森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

必殺仕事人2013

2013-02-21 01:49:04 | テレビ・ラジオ
 
必殺仕事人2012
つい先日の2月7日頃、急に「そう言えば『必殺仕事人』、最近見ていないな」なんて事が頭をよぎったのでした。調べてみたら昨日の19日に遣ることがわかったのでした。2月7日頃と日付が...
 

昨年の2月20日は「必殺仕事人2012」の感想を書いていたようです。もっと早く、そのことに気がついていたら、合わせて書いたのになと思うと残念です。

 

この「2013」の放送日は2月17日で藤田まことさんの命日だったのだそうです。命日だったから決めたというのではなく、偶然だったらしいのですが、かえってそっちの方が凄いですね。

だけど今回、感想はちゃんと書けないのです。見てなかったのかというと、見ていたけれど他のことで気もそぞろ。感情移入度が低くて、あまり感想がないのです。だから「2014」の頃、必ず再放送をすると思うので、その時、このページに追記したいと思います。

と言いつつ、ちょっとだけ。

必殺シリーズの物語は、いつも現代の風刺画の動画版のようだと思っています。

だとすると・・・

今回のお話は、モンスターペアレントと言うことになってしまうのでしょうか。

先日、「過度の過保護や過干渉は虐待である。」という言葉に、ナルホドと思ったばかり。

虐待に追い詰められていた子供が刃を向いたというところでしょうか。だけどその時、既に自分も引き返せない道に落ちていて、その報いを受けることになってしまったのだった・・・・

仕事をしに医者の家に赴いた小五郎が、依頼者の息子に顔を晒すのでちょっとびっくりしたのですが、少し前のシーンの説明不足だった辻にやって来た提灯の人たちの意味が、そこでなんとなく分かりました

 

仕事の後、ひとり歩く小五郎の姿から虚しさだけが伝わってくるのでした。

 

だから姑と嫁との絡みは、ほっとする部分でもありますよね。落とした印籠もきっと偽物・・・むにゃむにゃ

中村獅童さんの新・仕事人の「胡桃(くるみ)割りの坐坊」は危ないことばかり言うものだから、敵になってしまう人なのかと思ったら、なんだかんだと言って良い人でしたね。

 

 今回の敵役の里見浩太朗さんは、ひどい身勝手な人なのに、なんかどこかで良い人のような気がしてしまいました。ヤッパリ顔が「良い人」なんですよね。


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相棒Eleven第15話「同窓会」

2013-02-19 11:12:59 | ドラマ(相棒)

なんとなく「相棒」の感想を書かないと、先に進めないような気がしてブログ更新が滞ってしまったような気がします。←言い訳

何の記録帳としても「シニ体」になってるので、今日からせっせと書くことにしようと思います。

と言っても、記録帳としてとりあえず機能させたいので、いつも以上の手抜き記事になるかと思いますが。

でも、まあ、ドラマの感想は、特に「相棒」の感想は、再放送視聴の時にでも追記出来る可能性もありますよね。

※        ※        ※

今回のライターさんは金井寛さん。「棋風」に続いての二作目で、「棋風」は残念ながら、今のところ視聴率は「相棒」今季の中では一番下。でもあの話、そんなにつまらなくなかったような気もしますが、実家に帰っていたので感想を書くタイミングを逃して、感想記事が欠番なんです。いったい、このようなシリーズ物では、何が視聴率の高低を分けてしまうのでしょうか。

今回の視聴率は、15.4。「相棒」の中では抜群に良いわけではありませんが、とりあえずokラインに行ったというところかもしれません。wikipediaにも情報が載っていないので、新人さんなのかなあと思って検索したらそうでもなかったですね。

昨年などでは「逃亡者おりん」とか書かれていたようです。

 

冒頭、岩田先生が右京さんを「吉村くんではありませんか。」と声をかけるあたり、実際には、じゃあと言って付いてくることなど稀で、「変なジジイ」と思われて終わりだと思うのですが、摩訶不思議感が漂っていて、掴みはokという感じがしました。

右京さんが物好きな人だとみんなが知っていることなので成り立つ展開だと思います。それに近藤さんには妙な説得力がありますよね。

事件の本筋は、ちょっとイマイチ感がしてしまったのですが、このお話の謎解きの面白さの部分は、一枚の写真の謎にあったように思います。

 

