森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「アベンジャーズ/エンドゲーム」

2019-04-30 21:57:27 | 映画

4月28日に夫とルート君とで見てまいりました。

ネタバレしないでねと公式が言っているようなので、この記事もネタバレなしで書こうと思います。

この作品は、私にとっては映画館で見た平成最後のものになったわけですが、まさにそれに相応しい物だったと思います。 もちろんこれから見る方は、令和最初の作品になる方も多いかと思いますが、それにも値するものだと思います。

オールキャストで、しかも丁寧。 しっとりと上の瞼が濡れました。物語のジャンル的には涙はその程度かなと思うのですが、実は心の中ではさめざめと泣きました。

2008年に家族そろって「アイアンマン」を見ました。最初にテレビで予告編を見た時は、何かブリキのようなロボットにダサさを感じてしまったのですが、繰り返しその予告編を見ていたら、面白そうだなと思いました。子供たちも面白そうだと言うので4人揃って行ったのです。 本当にそれが面白くて、そしてそれが「アベンジャーズ」の始まりだったのですよね。 その時の感想は→『アイアンマン』

そしてそれから11年。

まさか単純に楽しく見たあの映画から、こんな風に物語が紡ぎ出され、そして終わりなどと、その時にはまったく思えませんでした。

なんかメンバーを見ていたら、本当にしみじみとするものを感じたし、「ああ、終わりか~」と寂しくもなりました。

こりゃ、心の中でさめざめと泣いても仕方がないってものでしょう。

 

この映画は、なんと182分もあるのですよ。

ちょっとワタクシ、例の病気中でおトイレが不安だなと思っていたのですが、まったくあっという間に感じてセーフでした。途中退席の人もいなかったのですが、皆さん同じような方ばかりだったのか、終わった後のトイレが長蛇の列・・・・・・・・って、ネタバレなしで書くと、だんだん話題が、こんなんでいいのかになって来たのでもう止めますが、しかしですね、エンドロールも長いわけですよ。それだけキャストの数も凄いけれど、作り手の数も半端が無いです。

そこでも席を立つ人はわずかでした。

私は長い長いエンドロールを見ながら、あのシーンを思い出してしまいました。↓

ああ、何もかもが懐かしい。

ところで下の囲みは昨年の4月30日に投稿したものなんです。

同じように映画の感想を書きました。

だけど今年は同じ映画の感想でも、なんだか「平成最後」と言う想いもあって、同じ面白かったと言う内容のものでも、この平成の最後の10年を走り去ったこの映画の感想(感想にはなっていませんが)で良かったナと思ったのでした。

ああ、だけど、だけど、やっぱりちょっとだけネタバレ感想を囲みの下から書いても良いかしら。井戸端会議的なちょっとした内容ですが、それでもこれから見る方は読まないでね。

因みに前作の感想は→「「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」を見ました。

ついでながら「ポーの一族」ユニコーンの感想もよろしくです。→「「ポーの一族」ユニコーンVol.4 カタコンベ

 

 
「レディ・プレイヤー1」を観てきました。
この映画の予告編を最初に見た時は、ちょっと対象年齢外なのかとつい思ってしまい、ノーチェック。だけど監督がスティーブン・スピルバーグだし、そんなことないんじゃないって途中で気が付......
 

 

 

井戸端会議的なネタバレって言うのは・・・・・・

やっぱり、ソーのお腹。

なんか役者さんって凄いなあって、痩せて締まり切っても思うけれど、ダラリンって太っても凄いと思いました。

えっ、そこ ?

って、言われソー。

いやいや、ソーじゃないけれど、だってまたすごく長くなってしまいソーだから。

 

だって最初のホークアイのシーンから凄く良くて感情移入しやすかったし、ハルクはやっぱりお笑い癒しキャラかとか、戻って来たスパイダーマンは可愛かったし、ドクターストレンジが「1」と指でアイアンマンにサインを送る所も・・・・・・

あの崖でのホークアイとナターシャの哀しい戦いも。

真田さんにはもっとキレッキレでいて欲しかったし命乞いなんかさせないで欲しかったとか。

たくさんありすぎてやっぱり書ききれないと思います。

だけどこの作品でのSF的な見解をしっかり述べられたのは良かったですよね。今までの常識に頭が固くなっていると、混乱したり理解しがたい点も出てきてしまいそうですが、はっきりと今までのSF作品の考え方を否定しておいてくれたので、拘らずに済みました。

