森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「あまちゃん」最終回

2013-09-30 01:52:39 | テレビ・ラジオ

毎回感想を書いているわけではないので、全体の感想ですが、やっぱり最終回の感想は省くことが出来ません。

 

二人の少女がトンネルを抜けて光りに包まれるようなラストシーンは良かったですねぇ。

暗いトンネルの向こうはいつだって眩しいくらいに明るい。

あの時、大吉もその光に向かって歩いていたんですよね。

「ゴーストバスターズ♪」と口ずさみながら。

その闇を抜けて光のなかで見たものは・・・

そう、あの凄まじい震災の光景だったのです。

このラストのユイとアキがトンネルを抜けていくシーンは、私にはあの時のシーンの対比に思えたのでした。

少女たちがこの光の先に見るものは、これからやってくる未来。

その未来は、私達視聴者もまだ見ていない未来なのです。

 駅のホームの端に「この先、25年開通予定」の立て札が立っていました。さりげない演出がすごく素敵なドラマでした。

 

その前のシーンで、お座敷列車の中から何人かの人たちが(ミズタクとか)静かに窓の外に目を向けます。

そこには何があるのか・・・

そこに広がっていたのは、みんなの生活を支えている海でした。

光が反射する美しい故郷の海。

何の説明もなく、みんなは穏やかな顔をしてその海を眺めます。

 

 そして背後に「潮騒のメモリー」が流れます。潮騒のメモリーズが春子さんが鈴鹿さんが歌ったりで、もう感動ひとしおです。

この三組で一緒に歌うと言うのはちょっと予想していたのですが、ひとつの舞台の上でというイメージでした。でもそれぞれのシーンの歌がかぶさりましたが、それがまた胸を打つ結果になりました。

みんなの人生はクロスするけれど、だけど皆それぞれの人生を一生懸命に生きているのですよね。そのそれぞれの舞台のそれぞれの、だけど同じ歌。

 

「来てよ、その火を飛び越えて~♪」

先日車のラジオから、当たり前のようにこの歌が流れてきました。

「なんか可笑しいよね。」と私。

「どう考えたって、普通に流れてくる曲とは思えない。だってさ、なんたって『三途の川のマーメイド』だよ。」

と言っていたら、そこもクドカンの計算のうちだったなんて。

鈴鹿ひろみが歌った時、「三代前から」変えられる歌詞。もう、細部にわたってやられっぱなしです。

 

で、そのラジオを聞いていた時にふと思ったんです。

「来てよ、その日を飛び越えて」ってこれ、掛詞じゃないのかなって。

でもそう思っていた人は、他にも多数いたみたいで、先日、これもふとシナリオを起こしてる人の記事がたまたまツイッターで流れてきたので、行ってみたんです。そしたら、そこでは歌詞の部分が「その日」になっていたんです。打ち間違えと言うより、それ、その方がわざとそう打ったんじゃないかと思いました。

と思っていたら、HPの演出の方のインタビューにもそのことが書いてありましたね。それを読むと、私が上記に書いて感動したシーンに対しての思い入れもしっかりと書いてありました。→ここ

演出の井上さんがエキストラのみなさんもしっかりと撮ろうと思ったというのは大正解でした。なぜなら最終回の感動ポイントの一つになりました。笑顔できた鉄に手を振る人達を見ていたら、涙がジワーっとこぼれました。

トンネルを抜けた少女たちのように、登場人物にそれぞれの終わり方があって光りに包まれた最終週でした。ラストのエンディングに一人ではなくユイと二人で飛び込むシーンも素敵でした。

そして楽しい半年間の朝でした。

ありがとう「あまちゃん」

おしまい。

・・・・・、いやいやいや、ちゃうって。感想はまだつづくのです。

 

多くの人にとって(この『多くの人』というのにもいろいろごちゃごちゃ思うこともあるのですが、ドラマの感想なのでここはひとくくりですみません。)、生きてきた中で二年前の震災は一番かもしくはそれに匹敵する大きな大きな出来事だったと思います。

このドラマも震災とその後のインパクトがかなり大きくて、その前にあったドラマも前章、もしくは前書き、またはそこに至るまでの説明で最終的には震災復興ドラマで、「みんな、元気でたか~!?」で終わったような錯覚が自分の中にもあることを否めません。

だけど、このドラマはそこがメインじゃなかったように思うのです。

誰にでもある過去の失敗や過ち。

なんとなく気持ちはそこから抜け出せないまま時間だけが過ぎてしまってきた生きてきた道。

誰もが一度ぐらいは思ったことがあると思うのです。

ああ、あの時代のあの時に戻ってやり直したいとー。

東京では居場所が見つからず、地味でパッとしなかった少女が母の田舎に行き、そこで居場所を見つけさらにアイドルに憧れて、それに向かって頑張ってみんなを元気にしていくドラマ・・・と言うよりは、私にはやっぱり春子と鈴鹿ひろみの物語に心が傾いてしまっていたと思います。これは多分年代的なものなのかもしれません。

