森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

そのアクシデントで助けられたのか? 【その2】

2017-04-24 14:30:44 | インド旅行記

※ 「そのアクシデントで助けられたのか ?」

の続きです。

インドのホテルでのアクシデントのお話、その2です。

 

バスルームを使う順番は、単純にジャンケンで決めていました。

その日は私が一番最初でした。本当はいつも最後にのんびり入るのが好きです。でもその前日のホテルでは私の希望通り最後だったのですが、床がびしょびしょで、本当は心の中で「皆さん、いったいどのような入り方をなさっているのかしら ?」と疑っていたのです。(あっ、ごめんなさい。読んでる?この先に訂正してあるからね。私信です。(笑))

気持良くバスタブから出て、バスマットに足を置いたら、足が沈むんじゃないかくらい濡れていたら気持ちが悪いですよね。

このホテルにはバスタブもない事ですし、珍しくジャンケンにも勝った事だし、たまには最初にチャッチャと入っちゃおっとと思いました。

なーんとなく先の展開の予想がついてきましたか?

 

シャワールームはガラスの壁と扉と見た目はお洒落。そしてちゃんと扉も閉まります。でも前日の床がぐっしょりと言う記憶も新しかったので、用心してお湯は扉の方には行かないように注意を払って使用したのです。だけどもう一つ不具合がありました。床にお湯がなかなか流れて行かないのです。足首までとは言いませんが、シャワールームにお湯がわずかながら溜まって行くような感じに気持ち悪さを感じていました。と言っても、自分が使用したお湯ですので洗い流してシャワールームを出てみると、信じられない事が起きていました。お湯がシャワールームの外の床に滲み出ていたのです。

「えっ !? 嘘~!!」

と、私は叫んでしまいました。だってあんなに注意して入ったのに。

もしかしたらシャンプーをしている時にうっかりしちゃったのかしら。

それでチェックしてみると、扉の外側の淵の所は何も濡れていなかったのです。これはやっぱりシャワールームの仕切りの下から滲み出てしまっているお湯なのだと判明しました。

それではシャワールーム内に流れきれないで溜まっているお湯もこちら側に出て来てしまう事になってしまうかもしれません。

とりあえず使用したバスタオルで床を拭いて対応しました。もっと髪などの水分のケアをしたかったけれど、なんたってバスタオルはもう一枚あるので大丈夫だと思ったのです。

そこから出て二人に状況を告げました。

 

そこでまずは添乗員さんに、このアクシデントを告げようと電話を入れましたが出ません。

 

仕方がないので、シャワールームのお湯がはけるまで二人は待ってみる事にしました。だけど一人が使用した分のお湯さえ流れきると言う事にはならなかったのです。更にしょうがないので、二人は気持ちが悪いなと思いながらもそのまま使用し、そして最後に足をさらに洗って出てくると言う作戦で行く事にしたのです。

最後だった星子さんが言いました。

「バスタオルでトイレ横の排水講まで道が出来てた。」

滲み出てきたお湯の量はけっこうあったので、けっきょくは一人二枚のバスタオルを使って床を拭く事になったのです。もちろん床掃除なんかは私たちの仕事ではないので、足でキュッキュと床を拭きギューッと適当に横に寄せるじゃないですか。それを三人でやっていたら、図らずも水が流れる道が出来ていたのです。

 

三人で滲み出てきたお湯と格闘したので、トイレはその後も快適に使用できました。

ただ綺麗で普通に素敵に思えたホテルのバスルームはバスタオルの山と化し、なんか残念なホテルになってしまいました。

考えてみれば前日のホテルでも、今時バスマットがぐっしょり濡れる程の失敗をする人なんか要るわけない事で、染み出る量の違いがあっても、きっと似たような事が起きていたのかも知れません。

 

翌朝の朝食時、たまたま添乗員さんの隣になった私たちは、昨晩の「バスルーム洪水事件」を報告しました。

するととんでもないことが分かりました。

私たちが添乗員さんに電話した時に彼が出なかったのは、他の部屋の洪水事件の対応に追われていたからだったのです。しかもその部屋では溢れ流れたお湯がバスルームの外まであふれ出て入り口のドアの所まで流れてしまったのだそうです。

「大変でした。」と彼は言いました。

 

それを聞いて、私はハッとしました。

バスタオルは6枚あって本当に助かったのです。

あの「なんでだか言葉が通じない事件」または「アメニティグッズリッチ事件」は、意味があった事なんだと思えたのです。

 

バスタオルが三枚余分に持ってこられた時には、「なんで~?」と笑いあっていた私たちでしたが、ささやかなことながら見えない力に守られているように感じ、また助けられたなと、私は思ったのでした。

 

 

※         ※        ※

そのアクシデントで助けられたのか ?」 の冒頭

私はこう書きだしました。

『世の中には、ポジティブ思考の人とどちらかと言うとネガティブ思考の人がいるのではないかと思われます。

思うに、私も含めてポジティブ思考の人たちは、ささやかなアクシデントが複数起きた時、掛け算でもしくは割り算で思考するタイプなのではないでしょうか。』

ではネガティブ思考の方は、マイナスを足し算、引き算で考えるタイプなのかと言うと、そうとばかりは言えないと思います。

確かにマイナスにさらにマイナスを足したら、さらにマイナスは大きくなるわけですが、引き算は違います。

例えば

(-10)-(-8)=-10+8=―2

更に例えば

(-10)-(-12)=-10+12=+2

引き算はマイナスをプラスに変える力があるのです。

思考の選択肢を考えるならば、ポジティブ思考はネガティブ思考の三倍です。ゆえに世の中にはポジティブ思考の人の方が圧倒的に多いのだそうですよ。

えっ?

