森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「相棒」―8話赤いリボンと刑事

2006-11-30 08:04:56 | ドラマ(相棒)

 ねえ、今回の「相棒」、ほーんとうに、面白かったですね。
詳しいあらすじはコチラ

   

 やっぱり「相棒」は「時効廃止キャンペーン」を張っているんだと思ってしまいましたよ。15年前の女子大生殺しの時効がほぼ1ヶ月に迫っていたある朝、ラジオの番組にその時の犯人でしか知りえないことを語るリクエストが流れます。

偶然それを聴いていた右京と薫。これまた偶然に病院でそれを聴いていた、その時からその事件を追い続けてきた高岡刑事。またまた偶然にそれを聴いていた真犯人の関係者。

クラシック番組って、しかもラジオだし、かなりマイナーだと思いますが、その格調高い番組をみんなで聴いていたって言う事は、右京さん曰く
「イライラする時は、美しい音楽を。。」じゃないけれど、
やっぱり浮世はイラつく事も多かりき、なんだなぁ。
私も朝はクラシック音楽スタートでいきましょう。  

ドーデもいいことはさておいて、「相棒」というのは右京さんの冷静な推理力と、薫ちゃんの熱くて優しいハートがたまらなく良いのだけど、その薫の影響なんでしょうか。
怖い顔の「特命係でない、伊丹~」をはじめトリオ・ザ・捜一の優しさも全開のお話でしたね。

15年追い続けていた犯人が14年前に死んでいたことを知った娘のちひろが
「父は、15年何を。。。」と言葉に詰まると、
三浦が間髪入れずに
「ずっと、プロの仕事をしてきたんですよ。」とナイスなフォロー。

   

優しさから生まれた言葉は、たとえ一言でも感動しますね。三浦の言葉にも。そして、薫たちの嘘にも。

「犯人は確保しました。」という嘘。ずっと疎遠になっていた娘とも和解して、
臨終を迎えた高岡刑事の最後の言葉は
「今日は、人生で一番いい日だった。」 でした。

病院でのシーンは、かなりジーンときました。
ギュッと詰まった感じがした、今回のお話でした。

 

―レギュラーの鑑識の米沢さんや、「ひまか~」の角田さんのさりげないセリフも面白い。でも、彼らのセリフって忘れちゃうとHPにも載らないから、メモしちゃおうかしら。
「お役に立ちまくりで嬉しいです。」って言ったんだっけ。
あれ~、違うかな。。。やっぱり忘れた。。。。
こっちは覚えている。
「留守はまかせて~」

えっ、なんでこんなセリフが面白いのって?

だからさ、見てみぃーって。水曜9時は「相棒」だって言ったでしょ。

 

 

 

 

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トゥモロー・ワールド

2006-11-28 11:04:03 | 映画

トゥモロー・ワールド - goo 映画

 2009年、未知のウィルスによって異常な出生率の低下の末、人類はついに生殖能力を失った。それから18年経った2027年の近未来の話。

子供の生まれなくなった絶望の世界と言うと、なぜかショーンコネリーの何かの映画で、やたら白い服を着て生き残った人で仲良しごっこをしながら、虚構の生活をする未来映画や、近未来の映画というと、これもまた生き残った人たちでが廃物利用をしながら、小汚い格好でサバイバル生活をしていくと言う、ケビンコスナーの映画なんかのイメージが強い。

それらの映画に比べたら、雲泥の差で面白かったと言えるのかもしれない。

 イギリス以外の国が崩壊しても、難民移民を受け入れずにかろうじて都市生活を維持している描写は、逆に真実っぽい。

―イギリス以外の国は、きっとケビンの映画のような生活をしているに違いない。

 私はこの映画の主役のセオ役のクライヴ・オーウェンが「キング・アーサー」の時から、どうしても俳優の宇梶剛士と重なってしまって、今回も全編宇梶剛士が頑張っていたような錯覚がしてしまう。

   クライヴと       宇梶、 

やっぱり似ているように思うのは私だけかしら。

 