何度もアキが間違えた「影武者」と「落ち武者」。言葉がヒント的キーワードになっていて、そこがたまらない魅力だったこのドラマ。

だけど、このアキの間違いは単なる言葉の間違いで笑いを誘うだけのものではなかったと思ってしまいました。

なぜなら春子は途中までまさに「落ち武者」そのものだったように思うのです。アキはあながち間違えてはなかったんじゃないかと。

過去を引きずって引きずってズルズルしてた。だからすべてを知っている夫との結婚生活も上手くいかなかった・・・と思う。 

 

子供番組の中の天野アキだけが出来る「逆回転で元に戻す」という能力。

これもキーワード。

 

だけれど本当は逆回転なんかしないし、元には戻らない。

前に前にと進み、「次」へと駒を進めるだけなのだと思います。

次へと進んだ大人たち、皆見事で素晴らしかったです。春子が気持ちを乗り越えて前に進んでも、若春子の幻影は消えず、鈴鹿さんが自分の声で歌った時に消えたなんてグッグと来る展開でしたね。

そしてそんな大人たちの真ん中で「変わらない」少女がキラキラしてました。

それからあまりにも波瀾万丈な人生を歩んでしまった少女が、光に対比して陰をつくって、これもまた良かったです。

という訳で、半年楽しかったです。

おしまい・・・・じゃなかった、後1つだけ気になっていることが。

 

このドラマ、光の人も影の人も、みんなめでたしめでたしになったわけだけれど、もう一人完全に影武者な人がいますよね。

それは若い時の鈴鹿ひろみさん。

あの子だけが顔も出ないし、顔が出ないのはいろいろな意味があると、それもまたいろいろ思うところなんだけれど、だけどどうもクレジットにも名前が出ていないらしいのです。ということは薬師丸さんがやってるってことでしょうか。

それにしたって役名と名前を出してもいいと思うのですね。

本当の影武者は彼女だったんだということなのでしょうか。

 

これ、もしも顔を出さない人だから、しかもセリフがないしエキストラに準じた人を使ったらですね、とっても悲劇チックな別のドラマが生まれてしまいますよね。

少女1「『あまちゃん』、見てた?面白かったよね。」

少女2「っていうか、私、それに出てたんだ。」

少女1「それ凄いじゃん。北鉄に手を降る人、やってきたの?それとも上野を歩く人でも?」

少女2「ううん。・・・・鈴鹿ひろみ・・・」

少女1「はぁ? 何言ってるの!」

ってな展開になりかねない。人気の高かったドラマゆえに悲劇になってしまいますよね。

という訳で、あの若い時の鈴鹿さんは薬師丸さんということにしておきましょうか・・・・

でもやっぱり

 

な~んか違うだけど。

 

 

 

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「いねむり先生」

2013-09-22 18:16:26 | テレビ・ラジオ

感想を書くのが遅くなってしまいました。

なんたってこのドラマ、裏番組が『半沢直樹』。

ちょうど先週予告編で半沢が「100倍返しだ。」と言い、グッグッっと引き込まれた後、急いでチャンネルを変えました。その後の後編だけでもかなり感激したのですが、やっぱりちゃんと録画を見てからと思っていたら、このように遅くなってしまったのです。

 

しかしテレ朝、前回の『遺恨あり』もそうでしたが、竜也くんに良いお仕事をさせてくれましたね。思わず贔屓する者として御礼の言葉を述べたくなるほどでした。

最愛の美しかった妻、夏目雅子を失った後、自らを見失い酒に溺れ幻覚に苦しんだ伊集院静の再生の物語。

 

 

いねむり先生 (集英社文庫)
伊集院 静
集英社

 

漫画にもなっているんですよね。

 

いねむり先生 1 (ヤングジャンプコミックス)
伊集院 静
集英社

 

美しかった夏目雅子さんは、私にとっても失って本当に悲しいと思った女優さんでした。

テレビドラマの「西遊記」で彼女が三蔵法師を演じると、その魅力にあがらえず、心がときめきました。

ドラマの中でも
「素敵な人だった。」「良い女優さんだった。」「好きだった。」と様々な人の口からそんな言葉が聞かれました。
それはみんなの彼女への想いだったと思います。

「そんな人からもっていかれる・・・」

彼女は佳人薄命を地で行った人でしたね。

だけどそんな彼女を失った身近な人の喪失感など、その時は想像すらしませんでした。 もちろん目を向けることもなかったからですが、このような彼の物語に触れると、彼の苦しみは本当に説得力がありました。立ち上がれない苦しみに、胸がキリキリと痛みました。

酒とギャンブルに溺れ、幻覚に苦しむサブロー。そんな彼を助けたのはデブリンな天使、いねむり先生と呼ばれる男でした。

この人のモデルは色川武大。

この人のこと、この先生が患っていた病気のこと、そして物語の解説については、HPがすこぶる充実していますので、そちらで「ふむふむ」と感心していただきたいと思います。→「いねむり先生」HP

 

