森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

遺恨ありー明治十三年最後の仇討ち

2011-02-28 03:13:08 | テレビ・ラジオ

スペシャルドラマ「遺恨ありー明治十三年の仇討ち」は凄かったですね。映画並みの重みと見ごたえががありました。

そしてラストはもう涙ぼろぼろでしたよ。

テレ朝、良い仕事しました~~。

このドラマをやるって言うのは、やっぱり一番最初はツイッターで知りました。本当に情報は一番早いですよ。すぐに検索しちゃったので、臼井六郎の仇討ちの物語とその裁判の結果は知ってはいたのです。でも、「知っている」、そんな事は何も意味のないことでした。
物語の迫力を本当に堪能しましたよ。

仇討ちは、ほんの数年前は誉れ。だけどそれから数年後の仇討ち禁止令後では殺人。
仇討ちは名誉か殺人か。
いや、そんな事はこの物語のテーマではありませんでした。そう言ってしまっては、この物語の趣旨とHPの「見どころ」に反するような事を言ってしまっている様ですが、そういうわけでもありません。

以下の感想は、時々あらすじも書いていて完全にネタばれになっています。

六郎の台詞。
「人の子として、無残に殺された親の敵を討ちたかった。」

ただそれだけなのですよね。だから、もう一人の敵を討てなかったことを無念に思いながらも、六郎は死罪になっても受け入れたのかもしれません。

数年前ならば藩に届ければ良く、法廷自体がないわけですから仇討ちが法廷で裁かれる事がなかったわけです。まだ一人無念を晴らしていないと思えば、逃げると言う選択もあったかもしれません。でも六郎はしっかり警察に出頭します。仇討ちは殺人、罪に問われる事なのだと時代の変化を理解していたのです。六郎は毅然と法廷に立ちます。だけど彼は静かに言い放ちます。
「母を殺した萩谷を捕まえて、この法廷で同じように裁いて欲しい。」
動揺する中江判事。

 

だけど、「遺恨あり」、この無念はそんな武士の本分や美徳とか時代変化とか、そんな事は全く関係がない深い心の問題なのでした。もちろん、六郎が武士の子供であった事は大事な点ではあったと思います。

 

大好きだった父と母。
深夜の物音に気付き、その部屋に行ってみると、母は滅多切りにされていました。その姿はあまりにも無残だったので最期まで映し出される事はありませんでしたが萩谷の蛮行を見たら、容易に想像が出来る事だと思いました。
そして、転がっていた首のない父の死体。
その横には妹のつゆが震えていました。

この妹のつゆの事が、このドラマではあまり描かれていません。こんな目にあったこの少女は何を思い何を考えていたのだろう、兄をどう思っていたのだろう。本来ならばもっと中央に描かれても良さそうなものなのですが、敢えてそうしなかったのだと思いました。なぜならこの物語は実話を基にして作ったもので、このつゆという少女は、あの惨劇の部屋で実は両親と共に事切れていたそうなのです。幼子を殺さなかったのはテレビ的配慮だったのかもしれません。

その後父の首は、まるでごみを投げ入れるかのように庭に投げ込まれました。

またも六郎の台詞。(だけどかなり不正確。)
「あの幼かった昔、母の無残な姿を見、父の首を抱いて泣いた日に私の心は死にました。」

その日からずっと敵を討つ事だけを目標に生きてきたのです。

 

そしてそれを自分の人生のすべてをかけて支えていった「なか」と言う女性。

なかは臼井家で下働きをしていた少女でした。

またも不正確な台詞ですが、
「私も見てしまったのです。滅多切りにされていた奥様と首のないだんな様のお姿と泣き叫ぶ六郎様を。あの時からこの戦いは二人だけのものだと、勝手に思い込んできました。」

こんな不正確な台詞でも、思い出すと思わず涙がこぼれます。同じ地獄を見てしまった二人だからこそ、仇討ちをする事にこの二人には迷いがなかったのだと思いました。なかにはなかの戦いがありました。県庁に勤めては情報を探る、妾になってはお金を得て六郎に経済的にも支えていました。

 

六郎の師となった山岡鉄舟の娘は、たぶん六郎に恋心を抱いていたのではないかと思います。だけどそのように身を挺して六郎を支えているなかを知ってしまっては、敵わないと思ったかもしれません。でも彼女も最後まで六郎の味方であり続けました。

復讐だけの青春であっても、良い出会いはたくさんあったのでした。

これが良い出会いと言うのかは別ですが、敵として討たれた一瀬の妻も素晴らしい人でした。如何に仇討ちとは言え夫を殺した相手なのに、その六郎がさらに復讐の道を進もうとしている事を感じ取ると、
「あなたは生きて生きて生き抜いてください。」と諭すのでした。
なぜそんな事が言えるのか。それは彼女が武士の妻だからだと思いました。