最初は近未来の状況説明のためか、テンポものろくてストーリーの展開が見えてこない。が、後半へ進めば進むほど、テンポも展開も加速していく。特にラスト15分は、この映画の全てだといってもいいと思う。

 そして、ラストシーンには静かな感動が存在する。

 

この映画は全体的に「なぜ」又は「どうして」の部分が著しく欠如しているか、分かりづらい。冒頭に書いた、「未知のウィルスによって・・・」と言うのもプログラムのストーリーを読んだから分かっただけで、私には映画のなかの会話では理解できなかった。少女キー(Kee)の身の上に起きた事も、「なぜ」と言う事はまったく述べられていない。

それは、このストーリーの世界では必要はないということかもしれない。でも、考えてみれば、現実の世界でも言える事なのかもしれない。なぜ、こんな世界になってしまったのか。今の時代の「どうして」を語れる人はあまりいないとも思うから。

ただ、不思議に感じたのは、明日の命を絶たれた世界では、今ある命を大切にしようとは思わないのだろうかということだ。あまりにも命の軽い世界だった。

崩壊した世界でなくても、マイケル・ケイン演じるジャスパーのロハスな生活には心惹かれるものがあった。

 

人々が自分の命を投げ出しても守りたいもの
それは、「明日への希望」かもしれない。世界はパンドラの箱だ。少女のお腹の中から声がする。
―私をここから出して。私の名前は「希望」・・・

 

 

 

 

 

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第47回「種崎浜の悲劇」-功名が辻

2006-11-27 09:39:34 | ドラマ (大河)

 とうとうこの日が来てしまいました。

   さらばさらば六平太、そして新一郎。全てはこれに尽きてしまった今回のお話でした。。。。

いやいや、そうではありません。中央の大きな歴史の流れが気にかかる頃(家康と淀のあれやこれや)、遠く離れた土佐の国、次の歴史を作るため一領具足を排除して、土佐平定に男達は頑張っていたんだよ、と言うお話でした。

 一領具足の一掃を誓ってしまう一豊でしたが、六平太がその案を出します。相撲大会を開き一領具足の頭を一網打尽にしてしまおうと言う考えです。

 このシーンは、いくらでも見せ方がある場面であり、見る者は、その見せられ方によっていろいろ感じ方が違ってしまう場面だと感じてしまいました。

 う~ん。。。
私は、このシーンのことを書こうとすると、キーを叩く手が止まってしまいます。昨日の夜も、今日の朝も。

 それで、我が家の「ちょっと垣間見ラッタ」の言葉を使ってしまいます。

「おお、ナイスな考え。ところで、なんで一豊は悩んでいるんだ。」
「騙まし討ちだから。。。」
「なんだぁ、そりゃ。だって、いくさだろ。あの手この手の策を駆使して生き残っていこうとする戦国時代だろ。」 
「今までのイメージとかけ離れているからね。」
「それで、六平太が泥をかぶるわけ。」
「卑怯な、、、、泥は自分でかぶれよ。」

 

ちょっと垣間見なら、ラッタの意見は最もだと思います。またもし、一領具足の乱に苦戦し兵を出すたびに死者が出ているシーンが映っていれば、もっとラッタの言う事に頷いてしまうかも知れません。
 ただ、この「功名が辻」では、一領具足の生活が映し出されていました。種崎浜の悲劇を感じさせるためかも知れません。確かに「悲劇」だと思います。ただ、本当の悲劇はそこにあったのではないと思うのです。

「戦国」であった―それ自体が悲劇だった。。。。

あああああ、もうだめですね。やっぱり書ききれませんよ。じゃあ、消せばって言わないでくださいね。たったこれだけ書くのに2時間以上かかってしまったのですよ。要するに思考の重さに押しつぶされてしまったのですね。

これも、思い出かな。後、二回だし。

 

さて仕切りなおし。

六平太は一人大活躍で、土佐を救って逝きました。愚か者はは陰に生き陰に死んでいくと言っていた六平太、
「死ぬ時はお前の腕の中で死ぬと決めていた」と切ない最後でした。