なので私は感想のみで、しかも好きだったシーンの感想を思いついた順で少々書かせていただきます。

前半を見てから感想を書いて良かったなと思ったのは、谷原さん演じる井上陽水氏がサブローを朝から(徹マンの帰りだから)飲みに誘う所で
「先生の話をちょっとしないか。」 と言い、そして最後に同じセリフを言うところ。

いねむり先生がいなくなっても、そうしてみんなで彼を語り合って、残された者たちを支えるんだなと思いました。

 

美しくて映像的にもグッと来たのは、棚田で二人でお酒を飲むシーンです。

青い夜の棚田。そして静かに流れる川。天空と川の中に浮かぶ煌く月。

その風景を肴に飲む二人の男。

一人はたぬきのような容貌で、一人は華奢で若く美しい。

絵画のような美しいシーンでした。

そこである意味におけるクライマックスが来るのは予想が出来ましたが、演技派二人。思わずこう来たかと引き込まれました。

強いお酒に、思わず幻覚に襲われるサブロー。のたうちまわる彼をいねむり先生は静かに見守ります。その冷静な眼差しに、何故と思わず思いたくなった時、サブローが「助けてくれ―」と叫び手を差し出した時に、迷わず手を差し伸ばし、幻覚の世界から引きずり出し彼を救ったのでした。

 

サブローを救ったのは、先生との会話だったと思います。

「泣いていた顔や苦しんでいた顔ばかりを後生大事にしていないで、その前にたくさんたくさん良い時があったでしょう。笑っていた時があったでしょう。どうしてそんな彼女を思い出してあげないの。」←いつものことですが不正確。「のようなもの」です。

 

妻マサコとの想い出のシーンも、最初は苦しむ彼女を見つめるサブローも無表情で無機質な感じがするのに、同じシーンでもそれが変わっていき、そして最後には、彼女との出会いから楽しかった時大事な時間の想い出が彼の中で煌くのでした。時間にしたら短いと思うのですが、しっかりとサブローとマサコの物語が伝わってきました。

今回も流石ですね。シナリオも演出も。

そして藤原竜也さんの演技も。

彼はいろいろな役を経て、また結婚して落ち着いたのも良かったのか、このような静かな役が更に上手くなったように思うのですが、それは私の贔屓目っていうやつでしょうか・・・。

 

良いシーンはたくさんありましたが、書ききれないので最後に、エンディングのことを書かせてくださいね。

エンディング、良かったですね。

直ぐ傍にいたはずの人が、ふと気がつくといない。でも心の中にはしっかりとちゃんといる。

最後の最後のシーンまで丁寧に撮られたドラマだったと思います。

 

あっ、そうだ。最後の最後に我が家の秘蔵のお宝をお見せしちゃうね。

昭和60年の10月10日号「Emma」

夫殿が
「永久保存版だ。」と言って買ってきたものです。本箱にしまっておいただけなのに保存状態はあまり良くなくて、我が家らしいっちゃ我が家らしいって感じですが、 彼女はみんなの心の中で今でも生きていると思います。

 

 

 

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土塊なのさ

2013-09-20 23:50:18 | 梢は歌う(日記)

昨日の月。

まだ仕事中の休憩時間だったので、たった一枚だけ気合撮り。

さきにベランダで月を見た中学生が
「綺麗だけど、なんか、フツーの月に見える。」と言った。

ふむふむ。

それはスーパームーンとか真っ赤な月とかいろいろ見てきたからそう思うのかなあ。

だけど昨日の月は中秋の名月で、その日に満月としてみることが出来るのは、次は8年後なんだよね。

教えてあげようと思ったのに、カメラを片手にベランダに出て戻ってきたら言うのを忘れちゃった。

月はそんな地上の評価のざわめきなど我関せずと、涼しげに輝いていた。

 

ベランダでカメラを構えてふと考えたこと・・・・

 

月を見上げると、いつも思う。

どれだけ多くの人達が、空を見上げて彼女に話しかけてきたのだろうかって。

「彼女」って書いてしまったけれど、「彼」かしら。 

 

そうしてどれだけの答えを返してきたのだろうかと。

 

だけど

「月はなんにも語らずにやさしく微笑んでいた。」って言う言葉が一番当てはまるのかも。

 

そうそう、こういうのを擬人法っていうのだよ・・・って、中学生以下の人はここを覗くことはないか・・・。

だって月は微笑まない、本当は。

月だから。

この擬人法っていうのは、時には最初はなかなかピンとこない子もいる。

例えば
「木は大きく手を伸ばして天に向かって伸びをし、『おーい』と言った。」

木に手なんかないけれど、 人の心の感性の中には天に向かってのびのび伸びた枝は手以外の何物にも思えない時があるのだ。だから詩の中の表現技法を探してという簡単な問題でも首を傾げてしまうのだ。

自然はいつだって母のようなものであったり父のようなものであったり、そして友達のようなものであったりするものなのかもしれない。

だから彼らから手痛い仕打ちを受けた時の嘆きも大きいのかもしれない。

 