喧嘩しても、恋人だった教員の女性には次に会えば普通に仲直りできたはず。それが叶わず、最後の写真を見た時に、彼女の死の真相を岩田は知って、長い年月彼女を想い、また苦しんできたのですよね。だけどその時、マドンナ的な女性教師と岩田との恋愛を知って、それが悔しくてちょっと軽いいたずら心で危ない崖の方に行かせてしまった子供たちもまた、同じ様に苦しんで同じ時を過ごしてきてしまったのです。

右京がいつも拘る「真実」というものは、時には残酷ではありますが、大概は救いなのではないのかと思いました。

この場合、真実を語るというのは多くの人の心を軽くしたと思います。足を滑らせたのは、その方向に行ったからではなく、そこで写真を撮ったからだと。

どうして、そんな場所で写真を撮りたかったのだと言われても、それは岩田との想い出の花を撮って、彼に見せたかったというのは、確かに語りたくなはい真実かもしれません。でもその奥深いところにあるのは、彼女の彼への愛の心だったと思います。

縁側で真実を語る老人に、カイトはかける言葉も無く切ない顔をして頷きながら耳を傾けていました。

ゲストが近藤正臣さんだと、なかなかしんみりと格調が高くなったような気もしてしまったのですが、どうでしょうか。

 

事件の本筋がイマイチと言うのは、ええと、映像での犯人当てサスペンスは難しいですよね。いや、難しくするのが難しい。

だって、女優さん見ただけで、「あっ、こいつが犯人。」って夫は思い、私は黒板に字を書いている彼女の写し方が、不必要に丁寧だったので「あっ、この人が犯人だなあ。」と思いました。

そうそう、付け足しのような書き方で申し訳無いのですが、夫が志垣太郎さんは、アクが強くて良いなあと申していました。

 

 


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八重の桜第6回「会津の覚悟」

2013-02-11 16:30:04 | ドラマ (大河)

昨日の「八重の桜」、凄く良くて、いつまでも心に余韻が残りました。

私的にはやっぱり、命のやり取りが日常の地獄のような戦国時代より、それぞれがぎりぎりの想いで生きたこの幕末の時代に、なんとなく心が燃えるのです。

桜田門外の変の事後処理の会議でその利発さを見せてしまった容保は、政事総裁職の松平春嶽に白羽の矢を立てられて、京都守護職を拝命されてしまいます。

私なんかは八重と全く同じで、幕府の大きな御役目を拝命したのだから名誉なことだったと、迂闊にも思ってしまっていたように思います。あのように苦渋の決断であったとは・・・。

それを引き受けることは、政事動乱の渦中に飛び込むことであり、また東北から遠くはなれた京都での役目は会津の守りを手薄にするばかりか藩財政も逼迫させる・・・

とにかくも「会津にとって良いことは何もない」という程度の事ではないようです。

断り続ける容保に、春嶽は「ちょっとこっちに来い」←もっと丁寧な言い方ですが、内容的には一緒。
と別室に呼びつけると、

「おたくにはさあ、アレがあるだろ、あれが。」と脅かします。いや、もちろんちゃんとそれなりのセリフがありますが、内容的には一緒です。

アレと言うのは、「会津家訓十五箇条」。

家康の孫であった藩祖の保科正之は正室江の子供ではなく秀忠の乳母の侍女の子供でした。そういえば「江」の中でもそんな話がありましたね。江の嫉妬を恐れて認知されず、隠されて育てられた正之でしたが、その存在を知った家光は大変彼に目をかけます。その兄の気持に、正之は感謝し、どんなことがあっても徳川を守るという会津の憲法のような決まりを作ったのでした。←かなりの省略。

詳しくは保科正之wikipedia→こちら

 あああ、おっと・・・今いろいろと検索していたら、なんのことはないです。HPの歴史解説が凄く詳しくて分かりやすい。そこを読むと良いと思います。

と言うより、今から書こうかなと思っていたことも書いてあったので、そっちを読んだらこっちは終了でもう良いかと思ってしまいました。そこは読んだほうがいいですよ。→「会津藩と京都守護職」

何を書こうかと思っていたのかと言うとですね、養子であった容保は会津の藩主となった時に、この会津の人間に心身ともになろうと決意していました。そんな容保にとっては藩祖の遺訓を持ちだされたら、それを無下には出来ないことだったのだと思いました。

「死に場所を京都と定め・・・」との決意のもとに、まさしく背水の陣の覚悟です。

この時の容保、綾野剛さんは本当に素敵でしたね。この人はまさに時の人。あまり派手な感じがしない人なのに、グググと心に食い込んできます。家臣の気持ちを熱く語る人が西田さんなので、そのシーンは本当に見応え充分でした。