ずっとずっと愛していた女性を守っていた六平太でしたが、最後のその刹那だけ報われる事を願っていたのでしょうね。かっこ良過ぎ~♪

「いいえ、徳川様はそういうお方でございます。」
「勇気あって、知恵なき者。」
六平太語録もびんびんにきましたね。

新一郎の死も悲しかったです。その父の
「良くやった、よくやった。。。」と言う言葉は、「なぜ死んだ、なぜ死んだ。。。」と言う言葉に還元されて聞こえてきてしまいました。

 

戦国時代。夫はあまたの戦場を泥にまみれて走りぬいてきた。戦場に累々と死体の山を築くのが夫の仕事だった。幾重に重なり合った死体を蹴散らして、やっとここまで命落とさず生きてきた。賢き妻は知っている。命落とさず夫がここまで来たから、ここに私はいるのだと。。。。と、思っていた。が、どうも違うみたい。

夫の崖っぷちの苦悩を無視して一番辛い時に「お暇を」って言っちゃうし、ひとり寂しげに佇んでいる六平太に「私を守るってこういうこと?」って責めちゃうし。なんでもはきはき言ってはいけないなぁと学んだ私でした。

六平太のシーン以外はなんとなく馴染めないで、ドーもすっきりしない。お陰で感想もぐちゃっぐちゃ。。。。 

 

 それでも、ちょっと思い出したので追記です。
 一領具足の人たちの結束力を思うと、たとえ長宗我部が徳川についていたとしても、その先徳川によってろくな目に遭わなかったのではないだろうかと、ふと考えてしまいました。
 また、一豊が「人は言の葉を持っている。」といった時、ピカーっと何かを期待した私。何だぁ、うわさかよって、数秒の命だった「期待」でした。

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京都の秋

2006-11-25 14:28:36 | お出掛け日記

 21,22日姉夫婦は二人して京都の秋を楽しんできた。24日の朝の電話はその土産話。羨ましいね、まったく。今年の私はどこにも行っていない。だって、いつも遊んでくれる友達のお母さんは、末期がんで何時どうなるかわからないのだもの。

 友達は言う。
「何かが溜まっていく。何かイライラする。私だってどこかで抜かなくちゃ。」
だけど、言えないセリフでしょ。―  全てが終わったら・・・  なんて。
「そういう年もあるよ。様子を見ながら、東京の秋でも楽しもうよ。」
そう私は言うしかない。

だけど私はひとりで、その友達と行った京都の秋なんかを思い出してみたりなんかして。

  2005年の秋― なんだけれど・・・・

 東京駅から出発の夜行日帰り京都の旅

 

  ↑ 高雄三尾と呼ばれるところの「神護寺」 瓦投げなんかが有名らしい。

  「西明寺」の鐘

 

 

 ↑ その「西明寺」近くの風景

 

 ↑ 国宝の「鳥獣人物戯画」で有名な高山寺の近くの風景

その後嵐山の方に移動して

 

 その風景と

 

 渡月橋

 それから、

 

 足利尊氏建立の天竜寺の庭

 

 

 ―ねえ、おねえちゃん。
 京都の秋はこの写真と変わらない秋でしたか。―

 

 変わっていくのは人ばかり・・・

 

 

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デスノート the Last name

2006-11-23 16:49:27 | 映画

デスノート the Last name - goo 映画

 

早く観たくてたまらなかった「デスノート」11月15日、レイトショウの時間帯に観に行った。いつもは家で、うつらうつらしてしまう時間帯なので、眠くなってしまったらどうしようと思っていた。

眠くなるなんてとんでもなかった。ストーリーが終盤に向かうほど、私は微動だにもしないで、じっと画面を食い入るように観るようになっていた。

終了した時、私は涙ぼろぼろで泣いていた。一緒に行った友人が、
「何で、泣いているの。」と驚いて言った。
「泣くよ、泣かないの?  これ観てさぁ。」
「いやあ、もの凄く面白かったけれど、どこで泣くんだ、これ?」
「どこでって、どこでかなぁ、最後かなぁ。やっぱり。」
「家族のシーン?」
「う~ン、ちょっと違うな。やっぱり最後だけど、もう少し前。それはね、、、、」

