森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「平清盛」最終回の感想をつれづれなるままに

2012-12-29 14:29:05 | ドラマ (大河)

皆さま大掃除などの年末の御用は進んでいますか。
大河の感想を書くことは長年の習慣で、私にはヤルべきことの一つのような気もするので、諸々の合間に書かせていただきました。遅くなってしまいましたが、これを書くとひとつ終わったという感じがします。

※        ※         ※ 

このドラマの感想を書こうとするならば、やはり視聴率のことを避けて通ってはいけないような気がするのです。最終回の視聴率が一桁・・・・・。

このことについては、私も思うことが若干あります。いつもなら、視聴率と作品のクオリティは関係ないし良作は良作だと言い切るところですが、この作品に関しては、少々微妙に思うこともあるのですね。でも、それをつらつらと書いていると、本編感想に辿り着けないので、今回はそれに関しては棚の上に上げておいて、後でゆっくり棚から降ろしてしげしげと眺めながら考えてみたいと思います。

 

視聴率の数字を思うと私は大河「平清盛」を毎回楽しみに見ていた少数派と言えるかも知れません。かなり楽しみに待ち、見ていました。

この作品がどのように流れていくか否かより、もとより私は平家・源氏の物語には心惹かれてそれもテーマにブログの記事を書いていたものですから、最初から見続けると言うのは自分の中の約束事のようなものだったように思います。ゆえに最初からこの作品を見る私の目は、違った意味で曇っていたのかも知れません。目が曇っているというと、良い意味には取れないと思うのですが、どんな展開が来てもこのドラマを悪く見ることが出来なかったと言う意味と取っていただければと思います。

 

「平家物語」の冒頭は、私が子供の時から中学国語の時間で暗記せねばならないと言う授業があったはずで、ほとんどの大人が知っているという、なんて言うか凄いお話なのですよね。

その冒頭文。

「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。

凄いですよね。この冒頭文。特に一行目、読むと頭の中に「カ~ン」と高く澄んだ、だけど切ないような音が頭の中に響きませんか。琵琶法師によって伝えられたこの「平家物語」ですが、誰が一番初めにこの文を綴ったというのでしょうか。その人はこんなにも長き時代を経ても人々に伝えられていると、その時思うことが出来たでしょうか。

ドラマ「平清盛」では「武士の世」という言葉を連発し、時代の画期的変換をなそうとした、いや、なした男の物語で、「平家物語」の冒頭に漂うような無常観は、そうそうはなかったと思います。ゆえにこの冒頭文は最終回でかつて平家の禿だった女の口から語られるという演出がされていました。こんなに早くからあったのかという違和感が若干したものの、サービスだったのかなと良く解釈しました。

だけど無常観はなくてもその根底には「遊びをせんとて生まれけん」という、仏教的思想が流れていたと思います。この歌は今様じゃないのかと反論されそうですが、私は「衆生所遊楽」という経文の言葉から、この歌が来ているのだとごく自然に解釈しました。ただ、宗教に関わることなので、それはどういうことなのかと書いて、解釈に誤ちがあるととんでもない不敬になるので、詳しくは書けませんが、中の解釈を省いて書くと「夢中で生きる」となるわけで、清盛の生きた道を思うと納得ができるものがあったのでした。

死ぬのかと生霊になった清盛がたじろぐと、西行がこの歌を用いて諭すシーンは、やっぱり死者に引導を渡すのは僧侶の仕事なんだなと微妙なところでも納得してしまったのでした。

でももちろん、それは私の自然に感じた解釈で、NHKのHPの「よくある質問」によれば

「詞は「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそ ゆるがるれ」です。
意味についてはいくつかの解釈がありますが、このドラマでは「子どもが遊ぶときは、時の経つのも忘れて、夢中になる。子どもが遊ぶみたいに、夢中で生きたい」という意味で歌っております。 」

あややっ、同じでしたね・・・。要するに最終的な部分は同じで「夢中で生きる」がこのドラマのテーマだったんですよね。

登る坂道下る坂道、とにかく人生の道を一身に進んだ清盛。

このドラマの底辺に流れるテーマに共鳴して、ずっと彼を見続けてきたわけです。

 

だけれどどうも正直な感想を言うと、あるがままの清盛を愛し続けてきたかという訳にはいかない展開だったと思います。特に晩年の彼の行動には、なにか理由があるのかと期待してみたけれど、何のことはなく、ただの傲慢と真の父親譲りの残酷な性格であったのだと思うばかりで感情移入がしにくいエピソードが多かったと思いました。

それでも先に書いた通り、どうしても悪く見ることが出来なかったのは、役者さんたちの素晴らしい演技合戦に心酔していたからに他ならなかったからかも知れません。どの人がというのでなく本当にどの人もその演技は輝いていました。ただ確かに、これはみなさんもおっしゃっていたことですが、頼朝の頼りなさげは、全く新しい解釈で驚かされました。しかもこのライターさんは頼朝を描く時に「今日が明日でも明日が今日でも変わらない毎日」というような内容のセリフを毎回言わせて、よほど気に入っていたのだなと思いますが、1回目は素敵に感じても繰り返されるのはいかがなものかと思ってしまったのでした。なんとなく彼が出てくると、伊坂幸太郎の時代劇(そんなものなどないが)のような気がして仕方がありませんでした。

