昨夜から体調不良で、朝もヨロヨロ起きてきました。そしたら、「ZIP!」で藤原竜也くんの中学での授業の様子が流れていました。私にとってはささやかな幸せです。
その時の、様子を早速You Tubeにアップしてくださった方がいらしたのでおすそ分けです。
彼、15歳の青少年に良い事を言っているなあと思いました。青少年ばかりではなく、私も頷いてしまいました。
映画もヒットして欲しいですね。
ちなみに3月5日の「スタジオパークからこんにちは」も楽しみです♪
藤原竜也 中学生に恋愛を語る!
昨夜から体調不良で、朝もヨロヨロ起きてきました。そしたら、「ZIP!」で藤原竜也くんの中学での授業の様子が流れていました。私にとってはささやかな幸せです。
その時の、様子を早速You Tubeにアップしてくださった方がいらしたのでおすそ分けです。
彼、15歳の青少年に良い事を言っているなあと思いました。青少年ばかりではなく、私も頷いてしまいました。
映画もヒットして欲しいですね。
ちなみに3月5日の「スタジオパークからこんにちは」も楽しみです♪
藤原竜也 中学生に恋愛を語る!
恍惚とは→
1 物事に心を奪われてうっとりするさま。「―として聴き入る」「―の境地」
2 意識がはっきりしないさま。
3 老人の、病的に頭がぼんやりしているさま。有吉佐和子著「恍惚の人」(昭和47年)により流行した。
(デジタル大辞泉の解説より)
このパソコン、昨年買ったばかりで老人でもないのに、早くも恍惚の人。いや、人じゃないので恍惚のパソコン。
だって、ある日突然「分かる」が分からなくなってしまったのだ。
「わかる」を打つと、「輪」と「駆る」に必ず分かれる。
大体、「わかる」には少なくても「判る」「解る」「解かる」「若る」「分かる」、ひらがなカタカナなども含めて7以上のパターンがあるはずだ。そして「分かる」「分かりません」は本当によく使う言葉なのだ。
チョーが三個つくぐらい不便。変な所で切れるのは、パソコンが変な風に学習してしまったからだと思って、いろいろ試したけれど直らない。
そう言えば、ちょっと前から他の言葉も変換がスムーズでなくて、「このパソコン、お利口じゃないわ。」と夫殿にボヤいていたのだった。きっとその悪口を聞いていたのに違いない。ひねくれてしまったのか、とうとう分かるが分からない恍惚のパソコンになってしまったのだった。
パソコン生活を始めて何年も経ったというのに志低く、未だに分からない事だらけで、とうとうラッタ君にお願いすることにした。
「これダメだな。」と何かを何かにチェンジしてくれた。その何かの部分は、彼に聞けばいいのだけれど、面倒なので「何か」で良い事にする。なんたって志が低い・・・・むにゃむにゃ。
「しかし『わかる』が『わからない』なんて、なんて哲学的なパソコンなんだ。」と、ラッタ君がのたまう。
「確かに。しかもなんで『わかる』が『わからない』のか、『わからなくなった』事が『わからない』と言う言葉の迷路。」と私。
そう言って振り向いたら、すでにラッタ君はいない。
ちょっとムカッ。
まあ、いつもの事なんだ。
だけど「恍惚のパソコン」ではなく、マイパソコンは「哲学するパソコン」だったらしい。
※ ※
「ああ、分からない。」
「何が分からないと言うの?」
「何が分からないのかが、分からないんだよ。」
「そうね。その分からない何かが分かれば、きっとすべてが分かるわ。」
「何も分かっちゃいないくせに、分かったような口をきくな。」
「ごめんなさい、あなたの事が分かりたくて。」
「ああ、ごめん。俺も強く言い過ぎた。」
―ああ、今、分かった。
だけど男はその時ふと思った。
―俺はこの女を愛していない。
女はやたら感が良かった。その時なぜだか男が何を考えたのかが分かってしまった。
ーだけど、私は昔から『愛』ってなんだか分からない。そんな女だって自分で分かっていたの。だから精一杯に微笑んで、精一杯愛している振りをしているの。
「ねえ、あなた、愛してるわ。」
「俺もだよ。」
不確かなものを確かなものにするように悲しげに女が言うと、そう男も何かを閉じ込めるように言葉を返した。
「あなた、穏やかな顔になったわ。何が分からないのか分かったの?」
「ああ、たぶんね。『分かる』って事にはあんまり意味がないって事が分かったのさ。」
※ ※
これでもかって言うくらい、使ってやりましたわ!!
