると、隣に座っている星子さんの所に数人の女性ツアー仲間がやって来て、お喋りをしていました。

ごく普通の声で「何の話?」と途中参戦しましたが、その時はかなり深い眠りから目覚めたようで、本当は自分が何処に居るのか分からずに「ここは何処」状態で目覚めたのです。

この事は、自分でも深く反省しました。

外国は日本とは違う。同じ平和ボケ感覚でいてはダメよ、などと、この先私が言ったとするでしょう。自分でもどの口が言っているんじゃと思いますよ。

周りにお仲間が結構いて、キャピキャピ言っていてくれていたから良いようなものの、海外の空港のベンチで熟睡なんてあり得ない事ですよね。

まあ、私の危機管理能力なんか、そんなものだったのかも知れません。諸々セーフで良かったです。

 

最終日の6月15日は睡眠不足な上に24000歩も歩いたので、クタクタだったこともあるし、薬を朝も昼も飲み損ね、夕方急いで飲んだけれど、ドドドと疲れが出て来てしまったようで体調悪し。

いつも元気な感じですが、医学に助けられているヘッポコな人なのねと、こういう時にその事を思い出させられるのです。

大丈夫かなぁと思いながらも、サバサンドも食べちゃってるし、いろいろと後の祭りです。

はっきり言って、トイレと仲良し。

だけどそこでも、歯磨き洗面中の人との触れ合いがありました。

家族と弟とで個人でのトルコ旅行から帰る人だったのですが、まるでどこかの民宿での洗面所で会ったと言う感じでした。その方はサンダル履きでラフなスタイル、顔を洗って歯磨きをして・・・・。そう寝る準備をしていたのですね。

飛行機に乗る=寝る準備。

個人旅行と言う点にも心惹かれましたが、旅慣れている雰囲気にも、「強者だな~。」と感心させるものがありました。

 

旅での出会いは、本当にささやかな一期一会。

これはこの旅行記の中でも度々出てきた言葉だったし、そのような出会いがたくさんあったと思います。

そしてやはりそこにはいろいろと学ぶことがあるなって思っているのです。

 

トップ画像は乗り継ぎのドーハ空港で。

静かな雰囲気の深夜の空港です。ドーハでは4時間近く時間があって、熟睡していたのはそこの集合場所でだったのかしら。

 この画像の右側にはげっそりした私が映っているのです。

  この画像の左側にはげっそりしたおばさんが映って…あっ、私ね。

 トイレと仲良しでも、なんか飲んでいました。

トルコリラを全部使いきって、上手くいったと思ったのに、なんとここでドルで払ったらお釣りをもらってしまいました。

些細な部分まで完璧なんて事は無いのですよね。

いったいそれが日本円でいくらにあたるかなんて事も興味もなく持って帰りましたが、今見てみると、結構綺麗なデザインでした。

《異国の物と言えども、お札なんで「見本」と書き込んでいませんが、正しい大きさでは映していません。》

こんな風に絵は繋がるデザインなんですね。

そしてこれも私のお土産になりました。

 


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いだてん第44回「ぼくたちの失敗」

2019-11-25 01:21:19 | ドラマ (大河)

あっと言う間に11月の「いだてん」も終わってしまいました。

そして残る所、あと3回。

あと3回だってのに、田端のまーちゃんは事務総長を解任になってしまいました。

(そう言う問題ではない !)