そして最後に、

「私はアイアンマンだ。」に泣けました、やっぱり(ノД`)・゜・。

 

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「ポーの一族」ユニコーンVol.4 カタコンベ

2019-04-29 13:39:33 | 漫画・マンガ・まんが

前回の「「ポーの一族」ユニコーンVol.3 バリー・ツイストが逃げた」

の感想の中で、バリーの名前の事を自分なりに整頓していました。また話的にもよく分からない部分があって、以前の号をまた読み直してみたりしましたが、分からなくて当然だっただと、今回のお話を読んで思いました。
 
やはり私の頭が固くなっていたのだと思いました。この新シリーズが始まってから、物語は時系列に沿って展開しているわけではないと言う事を、いまだにうっかりすると忘れてしまっている私がいるのかも知れません。
 
アランが言った「あんな気持ちの悪いものを見せた。」←(前号を読み直していないので不正確なセリフです。)
と言うのは、今回描かれていたのです。
 
そしてなんと、なんと・・・・・・・。
バリーの本当の名前が、今、明かされたのでした。
 
兄しか呼ばなかったその名前。
それをバリーはアランに伝え、そしてすぐに忘れると言う暗示をかけたのに、アランはそれを覚えていたのでした。
 
バリーはその名前を呼ばれると、言う事を聴かねばならないらしいのです。
 
その名前を呼ぶのは彼の兄だけ・・・・・・。
バリーよ、あなたの慕っていた兄は、あなたが思うような人でないんじゃないかしら。想うに値する人なのかしら。ふとそんな風に思ってしまったのでした。
 
だけどなぜ彼はアランに、忘れると暗示を掛けつつも、本当の名前を教えたのでしょうか。バリーを惹きつけたアランの魅力とは。(まあ、アランは相当に素敵な人だと思いますが。)それとも違う真意があるのでしょうか。
 
しかし、今回の「ポーの一族」の表紙の絵がよく見ると、けっこう気持ち悪いです。バリーの世界観を表しているのかもしれません。
これは「バベルの塔」のブリューゲル風味と言う感じと言えるのでしょうか。
もう本当に格調の高い世界で、短いページでも満足度が高いです。
 
写真に撮ってお見せしたい衝動に駆られましたが、やはり止めておきますね。
(追記:ツイッターに情報を載せている方から教えてもらいました《永井 祐子@cafebleunet 様》。
表紙の絵はボッスの『快楽の園』をモチーフにしているのだそうです。『バベルの塔展』でボッスの絵も見ていて、本当はどっちよりなのかと思ってはいましたが、このように元の作品名まで教えて頂けると、凄く嬉しいですよね。その絵は→こちら
 
じゃあ、バリーの本当の名前はと言うと、(まだ読めないけれど、とにかく知りたいかなと言う方はいらっしゃるかしら。)次の記事の下の方にさりげなく書いておきますね。・・・・・・・・まっ、いないか(笑)
 
 

・・・・・

月刊flowers(フラワーズ) 2019年 06 月号 [雑誌]
小学館
小学館

本屋さんにはなかなか行けなくて、と言う方は上の密林サイトをご利用ください。今回のフラワーズはメモ帳のおまけつきです。

 
※ 真夜中に書いた「いだてん第16回「ベルリンの壁」」もよろしくお願い致します。

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いだてん第16回「ベルリンの壁」

2019-04-29 01:01:44 | ドラマ (大河)

ネットを何やらウロウロしていたら、こんな記事を見つけてしまったのですよ。

宮藤官九郎が絶筆宣言か「いだてん」の低視聴率で不吉な噂」

こう言う類のネットニュースは、あまり信用しない事にはしているのです。何々引用みたいな感じで、裏を取っていない推理記事が多いからですが、それでもそうとうプライドは傷ついているんだろうなと思ってしまいました。

だけど本音を言うと、彼はそんな事は気にしないのかと思っていました。

視聴率など気にしないで良作に拘る人なのかと。

なぜなら彼の映画の作品って、すべての人にオールオッケーと言うわけじゃないものもたくさんあるじゃないですか。

それでも昼ドラも朝ドラも、ちゃんとそれに合わせて作り上げてきたわけですから、どんな時間帯のどんな帯でもちゃんとやれると言う自信があったのかも知れませんね。

だけどね、視聴率が悪いと、すぐに犯人探しに走ってしまうと言う悪しき習慣があると思うのですが、その視点で言ったなら、犯人はシナリオなんかじゃないですよね。

それに彼はこのシナリオの為に数年に渡って長い年月を費やしてきたのですよね。そして蓋を開けてみたら結果が思わしくないなんて、報われない気持ちは、当事者じゃない限り完全には理解できないものがあるのかも知れません。

