森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

カンタベリー

2008-02-28 23:17:20 | イギリス旅行記

 7日目、私たちツアーはカンタベリーを訪れました。

 

 カンタベリーと聞くと、「カンタベリー物語」を思い出しますが、何で思い出すのかが分かりません。読んだことでもあるのでしょうか。もしそうであっても、埋もれた記憶の中にあっては、意味のないことでしょう。

「カンタベリー物語」=チョーサーと結びつくので、昔、物語名と作者を意味もなく暗記していた頃の名残かもしれません。でも、「カンタベリー」繋がり調べていくとなかなか面白い。

カンタベリー大聖堂」は、イギリス国教会の総本山です。
カンタベリー物語」は、そのカンタベリー大聖堂に巡礼に向かう途中の宿に、泊まり合わせた人々が様々な物語を話すと言うオムニバス。
映画「セブン」の中にも出てくる。
「カンタベリー物語」の映画もあるが、それを撮ったのは「ソドムの市」が遺作となり、謎の死を遂げたピエル・パオロ・パゾリーニ・・・・
面白いと言ったら不謹慎だったかな。

 

   

 

 教会の形は、今までに訪れた所にも似た感じなところはありましたが、その古さには、歴史を感じました。

 そういえばこの場所で、私たちは三人で写真を撮ってもらいました。通りすがりの、子供を連れたお父さんに頼みましたが、お礼を言って別れた後、その子供達がキャーキャー言って盛り上がっていたのが印象的でした。私たちはやっぱり異邦人。日本人に、父親が写真を撮る事を頼まれた事は、面白い経験だったのではないでしょうか。反応はいずこも同じですね。

 

  カンタベリー大聖堂は古くても、その街並みは旧い感じではありませんでした。そのストリートは買い物などを楽しむ人や、観光客で賑わっていました。

 

 それからこんな風景も。

 

     

 

 前にも書きましたが、この7日目は私の中ではフル活動、大切な一日でした。

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「じゃあ、またね。」

2008-02-27 23:35:31 | ’08/12/7までの未整理日記
明日は私の住んでいる地域の、公立高校の受験日です。

「みんな頑張れー!」

と言っても、受験生がここを覗く事はないとは思いますが、エールだけは送っておきましょう。心をこめて。


昨日は6年間私とお付き合いのあった子供が、最後の日をむかえて去っていきました。(私の家は子供がやってきては、勉強をしていくところです。)


 私は子供が帰る時
「じゃあ、またね。」と言うことが多いのですが、昨日も玄関まで送っていき、その言葉を言うと、その子は
「『また』なんですか?」と、微笑みました。
「『また』と言う日もあるでしょう。」
「そうですね。」と少年は言いました。


玄関でのやり取りは、ほんのつかの間の事です。でも、私は彼が思っていた以上に大人になっていたことを知りました。
彼は玄関の扉を開けて、いつもどおりの挨拶をしました。

「さよなら」

その瞬間、6年間の重みが私の胸を貫いていったのです。

「ダメよ、だめだめ。私、寂しくなってしまうもの。そんなの耐えられない。」
私は手を振りながら、
「またね。」ともう一度言いました。

エヘへ~と笑って、少年が軽く手を上げたのが見えました。

そうして玄関の扉は閉まり、私は彼の残した「さよなら」と言う言葉と向き合っていました。




 近いうちに一緒に食事をする約束になっています。ふらっと顔を出すとも言っていました。三年経ったら会いに来ますとも言っていました。でも、みんなどうでしょうか。でも、とりあえず発表の日にはメールぐらいは来るでしょう。


♪  さよならはまた会う日までの、遠い約束~  ♪ ・・・だったかな?


さよなら、君との思い出がキラキラ光るよ。明日は頑張って。

じゃあ、またね。

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ホテル~!<5>  まさか!!

