森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

龍馬伝最終回「龍の魂」

2010-11-29 01:35:56 | ドラマ (大河)

今日は冒頭のシーンから、涙がジワっと来てしまいました。

海辺の訓練のシーン、海援隊がいるのかなと思ったら、そこに龍馬がやってくると、なんと向かえたのは武市さんに以蔵にそして長次郎までいるではありませんか。

そしてみな嬉しそうに「もうすぐじゃ、もうすぐじゃ。」と言っているのです。もちろんそれは、夢が叶うのは、新しい時代がやってくるのは「もうすぐじゃ。」と言っているのでしょう。でも、過去の未来を知っている者にとっては、それは「もうすぐ会える。」と言う風にも聞こえてきてしまったのでした。・・・・・使命を終えてもうすぐ会える。

それは龍馬の見た夢のシーン。

 

最終回は凄く静かに始まりました。

京の町には新撰組や見廻組が不穏な感じでウロウロとしていました。それがまるでごろつき、もしくはチンピラの様に見えました。この描き方こそ、実は織り込まれた「龍馬伝」の密かなメッセージなのかもしれないと思ってしまいました。

なぜなら、「新撰組」が物語の中心であった時、新撰組の正義や熱い想いが見えませんでしたか?
将軍慶喜は、そんな忠義の者を見捨てた卑怯な人に見えませんでしたか?

役名は就いているのに、それは何の意味もなさず描かれず、集団として描かれていたあまりにも軽い新撰組。見廻組においては初登場。ある視点で見れば最重要人物でも、別の視点から見れば無きが如し。

弥太郎の言っていた事は、まさにそれだったと思います。

龍馬の正義は、他の誰かにとっては正義に非ず。

時代を超えたような龍馬の考えには、ついていけない者や理解できない者も多数いたと思います。何しろ、なかった考えだったのですから。

今回は最終回らしく素敵なシーンが、たくさんありましたね。

龍馬と弥太郎の、結局は最後になってしまったシーン。弥太郎のセリフも印象的でした。
「眩し過ぎる日の光は、無性に腹が立つ。」弥太郎トークはいつも正直すぎるくらい自分の感情に正直です。
龍馬を信じてしまったことで儲けたお金は要らないと、その手形を渡しに来た弥太郎でしたが、そのお金で日本一の会社を作りみんなを幸せにするのだと説得されてしまいます。

最後に龍馬が弥太郎に言った「達者での」は心に残りましたね。それは弥太郎の心にも残りました。やけに心に残ったその言葉を気にして町をうろつきます。

弥太郎はいつも挫折感を味わって、二度と会わない、もう決別する、もう最後だ、大嫌いだと言いに来ますが、でもそれは口だけで本当にはそんな大きな決意ではなかったのだと思います。だって今までも何回も聞きましたよ。弥太郎の「もう二度と会わない。」

でも今回の龍馬からの「達者での」。弥太郎の不安指数マックスに。

ちょっと戻りますが、龍馬は私の後藤様が土佐に帰られた後、土佐藩邸に出入り出来なくなってしまいます。
私の後藤様の出番は先週まででした、シクシク。
まあ、それはどうでも良い事ですが、もしも龍馬が土佐藩邸に居られたらと意味のないことを思ってしまいました。

 

弥太郎と見廻組との絡みも良かったですね。
「あんなやつ大嫌いじゃ。」と言って終わるのかと思ったら、追い掛けて行って「殺されるほどの事をしてはいない。龍馬を殺してはならん。」と頼み込む弥太郎。

だけど刻々と時は近づいてきてしまいます。

龍馬があちらこちらに送りつけた新政府綱領八策の○○○を盟主に置きと言う部分で、人々は翻弄されます。だけどそれこそが龍馬の仕掛けた罠でした。新政府設立を促す為、人々が真剣に考えるように煽ったのです。
そこに徳川の名が入ると疑心暗鬼に陥っている薩摩の為に、中岡は龍馬に真意を確かめにやってきます。返答次第では自分の手で龍馬を切る覚悟だったのです。

その薩摩と中岡のシーン、風が強く吹いていましたね。すべての演出、抜かりなくっていう感じがしましたよ。

最後の最後まで上手い脚本だと思いました。何故見廻組が龍馬潜伏の近江屋にたどり着いてしまったのか、淀みなく流れましたね。

 

中岡慎太郎が近江屋にやって来て、ああ、役者が揃ってしまったと思いました。
その中岡をつけてきた見廻組。

だけどその前に二人の再会が緊迫物です。
「待っていた。」と龍馬は言いますが、中岡の気持ちを見抜いていました。でも龍馬は信じていたのですね。話せば分かるのだと。事実、新政府のメンバー表の徳川側の名に難色を示した中岡でしたが、二歩も三歩も進んだ龍馬の考え方を理解しようと耳傾けて、龍馬の夢に共に思いをはせるのでした。でもそれは本当に一瞬の夢の時間。

ひとつの波を乗り越えた二人には、本当に近づいていた大波に気がつくことが出来なかったのかもしれません。

近江屋襲撃のシーンは、なにげにリアルでそして恐ろしかったです。怖くて震えました。
この「龍馬伝」では、時々歴史を何処かの空間から覗かせてくれた そんな感じがしましたが、今回も同じように思いました。でもそれは悲しく、繰り返すようですが、惨殺を目撃してしまうという恐ろしいシーンでした。

もしも階段の下まで静かに来られたら、そしてそこから脱兎の如くあのスピードでしたら、銃も出せず剣の鞘さえ抜けませんよね。まして相手は必殺の輩の如く、一言だって龍馬の話を聞こうともしていない「人斬り」なのですから。
「何故」と言う龍馬の声が空しかったです。

その実行犯、今井信郎は市川亀次郎さん。なんか、並ぶと弥太郎と似ているなあと思ったら、そう言えば香川さんと従兄弟なのですものね。

胸騒ぎに駆られて近江屋に走る弥太郎は近江屋から戻る見廻組と鉢合わせをしてしまいます。まだ、鞘に収められても居ない剣からは血が滴り落ちています。すべてを悟った弥太郎は、「何ちゅうことをしてくれたんだ。」と嘆くのでした。
「返してくれ、大事な人じゃ、大事な人じゃ。」と嘆く弥太郎に涙がハラハラこぼれました。