「インド旅行記」と関係がないじゃんと思いましたか。

良いのです。

なんたってインド人が「0」を発見したから、数学の道はおおいに開けたのですから。

 

二枚とも1日目に泊まったホテルのお庭です。

 

 

お庭は素敵そうだったのに、朝が早くてお散歩も出来ず。ちょっと残念だったかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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そのアクシデントで助けられたのか ?

2017-04-23 00:31:00 | インド旅行記

 

最初に。

次の話の「アクシデント」とは命にかかわるような大きなものではなく、日常のいくらでも対応できるレベル程度のものとして考えて頂ければ幸いです。

 

世の中には、ポジティブ思考の人とどちらかと言うとネガティブ思考の人がいるのではないかと思われます。

思うに、私も含めてポジティブ思考の人たちは、ささやかなアクシデントが複数起きた時、掛け算でもしくは割り算で思考するタイプなのではないでしょうか。

 

インド旅行記。

ホテルでのお話をしましょう。

二日目のアグラでのホテルは、なかなか良いホテルでした。お部屋も綺麗だしお食事も美味しかったし、ロビーもお庭もゴージャスと言う感じがしました。

ホテルに着き部屋に案内されると、一番先にするのはベッドの寝心地チェックではなくてバスルームチェックです。

やっぱりインド。そこは重要な要です。

覗いてみたらバスタブがなくシャワールームと、日本製の綺麗なトイレだけ。バスタブがないのは残念でしたが、トイレが日本製と言うのはありがたい事です。ホッとしました。

これも日本に帰って来てから知った事なんですが、そのトイレの日本企業はインドでの生産に踏み切っているのです。それはインドのトイレ事情によるものなのですが、また話が別の話題で長くなりそうなので別記事で書きますね。

そのバスルームをチェックした時に気が付いたことには、アメニティグッズがちゃんと人数分置いてないと言う事だったのです。

シャンプーやボディソープが人数分揃ってなかったり、フェイスタオルも適当な数。

もう旅行から帰って来て日にちが経ってしまっているので、詳しい数の不足こそ書けませんが、ちょっとないと困るなと言うものもあったのです。

 

実はシャンプーは、事前に他の方のインド旅行記などを読んでいて、自分でも持っていきました。フェイスタオルも余分に持っていたのです。

いざとなったら体は洗わなくて良いか・・・・って、そこはこっそり ^^

でもごく普通の立派なホテルです。言えばちゃんと持ってきてくれるような気がしました。

 

ところがそれは「気がしただけ」と言う、面白いのか困った事なのか分からない展開になってしまいました。

最初は星子さんが電話を掛けたのだったと思います。するとすぐに行くと言ってくれました。別にすぐに来なくても良いわけで、話しを聞いて必要なものを持ってきてくれれば良いのにと思いました。

ボーイさんはすぐにには来なくてふいにやって来ました。

それで対応した私は「ええと、ええと」と言い淀んでしまいました。

英語で通じるのかとか、足りない数は何だったかなとか一瞬言葉を発するのに躊躇してしまったのです。

すると愛子さんが果敢に挑戦。いやチャレンジと言うより普通にお話して頼んでいました。

もしかしたら全部日本語だった?

全部指さし付き。

そうなんですよね。これ、意外と通じるのです。英語圏ならば。

 

だけど私たちが部屋を空け戻ってきたら、テーブルの上には3本のペットボトルが追加で置いてありました。

この旅行では、一日1本のお水が支給されるのです。でも私は薬をかなりの量を飲まなくてはならないので、日本からも自分で500mlのものを2本ほど持っていったのです。そろそろ自分が持ってきた水を開けなくちゃならないかなと思っていた所に、余分なお水を頂きました。

最終日はまたも余分に支給されたので、この多く持ってきてくれたお水のお蔭で私たちはお水リッチになりました。

って、欲しかったのはそれじゃないって。

 

とにかく自分たちで電話したり言ったりしてもダメだなと言う事になって、お食事時に添乗員さんに頼んだのです。すると彼は現地ガイドさんに頼んで、その現地ガイドさんはすぐにホテルのフロントに言いに行ってと素早く対応してくれたんです。

じゃあ、そのささやかなアクシデントはこれにて解決と思うでしょ。

 

ところが部屋に帰ってみると、ちゃんと初めから枚数が揃っていたバスタオルが三枚追加と他のいろいろなグッズが置いてあり、とうとう欲しかったものは揃わなかったのでした。