頼朝には源氏の御曹司という名前のみのカリスマ性しか無く、これじゃ陰で東国武士に虎視眈々とやられちゃうよなと、妙な説得力が出て、それはそれで良かったような気もしたのでした(なんでも良く解釈)

ところでこのドラマはメイクが凄かったですね。特に晩年の清盛の老人メイク。何たる醜悪。
若き日の浅くて薄っぺら感が漂っていながら、それでいて清々しい真っ直ぐな清盛は何処に行ってしまったのかという感じです。

老いると言うのは、なんと悲しいことかと思わず思ってしまったほどです。見た目が醜いからではなく、彼の清さは失われ傲慢であることが全面に出ていたからです。 松ケン、凄いっていつも思っていました。

と、思わず役者さんの名前を出すと、あれやこれやとたっくさん書きたくなってしまうのですが・・・・・

このように気に入って毎回見ていたものは、初回と最終回に書くということはムリなことなんだとしみじみと思いました。

なぜなら書き出すとあのシーンこのシーンと好きだったシーンが沢山思い出されるからです。やっぱりこのドラマ、面白かったですよ。ああ、なんで視聴率が悪かったんだろう・・・って、nhkの人も思ってるだろうなあ、今頃。今、もう次のことしか考えていないのかな。

 

最後に最終回のみの感想を少々。

ドラマタイトルが「平清盛」なので死んだ後はどうするんだろうと思っていたら、やってくれましたね。ぎゅうぎゅうとだけどかなり纏まっていましたよ。

西行が清盛の遺言を持ってくるシーン。伊達に生霊にはならずあの後も西行に伝言を頼んでいたのかと感心しました。西行はそれをふむふむとメモにでも取っていて、みんなでそれを読むのかと思いきや、なんと西行の体を借りて清盛降臨。

もうなんでもやっちゃって下さい。

最終回なんだから。

でも意外と良いシーンでしたよ。なんたって私はこの一族の団結力が好きだったのですから。

清盛亡き後の後日譚は無常感漂いまくりでした。

栄華繁栄を誇ったのに、それは皆懐かしき過去。

初回感想にもリンクさせていただきましたが

  「泣けと言われたら泣けるのか」 という記事で、私が壇ノ浦のシーンで泣かないわけないよなと思っていたら、やっぱりハラハラと泣いてしまいました。

後日譚なんだから、ページをパラパラ捲るような感じでしたが、今思うと、一ノ谷とか壇ノ浦とか諸々、普通視聴率を稼げる場面がここには登場することが出来なかった訳で、企画の段階で早々厳しいものがあるって分かっていたんじゃないのかなと、普通なら思うよねって、ちょっと心の声・・・。

 

貴族の世から武士の世への転換を果たした男清盛。だけどそれは個人に与えられた使命であり平家のものではなかったのかも知れません。歴史の必然は、ゆえに平家を排除した。だけどそれは源氏にも言えたことであって、平家を倒した源氏は結局は弟を殺し、そして三代続いたといっても、長男から次男へという横の相続で、しかも二人ともろくな死に方ではなく、とても続いたといえるものかは疑問です。

歴史の必然が選んだのは、地方の一武士の家系北条だったのですから。

彼らは平家も源氏も歴史の中の通過点でしかなかったのかも知れません。だけど絶対に必要なポイントであったことだけは確かです。

彼らは一心に生き歴史を作っていったのですよね。

 

最後の最後ですが、弁慶、凄い。流石に私の後藤様。すなわち青木様。たったあれだけのシーンなのに全力投球。すごく印象に残りました。私はあまり彼のことをチェック入れたりしていないんです。だけど観たドラマや映画に彼が出てくるとテンションが上ります。大好きです。青木崇高さん。

 

あっ、最後の最後ではありませんでした。今度はほんとうに最後の最後の最後です。

ラストシーン、良かったですねえ。

水の底の都。

共に生きた平家の面々が一堂に会して清盛を迎えます。

ジーンとしました。

でもここでも私、ちょっと思ってしまったことが・・・。

先の妻、明子はここにはいないのかとか、時忠はしぶとく生き抜いてまだここにはいないんじゃないのかとか・・・

 

まっ、いいか、そこは。

 

そして夢の塊だった若き日のつやつやな若さの清盛の姿で終わったのでした。

 

 ※     ※      ※

「平清盛」1回目の感想は→こちら

 

 

 

コメント (7)
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煌く街を過ぎる

2012-12-25 09:05:29 | 梢は歌う(日記)

トップの画像は、秋葉原のホームから写したものです。

昨日は有楽町まで出かけて来ました。その街も低い街路樹にピンクなどのイルミネーションが煌めいていて、とっても綺麗でした。

秋葉原まで戻ってきて改札口を抜けると、駅員の人が東京駅でのイベントが中止になったプラカードを持っていました。

―ああ、あれ、中止になってしまったんだ。

 

「なぜですか。」と残念そうに駅員さんに女に人が聞いてました。
「それは・・・わかりませんが・・・」と駅員さん・・・・

たぶん、人が多く押し寄せすぎたんじゃないかなと、そんな事を思いながらその横を通り過ぎて行きました。

街に花の色が消えて紅葉の葉も落ちてしまうと、なぜだか多くの人は、この人口の煌く光に心惹かれるのですよね。

中止を知らないで、近くまで来た人たちはほんとうに残念に思ったことでしょうね。

 

 私も「多くの人」の一員です。

自分の街近くに戻ってきてからも、その光に魅せられていました。

 この光の雫が落ちる感じが素敵なのですが、静止画像だとあまり伝わっていないような気がします。

 

これって、何だ!?