どう?分かった?
「恍惚の」と言ってもボケた猫という意味ではありません。
恍惚→「物事に心を奪われてうっとりするさま。(―として聴き入る) (―の境地)」
この白い猫じゃらし。
あまり遊ばない。でもお気に入り。キャットタワーにいる時に「ハイ」っと渡すと
会いたかったよ~
ナメナメ、ペロペロ毛づくろい
もううっとり~。
今日は2月22日、ニャンコの日と言う事で、久しぶりに猫ブログ。
我が家のもも吉は元気です。
「あのね、ままちゃん。久しぶりなんだから、もっと可愛いのをアップして・・・」
うーん、でもね。
うちのもも吉、だいたいいつもこんな顔をしています。
つい先日の2月7日頃、急に「そう言えば『必殺仕事人』、最近見ていないな」なんて事が頭をよぎったのでした。調べてみたら昨日の19日に遣ることがわかったのでした。
2月7日頃と日付が入れられるのは、その日にツイッターで呟いたからなんです。
その呟き:「そう言えば、先日急に「必殺仕事人」が見たくなって、急に見たくなると言うのも変だけれど、そろそろ新作やらないかなと思ったらやるんですよね。「必殺仕事人2012」は2月19日。ちょっと楽しみ。好きなんだ、このシリーズ。」
しかし、『必殺仕事人』を遣る気配を風で感じちゃうなんて、私ってなんて『仕事人』好きなの~。
一昨年やった「必殺仕事人2010」は18日の土曜日に再放送をしていましたね。台詞が生きていてやっぱり面白かったです。その感想は→一応こちら「必殺仕事人2010」。
ところで今回の仕事人。
冒頭、せんだみつおが出てきたなと思ったら即効で殺されてしまいました。なんか、「サービス」と言う感じがして、期待感が高まりました。
今回のツボは、経師屋涼次の新作料理でした。新作と言ってもその時代の新作。
カレーライス、ハンバーグ、最後はポテトチップス。
どれも受け入れられなくて、なんでも「時に合う」って言うのは大切なんだなと思ってしまいました。
またまた、真面目な事を言ってしまいました~。
最後のポテチ、「良いから一枚食べてみなよ。」とテレビ画面前で思ってしまったのでしたが、そこで息子が
「ああ、ぶちまけそう。」と言った途端に案の定のラスト。お約束ですよね、ああ言うのは。
そして、今回の見所は、悪の桃太郎侍。
いやあ、本当に悪人顔で良かったです。もちろん褒め言葉ですよ。
あの僧侶姿の男は顔を見せないなと思ったら、最後の方でその理由が分かりました。
潜入捜査で小五郎が、小六郎と言う双子の弟のふりをしたのも、実はその事を示唆していたのかも知れませんね。
悪の桃太郎侍、弥勒坊燕斎が「お前は小五郎、小六郎どっちだ。」と聞くシーンがありますが、それはそのまま燕斎か仙吉かと言うダブりでもあったのかもしれないとも思いました。この辺はなんか見事な感じです。
この辺は・・と言う含みある言い方。
まあ、ちょっとそれは置いておいて。
あらすじチェックはHPでどうぞ。→こちら
で、小五郎が新しく出来た本町奉行所に転属された所から物語は始まるわけですが、そこは精鋭の人が集められたのだと、姑のこうにも妻のふくにも、そんな訳ないと怪しまれる始末。だけど、彼ら、彼らと言うのは同僚の結城さんなんだけれど、同じく精鋭には見えない人。前回2010では子供は8人だったのに、しっかり10人に増えているし。その二人が南から引っ張られたのは生存率の低いもぐりやの仕事をさせる為だったと言うわけで、納得の展開でした。
人間土嚢だなんて、うぎゃ、気持ち悪いやつらめって思いました。
なんてやつらだとも思いましたよ。
でもね、ちょっと「ムムム」と思った部分も、私的にはありました。
「必殺」って、誰かの強い恨みが存在して成り立つものだと思うのですよね。こいつら悪行三昧の人だと言うわけで成敗されたら、それは桃太郎侍になってしまうわけで、この場合の恨みと言うのは、あの時障子の向こう側にいたあの人のもの?
