森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

なんだかとっても寂しい

2020-03-31 23:59:32 | 同じ時代の船に乗る

昨日、ひとつ前の記事の「麒麟がくる 第十回「ひとりぼっちの若君」第十一回「将軍の涙」」を書いていて、あと数行で終わる所で、姉から月曜定例の電話がかかってきました。

ひとしきり近況報告や国の対応の不満などなどを語り、1時間半もしゃべっていたので、電話を切って働く事にしました。

「じゃあね、私もこれからやる事があって。」「私も家事の残りをやるわ。」などと別れの挨拶をしながら、頭の中でスマホの充電は終わっているかなと、開いてみました。

そこに有ったニュースの言葉に、私は吃驚して、

「おねえちゃん、志村けんさんが亡くなった !!」と大きな声で言いました。

「えええ ?  うそ、そうなの !」

「もうショック !!!」

ほんのちょっと前の穏やかな別れの挨拶もぶっ飛んでしまいました。

それでも二人で驚きの声をあげた後、電話を切りました。

 

その後、私は書きかけのブログ記事を書きました。

その記事の終わりかまたは初めに、志村けんさんの事を書こうとしました。でもやはりドラマの感想に書きたくはなかったので、ツイッターで呟く事にしました。

なぜなら黙ってはいられないような気持ちになってしまったからです。

 

志村さんが転院したと聞いた時、本当はちょっと危ないのかなと思っていました。だけどいざその不安が的中してしまうと、私は自分がこんなにも動揺するとは思ってもいなかったのでした。

なんたって46年もの間、笑わせてもらったからだと思います。

そしてこれからも笑わせていただけるのかと思っていたからです。

 

だけど私、そのニュースを知った後、なんだかさらに怖くなってしまったのです。

この時の私の気持ちを本当にうまく語ってくれた方がいらっしゃいました。

『志村けんさん死去により今まで完全に他人事だったコロナウイルス感染を身近に感じる日本人が多くいるだろう。志村さんは生涯独身だったが、日本中が親戚みたいなもんだった。皆にとっての「昔からそばにいる最高に面白いおじさん」だった。お茶の間のスーパースターだった。なんだか喪失感がすごいよ』

https://twitter.com/NAMIHEY_ISONO/status/1244429054024900608?s=20

まさに。

夫が帰って来て言いました。

「なんだか本当に知っている人が亡くなったようで、動揺してる。」と。

 

皆同じような気持ちだったのですね。

 
転院したと聞いた時に、危ないのかなと思いながらも、それでもいつかコロナも落ち着いて、そして更に何年かたったら、この時の経験を笑いながら話してくださる日が来ると本当にそう信じていました。
だけど発病から12日間、入院から亡くなるまでの9日間、本当にあっと言う間だったのですね。
 
上のツイッターの波平botさんが言っているように
 
コロナウイルス感染を身近に感じる日本人が多くいるだろう
 
私もそのうちのひとりだったと思います。
 
仕事はしているので、ここまでは平気と踏んでいることがありました。だけど今危ないと叫ばれているのですから、不要不急の集会、つまりお店での奥様ランチなどは、今しばらくは延期にすることにしました。
 
そうは言っても、毎日人には合わなければならないことが一杯です。
だけど出来る限り、気を付けて行こうと思っています。
 
最後の最後まで、志村けんさんに救われているような気がします。
 
 
ありがとうございました。
今は苦しみから逃れて、安らかにお眠りください。
 
 
 
 

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麒麟がくる 第十回「ひとりぼっちの若君」第十一回「将軍の涙」

2020-03-30 11:32:27 | ドラマ (大河)

習慣とは怖いものでございます。ドラマブログは飽き飽きだとか言いながら、続けてきたことをやっていないと、何か宿題をやり終えてないような気がしてしまいます(^_^;)

と言うわけで、「麒麟がくる」の二回分ですが、間が空くと「そりゃ忘れてしまった事の方が多いや。」状態ではないかと思います。

だけどそんな中で覚えていることが私にとって印象深かった事なのですよね。

そうすると、前回の「ひとりぼっちの若君」で一番印象深かったのは、竹千代と将棋を指すために帰蝶と光秀を下がらせた時に、ふと思いついたように「ちょっと待っておれ」と廊下を走って、光秀に「明日も来い」と言いに来るところだったことが分かりました。

可愛らしい子供のような走り方。

染谷将太、上手いねっ。

と思いました。

けれど廊下から戻って、見るからに子供でしかない竹千代と交わす会話は、けっして子供のようなものではなかったのでした。

 

もう二度と将棋はお前とはささないと言われれば、信長さまが父上を打ったからですかと冷静に聞き返す。もちろんこのようにストレートではありませんでしたが、同じ事です。父上は今川にすり寄り織田を打とうとしたのだから仕方がありません。母上を追い出した父上は好きではありませんでした。お気遣いは無用です・・・・・・なーんてことを言ってたかしら。

人質交換を実は少々迷っていると信長が言えば、いずれ討つべき相手なので敵の懐に飛び込んで知る事も大切などとも言いました。

― まあ、なんて賢い子かしら。まあ、なんて大人びた子かしら。

そう言うレベルではないように思いました。言うなれば竹千代はモンスターです。

 

竹千代がその部屋に来る前、なぜ信長は魚を朝に取りに行くようになったのかの話を光秀たちに語ります。

大きな魚を取ってきた時、母上は喜んで笑顔を信長に見せたのです。それが嬉しくて信長はまた大きな魚を取ってきますが、もう二度と母は歓びの笑顔を信長に向けませんでした。代わりに民が喜んでくれました。民が喜ぶのが嬉しいと、理想のリーダーの片りんを垣間見せる信長・・・・・。そこの部分は私の個人的感想ですが、きっかけはなんだって良いので、「民が喜ぶ」を喜ぶ人は理想のリーダーに私は感じてしまったのでした。

信長の母、土田御前は信長の普通とは違う感覚や非凡さを理解できなかったのでしょうか。

綺麗ごとではなく、私も信長のような人がいたら理解したかどうか怪しいと思いますが、母親と言うものは、また別の生き物なのではないかしら。それはまたこの先の物語を観なければ分からない事です。

 

また竹千代の話ですが、彼の父は、竹千代がまだ織田側にいると言うのに、織田との戦いに備えて三河に帰る所でした。それを知った時の竹千代の心の中にはどんな冷たい風が吹いたことでしょう。

 

親と引き離されて敵の国で一人生きて来た竹千代。

母の愛は遠く、父の愛を感じられず、子供であっても大人にならざるを得なかった竹千代でしたね。

そして母の愛を感じる事が出来ずに、心のうちでずっとそれを探しているかのような信長。

 

ひとりぼっちとひとりぼっちで二人。そんな二人には友情が芽生えたとか愛が生まれたとか言う話ではないところが、何とも言えないところでした。

だけど今、信長は帰蝶が来て、ひとりぼっちではない模様・・・・・♡

 

「ひとりぼっちの若君」では駒の大切なエピソードも出てきたと思います。

だけど何せ二つ分なので、次に行く事にします。

 

「将軍の涙」では、

「麒麟がくる」、好きだなぁと改めて思ってしまいました。

 

この物語は主人公の明智光秀自体がそうですが、歴史の上では裏切者であったり傲慢ゆえの敗者であったりなど、あまり良い光があたらずにきた人たちに良い光があたっていると思うのです。

今回の今川義元、良いですねぇ。強い今川に説得力がありました。

 