「もう、いいや。」ってなるでしょう。

 

大は小を兼ねるし、最初の計画通りに自分が持ってきたシャンプーなどを使えばいいことだし、むしろ私たちはお水に加えてアメニティグッズリッチになってしまったのでした。

 

しかし謎です。

なぜ通じないのか。

確かに英語で言った電話とか、日本語プラス仕草と言うのが通じなかったと言うのは、仕方がないのかなと思いました。でもですよ。現地ガイドさんはインド人。彼がインドのホテルマンに言って、それが通じていないと言う事に、私たちは驚きと共に釈然としないものを感じたのです。

これは日本人には理解しがたいことかもしれません。

インドの中にはヒンディー語と英語と言う公用語の他に30ぐらいの言語が存在していて、その中の18が州公用語として認められているのだそうです。同じインド人同士でも通じないと言う事があるのだと思います。

これは二つ前に映画の感想を書きましたが、その「ライオン、25年目のただいま」の中にでも、言葉が同じンド内でも通じないと言うそんな大事なシーンが出てきます。

だけど同じ地域の同じ職場の中なのですから、違う言語の人たちだったと言うのは当てはまらないように感じたのでした。

 

今でもそれは私の中で大いなる謎になっているのです。

 

そしてこのお話は、次のアクシデントのエピソードと繋がって行ったのでした。

長くなりましたので、続きます。

 

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「ノラ牛・ノラロバ・ノラ豚」

2017-04-13 08:52:08 | インド旅行記

すっかりこんこんと日常に追われて、中途半端になっていたインド旅行記を続けて書いていきたい…いや、続けては難しいかも。なんたって、今は花を追いかけたい、そんな気分でもあるわけですから。

だけど次から次へと毎日は過ぎていき、今ちょっとだけ頑張らないと、そのうち「いつの~?」と言う話にもなりかねません。

後少々、お付き合いくだされば幸いです。

 

※          ※         ※

 

アグラを後にする時、私は星子さんに言いました。

「新しい早口言葉を思いついたわ。『ノラ牛ノラロバノラ豚』、ハイ三回言ってみましょう・・! 」

「ノラウシのらろろろ・・・・、一回も言えないわ。」

私はにんまり。これ慣れないと結構難しいのです。

 

その前日の夕食時、私は愛子さんに

「さすがにインドよね。ノラ牛は分かるよ。でもノラロバが居たのには吃驚よね。」と言いました。

でも言ってから急におかしさがこみ上げてきてもう一回言ってみました。

「のらろば !!」

なんかオカシイ~。

そう言いながらニヤニヤしたら、広いテーブルで相席になった若い女性が、吹き出すのを我慢する表情をしたのです。

ー おっ、受けた♪

この「若い女性が。」と言うのが私的ポイントです。調子に乗って

「しかも言いづらい。」と言うと、テーブルの向こうで彼女がうんうんと頷くではないですか。

微笑みは世界を繋ぐのですね。

その後私たちは食後の甘いデザートでは言葉も交わし楽しい一期一会の時間を持てたのです。

 

そして翌日の早朝のタージマハル見学の後、バスの中からその田舎町を見ていたら、外にはノラ豚が道端の草を食べていました。

「凄い !  ノラ豚までいるなんて。」と吃驚しました。

そしてこの「ノラ牛ノラロバノラ豚」と言う早口言葉が誕生したのでした。

 

インドにはいろいろな「ノラ」がいます。ノラ孔雀とかも。いえいえ、孔雀なんかはノラとは言わずに野生のと言った方が良いのかも知れませんね。

もちろん犬も噂通りたくさんいました。世の中には狂犬病と言う発病したら致死率100%の恐ろしい病気がありますから、野犬には気を付けろと言うのは本当の事だと思います。

ただ「ヤケン」と言うと、飢えた狼の親戚のようなイメージが湧きますが、私が見たインドの犬たちは皆穏やかな顔をしていました。しかも老犬が多かったです。彼らはいじめられた経験もなく極度に飢えた経験もないように見えました。だから自由に大人たちの間を縫ってゆっくり歩き、そして自分の好きな所で堂々と横たわっていたのだと思いました。

 

ノラ豚は私的にもかなりの衝撃でした。この地域は豚を忌み嫌うイスラム教の人が多い地域なのかと思いました。だけどよく分からないので家に帰ってから検索してみました。

それによると豚は何でも食べるから不衛生だと考えられていて、食べることを嫌っているらしいです。

ー なんでもガツガツ食べるから、つまり何を食べているか分からないからバッチィ…てことなのか…豚さん(ノД`)・゜・。

いやいや、食べられない方が幸せって事ですね。

 

残念ながら、ノラの牛もロバも豚の画像もありません。バスの窓にへばりついてみていたからです。

トップ画像は飼われている牛さんの画像です。肉は食べませんがミルクは飲むからですね。

 