実はこれです。

 この小さなおうちに万華鏡の模様が映し出されているのです。

 

この時私にはケーキを買ってくるというミッションが残っていたものですから、画像不足ですが、目に楽しい冬の街だったと思います。

 

※      ※      ※   

「クリスマス」にはその思い出話や関連のことを話題にしたいと思っています。

だけどこの三連休は風邪のために、一日は眠り姫の日、二日目は溜まった家事の日、三日目の昨日は遊びで外出と言うことで、なんとなく向きあう時間がと気力が持てませんでした。

だけど以前はどんなことを書いているのか、過去にさかのぼって、朝読んでいました。やっぱり、自分のブログの第一の読者は自分なのだと思います。その想い出に思わずほろっと来たりして。

しかも2009年、クリスマスメニューは全く今年と同じでした。ふふふ~。

ビーフーシチューにトリのもも肉、サラダ、食後のケーキ。

もうお腹がいっぱいです。

だけど、夫殿が息子たちを呼びに行く時に

「今年はちょっと、少なめメニューだけど早くおいで。」

と不思議な事を言いました。

「じゃあ、テリーヌとか買ってくれば良かったってわけ。」と私。
「いや、そんなの嫌いだ。」
「じゃあ、かまぼこ」
「なんでかまぼこ?」

でも実はこの蒲鉾ってのはサンタや雪だるまの絵付きのやつで、既に大人のうちになってしまった我が家でも出すと受けます。

だけど量的には、全然問題がなくて、誰もが満足なのです。昔と違って、お食事時間に家族全員が揃いませんし、以前のようにもも肉は翌日に半分残るぐらいで他の、例えばホタテのコキールとか中華ちまきとかを作ろうという気分にはなれません。

それに本当は夫殿がそう言った時、なぜか分かってしまったのです。それはサラダがシンプルすぎて物足りなく見えたんだなと。

疲れていたので卵もエビも茹でるのはナシ。ベーコンとかも炒めない。本当にグリーンサラダ。

―そかそか。じゃあ来年は、気合入れたろか。

と、ほんのちょっぴり思ってみたのですが、それにしても、さりげないこの言葉には、思わず違うことを思ってしまったのでした。

つまり子供も成長していってしまって、家族イベントの比重が徐々に軽くなって行く妻。だけどそれに反して夫は微かにその比重が増えているように感じたのです。

 

と、さり気なく今年のクリスマスシーンの一部を書いてしまいました。このような何気ないワンシーンでもいつか懐かしく思い出す日も来るのでしょうか。

 

 

 

 

 

 


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束の間の過ぎた日を想って

2012-12-22 16:35:17 | お散歩&写真日記
 
いいな♪
「一体私たちってどれだけおしゃべりなの?」と私は友人に言った。一年に一回ぐらいしか会わない彼女だけれど、今年は二回会った。二回目は、彼女と食事した後に、又久しぶりになってしまった友...
 

風邪をひいております。

今日は特に朝から何もせず、事あるごとにうつらうつらしています。よく寝られるなあと、自分でも思うけれど、寝られるときって体が強制的にそれを要求している時で、そういう時は体の要求通りにすればいいんじゃないかなと思います。

俗に私が名付けた「眠り姫の日」。

それにこれっていつも出来るわけじゃないしね。

もろもろヤル気力もわかないし。

しかし年末なので、ガンバレ自分。

 

ところで私、gooさんが送ってくれる昨年のブログ記事っていうのが、意外と気に入ってます。読みなおしてみると、同じ時期には同じ様なことをしていたりするのですね。

一年に数回しか会わない友だち、今年もやはり同じ様に会いましたが、あった回数は昨年より多かったように思います。時によって近寄る人遠ざかる人、いるのかも知れません。

 

ちょっと前の秋の日、彼女と散歩した時の画像をアップさせてくださいね。

過ぎていったつかの間の秋の日を、私の中で記録しておきたいものですから。

 

 

 

 

 

 

紅葉もギリギリでした。一番きれいな時でなくてごめんねっていうところです。これっていつの画像だったかなとチェックしたら12月6日でした。その数日前はすごく綺麗だったのですが、私を待っていてくれた紅葉たちです。

水鳥たちも秋の日は淋しげです。

 

 

←毎年、撮ってる10月桜。残っていてくれてありがとう。

 

その時、遠くに見えるあれは何かと近づいて見たら、

 この赤いのは「実」だったのですね。

 「イイギリ」だそうです。

 

たわわに実った赤い実がとっても可愛いと思いました。

 

※       ※        ※

 

この日会った友人とは、この日もですが散歩+お食事の出来る人で楽しかったです。この前の時には、それに加えてショッピングもプラスで、今年の冬はその時買った毛糸の帽子がマイブームです。