だけど今回の華は、なんたって将軍・足利頼輝の向井理でしょう。

彼、本当に美しい人なのですよね。

実目麗しく美しい言葉を語る人に、向井君はぴったりな人だと思います。

 

ああなってこうなってで将軍の元にやって来る光秀。(雑)

そのああなってこうなっての部分はHPで→ここ (やっぱり雑)

あっ、だけど、そこのHPは一年経ったら消えてしまうので、その文は下に貼らせていただきました。

『再び今川が尾張に攻め入り、次々と織田方の南部の領地を制圧していく。ついに非力ぶりを露呈した信秀(高橋克典)は、道三(本木雅弘)に援軍を頼むが、高政(伊藤英明)や稲葉(村田雄浩)らが尾張との和議を独断で決めた道三を糾弾しており、美濃は一枚岩ではなかった。兵が出せない由を尾張に伝えにいく光秀(長谷川博己)。このままでは人質同然の帰蝶(川口春奈)が犠牲になってしまうことを恐れていると、ふと信長(染谷将太)が、かつて京の将軍家の取りなしで美濃の内紛が収まった話を思い出す。光秀は道三に将軍家への取りなしを依頼しに戻るも、金がかかると難色を示される。そこで、高政の取りなしで守護の土岐頼芸(尾美としのり)のもとを訪ねるが、道三をよく思わない頼芸はその願いを突っぱねる。』

 

その土岐頼芸と高政との会話は恐ろしいものがありましたね。父をいざとなったら殺せるか否かと言うようなこと。光秀は傍で聞いていて心がざわついたのに違いありません。

なぜなら土岐頼芸に会わせてくれたら、これからはお前の言う事をきくと言ってしまったから。

もしも高政が親に対して謀反を起こせば、光秀はそれに従わなければなりません・・・。

この先の展開で、それはどうなっていくのかと言うところも見どころの一つになって行くと思います。

 

しかし、道三のケチぶり土岐頼芸の家での会話などを経て来た光秀にとって、足利義輝の美しき言葉は心に染み入ったと思います。「平らな世の中」、いまだそれにならぬのは我の力不足と彼は言いました。それを聞いてしまったら、そうではない、それは私たちのせいですと家臣たちも言いたくなると言うものですよね。

そして彼は麒麟がくる世の中を目指していることが分かります。この「麒麟がくる」と言う言葉を聞いて、光秀はハッとしました。

帰る道で、光秀は涙をそっと拭っていました。

 

いろいろとドラマが終わってしまって、それでもロスを感じないのは、この「麒麟がくる」があるからだと思いました。

 

次回もとっても楽しみです。

嫁がとうとう来るぞ~ってなもんですね^^

 

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日曜日の朝がつまらなかった。 #スカーレット

2020-03-29 00:42:43 | テレビ・ラジオ

「スカーレット」が終わってしまいました。

半年間、毎朝、このドラマを見る事が楽しみでした。

だから、日曜日の朝に目覚めたら

「ああ、今日は『スカーレット』はないのか。」と思ったら、つまらなく感じてしまったりもしたのでした。。

 

川原貴美子の半生を子供時代から丁寧に描き、いろいろと共感することが多数ありました。

 

彼女が信楽での女性陶芸家になって行く前も面白くて、思わずモデルになった神山清子さんを検索してしまいました。

すると吃驚するような内容が、そこには書かれていたのです。

モデルと言っても、完全な自伝ドラマではありませんが、大事な部分は同じかと思われます。ドラマ内の喜美子の作品も神山さんの実際の作品が使われたのです。

 

私が感じた驚くべきことは、彼女の陶芸家の夫が弟子と浮気して家を出ていく。また息子さんの賢一さんが29歳で白血病に侵され31歳で亡くなると言うものでした。そして、この神山清子さんは信楽の女性初の陶芸家であるばかりでなく、息子さんともども骨髄バンクの創設に尽力を尽くした人だったのですね。

 

まず最初に、あの優しくゆっくりと心を通わせ、所謂キュンキュンと言うのではありませんが、ジワーッと胸に染み入るような良い関係を築いていた、あの八さんと喜美子と言う夫婦が一体どうなってしまうのだろうかとドキドキして見ていました。

だけどあの落としどころ。素晴らしかったですね。

明るくて可愛らしい弟子のみっちゃんを嫌いになんてなれません。どうなるんだろうかと思ったら、みっちゃんの片思いの勝手に失恋と言う流れで、泣きながら信楽を去って行く三津。可愛らしかったし、胸がキューンとなりました。そしてそれとさして変わらない頃に、八と喜美子の陶芸と言う芸術を介しての、ひとたびの破局があったのです。

だから女性の弟子と出て言ったなどと言うろくでもない噂が出たというお話でした。

 

そして息子さんの白血病の運命も、知っていたのでやはりドキドキして見守っていました。

適合者がいなくて、なかなか骨髄移植が出来ない事も、そして彼の後の運命も。

だけど武志が大好きで、私はふと、これはモデルがいたとしてもそれを基にしたフィクションなのだから、もしかしたら違う結末が用意されるのではないかと思ってしまったのでした。

もう最終回間近・・・・・。

その時直子が言うじゃないですか。鮫島の名前を。

「そうよ、彼が居たじゃないの。鮫島~!!、カンバーック!!!!」と、淡い期待を持ってしまいました。

最終回のその時に、ギリギリに命繋ぐと。

でも・・・・・・・

そんな話ではありませんでした。

いえ、知っていたのです。そんな話ではない事を。

 

26歳の誕生日を前に武志は旅立ってしまいましたとナレーションが伝えます。

武志と喜美子の最後は、その2年前の

「ぎゅうしてあげようか。」と、照れる武志を無理やり抱きしめて、二人で笑いあって「幸せや」と武志が言うシーンで終わるのです。

子供の頃の武志へのぎゅうと抱きしめているシーンと最後のぎゅう・・・・って思い出すだけで、涙が出ます。

 

闘病シーンは無しです。だけどその最後の日々に垣間見せたエピソードを大崎医師が語ったり、母への感謝の言葉をさりげなく八さんが語ったりしました。

 

「スカーレット」のシナリオの素晴しさは、何気なく見せられていた日常のなんでもないエピソードやシーンが繰り返されるところですよね。

初回とラストも穴窯のシーンで始まり終わりました。子供の時代の武志と喜美子との触れ合いのシーンが病気になってからの病名告白のシーンや、ぎゅうのシーンなどに使われたのです。

八さんとの別れのシーンに、縁側に座り蜜柑を食べるシーンなども。

「またたくさん話そうな。」と八は言いました。

ずっとずっと離れていても寄り添う二人が描かれて、そこで涙した人も多かった事でしょう。

私は大崎医師の言った手を握り返してきたと言う言葉にも、胸に迫るものがありました。

あの「みんなの陶芸展」の時に、元気を送る為に手を握るシーンがあったでしょう。

思ったよりも強い力で握り返してきた武志に驚いた大崎でした。

それは「生きてる」を伝えたかったのでしょうか。それとも武志からみんなへのエール返しだったのかしらなどと思えてしまったのでした。

 

 

最終週が素晴らしくて、他の事がなかなか書けません。半年やったドラマの感想を1回だけ書くと言うところに無理があるのかも知れませんが、子供時代・大阪でも家政婦時代・絵付をやっていた時代、みんな好きでした。

喜美子のお父さん、飲む人で無茶な所もあったけれど、みんなに愛されていました。それはその父がみんなを本当に愛していたから。お父さんは喜美ちゃんが大好きでって言うシーンがたくさんあって、そして可愛いお父さんでしたよね。