泣いたと言えば、ちょっと流れで書き込めなかったのですが、4つの杯のシーンでも泣きましたよ。新政府メンバー表(本当は違う名前)の前で、一人でお酒を飲むシーンですが、それは亡き友と酒を酌み交わしていたのですね。夢の中と同じ武市と以蔵と長次郎と、そしてあと一人は誰かなと思ったら、高杉さんでしたね。

お話を元に戻して、龍馬の死の後の演出も無駄がなくて良かったですね。あちこちに龍馬の亡霊が訪れたり、出演者がその亡霊と話す的なものがありがちですが、そういうベタな物がなくて感動が持続しました。せいぜい海でおりょうさんの思い出として現れただけで、それも、おりょうさんが龍馬の幻影で彼の言葉を思い出していると、乙女さんと権平兄さんが現れ、既におりょうさんは龍馬の死を知っていて、土佐に来ているのだと分かるのです。
そして、おりょうさんは龍馬が教えてくれた、笑い方「う・み」と言いながらしっかりと歩いていくのでした。

あの笑い方「海」がここに来るとは思いませんでした。

やっぱりここも泣けるなぁ。。。。

 

と言うわけで、すべてを話し終わった弥太郎も、既に死の床についていました。記者が「竜馬さんの意思をわれわれが必ずついで・・・」と言いかけると、「そんな簡単なものじゃない。龍馬は人たらしで女にモテテ、・・・・」最後に、「どこにも居ないあんな龍は。」と言うマトメの言葉があったのですが、泣いていたので良く分からなかったです。ごめんね、弥太郎、。

加えて言うと、弥太郎最後のシーンも、なんとなく冗談かなと言う顔をしていたので良く見ていませんでした。悪かったかな。かなり作りこんだ顔をしていたのに。すまぬ弥太郎。

でも享年50歳と言うのはしっかり見ていましたよ。もっと図太く生きていたのかと思ったら、たった50歳で亡くなったのでした。だけど龍馬より17年長く生きて、弥太郎は弥太郎のやるべきことをやりましたね。

と言うわけで、「龍馬伝」、終わってしまいましたね。
今年の大河は本当に面白かったし、また勉強にもなりました。

そして、今年も私のつたない大河の感想を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『おじいちゃんは25歳』を見ていました。

2010-11-27 15:06:46 | テレビ・ラジオ

『おじいちゃんは25歳』のHPは→ここです。

ほぼ八夜連続放送、「おじいちゃんは25歳」は深夜11時45分スタートで、録画機能を持っている機器を何もない珍しい我が家は、タイムリーで見るしかありませんでした。深夜に起きているのはいつもの事ですが、深夜に夫が寝た後にテレビは見ませんよ、いつもなら。

でも藤原竜也君が主演なら「いつも」は通用しませんて・・・ホホホ。

夜な夜なヘッドホン使用で見ていました。

この「おじいちゃんは25歳」は本当に面白かったです。お久しぶりの連続ドラマが、深夜であっても上質なもので良かったなと、ご贔屓筋としてはホッとしてしまいました。

だけど、このドラマ最初のほんのちょっとだけは違和感があったのです。何がってシナリオがおかしくないのかなと言う違和感。だって、おじいちゃん事、稔さんは戸籍年齢が71でも、実際は25歳なわけで、でも落ち着きすぎてるって言うか、ジジ臭い・・・おやっ?

だからはじめはおじいちゃんと言う若者と息子と言う名のおじさんの話かと思っていたので、多少の肩透かし感がありました。でも、それは最初の数分。なんて言うかガンガン引き込まれていってしまいました。なんと言っても相方さんが高橋克実ですからね。演技に説得力があるのです。

このお話は理屈に合わない事は納得できないと言う石頭の方には、見ることは出来ません。
なんと言っても、最初からあんな軽装で雪山に出掛ける事に「なんじゃらほい」と思ってしまいますよ。しかも46年凍っていて、なぜか解凍できてしまうのですよ。その解凍代が500万。高額医療費は適用にならないのとか特別な何かはないわけとか、いろいろ考えてもいけないのですよ。

って、石頭は、私ですか~!? 

でもこの稔おじいちゃんは、25歳にして6歳の子供の父だった訳で、若くして独立していたのですよ。しかも今時の出来ちゃった婚などではなく、夫としても父としても自覚があったのです。自分を持っていたのですね。ゆえにカッコ良いのです。また、似合うんだな、そういう男が、たっちゃんは。

このドラマは良く出来ていて、同い年の孫まで登場してくるのですが、その秘密がバレルまでは、引きこもりとして扱われています。時代の比較と言うのが、さりげなくされているのですね。「昭和がやってきた」みたいなことが何処かに書いてあったように思うのですが、まさにそれ。昭和信仰が、そこにはあったように思います。男が男だった時代。親父が親父だった時代。その時代ををそのまま持った男が現代にやってきた面白さがありましたね。

HPの「はじめに」のところを、よく読むと、言葉は違いますがもっと丁寧にドラマの趣旨が書いてありました。

そこには「笑って笑って最後にほろりと泣かせる日本版シチュエーションコメディを追求した新しいタイプの連続ドラマです。」とあるのですが、私はしっかりその罠にはまって、毎晩、笑って笑って、最後に泣いていました。

特に最終回の紀彦のセリフには泣かされます。

このドラマは全国区ではなくて、製作者サイドとしては順次地方でもやっていくのだそうですね。もしくは既にDVDが発売決定なので、それで見て欲しいところなのかもしれません。なので、ネタばれは止めておきますね。とか言いながら、HPには凄く詳しいあらすじ付です。でもでも、最終回のラストのラストは書いていない。

そのシーンは笑っちゃうけれど、凄く素敵です。

「終わり」っていう感じが、ちゃんとするのですが、続編希望です。
また会いたいです、栗原家と稔おじいちゃんに。

おじいちゃんは25歳  DVD-BOX
藤原竜也,大東俊介,倉科カナ,入江甚儀,菊池桃子
TCエンタテインメント
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相棒season9-5「運命の女性」