そしてこの日は、お食事の後に、実は隠れスポット、とある病院のカフェでお茶を飲んでくると言うミッションを達成しました。風景がとっても綺麗で、お見舞いの人たちもokのカフェなので、つまり通りすがりで入ってもいいのです。

 ←遠くに見えるのは筑波山です。

 

この友人は、今年になって我が家のニャンコも見に来てくれたのですよ。

年に数回しか会わなくても、こんな風に想い出をちょっとずつ増やしていけたらいいなと思います。

それにこの日、私はその病院のカフェで、ずっと昔知り合いだった人にばったり会ったのです。

この再会もまた、大切にし、次に繋げたらいいなと思いました。

 

毎日はこんな風に、次へ次へと絡み合って進んでいくのですね。

今年もあと僅かです。

今日は眠り姫でも、明日はしっかり目覚めていきたいと思います。

 

 

 


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相棒Eleven第九話「猛き祈り」

2012-12-20 22:37:15 | ドラマ(相棒)

ああ、ナルホド。だから「猛き」なんだなと思いました。

「森の中」の続編「猛き祈り」。

最初タイトルになんかピンとこなかったのです。というか、「猛き」の後に「怒り」のような言葉が続くようなイメージがあるからです。

「祈り」というものはその祈りがどんなに深くても平和色。言葉というのは音楽と一緒でなんとなく属性があるような気がして、ある意味このタイトルは違う属性のものが結びつくことによって、一言で登場人物たちの気持ちを補佐し現していたのかなと思ってみたりしました。

まあ、これは私の感覚の問題なので、もしもまんがいち、タイトルをつけた人が上の文章を読んだりすることがあれば、
「えっ、そうなんだ。えっと、『こんなんでいいじゃん。』って付けたんだけど。」って言うかも知れませんが^^

ちなみに「猛」の漢字の意味は(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/218392/m0u/)から

がむしゃらで強い。たけだけしい。「猛犬猛獣猛将猛然獰猛(どうもう)勇猛
はげしい。程度がひどい。「猛威猛火猛暑猛省猛追猛毒猛烈
[名のり]たか・たけ・たけお・たけき

 

いったい何が森の中であったのかさっぱり分からなかった前回。

「相棒」ファンの皆さまは、結構やってるんじゃないかなと思うのですが、いわゆる右京さんと勝負、つまりライターさんとの勝負です。何処らへんで、事件のことがわかるか否かって。

これって結構難しかったですよ。

右京さんが森の中で頷いているシーンで、実は私もわかりました。って、かなり遅めで自慢もできないことですが、聞こえなくなった鈴の音、部屋にあった竹筒、勝手は犯罪経歴があっても今はそんなに悪そうではない人たち。守りたいのは姿を見せないおやじさん。

ああ、分かった。あれだって。

だけど少女の首に付いていた絞められた後。そして締めたというカイトの記憶は一体どうなってるのって、なかなかひねってあって見応えがありました。

カイトに何があったのかというより、この良さげな人達に何があって、あのような暴行に及んでしまったのか非常に不思議な気がしていましたが、納得が行く展開になりました。

この世の平和を祈るために即身仏になる。

それに意味があるのか否かは「信」あるか否かによるものだと思います。

 

―森の中の住人たちは、血の繋がりのない人々でした。老人と男と女、それより少し若いやはり男と女、彼らはそれぞれに過去に何かを背負っていました。彼らの森の中の「まろく庵」での生活はまったく描かれてはいませんでしたが、信頼で彼らは結ばれていました。他者を排除しても、仲間を大切に思い、自分を受け入れてくれた人の思いを成就させてあげようと強く強く祈っていたのです‥‥・・・・・と、なんと不思議な世界観。

 

そして、まろく庵のオヤジさんがカイトの前に現れた時、思わず頭の中で「チャカチャンチャカチャン」と「世にも奇妙な物語」の音楽が鳴り響いたのでした。これって「相棒」なのか~って。

「幽霊屋敷」の心霊写真の件も回収されなかったし、カイトは何気にオカルト体質だったのですね。

幽霊に会ったカイトを何気に右京さんは羨ましがってるような気がしました。

そのうち彼も幽霊に会えるという回があるかも知れませんね。

 

ホラーチックな展開だったので、まろく庵の庵主は見つからないだろうというのは想定内でした。きっとテレビ前で多くの人が頷いたことと思います。

 

 というわけで、次回は元日ですね。

「アリス」、楽しみです。

 

 

 


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ああなって、こうなって 

2012-12-18 12:32:35 | 梢は歌う(日記)

最近、ワタクシ、このブログ・・・このブログってわけじゃなくて、いろいろやってるブログの更新が滞りがち。

今日はブログ開設してから2542日目なんだって。それだけやってりゃ、枯渇するよなって思うけれど、本当はそうでもない。あんまり間が開きすぎて何から書こうか迷って、そして書かないという選択肢を選んでしまう毎日というのが正しいかも。

じゃあ、間を空けるなよってことになるのだけれど、極端な睡眠不足で文章を綴ったり写真編集をする気力がわかないのだ。

私は、子供の頃から完全深夜族。真夜中が大好き・・・・。寝るのが1時とか2時になってしまうことが多い。この習慣はそうそう変わるものではないみたいなのだが、それなのに生活にいろいろ変化が訪れて、毎朝5時起き。

