森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「おせん」♯02

2008-04-30 08:55:18 | テレビ・ラジオ

「おせん」二回目も楽しんで見ました。

あっと言う間に終わってしまい、ああ来週が待ち遠しいと言うドラマが増えました。

 

ただ、傍で一緒に見ていただんなが、江崎のことを
「こいつはくずだ、バカだ、うざい。」と言い続けているものですから、だんだんイラついてきてしまいました。

家庭不和を招くうざい男、江崎、ある意味凄いです。

 ただドラマの方は、家庭不和だった高校の先輩岡本夫婦の危機を、このミソ作りが間接的ではあっても救うと言うエピソードが織り込まれていて良かったように思います。

 

「同じ釜の飯を食う。」と言う言葉がありますが、それは家族のようになっていくと言うことを言っているのかも知れません。家族とは同じ食事を食べ続ける人のことを言うのかもしれないと、感じさせるものがありました。だから、良かれと思って別会計別食事にしてしまうと、二人の大人が同居をしているようになってしまった岡本の家は、それをわかりやすく見せるための対局の例だったかもしれません。

 

ところで、今週のうざヨッちゃん。

 お茶もまともに入れられません。今時は学校の家庭科で男子も調理実習などやっていて、お茶の基本ぐらいは習います。板前修行中の人は、お茶の入れ方は関係ない?
ちょっと疑問に思ったシーンでした。

 「お茶や豆は可哀相でも、俺は可哀相じゃないのか。」と切れる場面では、だんななどが
「お前は修行中だろ。可哀相なんかじゃない~。」とテレビと会話しているので、言えなかったのですが、少し共鳴してしまった私です。だって、人にも気遣ってあげるって必要なことじゃないですか。でも、その共鳴部分をぶっ飛ばす彼のセリフ。
「そんな風だから、、元彼に食い物の話ばかりしているって言われてしまうんだ。」←もっと嫌なセリフでしたよ。

 

この瞬間、私はだんな側に回ってしまいました。この男は、本当にダメ男として描かれているんだなと。

 

でも、転がり込んだ先輩の家で味噌汁を作り、なんでもないことだと思っていた、おせんの味噌汁を作るまでにしている普通の努力に気がつくと言う場面は、なかなかいい場面でした。ヨッちゃんの味噌汁も先輩には絶賛されていましたが、まずいと本人には感じたのです。しっかり台所には煮干からだしをとった痕跡があって、多分その味噌汁は美味しかったと思います。でも、彼の日常はもっとハイレベルの味で満たされていたのですね。

 

改心して戻ってきた時の、ヨッちゃんのセリフは良かったです。
「自分は世界一幸せな給料5万円です。」

 

が、私は彼が何処からあの草鞋と足袋を履いて走ってきたのかが、思い切り気になってしまいました。張り切って踏んでいましたが、岡本先輩にも踏ませてあげましょうよ~、とかも思ってしまったりして・・・・

 

とにかく、またも大きく成長する事ができた江崎ですが、こいつは今後もわかりません。なんたって、バカだから雇われたんじゃないのかと言われているくらいですから。

詳しいあらすじは→こちら 

 

 ちなみに、ワタクシも豆から煮て味噌を作ったことがあるんですよ~。自分で作ると、信じられないくらいの美味しさです。もう、奇跡の味噌ですよ。って、手前味噌もたいがいにせいと言う所ですね。

思い出したので、ちょっとメモです。
「五部五分とは分ける事ではなく、分かち合う事。」
いいじゃないですか~。だから祝日の家事は、五分五分で行こうよ~、あなた~ 

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英語は、勉強した方がいいよ~。<SONO1>

2008-04-29 02:38:38 | ’08/12/7までの未整理日記
 イギリス旅行記の〆の記事のための前振りみたいなものなのですが、私の英語のあれこれのお話です。「英語」または「勉強」と言う単語が入っているとと堅そうですが、はっきり言って英語恐怖症の人の話なのでぜんぜん堅くはないのですよ。だいたい<SONO1>と言うのが怪しいでしょ・・・。
 

 中学に入った時に、英語に初めて触れた時、学校の先生が言いました。
「これからは英語と言う科目がとっても重要になってくるんです。受験などにも他の学科と比較して比重が重くなっていく大切な科目です。英語が出来ないと困りますよ。」

 いやーな気がしました。
「そうかしら。」と思いました。子供の頃の私は天邪鬼なのです。でも、無闇に天邪鬼だったと言うわけではありません。その先生の語る英語の重要性が嫌だったのかも知れません。なぜ、英語が他の科目より大事なんでしょう。受験でと言う事ですか。非常に反感を感じたのですよ。