2010-11-27 12:28:37 | ドラマ(相棒)

陣川君が、とうとう運命の女性に出会って・・・
でも最後は。
分かっていたさ、そうなる事は。

でも、奈緒さんは、ある意味陣川君にとって最高の運命の女性だったかもしれませんね。

だって、陣川君の為に、しなくても良い事までしたのですから。

優しい人だったと思います。

そして陣川君が言うように男義のあるかっこいい人にも感じました。脅されても脅し返す、カッコいいけれど、見方を変えたらかなりワルで、とても陣川君の手には負えない感じですよね。

お札の割符のアイデア、面白かったですね。
銀行に持っていけば5千円に・・・と言うレベルの問題じゃなくて、それが億単位の取引の重要アイテムだった訳です。

結婚式場で、スワッ大手柄かと思いきや、やっぱりポカで、だけど廻り廻って役にはたっていたのかも・・・?
でも、そう思えたのは事件をざっくりと解決して、陣川君の下がったイメージを守った奈緒さんのお陰ではないでしょうか。陣川君の一途な愛は受け止める事は出来なくても、けじめをつけた彼女はやっぱりカッコ良いですね。

尊を、「ソン」「ソン」と呼び先輩風を吹かせる陣川君。
最後は、まあ良いですけどねと尊は言っていましたが、実は私も言っています、「ソン」って。
花の里ではたまきさんが、珍しく「こんなものを焼いてみました。」と可愛らしいピザをお披露目したのに、時が悪すぎで気の毒でしたね。(奈緒さんはイタリアンレストランでピザを焼いていたのでした)

 

まあ、お気楽な回だったようにも思いますが、私的には大田愛さんの脚本に慣れていないというか・・・
出来れば、もっと弾けて下さいななどと思っているのです。

あらすじは→ここ

次回ゲストは、尾身としのりさん。私、実はファンなのですよ。だから楽しみです。

 

で、「相棒」のツイッターやHPでの話題は、やっぱり元日スペシャルの事ですね。それと映画。

今度の元日スペシャルは、「古沢×和泉」の組み合わせで「バベルの塔」以来なんですってね。思わず期待してしまいます。ゲストは、南果歩さん、白石美穂さん。どんな役どころやら。

映画の話題としては、先日「ハリーポッター」を見に行った時に、MOVIXとのコラボCMを見ましたよ。鑑識・米沢と捜一トリオが良い味出していました~♪

 動画⇒http://www.aibou-movie.jp/movix/

↑で、見る事が出来ますよ。

12月23日からですから、先のように感じますが、あっという間ですね。

 

《追記1/20》

陣川君、花の里で
「最初に会ったときに、僕の方が匿名係では先輩だって言いましたよね。」
「でも、陣川さんに会ったのはあの時一回だけだし。」と尊。

ふむふむ。

映画の後にこのシーンを見ると、なんでもないシーンだけど趣が深い・・・

 


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真夜中だけど☆

2010-11-27 04:46:20 | ツイート

【しょうもない、だらだらおしゃべり。。。。】

もうすぐ午前三時、こんな時間だけど、実は起きたばかりです。夜、夕食後になんとなく限界が来て寝てしまう、いつもの転寝が長かったのですね。途中でしっかりお布団に移動していましたし、もはや転寝の範疇ではなかったかもしれません。

夫の「寝るよ~」で起きてみたら2時ちょっとすぎ。明日が休みなので彼も夜更かししたのですね。

「何でこんな時間まで起きていたの?」と聞くと、ケーブルで「宇宙戦艦ヤマト」をやっていたのですって。好きだねえ、彼も。
キムタクヤマト発進の為の番組ですね。映画館で予告編を見ましたが、ちょっと見たくなってしまいました。問題は誰も一緒に行ってくれそうもないというところ。これ、一人で見に行きたくない、なんとなく。
私のイメージではキムタクは年齢が行き過ぎているように思うのだけれど、じゃあ他の誰がって言うと、やっぱりキムタクが良い様に思えてしまうのですよね。

ところで
転寝=寝る準備なし
ゆえにバトンタッチのように起きてきたのですが、起きてみたら、喉がなにげにイガイガします。これって風邪の症状かも。なので手洗い歯磨き念入りに。もちろんお顔もね。シャワーは仕事の前に済ましたのでパス。それと言うのもうちのお風呂、追い炊き機能がないので、真夜中にお湯をジャージャー出したくないって言うのが本音かな。

真夜中に起きてはいても、静かで良い子なのですよ^^

風邪の症状には手洗い、歯磨きは良いらしいですよね。そしてノドローチを舐めています。
ちゃんと起きて良かったです。もちろん寝る準備も出来たので、早めに寝ますね。(早めったって、真夜中。。。)

こんな真夜中族の生活していても、なんと今年は一度も風邪を引いていないのですよ。
いつもは2月頃、私的には辛い声が出なくなるような風邪か咳の風邪をひくので、その時ついでに花粉症のクスリも貰ってくるのです。でも今年は風邪もひかなかったので、花粉症の薬ももらわずに、マスクと引きこもりで(?)で、春先の花粉の季節もしのいでしまったのでした。

まあ、馬鹿は風邪を引かないと言いますから、とうとう私もその範疇の入ってしまったのかもしれません。
オヤッ、誰ですか、頷いているのは。

そんな風邪もひかない人になってしまった私でも、ちょっと疲れてしまった今週の私。

今のお仕事は細々とやっているのですが、それでも学校も学年も違う子がパラパラいるのです。そして世の中、期末テストのシーズンで加えて進路決定のシーズンでもあります。決定と言うのは希望校決定と言う意味なのですが、三週間にわたってのお勉強のお付き合いに疲れたと言うより、・・・・思わずここで手が止まり、あれやこれやと考え込んでしまいました。少年達と父と母と重ねた会話のあれやこれや・・・、ああ、タメイキです。