 

今回の紀行のコーナーでモスクワボイコットの時の選手の事を取り上げていました。

あの時、みなさんはどう思っていましたか。(また歳がバレル発言をしてしまったかな。)

私は本当に愚かな事にも、大人たちが言うようにアメリカなどが参加しないような規模が小さい大会に国民のお金を使って、何も参加する事はないんじゃないかと普通に思っていたように記憶しています。(そんな事を言っていたのは大人たちの詭弁だったよね。政治的にあの国に尻尾を振っていただけだよね。)だけど友人は「選手が可哀想だ。」とはっきり言っていました。確かにまさにその通り。

それでも子供だった故か、私はもっとさらに残酷な事を思っていました。

― それもまたその時代と言うものに巡り合う運命だったのだと。

 

やっぱり非常な発言ですね。

だけどこう言う事って、本当にいっぱいあると思うのです。(私のうちだってさ・・・・・、って今は言うまい。)

 

すべてを次回のベルリンオリンピックに向けて捧げて来た四三。

熊本から来たスヤを追い返してしまうところなどは、やりすぎでリアルさが無いなとは思いましたし、仕送りのお金で後輩たちにも肉鍋をご馳走している日々と言うのを見せつけられるのも、少々気持ちがいい物ではありませんでした。それでも本当にすべてはオリンピックのためと言う事が伝わってきました。

それが無くなってしまったなんて・・・・・・。

ここからですよね。違う闘いが始まるのは。それはまた次回のお愉しみと言う所なのですが、大事な所でありながら、上に書いた理由から、私的には、四三の部分は、あまり面白く感じなかったのです。スヤとお義母さんのコーナーは良かったのですが。

それを今回埋めたのは、孝蔵のシーンでした。

円喬師匠の元に帰ろうと思っていたのに、その師匠は亡くなってしまいました。無銭飲食で牢獄に入れられると、そこにいた牢名主に芸を見せろと言われます。落語をするとその彼は寝てしまい、そして少年だった田畑政治と同じ事を言うのです。(あの寄席好きで水泳をしていた河童軍団の少年は彼だったのですね。)

「長い話をちゃんと暗記してかまずにすいすい話せて偉いね。」と。

だけど面白くはないよと。

孝蔵は、円喬との思い出にむせび泣きながら落語を続けます。

そして髪を切り、落語としっかりと向き合い噺家として新たなスタートを切るのでした。

と言うわけで、また来週~♪

 


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「私の退院と令和天皇の話と同等」と妹が言い・・。

2019-04-28 01:17:24 | 梢は歌う(日記)
 
奥渋カフェ散歩
4月25日は、お天気が良ければ高尾山へ行こうなどと思っていたのですがあいにくの雨で、それで美術館などに行ったと言うわけなのです。その記事はひとつ前の「至上の印象派展 ビュールレ・コ......
 

 

上の囲みは昨年の4月27日に投稿したものです。昨年の4月25日は東京散歩で美術館に行き、その後奥渋でカフェのはしごをしていたのですね。たった一年前の事でも懐かしいです。

今年の25日はひとりで銀行回りをするついでに、街の中の森を散策し、それはそれで楽しかったのでした。

おひとり様での映画鑑賞やランチもハードルが高いと言う人もいますが、ここが大丈夫になると楽しさが増すと思います。

25日のおひとり様ランチは

その日の歩数は9600歩。

だけどその日の夜中、急にメチャクチャと言う感じに体がだるくなりました。

だけどさらにそれに加えて、ごくごく稀に訪れる、まったく眠ることが出来ない日がやって来てしまいました。

所謂、不眠。

普通はこう言う日って、みなさん言うじゃないですか。

「もう爆睡しちゃったわ。」って。

私、それがないのよね。

 

朝にはしっかりと絶不調の人が出来上がっていたのです。

だけどラジオ体操に行きました。

八重桜の頃」の中に書いた方に、まだ振り回されていたのです。

 