この家臣を前に拝命を受けた旨を告げた時、一切言い訳しなかった容保には潔さを感じました。

「私だって、何回も断り続けたのだよ。」なんてことは全く無し。傍に居た側近が、その旨を伝えても西田さん演じる西郷頼母は「なぜそれを貫いてくださらなかったのか。」と詰め寄ります。

この腹を割ったやり取りがあったからこそ、会津は最後まで気持ひとつで戦う事ができたのではないでしょうか。

 

八重と覚馬のことを全く書きませんでしたが、彼らは彼らでいきいきと、この回も魅力がありました。だからと言ってあり得ないような政治的物語の中心にでしゃばる展開はなく、覚馬は、またも思った意見を進言しますが、それは頼母の意見と同じで、これもまた分相応の扱いです。

こういう描き方の大河がずっと見たかったです。

変な大河だと、八重が容保に意見などしちゃって、その意見に感心した容保がかくの如き動くなんて馬鹿馬鹿しいような展開もあり的な奴もあったような気がしてしまいますから。

 

 

というわけで次週も楽しみです♪

あっ、そうそう。可愛い敏姫は疱瘡で亡くなってしまいました。

照姫に「容保様をお支え下さい、姉君として。」という切ない臨終のお言葉。その言葉で敏姫の苦しみを理解してしまった照姫。

オマケのようなコーナですが、綾野さんにはピッタリのコーナーで、なんとなく今後も気になります。

 

 


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相棒Eleven第14話「バレンタイン計画」

2013-02-10 17:00:25 | ドラマ(相棒)

またも遅れつつ感想を書いてます。

なんとなく謎めいたさっぱりわからな~いと言う良い感じで始まり、ラスト近くでは思わず涙ぐみ・・・だけど終わってみれば、どうも犯人さんの気持がイマイチわからなかったという回でありました。

そんな理由では人は殺さないと思う・・・私は・・。

殺人事件なんて起きなければ、この犯行は単なる反抗の儀式・・・って、何気にオバサンギャグ・・・・わかってくれた? 

 

少年の儀式はお騒がせだけれども、小説チックに考えたらちょっと切ない成長の通過点で、ある意味美しかったかもしれないと感じました。それを台無しにするのはいつだって一番分かって欲しい親だったりするのですよね。

「よね。」と断定的に書いてしまったけれど、心のうちに誰だってひとつか二つ、そのような親との確執の過去の想い出ぐらいあると思うのですよね。普通はそれを子供は、ちょっと親から遠ざかったり、軽蔑してみたりするのだけど、それを総じて反抗期と言い、やがて
「そうは言っても、お母さんだってひとりの弱い人間で女なんだよね。」と思えてくるものだし、その先は「なんだか可哀想だな。優しくしてあげたいな。」なんて気持にもなってくるものだと思います。

それが実は反抗期の終わりというか・・・

まあ、これは自分の経験の話なんだけれど、 そんな気持を忘れないで自分の子供とは向き合って来たからか、今では

「オマエナ、いったい、誰に向かって口を利いてるのじゃ。」と言いたくなるようなフレンドリーな親子関係になってしまったというかなったというか・・・って、そんなことはさておいて、この犯人さん、本当に好きくない。←昔この言い方流行ったよね。

 

私、実は途中で、ちょっと目に涙が浮かんでしまいました。だって、可哀想じゃないですか。

子供をひとり失ってしまった、それだけでも号泣モノなのに、そんな時こそ家族でまとまっていかなくてはならないと思うのに、何も考えないバカ親父のせいで更に家はバラバラ。ひとりで待つ寂しい夕食の食卓。それでも子供のために集めたキャップを渡すお母さん。

それなのに、子供は他所の家で、自分にはすっかり見せなくなってしまった笑顔を取り戻していたのですよ。

ああ、家に帰ってさめざめと泣きたくなる所です。でも消火器でしたっけ、そんなものを意思を持って振り上げて、子供に笑顔を取り戻させてくれたかもしれない人を殺してしまうとは、あまりにもな展開・・・・。

愚かだ・・・いや、愚か故にその一線を超えてしまうのかもしれません。

愚かでなかったら、一体どういうことが起こっていたのか調べようとするはずだし、自分が殺意を抱いた相手がどんな人なのかを、せめて知ろうとするはず。

 