2008-02-27 01:02:32 | イギリス旅行記

 前回はシャワーのお湯が止まらなくて、冷水を浴びて震えてしまったお話を書きましたが、今度は入れたお湯が抜けなくて大変だったお話です。  

 そのホテルは見た感じは、泊まったホテルの中でも一番の良さでした。ロンドンにも近いし、風景も素敵。お風呂はバスとは別にシャワーのコーナーもあって、洒落ています。強いてあげれば狭さかなというところです。  

でも、私たちに何もないはずはなかったのです・・・・ああ。  

 

 私たちは三人グループです。私と友人と、その友人の友人。この方とはこの旅行からのお付き合いです。でも、この方も気さくでマイペース、気もあって好い旅行メンバーでした。少し、と言うかかなり年上ですし。  

 その年上の彼女がお風呂に入った後に、そのことは起こりました。「ねえ、お湯が抜けないのよ。いろいろやってみたのにさ。」

 どれどれ・・・と私たちも見てみたけれど分かりません。あまりいじったりしても問題です。すぐに添乗員さんに連絡しました。

  しばらくすると、若いスーツを着たホテルマンがやってきました。彼も私たちがやったような感じで蛇口などをいじっていましたが、そのうちこっちに来いと言うような合図をしてきました。  私は、こうやってやるんだと説明してくれるのだと思って、友人も呼びました。なんたって、止まらないシャワーを止めて貰ったような私なので、一人で説明を聞くのは不安です。

 ジッーっと微笑みモードの顔で、説明を待つ二人。

するとその若い男は何か言ったのです。
「ハァ」と言うと、もう一度同じことを言いました。
私には彼が何を言ったのか分かっていましたよ。でも、言った内容が信じられなかったのです。チラッと振り向いて年上の彼女を探しました。彼女は部屋の片隅で髪なんか乾かしながらすっかりリラックスムードです。私は、友人の顔を思わず見ました。
「だってねえ。」と言う意味です。でも、私に助けを求められたと思った友人は、初めてホテルマンの言葉に耳を澄ました。ホテルマンは今度は動作付きです。
「エッ、アア~、はいはい。」と優しい彼女は、彼の言葉に拒絶の態度も示さず、汚れた湯船の中に手を入れて、栓を抜こうとしました。
「はいはい。」ってやってしまうんだと、私は思い、後ろめたい気持ちになってしまいました。もちろん抜けません。

  だから呼んだんじゃないのよ~。

  ホテルマンは、私たちにここに手を突っ込んで栓を抜けと言ったのですよ。もちろんそういう仕組みではありません。上の方の何かを押すと栓が開くという仕組みです。とりあえず手動でという事は誰でも考える事です。

 実は彼が来る前に私はやってみました。でもその時ふと、人が入ったお風呂というものは別に平気でも、こういう風に使ったバスに手を入れるって、なんかいやだなぁと感じて、手と腕を綺麗に洗ったばかりだったのです。

  私はいつ、このホテルマンがスーツの上着を脱いで、シャツの袖をめくるんだろうと、実は思っていたのです。だから、私たちを呼んだときそんな事をしなくても直ったと言ったと思ったのですよ。
まさか、まさかですよ、そんな事を私たちに遣れと言うなんて思ってもみませんでした。

 その後また彼は何かを言いましたが、何を言っているのか分かりません。「パードン?」私はこの旅行中で初めてこの言葉を使いました。(別に英語が得意なのではありません。使う必要のない理由がそこにはあります。でも、またその話は先送り。)
彼はまた同じ事を言いました。しかも同じスピードです。私は恥も外聞もなく復唱しました。でも途中からぜんぜん分かりません。もう、ギブです。分かりませんと言いました。

 すると彼は、また何かをいって去って行きましたが、もう彼の言葉は単語しか拾えません。リーダーとかセイとか。このことを彼は依頼を受けた添乗員に言ってくれるんだと、私は自分の常識でそう思いました。