 

私は死神は悪魔ではないと思う。現に、レムは心優しい死神だったわけだし。
―  ただ、リューク、あなたは悪魔だと思う。

〈おもいきりネタバレしてます。〉

 月とLの頭脳戦は、期待以上の面白さで、前述のとおり胸の所で組んだその手を動かす余裕もなく、画面を見つめていた。

 月は、前編以上に「悪」になっていた。
一度ノートを手放した月がいい人であったことを考えると、デスノート自体に心の闇を引き出してしまう魔の力があるのだろうか。そういえば、キャスターの高田清美も狂っていってしまった。

  


 正義のためと言いながら、、結局は自分のエゴに走ってしまうのは、人間の弱さなのかも知れない。所詮は、人間には保ち続ける事は出来ない「デスノート」なのかも知れない。
 又は、そうであることを充分に知っていて、その変化を楽しむための、退屈な死神の罠なのだろうか。
  

 Lの甘いものを食べ続けるのもバージョンアップしているような・・・。
洋菓子から和菓子系になり、だからといってヘルシーになったとはいえない食べっぷりで、最後は見ているだけでも、気持ち悪くなってきてしまった。
水あめタラーリ。。。    き、きつい。むかむかする。
 その時私は、たとえ歯を抜くと言う事をしなくても、松山ケンイチの役者魂を感じてしまったのだった。

    弥海砂は、可愛らしかった。その拘束シーンは妖しい感じがした。それとも少し危ない感じ?高田清美の足は不必要に露出しすぎだが、その不必要が必要と思われるほど美しかった。羨ましい~。

 月は海砂を愛していない。たぶんこのまま月の思うように行ったら、月の手駒として利用され、そのうちに殺されてしまうかも知れない。それでも月を、その救いのない悪の部分まで含めて愛そうとする海砂の健気な「愛」は、ダークな側に付きながら、光を感じさせるものがあった。

 それでも彼女の愛は悲しすぎる。人はたかだか百年経ったら消えていく。最大寿命を百年持っていても、その半分をまだ会ったことのないキラに捧げ、必要とあらばまたその半分を月に捧げてしまう。
 全てが終わったかのように思えた後も、彼女の最大寿命は、25歳・・・・。そしてやがてその時がきたならば、月と同じ死が訪れる。。。。
海砂―やっぱり悲しすぎるよ。

 

 でも、この弥海砂が、もう少し頭が良かったら、月は勝てたのにねと思ってしまったのも事実だ。「竜崎」と紹介されて違う名前だったら、そこで何か思うはず。そして、その名前だけは忘れないようにするとかしないのだろうか、ふつう。

   大学でLと海砂が会った時、月は勝利を確信したと思うし、見ている側もどうなるんだろうと思った瞬間だったと思うが、その学校の撮影は法政大学でやったみたいだ。友人の子供の行っている学校だ。何か話題になっていただろうか。

  

まだ、大学三年生だった月。そして、L。また、海砂。これは子供たちの物語だ。
私の視点は夜神総一郎の位置にある、きっと。だから、日々が過ぎても、思い出すと涙が出てくるのだ。

 ところで、ブログ記事はあんまり長いと読まれないそうだが、そう思うと、あと三行位でまとめても良いのかも知れないが、それでは、私のブログとは言えないので、もし宜しければ、もう少しお付き合いください。

 先日放置してあったプログラムを読んでみた。(今時のPって、なんで時代の流れに逆らって、ありの行列のような細かい字で載っているんだろう。近ごろ乱視が入ってきて、結構きつい。)
 それで、驚いたのだが、金子監督のインタビュー記事だ。
「原作には大人の視点がなかった。それを僕は総一郎に託した。」