私が「英語」と言う教科が嫌いになった瞬間でした。英語は一朝一夕で頭に入れることは出来ません。だから、受験では本当にろくな目に遭っていなかったかもしれません(自覚なし)
でも、あの時「そうかしら。」と感じた勘の様な反感は、間違ってはいなかったと思うのです。なぜなら、先生が言った様に「英語が出来ないと困りますよ。」と言う事は、普通に生きている限りでは、そして日本人であるならば、当てはまらないからです。現に一度たりとも英語が出来なくて困ったということなんてないですよ、私。頷くおじ様、おば様多数だと思いますよ。


もちろん、これは「英語」で身を立てよう、それが必要な職業に付こう、留学して何がしの勉強をしよう、外国で暮らそう、外国人の恋人が欲しいという可能性を全て放棄してと言う事で、そういうすべての事に興味がなかったらと言う意味です。

興味がなかったのですよ、私の場合。
外国には観光で行きたかっったので、その時はガイドに頼ろうと思っていましたし、日本に来る外国の人は、そっちが日本語を勉強してきやがれ(まあお下品?)と強気で思っていましたから。


 だけど、その困った事がないと言うのが、日本人がいっぱい勉強している割にはしゃべる事が出来る人があまりいない原因だと思うのです。勉強しても会話の実践する場所がないのです。近所に英語しか話せない友人が越してくる可能性も、電車の中で隣に外人の方が座る可能性も極端に低く、ましてそういう方と話す必要もあまり無いからです。なので、英語ほど学校を出てからもういいと気を抜いた途端に、忘れていってしまう科目はないと思います。もちろん、違う方は多数いらっしゃると思いますが、これは私たちの年代の多くはと言う意味ですよ。


 英語が話せなくて困った事がないという私が、どうしてその考えを変えたのか、と言うと・・・・
ある時、私は「シン・レッド・ライン」と言う映画を見ていて・・・・

 日本で本当に英語を使う場面が無かったのかというと・・・
ある時、スーパーのレジで・・・・


と言うような事をつらつら書いていきたいなと思っています。

                         <SONO2>に続く。
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篤姫「予期せぬ縁組」

2008-04-27 23:21:22 | ドラマ (大河)
 「尚五郎&篤姫」には、いつも製作者の罠にはまって涙ぐんでしまう単純な私です。普通に考えたら、今回の再会が今生の別れになってしまうのではないでしょうか。

 何気なくいつも傍にいた人との、出会いと別れが一期一会になってしまう、それならば、もう尚五郎の涙目演技はもういいやと思いながらも、彼の涙にズズズと引き込まれてしまっても仕方がないですよね。


 やっと江戸にやって来た尚五郎です。学ぶ事が多く多忙な毎日を過ごしていましたが、そこに琉球に行った小松の死が知らされて、斉彬から小松家に養子に行くように言われてしまいます。言い方は「頼む」と言う言い方であっても、殿が言うのであっては命令です。そして、近との縁組も・・・

早くも薩摩に帰らなくてはならなくなった尚五郎に、埋め合わせのつもりで篤姫に会わせる斉彬ですが、そんな話の直後に会わせるのも、ちょっと可哀相な気がしてしまいました。

「お近様も心強いですよね、ご兄妹になられるんでしょ。」と言う篤姫に夫婦になるとは言えなかった尚五郎の気持ちは、なんとなく分かりますよね。


でも、尚五郎にとって青天の霹靂の縁組であっても、応援したくなってしまう縁組です。江戸に行く尚五郎をそっと見送る近の雰囲気がたまらなく可愛くて好きなんです。楚々として丁寧に生きているような気がしてしまう、素敵な女性ですよね。篤姫が江戸に去ってから、ずっと尚五郎を支えていた女性でした。尚五郎は自分が彼女を気遣っていると思っていたかもしれませんが、そうではなかったことに気付く日も近いのでしょう。それって、次週ですか?


このドラマは歴史的なことを調べたりする事よりも、細かい所が面白くて「相棒」的になってきてしまいました。思わず大久保たちがトリオ・ザ・薩摩に見えてきてしまったり、米沢さんよろしく「今日の家定は、」みたいに書いてしまいそうです。

「聡明さなんて大奥では関係ない。」と言うお言葉は、なにげに怖い真実味のある言葉で、やっぱりこの人は得たいが知れないと思ってしまうのです。


今回活躍していたのは西郷どんでした。嫁入りのお道具を揃えるのも大奥の御台に上がるとなれば大変です。でも目立っていたのは幾島様です。
やっと西郷どんが苦労してお道具を揃えたというのに、江戸に大地震が起きてしまいました。