大変だったのは、この3週間ではなく、長々と大変だったのだとしみじみと思いました。でも、その大変さからは抜け出たように思います。
ああ~、やれやれ。

「ああ」と言う言葉の連発ですが、その中にお押し込められた凝縮されたストレス。そこの部分は書けない部分と言うわけではなくて、いつか書こうと、最近思っています。必ず何処かの誰かには役に立つお話です。でもとりあえずは目の前の事に対応していかなくてはと思っているので、単に書けないだけなのです。

いつも違うお話でストレス発散していましたが、そろそろストレートにいっても良い頃じゃないかなと思うのですね。その辺が来年の私の課題かもしれません。

書けないって言ったら、書いてませんね。「相棒」の記事と「おじいちゃんは25歳」の記事。映画もいろいろ見ていますが、全部感想をスルー・・・。

それに年末に向けていろいろ作戦を練らなくちゃ。

明日・・じゃなくて、今日ですが、家事の合間にはPCにへばりついて、たくさん更新してしまったりして(笑)
自分の記事に(笑)はないかな・・w

ちなみにブログを始めた頃「w」ってなんだろうって、分からなかったのですよ。コメントに就く「w」、えっ、これ何って密かに思っていました。(笑)=w
これを使ってるのって馬鹿みたいと言う人もいるけれど、ツイッターの字制限があるところでは便利なので使い出したら、止められませんね。楽だし、自分も使ってみると相手の気持ちも伝わってくるものがちゃんとありますよ。しかも(笑)は、一コメントでも連発しては使いづらいけれど「w」はそうでもない。書き言葉は誤解されやすい部分もあるけれど、「w」がクッション材になるような気もします。

なんでも食わず嫌いはイカンのだと、こんなところでも思った次第です。

真ん中のあれやこれやの瞑想が長くて、ふと気がつけば2時間が過ぎてしまいました。
それでは皆様、良い週末をお過ごしくださいませ。
ぐっない~☆

(と、言ってもドラマ記事とか他の記事で、またまた登場の予定。だけど予定は未定。)

 

 


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龍馬伝47回「大政奉還」

2010-11-22 02:36:03 | ドラマ (大河)

容堂公が書いた建白書を後藤象二郎が幕府に届けて、事態は大きく動き出す・・・・。

慶喜公は大いに悩みます。

眉毛なし、キモさではこの人が、このドラマの中ではNO.1だったかもしれません。みんな工夫していますよね。この人が出てきても、毎回数分程度だったと思いますが、それにしてもインパクト大。そのための眉毛なしだったのではないかと推測しています。

その慶喜公にとっても最大の山場だったかもしれません。

描かれてはいませんが、実はこの人の中でも「大政奉還」と言う言葉は、その意識下に密かに潜入していたのではないかと思います。なぜなら先週のナレーションにもありましたが、一介の大名がこのような建白書を書くなんて事はあまりない事ですし、どれだけの力を持っていたと言うのでしょうか。一笑に付され怒りをかう確率のほうが高いと思われても仕方がないと思うからです。

だけど彼は重臣の意見を聞こうとし、その議論が深くなされないまま、彼は議論の場を閉ざし一人逡巡します。

大河の慶喜公が主人公だった物語は、実はまったく見ていません。でも、もし彼側から見た物語ならば、やっぱりここは見せ場だったのではないでしょうか。

 

京にいる諸藩の重臣を集めた二条城でも、意見を聞こうとします。
だけど思ってもみなかった「大政奉還」についての意見など、一人の意見として言える者などありません。

当たり前の事だと思います。

みな自分の後ろには藩を背負っている訳ですし、事の重大さを思ったら迂闊な事は言えるわけがないのです。

だけどただ一人、それを言える者がいたのです。

そう、建白書を書いた容堂公の家臣、または書かせた者の共犯者、後藤象二郎だけはこの席で自分の意見を言う事が出来る唯一の人だったと思います。

だから私の後藤様(いつから?)は必死になって大政奉還の意義を説き、「すべきである」と進言します。
だけどいくら後藤様と言えどもこの空気の中で、「わたくしは!」と言うのには凄いエネルギーがいたと思います。

その胸ぐらを掴む慶喜。

意見を求めながらその態度。

それは彼の波のように大きく揺れる気持ちの表れだと思うのですね。
物語の論外だったので描かれていない部分は、大いにあったと言う事が凄く感じられた今回の「大政奉還」でした。

だから勝海舟が解説に来ましたよね。

凄い英断をされる慶喜公を愚かな敗軍の将として扱ってはならないと・・・と言っているところに
龍馬たちのところに大政奉還の決断がなされたと知らせが入るのでした。

感想は印象の大きかった順から書くようにしているのですが、ちょっと龍馬から離れすぎました。だけどそこは大事なポイントだと思います。

 

「時代」
「時、来たりなば」

そんな言葉が浮かびます。
時代の裂け目から、何かが噴出すように民衆の「ええじゃないか」が流行ってみたり
大いなる敵は外にいて、だけどそれに乗じて内側から裂けようとしていた時代。
徳川の延々と続くかのように見えた時代の転換期が、波に乗ってやってきたと思うのです。

だけど新しい時代のイメージは、みな同じだったと言う訳には行かないようです。

薩摩や長州にとっては、この時代はもうひとつの戦国にほかなりません。戦をして徳川に代わる。彼らの徳川を倒すと言うのは、そこに目的があるのだと思います。

大政奉還が決まった時のあの薩摩と長州の暗い顔、やな感じでした。

そしてなんだかドキドキしました。俗に言われている龍馬暗殺の首謀者のことを考えると、薩長首謀説と言うのは妙な納得感がありますね。

 

今回も、インパクトの強いシーンが多数ありました。
暗い顔の薩摩の面々の中で、一人顔が輝いていた中岡慎太郎・・と言うのもそうですが
やっぱり、手紙をしたためる龍馬でしょうか。

その前に籠を止めて慶喜側近の永井に会いに行くと言うシーンがありましたね。永井を説得したから、その永井の説得もあり慶喜の心は大政奉還に傾く訳ですから、省いてはいけない部分でした。

でも、そこは史実なのでしょうか。そんなフィクション的な事よりも、現に手紙が残っているそのシーンの方が心に残りました。
叶わぬ時には慶喜を暗殺すると言う覚悟をしたためた手紙。
「後藤先生にはあの世にてお会いしましょう。」
なんかジーンと来ました。

