遠くにいてもその妻の安否を気遣う夫、片や奪い去っていく事のみでしか、その愛を表す事のできない夫。それでも、愛する気持ちは一緒。のようなこと。とガラシャは言いましたが、それは最後に見せた夫への愛情かもしれませんね。
この人ならと気持ち通わせて嬉しそうに嫁いだ頃を、私は思い出してしまいました。家来達に命狙われた時も助けてくれた夫だったのに、一体どうしてこんな夫婦になってしまったのでしょう。
大きな歴史の、その前に人の歴史の流れの無常を感じてしまいます。この人の人生は、全てここで死ぬためにあったのではないだろうか。ここに流れ着いてくるための人生だったのではないだろうかと、私は思うのです。
ガラシャの死は、三成の思惑を大きく外させ後の歴史の結果に影響させるわけですから。また、死というものがすぐ隣にあった戦国の時代と言っても、城近くに住む奥方の壮絶な死は、人々の心に驚きと共に深く刻まれた事でしょうね。
この長谷川京子という人は本当に綺麗な人ですね。私は仲間由紀恵と言う人もとっても綺麗な人だと思っているんですが、二人でいた時、仲間さんが普通のお姉さんに見えてしまいました。
話が横道に逸れるのですが、今回大きくアップも遅れたことですし、思いっきり逸れちゃえってな感じで書いてしまいます。
この先綺麗なだけでこの世界を渡っていけるほど甘くはない、なんてことは思いませんよ。きっとこの先も面白いドラマの良さを削りながらもこのままいけますよ。
私は夜、結構うつらうつらしながら単発のドラマなんかを見ていることなんかがあるのですが、声だけでも、あまりに面白くて起きてしまう物もあれば、その逆にあまりにセリフが素人みたいで、どうしちゃったのかしらと驚いて起きてしまうことがあります。
例えば、ある女優Aなんかはもう中堅ではなく大物女優と呼ばれるのではないかしら。若いときは美貌や個性でうっていたのですよ。だけど、個性というものは年とともに、その要求も変わっていってしまいますから、その後に要求されるものは演技力ですよね。知名度もありファンも多い方ですから、誰もその人の演技力なんかを批判する人なんかはいないと思うので、世間の片隅で二人ぐらいひどいよねと言っていてもいいでしょ。二人って私と夫の事です。彼はもっと過激で聞いちゃいられねえとチャンネル変えちゃいましたから。
でも、本当はこの女優A好きですよ。ぶっ飛んだ個性の役なんかとっても上手で、さすがと思うのですが・・・節約してたり、「taka~」とか言っていたり・・熱弁すると我鳴りたてちゃうような感じがするのが、ちょっとね。。。
こんな風に世間の片隅で二人の中年が批判していようとも、築いた地位は磐石です。美貌の需要がある限り、長谷川京子さんは健在ですね。
また横道ですが「ベルサイユのばら」の作者、池田理代子は、可愛い丸顔オスカルではこの作品は耐えられないと、大ヒット連載中にも関わらず、デッサンから絵を勉強しなおして絵のタッチを変えていったのですよ。その流れを止めない、たゆまぬ努力が30年経っても色あせない作品を作り上げていったのではないでしょうか。
ガラシャ最後のシーンは思っていたより見応えありました。それで、最後に愛をこめて、言いたいこと書いてしまいましたね。
ガラシャのシーンが良かったのは、ガラシャに槍を突き刺す家臣が良かったからだと思うのですよ。嶋田久作が演じていましたが、家老の小笠原少斎という役名があったのですね。家老だったのですね。ガラシャに止めをさした後自分も切腹して果てるその人に、とっても同情してしまいました。
でも今回、面白いと思ったのは、千代の頑張りと六平太の関所のシーンでした。なんか笑ったり、感心したり面白かったですね。って、もう超手抜きになってきた・。。。
おや、笠の緒の密書を運んだ田中孫作は、引越しのCMの人ではないですか。この人徳井優という人なんですね。いい味出していましたね。
ああ、それなのに、あの一豊のセリフはこけちゃいましたよ。「・・・しかあるまい」といいましたよね。
―もう、家康に付くしかないじゃん―とか言っているみたいで、やっと決断のセリフなんだから、もっとかっこよく決めて欲しかったですね。