なんだか疲れが取れないうちに、用があったのでお友達にお電話すると、ランチをご一緒することになりました。

楽しい時間はあっという間に終わり、その後は翌日のサークルイベントのための買い物などをして、夜はバイトのお時間です。

「八重桜の頃」に中にも書いたことですが、ちょっと気にかかる事があって少々気が重くなっていましたが、実は水曜日には、バイト先の雇い主様とランチをしました。

そこで今気が付いていて思っている事などを聞いてもらいました。

そして金曜日に行ってみたら、その事に対応されていて、なんだかみんなハッピーと言う感じになっていました。

しかし短いお仕事の時間内に、下腹部に違和感が・・・・。

家に帰ってはっきりと分かりました。

ちと不名誉な感じですが、膀胱炎になっていました。

ずっとダルイダルイと思っていたら、原因はこれだったのですね。

 

ところで巷では

「平成最後、また令和最初のゴールデンウィークが始まった。」と言われていて、確かにそうで、上手い事を言うなと思っています。

それに加えて、「まるで大みそかのようになって来た。」とも言われているでしょう。

私自身の気持ちもなんだかそんな感じになってきました。

なんか平成でやり残した事はないかとか思うと、やり残しばっかりなので、そこは考えない事にしても、やはりこの平成最後の日々は大事にしないといけないと感じているのです。

 

お仕事少々の私でも、一応は9連休です。

その最初の日にやった事は、朝一番に病院に行く事でした。

朝になったらだいぶ良くなっていたのですが、怖いので病院には行きました。

朝一に行ったので、9時半には家に帰って来ることが出来ました。

10時半からは、サークルの説明会イベント。その内容の事は公開するような事ではないのですが、そこでの差し入れのケーキは、ちょっと絶品でした。

画像をクリックすると、もう少し大きく見る事が出来ます。 キャロットと小松菜のケーキです。

今度レシピを教えてもらいたいとマジに思いました。

その後は仕事から帰ってきた夫殿とお買い物に行きましたが、朝は調子が良くなっていたと思っていた、あの病気が午後には悪化していました。

これって午前中のイベントのストレスが原因じゃないかしら。

 

私が家でクタクタしていたら、やたらラインがポキポキと賑やかです。

覗いてみたら、姉妹たちがメールで語り合っていました。

抗がん剤治療のために入院していた妹ですが、白血球が下がってしまったみたいで退院がお預けになっていました。それが家からの外出禁止を条件に退院できることが決まったのでした。

グループで最初の妹二人の会話が終わった時点で気が付いたので、私もスタンプと一言で祝福を伝えました。やっぱりおうちが一番ですから。

それからしばらくした後に、また見るとたくさんコメントが並んでいました。姉がまた妹の退院に反応して会話を始めたのです。

私が覗けば、誰かが見ているのだけは分かります。姉妹4人のグループですから、数字が2とついて話しているのが二人だけだったら、ひとりはのぞき見です。

その時の姉と妹の会話が、「平成の時代はこうだった。」とか「平成天皇は云々」また「令和天皇も云々」と大真面目なもので、いつから君たちキャラ変したのとニヤニヤしていましたが、一応スタンプを押しておこうと思い押しました。

「なんだ花ちゃんだったのか。」と言うので、

「膀胱炎で会話に参加する気力がなかったのよ。」とのぞき見の理由を伝えた所で、一番下の妹がその時に参戦してきました。退院についてはもう会話済みだったので、一番下の妹は私の病気に対して

「あれ、大変だよね。」と反応しました。

するとすぐ下の妹が

「うん。私の退院と令和天皇の話と同等に」と即答しました。

思わず私は、ワハハと笑いました。

その旨を彼女たちに伝え

「今日のブログタイトルにする。」と言うと、

「病院なのにまた笑っちゃった。」と言いました。

入院中でもたくさん笑い、そして明日はおうちに帰ろうー。

 

あっ、そうそう。

午後から何かをする気力もなかったのは本当で、だから海外ドラマをネットで見ながら、使い捨てぞうきんのストックが無くなって来たので、それを山のように作りました。

連休中は出来るだけお掃除にいそしむ予定です・・・・・・・が。

 

帰ってきたルート君が、今そこで撮って来たと言う写真を見せてくれました。

素敵だなと思ったので、私も急いで外に出て撮りました。

なんて事のない夕方の写真ですが、

 

これが大空を覆って飛んで行く鳥に、見えるものには見えるのです。

と言うわけで、また明日~。


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昨日、私は芥子殺し

2019-04-26 12:34:53 | お散歩&写真日記
芥子と言ってもナガミヒナゲシの事だけれども、元気な葉っぱを力強く伸びさせて、これから花が咲くのを待っている、そんなナガミヒナゲシを、私はマンションの花壇で見つけてはたくさん抜きました。

生命力が強いゆえに、他の花々の敵になってしまうそんなオレンジの花。
本当はちょっとだけ胸が痛みました。

昨日私は芥子殺し。
だけど今日の私は、道端に咲く小さな花を慈しむ人。

矛盾している・・・・?