そのバスの窓にへばりついて外を見ていた私は、ある事に気が付きました。

「ね、猫が一匹もいない !?」

これだけ動物が自然にウロウロしている街の中、猫がうろつかないわけがありません。目を皿のようにして探してみましたが、とうとう見かけることはなかったのでした。

なんでかとやっぱり検索です。

なんでもインドではネズミも神聖な生き物として見ているそうなのです。ネズミを捕る猫はペットとして人々に飼われることがなかったのだそうです。飼われなかった動物はノラになる事も出来ません。ゆえにインドには猫は居ないのだそうです。

(猫たちよ、それで良いのか。ガンダーラに行けばまだ見ぬ世界が待ってるのだ。なーんてね。)

 

 アグラの朝の街の風景・・・・。

 

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その時、彼女は「ライン」と言った。

2017-03-12 20:47:21 | インド旅行記

インドで、今となっては日本であまり見なくなった珍しいものを見ました。かつては日本もそうだったもので、今の若い人には良く分からない習慣ではないでしょうか。言うなれば「一列並びではない並び方」と言うものです。

昔は、トイレとか銀行のATMとかコンビニのレジとか、そこには今の一列並びは存在していなくて、こっちの列が早いかと選んだところで自分の運の良し悪しを思い知らされると言う事象が発生しました。何を言っているのかと言うと、お若い人の為に言い直しますと、自分の並んだところが前から二番目で隣に並んだ友達が前から4番目であっても、前の人たちのご用の進み具合はその内容にもよるもので、自分の番が早く回って来るかは運次第だったのです。

いろいろな所で、進歩と言うものは訪れます。空いた所から並んでいる人が振り分けられ待ち時間の平等が確保できる、この「一列並び」は並び方の画期的な進歩だったと思います。

 

                       

 

それはインドでのドライブインのトイレでのお話ー。

日本人の観光客がバスから降りて行くと、当たり前のように一列並びでトイレの入り口近くから並びます。スムーズに流れ始めていたその時に、インドの女性さまご一行がかなりの人数でやって来ました。

何やら不満げにワシャワシャ言いながら並んでいました。

ワシャワシャと言うのは、私にはヒンディー語は理解できないからそう聞こえてきたのです。

 

そのうち一人の中年女性がその列から飛び出て来て並んでいる私たちの前に来ました。一列並びなのですからトイレの前は誰も立っていません。

いかにヒンディー語は分からないと言っても、そこからの彼女の会話は、私にはぐるっとまるっとお見通しさと言うぐらい分かってしまいました。

これはデジャブのように見た事のある光景だったからです。

 

彼女はこう言ったのです。

「何よ。凄く混んでいるかと思ったら中はガラガラじゃないの。」

そして

「みんなも来なよ。空いてるわよ。」と仲間を手招きして誘う・・・・。

戸惑う仲間に

「速く、はやく!!!」と手招きをする。

 

と手招きしている間に目の前のドアが開いて入ろうとすると、一番前に並んでいた方がすかさず素早くイン。

驚いて

「なんなの !?」と逆に切れる・・・・。

 

申し訳ないけれど、心の中でニヤニヤしてしまいました。だって、これもまた心の中で私の言っているアフレコと態度と動作が完全に一致してるんですよ。

肌の色も言葉も違うけれど、人間の心は皆似たり寄ったりなんですよね~。

 

でもここから彼女が頑張って、後ろに並んでいるインドのご婦人方を前に引っ張られては困ります。

これは郷に入ったら郷に従えと言うお話ではありません。

 

昔もいました。

自分の知らない状況を目にしても、一目瞭然で何が起きているのか「一列並び」は普通なら理解できます。これを無視して「なんだ、中はガラガラじゃない。」と言って前に入ってしまうのは、わざと並んでいる列とそこに並んでいる人間を見ようとしない人なのです。こういう方は何処にでもいるのだなと思いました。大概の人は並んでいる人はちゃんと人に見えて、いつもと違う状況でも「どう言う事なんだろう。」と考えるのです。だから人の先頭に出た人が仲間を呼んでも、躊躇したのだと思います。だけどあまりにもそのインドの女性が急かすので、後ろにいる人たちもちらほらと動き出してしまいました。

みんなわずかな時間の出来事です。

「並んでいるわよ・・・」って日本語で言ってもねえ…・って、それ私の事。情けない事にとっさに出ないのです。なんだっけなあ、英語で「並んでください。」って・・・と思っていたら、いきなり大きな声で『ライン!!!』と聞こえてきました。

すると出掛った人たちはぶすぅっと元の列に戻りました。

 

インドのトイレには大概、そのトイレをお掃除したり管理したりする方がいるような気がしました。その女性が大きな声で言ったのです。その人は私たちに笑いかけると、列に戻った人たちに追い打ちをかけるように注意し直していました。

ここから先は何を言っているのか分かりません。だからワシャワシャと聞こえてきました。

 

ああ、でもきっとこのワシャワシャも、私には通訳できます。

彼女は後ろに並んでいたインドの方々にガミガミと言っていました、となるのです。

 

手を洗って、そのトイレの部屋の前を過ぎる時、もうそこには外国人は誰もいない事が分かりました。インドの方々はみなそれぞれにトイレのドアの前に並んで狭い部屋はぎゅうぎゅうになっていました。