更に私は思う。

月は、地球とは違う成分の土の大きな塊の球体なんだって。

それが天空に浮かんでいるだけ。

しかもさ、自ら輝いているわけではないんだよ。

大いなる太陽の光を我が身に映しているだけじゃないの。

だけどだからさ、

太陽なんかをじぃぃと見たら、目がダメになってしまうけれど、陽の光を写しているだけの月は眼を開けて見続けることが出来るのよね。

 

月は陽の光を受け止めているんだ、

映し出しているんだ

そんな風にいろいろ考えたりも出来るわけで、天空に浮かぶ大きな大きな鏡のようなものかもしれない。

 

そんなわけで人は知らず知らずのうちに、その月に自分の心を映し出そうと無意識に思い、語りかけるのかもしれないね。

月はなんにも語らないし、答えてなんかくれない。

でも自分の中の答えを引きずり出してくれるのかも。

 

さてさて、じゃあこのワタクシは、天空に浮かぶでっかい土塊に何を問うというのだろうか。

その時ふとSFチックなことを考えた。

最近の思考外の天変地異は、地球と月との距離の変化とか 、そんな事が実は起きていて、それによる影響とか・・・

ふ~む。

もしも地球と月との距離に本当に変化が起きたら、実際はどのような変化が起きるのだろうか。

 

さあ、今宵の月の姿は一枚だけどカメラに収めたので、仕事に戻ろう。

ベランダから戻ろうと窓に手をかけた時に、大事なことを忘れていたことを思い出した。

―あっ、月見団子、買い忘れた!!


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明日は晴れ

2013-09-17 15:55:07 | 梢は歌う(日記)

 

昨日の夜、タイトルだけ入れて、そのままにしていたものだから「明日は晴れ」と言っても今日のことです。

今日は洗濯物も外に干しっぱなしにして出掛けても大丈夫ですとお天気お姉さんからお墨付きの保証をいただきました。だけどワタクシ引きこもっています。いやいや、単に山いっぱいの洗濯物と格闘していてそして午後からお仕事で、ふらふらお出かけするお時間もないのです。

(と、言いながらブログなんか書いちゃってるわけですが、その時間は別・・・)

台風が去って、朝ドラ「あまちゃん」では腹黒めんどくさい女ユイちゃんが戻ってきて「ばんざーい」という展開になった爽やかな朝。

うーん、言葉的には矛盾を感じるのですが、そこがクドカンの罠に違いありません。

 

ユイちゃんのことばかりではありませんが、「あるがまま」って大切な事だと思います。

「本来の姿」と言うのも。

だから昨日の京都の嵐山の映像は、かなりショッキングなものがありましたね。鴨川や桂川ってどちらかと言うと常に河原が見えている川って感じがしませんでしたか。その川の氾濫。

このいにしえの都を愛して何度も訪れたことのある人も、地元の人のみではなく心が痛かったと思います。かくいう私もです。

とは言っても、本当に大切なのはその周辺の方々の避難なのですよね。チラリと流し見した映像でお客様を舟に乗せ避難させている様子を見たように思います。キッチンで家事をしていたのでちゃんとは見ていないのですが、そしてちゃんと見てないくせに思ってしまったのです。古都であり観光地である京都の強い「おもてなし」の心を。

お客様をお守りする―なんかいつか此の京都の映像も含めて、ドラマで深く描かれそうです・・・って、不謹慎とかどなたさまかに叱られそう・・・

でもなんだか京都の人たちは、そのくらい強くてただじゃ立ち上がらないように思うのです。もちろん褒めているのです。

 

お~い、京都~!

また、いくねー。

 

京都のことばかりではなく、昨日は関東地方も暴雨風。

埼玉の熊谷では真夜中に竜巻が起きたのですね。日本全国恐ろしい一日でした。

我が家でもルートくんはお仕事。

午後から晴れましたが、午前中はまったく気持ちが落ち着きませんでした。

しかも仕事で行った先は八街で、テレビで暴風警報がでていました。

まあいろいろあって、無事に帰宅しましたが、そうはいかないのはわかっていますが、こういう日は本当にみんな家にいてもらいたいものです。

 

上の画像は、ちょっと出遅れて一番綺麗な時を逃したと思います。

だけど夕焼けほんとうに綺麗でしたね。

 

台風が去った青空も撮りました。

雲は多かったのですが、爽やかでした。

おやっ・・・あれは・・・

 

遠くに見えたのは筑波山ー。

 

最後にアップするのは、降り込んだ雨のためにベランダの床はグジャグジャで角度選ばずに撮ったから、ちょいイマイチのウォーターポピー(写真が)

水辺の花はみんな旦那の管理です。みんなが簡単に咲かすこの花を陽の光の関係で上手くいかないのだとか。今年はじめて咲いたのです。なんてことのないこの花に、こんな言葉をつけると、ちょっと違って見えませんか。

「嵐の中で咲きました。」

 


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時満ちて 有明の月 なに思う

2013-09-14 18:44:27 | 梢は歌う(日記)

確か去年の夏もいろいろあって気持ちのふわふわ感が半端無かったのですが、今年の夏も違う理由で幻のように毎日が過ぎていってしまいました。

そんなわけも実は手伝って、なかなか文章を打つと言う行為から逃げがちだった私です。書く気になってもせいぜいチャットやツイッター程度の短い文程度。しかし続けてきた「書く」という習慣も止めてしまってはそれまでです。