 

幕末から明治に変わっていった時代は、確かに激動の時代でした。時代は大きく変わると、時を読む事ができた者たちの予想通りになっていきました。だけど、極端に言ってしまえば昨日までが正義、だけど今日からは悪と言われるが如しの事も多数あったことだと思います。また、ずっと在ったものを無用だと切り捨てる事も同様だと思います。たとえば武士の心、魂とか。

武士道的精神論は、いわば心の文化であって、時代が変わったからといって号令と共に消え去るものではないのですよね。

今の時代にも実はそのような心の文化が、先祖の出自関係なく底辺には根付いているようにも思うのですが、それはただの願望でしょうか。

 

最後の武士と言われた六郎の師、山岡鉄舟は滅び行く士族の精神的擁護者でもありました。ゆえに弟子であった六郎可愛さだけからではなく、六郎の裁判に温情を中江に訴えるのでした。

それは中江にも伝わって、死罪に相当すべきだが、士族たるゆえに終身刑が申し渡されます。鉄舟はその判決に礼を述べるのでした。中江の下した判決に救われたのは六郎の命だけではなく、士族たちの心でもあったのだと思います。

 

その後、帝国憲法発布の恩赦で10年で出獄する事が出来ました。
が、六郎にとってその10年は何の意味もなさず、悪夢の道を歩き続けていたのです。

鉄舟の竹光のメッセージも無視して、一瀬の妻の言葉も無視して、中江の「今度やったら助からないぞ。」と言う警告も無視して、(しつこい?)、とにかくみんなの心配をみんな無視して、六郎はもう一人の敵のところに向かいます。

まさに仇討ちだけの人生。

だけど萩谷は、仇討ちに来ると言う六郎の妄想に怯えきり、錯乱を起こして首をくくってしまうのでした。
この物語が奥深いのは、敵役もしっかり描いていた点だと思います。時代が変わって冷静になり、自分が裁判所の判事たる職についてみれば、過去のあれはまさしく殺人であったと一瀬は考えていたかもしれません。また、多くの士族の反乱に加わって命のやり取りをしてきたはずの萩谷が、なぜそれでも六郎の影に怯えたのかは、容易に推理する事が出来ました。なぜなら殺す必要もない者を滅多切りにしてしまった、それはまさしく単なるヒトゴロシ。

六郎の影はすなわち罪の意識。

惨めにぶら下がっている萩谷の姿を見て、六郎の仇討ちの長い旅は唐突に終わってしまいました。

 

日本人はなぜか忠臣蔵もそうですが、仇討ちの物語が好きなんですね。仇討ち直後から六郎は世間では人気があり美談として取り上げられていたそうです。だけど当の六郎の心は空っぽです。

仇討ちだけの人生だったのです。終わってしまっては空っぽ。

 

「皆々様へ・・・」
と言う手紙・・・・
なんだかジーンときながら、トラウマにさえ成っているあの大河のあのシーンを思い出してしまった私・・・。みんなで「naoezyo」を読むあれです。
もう嫌ね、こんなところで・・・・

川辺で父の形見を投げ捨て、泣き崩れる六郎。

故郷の、今は誰もいなくなって荒れ果てた生家を訪ねた六郎は、そこで少年時代の自分の幻と出会います。

「父上~。」
明るく家に入ってくる父の姿。

敵を討って取り戻したかったもの、それはまさに普通の家族の幸せ。

と、そこに六郎は立っているなかの姿を見つけます。

「お帰りなさいませ。」

六郎はかすかに微笑んで、そして物語は終わるのです。

 

うううっ、また思い出し涙です。
演技派藤原竜也といわれるゆえんはここですよね。

微かに笑う。だけど心の底からのぱぁっとしたオーラが出てきて、そのわずかなワンシーンで、ああ、もう大丈夫だって思えてしまうのだから。

藤原竜也さんの他のシーンもみんな良かったです。六郎と鉄舟の殺陣のシーン、凄かったですね。16歳の六郎、しっかりその年齢に見えました。とにかくどのシーンもみんな良くて、彼の贔屓筋の私としては良作に恵まれて本当に満足しております。まさに藤原竜也の代表作になりましたね!

