前回は、ぜんぜんタイムリーではない「東京大空襲」のドラマ感想を書きましたが、意外とお立ち寄りしてくださった方が多かったので驚きました。
そういえば「身毒丸」は10日の日に千秋楽を向え、見られた方の多くが私のように余韻に浸っていたのに違いありません。そうであれば「藤原竜也」と言うお名前でいらしてくださったのですね。そう思うと、少し申し訳ないように思いました。
<「身毒丸」の感想はこちら 「身毒丸」の余韻はこちら>
竜也君の感想といっても、「身毒丸」の後の今となっては、褒め言葉しかありません。だけど、チラリと思ってしまった本音は、何も彼でなくても良かった役であったかもということです。看板として使われてしまったような・・・・
ただ四方が火に囲まれてしまう時の、彼らの恐怖と驚きの表情は、とってもインパクトがありましたよね。忘れられません。
さて、ドラマの感想はこの程度にいたしまして、その番組が放送された17日は私は友人と夜映画に出かけていました。
子供に頼んだビデオのことを気にしていましたら、一緒に行った友人が言いました。
「可哀相で見ることが出来ないわ。」
確かにそれは、時を戻して助ける事も手をさしのべる事もできない過去の出来事です。
でも、私は知りたいのです。知りたいと思うものにテレビのリサーチ力は個人のそれよりは絶大に違いありません。
例えば、私は言問橋にそんな歴史があったことなど知りませんでした。人がなぜプールで死んでしまったのかもわかりませんでした。過去にあったことを「知る」と言う事は大事なことなのではないでしょうか。
前にいつだったか、横浜のどこかを見学していた時に、「横浜空襲」の展示がしてあったのです。私は驚きました。もちろん横浜にも空襲があったことは知っていました。でも、そんなに酷い被害だったとは・・・
意外や横浜は湧き水などが豊富な場所なのですが、その水が人々の命を助けたとか、やはり、ドラマチックなエピソードもあるらしいのですが、野毛坂などはその坂を死体で埋め尽くされていたとか、やはり悲惨です。
でも、その時私は思いました。
―どうして、私はこのことを知らなかったのだろう・・・
私の故郷横浜は港だけの場所ではなく、その自慢は優れた地方自治力にあると思います。学校で「地方自治」と言う言葉を習った時に、同時に社会科の先生がはっきりと自慢していたので、私もそう思い込んでいます。学校では国家、校歌、横浜市歌と教え、純粋な横浜人で横浜市歌を歌えない人はあまりいないはずです。(今はどうなんだろう?)
そんな地元愛に満ち溢れた地域なのに、学校で学ぶ「横浜の歴史」で、私たちはそれを学んだのかと言う疑問を感じたのです。まさか駐留軍に遠慮したなんてことはないですよね。
私は知らされたことしか知らないと言う事が、世の中にはたくさんあるのだと思いました。もちろん全てを知ると言う事は出来ないわけですが、大切だと思ったことは何かの機会があった時に、自ら知ろうとすることが大切なのだと思います。そういう力を持たなければ、常に大本営発表の事実だけで物事を判断する人になってしまうと思います。これは昔のことだけではありません。今でもそういう気質の方はたくさんいますよね。
東京大空襲を皮切りに各地で大きな空襲がありました。
横浜空襲の大規模なものは5月29日。
その時、私の母は福島に疎開をしていました。
私の父の故郷、甲府空襲は7月6日から7月7日にかけてで、たなばた空襲と言われているそうです。
その詳しい事は→こちらで
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成宮一樹は16歳だった。夜半11時過ぎに空襲警報が鳴ったが、既に眠りの中にいた彼は、何かの間違いのような気がしていた。なぜなら、山梨は本土空襲のB29の空路であり、彼らは通り過ぎていくだけだったからだ、今までは。何時しか山梨は攻撃されない、そんな願望のような思い込みが、彼らの中に浸透していた。
少年は飛行機整備の仕事をさせられていたため、山梨郊外にある飛行場に寝泊りしていた。
最初の警報から20分後、二度目の警報が鳴った。その5分後山梨は甲府を中心に焼夷弾の雨が降り続く攻撃を受けたのだった。
「成宮、大変だ。甲府が攻撃されているぞ。空が真っ赤だぞ。山が、山が燃えているぞ。」 少年の仲間が部屋に飛び込んで来て言った。
彼らがいた飛行場は小高い所にあったが、皆宿舎を飛び出しさらに街が見下ろせるような丘をめがけて走った。
甲府は、知ってのとおり山々に囲まれた盆地である。
山が燃えているわけではなかった。街が燃え上がり山々にそれが映し出されていたのだった。
それはまるで地獄門が開き、地獄の釜を人々は目撃したようなものだった。
その地獄の釜の中にいる、父はどうしているのだろう。母はどうしているのだろう。二人の姉は、幼い弟はどうしているのだろう。
もう、だめだ。赤く染まっていく空を見ながら、少年の心の中には、真っ暗な絶望の闇が広がっていくのをとめることは出来なかった。それでも体はそこにあっても、魂だけは夜の森を超え山を下り、父、母のいる町に駆け下りていく、そんな思いに囚われていた。
地獄のような夜にも朝が来た。
もちろん、少年はそれでもすぐにそこに駆けつけることは出来なかっただろう。だけど、その間に何があったのかは彼の中には記憶がない。その夜が過ぎた後、気が付いたら彼は甲府の街を歩いていた。何もなかった。ずっとずっと先まで見渡せる焼け野原だった。
その空襲での被害は、市街地の74%を壊滅し1,127名の死傷者、1,239名の重軽傷者を出した。
心の中は闇、頭の中は真っ白、彼はとぼとぼと家があったであろう場所を目指して歩いていた。
「一樹け。」と背後で呟くような声がした。
振り向くと、姉の珠子が立っていた。
「かずきーー。」彼の顔を認めると、彼女の顔はぐしゃっと崩れ悲鳴のような声で少年の名前を呼んだ。
「たまちゃん、みんなは、みんなはどうしている。」
「みんな、無事だよ。みんな無事。」
家族は再会し、みんなでオイオイ泣きまくり生きていたことを喜び合ったのだった。
・ ・ ・ ・
「パパも泣いたの?」
「さあ、どうだったかな。」と父は言った。
私は若い父の涙を見たことがなかった。それで大人の男は泣かないのだと、私は思っていた。泣きたくても、我慢しなければならないのが男なのだとも思っていたのだ。だけど、その時彼は少年だったのに、それでも父は白状しなかった。
「だけど、」と父は続けた。
「あの時、『一樹』と呼ばれて振り向いた時、たまちゃんが立っているのを見たとき・・・嬉しかったなぁ。」父は少し黙って、また言った。
「本当に嬉しかったなあ。」
珠子おばさんはその後、波乱万丈な人生を生き、もういない。その人生が幸せであったかは私には分からない。
だけどあの時、父と珠子おばさんの再会の一瞬は刹那であり、その想いは彼らにとって永遠のものである。
<もちろん成宮一樹は仮名>