自分の敷いたレールの上を知らない者が走る。

そのレールを敷くまでの、想いやそれぞれの関わりや歴史があるだけに、「なぜ」「どうして」と苦悩が走る・・・・・。

 

どこで間違えてしまったのかと記憶を遡る田畑が行きついた先に見たものは、

「お金も出して、そして口も出せばいいじゃんねぇ。政治に利用したらいいんですよ~。」と、予算を引き出したいがために、高橋是清に軽口を叩いていた、あの時・・・。

「あれか。」と田端・・・。

記憶の中の是清が愉快そうに笑うー。

「金も出すが口も出す。」

同じセリフを川島が言うー。

何かに利用されると言う事は、紡いでいたものが引き裂かれてしまうと言う事なのかも知れない。

何気に凄いシーンだったなと思いました。

(このシーン、ショーケンにも見てもらいたかったな。)

 

ちょっと思ったのですが、私の年代って(しかし幾つとは言わない。)、キラキラしていた東京オリンピックの記憶を保っている一番ギリギリじゃないかしら。私の下は、生まれていても幼過ぎて記憶が無いとかね。

私の中ではいきなり始まったように感じた東京オリンピックは、本当に輝いていていたのです。

だけど、そのオリンピックが開催されるまでに、こんなドラマがあったとは。

今までも何度かドラマや映画になんかなったのかも知れないけれど(調べなくてすみません。)、本当に誰も語らずに来たって、私には感じてしまうのです。

語ってくれなければ、分からないじゃんねぇ。

だからこれ、本当に大河ドラマに相応しいドラマだったなと思うのですよ。

だけど日本国民、どんだけ本能寺炎上が好きなの、大政奉還が好きなの!?

 

まあ、それはつい言ってしまったけれど、もうどうでも良いやってな感じですよね。

 

それはともかく、私、あのシーン、胸が痛かったですよ。

日頃から会話には問題があった田畑には、会見のように順序立てて説明するようなものは得意ではなくある意味メチャクチャ。それをテレビ前の今松が

「だめだぁ、こいつ。」と言い、また事務総長解任の会見では、涙ながらに「本当は辞めたくない。」と訴える田畑の話すタイミングに面白いと笑う・・・・・。

 

なんか怖い。

 

そして、五りん。

「足袋にでます。」

あの公園で、お酒を勧めたのは、別れの盃がしたかったからなのかしら。

五りんはオリンピック噺を語る人であるから、ドラマの中では他の話はさせないのかしら。

「上手くなってきた。」と志ん生は言ったけれど、下手だったし。

で、私、ここでもちょっと感心したんですよ、神木君に。

 

前半、ちょっと厳しかったから、最後の落語と被っている所はホッとしました。奥さん大事にするって言ってたし…と思ったら、お仲間が来て、何やらまた新しい希望が生まれたような感じ。

次回のタイトルは「火の鳥」だしね。

 

 追記:(11月25日8:03)

深夜投稿だったものだから、やろうと思っていた事をうっかり忘れました。「東京オリンピック音頭」、凄く好きでした。

だから貼っておきますね。

で、思ったのですが、そう言えば今度のオリンピックは歌で盛り上げると言う部分が無いですよね。ないのかと思ったら、リメイクしていました。

あ・の・さー !!!

一応貼っておくけれど、私的に思うのは、それは違うんじゃないかしら。

今からでも、米ちゃんとか野田の洋ちゃんとかに(ちゃん付け、すみません)作ってもらいなさいよ、今からでもって思った次第。

 

あっ、だけど、オリンピック音頭はついつい口ずさんでしまいますよね。

「オリンピックの顔と顔、ソレ、とトントとトント~♪」

三波春夫「東京五輪音頭」 1963

 

2020年用リメイク版

東京五輪音頭-2020- の踊り方 ~ゆうゆう踊ろう~ / How to dance TOKYO GORIN ONDO 2020 (basic tempo)


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コーヒーアクシデント

2019-11-23 14:16:55 | トルコ旅行記

《トルコ旅行記番外編》

今回の(と言いましても、すでに数か月前)旅行では、カタール航空を利用しました。

以前、「「ロスト」ロス」と言う記事内に書いたことですが

>『ところでトルコ旅行の時届いたパンフレットで、813便と言う数字を見た時に、一瞬、「マジ !?」とビビりました。見おぼえがある数字だと思ったのです。

でも墜落してしまう海外ドラマ「ロスト」の飛行機は815便だったのですよね。あー、良かった。』なんてことを言っていたのですよ。

 