生活するには別に支障はないのだが、気力がいまいち。

こんな生活変えなくちゃと思って早く寝ると、丑三つ時に起きてしまう始末。

だけどこんな生活していたら、いつか必ず死ぬぞって思う・・・・

ああ、そうだった。

みんな誰でもいつか必ず死ぬんだった・・・・。

 

※      ※      ※

 

気力がないといっても、毎日は本当に光の矢のように過ぎていってしまう。

昨日、ちょっと嫌なことがあった友だちに、私は少し偉そうなことを言ってしまった。

―毎日はまるで同じようなことの繰り返し。良い事も嫌なことも川の流れで流されて行ってしまう枯葉のようだ。
過ぎてしまうと、そこにはただ川の流れがあるだけ。だけどそんな毎日の一部分を切り取ってブログに書く。それはまるで生活の一部を切り取って記憶のアルバムにぺたりと貼るようなもの。後で読み返した時には、その一部のみではなくもっと幅広く記憶がよみがえるかもしれないし、良かったことだけ書き抜いておけば、そこだけしか思い出せず、より多く楽しかった時間を自分の人生に蓄積できる。だからブログを書くっていうのは良いことだと思うの。―

と、上の文章を、昨日会った友だちが読んだら、

―えっ~、こんな事言ったっけ?

と、なるはず。

実は言ってない。

だって、いるのかな。

友達相手に、上のようなセリフを吐く人って。

でも、まあ、似たような事は言った。

で、私は思った。

「なるほど!」って。

・・・、自分で。

 

特に最近、自分が何をして何がしたいのかさっぱりわからないまま、毎日が過ぎていってしまうような気がする。

やっぱり、私は書こう。

記録&発散。

それから頭の中の整理・・・・。

 

とりあえず、私の今の課題は、ゴミ捨て。

ああ、12月だものねえ・・って、わけじゃない。

発端は、先日の地震。このお話は次回。


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相棒Eleven第九話「森の中」前編

2012-12-14 12:04:19 | ドラマ(相棒)

相棒Elevenも、早くも第九話になってしまいました。

感想を書くのが滞りがちですが、毎週楽しみに見ています。感想が欠番になってしまったところはそのうち補完したいなと思っているのですが、思っているだけでなかなか実行できません。

しかし、「相棒」と私は波長があっているなと、「森の中」を見て思わず思ってしまいました。

なぜならその放映日前日、実はこういった謎・謎・謎みたいな作品を前後半に分けても見たいなと思ったばかりだったのでした。近頃ブログ更新も滞っていますが、HPチェックも滞っています。今回のお話が前後編物とは知らずに、45分あたりで思わず時計を見てしまいました。

ムリだろ―、これじゃ回収しきれないよねと思ったら続きになりました。

今の段階ではさっぱりわかりません。

この人達が守っている「おやじ様」とは何を指しているのか・・・。

なぜこの人達にカイトはあそこまでの暴行を受けなければならなかったのか・・・・。

 

でも私の中で、一番の不思議な謎はカイトの父親の態度です。

この二人に何があったのかしら。

こういう場合は普通はその出生に秘密があるのが定番。でも如何にそこに理由があったとしても、自分を父と呼ばせている者の生死に関わるその時にもあの態度は冷たすぎて、非常に謎深き部分を感じました。

「家族はいないんですか。」という記憶喪失になっているカイトも寂しそうでした。

 

本編以外に伏線としてレギュラーの話を絡めていく事は海外ドラマではよくあることですが、その絡め方が結構上手いな~と思っています。

カイトに母親はいないのかと思っていたら、海外ぐらしなんですって・・・うーむ。

それだって、生死を彷徨ってるんですよ。後から駆けつけてくるでしょ、普通は・・・。

あっ、これはキャスティングしてないからムリなんですね、ハイハイ。

 

だけどレギュラー陣のカイトへの態度が騒々しいけれど暖かくてホットしました。カイトは戸惑って、ありがた迷惑な顔をしていましたが、後になって、彼らの暖かさがきっと心に染み渡って行くのではないかと予想しました。

しかし食べることが出来ない患者に好物の差し入れって、幸子さ~ん。

いや、あの時のお重のズレって、マジで少々ヤバかったのではとかニヤニヤして見てました。

 

だけど暇か課長トリオ、自称の部分が図々しかったのですが、大木のジョニー・デップが印象深くて、後の人は忘れちゃった・・・。しかも、あっ、ちょっと似てるかもと思ってしまった私の目は・・・近頃0.9.少々近眼になりつつあります^^

 

事件の方は、右京さんの公衆電話からの推理もいつもながらに冴え渡っていましたが、トイレ→迷う→こっそり違法捜査もいつもながらで微妙に進展していました。この車の中を見せろというゴリ押しも柴本さんだけだったら上手くいったかも・・・

だけど犯罪は露見したほうが多くは、その犯人のためでもあるんだよね。

 

 

しかしあの森の中でいったい何があったのだろう。

すべての謎は次回を待て~!