彼はちゃぶ台返しが生きていた昭和初期の男でしたね。どんな父であっても、その父の言う事に逆らわずにずっとたてて守っていた喜美子。そこにも昭和の初期の「家」の名残りがあったと思いました。女が穴窯に入れば穢れると言われていた時代。自分のやりたい事などの意思が通用する事もなく、親の言う事を聞いて生きていくというリアルな昭和が描かれていました。

その時代を生きた喜美子が、自分の意志を貫いて、去って行く愛する人も追いかけずに自分の本当にやりたい事を貫いたのは、ビンビンと響きました。

誰もが成功すると言うわけではありません。

だけどその覚悟と言う扉を開けた者だけに道は開かれるのだと思いました。

そして喜美子は陶芸家としての人生を手に入れたのですね。

なぜだか、胸が痛くなりました。

 

しかしその後の、つまり陶芸家として成功した後のこのドラマのテーマは、

いつもと変わらない1日は 特別な1日」

だったのだと思います。

 

「今日が私の一日なら」

あなたは何と答えるのでしょうか。

私は、

「花をたくさん見て、笑って過ごす。」と言うでしょう。

 

 

手帳にメモが書いてありました。

「スカーレット、いいね。

『来たで、武志。』『やっと来たで。』

『父ちゃんかと思った。』」

そして私はちょっとまた泣いてます。

半年、ありがとう。幸せな時間でした。

 

 

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今年の桜を・・・・

2020-03-27 02:19:45 | 梢は歌う(日記)
 
「Sky presents 藤原竜也のラジオ」10

※ 朝起きたら、喉の奥が痛くて、なんだか一日中ぐずぐずしていました。ようやく夕方近くになってからやっと元気が出てきて、「やるべきこと」の一つをやりにようやくお出掛けしてきました。......
 

 

上の囲みは昨年の3月26日に投稿したものなんです。

この内容の中に

>「今年の桜は見る事が出来ても来年の桜は見る事は出来ない。」

私、何気なくても、こう言う事を言われるとドキドキするのよね。

この言葉って、私の父が最後の花見で言った・・・・・。まあいいや。

ただ、今年の桜と来年の桜は違う。同じ桜を見る事は出来ないと言う事を言ったのね、きっと。

 

と言うくだりがあるのですが、毎年桜の花を見るたびに、父の最後の春になってしまった町会での花見の席で言った

「今年の桜は見る事が出来ても来年の桜は見る事は出来ない。」と言うその言葉を思い出してしまうのです。

 

「大丈夫。また一緒に見られるよ~!!」と言う励ましのヤジが飛んで来たとか。だけど、父の言葉通り、彼は翌年の桜を見る事が出来ませんでした。

花は毎年同じように咲くけれど、見ている私たちは同じようでいながら同じではないのですよね。

この話は違う記事にも書いた事があるのですが、何回でも語りたい、私の中の父の大切な想い出です。

 

またその回の竜也さんは

>「演じる事は日々を生きると言う事。日々新しい鮮度と感覚を求めて。なぞりはしない。毎日同じ事をやっているわけではないんだよね。」

と言うようなことを言っていて、思わず彼の演劇に対する思いまでも感じてしまったのでした。

だけど毎日同じような事をしているように見える私たちの暮らしでも、実はそうではないでしょう。

私たちにとって、明日は常にまだ始まっていない新しい舞台のようなものですね。

 

ところでつい先日、私は父の夢を見ました。

まだ初老の若い父はお布団で寝そべっていました。初老の人を若いというのも変ですが。そしてその横にはやはり初老の今よりはずっと若い母が横たわっていました。二人はそこで体を休めて他愛のないお話をしていたのです。だから私もその横に寝そべって、二人に寄り添いました。

父と母と子供が寝そべってお喋りをする。こういうシーンは、どこのうちにもある場面だと思うのですがどうでしょうか。

いや、どこのうちでもすると言うわけではないかも知れません。夫殿が、あの姑と舅の横に寝そべってお喋りをしていた姿など想い描く事など出来ませんから。

私のうちはと言うよりも、私はそういう事をよくやる子供でした。

だから夢の中でも、

「最近さあ・・」と何かを語っていました。

「まったくさあ」とか・・・。

なんお話をしていたのかしら。

コロナの話とか、自治会の話とか、見た映画の話とかしていたのかも知れません。

父も笑いながら何か言い、母も「本当よねぇ」と相槌を打ちました。

とっても幸せな気持ちになって、私は父の手を取りその手に顔をうずめ言いました。

「なんで死んじゃったかなぁ。ずっと生きていれば良かったのに。」と。

すると母も体を少し起こし、父の肩に顔を乗せ、私を見ながら

「本当にねぇ」とまた言ったのでした。母は溌剌とした顔をして綺麗でした。

 

楽しくて私はとっても幸せな気持ちで朝を迎えました。

 

手に取った父の手も暖かかったような気がしたリアルな夢でした。

ああ、楽しかったナぁと、私はまた思いました。

 

父は生きていて私とお喋りをし、母はまだ若くて私のお喋りを聞いていてくれる・・・・・・。

死ぬも老いるも生まれてきた時からのお約束。逃れられない運命で、時を止める手段を人は持たないのです。

 

幸せな朝でした。

だけど目が覚めて、私はシクシクとその夢を思って泣いたのでした。

 

 

 

 


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ドラマ☆いろいろ 「微笑む人」と「不協和音」

2020-03-25 23:58:29 | テレビ・ラジオ

※ 世間と言うか世界が大きく動いています。コロナと言う疫病のために。それなのに、ドラマの感想で良いのかとちょっとは思ったりもしますが、やっぱり時には気の重いことから離れてみるのも良いのかも知れません。

 

3月に見たスペシャルドラマの感想も、簡単ですが書いておこうと思います。

 

3月1日に、テレ朝「日曜プライム」で放送された「微笑む人」。

裏が「テセウス」と「パンダ」だったので、最初はまったくノーマークだったのです。ツイッターのTLをチラ見すると、まさにそのタグで感想が流れていました。「怖い」と。

ふと興味が沸きましたが、もう録画もしていないし良いかなと思っていたのですが、翌日の姉との電話で、そのドラマの話題になりました。

「見てないよ。」と言うと、見てもらいたかった、そして解説をして欲しかったと言うのです。もちろん、どのように捉えたのかと言うような感想とかを言うにとどまり、偉そうに解説など出来るものではありません。

ネットで検索をして、見てみました。

思わず、私の方が解説してもらいたいよと思ってしまいました。

 

あらすじ

『2018年9月16日、エリート銀行員・仁藤俊美(松坂桃李)が妻子と河原でピクニック中、突然妻子に手をかけた。

当初は水難事故と思われたこの事件は、目撃者の証言と妻・抄子(かんこ)の爪から検出されたDNAから仁藤による殺人と判明した。

仁藤が妻子殺害の動機を「本の置き場所が欲しかったから」と答えたため、「そんな理由で妻子を殺すはずがない」と世間の注目を集めた。』

それを週刊誌記者・鴨井晶(尾野真千子)が、その謎に迫っていくわけです。

妻と子ばかりではなく、銀行の先輩の変死に大学時代の友人の死、そしてそれは子供時代にまで謎が飛ぶのです。

そしてドラマは原作とは違う衝撃のラストを迎えてしまうのです。

松坂桃李と尾野真千子は良かったですよね~。

桃李さんは凄く今ノッテいますね。彼の「新聞記者」がアンコール上映しているので、観に行きたいなと思っているのですが、なかなか行く日が無くて、いまだに未見なのですが、是非見たいです。

