毎回感想を書いているわけではないので、全体の感想ですが、やっぱり最終回の感想は省くことが出来ません。
二人の少女がトンネルを抜けて光りに包まれるようなラストシーンは良かったですねぇ。
暗いトンネルの向こうはいつだって眩しいくらいに明るい。
あの時、大吉もその光に向かって歩いていたんですよね。
「ゴーストバスターズ♪」と口ずさみながら。
その闇を抜けて光のなかで見たものは・・・
そう、あの凄まじい震災の光景だったのです。
このラストのユイとアキがトンネルを抜けていくシーンは、私にはあの時のシーンの対比に思えたのでした。
少女たちがこの光の先に見るものは、これからやってくる未来。
その未来は、私達視聴者もまだ見ていない未来なのです。
駅のホームの端に「この先、25年開通予定」の立て札が立っていました。さりげない演出がすごく素敵なドラマでした。
その前のシーンで、お座敷列車の中から何人かの人たちが(ミズタクとか)静かに窓の外に目を向けます。
そこには何があるのか・・・
そこに広がっていたのは、みんなの生活を支えている海でした。
光が反射する美しい故郷の海。
何の説明もなく、みんなは穏やかな顔をしてその海を眺めます。
そして背後に「潮騒のメモリー」が流れます。潮騒のメモリーズが春子さんが鈴鹿さんが歌ったりで、もう感動ひとしおです。
この三組で一緒に歌うと言うのはちょっと予想していたのですが、ひとつの舞台の上でというイメージでした。でもそれぞれのシーンの歌がかぶさりましたが、それがまた胸を打つ結果になりました。
みんなの人生はクロスするけれど、だけど皆それぞれの人生を一生懸命に生きているのですよね。そのそれぞれの舞台のそれぞれの、だけど同じ歌。
「来てよ、その火を飛び越えて~♪」
先日車のラジオから、当たり前のようにこの歌が流れてきました。
「なんか可笑しいよね。」と私。
「どう考えたって、普通に流れてくる曲とは思えない。だってさ、なんたって『三途の川のマーメイド』だよ。」
と言っていたら、そこもクドカンの計算のうちだったなんて。
鈴鹿ひろみが歌った時、「三代前から」変えられる歌詞。もう、細部にわたってやられっぱなしです。
で、そのラジオを聞いていた時にふと思ったんです。
「来てよ、その日を飛び越えて」ってこれ、掛詞じゃないのかなって。
でもそう思っていた人は、他にも多数いたみたいで、先日、これもふとシナリオを起こしてる人の記事がたまたまツイッターで流れてきたので、行ってみたんです。そしたら、そこでは歌詞の部分が「その日」になっていたんです。打ち間違えと言うより、それ、その方がわざとそう打ったんじゃないかと思いました。
と思っていたら、HPの演出の方のインタビューにもそのことが書いてありましたね。それを読むと、私が上記に書いて感動したシーンに対しての思い入れもしっかりと書いてありました。→ここ
演出の井上さんがエキストラのみなさんもしっかりと撮ろうと思ったというのは大正解でした。なぜなら最終回の感動ポイントの一つになりました。笑顔できた鉄に手を振る人達を見ていたら、涙がジワーっとこぼれました。
トンネルを抜けた少女たちのように、登場人物にそれぞれの終わり方があって光りに包まれた最終週でした。ラストのエンディングに一人ではなくユイと二人で飛び込むシーンも素敵でした。
そして楽しい半年間の朝でした。
ありがとう「あまちゃん」
おしまい。
・・・・・、いやいやいや、ちゃうって。感想はまだつづくのです。
多くの人にとって(この『多くの人』というのにもいろいろごちゃごちゃ思うこともあるのですが、ドラマの感想なのでここはひとくくりですみません。)、生きてきた中で二年前の震災は一番かもしくはそれに匹敵する大きな大きな出来事だったと思います。
このドラマも震災とその後のインパクトがかなり大きくて、その前にあったドラマも前章、もしくは前書き、またはそこに至るまでの説明で最終的には震災復興ドラマで、「みんな、元気でたか~!?」で終わったような錯覚が自分の中にもあることを否めません。
だけど、このドラマはそこがメインじゃなかったように思うのです。
誰にでもある過去の失敗や過ち。
なんとなく気持ちはそこから抜け出せないまま時間だけが過ぎてしまってきた生きてきた道。
誰もが一度ぐらいは思ったことがあると思うのです。
ああ、あの時代のあの時に戻ってやり直したいとー。
東京では居場所が見つからず、地味でパッとしなかった少女が母の田舎に行き、そこで居場所を見つけさらにアイドルに憧れて、それに向かって頑張ってみんなを元気にしていくドラマ・・・と言うよりは、私にはやっぱり春子と鈴鹿ひろみの物語に心が傾いてしまっていたと思います。これは多分年代的なものなのかもしれません。
何度もアキが間違えた「影武者」と「落ち武者」。言葉がヒント的キーワードになっていて、そこがたまらない魅力だったこのドラマ。
だけど、このアキの間違いは単なる言葉の間違いで笑いを誘うだけのものではなかったと思ってしまいました。
なぜなら春子は途中までまさに「落ち武者」そのものだったように思うのです。アキはあながち間違えてはなかったんじゃないかと。
過去を引きずって引きずってズルズルしてた。だからすべてを知っている夫との結婚生活も上手くいかなかった・・・と思う。
子供番組の中の天野アキだけが出来る「逆回転で元に戻す」という能力。
これもキーワード。
だけれど本当は逆回転なんかしないし、元には戻らない。
前に前にと進み、「次」へと駒を進めるだけなのだと思います。
次へと進んだ大人たち、皆見事で素晴らしかったです。春子が気持ちを乗り越えて前に進んでも、若春子の幻影は消えず、鈴鹿さんが自分の声で歌った時に消えたなんてグッグと来る展開でしたね。
そしてそんな大人たちの真ん中で「変わらない」少女がキラキラしてました。
それからあまりにも波瀾万丈な人生を歩んでしまった少女が、光に対比して陰をつくって、これもまた良かったです。
という訳で、半年楽しかったです。
おしまい・・・・じゃなかった、後1つだけ気になっていることが。
このドラマ、光の人も影の人も、みんなめでたしめでたしになったわけだけれど、もう一人完全に影武者な人がいますよね。
それは若い時の鈴鹿ひろみさん。
あの子だけが顔も出ないし、顔が出ないのはいろいろな意味があると、それもまたいろいろ思うところなんだけれど、だけどどうもクレジットにも名前が出ていないらしいのです。ということは薬師丸さんがやってるってことでしょうか。
それにしたって役名と名前を出してもいいと思うのですね。
本当の影武者は彼女だったんだということなのでしょうか。
これ、もしも顔を出さない人だから、しかもセリフがないしエキストラに準じた人を使ったらですね、とっても悲劇チックな別のドラマが生まれてしまいますよね。
少女1「『あまちゃん』、見てた?面白かったよね。」
少女2「っていうか、私、それに出てたんだ。」
少女1「それ凄いじゃん。北鉄に手を降る人、やってきたの?それとも上野を歩く人でも?」
少女2「ううん。・・・・鈴鹿ひろみ・・・」
少女1「はぁ? 何言ってるの!」
ってな展開になりかねない。人気の高かったドラマゆえに悲劇になってしまいますよね。
という訳で、あの若い時の鈴鹿さんは薬師丸さんということにしておきましょうか・・・・
でもやっぱり
な~んか違うだけど。