好きだけど嫌い。
嫌いだけど好き。

そんな矛盾を抱えながら生きていく、ああ、それが人間ってもんさ。


上の花は、普通の・…普通の?
三つ葉なのですぐに分かると思ったけれど、意外と分かりません。しかもこの花は、可愛いので他の野の花の記事にも登場していたのですが、季節も違うので、春の花と言うわけではないのかも知れません。

花の名前がほとんど載せてないと言う、野の花マニアのそんなページです。
知っている方は、是非、教えてくださいね。

 

「ハルジオン」ですよね。

「カキドオシ」ですね。

 

「ズミ」の木です。

「おおいぬのふぐり」。なんか小さいな。確かもっと可愛らしい別名があったような・・・・。


うーむ、うーむ。
調べたけれど分かりません。調べ方が悪いのだろうと思いますが、野の花の名前は難しいです。
(もう少し時間がある時など、gooの「みんなの花図鑑」などから探すのも良いのかも知れませんね。)


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ヤマフジとヤマザクラ

2019-04-25 21:28:20 | お散歩&写真日記

今日はなにげに楽しい一日でした。

それと言うのも、街の中の森「こんぶくろ池」周辺にお散歩に行って来たからです。

本当はね、単に銀行回りの日だったのです。

その方向に行こうとしたら、夫殿が途中まで乗せて行ってくれて、ちょうどこの周辺で降ろしてくれたのです。

じゃあ、ついでだし久しぶりだったので、この周辺をまたお散歩をしてこようと思いました。

 

森の中も新緑の季節が迫っていました。

 

 

この池は「フジ池」と言うのですよ。

この季節にここを訪れてみたら、その名前であることが相応しい事が分かりました。

この木と木の間から見えるものは・・・・・。

 

 

しかし人間の目と言うのは素晴らしいものだと、こう言う時にも思います。星を見てもそう思うのですが、人間の目で見て素晴らしいと感じたものが、なかなか写真では伝えられない事ってありますよね。

迫力のある力強いヤマフジ、素敵でした。

そして力強く感じたのは、トンボ池エリアから見えたヤマザクラです。

 

本当の事を言うと、この桜が「ヤマザクラ」かどうかは定かではないのです。

ちょっと遠すぎて。

 近くに行けないのです。

写真を見ると、柵に沿って近くに行けそうですが、手前にも柵があるのです。この森は自然が主である場所ですから、いろいろと保護されているのです。

あの赤い花は何かしら。

大きく撮っても良く分かりませんでした。

もう、次は双眼鏡持参で行こうかしら。

だけど色合いが綺麗です♪

絵画を見るのも好きだけれど、自然の中には絵画のような美しさが溢れているのだと思います。

 

緑・緑・緑

そんな色のシャワーでも、森の中を歩くと心がときめくのでした。

 

そしてこの季節、野の花マニアにはたまらない季節でもありますね。

次回はそんな花たちの写真日記の予定です。


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八重桜の頃

2019-04-24 02:34:32 | 梢は歌う(日記)

昔、八重桜って、あまり好きじゃなかったんです。

ソメイヨシノが儚げなのに、八重桜は、もう元気溌剌の象徴みたいな感じだったから。

でも今は、そんな元気溌剌なものに憧れ惹かれます。

 

そんな私の今日この頃。

 

昨日歯医者に行ったとです。

「と」を入れると、何気にあの人みたいですね^^

奥歯の治療で、冠を外し根の治療をし土台を作り型を取るまでして、20分。

ほんとーーーに、拷問でした!