 

そして、今回の弥太郎。
凄く良かったです。

弥太郎にとっては龍馬こそ乗り越えなくてはならない壁。

否定したいけれど龍馬の事を信じてしまうのは、弥太郎が聡明だからこそだと思います。感情論だけではないのです。戦を信じて銃を売りさばく弥太郎でしたが、周りの者の龍馬の評判や海援隊の話などから、彼は風を読み取ったのだと思います。そして大政奉還決定前に銃を売りさばき、利益を得ます。結果的には龍馬を信じた弥太郎は、
「また負けた。」と悔しがるのでした。

「まっちょれよ」と彼は誓いますが、待てませんよ。

あと一ヶ月なんだから。

 

ドラマはあと一回。次回は拡大版。録画には気をつけて。

 

 

 

 

 

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ふらふら上野

2010-11-21 01:25:29 | お出掛け日記

一つ前の記事で書いた「ゴーストもう一度抱きしめて」は家の近くでもやっていますが、姉と一緒にと言うと、お互いにちょっと出てきて丁度良い所で鑑賞と言う事になります。

そして、それが今回は上野。

映画鑑賞後は、秋の上野のお山を散策する事にしました。

 


しかし雨女は姉なの、それとも私?
そんな天気なのでレンズを通してみると紅葉もスッキリしていませんが、人間の高性能レンズで見るとなかなかの趣がありました。

ところで先日、タモリさんの番組で上野探索がなされたようで、グループで観光している人たちを、いつもより多くお見掛けしたように思いました。
私も名前だけは親しみのあるこの場所ですが、あまり詳しくはないように思います。上野に来る時は、美術館直行でそして帰ってしまうことが多いからです。

下の画像は、清水観音堂。京都の清水寺をなぞられているそうです。清水の舞台のようなところで、一度カメラを構えたのですが、その先の建物の中で法要のようなものをやっていたのがわかりましたので、そこでの映像は止めて置きました。

でも木の間から見える雰囲気が、確かに遠めに見える清水寺のような・・・

 

なんとなく秋の風情




 

そして、ランチ。

「上野の杜韻松亭(いんしょうてい)」の花篭膳・雪です。これに茶碗蒸しも付いています。このお料理、見た目も素敵ですが、お味も凄く良かったのですよ。リッチなランチでした。かなりお腹一杯になれますよ。




更に散策は続く。・。・。・。・

今、「うえの華灯路浮世絵行灯」と言う企画をやっていて、左のような行灯がずっと並んでいて、6時過ぎには灯りが灯るみたいですね。

上野の紅葉は黄色も赤も綺麗です。

←東京国立博物館です。今ここでは「東大寺展」をやっていますが、流石に行きませんよ~。だけどお目当ては「秋の庭園解放」です。年二回、春と秋に解放される庭園、ちょっと興味がありました。

その前に正面からの画像です。




庭園には、風情のある建物が点在していました。

トップの画像は、その庭園のものですが、雨の為に3時近くには薄暗く、画像的にはまったく持って魅力はないのですが、フラフラとあまり冷たくもない雨の中を散策する秋の一日は、とっても楽しいものがありました。

庭園開放は12月12日までです。入館料が必要です。

 

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ゴーストもう一度抱きしめたい

2010-11-20 18:44:53 | 映画

11月17日に姉と待ち合わせをして一緒に映画「ゴースト」を見て来ました。

このブログでは映画の感想はあまり書かないのですが、別の記事の前振りで書き始めたら意外と長くなってしまったので、単独で感想を書くことにしました。だけど、ある意味、次の記事の前振りです。

一言で言うと癒し系の映画でした・・・音楽が。

映画が終わって、みな席を立ったと言うのに、一人で来ているおじ様たちが数人、席も立たずにしみじみとしていたのが印象的でした。みな一様に目を瞑り・・・しみじみと・・・

まあ、この映画は昔の「ゴースト/ニューヨークの幻」のリメイクなので、サスペンス部分も犯人が分かってしまうわけですし、流れも分かっている訳ですから、俳優さんの魅力や甘い物語に酔いしれるところが良いのでしょね。

姉などは、見る前にちょっと緊張していました。
その気持ち、分かります。姉は、ソン・スンホンさんのファンなのです。そして、私は興味がない・・・
これって、微妙な緊張がありますよ。

私に爪の垢ほども悪く言われたくないし、尚且つ、理解してもらいたいと言うソン・スンホンさんへの身内感覚。

私も先日、友人と「インシテミル」を見に行った時に、
友人が藤原竜也君のことを「声が上ずっていたけれど、あれは演技よね。」などと言うので
「当たり前でしょ!ビビリの役なんだから。」と即答。
ろくでもない事なんか、一言だって言わせませんよ。キッパリ!^^

だけどそんな事言っていますが、それって実は姉と同じように微妙に緊張しているのです。
身内を守りたいような意識ですよ。。。(ちょっと汗)

 

とにかくこの映画はロマンチックな映画です。だけど出会って1年結婚して一ヶ月の別れが、悲しすぎます。でもそれは出会って30年結婚して25年じゃないからこそ、この物語が存在するのかもしれません。二人の熱情が純粋で激しい時だからこそ。

が、姉などは微妙な顔。

トイレで手を洗っていたら、横で余所のおば様方が、
「役がやっぱ~、反対よね。守ってもらう役なんか似合わないわ、逞しいのに。」と盛り上がっていました。
その事を、姉に言うと、
「そうなのよ~、優しいけれど引っ張られていると言う感じじゃない。どんどん自分から行くタイプなの。その人たちと握手したかったわ。」

近頃いつも言っていることですが、誰かを好きになるっていいことですよ。誰かと共鳴しあったり、頑張るエネルギーを貰ったりね。

なんか、違った部分もいろいろ面白かったです。

もうひとつ思い出しました。
主人公の七海が着ている服が、とっても可愛いのです。
凄く気になるところでした。
だって、もしも私や姉がゴーストになったら、夫達はどんな服を着ている私達を見るというのでしょう。
姉に聞いてみたら、
「ジャージかな・・」

うーん、それって、マジくないですか?

