デスノート the Last name - goo 映画
早く観たくてたまらなかった「デスノート」11月15日、レイトショウの時間帯に観に行った。いつもは家で、うつらうつらしてしまう時間帯なので、眠くなってしまったらどうしようと思っていた。
眠くなるなんてとんでもなかった。ストーリーが終盤に向かうほど、私は微動だにもしないで、じっと画面を食い入るように観るようになっていた。
終了した時、私は涙ぼろぼろで泣いていた。一緒に行った友人が、
「何で、泣いているの。」と驚いて言った。
「泣くよ、泣かないの? これ観てさぁ。」
「いやあ、もの凄く面白かったけれど、どこで泣くんだ、これ?」
「どこでって、どこでかなぁ、最後かなぁ。やっぱり。」
「家族のシーン?」
「う~ン、ちょっと違うな。やっぱり最後だけど、もう少し前。それはね、、、、」
私は死神は悪魔ではないと思う。現に、レムは心優しい死神だったわけだし。
― ただ、リューク、あなたは悪魔だと思う。
〈おもいきりネタバレしてます。〉
月とLの頭脳戦は、期待以上の面白さで、前述のとおり胸の所で組んだその手を動かす余裕もなく、画面を見つめていた。
月は、前編以上に「悪」になっていた。
一度ノートを手放した月がいい人であったことを考えると、デスノート自体に心の闇を引き出してしまう魔の力があるのだろうか。そういえば、キャスターの高田清美も狂っていってしまった。
正義のためと言いながら、、結局は自分のエゴに走ってしまうのは、人間の弱さなのかも知れない。所詮は、人間には保ち続ける事は出来ない「デスノート」なのかも知れない。
又は、そうであることを充分に知っていて、その変化を楽しむための、退屈な死神の罠なのだろうか。
Lの甘いものを食べ続けるのもバージョンアップしているような・・・。
洋菓子から和菓子系になり、だからといってヘルシーになったとはいえない食べっぷりで、最後は見ているだけでも、気持ち悪くなってきてしまった。
水あめタラーリ。。。 き、きつい。むかむかする。
その時私は、たとえ歯を抜くと言う事をしなくても、松山ケンイチの役者魂を感じてしまったのだった。
弥海砂は、可愛らしかった。その拘束シーンは妖しい感じがした。それとも少し危ない感じ?高田清美の足は不必要に露出しすぎだが、その不必要が必要と思われるほど美しかった。羨ましい~。
月は海砂を愛していない。たぶんこのまま月の思うように行ったら、月の手駒として利用され、そのうちに殺されてしまうかも知れない。それでも月を、その救いのない悪の部分まで含めて愛そうとする海砂の健気な「愛」は、ダークな側に付きながら、光を感じさせるものがあった。
それでも彼女の愛は悲しすぎる。人はたかだか百年経ったら消えていく。最大寿命を百年持っていても、その半分をまだ会ったことのないキラに捧げ、必要とあらばまたその半分を月に捧げてしまう。
全てが終わったかのように思えた後も、彼女の最大寿命は、25歳・・・・。そしてやがてその時がきたならば、月と同じ死が訪れる。。。。
海砂―やっぱり悲しすぎるよ。
でも、この弥海砂が、もう少し頭が良かったら、月は勝てたのにねと思ってしまったのも事実だ。「竜崎」と紹介されて違う名前だったら、そこで何か思うはず。そして、その名前だけは忘れないようにするとかしないのだろうか、ふつう。
大学でLと海砂が会った時、月は勝利を確信したと思うし、見ている側もどうなるんだろうと思った瞬間だったと思うが、その学校の撮影は法政大学でやったみたいだ。友人の子供の行っている学校だ。何か話題になっていただろうか。
まだ、大学三年生だった月。そして、L。また、海砂。これは子供たちの物語だ。
私の視点は夜神総一郎の位置にある、きっと。だから、日々が過ぎても、思い出すと涙が出てくるのだ。
ところで、ブログ記事はあんまり長いと読まれないそうだが、そう思うと、あと三行位でまとめても良いのかも知れないが、それでは、私のブログとは言えないので、もし宜しければ、もう少しお付き合いください。
先日放置してあったプログラムを読んでみた。(今時のPって、なんで時代の流れに逆らって、ありの行列のような細かい字で載っているんだろう。近ごろ乱視が入ってきて、結構きつい。)
それで、驚いたのだが、金子監督のインタビュー記事だ。
「原作には大人の視点がなかった。それを僕は総一郎に託した。」
すると私は、まんまと監督の思う壺って言うわけで、監督が入れた切込み口の視点から泣かされてしまったと言うわけだ。
確かに、息子の誕生日にケーキを焼く母ののシーンは泣かされる。雪のなかを歩く父の娘のシーンも胸を打つ。月がどんなに「悪」の化身に変わっても、残された家族の悲しみは癒えない。
そしてその姿は、お馬鹿な議員に「正しき殺人」などと言わしめ、死んで当然と言われながら死んでいったあまたの犯罪者の背後にある風景なのだと思う。
―だけどリューク、あなたは悪魔だ。最後に月の頼みを聞かなかったからではない。夜神総一郎、彼が何か悪い事をしたというのだろうか。
キラを倒すために、自分の命をかけたL。自分の命を捧げた海砂。だけど、その中で、死神の目の契約をしようともしなかった月こそ、自分の命を愛していたとも言える。その月の最後の断末魔の時取って付けた様に、その「死」は「無」の死であると告げるリューク。これほど残酷な宣言が有るだろうか。
もちろん、私が本当の「死」の秘密を知るわけはナイのだけど、このストーリーの中では「無」である「死」とそうでない「死」があるらしい。
ただ、消え去ってしまったものは嘆く事も悔いる事も出来ない。だが、そこにはその「死」を受け入れなければならない、父の姿があったのに。
―ドアの前で風が吹いて、枯葉がかさかさ鳴れば、母はきっと息子の魂が帰ってきたと思い込んで、意味もなくドアを開けてみたくなるだろう。でももう、この父がそんなことをする事はない。風が吹いただけだとわかっているから。―