煌く街を過ぎるトップの画像は、秋葉原のホームから写したものです。昨日は有楽町まで出かけて来ました。その街も低い街路樹にピンクなどのイルミネーションが煌めいていて、とっても綺麗でした。秋葉...
上の画像と文章は、gooさんがメールで送ってくれる昨年の記事。
それを読むと、どうもこの時期私は似たような状況に陥っているようで、なんとなくあまり体調も良くないようです。それでもそんな12月、ささやかな生活の切り取りを大切にしているので、毎年想い出を少しずつ増やしていけているようにも思うのです。
今年も我が家にやってきている小学生との会話がとっても面白かったのですが、昨年同様時間押せ押せで落ち着いて書いている暇もなければ気分にもなれず、来年持ち越しのようです。
それでお気楽我が家の家族スナップです。
先週、ちょっと熱などを出してしまった私は、この三連休は完全なひきこもり状態でした。熱はとうに下がっても一歩も外に出たくないのです。家でのんびりしていました。それでそのつけを火曜日にお支払いしなければならない状況になり、家事家事家事&仕事とあっという間に一日が過ぎて行きました。
ダイニングテーブルは、食事が終わると私の机に変わります。そこでいつものようにパソコン相手に遊んでいますと、ルートくんがやって来て冷蔵庫を開けました。本来はダイニングテーブルなのでキッチンの傍にあるのです。お茶を飲みに来たのかと思って、
「お水しか無いよ。」と言いました。
ちょうどお茶が切れてしまった所だったのです。なんたって引きこもっていますから、買い物になんか行っていないのです。
「お水しか無いのか。」と彼の声に残念さが滲みます。
「そんなにお茶が飲みたかったわけなの。」と聞くと
「いや、冷蔵庫を開けたらケーキがあるかなと思ってさ。」
「ああ、ケーキは明日なのよ。」とすました顔で言いながら、実はその瞬間、「明日、ケーキを買うこと。」というスケジュールを脳内にインプットさせた私なのでした。
お仕事過酷なルートくん。
もうなかなかみんなでお食事をというわけには行かなくなってしまいました。それも昨年書いたことと一緒。でも、一緒じゃなくて同じものを楽しみにしながら食べるって大切な家族の食卓なのだと思います。
今夜〈もう昨日になってしまいました。〉は、夫と二人でお食事タイムでした。
彼が
「こんなものでも、昔はご馳走だったな。」と言いました。
こんなものとは、鳥のもも肉を指しているのです。
「うん、こんなのは一年に一度しか食べることの出来ないご馳走だったね。」と私。
今だってあの骨付きのももなんかこのクリスマスの時にしか食べないけれど、それはイベントにつきものの料理というだけで、食べられないわけじゃないのですよね。
だからもうご馳走には感じられないと思うのです。
「豊かゆえの貧しさかな。」と私が言うと
「そうだな。」と彼も言いました。
―ふとそんなお肉にぱくついている子供の頃の食卓風景が記憶の底から蘇ってきました。
不在がちの父のいない食卓。だけど母と姉妹たち賑やかな食卓。
そこに「遅くなりました~。」と近所のお菓子屋から配達されるヤマザキのケーキ。―
「ヤマザキのバターケーキは、本当は美味しかったわ。」
この「本当は」というのは、ケーキを横浜駅周辺の地下街やデパート等に買いに行かずにパン屋メイドのケーキを注文するのはオシャレではないと、子供の頃は思っていたからなのでした。
「うん。バターケーキは意外と美味い。」と夫。
「小さい時は大きくて、いつも翌日に残していたんだけれど、それがすっごく美味しいの。あれ、なんでだろうね。」
「子供の頃、ケーキは買った奴と貰ったやつで、二個あって、つまり一人で半分食べたんだ。」
「何、それ、めちゃくちゃ羨ましい。」
バターケーキは日持ちがするから3日かけて食べても問題ないのです。
「サンタは絵本の中の登場人物に過ぎなかったけれど、それで何にも問題がなかったな。」と私。
「プレゼントなんか俺の家にはなかったよ。」
「うちにはあったけれど。でもプレゼントって、あれだよ、ブーツのお菓子。しかも誰がくれたのかしっかり知っていたし。でもそれでも朝目が覚めるとそれが枕元にあると嬉しかった~!」
「それは俺も買ってもらった。枕元と云うのはなかったけれど、『はい。』って買ったものを渡された時嬉しかったな。」
貧しさゆえの豊かさが、そこにはあったのかも知れません。
「私、幸せだった。」
「俺も、幸せだった。」
私達は同じ食卓に座りながら、記憶の中の違う風景を見ていたのかもしれません。
でも二人は幸せな子供でした。
そして幸せだった二人の子供は大人になりました。
そんな二人の子どもたち、ラッタ君とルート君もそして多くの子供達もまた、大人になった時に「幸せだった。」と言えるような12月の日々でありますように・・・・