 

そうそう、この映画、癒されるって言うのは本当ですよ。エンドロールの時、私も目を瞑っていました。スッキリした。音楽が本当に良いのです。

と言うわけで、下に貼って置きますね。

 

アイシテル  平井堅


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相棒season9-4「過渡期」

2010-11-19 11:49:12 | ドラマ(相棒)

「相棒」でも幾度となくテーマとして取り上げられてきた「時効」。
「相棒」はさりげなく、「時効廃止キャンペーン」をやっているんだと思っていたこともありました。そして、とうとう時効制度の見直しが実現したのです(笑)
イヤイヤ、この書き方はまずいですね。
さながら、「相棒」が、それに何らかの貢献をしたみたいじゃないですか。
でも、世論は伝わっていたと思います。
もしかしたら、その制度を議論していた人の中には「相棒」を見ていた人もいたかもですね。

では時効はどうなったのか。

いつまで有効かは分かりませんが、分かりやすいところを見つけたので貼って置きますね。サスペンス好きならやっぱり要チェックです。
ここ

時効の発想にはなじめなかったけれど、その存在理由はそれなりにあったと思います。膨大になってしまう捜査資料の管理と言うのも、良く聞かれるその理由のひとつだったと思いますが、時代が変わって資料の保存には場所をとらなくなったのでは。だけど遺留品などの証拠品はそうは行きませんよね。その膨大に増えていくそれの保存と管理が重要になってくると思います。

「相棒」の時効ネタ、上手いところをついてきましたね。

重い殺人の場合などの犯罪では時効の撤廃、時効の変更があったことが浸透していなかった・・・・

時効間際に世界中を放浪していた被害者の孫が帰ってきます。

時効が来たならば証拠品として押収されていた、血の付いた500万近くのお金を返してもらえると思ったからです。だけど、時効は延長(もしくは廃止)になっていました。だけど、孫は返還請求を調べて、関わりのあった元刑事に頼みます。

 

・・・・・

ここからはネタバレもしてるのですが、
と、言う事はですね、あの元刑事は、この時効制度が見直しになってから、お金に手をつけたのですよね。じゃなかったら、すぐに証拠品紛失は分かってしまう訳ですから。行き場のなかったはずのお金。そこがポイントだったのですね。

犯人は調子の良い事を言っていましたよね。確かにそのお金は、誰も調べなくなってしまった事件の捜査に使われていたのかもしれません。その事件の捜査の為に家族を失ってしまったのも確かなのかもしれません。

でも、すべて詭弁。

殺した男は犯人だった。
こんな男のせいで俺はすべてを失って、更にまた窮地に追いやられようとしている。そう思った男は犯人(孫)を殺します。

「あなたは警察官じゃないですか!」と憤って尊が言いますが、それを制して右京の冷たい言葉が突き刺さります。

「彼がもし今も警察官なら、ちゃんと調べ上げて彼を逮捕したはずです。何しろ時効がなくなって時間はたっぷりあったわけですから。」

既に彼は警察官なんてものではなく、ただの犯罪者なのでした。
たとえ悔いの涙に溺れても。

 

しかし、所轄の人たち、やたら怪しげでしたね。
おなじみメンバーがあまりはじけてなくて、書くことがないなあと思ったら、来週は陣川君登場。
うう、なにやら、またも可哀想な予感。。。

 


 

 

 


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龍馬伝46回「土佐の大勝負」

2010-11-15 01:26:45 | ドラマ (大河)

ああ、今回の「龍馬伝」が凄く良くて、今までの物語が記憶喪失になりそうな私。。。

 

ところでまた、お話遠いところから。

今日、姑に会っておしゃべりをしていました。その時、私が
「『龍馬伝』も後、三回よ~。」と言いましたら、
「いや、あんまり見ていないわ。最初の頃は面白いと思ったときもあったけれど、最近、凄くつまらなくなってしまったから。」
私、「・・・・・!」

最初の頃って、龍馬が、ザ・ドゲザマンになってた頃かい?

心の中では微妙に言い返しましたよ。でも黙っていました。「ハハハ」と言いながら。

実は我が母上殿も、先日会った時に『龍馬伝』の話をした時に、
「前の『天地人』は面白かったけれど、今回は駄目だね。」なんて抜かし・・・・コホコホ

私は学びました。いや、前から分かっていた事ですが再確認しました。

自分の思っている事は、常に自分の意見であって、万民の感覚ではないと。大切なことですよね。

だから私は視聴率なんて、気にする事ないなと思うのですね。
確かに、妻夫木くんも小栗君も可愛いし、景勝さんは可愛くはなかったけれど、キモ可愛いところがあって、だから「大奥」の常連さん。
上級年配のおば様たちには分かりやすく受けやすかったのかもしれませんね。

そう思うと、確かに福山さんはハンサムだけど、後藤様も容堂様(昔はイケメン)も、可愛いとは言いがたく、どちらかと言うと男の匂いがぷんぷん。そしてドラマもタイムマシンを覗き込むようなお堅め。例えて言えば、土佐と言うリングの上で体事ぶつかり合うような肉弾戦。

 

ワタクシ、格闘技は本当はあまり好きではありません。

でもこの歴史格闘技は溜まりません。

「くわーッ!!」とか、感嘆の声をあげたくなってしまいましたよ。

ドラマに嵌るポイントは、誰かをとても好きになる事にあるのかもしれません。

それが私には後藤様。

だって彼は最初、凄く気持ち悪い嫌な男ではなかったでしょうか。
お顔も下衆っぽくて、コンプレックスの塊。

でもね、愛は「えっ!?」と言う驚きから生まれるものですよ。
彼が龍馬側の人間になってから、私の中のツンがデレとなってしまったのです。

最近、いつも言ってるから知っていると言われてしまうかもしれませんが、今日のところでは凄く肝心なところなので、繰り返させていただきました。

 

なぜなら、この大政奉還建白書の実現は、ひとえにこの後藤様の心の成長による成果にほかならないからです。もしもあのまま、気持ちの悪い下衆男であったら、その日を迎えることは出来なかったのです。