DVDは発売決定。予約受付中ですよ。

遺恨あり 明治十三年 最後の仇討 [DVD]
藤原竜也
ポニーキャニオン

 

ちなみに、撮影には結構「明治村」も使われていましたね。
あっ、ここ行った、ここ見たと、ちょっと違った楽しみ方もさせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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くるくる回す

2011-02-26 18:50:35 | 梢は歌う(日記)

今、お仕事はピーク、一年の山場です。それもあとわずかで終わり。別れはいつも寂しいけれど、反面早く終わってホッとしたいのも事実です。

もう最後だと思うと、力が入ってかなりハードなスケジュールを組んでしまいました。加えてお母様たちにも会ってお話しをする季節です。この時期はドラマチックでいろいろな素敵と残念に出会う事が出来るのです。

こんな季節は、「アー、忙しい。忙しい。」と言うのは簡単ですが、こういう時こそ「忙しい」と言う言葉を封印すべきなんですよね。この言葉を封印してしまうと、実はフットワーク軽く、いつもよりいろいろな事が出来るのですよ。

この話はお仕事を持った人には共鳴していただける事かもしれません。
そうそう、わかる、って思われた方もいらっしゃると思います。

中には専業主婦様なのに「忙しい」の大連発を言う人がいますが、昔はちょっと首を傾げていました。何がそんなに忙しいのかしら。
でも最近は、そうは思いません。時間の器がその人の生活に合わせて小さくなっているのですよ。小さいなんていうと「むかっ」ってくるかもしれませんが、大きさは幸せの基準ではないと思うのですよね。

のんびり生きるのが幸せ。時にはそれも素敵に思えます。
人生は短い。だからいろいろな事をぎゅうぎゅうとやってみる。時には人の二倍の生きて居るかもしれないと言うのも素敵な事だと思います。

いずれにしても「忙しい」と言う言葉を封印して、初めて「素敵」と言う言葉に繋がるものだと思います。

 

だいたいですね、女の敵は女なのですよ。
専業主婦様が、「忙しくて」と言うと、働く主婦様は「そうね。」と微笑みながら、聞いちゃ居られないわと思うこともあり、働く主婦様が「忙しかった~」と嘆くと、なんかバタバタ生きていて嫌ねなんて、心の中で思われているかもしれませんよ。

だいたいですね、パート2。
私が「忙しい」と言っても、あまり説得力がないと思います。お仕事は夕方から夜なので、その前には時間を見つけて美容院に行ったり映画に行ったり、1年振りや3年振りの友人に会ったり、散歩に行ったり、出掛けるときは5時半から家事スタートをするけれど、そうでない時は、のんびりとツイッターで「てっぱん」のおしゃべりをしていたりで、どう見ても暇な人に見えるかもしれませんね。

だいたいですね、パート3。
私は家事をバタバタとかテキパキやると言うのには、程遠い生活をしているので、物凄くグータラしていると思っている人も居るみたいなのです。と、言ってもその人は自分のことにしか興味がないので、人のことなんか見ていないので、なんと思われてもへっちゃらだけど、「あんたってグータラするのが好きなのね。」とか言われると、多少はムカッときます。
「ちょっと、おばさん。あんたよりよりよっぽど詰まった生活しているよ。あんたの方が、暇な生活しているよ。」とか言ってやりたくもなりますが、ぐっと我慢しています。まあ、心の中では「この、くそばばあ」ぐらいのことは私に思われているわけなのです。

でも確かに、私の土曜日、日曜日はかなりグータラしています。夫とお茶を飲み、同じ部屋でお互いにパソコンで遊んでいたり、またおしゃべりしていたり、
「パパ、眠くなっちゃった。」と夫が眠り、「ママ、眠くなっちゃった。」と言っては私がお昼寝をしています。時には二人で寝ていたり、そしてまた二人でお茶を飲んでおしゃべりして、一日が過ぎていくのです。二人で買い物に行って、二人で同じテレビを見ている休日・・・・
「今日は何していたの。」と聞かれたら、やっぱり「グータラしていた。」としか言う事がないな。

私は夫が休日でのんびりしているのに、その横で自分だけ忙しく働くのが嫌なのです。はっきり言って心が狭いのです。だけど、本当は主婦業も仕事の準備で土日も働かなくてはいけない私(シクシク)
「明日は頑張ろう!!」と何気に決意していると、
「良いじゃん、頑張らなくても。」とわが夫殿は申します。気持ちが削がれて、いつも土日は休日になってしまう事が多いのですが、それが残りの5日間に響きます。

だけど2月はそれも頑張りました。夫のグータラせよという誘惑にも負けず、一応いろいろ頑張ってきたのです。

そう言えば家事をテキパキやるのは苦手ですが、バス待ち時間にずっと気になっていた友人に電話を掛けたり、出掛けるまでに15分しかなくてもお芝居のチケットを取ったりする事にはテキパキしているのですよ。三谷さんの「国民の映画」に行きますよ。横浜ならチケットありました。ちなみに家事ってテキパキやらなくても一日がちゃんと回れば良いんでしょ。