文を綴るというのは、ある意味訓練なのですよね。

かつて出来た、だからいつだって出来る。多くの人がいろいろなことでそう思っているかもしれませんがそれは違うのではと思います。いつでも出来るというのは、やっぱりそれなりの僅かな時間でもいいから修練を怠らないことが要なのかもしれません。

書きかけであった文章なのでタイムリーとは言えませんが、なんたって7年後が開催のことなので、少々ずれたって良いのですよね。

ってなわけで、「オリンピック東京開催決定おめでとう♡」と言う記事です。

 

☆        ☆        ☆

日曜日だったのでラッタ青年はお休み。夕食時に部屋から出た来た彼に

「あなたは今日一日何をしていたのだ。」と思わず問うと、

「そういうあなたはどうなんだ。」と言うので、

「それなりに充実していたぞ。」とうそぶいた。

いろいろとみんなと平等に今日という時間を過ごしたわけけれど、充実していたかは定かではない。ただ楽しく過ごしたということには間違いのないことである。

「ピグの収穫をして買い物に行ってお茶して(旦那と)、『遺恨あり』というドラマを見て泣いて、『八重の桜』を見て感動して、これから『半沢直樹」を見て楽しむ予定だ。」
「おい、テレビ前にいて時を過ごすのとパソコン前にいて時を過ごすのととどのように違うというのだ。」

テレビ前とパソコン前。
文字にすると双方ともロクでもないような気もするが、お互いに個人の満足度で言えば低くはないのだ・・・からお構いなぐというところか。 

 

ラッタ青年の質問には答えられそうもないので
「今日はね、オリンピックが東京開催に決まったぞ。」と言ってやった。

「あのですね・・・」と彼。

 

「そういえばさ、」と、またラッタ君が言う。

「あのゆりかもめ沿線のオリンピックのためにとってあったあの土地は、ようやく日の目を見るんですかね。」

そうなんだ、そうなんだ。

思い入れがあるので二回言ってみた。

 

                        ☆

かつて有明コロシアムで「相棒」のエキストラに行った時、その途中にあるだだっ広い空き地がすこぶる印象的だったのです。

そこには『オリンピック選手村予定地』という看板が立っていました。

なんとなくその頃は石原都知事が一人暴走してオリンピック招致を叫んでいた印象がありました。

でもその土地を見た時、私の中に違う感情が生まれました。何もないその広い土地から多くの人の想いが風にのって伝わってくるような気がしたのです。

それと共に、自分の中の遠い記憶が街の遠い明かりを見るように瞬いたのでした。

ずっと昔にあった「東京オリンピック」。

その時、本当にみんな、みんなテレビ前で笑っていたのですよ。目を輝かしていたのですよ。

私はまだ小さな子供だったのですが、それだけは覚えているのです。

石原のおじいさんが本当にしたいことは、その再現なんじゃないかなー。

私にはそんなふうに感じてしまったのです。

 

と書いて、思わず頭の上を通り過ぎて行く妄想的雑音がうるさいなと感じた私。

だから先に書いてしまうと、お立ち寄りになってくださった方の中にも

「あんたはなんにもわかっちゃいないな。」って舌打ちした方もいられるかも。

いやいや、ちょっとは分かってるつもりです。う~むと思ってる部分も、どうかしらと思ってる部分も、だらだらゆっくり此の文を書いていたために出てきてしまった部分も実はあるのです。

でもね、みんながみんな同じ視点で物事を見るような、そんな気持ちの悪い世の中になってはいけないのですよね。だから私は私の視点で書くのです。

 

もちろん、その時の招致は失敗で個人的には非常にがっかりもし次の機会を待たなければならなかったわけですが。

 

 

そして次のチャンスを待つ間に、日本ではあの震災を迎えてしまったのです。

ただでさえ経済的に落ち込んでいて内定切りから派遣切り、それなりに高度な教育を受けたものがちゃんと就職ができないという社会情勢でした。その時代をするりと交わして、間に合ったと就職を済ませていたものも、若くてもリストラに遭うという事が続きました。

震災の悲劇が大きかったので、その直前の日本の苦難など、まるで大したことがなかったかのような扱いになってしまったかもしれませんが、そうではありません。そのままその社会が定着してしまったという部分もあると思います。

「一家に一人自宅警備員。」

そんなブラックジョークを誰が言っていたのか。

そのジョークはそんな娘や息子を持った母達の物でした。って、あたしが言っていたのかな・・・

そして震災・・・・

 

私、はっきり思ってました。

オリンピックの選考委員の人たちに心があるならば、「日本」を選んでもいいのではないかと。

「いつ選ぶの、日本。」「今でしょ。」
そんなノリですよ。

だって私、あの時選手村として待機しているあの広い土地を見た時から、思ってしまったのですもの。

みんなで笑い、元気になりたいと。

だから朝ノロノロと起きてきて、と言っても6時くらいだったかな、オリンピックが日本と決まった事を知った時は嬉しかったです、とっても。 

とーっても。

 