それは昔々の小学校の休み時間の時を思い出させるようなシーンで、チョピッと懐かしく感じた私です。

 

ところでトイレの守り神の彼女は、英語で『ライン アップ』、「並んで」と言ったのかと、私は思っていました。

でもなんだか腑に落ちなくて、家に帰ってから調べてみました。ヒンディー語で「並ぶ」は「अप लाइन 」と書いて、なんと「アプ ライン」と言うのですって。

 

ヒンディー語は「नमस्ते」、「こんにちは」の「ナマステ」しか知らなかったけれど、これで2つは覚えた事になります。

但しいつまで覚えていられるかは、悲しいけれどわからない事です。

 

 

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AND ゾウサン

2017-03-09 19:02:28 | インド旅行記

 アグラ城に滞在していた時から、ちょっとだけ現地ガイドさんが時々険しい顔をしていました。たぶん、アグラ城の後のスケジュールの事を考えていたのかも知れません。ホテルに戻ってみんなに夕食を食べさせた後、夜の「タージマハル」に連れて行かなければならないし、それだって結構テキパキしなくてはならないのに、彼にはもう一つ「大理石のお店」にみんなを連れて行くと言う(そして小銭を稼ぐ)ミッションがあったのでした。

 

タージ・マハルは大理石で出来た素晴らしい霊廟です。この地で大理石の工芸品とその技術が栄えるのは当然だと言えるでしょう。

大理石加工の詳しい説明なども受けましたが・・・・・・・

なーんか忘れてしまいました。とにかく大変で、高い技術力と時間がかかる事は分かりました。

と言うわけで、お値段はすこぶるお高いのです。でも美しいですよね。惚れ惚れとしました。

それでしみじみと見ていると、店員さんがしつこく付きまとうと言う流れになっているのです。

だけど、「私はpoor Woman だ。」と言うと、それからは相手にもされず・・・・ まあ、はっきり言ってそれはその方がありがたかったのです。

 

 

ところでこのお店では、愛子さんが親戚の方の新築祝いかそれとも日頃お世話になっているかのお礼とかでかで、素敵な花瓶を買い求めました。

インドではちゃんとしたお店でも定価で買う事はありません。

値切り交渉がものを言うのです。上の花瓶は買い求めたモノと同じと言うわけではありませんが、似た雰囲気のもので、8万以上はしたと思います。画像だと結構な大きさのようにも見えますが、高さは13センチくらい。小ぶりの花瓶でそのお値段です。

もう少し小さめの花瓶でしたが、値段交渉。(私以外の人が。)

私はあまり値段交渉って得意ではないのです。やる気が起きればやるんだけれど、ちっともそのやる気が起きなくて・…まあ自分のではなかったからかもしれませんが、その値段交渉を傍観していました。

 

店員の人は、なんというかなかなかのイケメン。

値段はあまり下げないんだけれど、象の置物をおまけに付けると言うのです。

電卓を持って、このお値段と見せてから、必ず言うのです。しかも真顔で。

「and、ゾウサン !」と。

 

このお店を出るまでに何回聞いたことか。

「and、ゾウサン。」

「andぞうさん。」「あんどぞーさん。」

 

日にちが経ってくると、早くも記憶があいまいになってきたこともありますが、不思議な事にこのイケメン店員の顔は、この「and、ぞうさん」の言葉と共になぜか忘れられないのです。

 

今でも街を歩いていて、まったく関係のない象の置物などがあると、ただそれだけで私は二人の友達と顔を見合わせ共に笑ってしまいます。この「and、ゾウサン」が耳に残ってしまったのは私だけではなかったのでした。

 

インドのイケメーン!

元気でいるかや ?

 

 

 

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チャイの店

2017-03-07 09:12:17 | インド旅行記

インド旅行記は間がちょっと空いてしまったので、お気楽なものを載せますね。

チャイと言うのはお茶の事ですが、一般に「チャイ」と言うとインド式の甘くに出したミルクティーを指すのですよね。このチャイは二回のランチの時の最後には必ず出てきました。美味しかったのと、さほどと言うのと二回・・・ ^^

でも一番美味しかったのは、トイレ休憩で寄ったドライブインのような所で頂いた「チャイ」でした。普通のミルクティーじゃなくて、そこにシナモンとかジンジャーとかが入っているのが普通です。そこのはジンジャーのピリリ感が丁度良かったような気がしました。

ヒンディー語では「 चाय 」と書きます。


 チケット売り場


 入れているお兄さん



この素焼きの入れ物は、使い捨てで使いまわしはしないのですって。

飲んだ後はお土産に頂いてきました。



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鳴り続けるクラクション

2017-02-25 22:31:56 | インド旅行記

見学する場所が限られた今回の旅行でも、多くのものを私に見せてくれたような気がしました。

メインであった「タージ・マハル見学記」を終えて、それ以外のインド旅行記をまだ少々続けさせていただきたいと思います。

 