 

「くるくる回す」は目ではなく、時間です。

自分の生活をカスタマイズして、素敵に生きる。ちょっと憧れます。だけど自分にとって素敵とはどんな生活を言うのだろうとまた迷うに違いありません。このお仕事ピークの山を乗り越えてしまったら、また時間の使い方を考えたくなると思います。

 

※                              ※                                 ※

「時間を回す」とか言っているくせに本当は目を回して、昨日熱が出たとツイッターで呟いていたでしょと言われてしまうかもしれませんね。そうなんです。熱が出たのなんて何年振りかしら。夕方急に震えが出るくらい寒くなってしまって、みんなに寒くなったねと言ったら不思議そうな顔をされました。熱を測ってみたら38,5分もあったのです。既にお仕事中だったのでそれは終わらせて、夜は特別に一人だけ見てあげると言った中学生だけはキャンセルしました。デリケートな時期なので、調子が悪いときに接触はタブーです。本当はこう言うのはすごく悔しいのです。微妙なところで完ぺき主義ですから。

時には頑張りだすと、走り出したら止まらない馬のように頑張り続けてしまう時も在るのですよね。疲れていても自分ではわからないのです。それが日常の生活になってしまっているから。

こう言うのを、私は「強制終了」と呼んでいます。

でも、のんびりな土曜日と言うわけにはいかず・・・・全く夫のせいで・・・(プンスカ)。でもこれはまた別のお話。

熱も下がったし、明日はちょっと頑張らなくちゃ。ああ、ちっとも強制終了になっていないじゃない。でもあとちょっとだけ頑張りますわよ、ワタクシ。

まあ、今晩は竜也君の「遺恨あり」を楽しみます。

 

 

 

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相棒season9-16「監察対象杉下右京」

2011-02-23 23:28:25 | ドラマ(相棒)

今日、面白かったですね。こういうのって好きですよ。

あらすじは→こちら

ある日差出人不明の杉下右京の告白文が監察室に届けられました。

それによって、出張中の大河内に変わって監察官の栞が調査に入ります。

この栞さん(堀内敬子)、声がとっても綺麗で理知的。融通も利きそうもなくて手強そう。

調査しながら、ひとつの事件の内容が明らかになっていきます。

 

右京たちに捜査権がないのに捜査に関与している事を鋭く突っ込んできますが、言われてみると、彼らはかなりヤバイ・・・

でも、いきなりラストの右京さんの台詞に飛びますが
「今更ですよ!!!」

ですよね~。
そんな事言っていたら、「相棒」、終わっちゃいますよね。

 

このラストの台詞も良かったし、ラストの展開も満足ですよ。
一人ずつ呼び出されて語る場面も面白かったです。何気に前回大河内に呼び出されたときに語った事が、今回資料として生きていたのも嬉しかったです。暇か課長は、隣室から実は特命を見張っていると、前の時に語っていましたものね。

イタミンもかっこ良かったですよね。犯人逮捕の為にはなんでも利用すると言葉は悪くても、正義の熱い男ぶりは健在です。

元の事件はどんどん真相に近づいていきましたが、もうひとつの事件、つまり誰が告白文を送ったのかはなかなか見えてきませんでした。でも尊が呼ばれた辺りから、「ハハーン」と思いましたよ。だって、尊、右京に不利な事を言い過ぎ。そんなわけはないもの。と言う事は対決しているのはこの女(違う意味でも)。調査以外にもこの調査に目的があるのだと思えば、おのずと答えが見えてきましたが、堅物そうな雰囲気に騙され掛けていましたよ。

今回ちょっと驚いたのは、「後ろ盾を失った。」と言う言葉。映画での事件をほのめかし・・・と言うより、かなりはっきり言っていました。もう解禁なのでしょうかね。

「官房長~~~!」

 

 

 

 

 


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2011年のバレンタインデーのバタバタ

2011-02-22 12:50:30 | 梢は歌う(日記)

なんだか節分とバレンタインデーが過ぎると、次のイベントは桃の節句で春がぐっと近づいてきたような感じがします。季節のイベントは出来るだけ大事にしたいと思っていますが、まあ出来る範囲でという事で楽しんでいます。

今日は、そのバレンタインデーの日のお話。

あら、今頃ってなものですが、パソコンが壊れたり雪が降ったりお出かけしたりと忙しかったものですから、いろいろとずれ込んでいるわけです。

 