幾島様の
「お道具が~~~
に、ああ大変と思いつつ、つい笑ってしまったっていけないことなんでしょうか。


どうでも良い事かも知れませんが、「篤姫」の感想を書くのは久し振りになってしまいました。止めたと言うわけではなかったのですが、ある時は違うもので心の中がいっぱいだったり、ある時は出かけていたり、ある時には感想が三行位しかなかったり…(涙)そんな事で書く気がしないでいたら、あっと言う間に一ヶ月が過ぎてしまいました。また気まぐれに再開致します。この先も気まぐれ更新かもしれませんが、よろしくお願いいたします。
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あれ、これ、それ

2008-04-26 19:03:37 | ’08/12/7までの未整理日記

  昨日の朝、先に起きただんながつけたテレビから、ニュースの声が聞こえてきました。

 「聖火がとうとう日本にやってきました。羽田空港に降り立ちました。このまま長野に移動します。」
ニュース原稿なので、もっとまともな文章でしたが、まだ布団の中にいた私には、こんな程度に聞こえてきました。でもその時、ついうっかり寝ぼけた頭で思ってしまいました。

―まあ、ご苦労な事だわ。休憩もしないで移動なんて。

 

 ・・・・・・・・

 

聖火が疲れるわけもないので、東京のホテルで一泊してからなんて配慮は無用なわけですよね。

 

「聖火が、今タラップを降りてきました。」と言う擬人法的な言い方がいけないのよと人のせいにして、さて、本題。  

 

今の話も、なんとなくおばさんぽい感じですが、「あれ、これ、それ」の話も、そんなお話。はは~ん、と予想がついた人もいるかもしれませんよね。  

 

先日友人とお茶など頂いた時、
「あなたは引き出しの多い人ね。」と言われて、なんとなく嬉しかったりしたのですが、だけど、私の会話はよく止まる。

「ええと、あの人・・アレに出ていたあの人・・・」

「まあ、今日はどうしたの?」なんて言ってくれたりしましたが、実はいつもそうなんだって・・・・・・

その人が「今日は・・・」と言ってくれたのは、その人が私をよく知らなかったからだと思います。<彼女の事はコチラなどで>

 

  どうも私の引き出しの一つは、特に【人の名前】と言う項目のそれは、かなり前からガタピシと言って、スゥーと引き出される事が出来ないみたいなのです。やばいです。

 

 でも、もっとやばいのは、それを受け入れてしまう友人達。
<ちなみに「やばい」と言う言葉は、あまり上品な言葉ではないけれど、昔ながらの意味から新しい意味を含めて、なぜか好きな言葉ですので、使用する事をお許し下さい。>

 

私の友人などを長年やっていると、その会話はもうエスパーの会話のようですよ。もしくは推理劇のようです。

「あの人、ええと、アレに出ていて、アノ人と共演していて、あの番組にも出ているんだけど・・。」、って、この段階でわかったら、宇宙人ですよね。

 

が、なんとなく分かってしまうって、それって変じゃないですか。

 

 だから綾小路きみまろの漫談って好きですよ。当たっているなぁと思うからですが、主婦どおしの会話ってまるでネタの宝庫だなと思うときがありますよ。

 

例えばその時も

「温水も凄いと思うけれど、アノ人も凄いと想っているんだ、私。嫌味な役をやっているときは首を絞めたいほど憎たらしくて、人がいい役をやっているときには、とても同じ人には見えないのよ。ええと、『タイガーアンドドラゴン』とか『アンフェア』に出ているの。」

―これで、ほとんどの人は誰のことなのか分かると思います。でも、主婦って意外とドラマを見ていないんですよ。それで、見ていないのですが、確かアノ映画に出ていたなぁと思い

「『舞妓は~ん』とか言うのにも出ていたと思う。」と言ったら、

「ああ、わかった、わかった。」と頷くが、誰の口からも彼の名前が出てきません。でも、みんな彼の演技力には絶賛ですよ。だけど話題はすぐに堤真一の方に移ってしまったのは、やっぱりイケメンには負けると言う事ですか~。 

 

それはともかく、そんな時って人の会話って、言葉だけで成り立っているんじゃないんだなと思うのです。

 相手が何を言いたいのか、体全体を澄まして聞くと言う事をしているのかもしれないと思うのですね。

付き合った年月は関係ないですね。だんななどは聞く気がないので、
「あれさぁ・・」と言っても通じない事が多いみたいだし・・

 

 昨日も「

Around 40」と言うドラマを見ていましたら、言葉を失った子供の声無き言葉を、心理士がその子のじっと見つめる瞳とぎゅっと掴んだ腕から受け止めるシーンがあって、もの凄く共鳴したのです。