すると私は、まんまと監督の思う壺って言うわけで、監督が入れた切込み口の視点から泣かされてしまったと言うわけだ。

 確かに、息子の誕生日にケーキを焼く母ののシーンは泣かされる。雪のなかを歩く父の娘のシーンも胸を打つ。月がどんなに「悪」の化身に変わっても、残された家族の悲しみは癒えない。
 そしてその姿は、お馬鹿な議員に「正しき殺人」などと言わしめ、死んで当然と言われながら死んでいったあまたの犯罪者の背後にある風景なのだと思う。

 

 ―だけどリューク、あなたは悪魔だ。最後に月の頼みを聞かなかったからではない。夜神総一郎、彼が何か悪い事をしたというのだろうか。

 キラを倒すために、自分の命をかけたL。自分の命を捧げた海砂。だけど、その中で、死神の目の契約をしようともしなかった月こそ、自分の命を愛していたとも言える。その月の最後の断末魔の時取って付けた様に、その「死」は「無」の死であると告げるリューク。これほど残酷な宣言が有るだろうか。

もちろん、私が本当の「死」の秘密を知るわけはナイのだけど、このストーリーの中では「無」である「死」とそうでない「死」があるらしい。

 ただ、消え去ってしまったものは嘆く事も悔いる事も出来ない。だが、そこにはその「死」を受け入れなければならない、父の姿があったのに。

 

 ―ドアの前で風が吹いて、枯葉がかさかさ鳴れば、母はきっと息子の魂が帰ってきたと思い込んで、意味もなくドアを開けてみたくなるだろう。でももう、この父がそんなことをする事はない。風が吹いただけだとわかっているから。―

 

 

 



 

 

 

 

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やっと見つけた「宇宙大怪獣ドゴラ」

2006-11-22 23:32:54 | 映画だい好き☆☆

宇宙大怪獣 ドゴラ - goo 映画       (映画だい好き☆☆の記事です)

 懐かしい~!!

 昔々の大昔、私はまだつぶれていないランドセルを背負って、学校の横にある電信柱に括られているこのポスターを毎日眺めて、「行きたいなぁ、行きたいなぁ、」と念じていました。

 私の映画史を考えると、怪獣映画は外せない作品達です。朝から、カシャカシャとゴジラの事等を調べていたんですね。

その時ふと思いました。―もしかしたら、調べたら「アレ」判るかも。

判りましたよ、私の記憶の底に沈殿していた「怪獣映画の何か・・」。あの怪獣の名前は「ドゴラ」と言うのですね。パソコンは凄い!

 面白かったのですよ。ダイヤの窃盗団との絡みやSFの設定が。子供心にもワクワクしたのです。子供だったからではないですよ。その頃は、まだ怪獣映画は子供たちのものではなかったはずですから。

 炭素を含んだものを吸い上げていくシーン等なども見応え充分でしたが、確か、ひっそりとしたラブロマンスも盛り込まれていたように思います。ダイヤの窃盗団の女と捜査員の男だったかな~。

 あまりにも昔のことなので、正確ではありませんが、ドゴラの最後の時と時を同じに追い詰められた窃盗団でしたが、そのアジトに炭素化したドゴラの欠片が落ちてきて・・。私は切なくて、そっと涙をぬぐいました。

一緒に見に行った人が、すばやく涙を拭ったのにも拘らず
「あの人たちは悪い人たちだから、あの女の人も悪い人たちの一味だったんだから。」と慰めてくれたのでした。どうも、納得できない慰めだったように思います。

何かとんでもない思いがけない事が起きて、その後の人生が変わってしまう。この映画は、そんなことを思わせるような映画だったですね。

この感想って、今見直して書いているわけではないので、小学生の時の感想と言うわけですが、今見たら、どう感じるのでしょうか。

・・・、でもあまり見直したくはないですね。いいイメージはそのままにしておきたいような。。。

なぜなら、この映画は、親の都合に左右されずに自分で足しげく映画館に通いだしたきっかけになった映画だったのです。さすがに高校生ぐらいまでは一人では行きませんでしたが、友達や姉とだけ行き始めたのは早かったですよ。