 で、ツイッターを開きました。単純なお祝いツイートが並んでいるのかと思って、一緒に「わーい、わーい」と言いたくて。

が、そこに並んでいたのはネガティブネガティブネガティブツイート。

それは心の底からがっかりするものでした。ツイッターのタイムラインは自分で作っていくものです。だからそのとんでもないネガティブツイートの羅列はひとえに自分に責任があるのですが、この事は私にいろいろな考える機会を与えてくれたように思います。ただ私が思うには、物事はやはり多面体での視点で見なければならないということの確認であり、常に一方からものを見る傾向に在る方の情報は、自分にとってはあまり必要のないものかもしれないと思ったのでした。

 

その翌日、友人に用があって電話をしました。

彼女は
「私も昨年までは、今はそんなことをやっている場合じゃないって思っていたの。でも今は逆に経済効果のことを考えると絶対的に賛成で、本当に良かったと思う。」 言いました。

此の経済効果と言うのは、私のような甘っちょろい精神論的ものは二の次で、一番オカミも狙っていたものかもしれません。

 

ドラマの「あまちゃん」で海女さんたちが
「うにはじぇにー♪」と歌っていました。

ふっこうにじぇにー♪
と言われても、いっけん豊かに見えるけれど借金大国で貧乏な日本なのです。

そんな日本は今、なんでもやっていかなくちゃいけない時代だと思います。 

 

そして決まったのです。

決まったことの足を引っ張らずに、みんなで頑張りませんか。

 

「おもてなし」
いい言葉だと思いました。

家が汚いのに、お客様を呼んでおもてなしなど出来ません。

一国の首相が約束したのです。

やってもらいましょう、安倍さんに 。汚染の心配のない日本にしてもらいましょ。

 

1つずつ駒を進めるように、対話していくこと考えていくことも大切なことだと思います。

 

ちなみに私の7年後の目標ですが、「生きてオリンピックを見る」です。

えっ?!

私が一番ネガティブっぽいこと言ってるって。

いやいやいや。

あなたもですよ。生き抜く。それ、大事なことじゃないですか。

88歳のスーパー姑にも生きていて欲しい。80歳の私の母にも生きていて欲しい。

そしてみんなでオリンピックの話をしたいと思っています。

笑いながら・・・・・。

 

あっ、ちょっとだけ英語の勉強、始めました。

 

 

 


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歌の力 #あまちゃん

2013-09-07 18:30:32 | テレビ・ラジオ

姉が
「何かに書いてあったけれど『あまちゃん』が終わったら朝『あまちゃんロス症候群』が起きるだろうって。」 

ハアなるほどって、私、ちょっと思いました。

朝ドラ「カーネーション」の後は「梅ちゃん先生」で、主役の役者さんは好きだけれど、私はその内容に耐え切れず視聴をやめてしまったのでした。「あまちゃん」の後は辛い部分もあるかもしれないですね。

物語の前半は涙と無縁で「あはは」「くふふ」と笑ってばかりいた「あまちゃん」

「ゲゲゲの女房」から見始めた朝ドラは「カーネーション」までどちらかと言うと、じんわり、時には号泣して朝のスタートを切っていたのでした。涙で始まっても、その朝のスタートはかなり爽やかなものがありました。

泣くという行為は決して悪いことではないのですよね。しかも現実の出来事で泣かされるわけではないのですから、脳内をスッキリさせる作用があるというものです。

そんな習慣があったものですから、笑いで始まる朝は楽しいものでしたが、私的には少々物足りないものがあったかもしれません。

ところが後半、震災以後からというわけではなく、その前、大人たちが遠い青春時代に置いてきてしまった忘れ物を取り戻した様な展開になってきた辺りから、いつもの涙と共にという朝が戻ってきました。

しかもこのドラマは、最初に鬼は外とか言ってマメをばっとばら撒いたように、伏線のマメをばら撒いて、それをあの時この時と拾っていくものだから、「ああ、あれか」「なるほど、ここに結びつくんだ」とまるでパズルを入れていくようなワクワク感があるのでたまりません。 

このドラマに限っては「伏線を張る」という言葉は当てはまらないと思います。

と言っても、これとかあれとか具体的には書きませんが、見ているみなさんにはそれぞれ感心ポイントがいろいろあると思います。

 

私はその中でちょっと歌について書き留めておきたいと思います。

 

登場人物が歌って踊るわけではないのでミュージカルというわけではありませんが、このドラマは音楽が溢れていると思うのです。そしてその音楽が時には言い知れぬ感動を呼ぶと思いませんか。

 ピグと猫ブログである「ももちゃんも。」の中で数行書いたのですが、あんなに笑わせてくれた大吉の「ゴーストバスターズ」。彼はそこしか歌えませんが、暗いトンネルから何が待ってるかわからない光の方へ歩いている時に、彼が歌った「ゴーストバスターズ♪」。思わず涙がこぼれました。クドカン、ずるいッて思っちゃった。そしてこのシーン、頭の中でリピートするたびに涙が出るんです。

