さすがに2016年にもなれば、この「昭和の日」は定着していると思います。
でもこれが決まった2007年、私は4月29日は「みどりの日」だと思っていたと思うのです。
2007年5月4日は鎌倉に出掛け、その事を翌日の5日にブログに書いているのですが、わざわざ
> 5月4日みどりの日に
と、敢えて書いているのは、自分に言い聞かせていたからだと思います。
一応その記事は「鎌倉新緑散歩」です。新緑の鎌倉情報などにお役立て下さい^^
加えてついでの「昭和の日」と言う言葉が出てくる他の記事も、敢えて書いているフシがあります。
やはり八重桜のピンクと新緑の緑のコラボは美しい。2010年の記事です。
まだ子猫だったもも吉。可愛かったね、ももちゃん。2011年の記事です。
ツイッターでもこんな事を呟いていました。
『今日は昭和の日だよ。みどりの日は5月4日に変更。2007年からそうなったのだけれど、その年、そのことを知らなくて焦ったのを覚えている。今でも勘違いしている人いると思うな。(2010年4月29日)』
そうなんですよね。数年たっても、まだ勘違いしている人はいたんです。
この4月29日は昭和天皇誕生日でかつては「天皇誕生日」でそれが「みどりの日」になって「昭和の日」になったわけですが、何で決まった年からスパッとみんなが知っていてもよさそうなのに、祭日が何の日であるかなどに興味のない人などには特に浸透してなかったのではないでしょうか。なんでそんな事になったのかを推理するならば、知らないうちに決まったからじゃないでしょうか。
知らなかったのはあなたとそれに似たような人だけでしょと言われれば、何も言い返す言葉もありませんが、知らないうちに物事が決まっていくなんて事は、今も昔も本当にたくさんあると思うのです。
後はお知らせ活動の不足も原因だったかと(『昭和の日』の話です。)
そして今の世の中も、本当に「なんで」に答えられるような説明がない事がたくさんあるじゃないですか。
例えばみんなが福島の二の舞になるんじゃないかと不安に思っている、原発。
なんで止めないのか、凄く説明不足。
止めるほどじゃないと判断なんて言葉で納得できる問題じゃないですよね。
何かあってから「想定外の」なんて言う言葉は、もう使えないどころか、使ったら公人として公開処刑レベルの事が起きると思った方が良いですよ。真夜中なんでちょっと過激・・・・。
昭和と言う時代は、みんなが知らず知らずのうちに戦争と言う渦に巻き込まれ、たくさんの血を流した時代でもあったのです。
大地は焼かれずっと向こうまで見渡せると言う光景・・・。
さながら国民の復興へのエネルギーが、昭和のイメージになっているような気がします。だけど昭和の日で思い出すべきなのは先の大戦と、そしていかにみんながそれを乗り越えてきたかじゃないですか。
でもその日に、昭和史の特集番組をあまり見た記憶がありません。毎年の事は知りませんが、今年はどうだったのでしょうか。
元が「天皇誕生日」だったので、違う思惑があるのかも知れませんが「昭和の日」を4月29日に名乗らせるならば、そのぐらいの覚悟があってもいいんじゃないかと思います。
昭和と言う時代に子供として生きた私には、テレビの想い出、冷蔵庫の想い出、洗濯機の想い出、クーラーの想い出と家電に関しても、一つ一つにキラキラした想い出があるのです。
ある時、小学生中学年だった私は、社会の教科書を開いて思わず「わあ~」と言いました。その「わあ~」が何だろうと近づいてきたクラスメイトに、私は言いました。
「この写真、模型かと思ったら、本当の道路の写真だったんだね。」
それは空中に交差して走る道路の写真でした。つまり首都高速道路の写真であったかと。
空中に道路が走ることも、そしてそれが交差することも、私には未来がやって来たように感じたのです。
未来がやって来ると言うイメージが、次の未来を拓くような気持ちを作ると思います。
あの時、東京オリンピックがその未来の夢を見させたのです。
子供たちの前では大人は利口でなくてはいけないと思うんです。
今のオリンピックへの道は・・・凄く無駄なお金をいっぱい使って、やり直したりやり直したり・・・
ああ・・・・。
「昭和の日」は昭和を懐かしむだけでなく、今を生きるためのバネになる日であって欲しいと思うのですがー。