2月10日、9時10分頃成田をたちソウルの仁川空港を経由して18時20分にデリーに着きました。

意外と近いんだなと思うかもしれませんが、そこには時差と言うからくりがあって、単純な計算プラスおよそ3時間です。朝に出発して、その日に着くのは良いのだけれどうんざりするほど飛行機に乗ってようやくインドに着くと、美しい満月に近い月が私たちを迎えてくれたのでした。

月は何処で見ても美しい。どこで見ても見上げれば同じ月です。

だけれどバスに乗ってホテルに向かう間に、私は「ああああ、インドだ~!!」とじわじわと感じる事が出来ました。もちろんバスの窓から見えるデリーの独特の夜の街並みと言うのもそうですが、最初に「インド」を感じさせたのは、なり続けるクラクションだったと思いました。

 

本当にあっちで「プゥー」こっちで「バァー」、はっきり言って「プー」プー」プー」。

凄いなあと思いました。

日本で派手にクラクションを鳴らしたら、それは

「おい、ぼけってしてるんじゃないぞ。信号が変わってるのに何やってるんだい。」的な事も多いし、

「あぶないじゃないか、このボケっ。」的な…とにかく「このボケっ!」と言う場合が多いかもしれません。鳴らされた方も(-_-メ)ムカッと来る事もあるかも。

(だけれどよほどの本当のボケではない限り、降りて行ってまでどうのこうのと言う事はないと思います。)

いずれにしても、そうそう派手なクラクションを聞く事はないと思うのです。

 

インドの方々は、そんなに危ない運転をしてるわけなのと窓の外を思わず見ていると、やっぱり結構危ないなあと感じました。右折するバスにギリギリまで直進で突っ込んでくるし、曲がるバスと車の車間が本当にないに等しい。

ここの人たちはこういう運転で、皆慣れているんだな、凄いなと思いました。

だけれど翌日の昼間にバスに乗って感じた事ですが、それは「危ないじゃないか !!」の「プー」じゃなくて、

「前の車が急に止まったから、俺も止まる。後ろのやつは気を付けやがれ。」←お下品 ^^

「俺、追い越すからな、注意しろよ。」の「プー」。いわゆる注意喚起なのかなと思いました。

 

所変われば、いろいろ変わる。

それを知るのが旅の醍醐味。

一番最初の、インドでのインパクトは鳴り続けるクラクションだったのでした。

 

インドのタクシーは三輪車。ちょっと懐かしいような気もします。黄色が可愛いです。

 

 

バイクの二人乗りなんかは常識みたいで、4人乗りも見ました。若いパパさんが運転していて、パパさんの前に小学生ぐらいの女の子。パパさんの後ろに幼稚園ぐらいの男の子。その後ろに若いママさん。家族四人でどこかに行く途中なんだと思います。

若いパパさんが「バイクを買って来たよ。」と言ったら、家族そろって「わーい」って喜んだのかなと、そんな事を想像していたら、なんだかほっこりとした気分になりました。でもちょっと怖いな。パパさん運転、気を付けてね~。

 

 

信号だってちゃんとあるんだけれど、あるのかなと思わせるのがインド流・・・・。

 

 

この人たち、慣れていて事故も少ないのかなと感心していたら、最終日に事故を目撃しました。それは日本と同じような風景で、やっぱりいずこにおいても安全運転は大切ですよね。

そうそう。トップ画像の花売りのお兄さん。車が止まるとすかさず花売りやらクジャクの羽などを売りに来るのですが、それは観光客にと言うわけじゃないみたいです。バスの窓に来ることはなかったんです。花なんか売っていて売れるのかと思って見ていたら、買っているインドの人たちがちゃんといるので、これも「へえ」と思ったのでした。

 

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オレンジ色に染まる朝霧の中で/早朝のタージ・マハル

2017-02-22 17:28:50 | インド旅行記

「タージ・マハル尽くし企画」の最後は、ヤムナー川の対岸から、早朝の朝霧の中に浮かぶタージマハルを見ると言うものでした。

この早朝企画は、本当に美しい風景を見せて頂き満足度マックス。

 

ああ、ここからだったら「月とタージマハル」も可能だったのにと、ふと思いましたが、

日常の生活の中では経験出来ない、またはしたくない暗闇を経験してしまう事になり、

歩く事すら困難で、この場所には行きつけないだろうと思われました。

 

こちらの岸辺には遺跡の跡がこれと言って保護されることなく無造作に残っています。

 

タージマハルを建てたシャー・ジャハーンは王妃の霊廟と対になるように、対岸に黒の霊廟を建てようとしていました。民の重税の苦しみなんかは、あまり考慮されていたなんて思えないので、この黒の霊廟が挫折したのは、建てている途中で息子にアグラ城塞に幽閉されてしまったからなんだと思います。

この遺跡は、その黒の霊廟の建設途中跡地なんですね。

これ、本当に建っていたら、凄まじかったですよね。

「苔むして 夢の残骸 霧の中」

 

 