まったくうちの男どもは私から貰うだけ貰っておきながら、「お返し」と言う事を知りません。それを不満に思っている自分が、なんとなく小さい人間に思えるのも気に入らないと言うか・・・。その事は前にもテーマにして記事を書きました。
でも最近になって、それは「お返し」がないと言うのが悲しいと言うセコイ根性が嫌なのではなく、ホワイトデーと言うイベントが大切にされていないのが嫌なんじゃないかなと気がついたのです。

私はお出かけ好きのイベント好きですが、夫も何でかそこだけ夫の遺伝子を受け継いだ子供たちも、お出かけ嫌いのイベント興味なし人間なのですから、私に合わせろという事がある意味私の我侭なのかもしれません。なんたってうちの夫ったら、結婚するまで自分の母親の誕生日をちゃんと覚えていなくて、「確かこの辺・・」と教えてくれたのです。だから私は確かこの辺と言われた頃になると、誕生日のプレゼントを渡しに行くと言う訳なのです。

まったく~とか言いたいけれど、そんな事私も言えないかもですよ。誕生日こそはしっかり覚えてはいますが、結婚する前は父や母に何かしたと言う記憶がないのです。本当に何もしなかったのか・・・・、うーん、わかりません。

だけど今はそうじゃないし、こういう事にもいろいろなその人なりの時代があるんじゃないのかなと思うのですね。

で、我が家の歴史なのですが、一昨年辺りから家族チョコは止めて、いろいろなチョコレートケーキを買ってきて、みんなで仲良く食べるようにしています。もちろん私も一緒にです。イベント嫌いな夫でも、実は極々稀に(強調)ホワイトデーのお返しがあった事はあったのです。でももう何も期待したくない。私が勝手にやりたいのだから、全部私が勝手にやって勝手に楽しむのですと言う居直りとも言えるのかもしれません。

 

ところが今年、12日の土曜日に、タバコを買いに行くと言う夫が「何かほかに買ってくるものはないか。」と聞くので、
「カステラ系のなんかおやつ。」と言いましたら、またもケーキを四つ買ってきてくれました。しかもチョコレートケーキをいろいろ・・・

美味しかったし嬉しかったのですが、これをバレンタインデーの前にやられてはどうする私・・・。
しかし夫よ、どうしちゃったわけ。そんな珍しい事しなくてもいいから長生きしてよ~♪

ケーキを買ってきただけで寿命さえ疑われる夫。

 

私としてはケーキと思っていたのでチョコレートの準備もしていなくて、それでは14日に「それなりのチョコ」を買ってこようと思いました。ところがその日は朝から、どうしても部屋の模様替えをしたくなり、取り付かれたように張り切ってしまいました。「それなりのチョコ」を買いにいく時間もなくなってしまいましたが、それでもどうしても「キットカット」は買いに行かなければなりません。

このキットカットのお話は、「雪の朝」と言う記事の中にもちょっとだけ書いたのですが「キットカット」は「きつと勝つ」と言うげんかつぎみたいなものです。毎年、受験生にはあげています。でも今年は受験前日が14日になりました。

それで子供たちは、バレンタイン義理チョコと勘違いをしたみたいなのです。

でも私の渡し方も
「どうせ、学校では何も良いことがなかったんじゃないかなと思って。」と言う失礼極まりない台詞つき。

えっー、そんな可愛そうな事言っちゃうのってなものですが、お付き合いも長いのでみんなヘッチャラです。

「ええ、ありませんとも!!!」ときっぱりと言う様はかえって潔いものを感じました。

「そうよ。義理チョコなんか貰わないほうが良いのよ。前に来ていた女の子は、『お返しは倍返しなんですよ。楽しみだなぁ。』なんて言ってたくらいですからね。」

君たちよ、いつか貰いたまえ、本命チョコを。

 

で、また我が家のお話。

夫よ、子供たちよ、すまぬ。今年はコンビニチョコで間に合わせですよ・・・・

と夕方近く、近所のコンビニに行ってみたら・・・・

な、ない!!

バレンタインチョコレートらしきものが。
フツーのチョコレートしかないのです。とりあえずキットカットは確保したのでホッとはしたのですが、家族に上げる分がないと詰まりません。実は彼らは、バレンタインの「それなりのチョコ」より普通のチョコレートの方が好きなような気がするのですね。でも、あげるほうにしてみたら、何か面白みに欠けるような気がしてしまうのですよね。

なんでないんだ。外にはデカデカと「バレンタインデー」とのぼりのような物が立っているじゃない。呼び込んでおきながらこの様かい。
どうも後から聞いた話によると、14日が平日だったために、義理チョコレベルのものが売れに売れたそうですよ。それで私の行ったコンビニにはフツーのチョコと手作りキットしか売っていなかったらしいのです。