 特撮のシーンで、映画というのはこんなに面白いものなんだと感動しましたね。

それから来た怪獣ブーム、全てではないですが結構見ましたね。それらの事をまとめて書こうとしましたが、やはりこの映画だけは別格だったなぁと思えた、ある意味映画にはまった原点の映画でしたので、別に書いてみました。

それなのに、題名を覚えてなかったのは、最初から覚えていなかったのです。雨にぬれたポスターはぼろぼろになってしまっていて、カタカナの怪獣名は、映画見た後の三日後に忘れてしまった大昔。。。今日判ってちょっと、嬉しかったですね。

 

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季節は過ぎて行き・・

2006-11-21 14:23:44 | 家族スナップ

  つい、先日までは私は家の中で半袖で居ました。それなのに、いつの間にか空気は澄み、季節は「冬」と言う名前に変わってしまいました。

 それとも、まだ紅葉を楽しまれていない方たちにとっては、季節は「秋」でしょうか。まだまだ、「秋」を感じるためにそれを探しているかも知れないですものね。

そういう意味で言ったら、私にとってもまだまだ、秋でいて欲しいかもしれません。何も探さず、何も見つけることも出来なくて、次の季節に移っていってしまいそうです。

 過ぎていってしまう「秋の気配」を探しに、町を歩いてみましょうか。

 

 そういえば、ルート君が4年生の頃、宿題で
「学校から家に帰るまでの間で、風景とか空とかを見たりして感じたことや気がついたことを書きなさい。」と言うものがありました。洒落た宿題ですよね。要するに、子供たちに小さな秋なんてものを探して欲しかったのだと思います。

「それで、ルート君。君は何を感じたの。」
「うん、僕はね、帰る道を歩きながら、ふと感じたんだ。」
「何を?」
「人はみんな、何のために生まれてきたんだろ、ってさ。」

 

 ルート君の10才の秋は、意外にも「哲学の秋」でありました。
その彼は、今年は受験生です。

 ラッタ君はタラりタラタラと就職活動なるものを始めました。

 そして母は・・・

 おっと、この書き方だと、我が家のもう一人の住人の影すらありませんね。

我が家のパパさんは、めっきり髪が薄くなってしまい、一番「人生の秋」なるものを感じてしまいます。う~ん、大切にしてあげましょう。

 

そして私は、とりあえず、高く澄んだ今日の空など見つめてみましょうか。

   

 「LETTERS  FOR YOU」と言うブログがあるのですが、美しい言葉と写真、そして優しい心が一杯の私のお気に入りです。そこの管理人のあつこさんが、私の詩を紹介してくださいました。このブログに書いた「ねぇ、君さ」と言う詩ですが、違う所で見ると、違ったものが見えてきますね。

こういうことは、私を「新しい季節の入り口」に立たせてくれる事なのかも知れませんね。

 

 

 

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功名が辻ー第46回「土佐二十万石」

2006-11-20 00:17:50 | ドラマ (大河)

  一豊と千代は土佐の国を貰いました。一領具足を成敗し土佐を平定し平和に暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。

そうはならなかった土佐二十万石の船出でしたね。

 ところでですね、私、今回の「功名が辻」のお話よりももっと気になることが在るのですよ。ホームページの46回のあらすじの所のみんなで船に乗って土佐に渡っていくところの写真ですが、あの船の上の白い大きな影は何ですか。

さっき自分のPCで拡大してみていたら、ゾーっとしちゃいました。急に怖くなって削除してしまったのですが、何かを勘違いしているんですよね、私。そこのシーンよく見ていた方、あの屋根の上はこうなっているのだと教えていただけないですか。(あの・・笑わないでね・・)

なんか、思い切り気になっています。

 

 そんなことが気になっていて、ほとんど記憶喪失に陥っている私ですが、その中で思い出せることは、康豊のメガホンでしょうか。吃驚しましたね。その他のシビアなお話がぶっ飛んでしまいましたよ。