もう、これ以上歳を取ってからの奥歯の治療は出来ないわと思いました。

休み休みやってくれないと、喉も辛いけれど鼻まで詰まって来て、息が出来なくなって死ぬかと思いました。

自分でも心拍数が上がっちゃってるのが分かるし、血圧っていつも低めなのですが、どうも違うなと感じました。

 

昔は、あのキーンって音が嫌なのよと贅沢な事を言っていましたが、今なんかそんな事はどうでも良くて、生きるか死ぬかの問題になって来たと言ったら大袈裟なのでしょうね^^

 

遣ることが一杯あるとです。

入っているマンションのサークルで、お茶会兼説明会的なイベントをやります。

こんな感じでやると言うのが、頭の中で止まっています。

とうとう昨日夢にまで見てしまいました。

これは果たしていい事なのか迷う10連休。

ラッタさんが帰って来るはずなので、お掃除をしなくてはなりません。

息子が帰って来るだけなのですが、久しぶりに今の我が家を見たら、新鮮に汚く見えるに違いありません。

見慣れる事が大事なのですよ~。

ちっとも進みません。

ランチばっかりしているからだなと、自覚はあるものの、でもそれも私にとっては大事な事なんです。

だけど私はギリギリウーマン。

今日配布するチラシを朝作り、今日掲示するミニポスターを、やはり朝作る。

へっちゃら、へっちゃら。

今週中に何とかするわ。

と、思っていたのに、これは相当危険な計画でした。思わぬ伏兵がいたのです。

 

申し訳ないけれど、こんなに人を振り回してしまう人っているんだなと思いました。ブンブンブンと振り回され、午前中が全滅です。

久しぶりに心の底から腹が立ちました。だけど後から感謝していますと言われたら、ちょっとその気持ちがすぅっと引きました。それが言葉だけであってもです。やはり言葉は大切です。

昨年は言葉も心もない人と同じ自治会のお仕事をしていましたから、特にそう思うのかも知れません。

そんな事を言いながら、夕方、その昨年ご一緒だったその方とすれ違った時に、お互いに気持ちの良い挨拶をかわしました。

やはり申し訳ないけれど、その人と寄り添う事など出来ないし、戦友のような親しみを感じる事もありません。それでも縁した繋がりは切れるものではないのですよね。

ああ、だけど綺麗事など言わない、本当の私は私に言います。

「くわばらくわばら」

あまり近づきたくはありません。

(って言うか、終わるのかな。イべント準備に中掃除)

 

バイト先でのストレスが半端ないとです。

人間相手のお仕事なので、いろいろな事があるのです。だけど勉強になります。

せっかく学んでいるのだから、その学んだ事生かせるように、長生きしなくちゃなとか思います。

ストレスで体を痛めつけながら、長生きをしようと決意する、そんなお仕事の場所。

考え方によってはとってもありがたい事ですね。

 

ああ、そうそう。唐突ですが、絶対値みたいなものですね。

マイナスかプラスかなんて関係なくて、ゼロまでの距離が絶対値。

毎日の出来事の中には、マイナスかプラスかは関係なくて、その距離(大きさ)が大事って事があるんじゃないかしら。

 

マイナス×マイナスはプラスだしね。

 

気持ちが明るくなったところで(私の)、ぐ・ない

明日も良い日でありますように(あっ、もう今日でした^^)

 

 

 


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いだてん第15回「あゝ結婚」

2019-04-21 23:39:48 | ドラマ (大河)

この「あゝ結婚」で連想するのは、やはりソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのイタリア映画だと思います。この作品は1964年の物で、子供頃、テレビで見ました。

多感な頃でハンカチを絞るほど泣きました。

今回の「いだてん」には涙は不要でしたが、それでも幾江さんとスヤへの想いにはジーンとするものがありました。

 

息子を失ってその妻も去った家で、もう自分も死んでしまいたいと思った幾江。彷徨いながらたどり着いたのはスヤの家でした。そこで力一杯に鍋を洗うスヤの姿を見て、この人は生きようとしていると感じました。死に向かって彷徨っていた幾江にとって、生に向かって乗り越えようとしているスヤは、たまらなく魅力的に感じた事でしょう。

 

どんなふうな経緯で、他家に嫁いだスヤが四三の妻になるのかと思っていましたが、四三が養子に入りそしてその妻になると言う展開だったのですね。

好きあった二人が夫婦になったと言うのに、ちょっとと言うかだいぶぎこちない二人でしたね。

それでも離れていても、心を通わせる二人。

だけどちょっと寂しいね。

すべてすべてがオリンピックのためですよね。

・・・・・、だけどな。時代がな。ふぅ。

 