お春も長い今際の際で、ついでのように怨み晴らしてって言っていたように思うけれど、なんだか印象が薄くて、無理やり可哀想な女の子にされちゃった感じがしたのですね。お相手の与平さん、イケメンだなと思ったら、満島真之介って満島ひかりの弟ですよね。この若い二人のエピソードが雑で、涙を誘うものでもなかった事が残念ちゃあ残念です。
それよりもラストに、行方不明になった娘のビラを必死で配る母親の姿がさりげなく映し出されましたが、そっちの方がよっぽど涙を誘いました。
雑って言えば、弥勒坊燕斎とお菊のシーンは平城宮でしたよね。
門のところの土台のコンクリート部分見え見えなのが、いたく気になってしまいました。
でもコンクリートの起源って言うのはローマ時代云々って言うようなことを聞いたような・・・
じゃあ、日本はどうなのと調べてみました。やっぱり幕末からですよね。
えっ? 別に大河じゃないんだから、どうでも良いじゃないって・・・?
えっー、やだー。クオリティが高いのが必殺なんだから、完璧を目指して欲しいです。
それから、(まだ、あるんだ、実は)、仙吉が去っていく時に、ないはずの右腕が袖の隙間から見えた事。でもこれは勘違いかも知れないということも付け加えておきます。録画して見ているわけではないから確認できないからなんですが、腕のところに切れ目から肌が見えたんです。と言う事は腕。
ああ、そうか。失ってしまったのはどこからかがポイントですね。
ここで、私も告白します。数分意識が飛んだのですよ。なんたって眠い時間帯なので。その飛んだ意識の時に、二人の絡みのシーンや因縁のシーンが合ったとか?
もしもそうなら、教えてくださいね。
思わず、「許せん!」とか言っちゃいましたよ。(注:だから勘違いかも知れませんからね)
「ムムム」と思ったのはそんな程度なんですが、人間土嚢は気持ち悪い発想でも、増える罪人に掛かる経費の問題は、複雑な気持ちがしました。なんとなくモヤモヤ。
まっ、娯楽番組ですのでお気楽にいきましょう。(の、割にはウルサイ。)
入れる場所がないので、前後の脈絡なく言ってしまうと、仕立て屋の着物がお洒落なのは、お客さんから預かった布の残った端切れを縫い合わせて作っているからなんだなと、今頃理解しました。いつ見ても可愛い着物ですよね。
経師屋は今回経師屋の仕事をまともにやっていないので、美術さんが楽だったように思ったのですが、何げに襖絵を見るのも楽しみにしていたんですよ。次回は料理人として出てきそうな予感ですね。
やっぱり最後に書くのはこれかな。
中村さんから渡辺さんに・・・・。
新仕事人になってから、主役は交代していたと思いますが、その存在が大きかった中村主水。彼の技は居合いで敵の間合いに入り相手の刀で刺し殺す所が凄く怖かったです。冒頭で小五郎が同じ事をしたのが印象的でした。
HPにあった事ですが、今回東山さんは「北辰一刀流玄武館(ほくしんいっとうりゅうげんぶかん)」でしっかり指導を受けたそうですね。
2013年。また仕事人、お待ちしています。
どこかへ出掛けた時に記録している「お出掛け日記」ですが、日帰りで出掛けても意外と記事が長めな私なので、一泊二日なら更に少々長くなっても普通の事だと思います。だけど時間もそれなりに掛かってしまったりもするのですね。なぜなら気持ち・興味が波紋のように広がって、かなり自分なりに調べたりしているからです。調べた事を書き込む事もありますが、「お出掛け日記」なので自分の内側に留める事も多いかと思います。
「行ったよ。」と言う記録なら三行ぐらいで終わるものかも知れません。でも「行った」と言う記憶は残っても、そこで何を見て感じたのかは意外と忘れてしまったりすることも多いかと思います。ちょっとしたこともさりげなく書き止めておくのは、アルバムに写真ばかりではなく、その時の公園で拾った葉なども貼って置くようなものかも知れません。
今回は更に広がった波紋の部分のことを少々書き留めていきたいと思います。いっぺんに纏めようと思いましたが、小口で行く事にします。
・・・・「波紋」と言うと、何か他のこと・・・ジョジョとか連想するかもしれませんが、と言うか、私自身がそう連想してしまったわけですが、今回はお若い人が知るわけもない昔の事に興味が湧きました。