 そして、私は友人に謝りました。 ―さっき、あなたの顔をみたのは、あなたにやれと言った意味ではなかったけれど、結局はそうなってしまってゴメンね。―

 もちろん彼女は気にしていませんでしたが、「アラいやだ。確かにバッチイじゃない。二回洗っちゃおう。」

 年上の彼女は、もうすやすや夢の中です。 その後何の連絡もなく、彼が添乗員に報告するだろうと言う事も思い込みなのだと分かりました。彼はたぶん添乗員に言えと言ったのかも知れません。ここでは私たちの常識は何も通用しないと言う事がわかりました。

 私たちの常識―それは仕事に対しての姿勢、それから物事の発想が自分視点でない所など、いろいろです。

 

  私たちは仕方がないのでシャワーを浴び、その日を終わらせました。でも、部屋は温度も低く私たちは震えてしまいました。その日私たちはコートも乾いたタオルもみんなかけて眠ったのです。 二連泊なので翌日には直っていましたが、直ってみると一番快適なバスではあったかもです。

 

友人が旅行に行くと、必ず何かがあるそうです。確かにいろいろあったホテルですが、今思うと、これもいい思い出です。何もなかったよりは、記憶に残っていいかもしれませんね。

「お前が栓を抜け事件」なんちゃってね。


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復活しました♪ とりあえず☆

2008-02-26 09:15:46 | ’08/12/7までの未整理日記
 「春一番」ほど、その言葉の持つ響きの素敵さと実際に起きている事の悲惨さとのギャップがあるものは、なかなか見つからないのではないでしょうか。

 先週の土曜日には春一番が吹き荒れて、うっかり洗って干してしまった洗濯物は洗い直し、ベランダもポーチも砂だらけ。植え替えたばかりの花は水分を持っていかれげんなりとしています。こんな日に出歩けば、過去に何度でも経験があるのですが、私は寝込むほどの鼻炎になってしまいます。なので、家でじっとしていました。
 マンションの駐輪場の自転車はなぎ倒されて、テレビの画面の中では私ほどの太ったおば様が風に押されて歩道を走らされていました。

 その翌日の日曜日、今度は冷たい北風に変わって、まだ風は強かったのですが、ほんの少しだけ買い物に出かけました。そのわずかな時に、風の中の塵か花粉かが私の目を攻撃し、片目が腫れ上がってしまいました。


「春一番」または「春の嵐」、ろくなものではありませんね。でも、そんなものが吹き荒れるようになると、やっぱり近づいてくる新しい季節に心ときめくものがありませんか。

    
                

お陰さまで「めまい」の症状は治まりました。
「気持ちは同じでも、体は違うと自覚せよ。」と言う姑の励ましを肝にこれからも、気をつけていこうと思います。

ご心配をおかけしました。ありがとうございます。
また、復活致しますので、よろしくお願い致します。


            
   

 ところで、どうでもいいことですが、サイパンで逮捕されてしまったあの方は、何で「元社長」なんて、変な名前で呼ばれているんでしょうか・・・?
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吉田拓郎「オールナイトニッポン」

2008-02-24 17:47:14 | テレビ・ラジオ

 「オールナイトニッポンドリームウィーク40時間スペシャル」の15時からの拓郎さんの放送を聴きましたか。

 

 昨年のカントリーツアーが中止され、私は行けなかった一人。

 

なんとなく心の中でくすぶっていたものがあったのですが、ちょっとスッキリしました。とにかく拓郎さんの体調にはホッとするものがありました。万全の健康でなくても死に至る病でなければいいんですよね。

今までは、ツアーが中止されてがっかりしたと言うことは、あまり声を大にして言いづらいものがあったのですよ。だって、その病状が分からないわけですから。でも、もう言ってもいいですね。
―がっかりしたんですよ。だから、今日の放送を聞くことができて、とっても嬉しかったのですよ~。

 

 今日の彼の放送も「過去に未来に」と言う感じでしたね。

自分の部屋で録音した「兄ちゃんが赤くなったな」が流れたり広島のバンド時代の「ダウンタウンズ」の曲が流れたり・・・

 

今年は広島でその「ダウンタウンズ」の再結成ライブをやるんですって。東京でもバンドを組んでその流れのライブをやる予定。

頑張らないと言いながら、なんか凄くないですか。

 