 

だから言葉巧みで無くっても、言語が違っていても会話は成り立つし、思いは通じ合うのかもしれません。聞く想いさえあれば。

 

 だからといって「火」は言葉など持っていません。羽田を降り立った「火」は、また次の国に飛び立っていったのでしょうか。だけど、その「火」は、世界中を回り誰よりもそこで何が起き、どんな想いがあったのかを見続けているのですよね。混乱と怒声、憎しみ合う心、信じたい心や、愛したい心、叫びたい思い。そんな思いや叫びを見続けた「火」が自分の国を走る時、中国の人たちはただ歓喜の想いだけで、その「火」を見続けるのでしょうか。

 聖火を走らせると言う事は、開催国を応援すると言う事ではないのですよね。「頑張れ中国」の声援の中で走り続けた、その「火」にオリンポスの神の魂が宿っていたならば、どんな風に感じていたのでしょうか。

「聖火」の「聖」とはなんぞやと本当に感じてしまった今日と言う日です

 

そうそう、上の会話で、「わかったけれど、ええと名前はなんだっけ。」と思ってしまった方、いらっしゃいますか~

 阿部サダヲさんですよ。

 

 

 

 

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「おせん」

2008-04-23 01:34:31 | テレビ・ラジオ

 楽しみにしていた「おせん」一回目。

 蒼井優は演技派だったんだとしみじみ。見るまでは、なんだかイメージ違うようなと思っていましたが、見てみたら、おせんの不思議な雰囲気そのもので、あっと言う間にバッチリイメージ通りになってしまったのです。

子供に薦められて読んだ原作は、とっても面白くて、おせんの口調など真似したくなってしまいます。

「へえへえ」とか・・・

 

 「おせん」には余裕を持って生きるとか、生活を楽しむヒントがいっぱいあるように思ってしまうのです。

 

 漫画でも素敵だなと思っていたファッションですが、ドラマでも素敵でしたね。普段着のポップな感じの着物も可愛かったですが、料理対決に出かける時の、シックな着物も素敵でした。

その料理対決の時の割烹着を、観客の人が古いみたいなことを言っていましたが、普通は言わないなぁと思ってしまいました。私も冬は割烹着タイプのエプロンを好んで使いますよ。もともと割烹着は着物の時に欠かせないエプロンで、新しい古いの問題じゃないですよね。おせんの葱を切る音は、映像でも流れていましたが、お母さんの使うまな板の音で目が覚めたと言う、日本人の原風景みたいなものですよね。

 

 だけど、うちの子供たちは私の使う電子レンジの音で目が覚めていたかもしれません。昔お弁当を作っていた頃、立て続けにレンジを使うので、起きてきた子供がそこで言った一言。

「静けさに~、響き渡るや、チンの音~」

前にもブログに載せた事があるかもしれませんが、なにげに傑作だなぁと思ったりしたのですよ。何も考えずに湧き出てきた言葉なんでしょうね。これではいけないと思っても、後の祭りです。

おせんさんの料理も美味しそうでしたが、電子レンジ調理も見事でしたね。そのレシピがHPに載っていて、なかなか使えそうなHPだなと思いましたよ。

 

料理対決ではお互いに与えた影響は、それぞれあったという感じがしましたね。

 

二百万円の信楽焼きの使い方も素敵でしたが、向かい酒のビールを切子のグラスで飲むと言うのもカッコイイと思ってしまいました。

 

火曜日10時は「おせん」に決まりです。

「おせん」のHPは→コチラ

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ドラマのお話<スタートとラスト>

2008-04-20 09:51:37 | テレビ・ラジオ

 昨日、19日に「ごくせん」が始まりましたね。噂では視聴率競争に負けたら名が廃ると、キムタクの月9のスタートを遅らせたと理由として挙げられている「ごくせん」ですが、そんなに凄いドラマなのでしょうか。
ふと興味を持って前回シリーズの視聴率を見てみましたら、平均で27,83%、最終回は32.5%という数字をはじき出したドラマだったのですね。ちなみに我が家もこの数字の中に入っていましたし、私の友人の多くも、この数字の中に入っていましたよ。

 

 ただ、あれから三年、どうなんだろうと思ってしました。何しろ、見ている私たちも成長してしまっているし(成長ではなく歳を取っただろうと突っ込むべからず)、いかにこの番組がイケメン揃えると言う裏技を使っていると言えども、同じパターンのドラマを楽しめるものなのかなと疑ってしまいました。

が、そうでもないですね。見てみると、単純に面白かったです。メチャクチャ酷いクラスをどうやってまとめるかは見ものだなと思いましたが、初回で「頭」である二人の少年の心をつかむ事によって、一気に3年D組に食い込んで、テンポがいいのが爽快です。

 

やっぱり良いですよね。
「私の生徒」を命懸けで守ろうとするヤンクミ。
日本人は、きっとこういうワンパターンの正義の味方が好きなんじゃないかなと思うのです。(日本人ではなく、『私が』ですか?)