誰かに対して「お若い人」などと言うと、一気に自分が老けてしまうような気もしますが、なんて事はないのですよ。若干人生年表がずれているだけで、300年も経ってその時代の人が「今」を思うとき、10代の人もこの私も一緒くたみたいなものですよね、きっと。
その昔の事、「狸御殿」の想い出。
と言っても、記憶は薄い・・・・。
私の記憶の中にあった「狸御殿」は華やかな歌と踊りと物語。まさに豪華てんこ盛りでした。それを私は何処で見ていたかというと、たった一人でテレビで見ていたのだと思います。幼少の頃、近所にほとんど遊べるような子供もいなくて、姉は学校、妹は赤ん坊と言う状態で、私は既にテレビが友達と言うオタク少女だったのですね。
その頃は番組も少なくて、テストパターンまでじっと見つめていたように思いました。今思うと、何が面白くてテストパターンを見つめていたのかさっぱり分かりませんが、テレビは夢が詰まった箱だったのかも知れません。
そう言えば、アレ・・・
アレと言うのは、名前が分からないのですが、商店街や遊園地にあった双眼鏡のようなところを覗くと、向こう側に映像が映って動くやつ、アレはなんていうのでしょうね。それを見るのが大好きだったので、そのアレが家にやってきてくれたような感覚があったのだと思います。
そんなひとりで見るテレビで、エノケンとか昔の大スターだった役者さんたちを知っていったのだと思います。私の年代で、エノケンの映画を知ってる人はあまりいないんじゃないかなと思うのですがどうでしょうか。ただ、そうは言っても私の中の記憶も既に雲や霞の中ですが。
そしてそのうち、私の中で揺ぎ無いスターが生まれたのです。それが美空ひばりさんだったのです。幼少期に近い子供の頃、好きだった人は美空ひばりさんって、今思うとちょっと渋いかな。
でも彼女はかっこ良かったのですよ。
美空ひばりさん最後の公演や日々を支えていたのは、その頃青春期だった方々だったと思います。なぜなら私は長い間彼女のファンだった昔を忘れていたのです。私も成長と共に年齢に見合った人たちを好きになっていったからだと思います。
でも狸と言ったら、私には美空ひばり。
今の時代って、本当に便利ですよね。You Tube で再会出来るんですものね。
やっぱり埋め込み禁止なのですが、「こちら」と書くのも味気ないので、二回クリックしてYou Tubeのサイトで、興味のある方はチェックしてみてくださいね。
♪雨の降る日はしょんぼり~♪
Misora Hibari in Shichihenge Tanukigoten (clip 1)
Misora Hibari in Shichihenge Tanukigoten (clip 3)
・・・・・・そう言えばオダジョーの「オペレッタ狸御殿」なんていうのもありましたね。ちょっと見てみたいかな。
2月14日のバレンタインデーが過ぎる頃、寒さのピークも過ぎていき春が近づいてくるような気になりませんか。
公園では梅の花が咲き始め、ちゃんと次の季節が来るのだと教えてくれているのです。
そんな今日この頃、お元気ですか。
そう言えば、先日ワタクシ、友チョコなるものを貰いましたよ。
あっ、でも貰ったのは、性別男性なのですから、逆チョコとも言えるのでしょうか。イヤ、それはないな。だって彼はこう言ったのですよ。
「あの、あの、チョコを作ったのですが、」
超緊張している彼。
「あまったので、これあげます。」
あ、あまった・・・・から?
「あのね、余ったからって言うのが本当の事でも、それは言わない方が良いよ。だけどそれでも嬉しいな。」と、私は10歳の彼に言いました。
私も余計な事を言わなきゃ良いのに、言ってしまうのが私なのですよね。でも今後のこともあるじゃないですか。シャイな彼の事ですから、心憎からずと思っている少女にもつい言ってしまいそうです。
「あまったから、コレやるぜ。」
いや、それはダメでしょう。だからやっぱり今から言っておいたほうがいいと思ってしまったのです。
でも「あまったチョコレート」をあんなに緊張してくれるなんて、バレンタインデーのチョコレートには何か力があるのかも知れませんね。
そして可愛い!