真夏の砂浜で、暑さに強くなるための特訓の走りをする四三。

そんなテレビに向かって、夫殿は言いました。

― 鍛えれば良いってもんじゃないんだ。水分の取り方とか・・・・・

そこに至るまでに、長い年月がかかったんじゃないの。

― だって私たちの子供の頃、いいえ、高校生の頃にだって、まだまだ体育では馬鹿なこと言われて苦しめられたじゃないの。

と、私。

試行錯誤がたくさんあって今に至ったのだと思います。

 

新しく河童軍団が出てきましたね。

その中から、また未来のオリンピック選手が出てくるのですって。

ワクワクしますね。

孝蔵は浜松でその河童軍団と出会います。後のオリンピック選手はやはりあの寄席に良く来ていた少年なのでしょうか。

確かに孝蔵の「付き馬」は、あまり面白くなかったですよね。(そう言う演出だから良いのですが。)

それを「そんな長いセリフを、ちゃんと覚えて偉いね。」などと言うちっとも褒めたことにならない感想を言われてもねぇ。孝蔵パートも面白くなってきましたね。

 

というわけでまた次回に。

 

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令和に会おう☆その2

2019-04-19 23:35:53 | 梢は歌う(日記)

最初に「黙々とやり遂げた人」をたくさんの方にお読みいただいて、ありがとうございます。母にその記事と頂いたコメントなどを見せた所、「涙が出ちゃう。」と申し喜んでいました。改めてありがとうございました。

 

昨日はピアノのお稽古の日でした。

私のお稽古は、既に単なる脳トレのようなもので、そしてまた先生のおうちのグランドピアノの音をポオンと鳴らして、その音の綺麗さに贅沢な幸せを感じると言うようなものなのです。

だけど昨日のお稽古なんかは侮りすぎました。メッチャクチャ・・・・。あああ・・・・・・。

何をやっても中途半端。

なんか嫌いよ、今の自分が。

なんか最近、全体的に冴えなくてさとブツブツ言っています。

でもね、中高年は頑張らないのが良いのよ。別に吉田拓郎氏の歌に感化されているわけではないのですよ。

拓郎氏の歌って言うのはね、

「ガンバラないけどいいでしょう~♪」って言うあれ。

本当にすぐに疲れちゃうのだから。

疲れちゃうってのはさ、肉体ばかりでなく心もね。

 

おとといはね、そんな心も体も疲れちゃったと言うお友達とランチをしてきました。

いろんなお話を聞いたりしてきました。

お友達は、自分では鬱になってしまったかと思ったようですが、違いました。それに快方に向かっているから、薬も出さないとお医者様に言われたそうです。詳しい事は書けない事ですが、彼女と過ごした時間は楽しいものでしたし、学ぶこともたくさんありました。

心の病も風邪と同じように、別に特別な人がかかると言うわけではありません。

日頃からの軽い知識が、自分を助ける事がたくさんあると思います。軽い知識と言うのは、別に浅はかな知識と言う事ではなくて、日頃からの友人との軽いおしゃべりからとかドラマや映画からとか、ちゃんとした本からの勉強ではなくても、雑誌とかの読み物の中からとか得た知識と言う意味です。

 

「それにさ、そう言う時には出口を持っていると良いのよね。例えば、絵を描くとか。」

「それ、私には無理。」

「何かを書く。あっ、日記でも良いのよ。」

「そんなの書けないしヤダ。」

「歌うとか・・・」

「カラオケは嫌いだけど、歌うこと自体はイイナ。」

「お友達とおしゃべりするとか。」

「あっ、それが一番いいな。」

「だよねぇ~」

ってな会話もあったりしたのですが、だけど本当に心が落ち込んだ時には、上に書いたような事のすべてのやる気を失ってしまうのだと思います。

そうなる一歩前が大事って事でしょうか。

 

しかしこのお友達は凄い人なんです。

私たちは近所の公園に来たわけでもなく、また近所の病院に来たわけではありません。バスに乗ってモールに来たと言うのに、そこで出会った知人が6人。

別に過疎っている村とかだと分かりますよ。でもそうじゃないんだもの、この数字は凄すぎます。

思わず最後に私は言ってしまいました。

「真っすぐ、歩けないじゃないか !」って。

だってまるで障害物競走みたいなんですもの。

 