だけどこの飛行機は、私的にはあまり快適とは言えなかったのでした。

まず席が星子さんと完全に離れてしまった事が挙げられると思います。ツアーで行く時、よく帰りはちょっと離れてとかあったりもしますが、行きから離ればなれとは珍しい事だと思いました。今までの旅行は添乗員さんが頑張ってくれていたのかしら。

12時間も一人旅かと不安に思いました。だけど救いは真夜中と言う時間帯だったのですね。

普通に寝る時間ですから。

だけど飛行機って、変な時間にお食事が出てきたり飲み物サービスがあったり、映画を見たい誘惑には逆らえないものがあるじゃないですか。そうそうは寝てなんかいないのですよね。

それなのにですよ。その映画が上手く映らないのです。映らないと言うより音声がちゃんと入らないのです。

快適に感じなかった一番の理由はそれだったように思います。

イヤホンを変えてもらったりもしたのですが、どうも接続が悪くて・・・・・・

なーんかつまらないなあ・・・・・・

そう思いながら、接続の部分を強く押し込んだりしてやっと1本を見終わり、次のをと思った時、いや、これはこんなことをしている場合ではないなと、私は急に焦ってイヤホンなどを耳から外し、急いで目を瞑りました。

と言うのは、いきなり私は飛行機に酔っていることに気が付いたのです。

この時飛行機は上へ下へと大きく揺れて気圧の波乗り状態でした。確かに経験のしたことのない揺れ方。それでも今まで、どんなに揺れても飛行機では酔わないのだと思い込んでいたのでした。

だから急激に来た

「あっ、もしかしたら私、気持ち悪いかも。」と言う感覚は、かなり衝撃的な物でした。

 

大昔ですが、佐渡に渡る船が大揺れで急に酔ってしまった時、休憩室の畳の上で横になり「私は床、私は船」と船と一体化したことは、酔い対策には効果があったのです。で、またも今回も「私は椅子、私は飛行機。」で乗り越えました。(ちょっと何言っているのか分からないと言われそうですね(^_^;))

だけど目は瞑っていましたが、とても眠られたものではありませんでした。

そうこうしているうちにお食事が配られる時間になりました。

なんだかげっそりとしていました。

お食事は頂きましたが、なんだか何を頂いたのか、美味しかったのかさっぱり分かりませんでした。珈琲もたいして美味しくも感じなかったし。

ところで私、この飛行機ではラッキーな事に通路側に座っていたのです。

 

昔・・・つまり12年前にイギリスに行った時や、更に昔の香港に行った時など、私は好んで窓際に座りました。窓際の方が窓の外の風景を楽しめるからです。トイレにたまに行きたいと思っても、通路側には知人が座っているので、何の問題もなかったのです。なんでみんな通路側が良いのかしらぐらいな事を思っていたのです。

だけど・・・・。

あーあ。歳を重ねるって悲しいなと思うのは、通路側にみんなが座りたがる意味が分かって来てしまった事なんですよね。

今回のように隣が全くの他人なら、通路側に座れたことは本当におばさん的には、助かるなあと言う所なんです。

 

私の横には、若いカップルが座りました。

窓際に座った女性は、ほとんど寝っぱなしで、食事が来ても私の横の男性が断っていました。もしかしたら女性は飛行機などが苦手な人だったのかも知れません。カップルでもあり、女性が寝っぱなしであったこともあって、殆どコミュニケーション無しで過ごしていました。

もちろん彼らが席を立ちたい時は、別です。ただ、昔の私がそうであったように、そうそう彼らの為に席を立つことはなかったのです。

ところがその「すみません。」を言われたのが、まだお食事のプレートが回収される前だったのです。

「ああ、はい。あっ、でもどうしようか。」と私は言いました。それで、席を立つために彼にまず私のプレートを持ってもらう事にしました。そして前に出ているテーブルを引っ込めて私は立ち上がり通路に出て、今度は自分と彼のプレートを持てば…(それとも彼の物は彼女が起きて持っていたのかしら・・・・。)とにかく彼を通路に出す事が出来るのですよね。