 そのシビアな部分を頭をひねりながら思い出してみると、かなりひどい話で、いい人一豊さんには辛い事だったと推測してしまいます。長宗我部の重臣に一領具足を成敗させて、その後その者たちも追放するなんて、たぬきおやじのやり方に他なりませんよね。

 だけど国を得るということは、そう云う事なのかも知れません。これからが本領発揮しなければならないところですが、大丈夫なのか、一豊!と心配になってしまいます。

 そんな中で一人険しい顔の六平太は、家臣になって千代を守ろうと決意します。急に老いた感じがしてしまう六平太ですが、悲壮感が漂っていてなにやら不安な気持ちを掻き立てられます。

 妻に貰った美しい国―そんな事が言えるのは二人が心通わせて、頑張ってきた長い歴史があるからですよね。

だけど、千代が銃弾に倒れた時、うちの人が言いましたよ。
「大丈夫。まだ、ここでは死なないから。」
―あの~、あなた。分かっていますから。ここで死んだら、後3回主役無しになってしまいますから。しかも、元気に予告編に出ているし。

よっぽど、六平太の方が心配です。

 

 

 

 

 

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「相棒ーツキナシ」

2006-11-18 18:22:24 | ドラマ(相棒)

 水曜9時、私はその頃映画館にいたので、もちろんタイムリーに「相棒」を見ることが出来なかった。その頃世間では何が起きているのかも知らずに呑気でいたわけだが、翌朝、テレビを初めて前日の津波報道のことを知ったのだった。津波被害はなくて本当に良かった。

 そして、撮っておいた「相棒」のビデオを見た昨日。。。。なるほど、津波情報の緊迫感が伝わってくる映像になっていた。

 前にも同じような事があったような気がする。無事であった過去の出来事の情報なので、画面が美しくなくてもあまり気にならずにストーリーに入り込む事が出来た。ただ、推理ドラマなので、これをタイムリーで見ていた人にはちょっと辛かったのではと思う。なんてったって、気になる情報が画面の半分近くを占めているのだから、気が散るなというほうが無理と言うものだ。(経験あるし)

 まぁ、これはテレビの宿命であり、これも長い「相棒」の一こまとして受け入れればいいと思うのだが、今回はサブタイトル同様に、同時間にそれが起きた事は「ツキナシ」であったということかもしれない。

 ところで、そのサブタイトルの話だが・・・・

私は見終わって最初、この「ツキナシ」は、ついていない事と月がないことの掛詞かと思ったのだが、今回のゲストは、別についていない男ではない。では、ついていないと思わせて、実は月がなかったと言う風だったのだよと言う、ただそれだけのことなのかと思った。  。。。ちょっと物足りない。

タイトルのみならず、全体的に、何かこう最後のぱっぱと振り掛けるような香辛料が足りないような気がしたのだ。何か一味欲しい所と言う感じだ。

が、昨日私にしては珍しく「相棒」のホームページの掲示板なるところを覗いてみたのだ。そこで、興味深いコメントを見つけた。つまり、この「ツキナシ」は「ふさわしくない」と言う意味ではないかとあった。そうだ、私も思い出した。

つきづきし―ふさわしい。似つかわしい。
つきなし―ふさわしくない。似つかわしくない。(他に、手掛かりがないなどの意味もあり)

ちょっと古文のお勉強ですね。「相棒」見て、ついでに期末テストのお勉強。いいじゃないですか。

「ふさわしくない」と言うのは今回の内容にぴったりだと思う。だから、その「ふさわしくない」と言う意味と、「月がない」の掛詞。すごいですね。

だけど、ここまで視聴者に要求するのか―。恐るべし。それとも、瓢箪から駒?又は、作者はにんまり笑っていたりして・・・

いずれにしても、これで私には最後のスパイスもバッチリで、いつものおいしい「相棒」が出来上がりました。

今回は最初から、驚かされましたね。薫の携帯に伊丹からの事件の電話。しかも早く来いと言う。何時から、そんな仲になったのーと思ったら間違えたのね。いやいや、わざと間違えさせたのね。やりますね、薫ちゃんも。