それなのに、この人分かってしまった後は、スッキリした顔をして
「罪を償ってから・・・云々かんぬん」と抜かす。

人の人生のその後を安易に奪っておきながら、その発言か・・・って気に入らないのでした、私。

そして右京さんまでが意識を取り戻した子供のことを、カイトが「大丈夫でしょうか。」と聞くと、何の根拠もないのに「大丈夫だと思いますよ。」などというものだから、首がツツツと、横にかしいてしまいました。

 

大丈夫であるわけがないのです。

意識を失っていた間に、自分がとっても大切と思っていた人が殺されて、その犯人が母なんですよ。しかも大きくその理由を考えて見るならば、自分の行動に原因があったかもしれないのですよ。

普通の物語ならば、逆にココから始まるんじゃないのかっていうくらい重いラストを、カイトのこれからも顔を出すと軽く流して終了させたなという感じがしました。

 

だけど中園参事官の子供を思う気持ちは、ちょっとハートがほっこりするような感じがしましたし、カイトと暇か課長との会話にもほほえましい感じがしました。

果たして右京さんはチョコレートをどのくらいもらっているのでしょうか。

幸子さんからは一個は確保出来そうな。環さんからも送ってきてくれるかしらなんて、ちょっとだけ妄想。

右京さんの微妙な顔から、まあ数は多くはないと思われました♪

 

ちなみに今回の作家様は、「相棒」初参戦の酒井雅秋さん。なんと「おじいちゃんは25歳」も4作書いている方なんですよ。

 

 

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八重の桜第四回「妖霊星」第五回「松蔭の遺言」

2013-02-09 17:09:07 | ドラマ (大河)

今年は大河の感想を書こうと思ったのに、早くも三回で挫折・・・っていうのも日記の三日坊主みたいで嫌なので、なんとなくまとめて書いておこうと思います。

最近更新がなかなか出来ないで、これでは想いの発散どころか記録帳としても成り立っていないので、少々頑張ることにしました。

ちょっと時間を置いてから感想を書くことは、実は良い面もあるのです。なぜかというと細かいところを忘れて印象深かったところだけが脳裏に残ってるからです。

では何が一番残っているかというと、うらという女性の存在だったかと思います。

なんと松蔭じゃないのかと突っ込まれそうですが、もちろん彼の存在も重要ではありますが、今の正直な思いだされる順を書くと、私的には

「うら→八重→松蔭→覚馬→容保→井伊→尚之助→山川大蔵」、そんな感じです。もっと本音を言うと八重さんは実は6番手辺り。でも主役特権というところです。

なんでタイトルのもなっている松蔭よりうらが印象深かったかといえば、それは私も女性だからなのかもしれません。

この物語はハンサムウーマンと呼ばれた女性の一生を描こうとしているドラマだと思うのですが、うらという人は、いっけんその真逆のような人なのかと思っていました。

西だか東だか知りませんが、そっちを向いていろと言ったら良いと言うまで向いてるような女と描かれています。そして八重が今の政治的な状況についてどう思っているのかと問うても、

「表向きのことは旦那様がちゃんと考えている。」と自分の意見など持とうとしません。隠しているのではなく持っていないのです。でもだからといって決して悪く描かれているわけではないのです。

姑の佐久が「うらのやることは一つ一つ心が篭ってる。」と褒めます。
野菜の苗などにも話しかけながら植え、女性としてとっても優しい細やかな心の持ち主なのだと思われます。そして夫の一大事には命をかけ守り、そしてそのせいでお腹の中の子供を失ってしまっても、申し訳なかったと頭を下げるうら。

この時代のまさに女性の鏡なのだと思います。

そして素敵な女性だと思いました。

時代というのは、いつもその道を極めるものと、そして新しき道を切り開くものとの連携で先へ先へと進んでいくものかもしれませんね。

腹の子供を失っても気丈にも振舞おうとするうらですが、自分の言葉に耳を傾けて素直に近づこうとしている義妹と義弟の前で、心の緊張が解けてしまったのか、涙するうらにもらい泣きしてしまいました。

いい事も悪いこともあって家族は本当の家族になっていくのかもしれません。

だけどこの人は・・・ってこのうらについても先の話が気になります。

 

吉田松陰の話。

高校生の時に姉と山口にある松下村塾に行き、すごく真面目な顔をして写真を撮ったことを忘れません。

この小さい塾から大きな人たちをたくさん出したのだと思うと、とてもピースなんて顔で写真は撮れなかったのです。

だからなのか小栗くんの顔が可愛すぎて、とても「松蔭せんせーいぃぃぃ」と言う気持ちになれなかったのでした。だけど、知っ祭に吉田松陰は満29歳で亡くなったわけですから、実はほぼ等身大だったのですね。

