お昼の帯ドラマを見る習慣はありませんでしたが、倉本 聰のシナリオだと言うので、この作品が企画発表の段階から楽しみにしていました。
でも始まる直前の情報で知った事でしたが、このドラマはシルバー世代が狙いだったのですね。
ふと、シルバー世代って何歳ぐらいの事を指すのかしらと思ってしまいました。
世界保健機関(WHO)では高齢者を65歳以上と定義付けしていて、まあ、65歳以上は立派な老人といってもいいのかもしれませんが、それは紙の上の定義で、リアルにこんな事を言ったら、叱られちゃいそうです、もろもろな方に^^
シニアと言ったら、だいたいこの年齢からを指すような気がするのですよね。だけどその年齢になると、いろいろと良い事もあるのですよね。美術館は安くなるし、インフルエンザも安く受けられるのですよね。(年上の友達が多いから、最近知りました。)でも映画は早くも60歳からシニア値段だし、年を取るといい事も若干はあるのです。
おいおい。
話しがずれ過ぎてるぞ !
とにかくシルバーって言うと、そのシニア年齢よりも、また少々上のような気がするのです。
だから最初は、対象がその世代と知って愕然としました。どのようなドラマなのかしらと。
確かにこのドラマは30代40代の人は見ていたかしら。
でもシルバーと言われている人よりは、そうとう若い人たちも見ていたと思います。
初回の放送で菊村栄が「やすらぎの郷」の説明を受けるところで、思わず私、
「もしもこんなところが本当にあったならば、あの人は一人寂しく死なずに済んだかもしれないな。」と思ったのです。
それで翌日の、恒例姉との電話でその事を言ったのでした。
「あの人」と言うのは、大原麗子さんの事です。
すると姉は、
「倉本さんはそのことを念頭に入れて、この作品を書いたらしいよ。何かで読んだかインタビューを見たかした。」と言いました。
そうか。
だからパッとそのことが思い浮かんだのかと納得しました。
華やかな世界で一世風靡なんかをしてしまうと、例えばその晩年が病気などで順風にはいかなくなっても、そのような施設に入ることは、意外と抵抗があると思います。例えば、以前結構活躍していたとある男優さんがそのようなところにいると嗅ぎ付けた週刊誌の記者さんは、まるでなれの果てのような書き方をしていたような気がしました。でもその彼が亡くなられた時は、決してそのホームの中でみじめな生活を送っていたわけではなかったのだと分かりました。
だけど、往々にして、世間の目と言うものは気になってしまうかもしれません。だけどこんな「やすらぎの郷」のように秘密にしかも無料で入れてくれる場所があれば、美しき花は咲きながらドライフラワーにだって安心してなれるってものですよね。
ドラマの中でホーム「やすらぎの郷」を作った加納英吉は、それを作った理由の一つに大道洋子と言う女優の孤独死があったことを告げます。
そして9月25日の放送分では、故大原麗子さんがその大道洋子役でパネルで出演をし、かつて多くの人に愛されたと思われるCMの声が流されたのでした。
倉本さんはそうとうダイレクトにメッセージをねじ込んだと思いましたが、心に響きました。
物語もゆっくりではありましたが、戦争に傷ついた過去、認知症になって行く悲しみ、忘れられた女の悲しみ、老いらくの恋・・?など、胸に迫ってくるものや笑えるものもあり、それを石坂浩二さんが熱演しました。(なんか、凄く良かった。)
九条摂子のような90過ぎても、ずっと可愛らしい女性を登場させたり、登場人物にも魅力がありました。
元妻の浅丘ルリ子さんとの共演も、やっぱり話題性はありましたよね。
最終回間際のゲストも豪華でしたね。上川さんや神木君。たぶん、倉本先生だからのご祝儀出演かなと思いました。
菊村が語る
「まだ書ける。だけど書きたいものがないんだ。」と言うセリフ。
つまりそれは倉本さんの心でしょうか。で、つまりはこの「やすらぎの郷」は、倉本先生の書きたい事だったのかもしれませんね。
加納の水葬や、最後にレンタカーを借りて自分で運転して、自分の居場所だと再確認した「やすらぎの郷」に戻る菊村などのシーンなどにも、倉本さんの想いのようなものが込められていたのかも知れません。
最後の「このドラマはフィクションですが、いろいろとお察しください。」でしたっけ?
なんかちょっと笑えました。
とにかく楽しい6か月でした。
老いのヒントはたくさんありました。
来週からは「トットちゃん」ですね♪
最後に改めて、野際陽子さんのご冥福をお祈りいたします。
このドラマの中では、最後まで生き生きとしていました。どこかでさりげなく消えてしまうのかと思っていましたが、そんなこともなくちゃんと綺麗に終わっていました。野際さんの遺作がこのような良作であったことも嬉しく思います。