そうそう、詳しいあらすじは「相棒5」のホームページでね。

右京さんが考え事をしている時って、外界シャットダウン型なのですね。何気なく、カタカタカタと人間コンピューターが作動している姿が素敵でしたね。

直木賞作家の北之口秀一の、
「どうせなら、ばれないアリバイ作ればいいのに・・」と自分勝手なこと言っていましたが、自分はすぐばれるようなうそばっかりつくくせにとか思ってしまいましたよ。

しかも、
「北之口記念館」なんて、薫の言葉をそのまま言ってしまい、墓穴掘っているようなものですよね。

アリバイ工作の写真のトリックは大した事なかったけれど、犯人は騙されてしまいましたよ。アリバイ工作をした沙織が熱心なファンだということも疑いませんでした。
。。。単なるエピソードかと思ったら。。。ああ、そうだったのかという感じで、奥さんなんかを疑っていた私はこけましたね。

やっておきながら、直木賞作家で人気作家の犯罪に盗撮や覗きはふさわしくなく、殺人の方が似つかわしいと狼狽する北之口。その方が作家として生きていく道があるという彼の言い分が通用するかは知りませんが、かっこ悪い男だと感じてしまいましたね。

ー犯罪はブランドではない。確かに。。
右京の戒めはいつもながらかっこいいですね。

 

 

初版本は熱心なファンの証なのか~。    う~ん。

 

 

 

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「功名が辻」三成死すとも

2006-11-17 09:11:47 | ドラマ (大河)

 今回も、内容の濃い「功名が辻」でしたね。
あそこもここも「ねえ、ねえ」と話したくなるところばかりでした。どこから、何を話していいかわからないくらいです。

 でも、やっぱり私は淀の宣戦布告のシーンが一番印象が深かったのです。永作博美さんの
「忠義貫ぬかれるべし」と言う迫力の言葉、カッコ良かったのですが、その時日本中のテレビの前で、
「あんた、違いますから~」と言われているような気がしました。あのように言われたら、家康も引き下がれないですよね。

 淀は三成の遺言の趣旨がわからなかったわけではないのです。ただ、一矢報いたかったのだと感じてしまいました。淀には淀の戦があったのですね。三成は「義」の人であったけれど、淀もまた主君の立場としての「義」はあったのではないでしょうか。三成の豊臣を思う心を痛いほど知っていた淀は、その首刎ねんとするものを、為政者として媚びへつらう事など出来なかったのだと思うのです。どんなにそこに豊臣存続の道があろうとも、それでは淀の「義」に反することになってしまいますものね。

 傍から見ると、何かもっと巧く生きることが出来なかったのかなぁと感じてしまう三成と淀ですが、自分が正しいと思った道に殉じて行く、その姿に共鳴する人は私だけではないと思います。

 今回は、三成最後の日にふさわしく、三成のシーンは皆良かったですね。
家康との対峙のシーン、小早川へのどう喝シーンも見応え充分でした。が、あの有名な柿のシーンは取って付けたようでしたね。そのエピソードを知っている人には無理やり入れたというのが見え見えで、知らない人には三成が変な人に見えてしまったのではないかと心配になりました。

 ただ、最後に三成を匿ってくれた村人達は、三成の信じた三成ワールドの住人だったのが救いでした。

 さらば、三成、美しき人。
そんな感じであったでしょうか。

 

おっと、千代と一豊の事がすっかり抜けてしまいましたが、泣く時も喜ぶ時も共にという二人は今回も良かったですよ。でも、二人のことは更なる活躍のまた次回に、ということで。

ただひとつ、妻たるものは、大酒飲んでその場を盛り立てるホステス能力も必要だー!     苦手だなぁ、私には。

 

 もう金曜日、全然タイムリーではなくなってしまった「功名が辻」の記事ですが、もう、11月、残りの回数を思うと、書かないと気持ちがなんとなく悪い。意地なのでしょうか、それともこだわり。。。自己満足。。。まぁ、これかな。

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