先日、友人宅を訪れた時、そのお友達がピアノを弾いてくれました。
ピアノの調べは美しく、心が洗い流されるような気がして大好きです。彼女が弾いてくれた曲は、「それでも、生きていく」と「平清盛」の中の挿入曲・・・そして「スカボロフェア」でした。
この「スカボロ・フェア」は私がリクエストしたものです。
なんというか、思いがけない至福の時間を得ることが出来ました。
気分よく家路に帰る時、思わず鼻歌などを歌ってしまいました。
昨日今日あたりは、結構涼しいと思うのですが、その前はかなりの夏日。燦々と降り注ぐ陽の光の下で、それでも自転車を走らせて起こしていく風は爽やかです。
「あーゆーごーいんぐ、すかぼろふぇあ♪
ぱせり、せーじ、ろーずまりー、あんどたいむ」
と、その時、私の心がキリリと鳴ったのです。
遠い昔、緑子が言いました。
「ねえ、それはドラッグの隠語なんだって。」
気の早い人は、早くも心の中で、「そんなの聞いたこと無いわ。」と思われた方もいるかも知れませんね。
でも少々、お待ちください。
そして、私の思い出話などにお付き合いしてくださればと思います。
言葉にはそれを言わせた背景が必ずあって、それを知ることが大切なのですね。この「背景を知る」ということは、このブログ内でも何度か取り上げたテーマですが、その中でもわかりやすく書いてあるので、一応リンクしておきます。
→「ディドリームビリーバー/母の日に」
緑子というのは、私のブログの中の登場人物の一人ですが、あまりにも久しぶりの登場なので、補足させて頂きますと中学時代のかけがえのない友人です。〈時々登場している彼女ですが、「緑子への手紙」などを読んで下さると彼女のことは分かると思います。〉
いろいろ書くと、年齢がバレバレになるようなことばかりですが、今更という感じでもありますし、それよりも今は書いて行きたいと言う気持ちのほうが優っているので、そのいろいろの部分も含めて書いていこうと思います。
中学一年の時に「卒業」という映画を近所の二番館で観て、サイモンとガーファンクルを知りました。「卒業」のレコードも買いました。
ちょっとびっくり。CDでサウンドトラックが蘇っているんですね。映画も名作だと思いますが、この映画は音楽があって成功をなし得たものといっても過言ではなかったと思います。その中でも歌われていた「スカボロ・フェア」。
そしてある日、その歌のことを話していたら、緑子がそう最初に書いたことを言ったのです。
「へえ、そうなの。」と私は言いました。そう言われれば何も反論などありません。
ハーブについてなど詳しくなかった中学生時代のことです。パセリぐらいは知っていましたが、セージもタイムも知らない昔です。隠語ではなく、そのままドラッグの名前と思ってしまったかも知れません。
ある日、何となくテレビをつけたら、来日していたオズモンド・ブラザースがテレビに出演し歌を歌っていました。
きっと緑子も見ているに違いないと、ぼんやり見ていました。すると彼らが、その美しい歌声でこの「スカボロフェア」を歌ったのでした。
その時、私の心がキリリと鳴ったのです。
そうです。
昔も今と同じ様に。
テレビの画面の下に訳詞が載りました。こういう歌だったのかとしみじみ思うのと同時に、胸に迫ってきたものがありました。
それは胸いっぱいの祈りの想いでした。
針も縫い目もないシャツを作っておくれ
波と浜辺の間に1エーカーの土地を見つけておくれ
そうすれば、私はかつて心から愛した人の所に帰れるのです。
静かな風が緑を揺らし、愛する人をそっと抱きしめて、傍らには幼子が眠る、そんな生活に帰れるのです。
過ぎてしまった過去は戻ることの出来ない遠い港。
かつてはそんな意味で生まれたかもしれないこの歌は、時代によっては違う意味を持って歌われたかも知れません。
私達が中学生の頃、「戦争」というのは、ちょっと昔にあった戦争のことを指すばかりではなく、その時現実に世界で起きていたベトナム戦争を思うことも多かったのです。
中学生だった私の周りでは、あまり意識されなかった時代の背景ですが、ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっている人たちには大きな影響力がありました。今の視点でと書きましたが、大人になってみると5歳から15歳ぐらいの歳の差なんかは、大した違いじゃないんですよね。だけど子供の頃は5歳違くても、それは大きな違いのように感じたものです。
日本は大戦に負けて敗戦国となりましたが、「戦後」という時代が始まりました。皮肉にも戦勝国アメリカは戦いの歴史を重ねていくことになり、自国の若者たちを戦場に送り続けなければならなかったのです。戦後という時代に生まれてきた私達。戦争は歴史で学ぶべき、または人の口を通じて学ぶべき過去の出来事になりました。だけれど大人になって知り合った異国の友人たちは、「明日、戦争に行くよ。」と言って去って行ったのです。
もちろん子供だった私の周りでは、そのような経験はありませんでしたが、それを私たちはちょっとだけ先に大人になった人たちの文章によって、そういう事を知っていたのでした。緑子の言葉だって、彼女が自分で考えるわけではなく、何かを読んで知っていた言葉だったと思います。だから、私には何の反論もないのです。
本来ならば、忍耐や愛、勇気を表していると言われているハーブたちですが、その時代には、そっと違う解釈が一部では存在していたのだと思います。
その解釈を知っていたからこそ、テレビの前でオズモンド・ブラザーズの歌を聴いた時に、胸が締め付けられたのでした。
ベトナムの地で、若者はドラッグの力を借りて、死の恐怖を薄めようとしていた・・・
もちろんこれも、私が勝手に作ったことではなくて、昔見た何かのドキュメントによるものです。
朦朧としている頭で、彼らが夢見たものは・・・・・
・・・・・
もちろん、今という時代には、その解釈はそぐわないと思います。
だけど
「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」
忍耐と愛の想い、そして勇気を持って「針を使わずにシャツを作り上げるような困難」に立ち向かってください、というような祈りの想いが、確かにそこには存在しているのではないかと思うのです。
スカボロフェア(ケルティック・ウーマン)