命削って食べちゃおうかな。
命削ってと言うのは大げさですが、今の私にはチョコレートは禁止食べ物なんです。
大好きだったので、今までの人生で一生分既に食べていると思います。だからもう食べるなと言われたらそれでも良いかと思っているのですが、こんな可愛いチョコレートを見てしまっては禁も破りたくなってしまいますよね。
一応冷蔵庫の中にしまってありますが、そのうちこっそり・・・・・
我が家のバレンタインデーの話ですが、二年ぐらい前から家族チョコは止めて、家族みんなでいろいろな種類のチョコレートケーキを食べる日に変更していました。でも、今年は家族チョコ復活しました。
だいたい母親が息子に渡すチョコレートは、見返りを求めない愛の究極の本命チョコだと思うのですよね。
しかし夫に渡すチョコレートは見返りを求める、究極の義理チョコだったり・・・なんちゃってね。
13日から14日に日付が変わった途端・・・・
うずうずうず・・・
朝まで待てない私。
サンタクロースのように夜中に配ってしまいました。
二人の息子は起きていました。
ラッタ君。「ハイハイ、アリガト。」冷蔵庫に既に他のチョコレートが仕舞ってある彼の返事は軽かったです。おやつ配布みたいなものですね。
ルート君はタイミング良くトイレに入っていたので机の上に置いておきました。
その後チョコを見つけた彼は、私の部屋にやってきて「ありがとうございました。」と言いました。丁寧なルート君。
夫殿は既に夢の中の住人だったので、同じく彼の机の上に置いておきました。
折りしも翌日は寝坊して、夫殿が出かけるときは私は布団の中でもうそろそろ起きようかなと思っていました。あっ、そうそう。良妻の皆さんが不思議に思うといけないので言っておきますが、私の朝の起床時間は私の好きな時間です。昔、5時に起きて6時から仕事と言う事を遣っていたので、うちの男たちの朝は自立しているのです。もうお弁当作りという仕事からも解放されていますから、私の朝はお気楽なものです。
出かけるときに夫殿が
「ママ、チョコありがとうね~。」と嬉しそうな声で言って出かけました。
私は布団の中で、ちょっとだけ幸せ。
小さな世界のささやかな幸せ。
チョコレート会社の企業的戦略であっても、自分のささやかな幸せのために利用してもいいかなと思います。私はやっぱりイベント好きですから。と言いながらですね、コレも毎年言ってると思うのですが、我が家にホワイトデーと言うイベントは10年に一度くらいしかありませんよ、シクシク。
バレンタインデーの日、ふと思い出して過去の記事を読み返してみました。ショートショートのように書いた思い出の物語は自分のお気に入り記事なんです。もちろん自分自身の体験談は懐かしかったのですが、大した出来事ではなかったのに、笹目雪生の物語には、思わず涙が滲みました。ずっと昔にいなくなってしまった彼。
思わず今ある命に感謝してしまったのでした。
とうとう1話「贖罪」に繋がるお話が登場してきましたね。
印象的だった最後の涙目の尊。
「お察しのとおり嘘ですよ。(裁判の証言が)僕にも覚悟が・・・」
いつもながら台詞は不正確ですが、「・・・」の部分はあまり不正確に書きたくないような気もします。
尊よ、一体どんな覚悟をしたと言うんだい。
だけど右京の態度が冷たいような気がしてしまいました。正義の人、右京は心のどこかで尊の偽証が許せないのかも知れないと言ったら考えすぎでしょうか。
「花の里」で幸子が
「過ちなんて聞くと耳が痛い。」と言うと、
「あなたは償っているじゃないですか。」と言う右京。
と言う事は、尊は償っていないと言いたいのでしょうか。
右京に大河内のように尊を慰めるだなんて無理なことなんですよね。
私はここに来て、ようやく1話めの「贖罪」が理解できたような気がしました。何故、あの男は尊を名指しで非難したのか。
そして償いたくてももう彼はいません。謝りたくても謝ることすら出来ません。
尊の贖罪の道は、どんな方法で行われると言うのでしょうか。
今回のお話でも最後に釈然としない気持ちが残りました。