 それで土曜日の9時からは「ごくせん」を見ようと思います。

 

 昨日の土曜日の昼間「絶対彼氏」の再放送をしていましたね。ちょっと気になるドラマでしたが、見続けるかは家族の気分次第です。

でも前日に始まった「パズル」よりは面白かったような気がします。「パズル」は吃驚しましたよ。だって、「トリック」のイメージそのもので、エンディングの不思議な雰囲気も同じ・・・・
と思いましたら、「トリック」のスタッフが作っていたのですね。ヒロインが可愛いので、きっとその時間になったら画面から流れるようになるかも知れないけれど、本当の意味で「見る」かどうかは疑問です。局側の見せたいターゲットからも外れているかも知れないので、そんなところです。

 私的には「Around40」の方に興味がありますね。天海祐希をはじめ、好きな役者さんが揃っていて面白そうです。しかし、出ますね、薫ちゃん。寺脇康文さんのお顔をここのところ頻繁にお見かけします。局違いでも、映画を意識した露出かなと思ってしまいます。

なんたって、「相棒」の再放送もガンガンやっていますね。土曜日も見ましたよ。途中からになってしまったのでタイトルがわかりませんが、ドラマの中のセリフから「ありふれた殺人」だったのかなと思いました。間違えていたらごめんなさい。ラストで思わず涙ぐんでしまったりしました・・・
来週も寺脇康文セレクションで再放送しますね。「監禁」と「裏切者」。忘れないようにしましょう。
BS朝日では火曜日にやっていますね。土曜ワイドでも新作やりますね。「相棒」だらけですが、それはそうですよね。映画も間近です。

 

 あとは、私的には「おせん」が気に成るところです。 おせんさんのイメージがかなり違うのが気になるのですが、見てみないとわかりません。おせんさんは、飄々と生きたいと言う私の憧れの人です。

 

 ラストだったドラマの話。

「ロス・タイム・ライフ」が最終回でした。最初はどうせ死んじゃうんでしょとか、時間軸が変よとか、文句が先にたって興味が湧かないドラマでしたが、なぜか毎回泣ける・・・・
最終回もウルッと来ました。笛の音が「愛している」と言う言葉の後だったのが良かったですね。

温水さんのキャラが本当に良かったですよね。でも、彼が夫だったらと思うと「ちょっと~」と少し考えてしまう失礼な私ですが、彼は若いときは(今もかな)かなりかっこよくてモテタ人だと聞いた事がありますよ。

意外と良かったドラマでした。

 

 世間の皆さんは、今期は何を見るのでしょう。やっぱり、今日から始まる「猟奇的彼女」でしょうか。キムタクの月9でしょうか。今のところ、見る予定はありませんが、わかりません。何時だって予定は未定ですから。

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手放すなかれ

2008-04-19 02:55:42 | イギリス旅行記

 「トラウマタクシー」と言う記事の中でも書きましたが、ずっと大昔に行った香港旅行で覚えている事といったら、ろくでもないことばかり。

ろくでもないことばかりあったというわけではないのですが、そういうことって、忘れないものなんですよね。

 

 ちょっと、前振りでそのときのお話。
香港観光でのガイドさんは現地の人で、手馴れた感じの中国人でした。彼が
「これから難民アパートに行きます。」とガイド計画を言った時に、私たちは吃驚して顔を見合わせてしまいました。

 

 難民と言う事について、何か真面目に書くとまたややこしくなってしまうので、深い話はここではなしですが、とにかく驚きました。ちゃらちゃら遊びに来たつもりだったのに、いったいどうしてそこに行くというのだろうと誰もが思いました。

 

 勇気ある男の人が、行きたくないとはっきり伝えました。

するとガイドの人が
「別に皆さんがそう思うならいいんですよ。」
この後、彼はこう続けたのです。

「でもね、自分の国では見る事が出来ないものを見るということが観光なんじゃないですか。日本では見る事が出来ないでしょ。」

 

 確かに難民キャンプや難民アパートは日本では見ることは出来ないかも知れません。でも、その時私は既に日本では見ることは出来ないものを、見ているような気持ちになってしまいました。目の前の男の中に・・・・

 

 ただ、その時のガイドの人の言葉は、少し形を変えて私の中に残りました。

「自分の国で見ることが出来ないものを、しっかりと見るということは大切。」

 