だけど私がテーブルを片付けている間に、とんでもない事が起きたのです。つまりプレートがほんの少し傾いて、まだ少し残っていた珈琲が私の服の上に零れてしまったのでした。

お互いに「あああ」と言ってしまったと思います。

「すみません、すみません」と彼は言い、私は服を拭き、だけど席を立ち私は言いました。

「とりあえず、ご用を済ませてくださいね。」と。

 

その間に彼の連れの方が席に残っているので、なんだか嫌味のようで嫌だったのですが、今それをやっておかなければ服がシミになってしまうので、濡れティッシュなどで服のケアをしました。その時、それをしながら私は少々冷静になって考える事が出来たのです。

世の中には、目に見えている部分は明らかに被害者でありながら、実はそうとは言えない事があると思いませんか。

確かに珈琲を服に掛けられたのは私です。

だけど気分がスッキリしてなくて、あまり美味しくないなと思いながら頂いた食事のプレートは、綺麗な状態に片づけられていなかったのです。珈琲の入っていたカップも雑にその上に置かれていて、そして中にまだ入っていることを私自身は知っていても、それを私はその人に告げなかったのです。揺れる飛行機、雑に置かれた珈琲カップ、中身が入ってるとは知らない・・・・・。こんなの何気なく仕掛けられた罠のようなものじゃん・・・・。

だから戻ってきたその人に私は言いました。

「これはさ、どう考えても私の渡し方が悪かったと思うの。だからこれから先は、一切この件は気にしなくて良いからね。」と。

 

だけど数時間後、その飛行機が目的地について降りる時になったっ時に、いつ用意したのか、二人が私に封筒を渡そうとしてくれたのです。クリーニング代にと。

私は吃驚して、その少しピンクがかった美しい封筒に目を落しました。

 

そしてバンバンと言うリズムで、過去に起きた嫌な出来事を思い出しました。

20歳の頃、知人の結婚式に出て、隣に座った見知らぬ夫人にジュースをドレスに零されて、それなのにおしぼりで拭かれ

「ほらっ、こうしておけばもう大丈夫よ。」と言われ、何も言えなかった昔・・・・・。

また違う時、飛行機の中で隣に座った友達に珈琲を零され、お互いに「キャッ」と悲鳴を上げたのに、

「大丈夫、大丈夫。」と自分の事だけを心配して、そして「あらッ、あなたも濡れたの。」と言いながらも一度も一言も謝らなくて、それまで信頼度が100に近かった友人の違う一面を見て、不愉快に感じた昔・・・・。

 

それに比べて・・・・

なーんて良い子たちなの~ !!!

育ちが良いんだなと、私は感じました。

 

だけど私は言いました。

「さっきも言ったけれど、あれは私が悪いんだって。気にしなくていいって言ったでしょ。」

「でもお洋服がシミになったら。」

「大丈夫。私お洗濯のスキルが高いから。」←別に高くない。単なるハッタリ。ただ、直後のケアが良かったのでシミにはならず。

「でも・・」と言う彼らは言います。こういう時、結局は受け取ることになってしまう事が多いと思うのです。だから私は更に言いました。

「旅は今から始まるんでしょ。こんな事でお金を払うなんてつまらない事でスタートさせなくて良いよ。」と。

すると

「それはあなたも同じじゃないですか。」と彼らは言う・・・。

ああ、確かにね。だけど私、まったく嫌な気分じゃなかったのです。

 

「じゃあさ、この後、もしもこの事を一回でも思い出す事があったら、あの人意外と良い人だったねとか言ってくれればいいよ。私もさ、これを良い想い出にするから。」と言って、その場を立ち去ったのでした。