インドのガイドさんは、このように建設途中で挫折した建たなかった物の遺跡など興味もなかったのか、

尋ねるまで何の説明もなかったのです。聞くと、

「だから昨日言ったでしょ。対岸に王様は自分の・・・・」となったわけですが、

言われて「あっ、そうね。」とすぐに思ったものの、何の説明もなければ、また違う何かかも知れないし、このように遺跡のようになっているとも思っていなかったので、「=」には結びつかなかったのでした。

違う場所に訪れて知る我が家の良さと言うものがあるじゃないですか。

 

私がガイドでも、相手が日本人なら見逃さずに説明しますよ、ここは。

「ここが昨日言っていた黒の霊廟の建設途中で挫折した跡地です。」

日本人って「平均値なる人種」だと思うのです。

ずば抜けてと言う人は他の国と同じく一握りでも、皆そこそこに知識や興味を持っていたりするのですよね。

そこそこの考古学人。

何の意味もなさないような土塊からいにしえ人の声を聞き、吹く風からも悲しみを感じることが出来るのは日本人特有の感性ゆえでしょうか。

 

あとほんのちょっとだけ思った事を書かせてくださいね。

イスラムの文化はシンメトリーを重要視するそうです。

「対の文化」と言う事でしょうね。

だからタージマハルも、塔もシンメトリーに建てられて、左側にモスクなら同じような建物が客殿として建てられているのです。

それゆえ王は白きタージマハルと黒き自分の霊廟を河を挟んでシンメトリーに建てたかったのです。

 

でも「対」と言うのなら、これほどの「対」はないと私は思いました。

14人の子供を産んで産褥熱で死んだ王妃は、勇猛果敢に戦った戦士と同じように思われて、人々の尊敬を受けました。

そして何より愛に包まれて死にタージマハルが生まれたのでした。

だけれど王は、愛する長男を別の自分の子供に殺されて、幽閉されてそのまま失意のうちに生涯を終えました。

愛と憎しみ、栄光と挫折、完成と未完。

河を挟んで見えない物たちの「対」がそこには存在していたように思ったのでした。

 

空をオレンジ色に染めて、太陽が昇っていきました。

 

 

 

 カラスも羽を休めていました。

私たちが近づいても逃げません。

 日本の鴉とは違う衣を着ていました。

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満月の空に浮かぶ漆黒の影<その2>/夜のタージマハル

2017-02-21 00:57:24 | インド旅行記

「満月の空に浮かぶ漆黒の影<その1>/夜のタージ・マハル」の続きです。

 

さらに吃驚する事と言うのは、夜のタージマハルのセキュリティチェックは昼の比ではありません。

三脚などは論外で、大きなカメラも危ない所。それらはもちろん私には関係のない事ですが、携帯電話・スマホもダメなんです。

ガーン !!!

ス、スマホがダメって・・・・ !?

この日の為に買い替えたって言うのにか~(ノД`)・゜・。

そしてバッグもダメなんですよ。

 

その事を事前に知らされてなかった私たちは、カメラとお財布、パスポートをポケットにねじこんでバスを降りました。

 

この事は一度ガイドさんが言ったみたいなんですが、いつ言ったのかと後でツアーの皆さんに確認したら、

私たちがいない時に言ったみたいで聞いていなかった人が他にもいました。

いなかったのは、私たちが他の所でちゃらちゃらしていたからではなくて、お部屋でいろいろとあったからなんです。

この件はこの旅の唯一の不愉快な出来事だったのですが、またこれが不思議な事に良いように絡みあっていくのですよ。

それはまた別に書くつもりですが、物事は単体では存在しないのですよね。

 

だけどこの重要事項は、そんな直前に言わないで(たとえ1時間前でも同じ事です。)、予定表の注意事項に書き込むような内容だと思いました。

日本人ほどカメラ好きな国民っていないんじゃないかしら。

日本人にとって(みなさんを巻き込んだ言い方でスミマセン。)「この目で見る」と「カメラに収める」はほぼ同義語じゃん。

私のようにスマホで夜間撮影の練習をする人も居るかも知れないし、

今時の若い人はカメラなんか持ち歩かないでスマホオンリィで旅行に行く人も多いのですから。

実際にそう言う方もいらしたのです。

 

「夜間見学会は厳しいセキュリティチェックのため、持ち込める撮影機材はカメラのみになっています。」

と、だからあらかじめ書けばいいのですよ。

これ、大事なお知らせで必要事項だと思いますよ。もっと丁寧に書くのなら、

「またかなり暗いので撮影にはベストな状態ではありませんので、あらかじめ設定などを考慮ください。」などとあったらもっと親切ですよね。

 

さてパスポートも入る大きなお財布を小さなポケットに押し込んで、二度のセキュリティチェックを受けて入場したわけですが、

私の懸念はこの財布が財布と認識されるだろうかと言う事。

「お財布って 『wallet』だよね。」

焦ると度忘れをするので、思わず確認し、自分に言い聞かせました。

案の定、二度目のチェックの時に

「これは?」と聞かれ

頭の中で復唱していたので

「wallet」と答え中を見せました。

 