だけど吉田東洋の甥である彼もまた優秀な男だったのですね。時代を読み流れを読み、真実を見極める力を持っていたのです。

容堂に
「妬ましかったからです。妬ましかったからです。下士の分際で・・・」

そうです。土佐にはその下士・上士の差別が根強くて、その差別を乗り越えていった者だけに、新しい時代が見えたのだと感じてしまいました。だから長崎でも、弥太郎の仕事を認め、手伝いたいといってくるものも現れたのですね。

龍馬と対面した容堂は
「それは上訴かえ」と問います。その意見が通らなかったときには、腹を切るもの。
「ここで大殿様に戯言と思われたら、腹切る覚悟です。」

龍馬の話に耳傾けながら、侍のない世の中になったら、そこには何があるのかとまた問います。

「日本人です!!」

か、かっこいい。

 

その後の坂本家のお話も良かったのですが、そこは上級年配のおば様に任せて・・・って、彼女らはブログなんて書いていませんけれど・・・

 

やっぱりワタクシ的萌えシーンは、容堂公と後藤様のお二人のシーンです。
このシーンは、容堂公が言葉少なく多くを語ったと言う印象的なシーンでした。
容堂公の悩みは、トップに立つものの悩みです。
建白書を出して将軍の怒りを買ったら、家を取り潰されてしまうかもしれない。そうしたら多くの者達が路頭に迷ってしまう。

象二郎は大殿様が決断されたのなら、みな付いて行きますと答えます。

だけどここだけは、言葉通りのことを思ってはいなかったと思います。なぜなら怒りを買って取り潰しの沙汰が来ても、静かに城明け渡しなんて事は起きないはずです。薩摩との密約もあります。建白書なき場合、または徳川からの首切りがあった場合、次にあるのは戦です。銃の事も然り。しっかり根回し済みなんですよね。熱い熱情だけで動いている訳ではないのです。

容堂公は深く悩んだはずです。だけど最後は人を信じたように思いました。

「武士の世界を壊してみるかえ」←セリフは不正確

差し出した杯はo.kの印。

それを受ける後藤様の手が震えます。

だけど私には、この時じっと見つめた容堂公の目が
「おまんは東洋と言う壁をとうとう乗り越えたな。」といっているように思えてなりませんでした。

 

建白書を前に、またも容堂公が問います。

「最初から、おまんはわしが書くと思っていたがどうしてか」←語尾の土佐言葉がわからんぜよ。

そこで龍馬は武市と容堂公との最後の日のエピソードを語ります。
ここであのシーンが出てくるとは・・・・!!

すると、容堂公の目がお茶目に右から左へと動きます。
何も言わずに立ち去る容ちゃん。

コンドーさん、やりましたね♪♪

容堂公が立ち去ったあと、思わず後藤様と龍馬は抱き合うのかと思ってしまいましたが、もちろんそうはなりませんでした。でも後藤象二郎、近づいてきて手を差し出すのでした。

結ばれた手と手。画面中央でがっしっと結ばれた握手に男のドラマを感じました。ゆえに歴史格闘技・・・。

 

乙女さんとの海のシーンは、この先の悲しみを増すエッセンス。
ああ、何故って、龍馬暗殺まで40日。「龍馬伝」も後二回です。

 

コメント (10)
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ぎゅうぎゅう2-奈良日記9

2010-11-13 15:24:28 | お出掛け日記

毎度、長々と続く私の旅行記。
読んでくださってありがとうございました。

「ワイワイギュウギュウ家族旅行・奈良日記」も最終回です。スケジュール的にはギュウギュウしていたのですが、あまり「ワイワイ」は伝わっていなかったと思います。だけど、いつも賑やかな私たちですが、今回はちょっと静かだったかもしれません。

父や母、一番下の妹だけが元気で、後の三人は最初からヨロヨロ。

姉はめまいの発作をその週に起こし、でもそれを無理やり治しての参加です。めまいを発作とは言わないかもしれませんが、一度でも症状が出た事がある人は、それがいつ起きるか分からない、結構怖い症状です。私も「めまい持ち」。私だったらとても行けませんよ。家でシクシク泣いています。でも、彼女は私以上のお出掛け好き&根性の持ち主です。本音を言うと、姉の不参加は、私的にもちょっと困ります。来てくれて良かったです。

すぐ下の妹は、今年になって始めたお仕事が上手く行き過ぎて、前日も目一杯働いての参加です。集合場所にヨロヨロしながらやって来たので、大丈夫かイナと思ってしまいました。

かく言うワタクシもちょっとお疲れ気味。

しかも行く先が温泉ではないので、言った先でノンビリでもなかったし、そんなこんなで比較的静かな私たちではありました。

でも、まあそんな静かな私たちでも・・・

 

【おやつとお食事】

こういう物は、欠かせませんよね~。

興福寺近くの趣のあるお店で頂きました。蕨もちと抹茶。畳に正座でいただきましたわ。←「わ」がそれっぽいでしょ(笑)

何で上の写真がこんな色なのかと言うと・・・


←照明がこれですから。

この蕨もちは、興福寺国宝館から奈良国立博物館に移動する途中で頂きました。

翌日は、平城宮から奈良駅に戻り、そしてまたそこから興福寺近くの「塔の茶屋」にわざわざ行きました。確かここは大学生時代に姉と二人で奈良に来たときにも、訪れたお店だったと思います。

そのお店の「茶粥弁当」です。

昔は何でも喜んで、しかも感激していただいていたと言うのに、思わず結構な量が入っていたうずら豆とひじきが「本当に弁当」と言う感じがして悲しいなとふと思ってしまった私なのでした。主婦暦○年が、私を変えたのです。

母などは、こういうお洒落なお弁当より、昨夜頂いた駅ビルでのカツ丼の味の方が気に入ったようで・・・(汗)

かなりの量があったのに、フンフン♪と頂いていたら、あっという間に無くなって、思わず夢・幻でござると思ってしまったのでした。

 

【たどり着けない女】

私の父は、自慢じゃないけれど若くてハンサムなのです。が、残念ながら「足以外」と言わざるを得ないのです。足の付け根が痛くなってしまい、長時間歩けません。(その割には振り回していますが。)