あっ、カイトの親子関係の謎以外ですが・・・。

 

これ、関東では19日、3:57から再放送があります。
夜の後半に備えて、もう一回見ようかな。

 

視聴率も良かったです。17.2。

 

 ああ、そうだった。大事なことを書き忘れちゃった。

いや、他の人にはちっとも大事なことではないと思いますが、あのカイトが入院していた病院・・・

実は私が入院していた病院なんです。

個人情報暴露しちゃってますが、まあそこの所はスルーでよろしくです。そこの病院、良く映画やドラマの撮影に使われるのだって聞いてました。

ふっふっふ。

何気に「相棒」ロケ地、先取り訪問だぞって、威張れることか否か〈(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 


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「木の上の軍隊」は来年上演決定♪

2012-12-09 17:49:58 | 観劇・コンサート日記

何を今更って、ファンの人たちに叱られそう。

でも私、たった今知ったんです。

なあんとなく藤原くんのファンクラブサイトを覗いてみたんです。「日の浦姫物語」が終ってしまったので、トップ画像も「藁の縦」のものに変わっていて、目新しいことはそれだけかなって思っていたら、とんでもありませんでした。

 

「日の浦姫物語」を見終わった時に、かえすがえすも「木の上の軍隊」が未完で終わってしまったことは残念だと思ってしまったのでした。何処かにプロットとか残っていて、誰かがそれを引き継いでくれないのかなと、ほんとうに思ったばかり。

だからビックリもしましたし、ほんとうに嬉しく思いました。

来年の4月5日から。

地方公演などの詳しい日程はこれからですね。

詳しい記事は→こちら「演劇ニュース」

 

配役がひとり女性に。しかも片平さんとな・・・うーむ。気になる。


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太く短く生きたのか。

2012-12-08 08:43:14 | 同じ時代の船に乗る

5日の朝、いつもの様にパソコンをつけたらツイッターで中村勘三郎さんが亡くなったと言うツイートが目に飛び込んできました。

「嘘っ!?」

思わず私は夫にその事を告げました。

「嘘だ!」とやっぱり夫が言いました。

その時テレビに速報が流れました。

「あっ、じゃあ、これ?」と夫が言うと、やっぱりそれは中村勘三郎さん訃報の速報でした。

「ええ、なんで。早過ぎる・・・・。ええ、どうして。だって~。」と気持がざわざわしました。

午後、姉と電話。

姉の家でも同じ様な会話があったのだと聞きました。

きっと同じ様な会話が多くの家であったのではないかと思います。

※      ※       ※

勘九郎―

彼が子供だった時、もちろん私も子供。

その頃、私は彼を特別な所に生まれた生まれながらにして恵まれた子供だと思っていました。子供だったので梨園という言葉も知らない頃です。

生まれながらに恵まれた子供に特別に興味なども持っていませんでしたが、ずっと親しみを感じて「勘九郎」という名前を身近なものに感じていました。

歌舞伎の役者さんがその後継の子供を幼少から舞台に立たせるのは、すごく意味があるなと、今ちょっと思ってしまいました。稽古と修行を幼い頃からするという意味だけでなく、観る側からしても子供の時から知ってる役者として、親しみ度が深くなるような気がします。

同じ時代の船に乗る・・・・子供の時からずっと知っていた彼は、まさしく同じ時代の船に乗っていた人でした。

 

横浜の片隅でタミーちゃんやバンカスゲームに、私が明け暮れていた頃、早くも彼は芝居に対して確固たる夢を持っていたようです。

その後の人生で、彼は山のような仕事をしました。

彼自身の舞台の充実ということはもちろんですが、きっぷの良い親分肌のようなそんな雰囲気が、時々テレビから流れる様々な情報から感じることが出来ました。

時代を同じように通過していくうちに、私はこの人にどんどん心惹かれるようになっていったと思います。

彼はいろいろな垣根の高さを低くした人だと思います。

歌舞伎の世界でも名門の否かの門を広げ、なんだか勉強をしないと観に行けないように感じてしまう歌舞伎自体の垣根も低くしました。

浅草の歌舞伎は難しくないから面白いよと、私も何度か人から聞いて行きたいなと思っていたのです。もちろん歌舞伎座の歌舞伎にも一度は挑戦したいとは思っていますが(ほらっ、やっぱり挑戦になってしまうのですよね。〉

それにやっぱり子供は親の鏡というように、勘九郎、七之助が素敵な役者さんに育ったことにも、凄く心惹かれました。

特に六代目中村勘九郎は藤原竜也を贔屓にしている人には、同じ様に気になる存在の人も多いかと思います。

 

病気だということは知っていました。だけど元気になって新歌舞伎座で復活してくるものだと思い込んでいました。

あのパワーと生命力が、病気などで潰えるわけがないと思っていました。

57歳―

早すぎます。

 

翌日会った友人は、
「私はお芝居などに全く興味が無いから、良く分からない。」と言いました。

そうかもしれないと、また私は思いました。

だけど演劇を愛する者の端くれである私には、やはりものすごく大きな損失に感じてしまうのです。さながら日本の宝をひとつ失ってしまったような、そんな感じさえするのです。

 

勘三郎さん―

遣りたいことは、概ねはやり切れましたか。

「概ねは」と言うのは、「全て」なんてワケがないからです。

だけど今生に未練を残しても仕方がないこと。やり残したことは、きっとあなたが厳しく育てたお子様たちが引き継ぎますよ、きっと。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