あの状況では、心の中に殺意があっても、やっぱり過失致死だと思うのです。殺意があり意図的に突き飛ばしたのと、殺意の気持ちを秘めて、争った挙句に死なしてしまうのでは、やっぱり大きな違いがあって、本人の感情の揺れ幅に左右されてはいけないと思うのです。国原は過去に犯した自分の罪までも、今回の罪に加算してしまっているのだと思いました。
だけどその罪こそ正義の想いが暴走した大きな罪だったと思います。
捕まえたい、裁きたい、そんな想いで立場を利用して何かを捏造してしまう事を許してしまうならば、警察の正義も司法の正義も死んでしまうと言うものですよね。
国原は、既に自分自身を裁いてしまっているのだと思います。
捕まった事が結局は救いになったかも知れません。なんとも言えないような切なさが残りました。
宣誓を力の限りで唱えるように言っていた、過去の日の国原の姿が強く心に残りました。
ところであの人の良さそうな課長(?)が怪しいのは、すぐに分かりましたよね。いかにも傲慢そうな方は普通の警察官だったと言うのは、なんとなくお約束だったように思いました。
真実を暴いた途端、尊の暴走はチャラで、又傲慢そうな人が急にへいこらになったのは笑えました。
それから国原が犯した不正も、最初から分かってしまいましたよね。
何でって言われても、やっぱり「相棒」もシーズン10で、10年やっているわけですから、10年見ていると分かるようになってしまうのですよね。
あっ、こいつが犯人って・・・。
だから「ええ~!!」と驚くような展開があると、身もだえするような・・・って何を言ってるんじゃ、私は。
という訳で、来週はオヤスミですよ。そして、その次は、いつもこの頃登場してくる陣川君の巻です。
どうせ彼は・・・。
ニヤニヤ・・・。
なんとなく私の真面目な性格が災いして、余り記事も面白くないのでおまけ的な事をちょっとだけ書いておきます。
「相棒展2」のお話。
3月2日(金)から3月12日(月)。
松屋銀座8階イベントスクエア(10時から20時まで)
入場料1000円。中学生以下無料。
サブタイトルが「杉下右京を探せ!相棒展の一番長い昼」
「謎を解き進む体験型アトラクション」ですって。
なんかこれ、面白そうじゃありませんか。
期間が10日しかないから行けるか微妙だけれど、行けたら良いなと思います。
しかし都内イベントって一人で行くことが多いのですが、体験型イベントだとひとりじゃ寂しい~。相棒が欲しいかも。
追記。視聴率は14,5。
「 思い立ったらお出掛け【湯河原の夜と朝】」の続きです。
湯河原を後にしてやってきたのは小田原城です。
最初、どこかに行きたい、何処に行くと考えていた時に思い浮かんだのは、ここ小田原城だったのです。どうせなら温泉に泊まりたい。じゃあ、湯河原に泊まろう。それだけじゃ詰まらないから「彫刻の森」に行こう。と言う風にスケージュールが組み立てられました。
だからこの小田原城に来ることは本当はメインだったのです。
ちょっとネガティブなオハナシですが、私は結構なお城好きで、出来るだけあちらこちらのお城に行ってみたいと思っているのですが、でもそれは高校以後、姫路城や熊本城などを訪れた後に思うようになったのであって、昔はお城ってつまらない場所だなと思ってもいたのです。そう思ってしまった一因にこの小田原城の存在があったように思います。
子供の頃、小田原城はもっとも身近なお城でもありました。横浜から小田原はそんなに遠くないし、父が連れて行ってくれたり、小学校の遠足で行ったこともあったからです。
でもその印象は、真面目なデパート。
別に何も売っていないですよ。せいぜいお土産くらいです。でも子供の私には「博物館」も「美術館」も馴染みのないもので、ボキャブラリーになかったので「デパート」と言う言葉を使うしかなかったように思います。城は概観のみで中は綺麗な床や階段、そして展示品が並んでいたのです。何も売っていないのですから、つまらないデパートで、つまらない場所と言う印象になってしまったのだと思います。
小田原城は再建の城です。