 

ここまで書いて、その先の衝撃なラストはネタバレになるので書かないというのはどうかと思われるかもしれませんが、上記の過去の変死などがあったレベルについては、ネタバレであってもサスペンス的には想定内的な物なので大丈夫だと思うのです。

ただその先を書いてしまっては、これからネットレンタルで、または再放送時に見ようと思っている方の楽しみを奪ってしまうので止めておきますね。

ただ感想がネタバレなので、未見の方は下の《》を飛ばしてお読みください。

《どんどん恐ろしい展開になって行くわけですが、結局、それは推測の域を出ず結局は何もわからなかったのです。

テレビ前で首を傾げている所に、仁藤が言いました。『人は自分の見たいようにしか他人を見ないし、わかりやすいストーリーを聞いて安心する。特に殺人などにおいては。』と。なるほどなぁと思いました。晶は最初は子供が同じ幼稚園だった繋がりで、仁藤とは「おやとも」、つまり親友になろうと提案するほどの好印象を持っていました。それでそんな訳はないと思っていたのです。だけれど、仁藤の過去を探るうちに、ある過程に辿り着きそれを記事にするのですが、それを仁藤に否定され、そのセリフを言われてしまうのでした。》

だけどふと気が付いたら、このドラマはどうなっているのだと、分かりやすい解説などを他者に求めている自分がいたのでした。

深い深い物語でした。

 

そして3月15日に同じくテレ朝のドラマスペシャル「不協和音 炎の刑事vs氷の検事」

これ、面白かったです。29日まで無料で見る事が出来ます。              →ここからどうぞ

姉はこのタイトルを見た時に「ケイジ」と「ケンジ」の類似品のように感じたのですって。確かに、刑事と検事ですものね。同じように勘違いをした人もいたかもしれませんね。

だけどこちらは兄弟の物語で、コメディの部分はないので静かな物語だったと思います。推理部分もなかなか面白かったですし、取り調べのシーンも良かったです。

父はなぜ冤罪の生んでしまったのか。それは仕組まれたものだったのか。そのメインの部分が解決していないので、続編もあるのかも知れません。

橋での二人が去って行くシーンが良かったです。ニコリともしない二人でしたが、子供の時、慕い合っていた頃の二人の合図をする二人。

欄干を「コンコン」と叩けば、当たり前のように「コンコンコン」と叩き返して振り向きもせずに去って行く・・・・

この兄弟はイイナぁと感じさせてくれました。

是非続きが見たいです。

刑事の兄を田中圭、検事の弟を中村倫也。

 

 

 

そして予約受付中なのは

 

 

少々ドラマブログは飽きました。そうは言っても。週末には「スカーレット」が最終回ですね。

明日はお花見ブログにしようかなって、・・・・・なんと後2分で明日じゃないの~!!

・・・・

 

 


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ドラマ☆いろいろ「テセウスの船」

2020-03-24 12:29:40 | テレビ・ラジオ
 
ぶらり川越日記《駄菓子屋横丁と蔵の街》
・「ぶらり川越日記《喜多院の五百羅漢》」・「ぶらり川越日記《川越城本丸御殿&ランチ》」の続きです。やっぱり「蔵の街、川越」と言ったら、その象徴的な風景は「時の鐘」のある風景......
 

 

上の囲みは、昨年の23日に投稿したもので、昨年は3月17日に川越に遊びに行っていたのでした。今年の17日は何をしていたのやら・・・・ふぅ~。

 

最近ドラマブログになってしまっていますが、これはもう少しだけ続きます。「テセウスの船」の事は、ひとつ前の記事に最終回前でしたが、なんとなく触れたのでもういいかと思っていましたが、やっぱり書きたい衝動に駆られてしまいました。

最終回視聴率は19.6で高視聴率で終わりました。

だけどこれは、私のようにモヤモヤ解消のために「見ないわけにはいかない」という罠にはまった人が多数いたためと思われます。

最終回は、流石にこのドラマのスタイルに慣れてまったくイライラしなかったので、もうそれだけで私は満足しました。

共犯者も、私が思っていた人そのままだったので驚く事もなく、なんだか繰り返される家族愛のシーンに少々げっそりして

「これらのシーンは、こんなにしつこく必要かしら。」と夫殿に言っていました。

夫殿曰く

「家族愛がテーマなんだから、良いんじゃないの。」と寛大でした。

ところが終わってみると、その最後の描き方に夫殿が怒っているのです。

「みきおは何だ。まるで何事もなかったかのようじゃないか。」と。

たかがドラマごときで怒るんじゃないよと思いましたが、本当はいくつかのセリフとか、欲しいシーンがあったなとは思っていたのです。

家族の楽しいシーンの回想シーンを多用しないで、もう少し新しい映像がいたのではないかと思ったのです。(予算が無くなったのかしら ?)

それほど期待もしていなかったドラマだったので、もう良いかと思ったりもしたのですが、夫殿が怒ったりなんかするものだから、少しまじめに考えてしまいました(笑)

私が、共犯者の人はあの人だと思っていたのは、心が一度帰った未来で殺された人のひとり。またも音臼村の悲劇再来かと言う感じに使われた感じでしたが、殺されるには理由があるはず。だったら未来のみきおに邪魔になったからという理由で殺されたんじゃないかなと思っていたのです。

だけど動機が分からず。最終回で田中のお母さんが夏祭りで間違えてキノコを入れた犯人だったことが分かります。

最終回で語られたわけですから、最後まで分からないのは当たり前ですよね。

加害者家族だった田中正志の苦しみがあったわけですが、物凄い逆恨み。自分の苦しみを佐野家にぶつけたようなものですよね。この田中の苦しい生活や自殺してしまった妹との生活とかを、楽しい佐野家と比較して描いてくれたら、もう少し説得力があったかも。この田中の独白を心は聞いてないじゃないですか。もし聞いていたら、彼の気持ちが本当に分かるのは、心だけだったんじゃないかと思うのです。彼はいつものあまり説得力のない言葉で、なんと彼に話しかけたのでしょうか。

 

心が死んで、舞台はその先の続いた未来に飛んでしまいます。

 

お腹の中に居た心は、無事に生まれ幸せな人生を送っていました。

佐野文吾は、「テセウスの船」の事を想い・・・・・。

 

そうこの幸せな心とあの死んでしまった心は、同じとは言えないんですよね。

死んでしまった心の、本当の世界では母も兄も死んでしまっているし、姉も暗い顔をしてみきおの妻。もしもあのまま心が過去を変えて、未来に戻っていたら、あの心の世界も最終回での家族が待っていたのでしょうか。その時初めて二つの世界は重なり合ったかもしれません。だけど心は死んで、二つの世界は分離したと考えたらいいのでしょうか。

この時間空間を移動する物語は、常に明確には出来ない不透明感が生じるのですよね。そこは蓋をせざるを得ません。

だけどあの事件から続いた世界には、死んでしまった心は確かに存在していたわけで、彼は何処に葬られたというのでしょうか。

「なんだかうちの心は、あの心さんに似ているね。」とかお母さんが呟いたり、

「心さんがお父さんを守ってくれたお蔭だね。」とか誰かが言ったりするシーンは欲しいと思いました。

 