ちょっと偉そうな言い方をして申し訳ないのですが、彼、お芝居が上手くなったように感じました。白洲の場での独擅場のシーンでは周りの武士が、ハッっと距離を置くところは不自然で笑ってしまったのですが、ジいいっと見入ってしまいました。なのに時間が空いたら、内容をあまり覚えていなくて・・・アセアセアセ

だけど辞世の句がそのシーンのまとめになるかと思われます。

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちるとも 留め置くかまし大和魂」

 

この時代の変化は凄まじいものがありますね。

桜田門外の変の暗殺シーンはいつ見ても恐ろしいシーンです。籠の中に居ながら死が迫ってくる恐怖。井伊はどれほど無念と恐怖を感じていたことでしょうか。

また実行犯の脱藩浪士たちもどれだけ暗殺の理由を挙げ連ねることが出来たというのでしょうか。
歴史の事実は分からないことですが、彼らは違う思惑に踊らされたようにしか感じません。

 

その後の水戸藩への対処の会議で、容保は会議の流れを変えてしまうような重要な発言をしてしまいます。それは藩内では却下されてしまった覚馬の考えと同じ様なもの。下級武士の意見は上に伝わらなくても、上のものは同じ考えだったというところも良かったところでした。この容保の発言が明日の第6回へと繋がっていくのだと思います。

 

というわけで、明日も楽しみです。

吉田松陰wikipediaha→こちら


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殊の外

2013-02-03 23:30:14 | 梢は歌う(日記)
今日は2月3日節分、早くも2013年になって34日目です。
毎日はビュンビュンと過ぎていってしまい、大概は12月31日はあっという間にやって来てしまうような気もするのです。
でも、過ぎていく日々はあっという間であっても、1ヶ月また1年は殊の外長く感じることもあるのはないでしょうか。
それはどんな時かというと、あったことなどを思い返した時などです。
 
ちなみに、タイトルの「殊の外」の意味は解説など無用かと思いますが、一応・・・
[副]
予想と、かなり違っているさま。思いのほか。案外。意外。「―よい記録が出た」
程度が際立っているさま。格別。とりわけ。「今年は―寒い」
[形動ナリ]に同じ。
「―なる御もてなしなりけるには」〈・夕霧〉    goo辞書より
 
私などの日常は幸いな事に、ひっそりと平凡で穏やかな毎日を過ごさせていただいているので、この「殊の外」なんてことはあまりないことなのですが、今年の2月1日は、ちょっとそんな言葉も使ってみたくなるような日だったのです。
 
なんて言うか、その日は謂わば、私の母が陣痛の苦しみなどに耐え、この世の中に爪の垢ほどは役に立てたか否かのような子供を産み落とした日でありました。
 
本当に心の底から思うのですが、大きな事故とか大病とかをスルリとかわし、お陰様でここまで生きてくることが出来ました。
 
出来るならば、この先も出来るだけこの世に長く滞在し、存在するだけで「ああ、そこにいたのか。相変わらずやなあ。でもなんかそこにいるだけでホッとするなあ。」なんて存在でいたいなと思ってみたりもするのです。
 
ところでなぜ今年の1日が、「殊の外」と言う言葉を使いたくなってしまう日であったのかといいますと、平日休みのルート君を誘って回転寿司なるところに行きましたら、彼が
「ここは俺の奢りな。」と言うのです。
「・・・・、それはもしかして分かっていて言ってるのかしら。」
と聞くと、
「まあ、そうです。」
「なんか、君、大人になったね♪」と私は言い、しみじみと幸せな気持ちになりました。
 
育て方とか子供の資質にも拠るのかと思うのですが、女の子の家と違って、私以外の家族は家族のイベントに鈍感です。私なんかは4人姉妹の中で育ったものですから、常にそういう家族の対応がずっと不満でいたのですが、ある時に不満顔が定着しそうだったので、自分でかってに祝うことにしたのでした。
 
だから、ささやかであっても子供に祝ってもらうということは至福の幸せに感じたのです。
 
ところが夜、夫殿が帰ってくると、その手にはケーキとアクセサリーの入ったペーパーバックがありました。しかもそれは男ども三人からのものだったのです。知らないうちに打ち合わせをしていたらしいのです。
 