でも一旦城好きになってみると、そのような再建の城であっても、それなりの良さを感じるのですね。
例えば空襲で焼けてしまった名古屋城。
訪れると、人々の叫び・ざわめき・願いや祈りをジーンと感じることが出来た思い出があります。
今その小田原城を訪れると、昔とは違った印象を受けるのではないかと思っていました。
そしてそれは予想通りでした。
お城には小田原駅から行き方によっては、天守まで真っ直ぐに行けてしまうのですが、馬出門から入ったほうが情緒があって良いと思います。そして出来たら「小田原城歴史見聞館」など訪れると、面白さが増すと思います。小田原城と北条の歴史が良く分かります。
昔やっていた「功名が辻」の時だったと思いますが「河越夜戦」についてリサーチしたのですが、イマイチピンと来なかったように思いましたが、凄く良く分かる説明を人形劇で見せてくれて、納得できました。
その見聞館の裏手には蝋梅の花が良い香を放っていました。この蝋梅の画像が欲しかったのですよね。こんな小田原で手に入れることが出来、なんとなく嬉しかったです。
お城と蝋梅。
2月1日は早くも梅祭りが始まっていました。だけど今年は遅いのだそう。
まだこんな感じです。しかもピンボケ。
以下は少々写真日記。
桜咲く頃は見事ですよね、きっと。
馬出門
銅門。「あかがねもん」と読むのだそう。
天守から見た風景です。向こうに見えるのは一夜城歴史公園です。柵が邪魔ですが、大勢訪れることを考えたら仕方がないですよね。でも山の反対側は光る海。手を伸ばしてシャッターを切りました。
昔、父が連れてきてくれた小田原城はピカピカ光っていました。だけど天守が再建されたのは昭和35年です。流石に小田原城の床や壁はピカピカではありませんでした。それこそ昭和の歴史の重みが既に刻まれた城になっていたと思います。
子供の頃、こんな門はあったかしらとか思いましたが、記憶にないのは当たり前。
銅門は平成9年に、 馬出門は平成21年に再建されたのでした。
記憶にはあるのに既にないもの。
それは象のウメ子でしょうか。
お城には興味がなかった昔でも、ウメ子さんには思い出を作ってもらいました。今でも懐かしい楽しい思い出です。
その想い出日記は番外編と言うことで、又近いうちのいつか書かせてもらおうかなと思いました。
という訳で、1時頃小田原を後にしました。
この後私は4時半から仕事。
「なんかせわしないね。」と嘆くと、旅の相棒が「それって、カッコいいじゃん。空いた時間にふらりと出かけて、そして何事もなかったようにいつもどおりに仕事するって。」と言ってくれたのです。
確かに私は疲れてヨロヨロと言うのではなく、なんとなく充実した気分で張り切ってお仕事が出来たように思います。
やっぱり心に刺激と栄養、大切なことなんだと思った二日間でした。
今朝、「サンデージャポン」を見ていたら、デーブ・スペクターさんがホイットニー・ヒューストンさんの死亡を伝えました。入ってきたばかりの情報だったみたいです。
そのニュースは→ここなどで
ショックでした。
彼女が出演した「ボディ・ガード」はとても好きな作品でした。本当に素晴らしい歌声だったと思います。
だけど最近聞こえてくるのは、薬物依存症で入院した話とか、その他のあまり良い話じゃないような話題ばかり。
勿体無いなあとずっと思っていたのです。
まだ48歳。
早すぎる死に、私、本当に悲しいです。
YOU TUBEでも歌だけのものもありますが、やはり私は映画からのもので彼女の冥福を祈りたいと思います。
最後の流れるエンドクレジットが、悲しみを感じさせます。
埋め込みが無効になっているみたいなので、中のYOU TUBEで見るをクリックすると飛ぶことが出来ます。
映画の映像なので、又すぐに消えてしまうと思うのですが、それでも今日だけでも・・・と思います。
I Will Always Love You
≪思い立ったらお出掛け【箱根・彫刻の森美術館その3】≫の続きです。
重要な過ちに気が付きましたので、記事の途中に追記があります。