大吉関係で言うと、鉄道を走らせた時の曲が「999」。列車に手を振る人々の姿に涙した人も多かったのではないでしょうか。

タイトルがタイトルなので、多分こういう使われ方はするんじゃないかなと予想はしていたものの、予想以上に感動を誘う「地元に帰ろう」という曲。

最初に海女さんたちが海に行く時に、さり気なく歌っていた橋幸夫さんの「いつでも夢を」にはしっかり、そのエピソードが描かれ、すっかり夏ばっぱのテーマになっていましたよね。

だけどこの「いつでも夢を」という曲を選んだのも、実はちゃんと思い入れがあったからなんじゃないかなと、私、最近推理してしまいました。

確かにタイトルも応援メッセージになっていると思うのですが、先日この歌を大きな声で歌う機会がありました。その記事は→「果樹園のティータイム」で。

それの最後の歌詞は
「はかない涙を嬉しい涙に  あの娘はかえる  歌声で」

後半、特に震災以後、ドラマは音楽で包まれることが多くなったように思います。

ドラマの中でも直接生きるものに関係のないところで仕事をする女優である鈴鹿さんがなかなか復活できないシーンがありましたが、さり気なくこの歌はそういう人たちに対しての・・・つまり自分たちに制作サイドに対しての自負というかメッセージのようなものも込められていたのかもしれないと・・・まあ、深読みでしょうが、思ってしまったのでした。

 

夏バッパと橋幸夫のエピソードが、無くてもいいのに唐突に出てきたのも、単に面白かったからじゃなくて、その歌に意味を持たせたかったからなのかなと思いました。

 

と、最後にこの流れで言ったら、その「いつでも夢を」をリンクしそうなものですが、私なのでそうはならないのです。

 

私は知らない曲だったので耳に残らなかったのですが、バックに流れたこの曲、「星めぐりの歌」は作詞作曲宮沢賢治でその地方の人は知らない人がいないくらい有名な曲なのだそうです。

子供番組の「日本語であそぼ」でよく流れる曲だそうで、姉が教えてくれたのです。

 

歌詞付きのもありましたが、映像が 綺麗だったのでこれにしました。

しみじみとした良い歌ですね。

 

 

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9月2日の思いがけない出来事

2013-09-04 18:38:42 | 梢は歌う(日記)

《竜巻の被害に遭われたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。》

   ※          ※         ※

2日の夜のニュースは、大部分が埼玉の越谷と千葉県野田市で起きた竜巻のことで占められていました。

越谷から野田に行くとしたら、そうそう近所というわけではありませんが、地図の上ではかなり間近の直線上にある感じですし、天空から見た単位で言ったら近所なのかもしれません。

そういう単位で見たら、私の住んでいる街と野田市は同じくご近所です。そして私は、先週の土曜日その野田市に行ってきたばかりだったのです。

 

月曜日は朝ドラ「あまちゃん」の中で、とうとう震災の日を迎えてしまいました。

それまで何気なく見ていたジオラマの使い方や、ただの笑いでしかなかった大吉の「ゴーストバスターズ」の歌の使い方。ことごとく驚かされました。どなたかの感想の中に、実際の映像を一切使わないで震災の恐怖を視聴者の想像力だけで見せたとあって凄く共鳴したのですが、加えて言わせていただくと想像力と言うより、みんなの中に刷り込まれた記憶を呼び戻して感じた恐怖だったと思いました。

 

ただ言えるのは、あの日その直前までなんでもない日常が、みんなの中にあったということだと思うのです。

 

そしてそんなドラマの感想などを言い合って、月曜日のその日は習い事に行った先でおしゃべりも盛り上がって帰ってきました。

余談ですが習い事ってなあにって思われた方は→「果樹園のティータイム」へお越しください。

 

その帰り道、出先と姑の家は直ぐ近くなので寄ろうかと思って自転車を走らせました。

その時、珍しくカメラを忘れたなと思って残念に思いました。なぜなら、真っ白な雲が真っ青な空との対比で凄く美しかったからです。今年の夏の中で一番美しい夏の雲だと思いました。

でも義母の家の前に来た時、私はそこを素通りしました。寄ってる場合ではないと気がついたからです。

上空からゴロゴロと音がして来たのです。

もっと視界が広がる公園の横に来ると、真っ白な雲の下をものすごい勢いで黒い雲が流れてきました。

 

なんか異常だな~。

なんか怖いな~。

 

急いで家に帰り着いてホッとすると、しばらくしたら雨が降る音がしたように思います。だけど私はいつもの夕立または激しい通り雨だと思って「やれやれセーフ」と思いのんびりしていたのでした。

そしてのんびりついでにツイッターで、朝の「あまちゃん」の感想などを追っていたりしていたのです。そこに流れてきた竜巻のツイート。そしてその場所を見て、本当にびっくりしたのです。

 

時々竜巻の時の対処法などをテレビでやっていると、想像力過多なので、窓の外を見るとまっすぐ向こうから竜巻が来ることを想像してしまうこともあったのです。そしたら嫌がる猫を有無を言わさずに抱いてトイレに駆けこむしかないなと思っていました。でもそんな想像をした後に必ず「ないな、それ」って思ってしまっていたのです。