夫が思っていた共犯者は、未来からやってきてしまったみきお自身。

これは私も、首を傾げる部分です。私も大人になったみきおは心と一緒にやってきてしまったと思うのです。もともとみきおはかなり頭の良い人ですよね。だから心と文吾は負けっぱなしだったと思うのですよね。

それにこの夫殿の推理は。あながち間違えてはいないのでした。なぜならそれは今日知った事ですが、原作では、まさに共犯者は未来から来た大人になったみきおだったのですよね。

もしも彼が一緒にやってきたならば、その彼は今はどうしてると言うのかしら。

全く描かれていないという事は、心と一緒に過去に遣って来たのはレコーダーのみだったのかしら。

 

そしてたくさんの犯罪を犯してしまったみきお少年。

やっぱり、あのいきなりの笑顔はないんじゃないかと思うのです。

やはりほんのちょっとで良いから、木村先生とのやり取りなどのシーンなど、もう少し説得力を持たせて欲しかったと思います。だから回想シーンを減らして、もう少し新しいシーンが必要だと感じた次第なのでした。

そう言えば、最終回のラストにだけ出て来たお兄ちゃんの澤部さん。あのお兄ちゃんだからこんな風に育ったような気がしました。

― お兄ちゃん、死なないで良かったな。

って意外と素直に私思いましたよ^^

 

まあ、とにかく無事に終了してメデタシメデタシ。

 

またもそう言えばですが、罪を犯した少年を先生が引き取ってと言う物語がありましたね。→相棒シーズン1#5「目撃者」

あの時の手塚少年はどうなったのでしょうか。またその続編が見たいとずっと思っているのですが、なんたって今彼は、可愛らしくて怖い信長をやっているので、「相棒」のゲスト出演は無理ってものなのかもしれませんね。

 

 

 

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ドラマ☆いろいろ☆見ていたドラマの感想を。

2020-03-21 16:45:09 | テレビ・ラジオ

※ 記事には関係ありませんが、季節柄、花を添えました。

いろいろと今シーズンのドラマも最終回を迎えたので、その感想を書いていこうと思います。

今週はドラマブログをやっています。

ひとつずつ丁寧に書いてもみたいような気もしましたが、やはり私的には無理なので、少々長くなっても一気に書いていこうと思います。

 

〈月曜日〉

絶対零度~未然犯罪潜入捜査~」。これは今までの「絶対零度」と言うタイトルが付いてきたドラマの中で、私的には一番面白く感じ、そして好きでした。チームワークも良くて、それぞれの自分との葛藤も良く描かれていたと思います。

ただ人は自分の心が生まれ落ちた故郷があり、その世界から抜け出すことは容易ではなく、その世界の中で生きたり成長したり死んでいくしかないのかなんて事を感じてしまったのでした。ある日、本人には何の落ち度もないというのに加害者家族になってしまった苦しみ。その世界から見える風景は、けっして普通の穏やかな風景ではないと思いました。

多くの犠牲を払って誕生してきた「未犯」。これは、だからこそ潰してはならないものなのか。それとも、だからこそ存在させべきではないものなのかー ?

とりあえず井沢の妻子を亡くした心の苦しみからは、何とか抜け出し一歩前に進めたので、良かったと思いました。

この問題がど真ん中に有ったので、お気楽刑事ものにはならずに重みがありました。

次回からはお気楽刑事もので良いので、続編希望です。

 

病院の治しかた〜ドクター有原の挑戦〜

フツーに面白かったです。これは実話がベースなんですよね。高嶋さんが良かったです。有原の挑戦かも知れませんが、打ち出したことを粛々とこなし叶えていく倉嶋(高嶋)がいなかったら、この病院の改革は無理だったのだなと思いました。これは小泉孝太郎さんの演技によるのかも知れませんが、溜めがないから、次から次へと考え無しに言っているような気さえして、暴走特急ぶりだけはよく分かりました。こんな上司がいたのでは胃に穴が開くよなと思いつつ、ここは病院だから良いのかなんて思ってみたりしました。

 

〈火曜日〉

「恋はつづくよ いつまでも」

これは前にも書いたことなのですが、ターゲットが私たち世代ではないと思ってました。それでもヒロインの健気なお仕事ぶりが好きでなんとなく見ていたのですが、最終回だけは

「あっ、いっけなーい。見逃しちゃった。」で、何の問題もなかったような気がしました。ばっちりとターゲット世代のための内容になっていて、全編イチャイチャ。

あくまでも最終回だけの話ですが、見なければ良かったと後悔しました。これからは世代的に相手にされていないドラマには手を出さない事にしようと思いました。

 

〈水曜日〉

「相棒」の最終回記事は→相棒18 最終話「ディープフェイク・エクスペリメント」

「知らなくていいコト」の最終回記事は→ドラマ☆いろいろ 「心の傷を癒すということ」と「知らなくていいコト」

 

〈木曜日〉

「科捜研の女」

まだ最終回は録画してあって、未見です。だけど一年経ってしまったのですよね~。それだけでもしみじみとするものがありますよ~。私はあまり普段、「科捜研の女」はキチンとは見ない方なんです。だけどなんたって一年やっていたので、今までと違って見た方なんじゃないかと思います。意外と推理なども面白いのですよね、これ。人気が高いのも分かるような気がします。

ケイジとケンジ〜所轄と地検の24時〜

これの前の番組がなんたって「ドクターX」で、これの後がキムタクのドラマ。その間で、桐谷健太さんの初連続ドラマ主演なのに、あまり視聴率的には振るわなかったのは痛かったかもしれませんね。お話的には普通に面白かったです。

この視聴率が振るわなかった理由に、東出さんの不倫騒動も確かに一因はあるかもしれませんが、そればかりじゃないと思うのですよ。なくても同じような視聴率だったのではないかしら。と言うのは、私的には桐谷さんと東出さんは声が同じトーンで、画面が騒々しい。

東出さんは、今度の騒動が起きてから、ある事を遠慮なく言われるようになってしまったと思うのです。

「大根役者」って。

実は私もちょっと前までそう思っていたのです。あの「花燃ゆ」の頃。朝ドラは良かったのになあと、ちょっとがっかりしていました。だけど「精霊の守り人」を見て、気持ちが復活しました。最初にキャストが発表された時、竜也さんがタンダをやったらいいのにと、その時もがっかりしたわけですが、のちの展開を見たら竜也さんは帝をやらなくてはならなかったのですよね。

そして東出さんに、ある事に気が付きました。彼はどんな役でも出来る人ではない代わりに、自分に合う役さえ選べばけっこういい役者さんだなと。自分は大した力もなく庶民であっても、ヒロインを支え続ける優しさと言うものを前面に出したら、これほどぴったりな人はいないと思いました。あの詐欺師のドラマのぼくちゃんも然りです。

なんでリアル世界での自分のヒロインを大切にしないんだって事ですよね。でもこの部分は、ご夫婦で乗り越えて行けば良い事で、預かり存ぜずということだと思います。まあとにかく、彼は「傲慢」になっている場合じゃないですよ。

足の長さだけでは、勝負なんか出来ない世界じゃないですかね。

と言いつつ、私はこっそりと気持ちの中では彼を応援しています。

 

〈金曜日〉

「病室で念仏を唱えないでください」

毎回泣いていました。僧侶で救命医と言う特殊な医者でありながら、医療物としては王道だったと思います。安心して感動させていただいていました。伊藤英明さんは好きな俳優さんで、この役はぴったりでしたね。