「えええ~、どうしちゃったわけ。私、来年の今日、ちゃんと生きてるかしら。」って、こんなことで先の未来が不安になるなんて、いったい今までの私って・・・・・。
 
あっ、そうそう。
ちなみにここはちょっと家族にはナイショですが、自分でお祝いをした場合、彼らが使ったお金のサクッと10倍は使ってしまうのが普通で、実は家計にも優しい一日でもありました。
 
 
それからまだこの先の話があるのです。
いつものように夕食の後転寝をしてふと目が醒めると、テレビの画面の中に藤原竜也くんが恐怖に怯えた目で映っていました。
なんと「インシテミル」を地上波で放送していたのですね。近頃地上波の番組のチェックが甘く知らなかったのです。こたつで私の横を見ると、夫殿も転寝中。これがもし先に起きていたのが、彼だったらチャンネルも変えられてしまったかもしれません。
私もこの映画がすこぶる好きであったというわけではありませんが、彼を贔屓にしてる私にとって、転寝から目覚めたら彼が映っていたというのは、なんて素敵な見えない者からの贈り物のような気がしました。
 
でも本当の見えない者からの贈り物はそこではなかったように思いました。
 
嬉しくて、うっかりツイッターでこう呟いてしまったのです。
「今日は実は私の誕生日。ありがとうございますね。テレビで藤原竜也くんの「インシテミル」なんてやってくれちゃって。」
そう呟いてしまった後で「ああ、しまったかな。」と思いました。
 
自分で誕生日なんて言ってしまうと、なんかちょっとさもしい感じ・・・。何かを要求してるみたいじゃないかしらと思ってしまったのです。だから確かブログにもはっきりとはいつもは書かないように思います。
まあ、最近あまりつぶやいていないし、ぽつんと呟いても誰も見ていないかも知れないから、まっ、いいかって思ったのですが、でもそうではなく、たくさんの嬉しい「おめでとうツイート」を頂いてしまいました。
 
 

そしてトドメの出来事。

私がピグゲームをやってることはこのブログでも隠してないことですが、いつも夜になるとそのゲームの世界に滞在してることが多いのです。
でもこの日はたまたま、ツイッターとテレビ前。
 
夜ふらふらとピグの世界に訪れると、そこの「なう」という場所に素敵な写真が残されていたのです。写っているのは、私の庭です。ピグは「漫画」ですが、この後ろには本当に人の心が存在するのです。
 
 この一枚を見ていたら、ジーンとしてさらに心がほっこりとして来ました。
 
ピグでの素敵な出来事は、この写真だけではなかったのです。素敵な言葉をたくさんいただきました。
 
 
ピグは昨年始めたことですが、何か新しい扉を開けたことによってそこから多くの新しい出会いが待っていたのです。
 
新しい扉を開けるって、これからも大切なことだと思います。
 
 
 
昨年のある時、友人の誕生日が近いことを思い出して、
「そう言えば誕生日じゃないですか。」と言いましたら、
「誕生日なんてもう忘れちゃうことにしてるの、これからは。そしてもう歳は取らないの。」と彼女が言ったことを思い出しました。
それはそれでなるほどなとも思ったような気がします。
 
 
でもやっぱり誕生日はいくつになっても良いものだと、私は思いました。
「おめでとう」と言われるたびに、新しい1年をまた頑張ろうという気持にどんどんなったのです。
 
また2月1日の朝、ふと閃いて詩を作りましたが、その日一日は、その詩のテーマを再確認する一日になりました。
 
 
 
また新しい1年、良き出会いがたくさんありますように。
 
―2013年、2月1日は外の真冬の寒さとは裏腹な、殊の外暖かい幸せな一日でした。
 
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2月の詩〈その1〉

2013-02-01 09:43:28 | 詩、小説

TO Midoriko  

 

大勢の人が街を歩いてる

大勢の人とすれ違う

 

そんな中で君と出会い肩寄せ合った

そんな中で君と語り笑い涙流した

それこそが奇跡だったのかもね

 

大勢の人が街を歩いてる

大勢の人とすれ違う

 

 

幻のように

時代は過ぎていき

想い出もシャボンのように

はじけて消えていく

 

 だけど共に過ごした時間は

私の欠片になって

私の中で生きているよ

 

大勢の人が街を歩いてる

大勢の人とすれ違う

 

 

 

 

〈多くの素敵な出会いに感謝します。またこれからも素敵な出会いがありますように。〉 


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