このお友達の顔の広さは、前から凄いなと思っていたけれど、改めて凄いと思いました。そして口々に挨拶と共に、彼女の事を気遣っている言葉が飛び出していました。

「あのね、私なんか姉妹が三人とそれにプラス2ぐらいだと思う。こんな時に心配してくれる友達って。あなた凄いね。素晴らしい事だね。」ってしみじみと思い言いました。

「本当だね。有り難い事だと思ってる。だけど、あなただって2って事はないよ。」

「じゃあ、あなた、私の所に駆けつけてくれる ?」

「駆けつけるよ。」

「じゃあ、プラス3ぐらいって事で。」

 

このお友達とも、次に会うのは令和だと最後に言い合いました。

どこがどうと言うのではないのですが、平成最後に会って次に会うのは令和。

いつもどおり来月も会いましょうって事なのですが、そこには何か見えない川が流れているようなそんな感覚に襲われるのです。

 

平成最後のピアノのお稽古も終わって、次回は令和。気持ちも切り替えて、少しは頑張りましょうね、自分。

トップ画像は、先生のお庭です。お稽古日にスマホを忘れ、撮って送っていただいたものなんです。

素敵な画像だと思いました。

 

 ←その日のランチ。

 

 

 

 

 

 

 


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黙々とやり遂げた人

2019-04-17 22:55:43 | 家族スナップ

母は、ちょうど昭和が平成になった頃、自治会館の管理を地域のボランティアとして始めました。

確かに年度の終わりには、もうすぐお別れになる諭吉殿を三枚ほどは頂いていたかも知れませんが、母は365日、ほぼ休みなくその場所を管理していたので、地域ボランティア、例えば自治会役員の謝礼のようなものだと思います。

そのお仕事を30年やり遂げました。

管理というのは、その場所の貸し借りの申し込みを受け、鍵の管理をすると言うのは通常の事でしたが、毎朝、鍵と窓を開けて風を通し、かび易いその場所を守りました。

そこは中途半端に広い公園の一角に建っていたので、油断すると不行き届き者たちのたまり場にもなりかねない場所でしたので、しっかりと戸締りをし、それでも朝、真夜中に明かりに群がる虫のようにその玄関の所で集まっていた人たちのまき散らしたゴミなども片づけていました。

日帰りでどこかに出掛けても、自治会館の戸締りの時間を気にする母を、時には私はあまり良く思えない時も、実はあったのです。

遣りすぎてしまえば、次の人が困るに違いないからです。

だけど次の人など現れることもなく、母はまるでその場所の主のように貢献していました。

 

そして30年も経てば、50代で中年だった母も80代となり、立派な老人です。

こんな風にトンカラトンカラと朝に窓を開け夕に窓を閉める生活を規則正しくやって来てしまうと、それを止めた時に母はどうなってしまうのだろうかと、私たちの中に新たなる懸念が生まれてきたのでした。

だけど3月31日をもって、そのお仕事から解放された母はどうも清々しているようです。

それでもその前を通り過ぎる時には、真夜中の良からぬ頭だけガキンチョで図体だけ大きい人たちのトッ散らかしたゴミなどは気に掛けているようです。ごみが散乱して片付いていなければ、その場所は荒れる事が必定だからです。

普通の当たり前の風景の中に、当たり前では済まない人々の努力がある事を私は忘れてはいけないと、私はこの母(または父)から学んだように思うのです。

 

そして母は、自治会の総会で30年間のお仕事に対して感謝状を頂きました。

同じくその総会の場所にいた姉が言うには、その時の母の挨拶も立派だったそうです。

写真などが夕方、ラインで姉から送られてきました。

 

それに対しての妹からのコメントに、私は心を打ちました。

「本当に30年間お疲れ様でした🥳お母さんの挨拶は、恒例お正月の挨拶でも分かるように、何時も素敵で、素晴らしい挨拶だから今日も、さぞかし感動するスピーチだったと思います。本当に長い間お疲れ様でした。後は、ゆっくり遊んで暮らそう✌️

明日から会館間違って行かないように、管理していてね。😉習慣は意外と怖い…"」

 

はっきり言って、私は身内馬鹿です。

いえ、これは我が一族の特徴です。

身内同士で褒め合っていると言う幸せな一族なのですが、それでもやはり私は母や姉妹を誇りに思っているのです。

 

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画像は今日、一緒にお出掛けしたお友達の親戚の家に咲き乱れていたチューリップ。

コメント (6)
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