そう言えば、先ほど夫殿と3月29日にやる「陰陽師」の事を話していました。2001年の映画からすでに19年も経っているのですね。初々しかった陰陽師の相棒・博雅もオジサンになるわけですね。佐々木蔵之介さんの陰陽師も楽しみにしつつ、ちょっとだけ伊藤さんの「陰陽師」も見たかったなと思ってしまったのでした。

 

〈土曜日〉

録画でnhkの土ドラ「心を癒すということ」を見ていました。

「トップナイフ」は好きな俳優さんばかりでしたが、基本的には見ていませんでした。木曜日の「アライブ、がん専門医のカルテ」とこれは、身内にがん闘病患者がいるので、見るのも辛くて初回辺りから離脱しようと思っていたのです。だけどけっこう世間様では評判も良かったみたいですね。

夫が見ていてテレビでは掛かっていたのですが、背中を向けてのPCタイムでした。ただ少年を「あなたの子よ。」と押し付けられたり「違うから」と取り上げられたりの下りは、思わず振り向いて魅入ってしまいました。

今は、やはり録画で「トップナイフ」の時間帯にwowowde放映されている「パケードの誤算」を見る事が楽しみです。

 

〈日曜日〉

「テセウスの船」

これは明日が最終回ですね。これは本当に最終回だけ見たらいいんじゃないのと思いつつ、毎回見ていました。なぜって、毎回、本当にイライラしていましたから。ドラマをイライラして見てるって、それって楽しんでいると言えるのかってところですよね。このイライラを解消するには、最終回まで見なければということで、明日が楽しみです。(何かの罠にはまっているような気がします(^_^;))

 

「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う」

これは大好きな作品でした。

「パンダ~!!!」とミスパンダになったレンが叫ぶと、なぜかすっきりしました。これの前に見ているのが「テセウス・・・」だからかも知れませんが、清野菜名さんの魅力全開の作品でしたね。もちろん横浜流星さんも素敵でした。

なんだかんだと言って、親に死なれてしまった子供、愛されなかった子供、構われなかった子供の後の物語でしたね。

すべてを忘れて未来に踏み出すレンと直輝。はちみつでの暗示をかけて・・・・・。

だけどラストシーン、偶然にも隣どおしに座った二人は同じようにパンケーキを注文して、同じようにはちみつを回しかける・・・・

ああ、どうなるのと言うところで終わり。

これの後日譚が、有料であるんでしょ。有料だから見ない !! いやいや、無い方が良いな。この終わり方で良いのになって思ったからです。明日はこれがないのかと思ったら、私は寂しいです。

 

あっ、もちろん「麒麟がくる」は楽しみに見ています。

 

と言うわけで(どういうわけだ ?)、ドラマブログは、もう少し続きます。

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相棒18 最終話「ディープフェイク・エクスペリメント」

2020-03-20 10:52:57 | ドラマ(相棒)

※ 最終回なので花を添えました。

 

最終回に相応しい、2時間スペシャルでありながら、まったく飽きない展開で面白かったです。

でもこんなディープフェイクの技術が進んでしまっては、何が本当で何がそうでないのか、ますます真実の行方が分からなくなってしまいますね。

あなおそろしや。

こうなってくると、一番信用が出来るのは、アナログな「物証」と言うものになって来るのかも知れません。

いややっぱり、元々それが一番大事ですよねと脳内で再確認しました。

 

このフェイク画像は、このドラマ内のようなクオリティの高いものでなくても、これからの時代は、ネットの窓を開けてその外に触れる者は、目に入ったものが真実とは信じ切ってはいけないというのは、心のどこかに止めておかなくてはならないことかもしれませんね。

ドラマ内でも、青木がドラマ上の進行で作りだしたフェイク画像がありました。

「それぐらいだったら、僕にだって作れるんです。」と言っていたけれど、「そのぐらい」にも幅があって、「それぐらい」であったとしても、それさえもそれを見抜く技をほとんどの人は持たないわけですから。

 

だから今回の内容は、結局は政府の思惑はともかく、いっけん専門バカの狂った発想の女が起こした殺人事件のように見えるけれど、かなり恐ろしい今の時代を、私たちに見せつけてくれたような気がしたのです。

また、この女の・・・・えっと、この女では失礼ですね・・・・鬼石美奈代の動機は「嫉妬」とかなっていましたが、やはり本当の動機は「日陰の女は嫌なの。」だと思うのです。それは男女間のと言うのではなく、この研究が成果を見せても、政府の重要機密案件としてその研究が守られたら(または取り上げられたら)、まさに「日陰の女」。

「私の大好物は拍手喝采なの。」

動機はやはりそこに有ったのかもと思ったら、鬼石はそうとうのクレイジーな人で、そこも怖かったです。

 

 

しかし今回は、なにげにオールキャストでしたね。出演しない人は名前だけの登場とか。気配り& 最終話を意識したシナリオだと思いました。

「推理力減退症候群」でしたっけ。右京の噂は神戸から出てあっという間に広まってしまいました。なんと理由は「花の里」が無くなったから。以前もあったそのロス状態。だけど右京は「もう免疫が出来ているから、同じ事は起こらない !!」と豪語するのでしたが、

最終的には「こでまり」が出来て、本当に良かったと思いました。

右京にとって、そう言う場所はホームズのパイプのような存在なのですって。

この場所は右京にも必要だけど、これは視聴者にも、いやもしかしたライターさんたちにも必要だったのではないかしら。

 

ささやかな見どころはたくさんありましたね。暇か課長と冠城のお弁当交換シーンとかも、何の説明もないけれど、その前の会話も見えるようで良かったし、青木の「特命一派」も凄く面白かったです。

彼の場合は既に「嫌い嫌いは好きのうち」ってやつですよね~♪

仲良くチェスなんかしちゃってね。

 

ところで私、このシーズンが始まった頃、「相棒ロケ地」を歩くって言うのも、楽しいオマケの楽しみ方だなと思ったのです。いくつかメモをしましたが、結局は今シーズンでは一か所しか行けなかったのでした。

その場所に行った記事は→「相棒」のロケ地、Anchor point に。

です。最終回ではこの場所が、内外で場所を変えつつ複数使われていました。ちょっとだけオマケの嬉しさがありました。

 

ただ、前にも言いましたが、このように遅れて感想を書くと視聴率が分かるのですよね。

なんとこの最終話の視聴率は、

13.8 ???????

低くて、吃驚しました。

え~、何でかな ?

なにげにショックです。

 

うーんうーんうーん・・・・・・考え中・・・・・・・考える必要なんかないけれど・・・・・・

思うに(考えたわけ)、「エクスペリメント」を日本語にしたら良かったんじゃないかと。

「ディープフェイクの実験法」「ディープフェイクの実験」「ディープフェイクの検証」ただの「検証」

「ディープフェイク☆真実の行方」

なんとなく、見えないどなたかに叱られそうな気がしてきたので引っ込みますね。

 

低いと水谷さんが傷ついて「もう止める。」とか言い出しそうな気がして、嫌だなって思ってしまうのです。

視聴率なんか、このような程度でも変わってくるものだと思います。

確かに始まりがあれば終わりもあるもの。だけど出来たら、「19」と言う数字よりは「20」ぐらいは行って欲しいと願っています。

 

あっそうそう。すこぶるインパクトのあったセリフ・・・。

内閣官房長官の鶴田。

「権力とはかくありたい。」ね。

鶴田役の相島さんの悪人顔~!!