仕方がない。近所のケーキ屋に走って手作り風チョコでも買ってこようかな(実は、そういうのはあまり家族の受けが良くない)と諦めかけた時、目に留まったのは

これ、

私の心の中の呟き・・・・チョコチップアイスクリーム。GODIVAじゃない。ああ、これ良い。話題性もあるし。でも一個420円。タカッ!いや高くないか。「それなりのチョコ」に比べたら、安い。

と言うわけで、我が家の今年のバレンタインデーはGODIVAのチョコチップアイスクリームでした。予想通りウケました。しかも
「それ高かったのよ。」と恩着せがましくも言ったりもして。実は高くても一個ずつなら安上がりにすんだ事は内緒です。

 

コンビニエンスに済ませたバレンタインデーでしたが、なかなか楽しかったです。

 

ちなみに夫の会社は数年前から義理チョコは止めようと言うことになりました。禁止になってホッとしている人多数ですよ、きっと。
こういうのはお付き合いの潤滑油と楽しめばと言う考え方もあるけれど、そうとばかり言えないのは現実ですよね。

 


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紅梅/白梅

2011-02-21 00:25:12 | お散歩&写真日記

梅咲けば春が近いと風が言う
 




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・・・・・・・


・・・・・
・・・・・・



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雪の日の風景2

2011-02-19 09:43:53 | お散歩&写真日記

すべてを覆いつくす雪。雪国の人には申し訳ないけれど、関東人はちょっと雪を見ると、心の中ではしゃぎたくなるってものでして・・・
でも降り続く雪に電車が止まったり道路が凍ったりするのには、本当はすごく困るって思っています。だけど先日降った雪は春近い雪で、水分をたくさん含み、止んだと思ったらどんどん溶けていき優等生の雪でした。





雪の帽子はユーモラスなのです。



ほらね、



でもちょっと寂しげ。



みんなみんな雪の中。



今気がついたのだけど、何でここだけこんなにブツブツしているの。この雪の下は何だっけなあ。なんとなく気になったから写真を撮ったのだけれど、観察力が足りないなと思ったりもして。


<おまけのおしゃべり>
泣いても笑っても2月の終わりはやってきて、お仕事にもちょっとした区切りがきます。今から整理整頓始めました。ほぼ一日中ゴミステをしています。疲れました~、よろよろ。

また、明日も頑張ります♪
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみにコメントで記事と関係ないこと書かれても、お返事しませんからね。記事に関連した情報とか、発展的ご意見とか、このブログ内の記事に関連した事じゃなくて(そう言うコメントは嬉しいのですよ)、まったく新しい話題を振られるのは私的には困りますよ~~。
コメント (4)
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雪の日の風景

2011-02-19 02:40:04 | お散歩&写真日記

はしゃぎつつ バージンスノウ 踏みしめる

 

 

 

 

2月15日の雪の日に撮った画像を少しずつアップしたいと思います。

<おまけのおしゃべり>

昨日は風がすごく強かったですね。外出する用がなくて良かったです。風の強い日は、苦手ですよ。それでも外に行かなければならない時は、「くまのプーさん」のように
「ヤーヤー、風の強い日おめでとう。」とか言ってみます。もちろん心の中でですよ。本当に声に出して言ったらちょっと変な人ですよね。

木々が大きく揺れて、ちょっとしたごみが舞い上がって踊っている。子供たちはほっぺを赤くしながら、
「ぴゅーっと、ぴゅーっと・・・」と歌うように 荷物を風に飛ばされそうになった話を語り、風の音に「うるさーい!」と叫ぶ子もいる。

雪の日には雪の日の、風の日には風の日の、生活のざわめき。

愛おしい日々です。

 

ちなみにこんな時間まで起きているのではなく、早寝をしたのでもう起きてしまったのです。とは言っても早すぎるので、もう一回寝る事にします。でも目が覚めたら、やっぱりこの風は止んでいて欲しいです。洗濯物も花粉が怖くて干せませんから。

という訳で、今日も良い日でありますように♪

 


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浅草もんじゃと東京スカイツリー

2011-02-18 11:30:14 | お出掛け日記

 

 既に過去になってしまった2月9日の事です。

ちょっと前に書いた「江ー姫たちの戦国」展を見た後は、江戸東京博物館のある両国を後にして浅草まで移動してきました。今回の浅草での目的は、ここでもんじゃを食べる為。

今回の一番の目標は、実は東京スカイツリーを間近で見ることだったのです。

でもまずは腹ごしらえです。

近頃ドラマ「てっぱん」の影響でてっぱん関係のものに心惹かれます。でもそれは何も「尾道焼き」というわけではないのです。やっぱり食べたくなるのは、関東のお好み焼き、そしてもんじゃなのです。でも、浅草に行ったら、ちょっとつまみ食いなんかもしたくなってしまうのです。

きびだんご・・・・?

