「ある日・・2」の続きです。
≪「小公女」を熱く語る≫
引き続き私とラッタさんとのアホな会話です。
ドラマで「小公女セイラ」の予告編が流れるたびに、だんながブツブツ。
「誰がこんなの、見るんだろう・・・ぶつぶつ」
煩いけれど、どうでも良い話題なので適当に相槌打っていればいいようなものなのですが、そうはいかないのが私流なのよね。
「だからさ、別にうちに見てくれって頼まれているわけではないのだから、文句言う必要はないんじゃない。需要と供給の関係で、そういうものを求めている家もあるわけで、そういう人たちが観て、うちは見ない。ただそれだけじゃん。」
でも、小声で言う。男と言うものは、こんな低レベルの会話でも『でも』と言われるとムカつくらしい。小声で言っているので、なんか不満です。
と折りしもその時、ラッタ君がコナンの話題にに引き続いて
「駄作と言えば、『小公女セイラ』って何で、そんな企画が通ったんだろう。」と言いいました。その時ちょうど番組のCMが流れたのです。子供と言うのは不思議なもの。男であって男ではない。母は女であって女にあらず。「でも」と言われてもムカつかれないので、大きな声で上記の事を言いました。
「しかも『小公女』の原作は、その辺のドラマよりよっぽど面白いのよ。その原作を知らないのは、母である私の責任だわね。」と言いますと
「じゃあ、5分でその話を語りたまえ。」
語れと言われたら語っちゃいますよ~、私。君は知らないと思うけれど、女の家で育った私は・・・女の家は関係ないか。叔父さんもお話が上手いし。とにかく昔は見た映画、読んだ本のあらすじを語るのがちょっと上手なお話お姉さんだったのよ。でも、結婚してから人の話を聞かないだんなや、落ち着かない子供達を追い回しているうちに、特技を一つ失ってしまったわと、言ってやりたい所ですが、そこを話すと長くなり、子供は逃げていくので我慢します。
ブログでドラマや映画ネタを書くとき、あらすじを書くのを面倒に感じるのは、そういう習慣を失ってしまったからだと思ったりもします。
だけど語ってしまいました。ラッタ君相手に「小公女」を。
「ふーん。確かに面白いな、それ。でもなぁ、世界名作劇場でやれよ、それってやっぱり思うな。」
「だからね、・・・・」って、話は振り出しに戻る。
「小公女」のお話はドラマ展開中なので、ネタバレになるから書きませんが(メンドッチィシ)、でも、私、気がついてしまいました。「小公女」と言う物語が、少女達の心を掴むのは、一つには逆境にも負けない真の公女たる心だとは思うのですが、もう一つは、想像力を駆使して思い描いたものが、眠り目が覚めた時に、魔法のように手に入る甘美さなんじゃないかなと思ったのです。(インド人ラムダスによる屋根裏部屋の奇跡)
少なくても、私が燃えたのはまさにそこの部分でした。
大好きです、そういう話。だからあれも好き。朝が来て目が覚めたら、靴が出来上がっている小人の靴屋さんのお話。
ああ、願わくば寝て目が覚めたら、家中がぴかぴかとお掃除が終わっていて欲しいものです・・・・・。
「小公女」の検索はキティのピンクリボンからどうぞ。
アニメ版「小公女セーラ」の方が、詳しいかもしれません。
なんとなく続く・・かも。
ちょっと違う話題です。
昨日の「マイ・ガール」、良かったですね。泣いちゃいました~。
「おばちゃん! 何、泣いてんだ!?」って、だんなに言われてしまいましたが、
「切ない話だね。」と、彼も申しておりました。
初めて自転車が乗れた日の事は、結構ずっと覚えているもの。あの子はこの日の事を、ずっと覚えているだろうになぁと思うと、それがちょっと救いでした。