時にあることを考えたり思ったりした時、その思考はリレーのように次から次へと繋がっていく場合がある。その流れの先に、きっと自分の知りたい答えがあるのかもしれない。
ある時、私はたまたま並んだスーパーのレジのチェッカーの人が、ルート君の同級生のお母さんであることに気が付きました。私の後ろには他のお客さんがいなかったので、私たちはお互いに挨拶して、軽い近況報告をしました。
こんな時出てくる言葉は、だいたい子供がどうしてるかということなのですが、今の時代、結構それが辛かったり触れて欲しくないことだったりもする時があるのではないでしょうか
まったく状況がわかってもいない人に、好奇心だけで「どうしてる。」と聞くのは時には残酷な話題だったりもするかも知れません。
だけどみんながそう考えて、「元気してる。」だけで留まるわけではないのも事実です。
こんな事を書く私も、一年前はあまり触れられたくないひとりでした。大して仲良くもない人に我が家の奮戦記を話す必要もないし、だからと言ってうまく交わす器用さも持ち合わせてなかったからです。
ただでさえ比類なき就職難と言われていた年だったのに、ラスト3月にはあの3.11が来て武道館でやるちゃんとした卒業式も無くルート君は大学を卒業してしまいました。それでも教室でやった卒業証書授与式の日は大学に研究生として残る学生たちの手続きの列がとぐろを巻いたそうです。これは別に研究熱心な子供たちが増えたわけではありません。就職浪人となってしまった子供たちの長い列だったのです。もちろん、誰もがそのような列に入らなければならなかったわけでもなく、ちゃんと普通にレールの上を走るように4月から社会人になっていった青年たちも多数いたのです。だからといってその青年たちが優秀で、長い列に並ばなければならなかった人たちがダメというわけでは、決して無いのです。大切なことなので二回言います。決して無いのです。
昨年の4月、ルート君は新社会人にはなれませんでした。でもその長い列にも並ぶという選択も敢えてしなかったのです。かくして、我が家の戦いの日々は幕が開いたのでした。その奮戦記は別のお話。でも多分、私は何も書かないと思います。それは彼の出来事であって、ここは私のブログなので書くべきではないと思うからです。
ただ私的視点から言えば、人生に無駄な時間は無いかも知れないと再確認した一年だったかも知れません。未熟だった彼を成長させたのはその時間で、それは必要なものだったと思います。
私が前の記事「その日の終わりには。」の終わりに書いた、
「今の時代、遠回りすることも失敗の体験談を重ねることもいっぱいあると思います。
でもそれはきっと意味のあることなんじゃないかと、時々私はそう強く思うのです。」という言葉は、今の私の心からの実感した想いだったのです。
そんなルート君も今では社会人です。きつい仕事を頑張っています。
で、再びシーンはスーパーレジ前です。
「ルート君はどうしてるの。」と彼女。
なんとまあ、ストレートなお言葉。
「働いてるよ。」と私。
「いいなあ。」
「いいなあって、お宅は大学院生じゃない。でももう就活だよね。早いよねえ。」と私。
「それがやっと決まったのよ。」
―やっぱり、ここのうちのあの子は優秀だなあ。決まったのも早いよね。←私の心の声
でも、彼女からしてみれば「やっと」。
私はこのやっとの気持も分かります。今時は大学院に進むというのは優秀で勉学の志も高いということもありますが、親の立場で言うと、それは今の時代からの「緊急避難」という意味合いのほうが強い場合もあるからです。
避難している間に時代が変わって欲しいと思う親心。でも避難させても、その猶予期間はわずかしか無いのです。その反面、避難的な意味合いで言ったら僅かな時間でも、親の描いていた計画から、さらに延長した2年、もしくは3年はものすごく長い、そして重い負担にほかなりません。
ゆえに先に働き出した、ルート君の近況に対して「いいなあ。」という言葉が、ふと口について出たのだと思います。
「あと、もうちょっとだわ。そしたら今度は自分のために頑張って、自分のやりたかったことをはじめるつもりなの。」
と、彼女はそう言葉を続けました。
その時、イメージでは天上からなにかキラキラ光る粉が降り注がれたような感じがしました。
レジ前の短い時間です。
―それって、何を。
という言葉を飲み込んで、その場を立ち去りました。
学資からの開放、すなわち、それが今の時代の子育ての終わりなのかも知れません。
その子育てが終わった時、一体彼女は何をやろうとしているのか、凄く気になりました。
なぜなら自分自身はどうなのかと思うからです。
キラキラしてる人を見つけると、元気が出てきます。ワクワクもします。
だけど今の私の心は、少しだけ漣が立つのでした。
〈その1〉なので〈その2〉につづく