きっと、「これを良い想い出にする。」と言われても、若い彼らの脳裏には「?」のマークが走り去ったと思います。

だけど私にとっては、やはりこれは良い想い出です。

今となっては、もう彼らの顔を思い出す事は出来ません。ただその美しい封筒のみが思い出されるのです。

 

一番後ろに座っていた私が飛行機から降りられるのは最後の方。

少し前に行くと、確か同じツアーの人だったなと言う方が、まだ座っていました。通路は渋滞していて、ちょうどそこで止まってしまったので、私はその方に挨拶をして、来る途中で飛行機が凄く揺れた事を話題にしておしゃべりをしました。

「初めて飛行機で酔っちゃって・・・。」と私が言うと、私の前に立っていた人がくるりと振り向いて

「私も。」と言いました。しばしの楽しいミニ(元)女子会タイム。

その人は残念ながら同じツアーではありませんでした。

お互いにこれから始まる旅にエールを送りあって別れました。

 

服からは、ちょっとだけ珈琲の香りがしていたかも知れません。だけどなんだかその時、素敵な旅になる予感がしました。

そしてその予感通りの旅になった事は、間違いのない事だったのでした。

 

   

   

機内食3回分。

 

 

 

 

 

 

 

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相棒18 第6話「右京の目」

2019-11-22 00:56:52 | ドラマ(相棒)

昨日、今日と「相棒7-11「越境捜査」」の記事に多くの方がご訪問下さりありがとうございました。

最初はなんでかなと思っていましたが、清掃員の江波和江はその「越境捜査」に出てきた家政婦さんだったのですね。

 

私的には今回のお話、凄く面白かったです♫

≪基本的に、ドラマの感想はネタバレしています。未見の方は気を付けてください。≫

 

あのケースワーカーの友里は、最初から怪しいと思いましたし、きっと右京もそうなんだと感じました。だから和江が病院まで付き添うと言ったのを、上手くそれをかわして友里に付き添ってもらったのだと思ったのです。

だけど、どう見てもおばちゃんより若い人に付き添ってもらいたかった右京と言う感じにしか見えなくて笑ってしまいました。

目が見えなくなると言うエピソードから始まって、ラストの暗闇での逮捕劇。

何気ない病院での少女との出会いと触れ合いのエピソードもジーンとしましたし、そこで得たアイテムが役に立つことになったのも良かったですよね。

被害者の怪しい上司や職場の女性など、または新しい右京さんの相棒にAIを持ってくるなど、単純になりがちな話に膨らみを持たせた感じに、見ている側は単純に楽しむ事が出来たように感じました。

 

しかし悪党と言うものは、何らかのほころびを見せて自滅して行くものなのでしょうね。

あのような犯罪は、目立たなければこの先もまだまだ続けられたかもしれません。

でもそれぞれが欲を出し、殺人事件にまで発展させてしまったのですよね。

しかもですよ、刑事にけがをさせてしまった事は、分かっていたと思うのです。一度失敗しても間髪開けずに実行したと言う事なのですよね。それで死体が見つかってしまっても、自分にたどり着かないなんて事、思うかしら。

共犯二人で山奥に埋めに行かなければならなかったんじゃ・・・・・って、おいっ !?

犯人側に立ってどうするのじゃ。

 

そして目が見えるようになった右京さんが、青空を見上げるシーンは素敵でしたね。

普通に見えるその空の青さ、または当たり前のように過ごす毎日。

日常の中の幸せを感じさせる、良いシーンだったと思いました。

 

 シナリオは根本ノンジさん。

シーズン17では「相棒17第5話「計算違いの男」」「相棒17第11話「密着特命24時」」「相棒17第14話「そして妻が消えた」」などを書いています。

 


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ちょっと怖かったホテルの怪

2019-11-20 16:20:48 | トルコ旅行記

トルコ旅行記は、まだほんの少々続きます。

と言いましても、ここからは番外編です。別にトルコでなくてもと言う話で、名所名跡はまったく出てきません。

でもやっぱりそれは、私の旅行記であることには間違いのない事なのです。

 