美味しかったですよ♪

なんとなく、ふらふらしているだけで楽しいです。

そして、もんじゃ。

もんじゃは、見かけはちょっと~と言うような所がありますが、みんなでワイワイと言うのには相応しい美味しさがありますよね。だけど、調子に乗って食べ過ぎました。

予定では浅草から押上げまで電車で移動するつもりでいましたが、東京スカイツリーは目の前にドーンとそびえ立っていますし、腹ごなしに歩いて移動することにしました。

トップの画像は、浅草の橋の所から写した物です。

かの有名なビルも写っていますが、下のはそのビルの裏側です。

そしてそこから見た、スカイツリー。

また移動していって・・・

 

こんな所で、ついうっかり・・・

ゆず甘酒です。最近甘酒にはまっているので、なんとなく幸せな気分になりました。

店内は、
いろいろなスカイツリーの画像があってちょっと得した気分にもなれましたよ。

 

以下は私のいろいろなスカイツリー画像・・・。

屋形船とスカイツリー

電車とスカイツリー。これは東武線かしら。

テクテクテク・・・

迫ってきました。

そして、真下です。

 

誰かのCMでも、ここの工事現場が使われていましたよね。

完成したら、また多くの人がここに押し寄せてくるかもしれませんね。でも途中を見る事が出来るのは今だけ。
映画の「ALWAYS 三丁目の夕日」の東京タワーのように、このスカイツリーも今の私たちに元気をくれたら素敵だなと、そんな事を思いながら見上げていました。

9日の日は朝は雪が降り、出掛けて来るときは雷まで鳴っていたのに、いつの間にか止んでなんとなく暖かい日になりました。冬の日の東京散歩に相応しい楽しい一日でした。

 

 

 

 

 

 


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雪の朝

2011-02-15 14:25:24 | お散歩&写真日記

昨日の夜は吃驚しました。雨か雪とは聞いていたけれど、まさかあんなに降り続けるとは思っていませんでしたから。

出来たら降らないで欲しかったです。

なぜなら千葉県は、今日15日が公立の前期試験。受験日ですよ。

昨日は、子供たちに受験の定番「キットカット」をおやつに上げました。

でも彼らは、私からのバレンタインチョコと思ったみたいです。喜んでくれたのだから、解釈はどちらでも良いのですが

帰るときに、夫が子供たちに声をかけました。
「おい、帰るときに、雪ですべるなよ。」

思わずワタクシ、
「ちょっと~!!今日だけはその言葉は禁句ですわよ。」

それを聞いて、
「とにかく、雪で転ばないように気をつけて帰れよ。」

そうですよ。

「すべる、落ちる」はこの時期は禁句です。でもうちに来ている子供たちに、そんなヤワはいませんが。

 

だけど雪は深夜過ぎまで降り続き。・。・。・。・

 

朝いつもより早起きして見ると、既に、なんとなく溶け始めている雰囲気。夜中に雨でも降ったというのでしょうか。どうも人の話によると、水分を多く含んでいた雪は、降り止むと同時に溶け始めた様子です。

なんとなくホッとしました。

今日はこれから仕事ですが、こんな雪の朝は珍しいので散歩に行くことにしました。

まあ、物好きちゃあ、物好きな私なのです。

 

しかし公園には、三脚担いだおじ様が一杯いましたよ。

フィルムが無くなってしまったと、その中の一人の人が呟いたのが耳に入りました。凄いな、気合入れて撮っているんだなと思いました。そんな人たちがうろうろする中で、私もお気楽に何枚か撮ってきました。そのうちアップすると思います。

取り合えず、携帯で撮った画像を載せておきますが、こんな日は携帯で撮るのって難しいんだなと初めて知りました。地面が明るすぎるので画面が真っ黒に写のです。説明書とかちゃんと読んだこともないし、何かすればいいのだと思うのですが、さっぱりわかりませんでした。携帯写真の達人の人って確かにいますよね。何事も極めるって素晴らしいことなんだなと、こんなところで実感しました。

 散歩している間にも、雪はどんどん溶け始め小さな小川の中を歩いているような感じになってきました。でもその公園の道をランニングしている高校生たちのぱっしゃ、ぱっしゃっと立てている足音が、凄く心地良かったです。

