森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

石は転がって、そして・・・ 〈その1〉

2012-10-14 00:49:36 | 思いつくまま

時にあることを考えたり思ったりした時、その思考はリレーのように次から次へと繋がっていく場合がある。その流れの先に、きっと自分の知りたい答えがあるのかもしれない。

ある時、私はたまたま並んだスーパーのレジのチェッカーの人が、ルート君の同級生のお母さんであることに気が付きました。私の後ろには他のお客さんがいなかったので、私たちはお互いに挨拶して、軽い近況報告をしました。

こんな時出てくる言葉は、だいたい子供がどうしてるかということなのですが、今の時代、結構それが辛かったり触れて欲しくないことだったりもする時があるのではないでしょうか

まったく状況がわかってもいない人に、好奇心だけで「どうしてる。」と聞くのは時には残酷な話題だったりもするかも知れません。

だけどみんながそう考えて、「元気してる。」だけで留まるわけではないのも事実です。

こんな事を書く私も、一年前はあまり触れられたくないひとりでした。大して仲良くもない人に我が家の奮戦記を話す必要もないし、だからと言ってうまく交わす器用さも持ち合わせてなかったからです。

ただでさえ比類なき就職難と言われていた年だったのに、ラスト3月にはあの3.11が来て武道館でやるちゃんとした卒業式も無くルート君は大学を卒業してしまいました。それでも教室でやった卒業証書授与式の日は大学に研究生として残る学生たちの手続きの列がとぐろを巻いたそうです。これは別に研究熱心な子供たちが増えたわけではありません。就職浪人となってしまった子供たちの長い列だったのです。もちろん、誰もがそのような列に入らなければならなかったわけでもなく、ちゃんと普通にレールの上を走るように4月から社会人になっていった青年たちも多数いたのです。だからといってその青年たちが優秀で、長い列に並ばなければならなかった人たちがダメというわけでは、決して無いのです。大切なことなので二回言います。決して無いのです。

昨年の4月、ルート君は新社会人にはなれませんでした。でもその長い列にも並ぶという選択も敢えてしなかったのです。かくして、我が家の戦いの日々は幕が開いたのでした。その奮戦記は別のお話。でも多分、私は何も書かないと思います。それは彼の出来事であって、ここは私のブログなので書くべきではないと思うからです。

ただ私的視点から言えば、人生に無駄な時間は無いかも知れないと再確認した一年だったかも知れません。未熟だった彼を成長させたのはその時間で、それは必要なものだったと思います。

私が前の記事「その日の終わりには。」の終わりに書いた、
「今の時代、遠回りすることも失敗の体験談を重ねることもいっぱいあると思います。

でもそれはきっと意味のあることなんじゃないかと、時々私はそう強く思うのです。」という言葉は、今の私の心からの実感した想いだったのです。

 

そんなルート君も今では社会人です。きつい仕事を頑張っています。

 

で、再びシーンはスーパーレジ前です。

「ルート君はどうしてるの。」と彼女。

なんとまあ、ストレートなお言葉。

「働いてるよ。」と私。

「いいなあ。」

「いいなあって、お宅は大学院生じゃない。でももう就活だよね。早いよねえ。」と私。

「それがやっと決まったのよ。」

―やっぱり、ここのうちのあの子は優秀だなあ。決まったのも早いよね。←私の心の声

でも、彼女からしてみれば「やっと」。

私はこのやっとの気持も分かります。今時は大学院に進むというのは優秀で勉学の志も高いということもありますが、親の立場で言うと、それは今の時代からの「緊急避難」という意味合いのほうが強い場合もあるからです。

避難している間に時代が変わって欲しいと思う親心。でも避難させても、その猶予期間はわずかしか無いのです。その反面、避難的な意味合いで言ったら僅かな時間でも、親の描いていた計画から、さらに延長した2年、もしくは3年はものすごく長い、そして重い負担にほかなりません。

ゆえに先に働き出した、ルート君の近況に対して「いいなあ。」という言葉が、ふと口について出たのだと思います。

「あと、もうちょっとだわ。そしたら今度は自分のために頑張って、自分のやりたかったことをはじめるつもりなの。」

と、彼女はそう言葉を続けました。

その時、イメージでは天上からなにかキラキラ光る粉が降り注がれたような感じがしました。

 

レジ前の短い時間です。

―それって、何を。

という言葉を飲み込んで、その場を立ち去りました。

 