4月のある日、「藤原竜也のラジオ」を真夜中に聴いていて、その中のある話がとっても怖いと思った私。

・「「Sky presents 藤原竜也のラジオ」12&13」の中に

>『いろんなものが「恐怖症」の竜也さん。怖いものの一つに、「怖い物」がある…って、分かり辛い書き方ですね。地方なんかに良く行く機会のある役者さんたちは、けっこう同じような経験をしているのではないですか。

ロケ先の旅館なんかで、テレビつけっぱなしや電気つけっぱなしで寝たりするときは、その怖い時みたいなことを、その時滞在していたお寺の住職に言ったら、指を鳴らして何かを唱えるとだいたいの雑霊は去ると教えてもらった。

そしてある時の真夜中、クローゼットの中のハンガーがカタンカタンと鳴りだして、そうだ、あれだと実行したら、耳元で「効かないよ」と声がした・……と言うお話だったと思います。

最後のオチの所で、本当に「キャー」って思いましたよ^^』

 

この話がとっても気に入った私は、しばらくは友達に会うたびにそれを話して「怖い」と言う共感を得ていたのです。

そしてその頃、横浜で会ったラッタさん(息子1)にも、その話をしました。

ついでに若い頃に旅館やホテルに泊まった時に、悪夢にうなされた話や金縛りにあった話などを入れて、今度トルコに旅行に行くのだけれど、怖いなぁと言いました。でもその時、言った途端にある事に気が付きました。同時にそれをラッタさんも気が付いたらしく、コントのように声が重なりました。

「『効かないよ』のトルコ語が分からなーい !!」

で、結局、気のせい?

って事になるよね、と言うオチが付いて、なぜかラッタさんとの会話だけ笑い話になりました。

 

なぜこの話が「トルコ旅行記番外編」になるのかって事ですよね。

それは、いわば前振りですね。

 

どこのホテルとは申しませんが・・・・・って前の「トルコ旅行記」の記事を読んでいたら、なんとなく分かってしまうような記述はあるにはありましたが、まあ、たぶんそこまで読み込んでいる方もいらっしゃらないと思うので、「とあるホテル」と言う事にしておきましょう。

毎回私は星子さんよりも、早くても30分後に寝るのです。もともと深夜族と言うこともありますが、あれやこれやの準備などをするのも遅いのです。ただその日は、荷物を早朝にドアの外に出さなくてはいけない日で、やることも多く、しかも翌朝のスタートが早いのです。やるべきことを終えて早く寝なくちゃと焦っていましたが、星子さん睡眠から安定の30分から1時間遅れのベッドイン。

ただ私、寝る時は本当にカウント5も掛からず深い眠りの中の人・・・・・。

 

しばらくその眠りの中に居たのですが、突然、ぶるるるると言う馬の嘶きのような音で、はっと目が覚めました。

馬が嘶くわけがないので、私は迷わずバイクのエンジン音かと思いました。

「こんな一流ホテルでも、静まり返った真夜中は音を通すのね。」と思ったのです。

事実、ホテル前の道路を再びバイクが通り過ぎていく音が聞こえてきました。

「だけど、そんな音で起きたくなかったな。」とまた思いました。

するとパチンパチンと音が聞こえて来て、私はベッドの中でクスリと笑ってしまいました。バイク音が聞こえるのなら、隣の部屋の音も聞こえると思ったからです。

なぜ笑ったかと言うと、私も寝る前にパチンパチンとベッド横の明かりのスイッチを付けたり消したりしたからです。

 

ところでなんでホテルと言うのは、あんなにあちらこちらに薄暗い電気が分かれてあるのでしょうね。

夜になると、全部つけていても部屋全体が薄暗いでしょう。

もう真ん中に煌々と明るい電気が欲しい所です。

それと常夜灯があれば良いじゃないですか、などと思わずムードもへったくれもない人を暴露してしまいました^^

 