もう本当に憎らしかった~!!  ←褒めています。

 

それから冠城が指摘した

「『僕としたことが・・』『私としたことが』って、自分が優秀な事が前提になっていてすこぶる感じが悪いですよ。」

これ、以前からそう思っていたのですが、右京の優秀さを愛しているので逆にちょっと好きな言葉なんです。それでも指摘してくれて、なんかすっきりしました。冠城、ありがとう~。あっ、輿水さんに言うべきか。

 

とりとめが無くなって来て、しかもキリがないので終了~ !!

「相棒」の記事をいつもたくさん読んで下さっている皆さま、ありがとうございました。

またシーズン19でお会いしましょう♡♡♡

 

 

 

 

 

 

 


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ドラマ☆いろいろ 「心の傷を癒すということ」と「知らなくていいコト」

2020-03-18 18:32:53 | テレビ・ラジオ

もう少しドラマブログを続けます。

いろいろと最終回になってきましたので、見ていたドラマの感想などを書いていきたいと思います。

最初は、

「心の傷を癒すということ」。

このドラマは、2月のまとめ記事の中に書き込んでも良かったのですが、その時は「知らなくていいコト」と一緒に書こうと思っていたのかも知れません。なぜ一緒にかと言うと、その理由には「ハハーン」と思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんね。

両方とも柄本佑さんが出演したドラマでした。

かっこ良かったのですよね~、この二つのドラマの中で、彼は。

なんたって、この人を知ったのが「ゲゲゲの女房」の地道に点描を討ち続ける菅ちゃんで、その登場の仕方が強烈で(信じられないようなへたくそな絵を持ってきて、弟子にしてくれと言うシーン)、すこぶる情けないような感じの人で、あまり好きな言い方ではありませんが「残念な人」と言う感じを醸し出させていたのですよ~。

それなのにね。

今ね。

「知らなくていいコト」なんか、本当に魅力的でした。

ドラマの内容の話になかなか行かなくてすみませんが、先日、ちょっと驚いたのは、CSチャンネルのどこかで夫が「怨み屋本舗」を見ていて、「懐かしいね。」と私もチラ見をしていたら、彼が出ていたのです。

そして言いました。

「東京に出て来て、怨み屋さんだけが、僕に親切にしてくれたんだ。」

このセリフ、いつも通り正確ではありませんが、「怨み屋本舗」の中で一番印象に残っていたセリフだったのです。それを彼が言っていたのですね。

「この人、こんな深夜ドラマにも出ていたんだね。」と夫も言いました。

「皆、最初の頃はこんな風に無名で頑張っていたのよね。」となんだかしみじみとしたのでした。

 

と言うわけで、ようやくドラマの感想ですが、この「心の傷を癒すということ」ですが、最初の主人公の安は車いすに座ってピアノを弾いていました。これは阪神大震災の時に負傷などをしてしまったのだろうかと、思ってしまいました。

だけどそうではなかったのですね。

このドラマは実在の安克昌さんをモデルにしたものです。

詳しいドラマの解説などはこちらを参考にしてみてください。→「心の傷を癒すということ」

そしてこのドラマのHPのスタッフブログの言葉をお借りしたいと思います。

『安さんが実現を願った「傷つきに優しい社会」。心に傷を抱え、弱った人や遅れた人を切り捨てるのではなく、ちゃんと寄り添っていく。誰も一人ぼっちにさせない。そういうことができる社会になってほしい。

安さんの願いが叶いますように、という祈りをこめたこのドラマ。』

伝わってくるものが、そして心に残ったものがたくさんあったように思いました。

 

そして次は、やはり

「知らなくていいコト」です。

私、これが上に書いた「心を・・・・」と大河ドラマと「相棒」を外した中で、一番楽しみにしていたドラマだったと思います。

 

母が臨終に残した父親の名はキアヌ・リーブス。ケイトは自分の父を探し出しますが、その父はなんと無差別殺傷事件の乃十阿。いきなり加害者家族になってしまったケイトでしたが、それが職場でバレテも、皆意識が高いのか、周りの人は優しい人々ばかりでホッとしました。いや、ひとりだけ違いました。それは恋人だった野中。もう本当に彼はクズで、よくジャニーズがこれをやってるなと思いましたが、このクズの野中を最後までやりとおした重岡大毅さんは頑張ったなと思いました。

ラストの彼のオチ、「闇落ち」と言う作品を書いて作家デビューには笑えたし、「ああ、良かった。」とも思えて良かったです。

「もう本当に彼はクズで」と書きましたが、こんな人は、ごく稀にいる人ではなく、むしろこういう人の方が多いのではないかと思います。元恋人の事を他のマスコミにリークした行動を言っているのではなく、自分の血筋に犯罪者の遺伝子を入れたくないというような云々・・・・・。

ただ一生守ると言った翌日に、そんなのは当たり前の事でしょと言う感じで、別れを言いに来た野中はやっぱりクズだと思いますが。

明るいコミカルな展開の割にテーマは重かったのです。

だけどやっぱり乃十阿は冤罪。しかしそれは幼かった息子の悪意ない行動が引き起こしてしまった事をかばったのです。作中でも、もしもこの時、この子供のやった事だと分かっても、子供は3歳ぐらいで罪には問えなかったと語られます。だけど乃十阿は責任を取ったのですね、親として。

この展開だけでも凄いなと思ったのですが、それを「書け」と言う編集者も恋人の尾高も凄まじいなと思いました。ケイトは悩みました。乃十阿が人生をかけて秘したものを暴き、何も知らず(覚えていなくて)に幸せに生きている人をさらけ出すことになるのですから。

ケイトの記事は、なかなか良いものでした。このドラマのテーマはここから来ているのだと思いました。だけどその記事は世間には出なかったのです。やっぱホッとしました。何が正解かそうでないのか分かりません。

どんなに良い記事であっても、その記事はセンセーショナルなものに相違なく、多くの関連した人々、その中には被害者の方々もいて、皆それぞれに傷つくかもしれません。

ただ世に出なくても、書く事によってケイトは前に進む事が出来たことは間違いのない事でしたね。

これは本筋も面白かったのですが、毎回のスクープネタの部分も面白く引き付けられました。

もちろん尾高とケイトの展開にも、・・・・なんて言うのかな、こういうの…胸キュンでも無くうふふって感じですか。

そんな感じで「うふふ」と見守っていましたが、なんたって不倫なので、最初から「二人は仲良く結ばれて、メデタシメデタシ」にはならないと踏んでいて予想通りでした。何の落ち度もない普通の良い人っぽい妻を巻き込み傷つけるわけですから、ひとかけらの正義もこの恋にはありません。

ただ吉高さんが可愛らしく柄本佑さんがかっこ良かっただけと私には見えてしまっていたのです。もちろん恋は「正義」があってするものではないから、もどかしく、時には胸を貫くような切なさを生むのですよね。

でもだからどういう感じでその別れが来るのかと思っていたら、乃十阿の父としての気持ちに共鳴する尾高を見て、ケイトは彼から息子を思う気持ちを奪えないと思うのですよね。

いや、思うだろ、そこは。。。。。。って、思いましたけれど。

 

しかしもっと驚いたのは、普通の良い人っぽかった尾高の妻の闇落ち。

赤ちゃんの置き去りですよ。吃驚するでしょ、これは。

もしもあの時、ケイトと別れなくて、二人でイチャイチャしていて、もう離婚は決まったようなものだから三日ぐらい帰らなくてもイイかってなってたら、赤ちゃんはどうなっていたのかしら。

こっそり妻が、尾高にムカムカしながら様子を見に来ていたのかしら(そんな感じではなかったけれど)