ちょっとした言葉が心に残りました。

―拓郎ワールドは、拓郎でも重い。

―体調不良は加齢によるもの。

 

中ノ森BANDの「風になりたい」と彼の曲「歩道橋の上で」は、映画「結婚しようよ」の中でも心に残った曲でした。

中ノ森BANDの「風になりたい」は、自分の曲を歌って好きだなと思った二番目。一番目はキャンデーズだったとか。「歩道橋の上で」を聞くと自分でも涙が出てしまうとか・・・
なんとなく頷いてしまいます。

 

最後の結びの言葉

―健康に気をつけて。健康って素晴らしいんです。健康さえあれば本当に幸せな事なんです。

(正確ではありませんが・・)

本当にそう思うよ。私は布団の中からこの放送を聴いていました。まだ、このブログはもう少し休もうと思っていましたが、思わず布団から抜け出てきた書き込んでしまいました。

なんだかいっぱい彼の曲が聴きたくなってしまった私です。

中ノ森BANDの「風になりたい」はココで視聴できますよ。


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少しだけお休み

2008-02-19 08:55:42 | ’08/12/7までの未整理日記
 いろいろ捨てない私ですが、持病も大切に持っていたみたいで、「めまい」が起きていました。この「めまい」って、
「ああ~」クラクラというものではないんですよ。

地球が回るんですよ。

こんなこと書いている場合じゃないですね。ブログを始めてからは一度も無かったので二年以上も気をつけてきたのですが、失敗しました。

コメントとメールのお返事は復活してから書きますね。ごめんなさい。


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ホテル~!<4> コート着て寝ようかな。

2008-02-18 12:13:46 | イギリス旅行記
 コメントのお返事を書いて気が付いたのも情けないのですが、ホテルと言うのは良くって当たり前、特別に素敵な事があるか、またはその逆かの場合しか書くことはないのですよね。そうすると、書こうかなと思っていたことはろくでもないことばかり。「素敵な」お話でなくて、申し訳ありません。


 海外に行かれた方が、日本の良い所の再確認をしたとはよく言われることだと思います。私もいくつかありますが、やはりその中で一番感じてしまうのは、水の豊かさではないでしょうか。

観光地でトイレに続けてはいると、水が流れなくなったりする経験は日本ではないことだと思います。
水の豊かさが、その水周りを豊かにするのか、シャワートイレなどと言うものを見かけることはついぞありませんでした。私はつい最近まで、シャワートイレが日本で発明されたものであることを知りませんでした。そして、世界であまり普及しないことも。たぶんその理由は水の出にあるのだと思います。

 また日本人は風呂好きと言われていますが、それゆえにシャワーとかお風呂とかも、如何に快適になるか追求されているように思われます。その発想が他の国にも共通かと言うと、やはりそうではありませんでした。


 泊まったホテルの中で、二箇所はグレードは高い方かなと言える所でした。

 ところがその一つのホテルでは、とんでもないことが起きました。
シャワーを終えてお湯を止めようとした所、止まらないのです。冷水が出たり熱湯が出たり・・・・
しかもそこのホテルのシャワーは、プールのシャワーのように高い所についたままで外れないタイプだったのです。熱湯なんかを浴びてしまっては、オカルト映画みたいになってしまいます。即、ハンドル式の調節機(なんて言うのだろう。)を回して、何とか止めようと努力しましたが、やたら冷水が降り注いでくるので、冷静に対処なんて出来ません。
私はギブアップで、タオルをボディにロールして、フレンドにヘルプミー。
(オイオイ)

 友だちはそれは大変と、横から止めてくれました。もちろん彼女も濡れない位置から少し迷っていました。


このホテルは二連泊でしたので、どうやって止めたのかを聞かなければなりません。
すると、彼女は
「ここを右に回せばいいのだけれど、回す時に真ん中を押さえて、内側の目盛りを動かさないようにするのよ。」と、教えてくれました。
要するに、ここまで回せば止まるという場所も一緒にクルクル回ってしまっていたのでした。
シャワー浴びるのもコツがいるホテルでした。