 さて、ここからがイギリス旅行記―。

 

 私たちは行きも帰りも香港経由で行きました。綺麗になった香港空港と、香港ドルがなくても千円札で買い物が出来る便利さと、日本語で一生懸命はなしかけてくれる可愛い店員さんなど、つかの間の休憩時間を楽しんだのでした。

 旅行が決まった時に、直行便でないことが気になりましたが、私はこういうことには前向きで、二カ国の観光が出来るようなものよと友人と話し合っていました。そこまでは、思ったとおりの展開でした。

 

 そして、香港からイギリスまで、飛行機も変わって長い長いフライトの旅が始まりました。本当に行きは拷問のようでした。

 

 そして降りる時が来ました。狭い通路を抜けてタラップに向かう時、
その時私は思わず声に出して言ってしまいました。

「なんじゃー、これは・・!!!!」

 

 私がそこで見たものは・・・・・

 

そういえば、「呪怨」と言う映画を知っていますか。突然話が変わってしまったように思えますが、そうではありません。映像的にかなり怖い映画でしたが、私にはあの映画でとっても印象的な場面は、メチャクチャに散らかった部屋でした。

ヒロインが家庭訪問に訪れた家は、大掃除の途中のような、または引越しの片付けの最中のような、散らかりようでした。

 

 飛行機の後部座席に座っていた私が、前の方に歩いて行って見たものは、まるでその「呪怨」に出てくる部屋のように散らかったシートと床でした。

読んだ新聞や雑誌は、わざとやっているのかと思うくらい広げたままで座席においてあるし、床にも散乱しています。食べたお菓子のゴミもそのまま投げてある。ペットボトルも転がっている。その飛行機会社は機内用にソックスを配ってくれたのですが、脱いだソックスがバラバラに座席の上・・・気持ち悪い~。毛布も団子みたいに丸まっているし・・・
しかもそれがシートの上だったり、下だったり。

 

 それが、機内中なんです。凄いです。

その時私は、香港でのガイドの言葉を思い出したのです。

「自分の国で見ることが出来ないものを見る。それが観光だ。」

 

 そんな光景は、日本ではあり得ない事です。―
と、ここまで書いて、ふと手が止まりました。あのお花見で有名なあの場所の宴の後はどうなんだろう。河川敷でのバーベーキュー後はどうなんだろう・・・・

でも、その時はそういうことまでは想い描く事は出来ないで、そういう場所での日本人としての美意識と言うものに、はっきり言って優越感のようなものを感じました。

同じ頃、日本の航空会社の飛行機を利用した人が言うには、大半が日本人の乗客だったその飛行機の機内は、飛行時間はほぼ同じだったというのに、綺麗だったと言っていました。

 

 ですが、
日本に帰ってきた直後、中学生の模擬テストの国語の問題を読んでいましたら、学校で掃除をしなくなってしまった子供達の事が書かれていて、引っ掛かるものがありました。

またある時、やはり中学生から聞いた話ですが、ある先生は教室に転がっているゴミを、まず捨てさせてから授業をするのだそうです。と言う事は、普通にゴミが床に転がっているという事ですよね。

 

 そんな話を聞くと、私はあの「呪怨」の家ような機内を思い出して不安な気持ちになってしまうのです。

なぜなら、自分の周りの小さな世界しか知らなければ、それが常識と思うことでも、実は違っていた。そう書くと普通は、プラスであると思っていたことが実はマイナスであったという時に使うのかもしれませんが、これは逆の事だと思います。

あの時感じた驚きは、「日本人の細やかな感性」と言う決して手放してはならない、日本人の財産なのではないかと思うからです。

 

 昨日電車に乗りましたら、車掌さんの案内が流れてきました。言葉はもちろん丁寧ですが、内容は

「読んだ新聞は、雑に畳んで網棚の上に放置しないで、降りた駅のゴミ箱にちゃんと入れろよ。」というものでした。

日本人の無形の財産を決して手放してはならないと、少しだけ世界を見て、そう感じるようになった私なのでした。

 

 

 

 

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後悔してみたり切なかったり

2008-04-18 09:19:43 | ’08/12/7までの未整理日記

  <!-- 身毒丸 -->

 

 

  ある日誰かを好きになり、その過去から出会いたかったなと思っても、叶わぬ事。そんな想いが、時には不思議な物語を生み出すこともありますね。私の気持ちはそこまでは深くはないのですが、それでも少年だった頃の「身毒丸」に会いたいなと思ってしまったりもするのです。そんな事は、DVDでも買えば解決する思いなのかもしれませんが、閉じ込められた時間の中の住人に会いに行くと言うのは、結構切ないものがあるかもしれません。