 学資からの開放、すなわち、それが今の時代の子育ての終わりなのかも知れません。

その子育てが終わった時、一体彼女は何をやろうとしているのか、凄く気になりました。

なぜなら自分自身はどうなのかと思うからです。

キラキラしてる人を見つけると、元気が出てきます。ワクワクもします。

だけど今の私の心は、少しだけ漣が立つのでした。

 

〈その1〉なので〈その2〉につづく

 

 

 


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相棒Eleven第一話「聖域」

2012-10-11 09:31:07 | ドラマ(相棒)

新相棒、甲斐享(成宮寛貴)登場の初回。

ずっと番組が始まる前に流れていた予告編が軽妙な感じで期待していました。その期待は裏切られなかったように思います。

凄く面白かったです。

若手の新相棒に成宮くんを持ってきたのは、ある意味成功だったような気がします。初回なのにそう言い切ってしまうのもどうかなとは思いますが、軽すぎず重すぎずで10シリーズもの長きに渡ってやって来たこの「相棒」ワールドに、スルッと上手く入り込みましたよね。

このスルッとと言うのが、初回の一番のテーマだったと思うのですが、つまり新相棒カイトを向かえての「新相棒」ワールドに視聴者もスルッと引きずり込まなくちゃいけないというか・・・

お陰で脇を固めるレギュラー陣がいきいきとこれぞというセリフを言って、なにげにサービス満点だったと思いませんか。

いわば、今回ははチョットお祭りだったような気もします。昔はそういうセリフが楽しくて、また多くて拾いきれなかったんですよね。そんな「相棒」が戻ってきたような脚本で嬉しかったです。

いろいろ皆さまにもそれぞれ嵌るツボがあったと思うのですが、私はカイトの右京さんに言った
「友達いませんよね。」に結構笑っちゃいました。

それから米沢さんのマブダチも面白かったのですが、捜一トリオの事件解決はほとんど杉下さんのお陰という内容の掛け合いが好きでした。

まあとにかく拾い切れなかった楽しい回でした。暇か課長もラムネ監察官も幸子さんもgoodでしたよね。あれっ?陣川はどうしたのかな・・・。すぐ辞めていった特命のメンバーの中に含まれていたからいいのか、そこの所は。

それにカイトが特命に来る経緯も上手くスルッといきましたよね。

だけどこの展開・・・。

もう記憶の底に埋没してしまったので、どなたが言ったのがわからないのだけど、バッチリ予想していたような気がします。この「予想」と言うのが、「相棒」の楽しみ方の一つだと思うのですが、「相棒」ファンは本当に侮れませんよね。

私は新相棒が成宮くんと決まった時には、ラスト、彼が退場する時は、彼が犯人になるか、または「相棒」史上始めての殉職ではないかと予想したのですが(早すぎるちゅうの)、あんなに明るいキャラじゃ、この予想は外れそうです。

成宮くんは最近、役のキャラのパターンが傾いていたので、このカイト役はそういうイメージ払拭になって良かったなあと思いました。

名前も良いですよね。「か」で始まって「る」で終わるという「相棒」の名前の鉄則を今回まで知りませんでした。なんたって神戸尊の時は、私自身も「ソン」と実は呼んでいたので全く意識できず、ああ、ナルホドなあと今頃感心しています。

「徹子の部屋」では水谷さんは成宮くんに「コットン」というニックネームをつけたのだそうですね。父親の年齢なのに兄貴みたいだと他の番組で言っていました。見た方も多いかと思います。

なんか水谷さんはリアルで成宮くん、そして右京さんはカイトをかわいがってるという感じが凄くしますよね。お話の展開にもそれが表れているような気がしました。

右京さんのリクエストで特命に来ることになってしまったカイトですが、それを言い出された時の石坂父ちゃんのシメシメという「微笑みこぼれちゃうなあ、俺」的な表情が良かったですよね。

この石坂父ちゃんが、またいい味出していたので今後に期待です。

で、今回はお祭りでしたので、肝心の事件の方までなかなか感想が辿り着けなかったのですが、ゲストの賀来千香子さん、良かったです。いくらでもすっとぼけることが出来るのに、自分から殺人教唆じゃないかなどと言ってみたりして、あくまでも根津と同じ立場になりたい雰囲気で、そこに「愛」を感じました。事件自体はまあまあ。意外と予想どおりというか。タイトルは第一回にふさわしいような「聖域」ですが、あまりピンとこなかったな。「楽しい」に「シリアス」が蹴飛ばされちゃったように思います。

 