バージンスノウを歩く感覚。

途中で寄った日本庭園の茶屋で頂いた黒米甘酒の美味しさ。

人はこんな風に視覚・聴覚・触覚・味覚と多くの感覚を満足させることが出来ると、その満足度が高くなるのかもしれませんね。ちょっとした朝の散歩でしたが、ことのほか楽しいひとときでした。

     梅が咲くと、もう春が近いなって思います。

 

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「江ー姫たちの戦国」展

2011-02-13 08:05:48 | お出掛け日記


江戸東京博物館にて、2月9日の日に行ってきました。

この特別展は東京では20日までですが、予想以上の内容で是非にとお勧めしたくなるようなものでした。
そしてもし行かれることがあるのなら、大河ドラマでも江の母、そしてナレーションをしている鈴木保奈美さんが語る音声ガイドをご利用なさることもお勧めします。

歴史に詳しい人にとっては、もしかしたら語られる内容は知っていることばかりかもしれません。でも、情感たっぷりに語られるその語りに、ドラマと重ね合わせるというよりは、展示品に歴史の果てしない奥行きを感じさせたといえるでしょう。

そしてここの展示は凄く上手いと思いました。展示品から歴史の重みが本当に伝わってくるのです。

展示品は皆素晴らしく印象深かったものですから1つ1つに感想を述べてしまいそうです。でもそうもいかないので、その中からいくつか取り上げてみたいと思います。

 

 

何気に一人で感動していたものには、城址から出土した瓦などがあります。

安土城跡出土金箔軒丸瓦

大阪城跡出土金箔軒丸瓦

京都府聚楽第跡金箔瓦

安土城も消えて・・
その時の大阪城も消えて・・
聚楽第もない・・・。

そしてその跡からは瓦、すなわち崩れた瓦礫、栄光の過去の欠片ばかりが転がっていたのでした。これらの煤けた瓦は、過去のある時堂々とした城の一部で光り輝いていたのでした。

 

面白いと思ったのは「絵本太閤記」享和2年(1801年)の作品ですが、その名の通り美しい絵本で、さながら昔の漫画です。
日本人の漫画文化はそんな時代から・・・・
しみじみ~!

思わず泣きそうになってしまったのは、
「おみや辞世和歌懐紙」「瑞泉寺縁起絵巻」

どうも大河ドラマの影響で、私にとって豊臣秀次は成宮君のイメージになってしまいました。
絵巻には、その一族の女たちの公開処刑の場面が描かれています。立ち会った役人たちも皆泣いています。

惨い、むご過ぎます。

 

 ところで書簡などを見ていると、昔の人はあの文字をどうして読みあうことが出来たのかと言う不思議さを感じてしまいます。

様々な戦国セレブたちの気さくな手紙。
例えば、秀吉などのちゃちゃ宛の、鶴松をくれぐれも冷やすなと心配する手紙など、やっと設けた世継を思う気持ちが伝わってきてしみじみとした気持ちになりました。

「___φ( ̄ ̄^ ̄ ̄*)ふむふむ・・・」と感心したのは・・・(夫のパソコンって、頼みもしないのに絵文字が出るのよね。まっ、たまにはそのままにしておこう。)「イエズス会日本通信」。
日本の様子が報告されていて、その中には賤ヶ岳の戦いの様子、柴田勝家や市の最後の様子なども記されているのだそうです。

文字はポルトガル語なのでしょうか。英語でもないのでさっぱり解りませんが、世界と繋がっていた戦国の日本を感じました。

 

やはりきりなく語ってしまいそうなので、この辺で終わりにしたいと思いますが、最後にこれだけは取り上げたい展示品は「崇源院宮殿」です。

この宮殿は、江の位牌を安置していたものでとても素晴らしいです。

これを作った忠長の気持ち・・・・

ラストのこの展示品に入る保奈美さんの解説は、本当にドラマの終わりを思わせて、また江という女性の波乱に満ちた人生に思いが飛び、思わず涙が目に滲みました。

美術館にて思わず涙ということは、泣き虫の私でも稀な事であるので自分でもたじろぎましたが、一緒に行った人が
「「思わず泣いてしまった。」と言ってきたので、私だけではなかったのだと安心しました。

戦国セレブたちの肖像画たち
賤ヶ岳合戦図屏風
姉川合戦図屏風
聚楽第行幸図屏風

テレビやネットで見たりして、なんとなく初めて見たものではないような親しみを感じてしまいましたが、実際に見るのは初めてのものばかりです。

本物に触れるといくという事は、やはり素敵な事だなと思いました。

見ごたえ充分!トップにも書きましたが、お勧めです!

 

←ここにははじめて行きましたが、常設展なんかにも興味あり。いつか常設展巡りをしたいなと思案中。


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