 何で、「身毒丸」は友人を誘って、それを口実にもう一度行かなかったのだろうと、後悔したりもしましたが、少し冷静になって見ると、その後悔の想いが自分の心を揺さぶるわけですから、それが私にはいいのかもしれません。自分の心を揺さぶるものに出会えることは、素敵な事なんですよね。

 

   次は「かもめ」。楽しみにしています。ついでに「ウィキッド」のチケットも一緒に載せてしまいましたが、予定が決まっている事って、楽しみです。

   

 

 

 そういえば、先日連絡しなければならないことがあって、近所に住む方にお電話しました。近況で
「四月は、出来るだけ家にいてじっーとシーンとしているわ。」と言いましたら、その彼女が
「あんたも毒を吐く人だから、誰も遊んでくれないんでしょう。あたしが遊んであげるから。」と、言われました。

「ハァ~~~!?」 なんですか、それ、と思いましたが
「心・配・御・無・用」とは言わないで、
「じゃあ、よろしくね。」と頼んでおきました。遊び友達が増えました。だけど、「かもめ」には行かないだろうな・・・・。


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再び、あけぼの山

2008-04-16 13:35:48 | お出掛け日記

先日、4月5日にも訪れたあけぼの山。その時は桜のさかりでチューリップはまだまだでしたが、一週間ですっかりチューリップの季節がやってきました。咲いていなかった画像はこちら

 

 4月15日に再び訪れ、ピークのチューリップを撮って来ましたが、似た様な写真ばかりになってしまいました。それでも、綺麗だったので載せてしまいます。

   

 

 

    

 

 

   

 今年はチューリップの間にパンジーなどを植え込んであるので、土地色が見えず、本当に綺麗に感じました。

平日だと言うのに、かなりの人で賑わっていました。次の土日などは、もう花のピークは過ぎてしまいそうですが、それでもかなりの人出になる予感がしました。

 

 主婦の皆様は平日お早めに・・・

 

 

 

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「東京大空襲」で思うこと/<横浜・甲府空襲>

2008-04-13 11:13:27 | ’08/12/7までの未整理日記

 前回は、ぜんぜんタイムリーではない「東京大空襲」のドラマ感想を書きましたが、意外とお立ち寄りしてくださった方が多かったので驚きました。

 そういえば「身毒丸」は10日の日に千秋楽を向え、見られた方の多くが私のように余韻に浸っていたのに違いありません。そうであれば「藤原竜也」と言うお名前でいらしてくださったのですね。そう思うと、少し申し訳ないように思いました。
「身毒丸」の感想はこちら  「身毒丸」の余韻はこちら>

 

竜也君の感想といっても、「身毒丸」の後の今となっては、褒め言葉しかありません。だけど、チラリと思ってしまった本音は、何も彼でなくても良かった役であったかもということです。看板として使われてしまったような・・・・
ただ四方が火に囲まれてしまう時の、彼らの恐怖と驚きの表情は、とってもインパクトがありましたよね。忘れられません。

 

 さて、ドラマの感想はこの程度にいたしまして、その番組が放送された17日は私は友人と夜映画に出かけていました。

子供に頼んだビデオのことを気にしていましたら、一緒に行った友人が言いました。
「可哀相で見ることが出来ないわ。」
確かにそれは、時を戻して助ける事も手をさしのべる事もできない過去の出来事です。

 

 でも、私は知りたいのです。知りたいと思うものにテレビのリサーチ力は個人のそれよりは絶大に違いありません。

例えば、私は言問橋にそんな歴史があったことなど知りませんでした。人がなぜプールで死んでしまったのかもわかりませんでした。過去にあったことを「知る」と言う事は大事なことなのではないでしょうか。

 

 前にいつだったか、横浜のどこかを見学していた時に、「横浜空襲」の展示がしてあったのです。私は驚きました。もちろん横浜にも空襲があったことは知っていました。でも、そんなに酷い被害だったとは・・・
意外や横浜は湧き水などが豊富な場所なのですが、その水が人々の命を助けたとか、やはり、ドラマチックなエピソードもあるらしいのですが、野毛坂などはその坂を死体で埋め尽くされていたとか、やはり悲惨です。

 

でも、その時私は思いました。

―どうして、私はこのことを知らなかったのだろう・・・

 

 私の故郷横浜は港だけの場所ではなく、その自慢は優れた地方自治力にあると思います。学校で「地方自治」と言う言葉を習った時に、同時に社会科の先生がはっきりと自慢していたので、私もそう思い込んでいます。学校では国家、校歌、横浜市歌と教え、純粋な横浜人で横浜市歌を歌えない人はあまりいないはずです。(今はどうなんだろう?)