母親が子供の面倒を見るべきだなんてまったく思ってないけれど、どんな時でも親としての責任放棄はダメでしょって思ってしまいました。(まっ、少々気持ちは分からないでもないですが。)

 

そして未来では、尾高はケイトとも別れて妻も失って、ひとり子育てをしていました。だけど子供と手を繋ぎ歩いて行く尾高は幸せそうでした。ケイトもたったひとりで仕事に生きる女になっていました。だけどイキイキと溌剌としていました。

 

世の中には五萬といると思うのですが、妻の知る所でないところでかってに疑似恋愛をして勝手に別れて、何事もなかったようにしている人。そしてその罪の重さに耐えきれなくて、時には妻に有った事を告白してしまう人・・・・。

そう言えば、昔の大河ドラマの「功名が辻」で、一豊が「浮気しちゃった。」と告白すると、ブログ記事には「何で言うかなぁ」と告白してしまった事を責める感想が並んだのです。

真実を晒すということは良い事なのか、そうでないこともあるのか、正解は分からない事です。

ただ、確かに世の中には「知らなくていいコト」はあるかもしれませんね。

 

※ だからと言って、政治家さんたちのあれやこれやだけは、白日の元にさらけ出してやりたいと言う想いが消える事はありません。

 

「相棒」も最終回。だけどリアルタイムでは見る事が出来ません(ノД`)・゜・。

 

 

 


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麒麟がくる 第九話「信長の失敗」

2020-03-16 16:57:11 | ドラマ (大河)

なにげにショックな展開から始まりました。

織田攻めの為に三河への道、山道を急ぐ松平広忠一行。

「この道は鬼が出るとか。」

「怖いなら、お前だけ引き返せ。」などと言う会話があって、その道を恐れていた従者は真っ先に何者かに殺されて、彼は自分の死の予感をしていたのだろうかと引き込まれたところで、実は家臣は皆殺し。そしてとうとう広忠自身も討たれてしまいました。

 

えっ、青木君、もう !!!

あっ、いや、青木君ではなく、浅利君でしたね。

だけどもう退場かと驚いてしまいました。

 

いったい誰がと思ったら、犯人は信長でした。

「祝言の引き出物に。」と差し出したのは、その広忠の首。

信秀は激怒するけれど、確かに広忠は、信長が言う通り今川にすり寄りこの織田を責めようとしていたわけで、まさに先手を打ったのですよね。彼が三河に無事に戻っていたら、どうなっていたのだろう・・・・・。

だけどその「もしも」は信秀には見えず、「物事には時期と言うものがあるのだ。」と叱責するのでした。

しかしこのように文にすると、朝帰りの理由が恐怖におびえる民に寄り添った行動であったり、先を読んで先手を打ったりとで、知恵と勇気の人のように感じますが、いや、確かにそうだと思うのです。だけど、信長はやっぱり信長だったのです。

ところであの首が出てきた時に何か違和感を感じなかったですか?

やけに立派な首桶だなと思いました。

そうなんですよね。これは後からツイッターを読んで教えていただいたのですが、あの首の入っていた箱は、首桶ではなく、行器(ほかい)と言って、食べ物を入れて運ぶものなんですってね。

婚礼の引き出物だから、あの桶に入れて持ってきたのですね。

恐るべき信長 !!!

人懐こそうな丸顔の信長。だけどその実態は、凡人の斜め上を行く発想を若き時からしていたのですね。

 

だけど信長と帰蝶の新婚時代は、良い感じでスタートしましたね。

「時々大嫌いになるけれど、それ以外の時は父上は大好き♡」と帰蝶が言い、同じだと言う信長。

イチャイチャと言う感じ。

そんな所は万民の父と子供たちの普通の親子関係に感じてしまいます。

だけど大好きな父に夫を毒殺されていたり、父に褒めてもらおうと、勝手に人の首を取りに行ったりしていますが。

 

さりげない婚礼周辺の話を描きながら、戦国の今ココを見せて、そして家族の関係も示すとはしみじみと侮れないシナリオだと思いました。

一方光秀は、叔父上の仕組んだお見合い大作戦により熙子と再会を果たします。このお見合い大作戦は、熙子の父が上手く遣ったとは言い切れないものがあって、叔父上の目には成功とは見えなかったかもしれませんが、ちゃんと二人は幼き日の「十兵衛の妻に・・・・」などと言う想い出まで語り、ちゃんといい線いっていたのでしたね。

ニヤニヤしてしまいましたが、そうなってくると、京で医者修行をしている駒。駒は「なんか変」と言う状態に。

あの時美濃で女子会をしていた帰蝶は、夫になった信長とうまく寄り添い、二人が去った後の光秀も、新しい出会い(再会)がありました。駒だけが・・・・・と思うと、切ないですよね~。

 

さて「麒麟がくる第四回「尾張潜入指令」」

の中で、

>この先のいつかあるだろう種明かし回が楽しみです。

と書きました。

意外と早くに種明かしの回が来ましたね。菊丸の事です。

しかし人って嘘をついても、まるっきりの嘘じゃなく、どこかで本当のことを言っているのだなと思いました。彼は三河の農民ではなく、三河の忍びだったのですね。

岡村さん、かっこ良かったです^^

 

あっ、そうそう細かいことを言うと、あの土田御前と帰蝶の座り方に、ちょっと吃驚してしまいました。あの座り方は何?

とうとうここにも韓流の波が・・・・・・なーんてことは思いませんでしたが、片膝を立てた座り方を今まで戦国の時代劇では見たことが無かったですよね。

だから検索しました。

正座って江戸時代から定着した座り方なんですってね。へーへーへーと言うところなんですが、ちょっといろいろ勉強になりますよね~。

 

 

そしてこちらはやっぱりツイッター情報。

あの将棋は、・・・・・と言うかそのままツイートを頂きました。

《皆さん元ツイートもお読み下さいね。↓》

『竹千代が織田信勝と指していたのは朝倉将棋(小将棋)っていうらしい。 ・取った駒を持ち駒にできない。 ・醉象という駒が存在する。 ・醉象は成ると太子になり、相手に王将(玉将)と太子が存在する場合は両方とらないと勝ちにならない。 など一般の将棋とはルールの違う部分がある模様。』

 

それからHPの「トリセツ」にありましたが、赤い金魚は大金持ちの証だとか。織田は財力を持っていたって事ですね。道三も憧れる海を持っていたからでしょうか。

それをポツンと見ていた竹千代は、信勝との将棋にわざと負けてやるなどする利発な子供。信長との将棋は彼が強いうえに楽しいと慕います。その信長が目の前に来て「信長さま~ !!」と嬉しそうに走り寄っても、「どけっ~~!!」と邪険にされて、また呆気にとられながら、またポツンとひとりになってしまう感じが、たまらなく可哀想に思いました。

でもその慕う信長は、これからは父の仇です。

信長だってその子の父を殺したばかりだと言うのに、笑顔で対応なんて出来るわけがないと思ったのでした。

 

だけどもしもあの時、信秀が信長を褒めて彼が上機嫌だったとしたら、その時は子犬のように走り寄って来た竹千代にどのような顔をしたと言うのでしょうか。

ううっ、怖い !!!

だから、帰蝶に「変わった男なのでございます。」と嬉しそうに光秀の事を話されると、「そうか。」と気のないような返事をし、なんだか露骨にやきもち等を焼いてると分かってしまった可愛い信長を思い出し、クスっと笑ってオシマイにすることにしましょう。

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