やっぱりどうせ泊まるなら温泉でしょうと言うことで、今回は湯河原にやって来ました。湯河原温泉は初めての場所です。
前にも書いたことがありますが、割烹旅館のリッチなお食事が量的に苦手で、ある時から素泊まりまたは朝食付きぐらいのホテルなどをチョイスしています。この選択をしだしたら、一気に旅は身軽なものになりました。料金的にもという意味も含めてです。
今回もそうだったのですが、今回ばかりは少し失敗したかなと最初は思ってしまいました。やっぱり二月はシーズンオフ。これはというお店を探すのが大変だったように思ったからです。とは言っても、大変だったのは寒い中うろうろしたからで、なんとなくリサーチしておいた1階は魚屋2階はお食事するところと言うお店を選んで夕食を取りました。
ここでお食事をしたのは大正解で、大根サラダに煮魚・焼き魚・お刺身にホタテの焼き物・茶碗蒸し・カニの味噌汁などを分け合って頂きました。結構なご馳走でも分け合って量調節と言う点が、無駄がなくて良かったように思います。そして美味しかった~♪
行きは失敗したかな~、寒いよ~、お店がなくて寂しいよ~ってな感じでしたが、お腹が一杯になったら体も温まって、元気溌剌復活です。
その時の時間は8時くらい。湯河原のメイン通りを歩いていた私は、ふとあることに気が付きました。
うわっ、誰もいない!
車も通っていない!
何とも言えない不思議な光景。
しばらく行くとあった交番にも明かりが灯るだけ。
「なんか変~!!」
思わず妄想魂が萌えるというもの。
だけど先に萌えたのは一緒に行った人。
「シィー、彼らに聞こえるよ。」
「彼らって!?」
「狸よ。」
「・・・・!!」
SF≦ファンタジー
「『上手く化かしたと思ったのに、大変だ~』とか言ってるかもよ。」
と彼女が言った途端、あっちからもこっちからも車がやってきて、お店からは人が出てきて・・・・
ああ、なんかワザとらしい。
心なしか町の灯も歪んで見える・・・。
注:私たちはシラフ。
ところで食事を作る時、私はいろいろな鼻歌を歌うのですが、先日あまりにも古い歌が飛び出してきて自分でも吃驚したのですね。どんな歌かって・・・知ってる人はほとんどいないだろうなあ・・・
「ポン太ポン吉二人で行けば道中怖いものはない~♪
『私は狸のポン太です。』『おいらは狸のポン吉だい。』」
美空ひばりの狸御殿だったと思います。思わずこの道でも歌いたくなってしまいました。
この通り「道中」とか「理想郷」とか言うバス停があるんですよ。
≪ちょっと、追記です。ポン太ポン吉が気になっていろいろ調べてみました。すると、実は自分の中の間違いに気が付いたのです。なにぶん子供の頃の記憶なのでこんな風に思い違いもあるのですね。ポン太ポン吉ではなくて「たん子たん吉」でした。物語りも『たん子たん吉珍道中』でした。美空ひばりではなく、松島とも子。今日からは『たん子たん吉二人で行けば道中怖いものはない~♪』と歌うことにします。しかし、この先はどんな歌だったのか気になるところです。≫
知らない街を歩くって、本当に楽しいですね。
☆ ★ ★ ☆
泊まった旅館にはベランダがあって早朝、そこから写真を撮りました。
そして完全なる朝が来ました。
朝は忙しかったです。
朝風呂に入って休憩したら、町の探索に出かけました。
なんとなくあんな看板が、温泉町という感じをさせますよね。
道なりにあった「だるま滝」
そして不動滝です。ここは夏目漱石の「明暗」のラストのシーンに出てくるのだとか・・・・
町営の美術館の庭に入ったら、その横には「国登録有形文化財の宿」と言う看板が。
趣き深い・・・。
その庭には水琴窟もあったのですが、凍っていました。残念。
万葉公園に行く途中にある「2.26事件光風荘」
詳しいことは→ここで
万葉公園は足湯などが出来る場所などがあるみたいですが、私たちは散策のみ。でも水の音に囲まれたその公園は、なかなか静かで良いところでした。あちらこちらに俳句等が載っている立て札が。
という訳で、朝の散策終了後、10時のチェックアウトギリギリでそこを立ち去りました。
湯河原、いい街でした。
そして次は小田原へ・・・。