 そんな地元愛に満ち溢れた地域なのに、学校で学ぶ「横浜の歴史」で、私たちはそれを学んだのかと言う疑問を感じたのです。まさか駐留軍に遠慮したなんてことはないですよね。

 

 私は知らされたことしか知らないと言う事が、世の中にはたくさんあるのだと思いました。もちろん全てを知ると言う事は出来ないわけですが、大切だと思ったことは何かの機会があった時に、自ら知ろうとすることが大切なのだと思います。そういう力を持たなければ、常に大本営発表の事実だけで物事を判断する人になってしまうと思います。これは昔のことだけではありません。今でもそういう気質の方はたくさんいますよね。

 東京大空襲を皮切りに各地で大きな空襲がありました。

横浜空襲の大規模なものは5月29日。
その時、私の母は福島に疎開をしていました。

私の父の故郷、甲府空襲は7月6日から7月7日にかけてで、たなばた空襲と言われているそうです。
その詳しい事は→こちらで

 

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 成宮一樹は16歳だった。夜半11時過ぎに空襲警報が鳴ったが、既に眠りの中にいた彼は、何かの間違いのような気がしていた。なぜなら、山梨は本土空襲のB29の空路であり、彼らは通り過ぎていくだけだったからだ、今までは。何時しか山梨は攻撃されない、そんな願望のような思い込みが、彼らの中に浸透していた。

少年は飛行機整備の仕事をさせられていたため、山梨郊外にある飛行場に寝泊りしていた。

 

 最初の警報から20分後、二度目の警報が鳴った。その5分後山梨は甲府を中心に焼夷弾の雨が降り続く攻撃を受けたのだった。

 

「成宮、大変だ。甲府が攻撃されているぞ。空が真っ赤だぞ。山が、山が燃えているぞ。」 少年の仲間が部屋に飛び込んで来て言った。

彼らがいた飛行場は小高い所にあったが、皆宿舎を飛び出しさらに街が見下ろせるような丘をめがけて走った。

 

 甲府は、知ってのとおり山々に囲まれた盆地である。

山が燃えているわけではなかった。街が燃え上がり山々にそれが映し出されていたのだった。

 それはまるで地獄門が開き、地獄の釜を人々は目撃したようなものだった。

 

  その地獄の釜の中にいる、父はどうしているのだろう。母はどうしているのだろう。二人の姉は、幼い弟はどうしているのだろう。

もう、だめだ。赤く染まっていく空を見ながら、少年の心の中には、真っ暗な絶望の闇が広がっていくのをとめることは出来なかった。それでも体はそこにあっても、魂だけは夜の森を超え山を下り、父、母のいる町に駆け下りていく、そんな思いに囚われていた。

 地獄のような夜にも朝が来た。

もちろん、少年はそれでもすぐにそこに駆けつけることは出来なかっただろう。だけど、その間に何があったのかは彼の中には記憶がない。その夜が過ぎた後、気が付いたら彼は甲府の街を歩いていた。何もなかった。ずっとずっと先まで見渡せる焼け野原だった。

その空襲での被害は、市街地の74%を壊滅し1,127名の死傷者、1,239名の重軽傷者を出した。

心の中は闇、頭の中は真っ白、彼はとぼとぼと家があったであろう場所を目指して歩いていた。

「一樹け。」と背後で呟くような声がした。
振り向くと、姉の珠子が立っていた。

「かずきーー。」彼の顔を認めると、彼女の顔はぐしゃっと崩れ悲鳴のような声で少年の名前を呼んだ。

「たまちゃん、みんなは、みんなはどうしている。」

「みんな、無事だよ。みんな無事。」

家族は再会し、みんなでオイオイ泣きまくり生きていたことを喜び合ったのだった。

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「パパも泣いたの?」
「さあ、どうだったかな。」と父は言った。

私は若い父の涙を見たことがなかった。それで大人の男は泣かないのだと、私は思っていた。泣きたくても、我慢しなければならないのが男なのだとも思っていたのだ。だけど、その時彼は少年だったのに、それでも父は白状しなかった。

「だけど、」と父は続けた。
「あの時、『一樹』と呼ばれて振り向いた時、たまちゃんが立っているのを見たとき・・・嬉しかったなぁ。」父は少し黙って、また言った。
「本当に嬉しかったなあ。」

 

 珠子おばさんはその後、波乱万丈な人生を生き、もういない。その人生が幸せであったかは私には分からない。

 だけどあの時、父と珠子おばさんの再会の一瞬は刹那であり、その想いは彼らにとって永遠のものである。

                        <もちろん成宮一樹は仮名>

 

 


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