彼の舞台を生で観ることは叶わぬ夢になってしまいました。
唯一観たのは、シネマ歌舞伎の「法界坊」。その感想は→こちらです

 


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「日の浦姫物語」を観てきました。

2012-12-04 10:23:45 | 観劇・コンサート日記

12月2日に楽を迎えてしまった『日の浦姫物語』ですが、感想がなかなか書ききれず、すっかり遅くなってしまいました。もう終ってしまったので、詳しいあらすじは書いていませんがネタバレしています。

一言で言うと、「素晴らしいお芝居でずっと心に余韻が残りました。」。

もう少し詳しく書くと

「大竹しのぶさんはすごく綺麗。藤原竜也くんはそれに負けないくらい素敵。いつもながら蜷川さんの舞台に美術は素晴らしく、音楽も賛美歌からフォーク調から見事。物語は壮大でありながら軽妙。」となるのですが、それを長々と心の赴くままに書かせていただきました。

  ☆      ☆      ☆

 

冒頭、説教聖の呼びかける声が館内に響き渡ります。

何たる美声。

そして物悲しいのです。

いつも舞台を観る時、「身毒丸」で学んだ「舞台は幕が開いて3分が勝負」ということを意識してしまうのですが、3分かかりませんでした。その「ホォー、ホォー」みたいな声にググッと引きこまれ、私は物語の中にあっという間に入っていってしまいました。

 

先日姉妹で集まった時に、21日は藤原竜也の芝居を見に行くんだと言いましたら、どんなお話かと問われました。もちろん観ていませんので、チラシに書いてあった程度のあらすじを言いました。

「うーん、多分・・・。兄妹で愛しあって子供が生まれちゃうのね。その兄の役が藤原君なんだけれど、その生まれた子供の成長した時も藤原君で二役。それで母と別れて成長した青年が生みの母と知らずに、またその母と愛し合っちゃって、その真実を知った時、母は自分の目を潰しちゃう・・・」

 

「なあに、その究極のドロドロ」

そう。どう考えても究極のひゅ~どろどろ。

あっ、「ひゅ~」は付かないか。

 

だけどこの舞台、まったくもってどろどろ感がないのです。

本当にあっという間に終ってしまいました。

さすがさすがの井上ひさし先生の作品ですね。笑い80%でこの悲劇を描いてしまうわけですから。

 

さすれば悲劇と喜劇は相合わせながら同じ場所に存在しているものなのかも知れません。

お芝居が明るいので、その悲劇性は逆に少し想像力を要してしまったほどでした。

人間がその本能から導き出した禁忌、近親婚。それを罪と言うのならば、その本当の罰は、このお芝居の中では敢えて省略されているように感じました。

なぜなら罪の子どもたちは、皆美しく力強く聡明です。

だから私は思ってしまったのです。

生まれてきた子どもたちが美しく力強く聡明であるならば、その罪は既にその時、許されているのではないかと。

だからあの時・・・

あの時というのは、日の浦が魚名の手紙の存在を知ってしまった時、本当に秘密は永遠に封印されたままであって欲しいと思ってしまったのでした。もちろんお芝居なので、それで終ってしまったら物語は続かないわけでありえない戯言ですが、それほど二人は美しい夫婦だったのです。

 

少々、お芝居の感想というよりこの物語の感想です。この部分は、私には今回必須です。面白いなと思ってるうちに終ってしまったので、「うむ」と思った部分の脳内補完です。

日の浦姫の本当の罪は、我が子を、生か死か定かではないという、あまりな賭けなのに、泣きながらもその子を手放してしまったことなのではないかと思うのです。その後どんなに悔いの涙の海に溺れ神仏に祈り、操の誓を立てていたとしても、子供を捨ててしまった罪は新たな罪。

だって仕方がないじゃないかとも思います。庇護者の叔父の命令でもあり、日の浦はあまりにも幼くて力もなかったのですから。だからそんな存在であったのに子を宿したことが、根源の罪。とやっぱりそこに帰着してしまうのですね。

だけどその新たな罪の罰は、18年後わが子を夫にしてしまうという形でくだされたのだと思いました。それはそれまでずっと愛していた兄に操を立て一生独身でいようという誓を捨ててしまったことも、何となく頷けるのです。

それは魚名が素敵で魅力的だったからというミーハー的なものだけではなかったと思います。しかもセリフの中には一言も「兄の面影」とか「似てる」とか「同じ雰囲気」とか「・・・」〈ちょっとしつこい・・・〉とないんです。

ずっと子供の無事を祈っていた。彼女がもろもろの誓願を立てていたのは、罪をあがらう為と言うよりは祈願のためであったのじゃないかと思うのです。だけど魚名と会った時に、つまり知らずとも無事に成長した我が子と巡り会えた時に、それは大願成就を果たしてしまい、誓の封印は破れてしまったのです。

ああ、なぜ指を折って数えなかったんだろう、我が子の歳を・・・
ああ、なぜその面差しをしげしげと見なかったのだろう・・・
ああ、なぜ愛する人に自分の罪を告白できなかったのか‥・・って、これはムリですよね。

