今日は2月3日節分、早くも2013年になって34日目です。
毎日はビュンビュンと過ぎていってしまい、大概は12月31日はあっという間にやって来てしまうような気もするのです。
でも、過ぎていく日々はあっという間であっても、1ヶ月また1年は殊の外長く感じることもあるのはないでしょうか。
それはどんな時かというと、あったことなどを思い返した時などです。
ちなみに、タイトルの「殊の外」の意味は解説など無用かと思いますが、一応・・・
[副]
1 予想と、かなり違っているさま。思いのほか。案外。意外。「―よい記録が出た」
2 程度が際立っているさま。格別。とりわけ。「今年は―寒い」
[形動ナリ]に同じ。「―なる御もてなしなりけるには」〈源・夕霧〉 goo辞書より
私などの日常は幸いな事に、ひっそりと平凡で穏やかな毎日を過ごさせていただいているので、この「殊の外」なんてことはあまりないことなのですが、今年の2月1日は、ちょっとそんな言葉も使ってみたくなるような日だったのです。
なんて言うか、その日は謂わば、私の母が陣痛の苦しみなどに耐え、この世の中に爪の垢ほどは役に立てたか否かのような子供を産み落とした日でありました。
本当に心の底から思うのですが、大きな事故とか大病とかをスルリとかわし、お陰様でここまで生きてくることが出来ました。
出来るならば、この先も出来るだけこの世に長く滞在し、存在するだけで「ああ、そこにいたのか。相変わらずやなあ。でもなんかそこにいるだけでホッとするなあ。」なんて存在でいたいなと思ってみたりもするのです。
ところでなぜ今年の1日が、「殊の外」と言う言葉を使いたくなってしまう日であったのかといいますと、平日休みのルート君を誘って回転寿司なるところに行きましたら、彼が
「ここは俺の奢りな。」と言うのです。
私
「
」
「・・・・、それはもしかして分かっていて言ってるのかしら。」
と聞くと、
「まあ、そうです。」
「なんか、君、大人になったね♪」と私は言い、しみじみと幸せな気持ちになりました。
育て方とか子供の資質にも拠るのかと思うのですが、女の子の家と違って、私以外の家族は家族のイベントに鈍感です。私なんかは4人姉妹の中で育ったものですから、常にそういう家族の対応がずっと不満でいたのですが、ある時に不満顔が定着しそうだったので、自分でかってに祝うことにしたのでした。
だから、ささやかであっても子供に祝ってもらうということは至福の幸せに感じたのです。
ところが夜、夫殿が帰ってくると、その手にはケーキとアクセサリーの入ったペーパーバックがありました。しかもそれは男ども三人からのものだったのです。知らないうちに打ち合わせをしていたらしいのです。
「えええ~、どうしちゃったわけ。私、来年の今日、ちゃんと生きてるかしら。」って、こんなことで先の未来が不安になるなんて、いったい今までの私って・・・・・。
あっ、そうそう。
ちなみにここはちょっと家族にはナイショですが、自分でお祝いをした場合、彼らが使ったお金のサクッと10倍は使ってしまうのが普通で、実は家計にも優しい一日でもありました。
それからまだこの先の話があるのです。
いつものように夕食の後転寝をしてふと目が醒めると、テレビの画面の中に藤原竜也くんが恐怖に怯えた目で映っていました。
なんと「インシテミル」を地上波で放送していたのですね。近頃地上波の番組のチェックが甘く知らなかったのです。こたつで私の横を見ると、夫殿も転寝中。これがもし先に起きていたのが、彼だったらチャンネルも変えられてしまったかもしれません。
私もこの映画がすこぶる好きであったというわけではありませんが、彼を贔屓にしてる私にとって、転寝から目覚めたら彼が映っていたというのは、なんて素敵な見えない者からの贈り物のような気がしました。
でも本当の見えない者からの贈り物はそこではなかったように思いました。
嬉しくて、うっかりツイッターでこう呟いてしまったのです。
「今日は実は私の誕生日。ありがとうございますね。テレビで藤原竜也くんの「インシテミル」なんてやってくれちゃって。」
そう呟いてしまった後で「ああ、しまったかな。」と思いました。
自分で誕生日なんて言ってしまうと、なんかちょっとさもしい感じ・・・。何かを要求してるみたいじゃないかしらと思ってしまったのです。だから確かブログにもはっきりとはいつもは書かないように思います。
まあ、最近あまりつぶやいていないし、ぽつんと呟いても誰も見ていないかも知れないから、まっ、いいかって思ったのですが、でもそうではなく、たくさんの嬉しい「おめでとうツイート」を頂いてしまいました。
そしてトドメの出来事。
私がピグゲームをやってることはこのブログでも隠してないことですが、いつも夜になるとそのゲームの世界に滞在してることが多いのです。
でもこの日はたまたま、ツイッターとテレビ前。
夜ふらふらとピグの世界に訪れると、そこの「なう」という場所に素敵な写真が残されていたのです。写っているのは、私の庭です。ピグは「漫画」ですが、この後ろには本当に人の心が存在するのです。
この一枚を見ていたら、ジーンとしてさらに心がほっこりとして来ました。
ピグでの素敵な出来事は、この写真だけではなかったのです。素敵な言葉をたくさんいただきました。
ピグは昨年始めたことですが、何か新しい扉を開けたことによってそこから多くの新しい出会いが待っていたのです。
新しい扉を開けるって、これからも大切なことだと思います。
昨年のある時、友人の誕生日が近いことを思い出して、
「そう言えば誕生日じゃないですか。」と言いましたら、
「誕生日なんてもう忘れちゃうことにしてるの、これからは。そしてもう歳は取らないの。」と彼女が言ったことを思い出しました。
それはそれでなるほどなとも思ったような気がします。
でもやっぱり誕生日はいくつになっても良いものだと、私は思いました。
「おめでとう」と言われるたびに、新しい1年をまた頑張ろうという気持にどんどんなったのです。
また2月1日の朝、ふと閃いて詩を作りましたが、その日一日は、その詩のテーマを再確認する一日になりました。
また新しい1年、良き出会いがたくさんありますように。
―2013年、2月1日は外の真冬の寒さとは裏腹な、殊の外暖かい幸せな一日でした。