ところでワタクシ、散々冷水を浴びたので、着替えた後もだんだん寒くなってしまいました。さりげなくコートを着ていましたら、知らないうちにうつらうつらしていました。
そんな私を友人が揺り起こします。

「ねえねえ、コート着て寝ているなんておかしいよ。」

そうですよね。いったいどんなホテルだって思ってしまいますよね。

「バスに熱いお湯を張ってあげたから浸かってきなよ。」

なんと彼女は自分が入った後、熱めなお湯を張りなおしてくれてくれていたのです。


私は、
「ハァ~、日本人はやっぱりこれだよねえ~。」なんて、友人の優しさと熱いお湯に浸りながら、幸せな気分でした。


 

だけど、次回は本当にコートが必要だったホテルのお話です。







 





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篤姫「父の涙」

2008-02-18 00:23:41 | ドラマ (大河)
 先週の予告編で、なんとなく今週は見逃しては損してしまうような予感が。そんな予感どおり、涙ポイントがたくさんあった「父の涙」でした。


 先週最大のミステリーと感じた菊本の死ですが、身分が低い出の自分が乳母であったことは姫のこれからに差し障ると、死を持って自分の存在を消す事だったのですが、いろいろな意味で理解に苦しむ難しい死でした。死んだ場所、死んだ時期・・・。その理由も「今と言う時代」を生きている私にはよう分かりません。

 ただですね、やっぱりNHK は幽霊好きでした。でも、その幽霊のセリフには涙が出ました。
「重い体を捨てて、これからの姫様の行く道が何処であろうがお守りいたします。」←正確にはあらず。

菊本が残した三通の手紙。でも、於一への手紙は燃やしてしまったと母は言いましたが、そんなわけはないですよね。なにが書いてあったのでしょう。このミステリーは、続くと言う感じですね。(サスペンスではないですけれど。)


 次の涙ポイントは、やっぱり尚五郎でした。

お城に上がる前日の夜、家族で祝いの膳を囲んでいる時に、肝付家の祝いの品をもって尚五郎が現れます。家族だけの祝いの膳と知って早々に引き上げようとする尚五郎を、父は引き止めます。最後の碁を打っていってはどうかと粋な計らいです。
二人で碁石を片付けるシーンは、泣けました。

切々と黒石白石を分けていく二人。二人の道が分かれていく事を綺麗に描いていましたね。二人で交換したお守りのシーンも素敵でした。

生まれる前に父達の手で交換されたお守りは、また子供達の手で交換されました。二人の深い縁を感じてしまいます。でも、この二人の事は原作にはなくて、このドラマのオリジナルだと聞きました。素敵なお話で、篤姫の青春時代を飾りましたよね。
籠に乗って往来を行く時に、尚五郎がお守りを見せて見送っていたのも、西郷たちが見送っていたのにも心を打ちました。籠の中からやはりお守りを見せて、別れを告げる於一。

 この先もそのお守りを握り締める日が、何度も訪れるのではないでしょうか。
「想い」を伝えると言うのは、「好き」と言う言葉を伝えるだけではない、そんなことを感じさせる尚五郎の別れの態度でした。最後の夜に泣きながら於一の家を去る尚五郎は、とても素敵な男に見えました。前を向いて生きろと言う彼の言葉が合ったからこそ於一は、菊本の死からも立ち直れたのですよね。


 そして最後の涙ポイントは、やはり父、そして母でした。別れが近いというのにまともに話をしようとしない父でしたが、於一と会う時は、いつも目を大きく開けて瞬きも我慢の父。尚五郎と違って泣くことが出来ない父は辛いですよね。逃げるしかないですよ。とうとう前日の夜まで狸寝入りです。


 でも於一が籠に乗ったときから、家族が上のものにするようなお辞儀に切り替えて見送った時に、別れというものが伝わってきました。庭で一人泣く父の姿にもでしたが、その時まで、常に微笑を絶やさなかった母の涙にも胸を打ちましたね。