でも私、一度目のチェックで悟ったのです。

チェックする人は何を確認しているのか。

それは一番に、携帯&スマホを持ち込んでいないのかと言う点なんですよね。

ボディチェックの時に、真っ先に

「cellphones ?」と聞いて来て、後は何もチェックされなかったんです。

なるほどなあって思いました。

 

スマホを持ち込めば、それは第三の目を持ち込むのと同じようなもの。

それに今時はそれで爆弾も起動させることが出来るわけだし・・・

って、私は出来ないけれどね、サスペンスで出てきそうなお話ですよね。

その事を星子さんに言ったら、

「藤原竜也もドローンを飛ばしてたしね。」って。

それはドラマのお話です^^

 

私のお財布は、ちょうどスマホがすっぽり入る大きさだったので、検査する女性もスルーと言うわけにはいかなかったんですね。

だから中を見てパスポートとお金しか入っていない事を確認すると

「悪かったね。」みたいな顔をして「ありがとう」って言ったのだと思いました。

あっ、もちろん英語でね。

 

このノートに貼ってあるのは、この時カメラに付けたタグです。

このタグが付いていないカメラは持ち込めません。

 

 

そして下の画像が目元も暗くて、何の調節も出来なくて勘で写した夜のタージマハルです。

心がピュアな人にだけ見えると思います…なんちゃって。

 

下の画像、載せるかどうかちょっと悩みました。

いくらなんでもと言うレベルだからです。

 

でも雰囲気だけは伝わるかもしれないと思って載せたので、ご勘弁のほどを。

目が暗闇になれるように、じっと見ていると黒い影が浮かんできますよ。

 

 

 

真ん中の白い点はゴミが付いたんじゃなくて、王と王妃の眠る部屋だけ明かりがともっているのです。

こんな写真しか撮れないので、すぐに写真を撮る事は諦める事にしました。

タージを囲む森からは夜に鳴く鳥たちの澄んだ声が絶え間なく聞こえてきました。

 

夜空の大スクリーンに貼られたように存在する影絵のような漆黒のタージマハル。

耳を澄ましつつ心も澄まし、そして私は手を合わせて祈ってきました。

「遠い時代の王と王妃よ。安らかにお眠りください。」と。

 

 

 

早朝のホテルの庭にて。

まだ白い月がぽっかりと西の空に浮かんでいました。

「象と月」

 

江戸の敵を長崎で・・・

って、それってだいぶ規模が違うかな。

 

 

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満月の空に浮かぶ漆黒の影<その1>/夜のタージ・マハル

2017-02-20 10:04:06 | インド旅行記

何回か繰り返して言っている事ですが、今回は「タージ・マハル尽くし」のインドの旅でした。

その中の予定に満月の前後2日間のみ、つまり5日間のみの夜間特別見学会に参加すると言う事が入っていました。

なんか凄く素敵って思うでしょう。

私、思いましたよ。

「なんか凄く素敵♪」って。

 

送られてきた予定表にも書かれていました。

『月夜の幻想的なタージマハルをご覧ください。』って。

で、私、その時に脳内に勝手なストーリーを紡いでしまいました。

藍色の空とタージマハルにかかる輝く月・・・・・

キャー、テンションがあがるわ~。

 

実は私のカメラ、ルート君に貸したらポケットから落とされて壊れかかってます。

また私のスマホ、年代物になりすぎてもうメールと電話にしか使えませんでした。

それでこの旅行を機にどちらか買い替えようと思ったのでした。

そして結局暗闇でも調節しやすいスマホを買い替えたんです。

 

下の画像は、夜明け前のホテルからスマホカメラの夜間撮りの練習をしたものです。

なんとか行けるなあって準備も万端です。

 

 

 だけど、ホテルからタージマハルに再び着いてバスから降りると、月は天高くバスを降りた私のやや左側で輝いていました。

でもでも、霊廟はその反対側にあり、見学をする場所もこの月とタージの真ん中にあるのです。

どういうマジックが使われると、月がタージマハルにかかると言う構図になるのかしら。

とは一瞬思ったのでしたが、

やっぱりそれは無理のある事で、その時私はようやく理解したのです。

 

満月の月明かりに照らされるタージマハルを見るのであって、決して月のかかるタージマハルを見るのではないのと言う事を・・・。

西も東もサッパリなこの場所で月がどのように動くのかよく分かりません。

でもいずれにしても月がタージにかかるのはもっと早い時間じゃなくては無理なんじゃないかしら。

 

はっきり言って、凄くがっかりしたのは確かです。

だけどこれは私が勝手に頭の中でストーリーを作り上げてしまったからで、敢えてそこには触れない旅行会社のせいではないんです。

この旅行企画は良いなあと思っていて、この記事で「えー、そうなの!?」と思われた方もいらっしゃるといけないので、先に言っておきますが、

私はこのイベントには満足しました。夜間見学、これはこれで凄く良かったのです。

でも知っていて行くのと、その場で吃驚するのとでは全く違います。

チョーポジティブでお気楽なワタクシでも、気持ち切り替えに5分はかかりましたから。

 

でもさらに吃驚することがあったのです。

長くなったので次回に続きます。

 

月は輝いていました。インドから見た月 ↑

 

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