魚名が時々仏壇の中から手紙と鏡をだしさめざめと泣き、とても自分は「罪の子供だ」とは告白出来なかったことを苦しんでいたのですよね。

ましてや日の浦が自分の過去を打ち明けるなどと、出来るものではないと思います。
「兄の子を産んで、そしてその子を海に流した」などと・・・・。

だけどもしもこの時、その一番出来なかったその告白をお互いにすることが出来たならば、本当に日の浦の罪は許されて、素晴らしく成長した我が子が、この先ずっと傍らで彼女を支えていくという違った人生が待っていたかも知れません。

 

この物語は作者が「グレゴリウス1世」の物語をヒントに生まれたものなのだとパンフレットから知りました。それ故か全体的に宗教色で染められているような感じがします。

―『罪と罰』

だけど、大竹しのぶさんのパンフレットの言葉を借りるならば
「人は罪を犯しながら生きていくものなのだから」で終わってしまうのですが・・・・^^。

彼女が日の浦に感じたものは『女』。

でもそれは私も同じように感じました。

印象深かったのは、魚名の手紙と手鏡を見つけてしまった時の葛藤の場面です。きっと心の底では我が子の無事を祈り続けてきたのに違いないはずなのに、その我が子を、一瞬と言えども言葉の中で殺してしまったのです。

「あの子はきっと死んでしまったのだわ。そしてその形見を友人である魚名が何らかの理由で受け取って・・・」

このシーンは、大竹さんがあまりに可愛らしくキュートでコミカルに演じるので葛藤の一部のようにサラリといってしまう方も多いかも知れませんが、例えば私などのような男子の母だとそうは行きません。

「えええええええ」と、その言葉が頭の中で居座ってしまうのです。

なんという恐ろしいことを―。

もちろん、彼女も即否定します。だけどその言葉は一瞬であっても一瞬だからでは済まない重さがあったと思うのです。ゆえに次に来る悲劇に繋がっていったのだと。

だけどこの物語が、ほんとうに素敵だなと思ったのはギリシャ悲劇のようでありながら悲劇のままで終わらなかったことだと思います。

 

岩の上の聖人のシーン。

魚の名前だけで語るという面白さ。このシーンだけでももう一回見たいくらいです。

「宗教色が」と先に書きましたが、この魚達が「魚名」という名前に惹かれるのか、その聖人に食べ物を運ぶというお話は、私にはどちらかと言うと仏法説話のように感じました。

 

そして「奇跡」のシーンです。

このシーン、本当に奥が深いなと思っています。
なぜなら僧正に罪を懺悔するならば罪は許され病が治るという奇跡が起きるというのです。

確率何%かで「治るかもしれない」じゃないんですよ。「治る」なんです。

だけどそれは望まないとダメなんですよね。

日の浦は自分の目のことを祈らなかった。魚名も自分の目を治せとは思わなかった。再び二人が出会うまでは。

私はこのシーン、ちょっと泣きました。

もう一度この目で見たい・・・・わが子を。
もう一度この目で見たい・・・我が母を。

魚名の岩の上での18年の懺悔の日々は、すなわち日の浦の盲目ありながら人々に尽くした贖罪の日々であったわけです。

―罪と罰と、そして許し

ただ許しを請うて惨めに生きていたのではなく、一人は奇跡を起こす聖人になりひとりは人々に尽くしまくった。

人は罪を犯しながら生きていく者。でもだからこそ生み出していくエネルギーと力は何だとか思ってしまったり・・・・

そしてこの時、日の浦はまだ50代、魚名は30代ですよね(たぶん)。

人生はまだまだ続くのです。ならばこの先、母と子の穏やかな幸せな日々が・・・・と幸せな気持ちになって二人の物語は終わったのでした。

 

どろどろかと思ったら、全くそうじゃなかった「日の浦姫物語」。だけどドロドロ部分は説教聖の担当でした。

なぜこの物語を人々に語っていくのか・・・・。

許してくださいという彼に人々は石を投げます。

「責める者は強気」

心に残りました。

説教聖の呼声がシアターコクーンに響き渡ります。

物悲しく、静かな余韻を残しながら―



 

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12月の詩その1と2

2012-12-02 00:10:37 | 詩、小説

人は誰でも 寂しくて

愛を形に残そうと

心の旅にでるだろう

 

心の旅で乗る船に

羅針盤など付いてない

広い海原で迷うだけ

 

いつかはきっと辿り着く

理想の港はどこにある

愛する人の傍らか

 

 

人はなぜ旅人になる

そんな夢を見るのだろ

風に吹かれて立つ丘の上

ひとりぽっちだと

涙すれば

落ちる雫が

私の海

孤独の海をゆく我に

愛する人は手も振らず

だけれどきっと

家に灯りをともし

向かえてくれる港になってくれるのかもしれない

 

人はなぜ旅人になる

そんな夢をみるのだろ

 

いつかは帰る

そんな場所があるからか

 

 

 すでに数分過ぎてしまい昨日から12月。いろいろ頑張ろうと思います。

ちゃんと12月の1日からアップしたいと思っていたのに、タイトルを考えていたら時間が経ってしまいました〈(^_^;)

まったく~。

上記はある目的のために書いたもの。

だけどちょっと書き足りなくて、その2を書いたのです。テーマは同じ。

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