 籠が尚五郎たちを行過ぎて、角に差し掛かったときから、いきなり音楽が変わりました。第二ステージに入ったと言うことでしょうか。
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あのチョコレートは美味しかったですか<2-2>

2008-02-15 01:04:03 | 思いつくまま

 「あのチョコレートは美味しかったですか<2-1>」の続きです。そちらからお読み下さい。

 

 自分の実力よりかなりハードル高めの志望校を目指して、笹目雪生は頑張っていた。やらない予定でいた生徒会長も、結局やるはめになってしまったが、やると決めたからは、なんでも手なんか抜かない。そうこうして、あっという間に一年は過ぎて、公立高校の試験まで後わずかに迫ってきた。

 バレンタインディは、そんな時にやってくる。

 

でも、彼は何かの時に私に言った。
「今年は、チョコレートなんか誰からも貰わないんだ。そんなことは全てわずらわしい。」

「え~、それってないんじゃない。」

その時は、ただの世間話だった。

 

 でもそのことは今思うと、とんでもない話だ。なぜなら、その頃はホワイトディもないが義理チョコもない時代だ。まだバレンタインも浸透しきっていたわけでもなく、猫も杓子もチョコレート売り場に殺到するわけでもない。

それなのに「チョコレートは受け取らない。」なんて決意しているなんて、とんでもないやつだ。

 

 だけど雪生にチョコレートは届くだろうかなんてことは、私には関係のないことだ。すっかり忘れていた2月14日。
休み時間、トイレに行って前の扉から教室に入ろうとすると、友人が袖を引っ張って言った。
「見て、下級生がチョコを持ってきてる。」
見ると、後ろの扉の所に雪生が下級生と二人と向き合って立っていた。首を振って、手も振っている。
「本当に断っているんだね。」と、また友人。

 

 私は、心の底からムカ~ッときた。

 二年生の時の自分の体験を書いていないので、このときの私の気持ちは分かりづらいと思う。だが、、如何にバレンタインがチョコレート会社の策略で始まっていようとも、義理チョコ、友チョコ、自分チョコ果てはお父さんに上げる家族チョコ、そんなものが出回るまでには長い歴史があったのだ。バレンタインのチョコレートはお菓子にあらず。「心」なのだと思う。心は目では見えない。だからどんな「心」かは分からない。分からないものを一緒くたにバリアを張って跳ね返すなって。どんなに切ない「心」が隠れているかも知れないじゃない。

 

「何よ~! どんな気持ちで持ってきていると思ってんでぃー。」と、
私は心の中で叫んだ・・・・・・と思ったが違っていた。
声に出して言っていたみたいだ。しかも、でかい声で。

下級生がチラリと私を見た。雪生のちょっと驚いたような目が私の方に向けられた時、私は自分が声に出した事に気がついた。

次の瞬間、
―ヤバイ・・・・―
私は教室の自分の席で、何もなかったかのような顔をして本を読んでいた。

 

 しばらくして教室に戻ってきた雪生の手の中には、チョコレートの箱が二つあった。

「アレッ」
「・・・・・」
なんとなく彼は不機嫌そうだった。意思を通ら抜けなかったから?
「そうだよ。」私は彼の背中に向かって言った。

―そうだよ。チョコレートを貰らって落ちるような学校なんか辞めちまえ。もちろん、そんな事は言わない。私は静かで目立たない大人しい子供だったから・・・・・?