興福寺から東大寺までちょっとあります。父たちの分だけでいいからタクシーよ来いと思って「塔の茶屋」を出たら、そこに一台のタクシーがやってきました。なんと言うラッキー。父と母、そしてお疲れ妹が乗り込みました。でも、私は喉まで出掛かっていた言葉が出ませんでした。

「あと、一人乗れるのよね。」って。

だって、私は「たどり着けない女」。しかも言っちゃあなんだけど、一番下の妹の方向音痴には一度エライ目にあって、いまだに信用回復せず。私たちの足だったら東大寺は近いはずです。でも、私と妹だったら、もしかしたら遠いところになってしまう可能性があり。そう思うと、とてもじゃないけれど、

「お姉ちゃんも乗れるよ。」と言ってあげる事が出来ませんでした。姉が一番ヨロヨロしていたはずなのに・・・。

でもやっぱり姉が居て助かりました。奈良公園を抜けたところで私は春日大社と氷川神社(?)を間違えて、右に行くところを左に行ってしまったと思います。ふう、アブナ!

私たち三人は、奈良公園の鹿にはしゃぎながら行きました。ただ、先に行った三人が待っているかと思うと、流石に鹿せんべいまで買って遊ぶ事は出来ず、前にも書きましたが、そこだけは残念です。

【who are you?】

この項目は、私の奈良旅行のマトメ的感想で、チトお堅めです。

1300年の遷都のお祭りだからなのか、いにしえの奈良のお寺はあちらこちらで秘宝展をやっているようです。特別だからそうなのか、私は奈良と言う場所に不思議な感覚を覚えました。それは奇妙な「混在感」です。鹿と人間が共存している・・・
いや、そんなんじゃなくて・・・

法隆寺でも興福寺国宝館でも、そして東大寺でも、多くの人はその国宝級の仏像を観に行っているのだと思います。そしてその感覚の中には「へえ」「ほお」「ふーん」という感嘆の思いが含まれていると思うのですね。だけどそういう人に紛れて、手を合わせていく人々がチラリホラリ。申し訳ないのですが、数にして圧倒的に比率が少ないと思います。

社寺が持っている国宝級のお宝を美術館風に展示しているからだと思いますが、その並びに百済観音があったり千手観音があったり、ある意味凄いなと、私は思ってしまったのです。その意識が尾を引くのか、夢殿などでもオペラグラスを片手に覗き込んでいる人を見ました。いつまでも立ち去らないその人の背後で、手を合わせ去っていく人がいました。

あまりこういう光景は他の社寺では見ないように思います。

奈良と言う地域の国宝級の重要文化財の宝庫であるがゆえの、人々の思いの混在感・・・

加えて、頂いたコメントの中にも「仏さま」と言う言葉があって、私が奈良で感じた感覚を確認したような気持ちになりました。大切にしなければならないデリケートな部分だと思います。

東大寺では、父と母がささやかな諍いを起こしていました。
私たちの目から見ると、大仏は歴史的な遺跡です。でも、やはり手を合わせている人たちがいて、カメラを向けた父に母が嗜めたのです。この場所は撮影禁止ではないのですね。みんながカメラを大仏に向けていましたから。別に人の事は良いのです。よそ様の事まで批判などする気もありません。ただ、自分はどうなのかと言うポリシーの確保は大切な部分だと思います。そしてその感覚は、父の大らかさより母の生真面目な方が、私の感覚に近いものがありました。だから「東大寺」の記事には大仏殿しかないのです。

更に不思議に見えた光景は、大仏殿の片隅には石畳に何がしを引いて、一心不乱に祈っている人達がいました。風景と溶け合って多くの人は何も思わないのかも知れませんが、私には印象的でした。海外から来た人の目から見たら、東洋の社寺の摩訶不思議さを醸し出す雰囲気だと思います。でも同じ日本人の私の目から見ると、多くのカメラを携えたお気楽な観光客の中で深々と冷える石畳の片隅で祈る、それは苦行にすら見えました。

いにしえの奈良の都は、きっと不思議と現実が入り混じっているに違いありません。だから「鹿男」のような物語が生まれてきても納得が出来るのかもしれませんね。

そのような事に真摯な姿勢ではいる私ですが、やはり私にとっては、仏像と思って拝見させていただきました。その視点で見ていると、ふとこれを刻んだ人たちは誰なんだろうと思ってしまうのです。ちゃんと勉強をしている人たちには分かっているのかもしれませんが、普通は作者名など記されてはいません。その素晴らしい仏像を刻んだ人たちは「仏師」と言う職業名の中で歴史の中に消えて言ったのでしょうか。

私は思わず、
「あなたは誰ですか?」と、心の中で問いかけてしまったのでした。

 

「だけどさ、」と私は姉妹達に話しかけました。
「この先にね、『ディープ・インパクト』とか『日本沈没』のような事が万が一あったとしても、私達は助からなくても、これらのものは国宝なんだからいち早く安全な所へ運び出されるのよね。」

名を残すのは人の夢。
だけど名は残らずとも・・・・・。

 

【一期一会なのですよ】

無理だと思うところは切り捨てていきました。

猿沢の池でぼんやり作戦はナッシング。未練たらしくバスの中で撮った興福寺の五重塔。

だけど東大寺のところで、次の移動手段を探して歩いていたら、こんな池が・・・
何ていう池かしら。よく分かりませんが、綺麗でした。

 

捨てたり拾ったり。。。

【光に見送られて】

奈良にいる間中、大した事はなかったのでしたが、ほとんど雨でした。
なのに、帰るよ~といった途端、空は晴れ上がり・・・

チトムカつきましたよ。

でも、ほらっ、うちら家族は「超」が付くほどの前向き人間なので、天が最後に光で見送ってくれたように感じてしまいました。

向こうに見えるのは、雲の切れ間から見える光のシャワーですよ。凄いですね。トップの画像もその写真です。

と言うわけで、奈良よ、さらば。

バイバイ、鹿さん♪

<ぎゅうぎゅう。この記事がね>


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