あと、カイトは思ったことが口に出ちゃうと言う癖の持ち主なんですね。

ラストの
「ここはキャバクラか。指名料、取るぞ。」はまさにそれですね。

 

とにかく「相棒」始まりました。更新はテキパキではありませんし、詳しくセリフも拾えませんが、今回も感想を書いていくつもりです。またよろしくお願い致します♪


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その日の終わりには。

2012-10-06 16:21:06 | 思いつくまま

今日は土曜日。最近1週間が早く感じてしまいます。アッという間に毎日が過ぎていって、ようやく秋めいてきたというのに、気がつくと「寒い寒い」と言っている自分の姿が用意に想像出来てしまいます。

今週の初め、HHK の「あさイチ」という番組の冒頭挨拶でイノッチが
「今日は月曜日、そして10月1日、新朝ドラも始まりました。」というようなことを言いました。

当たり前の普通の言葉ですが、私には印象的な言葉でした。新朝ドラの部分はおまけのようなものですが、私的には「梅ちゃん先生」が好みに合わなかったので、新朝ドラには少々期待しています。が・・・。まあ、このドラマのことは別記事にて何か書けたらイイなと思っています。

それはともかくとして「月曜日」と言う1週間の始まりの曜日にも、「ついたち」と言う一ヶ月の始まりの時にも、どちらにも何か期待できる響きがあるのが好きです。同じように「朝」という時間にも。

これからなんでも出来るような希望があるからでしょうか。

だけど、だからといって土曜日・31日・夜に嘆く必要は無いわけですが、時には不満足の気持や後悔に心が沈む場合もあるかと思います。

水曜日の夜、眠りにつく前の私の心は穏やかで少々の満足感に満ちていました。なぜならその日は一日中家の片付けと掃除をして、それなりの達成感があったからでした。掃除や片づけでそんな気持ちになるとは、私は「家事嫌い」というわけではないんだなと思いました。また、そんな程度で満足は得ることが出来るんだなとも思えたのでした。

大望ある人は、それに見合った充実感がなければ気持は埋まらないと思います。だけど一日の充実感は、人それぞれ違っていて、ささやかに生きるものには、最初から満足度メーターのマックスが低いと考えられるような気がします。

大きな目で見れば、それは悲しい事かもしれませんが、その小さな世界しか知らなければ、それはそれで幸せなことなのかも知れません。

だけれど満足度メーターが元々低いというのに、ある時にはそれさえもメーターマックスにすることが難しく感じる日も多々ありませんか。

イノッチの言葉に頷きながら、実際にはなかなかエンジンが掛かりませんでした。

その日から2週間のちょっと長い休みに入った姉が、計画を立てやるべきことをこなすべく始動し始めた話を、朝の挨拶の電話で聞きました。それで少々の負けじ魂を出してみたものの、それでも動きはノロノロ。

実は私は月曜日が一番エンジンの掛かりが遅いのです。そして一番疲れているのです。

土日のいつもと違うタイムラインが私を疲れさせるのです。そして私はノロノロ家事になってしまうのですね。そうなのだとわかっているならば、月曜日はいっそ、自分のおやすみにすれば良いのだと思います。

嘆いてその日の終わりを迎えるならば、気持や思考をチェンジさせて満足度メーターを上げる工夫をすることのほうが良いのです。

だけど家事という仕事はほぼ年中無休です。溜めればなんとなく心の中が淀みます。

翌日には仕事が二倍になっていくからです。

そんな時は、一日の終わりまでに帳尻が合えばいいやって思います。そんなわけで昼間やるような事を夜ベランダでやり始めていた私。ふと東の低い空を見ると・・・

思わずあれは何かしらと思うようなオレンヂの球体が。

まるでハロウィーンの大きな赤いカボチャのようなものに見えました。

それは昇って来る月だったのですが、森の木々の影を映してまるで絵のような月だったのです。

 

前日は夜半から唸るような風を伴った嵐で、その後のベランダは大変なことになっていました。台風に備えて片付けておいたので、滅茶苦茶になっていても被害はありませんでしたが、空の上でも台風が過ぎていくのを待っていたのに違いないと思えるような月だったと思います。

ああ、

と、私は思いました。

何を思ったのかといえば、この時間にベランダに出て、そしてあの月を見るために一日が、ちゃんとそう動いていたのだと思えたのでした。

 

今の時代、遠回りすることも失敗の体験談を重ねることもいっぱいあると思います。

でもそれはきっと意味のあることなんじゃないかなと、時々私はそう思うのです。

 

 

 

おまけの画像

野分の後のベランダ

 

 

 


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