だけど、本を読む振りをして私は密かにほくそ笑んでいた。彼が自分の信念を曲げて、下級生達が傷つかなかったことに満足していたのだった。

 

その雪生は、見事にさくらの花を咲かし、志望校へ進学していった。

 

 

 

 自分の誕生日のその日、私はストーブの前でソファにも垂れて、雪生の事をぼんやりと考えていた。ああ、私も結構生きてきたなぁと思いながら、自分の人生と重ね合わせ、20代の雪生、30代の家族を持った頃の雪生、40代のおやじになった雪生、そんな彼の人生を思い浮かべていた。

 だけれど、本当は高校一年の夏休み、彼は海で溺れて死んだ。その後の人生はない。

 人は二度死ぬと言う。肉体の死と人の中にある記憶の死。
少なくとも、笹目雪生に二度目の死は訪れてはいない。

 

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あのチョコレートは美味しかったですか <2-1>

2008-02-14 10:48:55 | 思いつくまま

 

 2月1日の誕生日の日、なぜか私は一人の少年のことを思い出していた。彼は中学時代の同級生。異性でありながら彼には友情みたいなものを感じていた。

 昨年のバレンタインの時に、中学一年の時の友人の体験を書いたので、今年は予定では、二年の時の私の想い出などを書くつもりだった。でも、思い出してしまったので一年とんで彼の話なんかを書いてみたいと思う。

 

 彼の名前は笹目雪生(もちろん仮名)。

雪生は、今で言うところの爽やか王子のような上品な顔をしていた。真面目でおとなしく成績も中の上。なんでも一生懸命やるタイプなので、先生の信頼も厚く、生徒会では副会長なんかをやっていた。ゆえに女子にはモテた。

 私は彼と中学の二年、三年と同じクラスだった。二年の時は私の友人は彼に熱い想いを寄せていて、徹夜して毛糸で何かを作り上げ送ったのだった。だけど、その思いは通じなかった。後で雪生ははっきりと、私に彼女は苦手だと告げたことがある。

 その彼女は、吉沢京子似の美人だった。(知ってる?)だけどその美しさは、年頃になって遺憾なくその力を発揮して、その美しさに見合ったいい思い、いい結婚をするまでには、まだ時代を待たなくてはならなかった。その頃は美人だと言う事はまったく武器にならず、彼女はもてなかった。性格ブスだったから・・・

一言で括っては気の毒だが、今回は彼女の話ではないので我慢して貰おう。

 雪生が好きになってしまったのは、顔は並、成績はドボン、だけどやたら明るく悪戯好きでお茶目な、やっぱり同じクラスの少女だった。私は、雪生が彼女のことを好きだと、そっと私に告げてきた時、正直心の中で吃驚していた。

何であんな子を・・・。

でも新たに見直してみると、彼女のような人ををキュートと言うのかも知れない。

だけど勘違いしてはいけない。美人で性格ブスの、私の友人と比較してキュートな彼女が性格美人と言うわけではない。

彼女はクスクス笑いながら、そっと私に言ったのだった。
「見てな~。あんなやつ、すぐふっちゃうから。」

 

 しばらくの間は初恋に破れしょんぼりしていた雪生だが、だからと言って、彼はのんびりしているわけには行かなかった。

何かの時に彼の志望校を聞いたとき、私はあまりにも正直に言い過ぎてしまった。
「ゴメン、あなたってそんなに頭良かったんだ。私、勘違いしていたよ。」
「いや、勘違いじゃない。先生も厳しいって言っている。」

彼の志望校は、成績が中の上なんて言うのでは無理だ。上の上でなくては無理なのだ。だけど、彼は何でも一生懸命の覚悟の男だったのだ。

生徒会役員もやっていられないからとクラス推薦も断ったのに、他に推薦できる(押し付ける)相手もいなくて、彼が推薦されてしまった。
「大丈夫だよ、今度は選挙なんだから、俺には入れるなといえば選ばれないんじゃない。」とみんなに言いくるめられての立候補だった。

そして、彼は実行した。体育館での演説会で彼は叫んだ。

「頼む。僕は志望校に入りたいんだ。死に物狂いで勉強しなくては無理なんです。だから僕に絶対に絶対に入れないで下さい。」

そのパフォーマンスが受けに受け、断とつトップ当選で彼は生徒会長になってしまった。

ああ、青春は麗しい。

 

そして、三年のバレンタインの日がやって来た。
だけど、長くなってしまったので続きはまた明日。

 

バレンタインデーでしたね> 2006年

あのチョコレートは美味しかったですか>2007年の記事です。


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