そしてそのホテル、やたら薄暗い電気があちらこちらにあったのです。これを付けるとあっちのスタンド、そしてこっちのスタンド、ドア付近、あっちの壁側、こっちの壁側・・・・・・・・・。

そしてですね、私のベッドサイドと星子さんのベッドサイドのスイッチが別々の場所のスイッチで、全部で10個もあったのですよ。寝る時に真っ暗と言うのも危ないので、一か所だけ付けておくことにしました。そして私の方が後から寝るので、電気係は私です。その一か所のスイッチを見つけるのに、けっこうパチンパチンとやってしまったのです。

 

だから私は笑ったのです。お隣さんも同じ事をしていると思って。

だけどそのパチンパチンがずっとずっと続いて止まりません。

申し訳ないのですが、

「ちょっと頭、悪いんじゃないの。」なんて事を思ってしまいました。

おせっかいなので、隣の部屋に行って、

「もう、ここですよ。」とやってあげたい気分にもなりました。

そう言えば一回、この旅の途中で、やっぱり電気の件でヘルプしたことがありますよ。何をしたのか忘れてしまいましたが。助けたと言うと偉そうですが、私たちも一回鍵が開かなくて、助けてもらったこともあるのです。旅は助け合いですよね。

しかしもう既に真夜中だしな・・・・・・なんて事を考えていたのですが、流石に変じゃないの、これって思えてきました。

いくら周りが静かになった真夜中とはいえ、隣の部屋のスイッチを消す音が聞こえてくるものなのかしら。

それも延々と。

だいたい起こされたのだって・・・・・、と、そこの部分はあまり考えたくはなかったのでしたが、私は右側を下にして寝ないと、めまいを起こしやすいので、その日もその向きで寝ていたのです。道路は私が向いている右側にあったのに、最初のぶるるるると言う音は、左側の耳の斜め上から聞こえてきたのです。

「ちょっとだんだん怖くなってきたな・・・・・。」

恐怖を払うために、私は私の信じるある言葉を心の中で唱え始めました。

と、その時、あの「効かないよ」の話を思い出してしまったのです。

そして更に、ふと私は気が付いてしまったのです。もしも何かが私に何かを言う場合、それはトルコ語なんかじゃなくて、テレパシーと言うものなんじゃないかと。

すると、もしもそう言う言葉を発せられたら、私は私の耳元で私の声で日本語で「それ、効かないよ・・。」と聞くのではないかしら。思わずぞーっとしました。言葉が分からないから怖い目には合わないと言うのは甘い考えだったのだと気が付いてしまったからです。

 

しかしこの延々と音が続いているのは、洗面所で何か不都合が起きているとかかも知れないと思いました。

明日の朝、床がどうにかなっていたら嫌だから、チェックしに行こうかと思いました。

だけど、止めておこうと思いました。私のシグナルが鳴ったのです。

 

「起きだして行ったら思うつぼじゃん。」と。

思わず、「誰の」とツッコミを入れたくなるような発言ですよね。

 

意外とこれ、本気で思っていたのですよ。私、もう怖くて左側が向けません。だってスイッチはそちら側に有ったのですから。

それでどうしたのかと言うと・・・・。

 

私ね、ちょっと変な家の変な環境で育ったんですよ。いや、別にメチャクチャ変ってわけでは無いですよ。90%は普通の平凡な家です。ただ世の中にはいろんなことがあるな~と信じる事が出来る家だったと思います。

それで、わけの分からないスイッチの音が延々と続いていると思うと、気になって眠れないけれど、何かの意思があるのかと思ったら、怖いけれどいつも通りの対処法で行く事にしました。

「明日の朝、本当に早いのよね。申し訳ないんだけれどね、お付き合いできません。分かってあげられません。聞いてあげられません。ゴメンね。私は寝ます。」と息のような小さな声で言い、枕が動いてくれなかったので、ベッドメイキングでしっかりベッドに織り込まれた上にかかっているものを、力任せで引っ張り上げ、その中にもぐって寝てしまったのです。