 

子供の頃から長い間その被害について聞いたことがなくて、私は日本で竜巻って言うとすごい違和感を感じていたのですが、ここ数年では実際に大きな被害も出ていて、もはや日本では違和感などと言ってられないわけですよね。それでも、自分の家の近所では起きないなと感じていたように思います。まったく根拠もないことです。

 

その翌日、私はちょっと外出恐怖症に陥ってしまいました。だって空はまったく前日と同じ感じだったのです。買い物に行こうと思った時間にドアを開けると、空はまた黒い雲が走ってきたのです。

思わず買い物は中止。
こんなことばかりしてはいられませんので、今日はもう日常の生活に戻っていますが、今朝もちょっと大きめな地震があって怖かったです。

 

朝起きて「おはよう。」と言い、夜寝る前に「おやすみ。」を言う。その間の時間がなんでもない日常のまま終われば、それはそれだけで本当にありがたいことなのだとしみじみ思う今日此の頃なのでした。 

 

 

9月3日の空。だけど雲っていろいろなものに見えるよね。

 

 

 


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9月1日徒然なるままに

2013-09-02 01:29:00 | 梢は歌う(日記)

既に時計の針は日付変更線を通過してしまいましたので、昨日の出来事や思ったことをなんの脈絡もなく綴っていこうと思います。

 

昨日は物凄く暑かったですね。なのに9月というと、「真夏」とは言いがたいものがあるような気がします。だけどベランダで洗濯物を干しつつ、この真夏の時よりも強い日差しを浴びながら、旧暦と今のカレンダーが完全に季節がづれているのと同様に、今のカレンダーの季節感もまた合わなくなってきたなと考えていました。

遠い未来の人たちは、今の名残のカレンダーを見て、
「昔はすべての学校にクーラーなんてものが入っていなかったのに、一番暑い真夏に 学校が始まったんだね、不思議だな。」なんて思うでしょうか。

またはススキと月見、なんで夏に、そんな行事があったんだろうと思ったりもみるかもしれませんね。

 

いつしか日本は、あちらこちらでバナナ栽培が盛んになったり、花といえばハイビスカスになってしまったりするかもしれません。

この美しい四季の国は、いつまでつづくことが出来るのでしょうか。

 

ところで昨日は「防災の日」でもあったのですね。日曜日で学校も休みだったりすると、そちらの方から避難訓練のサイレンなどの物音がするわけでもなくて、すっかり忘れていました。

なんか私にとっての「防災の日」は、9月1日と言うより「3月11日」になってしまったように思います。

でも、やっぱり意識しなくてはならない日は忘れずにいきたいものです。

これのマトメとしては「防災グッズや備蓄品の確認をしなおしたいと思います。」などと書けばいいと思うのですが、私的に気がかりなのはいざという時の経済的なものの持ち出しをどうしたらいいのかというのも課題です。普段は通帳と印鑑は別々に保管が良いわけですが、さあ5分で家を出て避難所に向かうのだなどという場合、今のままでは太刀打ちが出来ないように思うのです。

もちろん命あってのその先の心配なのです。しかも上の文を読んで「なんだろう。意味がわからない。」と思われる方は、心配のない方なのです。だけど私の言ってる意味が分かる人・・・いるでしょう・・・エヘヘ

私も通帳ナンバー控えとか時々作るけれど・・・今出して、そのノートと言われたら、ちょっと「ムムム」です。

遣ることはあれやこれやと山のようにあるのでうんざりします。

 

3月11日ー

「あまちゃん」、とうとうその日が来てしまいましたね。

なんでもない日常が、その数分前まであったー。

凄く気持ちがざわめきながら土曜日の「あまちゃん」を見ました。クドカンはその日、そしてその後をどういう風に描くのか気になる一週間が始まりましたね。

 

「あまちゃん」の話をしたので、少々のドラマのお話。

「八重の桜」、前夫尚之助のしの知らせに思わず涙が出てしまいました。

「会津合戦記」なるものは本当にあって、作者不詳なのです。ライターさんは本当にエライ。上手く使っていますよね。我が家では夫殿が
「きっとこの人が本当に書いたに違いない。気になるのは この前を誰が書いたかだよね。八重さんが書くんじゃないかな。」などと妄想する始末。

違うあのライターさんだったら、それをやってしまいそうだけれど、今のこの方は、それはやらないと思います。

 

とここで時計を見たら、あっという間に時間は過ぎて深夜になってしまいました。

なので今日はこの辺で。

後一言だけ・・

「半沢直樹」見ています・・・じゃなくて

「Woman」泣けます・・・じゃなくて

やっぱり計画を立てることは大切なことだと思います。しかも漠然としたものではなく大まかなものからちょっと詳しいものまでのツリー的な計画表は、やっぱり作るべきだなと思ったのが、この夏最大の反省だったかな。

 

という訳で、おやすみなさい。

そして、おはよう&こんにちは。

今日も良い日でありますように。

 


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