 

その後にパチンパチンが続いていたか、私は知りません。なぜなら私は3秒かからずに眠りの中の人。

次に私が目覚めた時は、朝でした。

 

恐怖の源はたいがいは想像力にあると思っています。

それは分かっているのです。

朝起きて、真っ先に水回りチェックをしました。もちろんセーフ。犯人はこいつかとペットボトルもチェック。でも500mlのペットボトルはそうそうは鳴らないし、鳴ったとしてもあんなには鳴り続ける事は出来ないと思います。

ふと今思い立って、家のスイッチを付けたり消したりしてみました。

やっぱりこの音なんですよね。

 

やっぱ、ちょっと怖いじゃん。

 

翌朝はやっぱりちょっと睡眠不足な感じでした。

まあ、この話はオチもなく、ここで終わりです。

ここで自殺した人の話とか、夫婦で泊まった人が殺し合ったとか、そんな話(作り話)はナッシング。

 

しかし、いろいろあって、私のトルコ旅行は充実してたなぁと変な所で、今しみじみと感心している所です^^

トルコ旅行記番外編は、もう少し続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ほーんと、がっかりだよ。

2019-11-17 23:28:44 | 梢は歌う(日記)

他にも書きたい事たくさんあるのだけれど、やっぱり一言言いたいじゃんねー。

 

私、沢尻さんのファンですよ。

昨日は実家に泊まっていて、夕方一人暮らしの息子君に会いに出かけ、その時スマホに流れてきたニュースを見てびっくりしました。

思わず「あああああ」って思いましたよ。

彼女が「別に」と言い、エリカ様と馬鹿にされていた頃(そう、あれは馬鹿にされていたのよね。)、若い年頃の女の子は、あのようにうっかり自分の感情を丸出しにしてしまうこともあるのよねと、なんとなく気の毒に思っていましたよ。そして応援してました。だから女優としてその実力だけで復活してきた時には嬉しく思ったのです。

「ヘルタースケルター」、良かったですよね。

 

それなのに、又ですかとか言いたくなってしまいますよね。

NHKの「いだてん」、出演者が問題を起こして呪われているとか言われちゃうけれど、「いだてん」じゃなくて、大河自体がそうなんじゃないのって思ってしまいますよね。「麒麟が来る」、初回から彼女が出ているので大変らしいですね。

いつもいつも言っていて、繰り返しで申し訳ないのですが、映画でもドラマでも一人で走っているんじゃなくて、ムカデ競走みたいなチーム戦だと思うのですよね。一緒に走る人の中に、ひとりでも速い人(優秀な人)がいると、一緒に走る人もその人に合わせて速くなったり(作品のレベルアップ)するものだと思うのですよ。だけど一人コケタら、チームごとコケるんですよね。

自覚しようよ、もう~もう~。

腹立つわ、まったくね。

 

私、今まで本当に悪くなんて一言も言わずに応援してきたものだから、裏切られ感が凄くしちゃうのですよね。

私と同じような人がたくさん居るような気もします。

私はクスリでつまずいてしまった人は、治療してまた頑張って欲しいと思う方なんです。だけどこんな風に裏切られた感が高いと、もう応援止めます・・・・・・・・・・・と思ってしまいました。

それに、彼女の件で世間が騒いでいるうちに、また裏で何か大事な事が決まってしまうなんて事が起きているんじゃないかしら。

 

「人間失格 太宰治と3人の女たち」、私、映画館で見ていません。最近ではテレビで(WOWOWなどで)やるのも早いではないですか。それを見るのを楽しみにしていたんですよ。でも当分は無理ですよね・・・・・。

あーあ、がっかりですよ。

 

あっ、でもね嬉しいニュースもひとつありましたね。

渦が森団地の眠れない子たち」は、来年2月にWOWOWで放送決定なんですよね。

またあのお芝居が、家でゆっくり見る事が出来るなんてとっても嬉しいです♡♡♡

 

 

 

 

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